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昨日の日記を読み返してみたら他にもいろいろな事が思い浮かぶ。書き忘れていたが、私が隠れジャパニーズだろうと思われる理由の張本人が夫である。すでに日本に4年間住んでいた彼。アメリカンスクールに転校して来た私に急接近。気が多かった私は彼以外の周りのボーイズばかり興味があったりした。ハワイ大学に願書をだしていた一年上の彼は、カフェテリアでハワイ大学のノートを持っていた私にチャンスとばかり、突然ジャパニーズで話しかけてきた。ちょっと待ってよ。私はハワイからアメリカンスクールに転校してきたのよ。突然何様?と私はショックから一瞬立ち直れなかった。あまりのショックに何を日本語で話しかけられたのかはもう覚えていない。私がボケてきた理由もあるのかも知れないが。そこら辺の詳しいことは夫が細かく覚えていたりする。今でも初めて私が転校してきた日にちを覚えているらしい。私は何度きいても忘れてしまうが。(父のモットー/言い訳は「三歩あるいて忘れる」である。やはり私も娘なだけあってそうなってきているかもしれない。)私が隠れジャパニーズなら、夫は正真正銘のジャパニーズ狂である。アメリカンスクールの部活後、彼は即様ご近所のジャパニーズ・ネイバースと遊ぶのが日課となっていた。私がイトコ達を祝日ごとに家来のごとく引き連れていた様に、彼は子供達をひきつれて。ある意味では似た者どうしなのだが・・。ようするに、私と彼は願望が正反対なのである。彼は日本人になりたくて仕方なく、私はアメリカ人でいたかった。今でも彼はチャンスがあれば (例:日本人が接近! ─ まるで芸能人である) 自慢の日本語を使おうとするし、そのせいで私は隠れてしまいたくなるのだった。こんな重大な事をどうしてもっと先に書かなかったのか分からない。おかしな事である。Opposites Attract というが、ごもっともである。アメリカでは、いかにもアメリカ人してるアジア系の者をバナナ (黄色い皮に白い中身)、とラベルがあったりする。それをいえば、夫はエッグである。《注: これを読んで気分を害さないで下さい。あくまでも昔の私たちの間でのジョークなので、他の方達にはまったくこのようなラベルをつかうつもりはありません》***************************元旦に日本から小学4年の時から仲よしの親友が遊びにくる。お正月を一緒に過ごすのはこれで3年目だが、彼女がくるお陰でとっても日本らしいお正月になっていると言えるだろう。日本では有名なスーパーモデル兼女優の芸能事務所で働いている彼女。普段はものすごい時間割りで寝る時間もないくらい。遊びにきたら1日目は休ませてあげるが、2日目からは容赦なく早朝からアウトレット・ショッピングに、夜中までバー廻りよ、などと言うと、メールで「せっかくのお休みだから遊ばなくちゃ」と言っていた。楽しい5連休になりそうだ。***************************2004年最後の日記となりました。と、いっても私にとっては10日目の日記。それでも個人記録です。親切に読みに来てくださった方々や、お互いの日記を読みあって意気投合した新しいフレンズ、いろいろな出会いに感激しております。子育て、キャリア、家事、そしてアドベンチャーにフルに挑戦し、がんばりたいと思います。2005年もどうぞヨロシクお願い申し上げます。
2004年12月31日
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友人に薦められてブログを始めて9日経った。日記はあまりつけたことがないので続かないだろうと思っていたが結構がんばっている自分にびっくりしている。ここ3年間は仕事の関係でライターのようなキャリアで日本語をつかう機会がまったく無い毎日。楽天ブログは日本語の練習にもなり、そしてセラピーにもなるというコトに気が付いた。書いたものを読み返してそう思う。さて、年末にさしかかり一年を振り返って思うことがある。私は「隠れジャパニーズ」なのだろうか。ピュア・ジャパニーズではないが、主に東京で育った私。習慣、文化は日本が身近である。国際結婚した私の両親だが、母は結婚した当初かなり苦労していた。子供の私にいつも辛そうことを言っていた。