Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年02月16日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/イマヌエル・カント-13(三百六十五)
 カントが時間と空間を実体として認識するのかを人間存在特有の感覚と認識、経験の背後にあって経験を成立させるための必要な条件として実体としての「物自体」を仮定します。このことから、時間や空間が人間の外感覚で捉えられす外物質として認識出来得ないにしても、「物自体」として不可視の「ブラックボックス」でも、大乗仏教の祖「龍樹」の説く「空」そのものでも、外感覚的な物質経験として捉えきれない以上物自体は非物質的な霊魂であってもよいし、時間と空間をもたないような存在「時空間を超えた存在」即ち次元が異相であってもよいことになります。それ故、些か観念論的ではありますが、カントの認識論は現象主義的な視点を外感覚で物質的な人間の認識を維持したまま自然科学とは相克せずに経験世界を世界存在としても説明が可能であり、仮に「物自体」言い換えれば「実体」あるいは仏教哲学に云う「普遍」もしくは「有」で、前6世紀の後半南イタリアのエレアに起った哲学前6世紀の後半南イタリアのエレアに起った哲学、パルメニデスやゼノンの学説、存在のあらゆる有限な規定性,変化を否定し,無規定的で変転しない純粋な存在のみを認める一元論であろうとも矛盾しないので、観念論とも相克しないということになります。カントは理論的には神の存在を否定したけれども、実践的には神の存在を道徳律の根幹として必要だと思っていたことからもゼノンのパラドックスを意識しておりカントの「純粋理性批判」がエレア派の哲学の影響を強く受けています。その思考は存在のあらゆる有限な規定性,変化を否定し,無規定的で変転しない純粋な存在のみを認める一元論で世界の根源を「一にして二無し」と捉え「絶対存在」を想起させます。此のは存在のあらゆる有限な規定性,変化を否定し,無規定的で変転しない純粋な存在のみを認める一元論であり、所謂通俗的な神は否定するも変転しない純粋な存在の意思的「有」を否定するものではありません。カントが虚無主義あるいは完全唯物主義者でない所以です。
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Zeno-of-Elea1

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最終更新日  2016年02月16日 07時00分38秒
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