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今月は「チャングムの誓い」にはまったものの、続きのDVD、ビデオが叔母から届かないので続きが見れません。途中話から最終話まではDVDが手元にあるのですが、間を飛ばして見るなんてちょっと嫌。なので、待っている間にほかの映画を楽しみました。最近は夜に編物をしているので、編みながら見ています。あの夏、いちばん静かな海。(1991・日本)北野武監督による素敵なラブストーリーです。主人公はゴミ収集業の聴覚障害者の青年。彼はある日ゴミ捨て場から壊れたサーフボードを拾い、サーフィンを始めます。せりふも少なく、画面から聞こえるのは波の音と久石譲の音楽。美しいものには言葉はいらないんだなぁと感じました。ラストの展開がちょっと急すぎて、悲しいと思う間もなく終わりました。★★★★☆ビッグ・リボウスキ(1998・アメリカ)大好きなコーエン兄弟の映画なのですが、これはあまり好きではありませんでした。同じ名前の大富豪と間違えられ、カーペットを汚されたリボウスキ、間抜けな誘拐犯、大富豪のリボウスキのすったもんだに巻き込まれていきます。これは果たしてコメディなのか、ブラックジョークなのか…。★★☆☆☆ノーマ・ジーンとマリリン(1996・アメリカ)マリリン・モンローのバイオグラフィー映画です。有名になることに貪欲だったノーマ・ジーンは名前を売るためだったら女を武器に何でもしてきました。一度栄光をつかんだものの、心の中はいつも寂しく愛を求めていたマリリン。お酒と薬かつての自分の幻影に苦しめられ、自滅していきます。映画の中のかわいらしい彼女とは違う悲しい一面でした。マリリン・モンローの映画は「恋をしましょう」が大好きです。★★★☆☆タンデム(1987・フランス)パトリス・ルコント監督の初期の映画です。人気が落ち目のラジオの司会者と彼と地方を回るスタッフのロードムービー。ラジオ番組が打ち切られることを必死に隠し、司会者のために架空の番組を作ろうとする男性、そんな彼の狂言を見抜きつつも芝居に乗る司会者の、なんだかおかしいけれど哀しい映画でした。最後に2人が向かった先はどこなのでしょう。★★★★☆夫たち、妻たち(1992・アメリカ)ウッディ・アレンがミア・ファローと離婚する前の映画です。2組の夫婦の浮気、別れ、復縁について描かれています。経済的、社会的立場に恵まれていてもお互いの心の空洞は埋められない、これが大人の世界なのね。映画の中ではアレンは若い娘にプラトニックな恋をし、夫婦は離婚しますが、この直後実際にアレンとファローは離婚したのですね。★★★☆☆獣人(1938・フランス)酒乱の祖父と父の呪われた血を受け継いできたジャックは、機関士としてまじめに働いています、ある日、車掌が彼の妻の愛人を殺害する光景を目にしましたが、彼の妻に恋をしてしまいます。彼の妻と愛人関係になり、2人で車掌を殺害しようと企てますが、ジャックは破滅の道へと進んでしまいます。けっこう好きな感じのサスペンスでした。★★★★☆尼僧の恋(1993・イタリア)コレラの蔓延するヨーロッパ。尼僧のマリアは戒厳令の間だけ自宅のある田舎に避難します。そこで出会った青年に恋をしますが、尼僧になる身のマリアは彼の愛を受け入れられず、修道院へ戻ります。しかし、彼はマリアの腹違いの妹と結婚し、修道院でのマリアは苦しみ続けて…。禁じられた恋ゆえに、マリアが不憫でたまらなくなります。でも、映画に出てくるイタリアの田舎の景色の美しさといったら!★★★☆☆
2006年01月31日
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ブログのお友だち、ぽんこ0413さんから「例えばバトン」をいただきました。早速やってみたいと思います。1・自分を色に例えると?ぽんこさんが私のイメージはグリーンだと言ってくれました。大好きな色なのでうれしかったし、常にグリーンのようにありたいと思っています。自分では黄色、もしくは黄緑かな?なんて思っています。2、自分を食べ物に例えると?う~ん…。なんだろう…いきなり団子(熊本名物)、石垣もち(大分名物) →両方とも芋系?もしくは、あんまん。でも、やっぱりソフトクリームかな?3、自分を動物に例えると?猫かペンギン。性格が猫です。自由、気まま、わがまま、甘えん坊、ちょっと意地悪、でも小心者。ペンギンは歩き方が似ているといわれます。