慶應を出た父はエリートの友人に囲まれ、結婚直前まで「なぜ日本人と結婚しないんだ」や「日本女性じゃ足りないのか」など彼女の前でそんなコトを言われていたとか。私にしては父の友人達はみんな朗らかで楽しい人たちと思っているが、まさかそんな酷なコトを言う人たちだとは想像できない。でも彼女がウソを言う理由もない。国際結婚に対する当時の人々の偏見が伺われる。私が「隠れジャパニーズ」だと最近思う理由はきっと母の私の幼いころの日本人に対する憤りからくるものかと思う。当時あまりサポートの無い母は孤独だったのだろう。私にはアメリカがなんでも優れていることを聞かされていたような気がする。そして小学・中学とアメリカ人の母がいるといって友達にちやほやされ、群らがわれた。クラスの男の子たちも母が「ハロー」と出るのを期待して電話をしてきたり。(思い返したら私はユーズされていたのね!) いじめの反対である。英語のクラスではもちろん先生に発音がきれいだからとテキストを読まされ、出たくない英語劇にも出させられた。恥ずかしかったチアリーダーだってクラスの皆に勝手に推薦されやらされてしまった。当時は目立ちたくないから母には人前では「わざとらしく」英語を使わないでくれ、と言っていた私であった。彼女の場合「わざとらしく」ではなく、自然だったのだが。父も父で、サラリーマンを父兄にもつクラスメートとまったく違い、自営業だが取締役のくせして五本指ソックスを履いてサンダルで授業参観にきたり。恥ずかしいばかりであった! (今は男の★ロマン★を生き抜いている父に憧れている私であるが) 注:父は山男であり、ヒマラヤマラソン・テレマークスキー・登山など暇をつくっては遊んでいる。現在は、結婚して子供もいる私は、日本文化と習慣を娘たちにも継いでほしいのだが、なぜか日本語を話せない。外国で子供を育てる母親は自分の国の言葉をつかい、こどもがバイリンガル、もしくはマルチリンガルが多い。私の場合、英語を聞いて育ったためなのか、自分の国や言葉が日本・日本語という自覚がないのか。私の母のせいにするわけでもないが、家庭で使う言葉には英語の方が愛情の表現がしやすいとも思う。なかなか日本語が使えないのである。使うのは子供に分からないように暗号のように夫と会話する時。情けないと思っているし、反省もしている。その上、いま住んでいる周辺には日本人が非常に少ない。だがたまに日本人とすれ違ったりすると私は目立たないようにしているような気がする。(まあ、すれ違ったからといってわざわざ日本語で話しかけた方が変態だと思われそうだ。) ロックヴィルの食品店のマルイチさんに買い物する時や、1階にある唯一の日本食のカフェ「てまり」で食べる時に限ってなぜかウキウキしているのだが。なので、2005年にはもっと努力したいと思う。日本語で書く練習することはもちろん、子供たちにももっと日本文化を身近にできるよう、行事などに参加したいとおもう。今年の七五三は機会を逃してしまったが (ワシントンでは行われず、ニューヨークの天理教の主催で行われる)、来年はニューヨークにいき、お祝いをするつもりである。長女は8才になってしまっているが、次女はちょうど3才でキキワケが良くなっているハズ・・・。唯一、日本文化で欠かせないお正月のお節料理やひなまつりはなぜか頑張っている私だが、ほかの行事も意識して生活する様にしたい。そして、末娘がもっと言うことをきくようになったら (いつの話?!) 長いフライトを我慢して日本を訪れたいと思う。
2004年12月30日
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今日初めてHarry Potter and the Prisoner of Azkaban (シリーズ第三弾)をDVDで見た。子持ちのクセにかなりオクレているが、子供が寝静まり、夫が仕事に出かけてから一人でテレビの前に。この時間が一番好きだ。私はJ.K. Rowlingの本5冊すべてハードカバー版を持っており、それぞれ発行されたなり読んでしまった。読んでいて思うのだが、彼女の想像力の豊かさには舌を巻く。最初から最後まで本当にいろんなキャラクターを登場させ、さりげないが、すべてのキャラクターに意味があるのだ。巧みにストーリーを発展させ、そして最後でツイストをかける。