Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年06月28日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-454
 定理五九(我々は受動という感情によって決定されるすべての活動へ、その感情なしにも理性によって決定されることができる。)の別の証明
 別の証明 おのおのの活動は、我々が憎しみその他の悪しき感情に刺激されたという事実から発する限りにおいて悪と言われる(この部第四部の定理四五の系一 ねたみ、嘲弄、軽蔑、怒り、復讐その他憎しみに属しあるいは憎しみから生ずる諸感情は、悪である。このことは第三部定理三九およびこの部の定理三七からも明らかである。を見よ)。しかしそれ自体だけで見れば(*鑑みれば)いかなる活動も善でも悪でもない(この部第四部の序言 抜粋: 善および悪に関して言えば、それらもまた、事物がそれ自体で見られる限り、事物における何の積極的なものも表示せず、思惟の様態、すなわち我々が事物を相互に比較することによって形成する概念、にほかならない。なぜなら、同一事物が同時に善および悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもありうるからである。で示したように)。寧ろ、同表動(*同じ表現行為)が時には善であり時には悪である。ゆえに現充着(*精神的不満足の現実的充足)であるような活動、すなわちある悪しき感情から生じている活動、その同じ活動へ我々は理性によって導かれることができる(この部第四部の定理一九 各人はその善あるいは悪と判断するものを自己の本性の法則に従って必然的に欲求しあるいは忌避する。により)。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 備考 このことは例を挙げることによっていっそう明瞭に説明される。すなわち殴打という行動は、我々がこれを物理的に見て、人間が腕を上げ、拳を固め、力をこめて全腕を振り下すということのみを眼中に置く限り、人間身体の機構から考えられる一個の徳である。そこでもしある人間が怒りもしくは憎しみから挙を固め、あるいは腕を振り下すように決定されるとしたら、そうしたことは、我々が第二部で示したように、同一の行動がありとあらゆる物の表象像と結合されうるがゆえに起こるのである。したがって我々は混乱して認識する物の表象像によっても、また明瞭判然と認識する物の表象像によっても、同一の行動へ決定されうるのである。だからもし人間が理性によって導かれうるとしたら、受動という感情から生ずるすべての欲望はまったく無用であることは明白である。今や我々は受動という感情から生ずる欲望がなぜ我々によって盲目的と呼ばれるかの理由を見ることにしよう。
 記:家庭内の躾や、教育における躾にてなされる行為は、現代では殴打は全く評価されないことに注意。柳生十兵衛の片目の失明(父である宗矩の行為は現代ではどのように評価されるでしょうか。)
 注:十兵衛が隻眼を恨み、怒りに震えたという文献は見かけません。



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最終更新日  2022年06月28日 06時00分53秒
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