4、自分をキャラに例えると?「となりのトトロ」のメイちゃん。「ちびまる子ちゃん」と「天空の城ラピュタ」のパズー(主人公の男の子)にも似てると言われました。5、次にバトン回す5人を色に例えると?バトンはやってもやんなくてもいいのですが、次の5人の方を色に例えさせていただきました…。選ばせていただくのが難しかったので、長くこのブログでお付き合いをさせていただいている方を例えてみました。あきちゃん1010さん…ミルキーブルーやっぱり、あのブルーリバーの写真のイメージが強いので。私の写真の心の師匠ですから。xMasamixちゃん…藍色海のように心が広く、懐の深い彼女はこの色しかないです。袋ももんがぁさん…水色やっぱりオーラのイメージが…。それとハワイの海の色かな?tari1227さん…オレンジ温かい人柄、のほほんとした雰囲気なので。いつも癒されています。E&SATOさん…赤異国の地で何事にもがんばっているサトさん、戦い(?)の毎日はまさに赤?でも、サトさんそのものは青とかグリーンのさわやかなイメージです。ついでに、私にバトンを回してくれたぽんこさんはオレンジです。優しくて温かくて元気で、ほんわかした感じ。以上、「例えばバトン」でした。あ~、難しかった!
2006年01月30日
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月廻り温泉を楽しんだ後は、地鶏の炭火焼きを食べに行きました。温泉を出るとほかの3人の友だちから着いたと連絡がありました。彼らと合流して店に向かいました。月廻り公園から車で1分くらいのところにあります。その店はらくだ山のふもとにある、「らくだ山」という名前です。看板を目印に山道を運転していくと、林の中に純和風の建物がでん!とあります。車から出ると、炭火で肉を焼くいい香りが漂ってきます。この店の奥では地鶏を飼っています。だから、ここで自然に育てられた新鮮な地鶏をいただくことができるのです。昼間は鶏が元気に走り回っている姿も見られるので、なるべく左側を見ないようにお店に入りましょう…。地鶏が逃げないようにするためか、鶏泥棒対策のためか、よく吠えるゴールデンレトリバーが番犬をしています。夕食までの時間も少し早かったので、店の席は空いていました。囲炉裏に炭火をたいて肉を焼くので、外国人の友人たちにはいつも好評です。こういう純和風のものが珍しく感じるみたいです。そうでしょうね、日本人の私にだって新鮮なくらいだから。今回も、アユミちゃん旦那のリーのリクエストで来ました。3年前に連れてきたときにすごく気に入っていました。煙が外に出やすい造りになっています。地鶏定食(1600円)を注文すると、下味のしっかりつけられたお肉が登場。これを炭火で焼きます。ちょっと煙いけど、香りがものすごくいいのです。肉の脂が炭に落ちるので、火の勢いもよくなりよく焼けます。早く食べた~い!地鶏はちょっとかたいので、焼けた地鶏を専用のはさみでチョキチョキ切って小さくして食べます。おしょうゆなんかかけなくても、下味だけで十分なくらいおいしいのです。定食には粟ご飯、お味噌汁、漬物、地鶏の生卵もいっしょについてきます。女性だけで来たときにはいつも地鶏が残ってしまうけど、今回は男性、それも大食いが3人もいたので一気になくなりました。みんなおいしいと喜んでくれました。アユミちゃんと、今度は平日のお昼に来ようねなんて話しました。ここで飼われているお魚くん。すごい顔…魚:「真正面から撮らないでくれる?」なんてね…。
2006年01月29日
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お天気のよい土曜日、お出かけ日和です。今日はかねてから行く予定だった熊本県高森町へ行きました。本当は先週末の予定だったのですが、残念ながら雪で中止。今週に延期になりました。今回の目的は、高森町にある地鶏の炭火焼を食べに行くことでした。お風呂に入る前に、まず温泉に入ってお腹をすかせて店に行くことに。親友のアユミちゃん、夫のリーに7歳の息子のコナーくんと私の家の近くで待ち合わせて出かけました。他の3人の友人たちは早めて出て、高森にあるパン屋さんへ行きたいとの事で温泉で待ち合わせることになりました。高森へ向かう道は山道、月曜日に降った雪がまだたくさん残っていました。もうすぐ到着というところで 例の遅刻魔の友だちから電話が。早めに行くと言っていたのに、今から家を出るとのこと。私たちが温泉を出た頃に待ち合わせることになりました。ははは、やっぱりな…。月廻り温泉は、月廻り公園内にあります。広大な敷地内には、ゲートボール場があり、草すべり、ゴーカートなんかも楽しめます。馬やウサギもいて動物と触れ合うこともできます。そこにある手打ちそばの店もなかなかおいしいのです。さて、言った誰もが口をそろえて褒め称える月廻り温泉はというと…。脱衣所は広く落ち着いた感じです。お風呂はまあ広いかな。ただ、洗い場と湯船の間が狭く、洗い場のお湯が温泉の中に入ってしまいそう…。サウナは低温で長くいられるのですが、ものすごく汗が出てきました。この温泉の何がいいのかというと、景色なのです。露天に出ると目の前に広がるのは阿蘇連山です。温泉を出て撮った写真ですが、こんな感じ。こちらは以前伝説を紹介した根子岳。温泉も100%のかけ流しです。少し熱めですが、寒い冬には気持ちがいいです。公園で思いっきり遊んだ後に眺めの素敵な温泉はいかがですか?●成分 アルカリ性単純泉●効能 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、 くじき、慢性消化器病、痔症、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
2006年01月28日
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ウェリントンの語学学校を終えた後、私は仕事を得ました。それは日本食レストランでの仕事でした。しかし、人を雇いすぎて人手あまりだったので、ウェイトレス経験のない私は策略にはまりクビ、急に暇人となりました。そこで始めたことは、老人ホームでの週2回のボランティアとESOLで英語を勉強することでした。北米ではESL(English as a Second Language)と言いますが、ニュージーランドではESOL(English for Speaker of Other Language)と言われていました。移民やその国で生活をする、英語を母国語としない人々のための英語の教室です。アメリカやカナダでは無料の所もあると聞きましたが、私の行った教室は週2回のレッスンが3ヶ月で50ドル(当時約3500円)でした。定員制で、お金を添えて期限内に申し込むだけの簡単な手続きでした。クラスは初級・中級・上級の3クラスありました。申し込み時に希望クラスを告げますが、初日は一応試験がありました。私は中級クラスに申し込みました。語学学校と違う点は年配の人が目立つということでした。移民や、昼間仕事や学校を終えて教室にくる人ばかりです。もしくは、私のようにお金を節約したいけど英語もやりたいという人たちでした。クラスメイトも語学学校と違っていろんな国・地域から集まっていました。中国、香港、カンボジア、ベトナム、タイ、コロンビア、ロシア、旧ユーゴスラビアと多様でした。そして何よりもうれしいのが、先生がニュージーランド訛りの英語を話すのです。これからこの国で生活をしようとする人たちが必要なのは、現地の英語ですから何よりも役に立つと思います。ここでの教材もニュージーランドに関する事が多かったです。まずはウェリントンの話題から、新聞の天気図からニュージーランド各地の天気を調べたり、いろんな天気用語の覚え方、ニュージーランドの歴史など、その国を知るための教室でもありました。これから生活するという人にはきっと役立つ内容だったと思います。ただ受講料が安いし、社会人が多いこともあって、受講生は次第に一人減り、二人減り、最後のほうには5,6人でレッスンになることもありました。最後の日は3クラスが全て集まって、ポットラック・パーティーでした。国際色豊かだったので、いろんな国の食べ物が集まりました。私はシナモンロールを焼いていきました。普段はあまり話さないほかのクラスの外国人たちとも話す機会があって楽しかったです。ここでは英語はもちろんだけど、いろんな国の人と話をするチャンスがありました。会話練習では、その国々での特徴のある英語のアクセントを聞き取る練習にもなりました。いちばんおもしろかったのは、中国人のおばさんにplanと言って通じなかったとき、紙に「計画」と漢字で書いたらわかったということです。さっくばらんで楽しく、ニュージーランドの生活に密着した英語を学べたので、忙しいけど語学学校に通いたいという人にはお勧めの教室です。
2006年01月28日
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先日、宮本武蔵の墓がある武蔵塚公園の紹介をしましたが、今回は武蔵が「兵法五輪の書」を書き、生涯を終えたであろう場所について紹介したいと思います。宮本武蔵が晩年を過ごした洞窟は、熊本市北部の金峰山の雲巌禅寺内にあります。金峰山は車で登りましたが、周りはミカン畑で、木々には収穫前のオレンジに色づいたミカンがたわわに実っていました。駐車場に車を停め、小道を歩いて雲巌禅寺に向かいます。入場料金を払い、お寺の本堂の前をお参りして奥に歩いていきました。そこで待ち受けるのは五百羅漢さんたち。写真がちょっと古いのですが…実は、私は宮本武蔵が過ごした場所よりも、この五百羅漢像を見に来たかったのです。ここを訪れる前の月に、熊本県小国町にある須永博士極楽羅漢美術館に行きました。須永さんの描いた羅漢像と、彼が全国各地で撮影した羅漢さんの写真を見て、無数の羅漢像が並ぶ姿を見てみたかったのです。私の住んでいる近くにも十六羅漢像があります。それはそれで素敵なのですが、やっぱりたくさんあったら壮観だろうなぁと思ったのです。確かに壮観でした。雨風にさらされて風化したものも多くあります。羅漢さんの表情は一つ一つ違っていて、自分の顔に似たものがあるそうです。私の顔を探してみましたがわかりませんでした。誰の顔に似ているんだろう…この羅漢さんたちは、1779年から1802年の24年間に渡って、熊本の古人(名前を忘れました)によって奉納されたそうです。五百羅漢像を過ぎると、武蔵の雲巌洞があります。けっこう高い場所にありました。今は階段があって観光客も内部を見に行けるのですが、武蔵の時代はなかったはず。岩をよじ登って出入りしてたのでしょうか。中は暗く、実際に武蔵が居住した奥の洞窟には入ることができません。やっぱり、こんなところで書を書けるだなんて、達人の域ですね。私なら一人ぼっちであんなに暗いところ、気が狂ってしまいそう…。この年はNHKの大河ドラマ「武蔵」の始まる前年でした。なので、観光客も少なくゆっくり散策できました。一緒に行った友人は、子どもの頃やっぱりNHKのドラマ「宮本武蔵」(役所広司さん主演)をよく見たそうで、なんだかうれしそうでした。私もこのとき初めて、宮本武蔵について興味を持ちました。まだ、武蔵の書画や剣のある島田美術館と巌流島へ行ったことがないので、近いうちに行かれたらいいなあと思います。
2006年01月27日
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「わたしだけでしょうか。時間や約束を守らない人ほど言い訳が多いって感じるのは。わたしだけ?」なんて、某女性芸人のような口調でスタートしましたが…ずっと以前の日記にも書いたことがありますが、私は時間にルーズなことが嫌いです。私はわりとのんきなので、待つことは平気です。いつも本を持ち歩いているので、相手が遅れても適当に暇つぶしができます。相手を待たすことよりも待つことのほうがましだと思っています。相手が遅れても、ちょっとくらいならなんとも思いません。10分、いえ30分くらいなら待ちます。それ以上でも相手が確実に来るのなら待ちます。渋滞とか、思わぬことで遅れることもありますから。しかし、最近私はなんだか、いつも同じ人を30分から2時間待っているような気がするのです。その人は大事な友だちです。でも、恐ろしいほど時間にルーズなのですね。たとえば、スーパーで待ち合わせをしたとき、私は5分前に到着しました。約束の時間の30分後に彼女から電話があり、遅れるということでした。スーパーの本屋で暇をつぶす私。それから15分後に電話があり、先に買い物をしていてということ。買い物を済ませてそれから30分後に彼女は来ました。次に私たちは5時半にショッピングモールで待ち合わせをしました。しかし彼女は来ません。電話をすると、親戚の家でくつろいでいたとのこと。はい~?もう一人いたイギリス人の友だちもびっくり仰天。それからイギリス人と私は本屋で暇つぶし。待ち合わせの時間の2時間後、7時半近くに彼女はやって来ました。もう誰もが彼女が時間にルーズなことを知っています。でも、なんでみんな笑って許せるの?私は数回切れそうになったけど、大人気ないので言いませんでした。一度、そんなに時間にルーズで仕事に支障はないのか聞いてみました。