子供の本を書く作家は沢山いるが、ここまで考えているヒトは少ないだろう。最後になって「まさか、こんな事だったのか」とうれし・悲しの展開。そして前後の本もちゃんと読んでいないと関連しているキャラクターがいることに気が付かない。そもそも、J.K. Rowling自身のストーリーも凄いと思う。ハリーポッター前は離婚し、子供を一人で育て、政府の援助を受けて生活していたという。カフェでストローラーで寝ている娘を隣に、第一話を書いたそうだ。彼女に言わせれば、ハリーポッター自身が現われ、彼女にストーリーを与えたそうだ。うむ、なかなか彼女もカリスマ人物。それはともかく、子育てにめげず、こんなシリーズを産み出した彼女だ。今や彼女はイギリスでエリザベス女王の次に大金持ち。でも、世界中大人・子供に関係なく愛されている話、納得。想像力では作家として彼女を一番尊敬している。最後に、映画を見て思ったのは、映像の美しさ。たとえば第三話で出てくるホグワーツ城のエリアの景色。アイルランドかスコットランドの青い丘を連想させられる。夫も娘たちもアイルランドとスコットランドに先祖がいるため、私もとても惹かれている。東海岸に住んでいる今、距離的にも近い。ブリティッシュ・アイルズ、是非訪ねてみたいと思う。
2004年12月29日
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私には冬場の必殺スキンケアがある。あまりにも良く効くので日記に書いてしまうが、これを読んで試してみたい人は何があっても後で怒らないという約束をして試してみるコト。「ユースキン」という黄色い軟膏をご存じだろうか。黄色はビタミンEの色からくるのだが、湿疹・ひび・アカギレ・しもやけ(だったかな) に効用があるとされており、日本の薬局で買える。あくまでも流行りのMLM「ニュースキン」ではないことを先にオコトワリしておきます。はじめて自分の肌に効く、と気づいたのは○年か前 大学の冬休みに日本に帰ったとき。ハワイの湿気からいきなり湿気ゼロみたいな乾燥した冬の気候にお肌がパリパリ・がさがさになってしまった。もちろん9時間の飛行機の乾燥しきった空気からはじまったのだ。帰ってきて2日たったら私の顔はヒリヒリ・パサパサしている挙げ句、鏡を良くみたら、小さいブツブツが! 心理的でもあるだろうが、見た途端痒くなってきた。粉をふいたようなお肌にはもう、センシティブ系・しっとり系・さっぱり系しかないスキンケア用品はきかない。とにかく、何でもいいから助けてという気持で手にしたのがユースキンだった。アメリカ人の母が、「私には痛くて使えないけど、乾燥肌の湿疹にきくらしいわよ。」と一言いったのが始まり。ナイーブな私にはこの一言だけで足りた。余談だが、母は私よりヒドイ乾燥肌の持ち主。冬にお風呂にはいるのもいやがるくらい。入ったらもっとひどくなる、といっている。(出たらすぐローションを塗らないのが彼女のせいなのだが) 水も「むくむから」と言って飲まない。(私も実は水がキライである。理由は「むくむから」ではなく、「味がないから」 である・・・恥ずかしい)ユースキンを必死でほっぺたに擦り込んでいくと、なんだかすーっとひんやりしたいい気持。メントールやカンフルが配合されているのだろう。そして、化粧品ではないので、香料はないが、いかにも痒みに効くだろうという薬の香り。ビタミンEも入ってしっとり感抜群であった。かゆみはすでに無くなっていた。次の朝、何気なくお肌をチェックしたら、粉吹き肌と湿疹がウソのように消えていた。そして一日中しっとりしていたとも思う。それ以来冬場にはユースキンを武器にスキンケアに挑んでいる。もちろん、アメリカにはユースキンなんて売っているわけがないので、母にたまに送ってもらっている。今、家にはユースキンの入れ物が2つある。子供用と大人用である。まったく同じ物だが、それぞれのバスルームのキャビネットにしっかり正式メンバーとして置いてある。「ユースキン」を発明してくれた研究者には感謝の毎日である・・・。オコトワリ No.1: ユースキンは湿疹・ヒビ・アカギレに効く体の軟膏で、けっして顔に塗る目的で作られている物ではありません。試してみたい方は自分で責任をもって試しましょう。(ちなみに私は目の周辺には絶対に使っていませんので)オコトワリ No.2:ひょっとしてユースキンを顔に塗るのはそんなに珍しくないかも知れないので、珍しそうに書いてしまっていたらお詫びします。オアフに住んでいた時のすぐ近くのラニカイビーチ。(5月撮影)今、ラニカイにすぐにでも飛んでいきたい心境。今頃ラニカイは最高だろうな。とくに湿度なんてお肌にいいだろうな・・・。
