Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2016年06月05日
XML
カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/ヘーゲルとニーチェの時間概念の総括1(四百四十一)
 キリスト教的時間観念の最大の特徴は、時間を有限なものとして捉えることである。時間には始まりがあり、かつ終わりがある。時間はそれ自体では有限である。無限なのは神だけである。無限な神が有限な時間を作り、其れを神の意志により一定の時刻で終わらせる。。それに対してニーチェは、時間には始まりもなければ終わりもない。時間は永遠に循環する。循環するある局面をとってみれば、それは円環として見える。円環は、すべてがそこから始まる出発点であり、また其処に戻ってくる終末点でもある。ヘーゲルは「時間(Time Line)」を過去・現時・未来且つ永劫と捉え、基督教では永劫の過去・現時・終末の未来且つ永劫として捉え、此の直線的な時間の概念を狩猟・牧畜文化の思考だと結び付ける思想家もいます。では、直線的な時間と円環的な時間では、どちらが本源的な時間なのか。基督教に傾向する時間観念の最大の特徴は、時間を有限なものとして捉え、永劫の神・無限の神が世界を創造した時点から有限な時間を創り、それをある一定の時限に終わらせる。其の後に有るのは永遠の神即ち「神の時間」であり、「神の永遠の瞬間」だという訳です。それに対してニーチェは、時間には始まりもなければ終わりもないし、時間は永遠に循環する。循環するある局面である流れをとってみれば、それは円環として観想される。円環は、すべてがそこから始まるスタート地点でもあり、将又、其処へ戻ってくるゴールでもある。時間は同時に而も至る所に経過を内在させている。其れ故に、永遠に循環運動を続けていく。何故か。其れは世界に神という存在はないから。其れから導かれるのは世界そのものが永遠でなければならない。仮に、世界が永遠ではなく、有限なものだとするならば、其のものに起因し終末点を賦与する存在そんなことができる者は神以外には考えられない。だが、神は死んだのだ。そうニーチェは強調するわけです。
cap-hiroのプロフィール
Moebius-Ring1

哲学・思想 ブログランキングへ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年06月06日 15時10分03秒
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: