Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月10日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-436
 スピノザの著「国家論」。君主国家から貴族国家へと論を進め、民主国家の論証を始めた所で著者の死によって断絶する「国家論」では、人が生まれながらに持つ自然権の調整を通じてその成員に安全と平和を保障する機構が国家である。だが、人々が無気力である故に平和であり、隷属のみを事とする国家は国家ではない。最晩年のスピノザ(1663-1677)はこう説いて、各人が「他人の権利の下にある」と同時に「自己の権利の下にある」ことがいかにして可能かを追求したのですが完成に至りませんでした。スピノザによれば、人間は自然状態下では自分の欲する「自然権」という権利=力(後世の基本的人権のはしり)を持っているとする。しかし、皆が理性を離れ感情にて自らの利益を追求すれば他者との激しい闘争状態に入らざるを得ない。このように「人間は本性上敵である」のだから、自然権のひたすらな追求を止め、共同して生活する道を選ぶ共同の権利とするべきで、こうした権利を他者(=国家権力)へ委託した上で、その最高権力が法を制定し、権利と義務を定め、正義を実現することとし、人々を導くこのような国家権力に対し、国民は絶対服従することを求めている。そして、こうした自然状態から国家状態への移行により、人間は安全と平和でいられるのだとし、仮に理性に反する国家の命令に従わなければならないことがあっても、国家状態でもたらされる利益の方が大きいのだから、国家の権利に従う方が理性に適うのだとする。但し、その国家がもたらす平和とは戦争状態の欠如ではなく精神の力から生じる徳であり、国家権利への服従は、国家の共同決定に従ってなさなければならないことを実行しようとする恒常的意志であるべきで、国民の無気力の結果としての平和は国家ではなくただの広野にすぎず、最高の国家とは理性と真の精神生活とによって規定される人間生活を意味するのだという。考察するにスピノザの晩年は民衆の惰眠を覚醒することに目的があったのかも知れません。参考:ソクラテス「悪法もまた法なり」
 定理四〇 人間の共同社会に役立つもの、あるいは人間を和合して生活するようにさせるものは有益である。これに反して国家の中に不和をもたらすものは悪である。
 証明 なぜなら、人間を和合して生活するようにさせるものは、同時に人間を理性の導きに従って生活するようにさせるものである(この部第四部の定理三五 人間は、理性の導きに従って生活する限り、ただその限りにおいて、本性上常に必然的に一致する。により)。したがってそれは(この部第四部の定理二六定理二六 我々が理性に基づいてなすすべての努力は認識することにのみ向けられる。そして精神は、理性を用いる限り、認識に役立つものしか自己に有益であると判断しない。及び、この部第四部の定理二七 我々は、真に認識に役立つものあるいは我々の認識を妨害し得るもののみが善あるいは悪であることを確知する。により)善である。これに反して、不和をひき起こすようなものは悪である(和合と同じ理由の反証により)。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。



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最終更新日  2022年06月10日 06時03分02秒
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