2004年12月28日
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夜中ブログを書いていると、突然チャイムとポップアップが。インスタント・メッセージである。だれかと思ってクリックすると、イトコのKだった。こんな時間にどうしたのかと思って、「今どこ? サンディエゴ?」と返事をかいたら、「イラクにいる」その瞬間、体中妙な感覚。まるで痺れのような。夫が車で事故があったときのニュースにもこんな感じで体が反応。動揺していた。Kがイラクにまた遠征に行く前に必ず知らせてくれ、とは前々から言っていたのだが、全然聞いていなかった。だから、まだサンディエゴにでもいるのかと思っていた。私は霊感や予知力はまったくといっていいほど無いのだが、悪いことがあると、後になって反応するタイプである。Kの場合は悪いことがあった訳ではないが、嫌なニュースに入るだろう。Kは私より5つ下だが、ハワイ(オアフ)で夏休みを過ごす私達とステイするためカウアイ島から良く送られてきていた。ハワイで1年半ルーズヴェルト高校にいってまた日本のアメリカンスクールに転校するまでの間も良く遊びにきていた。子供好きな私と子犬のようになついていた彼は、ずっと兄弟以上にクロースだっただろう。(私の場合、一番年上という事もあり、イトコ全員手下のようであったが) どこに行くにも一緒、裏庭の冒険・海・ショッピング。レストランだっていつも一緒に座ったものだ。 彼は故・リバー・フェニックスに良く似ているかそれ以上ハンサムでもあるから友人もみんな羨ましがっていた。まるで遠い昔のようだが、そんなに前でもない。クロースだったため、結婚式でも彼はGroomsmanであった。でも、高校生の彼は照れくさくほとんど新郎新婦を見ず、シャンパンを飲みすぎて酔っぱらってしまっていたのを覚えている。他のイトコと一緒になって私達のクルマにイタズラガキもしていた (結婚式の後のクルマの「飾り付け」とでも言うのだろうか)。いつしか、私は仕事で忙しくなり、彼もアメリカのエリート海軍の海陸隊 (Navy SEALs) に入り引っ越し、離れてしまった。ファミリーとはいつまでも一緒という訳にいかないのだが、書いていて自分でも思うのだが、私はK離れしていないのだろうか。他のイトコ達とも最近連絡が少なくなってきている。遠い東海岸にいることもあり、ファミリーが恋しいのだけれど、実を言うとKがいちばん恋しい。5月にサンディエゴで会議があったため、2年前の叔父のお葬式以来合っていなかったKに合うことができた。夫と子供2人は2日後からサンディエゴに来る予定だったので、Kと市内をドライブしたり、ディナーをしたり、バーにもいった。妙な感じで、照れくさくもあったが、時間をさかのぼったような一時であった。もうすでにイラクやクエートに遠征で去年いっていたK。普段はメローで、ワイルドな時もあるけれど、結構繊細な面がある。恋愛にはなかなかついていないようだが、時には自分をあざ笑っている部分がある。少しでも彼の心の中を見ようと思い、促すと、Kは戦場の話を聞かせてくれたり、写真を見せてくれたり、ニュースでは味わえない恐ろしさが身にしみた。特に彼のグループは秘密が多い特殊任務がほとんどなので、いつ何処で何をしているかはまったく分からないのである。Navy SEAL の者は結婚しても離婚率が90%だ、と寂しそうに話もしていた。「僕には結婚は向いていない」と。そんなことはない、と励ましても、私にも分かっていた。インスタント・メッセージで14日にイラクに発ったという。大丈夫なのかと聞いたら、来た割りにはそんなに忙しいわけでもなく (場所は教えてくれないが)、インターネットや食べ物にも恵まれて暇ならしい。それならいつも連絡を怠っている常習犯なんだから、イラクで暇ならもうすこし頻繁にメールをよこしなさいと、ハードなリクエストをしてしまった。すると案の定、「うん、そうする」と一応の約束。地球の反対側にいってからもっとメールが来るようになる、というのは妙だが、私はそれが楽しみになりそうだ。