Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年01月01日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-277
 人間精神の自由意志とは、人間夫々の身体の心の在処のうちにあって、自然の因果の必然によって規定されずに自発的に発動する能力が自由意志であるとします。そうした能力の存在は、選択とか意志決定の自由として意識されています。もっとも、スピノザによれば、人間が自由意志をもつと信じるのは行為の真の原因について無知であることによるので、人間の意志や行為もすべて因果の必然によって規定されていることを強調します。このように自由意志の存在を否定するのが決定論で、現代の科学者や科学哲学者のなかにも決定論者は多く存在しています。然し乍ら、精神の自由をスピノザの人間精神の自由意志を更に推し進めた
カントによれば、理論的認識の妥当性は因果律が支配する現象界に限定されるから、自由の存在は理論的には証明不可能であるが、しかし実践理性は人間が従うべき道徳法則の存在を認め、そこから自然の原因性とは異なった自由の原因性が英知界において成立することを確認する。すなわち意志の自由は、自分自身に対して道徳法則を課し、かつそれに従うといった意志の自律であって、この自由は非決定論的な選択の自由ではなく、道徳法則によって規定された善への自由を意味する。なおヘーゲルは、カントの説く自由はまだ有限的で主観的な意志の自由にすぎないと批判し、真に無限にして自由な意志は、即自かつ対自的にある意志で、それは意志の形で自己を貫徹する思考であり、したがって自由とは、実は「認識された必然」にほかならないと考えたとしますが、「認識された必然」を「神の必然」と捉えればスピノザの精神自由論は誤謬なき正論となります。
 定理四八 精神の中には絶対的な意志、すなわち自由な意志は存しない。むしろ精神はこのことまたはかのことを意志するように原因によって決定され、この原因も同様に他の原因によって決定され、さらにこの後者もまた他の原因によって決定され、このようにして無限に進む。
 此の定理四八は大乗仏教の祖「空論」を著した龍樹(ナーガールジュナ)の縁起の否定にはどう対処するのでしょうか。
 世間では巷を騒がせる多くの無差別犯罪を代表に、それが恰も精神の自由のごとく捉え其の拘束を訴える向きもありますが、其れ等は誤った認識の拘束から逃れられない精神の奴隷状態にあります。たとえば、犯罪の前に身体に震えが見られるのは其の例でしょう。一方、道徳法則によって規定された善を、自らの編み出す善を神の意志として誤認識した場合です。この場合には歴史が示すように世界秩序にさえ驚異と成り得ましょう。



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最終更新日  2022年01月01日 06時04分21秒
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