Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年05月22日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-417
 定理二八 精神の最高の善は神の認識であり、また精神の最高の徳は神を認識することである。 (善、認識、徳)
 証明 精神が認識しうる最高のものは神、言いかえればそれなしには何ものも在りえず、また、考えられえない(第一部定理一五により)絶対に無限なる実有(第一部定義六 神とは、絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、と解する。により)である。したがって(この部第四部の定理二六 我々が理性に基づいてなすすべての努力は認識することにのみ向けられる。そして精神は、理性を用いる限り、認識に役立つものしか自己に有益であると判断しない。および、この部第四部の定理二七 我々は、真に認識に役立つものあるいは我々の認識を妨害しうるもののみが善あるいは悪であることを確知する。により)精神の最高の利益すなわち(この部第四部の定義一 善とは、それが我々に有益であることを我々が確知するものと解する。により)最高の善は神の認識である。次に精神は認識する限りにおいてのみ働きをなし(第三部定理一 我々の精神はある点において働きをなし、またある点において働きを受ける。すなわち精神は妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きをなし、また非妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きを受ける。および第三部定理三 精神の能動は妥当な観念のみから生じ、これに反して受動は非妥当な観念のみに依存する。により)、また精神はもともと、その限りにおいてのみ(この部第四部の定理二三 人間が非妥当な観念を有することによってある行動をするように決定される限りは、有徳的に働くとは本来言われえない。彼が認識「*妥当な認識」することによって行動するように決定される限りにおいてのみそう言われる。により)有徳的に働くと言われうる。したがって精神の本来の徳は認識することである。ところが精神が認識しうる最高のものは神である(我々が今示したように)。ゆえに精神の最高の徳は神を理解することあるいは認識することである。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 記:スピノザ「エチカ(倫理学)」の人間の幸福概念とは、善・認識・徳に始まり理性・倫理へ、そして直感知としての神の認識に至ること、そこに限りある人間の寿命をも無視出来得る人類至宝の幸福があるとします。確かに神を覚知(確知)認識した人間は、神そのものと一体化するとも憶え、永遠を手中に収めるのかも知れません。我々の思考では、仮に何の様な手段、哲学・信仰・物理科学をもってしても自己が納得し得る手段があれば嬉しくなります。



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最終更新日  2022年05月22日 06時10分04秒
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