「K、どこにいても貴方は愛されてるってコト知ってる?」日本ではとうてい言えない言葉。センチメンタルになっているアメリカ人として言った。「僕?」「もちろんよ。何があっても応援してるからね」このIMのやりとりが最後だったらと思うとやりきれない。最近は毎日を精一杯生きていきたいという気持もあるので後悔するようなコトはしたくない。「Love you」「Love you, too」前日の津波で今は約4万人の死者が予想されている。天災という理由はともかく、子供に先立たれた親の心境は想像したくとも出来ない。愛しているファミリーの一員が自分のコントロールできない状況で亡くしたとき、どうやってその人は心を癒していくのだろうか。あらゆる人間、憎しみ、怒り、復讐、悲しみと感情が入り交じる戦場。宗教やフィロソフィーは人々の心にない。でも、私はKの人間さや純粋な心を守りたい。イラクやクエート、もしくはアフガニスタンに何度行くのかは天にまかせるしかないけれど、彼が身も心も無事に帰ってこれるよう、はかなく願っている。【12月30日追加】振り返ると思い出が沢山。Kとどうしてこんなに心が通うのかというと、そういえば、彼は私が当時練習していたショパンのグランド・ワルツ・ブリアントNo.1が大好きでいつも「あれ弾いて」とせがんでいた。子供のくせにかわいいことを言うじゃないの、と歓心していたのだ。そしてつい最近も「あの曲まだ弾ける?」なんて訊いていた。もうひとつ思い出したコトは暇があれば忍者の絵を書いていたK。幼かった彼は忍者にあこがれていたのだ。でもアメリカ人の想像している忍者は日本の忍者と大分衣装がちがうので内心おかしかったのを覚えている。今はある意味では忍者である。(特殊任務のエリート暗殺者ともいえる) 彼の夢はある意味では叶っているのである。でも、アメフトの方がお金になったんだけどね、なんて言っている。
2004年12月27日
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今日はスコットの友人、ジムに招待されてGaithersburgから45分のOdentonへ家族でくりだした。ジムは一人娘のニッキ(9才)を男手一人で育てている。6フィート5インチくらいあるジムは来年50才になる。スコットと仲よくなったのは、引っ越す前のロックヴィルのアパートで知り合った。ジムはそこのビルダーのスーパーバイザーであり、住民でもあった。ニッキとケイちゃんは2年離れているが、スクールバスで朝夕一緒、自然と仲よくなった。ジムは朝4時くらいから夕方5時くらいまで毎日仕事をしていた。当然ニッキの午後3時半のバス停でのお迎えが厳しかった。スコットはワシントンのある有名なホテルのナイト・マネージャーなので日中は家にいる。仲が良い理由と一人で大変だろうというスコットの心遣いからニッキが毎日わが家に1時間半ほどくるようになった。いろいろとそれなりのチャレンジもあったが、今年ジムは新しい仕事につき、引っ越し、私たちも家を買って引っ越した。彼はニッキの面倒をみてくれたお礼に、いつも夕食をおごろうとしてくれたり、ディナーに招待してくれたり、親切にしてくれていた。でも、一番驚いたのは家を買ったときのリフォームを彼が手伝ってくれたことだった。ビルダー関係の仕事をしているからといってすぐにピンとこなかったが、彼はリフォーム等バリバリの経験済。壁のペンキ塗り、クラウンモールディングを入れたり、腕を発揮してくれた。彼がいなかったらどうなっていただろう、と思うくらい能率の良さ。ああ、本当に持つべきものは友だな、と心からおもった。そんなジムからクリスマス1週間前に電話がきた。クリスマスの次の日は何をしているのかときかれた。去年はクリスマス当日彼に招待されていたのにも関わらず、親しい韓国人のリー・ファミリーに呼ばれていたこともあり、彼を無視してしまったような罪悪感があった。そのリーさん一家も私たちと同じ頃韓国に帰ってしまったので予定は何もなかった。もちろん次の日はディナーをしよう、と約束した。今晩のジムの献立はハム、マッシュドポテト、ポテトサラダ、クランベリーの付け合わせ、そして極めつけ彼の伝統的なロールキャベツ。このロールキャベツが毎年定番なのだが、ジムは何代目ドイツ系アメリカ人(ハンガリア系もある)で、ロールキャベツには憎らしくもサウアークラウト入りの煮込みトマトソース。