Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2013年08月19日
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カテゴリ: 夢有無有
「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の七
 20:14あなたは姦淫してはならない。
 旧約聖書は人間は神のカタチに、男と女に創造されたとする。創世記には、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となるとあります。結婚は神聖な祝福で、それを穢すようなことを神ヤハウェは戒めています。人間の男女は交わりを本質的な在り方として生きる。旧約聖書においても、勿論の事、結婚は積極的に肯定されます。だが、この神聖な祝福である筈の結婚の秩序を乱すものとして、第七戒としての姦淫が登場します。仏教の釈迦の教えにあっては姦淫は不邪淫戒。仏教もキリスト教もこの戒律だけは共通しています。現代にあってもイスラム教では此の戒めが字句通り実行されていて、この防止のためには結婚した女性はベールを被ったり、家族以外の男と喋ることさえ慎むべきこととされ、邪淫をした場合、サウジアラビアでは石打ちの刑、即ち、皆で投石して殺す公開処刑が待っています。しかしながら現代のアブラハム宗教の多くの国が、この処刑に対しては女性解放の敵として眉を顰めています。だが、この戒律自体の重要性は現代でも何等価値を失ってもいないだろうし、衰えてはいません。現代社会は、此のことにあまりにも寛大なのかもしれません。言い換えれば、これが犯されたことにより生じる害悪に無知であるとも言えましょう。それとも実のところは、解っていても止められないといったところでしょうか。自己の感覚願望が渇望する愛欲に、理性判断が勝てないということがその真意なのでしょう。イエス・キリストが石打ちの刑が行われようとする場にあって、処刑される者ではなく、周りに向かって、まず自分に罪のない人から石を投げなさいといわれて誰も石を投げられなかったように、多少のことは皆犯してしまう守りにくい戒律でもあります。しかし安楽な家庭である楽園を失うと分かっている筈の浮気に何故人は走るのだろうか。それは、家庭平和は本人にとっても子供とっても霊的生長の幹だということです。理性判断が出来ない人間は、とてもじゃないけれそ霊長の人間とは呼称できません。たとえ社会的地位が高くても、教養があろうと、金持ちであっても、邪淫している家庭では夫婦仲は最悪でお互いを敵意をもって眺め、不運が家庭を覆うことから子供は家庭内暴力を振るったり、虐めの加害者や被害者になったりと、ありとあらゆる困難が生じてくる。これはまさに救いを失った失楽園である。目前の愛欲に盲目的に飛びつく代償は永く大きい。仏教では、危険な教法として胎蔵界・金剛界曼荼羅というのがありますが、此れに相応して左道密教が生じ、其の教えの総ては釈尊の教えと正反対になっているのが特徴で、邪淫自体を宗教儀式にまで高めています。信者は理性が完全に破壊されるにまで荒廃し、殺人さえ厭いません。日本では宗教の自由からか、一時世間を賑わしました。姦淫は邪淫に罪悪感を持たない確信犯ほど罪が重いと言えます。最後に此処で記して置かなければならないのは、後のイスラエルにとっての救世主であり聖王と呼ばれるダビデの存在でしょう。其のダビデの姦淫は清女に言わせれば許せない行為でしょうが。別記。

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最終更新日  2013年08月19日 06時13分38秒
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