書いているだけでお腹が空いてくる。(少し頂いてきたので明日のランチに♪)伝統レシピなのでさすがに教えてくれないが、何回か食べたら自分でもマネできるかな、と思ったりしている。今日はジムとニッキと家族でゆったりとしたアフター・クリスマスを満喫できた。彼からのプレゼントはPier 1のピクルスのオーナメント。ドイツの伝統で、クリスマスの朝にこのピクルスのオーナメントをツリーのどこかに隠し、探し当てた最初のヒトは特別なプレゼントがもらえるそうだ。我がファミリーは日・中・英・スコティッシュ・アイリッシュ伝統のごちゃ混ぜだ。いろいろなホリデーで賑やかであるが、ジャーマン伝統を足しても結構なことかも知れない。
2004年12月26日
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★メリークリスマス!★最近のホリデーラッシュと私が久しぶりに日本語で「作文」を書くという作業でとろとろと更新が遅くなってきたダイアリーですが、辛抱していてください (汗)。ついにクリスマスがやってきました。イブの晩はスコットはサンタさんからのオモチャを組み立て、私はクリスマス・ディナーのハムの下準備。ハムはイースターとクリスマスと欠かせない重宝するお食事なのです。ちゃんと一晩浸けて塩抜きし、翌朝いろいろなハーブや野菜を添えてオーブンでじっくりとローストし、仕上げにグレーズとクローブでまたオーブンへ。とっても手と時間がかかるメニューですが、ポテトやライス、サラダ、フルーツ & デザートもがんばってつくります。私は毎日グルメ料理に手をかけませんが、ホリデーは家族で思い出になるためがんばります。お正月のお節料理もなかなか手に入らない物を自分で3日3晩かけてつくったりしておめでたさを感じます。それでもお刺身などは悲しいことに冷凍のマグロ・鮭・平目くらいしか出せません。ロックヴィルに1つしかない日本食品店のマルイチさんによると、ワシントン周辺の日本料理店などはすべて冷凍の刺身なんだそうです。えーっ、ショック!!最近は瞬間フリーズで刺身も質が良いですが、気分的にはフレッシュがやっぱりいいなぁ、と思うのは贅沢でしょうか。と話しが少しそれましたが、クリスマスに戻りましょう。子供たちがドドドドっと階段を駈け降り歓声をあげて私たちの朝は始まった。ツリーのライトは点滅し、サンタさんからのオモチャがあちこちに魔法のように当日現れ、ママ・パパは目の下にクマをつくって(寝不足で) 片手にスタバのコーヒー、片手にビデオとカメラ。でも、サンタさんに負けず、ママ・パパも今日は子供達の人気者。絵本や小説、OILILYの洋服 (高いけどカワイイ!)、GAP やColumbia のフリースのキャップやマフラー。ケイちゃんなんてグランパからゲームボーイ、キーちゃんはリープパッドというエクスペンシブなアイテムを。Harry Potter 「Part 3」 やMary Poppins の保存版のDVD。プレゼントをすべて開け終えてしまった後、虚しい気分になる。カウントダウンまでわくわく・ドキドキがとまらず眠れないことさえあるのだから、終わった時にくるクラッシュは免れないのだろう。ちょっと寂しい気持になりながらも、今度はお片付けとディナーの準備。ディナーといっても午後1時頃にたべるので、遅いランチ・早いディナーで「リナー」もしくは「ダンチ」とでも言うのだろう。ブレクファースト・ランチは「ブランチ」だものね。お腹いっぱい食べた後、もう皆限界。興奮がおさまり、お腹いっぱいになり、今度は睡魔におそわれる。ケイちゃんはメアリー・ポピンズのDVDを見ると言って、パパ・ママ・キーちゃんはお昼寝をすることにした。最近無と言ってもいいはずだったお昼寝は、ここ一週間で2、3回も。風邪をひいたせいもあったのだが、なんとラッキーな一週間だったのだろう。プレゼントもとっても嬉しいけれど、この「さんじゅう○」才の私にはお昼寝がとっても贅沢であった。もうひとつのご褒美は妹のアリがハワイのカイルア・ビーチでプロポーズされた事。私も晴れてアンティーになれる日が近づいてきたようです♪みなさんも良いクリスマスおくることができたでしょうか。今度はお正月にむけて気分転換ですが、がんばりましょうね!海外遠征で家族とホリデーを祝うことのできない方々、心から世界平和と皆さんの幸せをお祈りしています。 Gingerbread House
2004年12月25日
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今日は子育てのお話。良く街で見かける子供連れのファミリーのパターンは2才の子供とベビー。もしくは子供がたいてい2・3年くらいの違い。私の愛しい娘たちは7才と2才である。長女のケイトリンが5才半のときにキェラが生まれた。結婚した当初は、夫は2年間隔で子供が欲しいと言っていた。私を含む3姉妹はたまたま4年間隔で生まれたのだが、両親としてみれば、高校・大学教育費対策としてかなり楽だったのではないだろうか。なので、私は4年間隔、と思っていたが、スコットが2年というのなら、フェアに「じゃあ、3年間隔でオッケー」などとバーゲンしていた。といいながら、3年間隔で産みたいのなら、ケイトリンが2才ちょっと過ぎた頃にはもう計画していなくてはならなかったことになる。ところが、問題はその「年」にあった。「Terrible Twos」 と聞いたことがある人は沢山いると思うが、ケイトリンはまさにテキストのサンプルにでもなる完璧なケースで私を悩ませていた。2才の子供は難しいと聞いていたし、友人や周りの人たちも経験ずみだ。自慢じゃないが、私は長女で、2人の妹の面倒も沢山みた経験を積んだ人間である。でも、まさか自分の子がこんなに愛情を注いでいる母親にむかって反抗するとは!それも、沢山の生徒さんから慕われるピアノの教師であったこの私を・・! (関係ないって)要するに、2才になると自分の意見を言葉や態度で表現できるようになり、思う存分「表現」しようとしている訳なのだが、可愛がっている側にとってはまるでモンスターである。ノイローゼまでは行かなくても、さあ「もう一人造ろうか」なんていう気持にはとうていなれない。自己主張が激しい2才でも、やっぱり母親に沢山甘えているのだ。その上にまた授乳-哺乳瓶-おむつという乳児を穏やかな気持で育てられるだろうか、と本気で自分を疑ってしまった。出来なかったことはないが、心にゆとりがなかったと思う。ケイトリンが3才になったころには、彼女の本来の愛らしさが戻り(!)、ようやくファミリーもしっくり。レストランにいっても大人しくしていてくれて、ママもパパも外出がすごく楽になった。こんなにフリーになったのに、ベビーはすぐには欲しくならなかった。でも、ケイトリンが4才になったころにはさすがに焦り始めていた。そんなに頑張っていたわけではないが、あんまり年が離れていてもまずいと思った。これでは最初に計画していたプランと全然違うではないか!結局5年半という間隔でキェラが誕生した訳だが、これがまた今は凄い「Terrible Twos」真っ最中である。彼女が乳児だった頃は奇跡のエンジェルであった。ハワイからメリーランドに引っ越すという凄いストレスを伴った妊娠。最初と比べるとつわりや頭痛に悩まされてもいたので、生まれた子供も大変なのでは、と心配していたら、案の定、トローンとしたハッピーな子。私の母でさえ、彼女に心を奪われてしまっていた。だが、1才半になったら、手のひらをかえしたように性格が変ってしまった。でもここで諦めてはいけない。時には心を鬼にしていまから親が「イン・チャージ」だということをキェラに教えなければならない。特に彼女には姉の影響もあるからである!どちらがもっと「ひどかった」は別として、5年半離れている割に、意外と仲が良い姉妹。最近はよかった、とホッとしている。 それにしても、キャリアがありながらも2年間隔で子供を育てている方々には脱帽です。最近なにかとお客様が多い時期。その度に「Terrible Twos」を発揮するキェラ。せめてお客様が帰ってからにしてよ、と願うのは贅沢なのでしょうか。2月に東京から遊びにくるかもしれない私の両親。はたしてそれまでに「Terrific Threes」になってくれるだろうか。馬狂の姉・ケイちゃんと2才になったばかりのキーちゃん。5月にカウアイ島の親戚のファームで撮った写真。馬の背に乗せた途端、「ギャー!!」でした・・・
2004年12月23日
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