すると、「ああ、大丈夫!私、その辺はしっかりしているから!」そっかぁ~、友だちは待たせても仕事に遅れなければいいのね。じゃあ、私もそうしようかしら?って、しないけど。そんな彼女はこう言います。「私は何事にもスローだけど、みんなに助けられているからやっていけるんだな~って実感してるの」これを聞いた友人の一人が、後日私に電話をかけてきました。「みんなに助けられてるだと~?バッカじゃね~の?」←男性です。私に言っているんじゃないですよ。彼女への不満を私にぶちまけていたんです。彼女は優しくて思いやりのある子、だから私にとって大事な友人です。でも、本当に思いやりのある子だったら、そこまで人を待たせるでしょうか。遅れるたびになんだかんだと言い訳をして、なんだか最近は誘うのが面倒になりました。今週末も友人たちと出かけます。この辺りじゃちょっと人気のあるお店へ食事に行くのですが、閉店時間が早いんです。なので、10分以上遅れたら置いて行くって言おうと思います。どんなにいい人でも、時間にルーズな人はやっぱり嫌なんです、私。
2006年01月26日
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あまり詳しくはないのですが、私は詩を読むことが好きです。特にどの作家が好きというわけではないけれど、好きな詩や心に残る言葉があれば書きとめています。数年前、私の生徒に大学受験を控えた高校3年生の女の子がいました。彼女、アカリちゃんが大学生になったらしたいことのひとつに、熊本県小国町に行きたいということでした。その理由を聞くと、詩人で画家でもある須永博士さんに会いに行きたいというのです。アカリちゃんと須永さんの出会いは、彼女が中学3年生の時でした。この町に講演にいらっしゃった須永さんのお話を聞いて感動した彼女は、講演後に須永さんにお礼を伝えに行きました。すると、須永さんは彼女にその場で詩を作ってプレゼントをされたのだそうです。実は、彼女に聞くまでは須永博士さんがどういう方なのか私は知りませんでした。彼女は絵をみればわかると私に言うので、なんだか私も興味がわいてきました。そこで、彼女が大学に合格し、夏休みに帰省したときに小国町に連れて行ってあげよう!と約束をしました。そして夏休み、大学生になったアカリちゃんと再会し、約束どおり小国町へ行きました。道の駅でアトリエの場所を確認し、車を走らせました。アトリエ近くに行くと、「須永博士極楽羅漢美術館」がありました。そこで入ってみることに。須永さんは全国を回られ、羅漢さんの写真を撮ってそれを描いていらっしゃるということでした。色彩鮮やかでダイナミックな羅漢像に目を見張ってしまいました。しかし、アカリちゃんの知る須永さんの画風ではないと言いました。でも、美術館で売られていた絵葉書を見て、私もこの人の絵を見たことがあることがわかりました。とてもかわいらしいイラストに、素敵な詩が添えられています。美術館スタッフに聞くと、残念ながらアトリエは公開されていないということで、その場でアトリエの写真だけを見ました。須永博士極楽羅漢美術館前にて私は当時、今より12kg太っていたので、写真が小さいです…小国の町中に行くと、「須永博士作品館」があるというので、近くの北里柴三郎記念館を見学してから向かいました。小国の町中はこじんまりとしていてかわいらしいです。作品館は、白壁の蔵のような作りになっています。1階は詩を添えたイラストの展示、2階は色紙に書かれた詩が展示されています。読んでいて飽きません。書きとめようかと思いましたが、膨大な数なのでポストカードブックを1冊購入しました。そういえば、久住のTAOの里「グランディオーソ」でも、須永さんの「道」という詩が飾られていました。小国に住まれていて作品感があるので、須永さんはてっきり熊本県ご出身だと思っていたのですが、東京日本橋出身なのだそうです。小国を拠点に日本各地を放浪、個展、講演会を開きながら活動されているそうです。詩画のみならず、書、油絵、陶芸などの分野でも活躍されています。アカリちゃんのおかげで、また素敵な詩人を知ることができました。須永博士さんの詩や作品を見ることができます。須永博士公式ホームページ
2006年01月25日
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今日は寝不足です。そのわけはと言うと、いまさらながらですが、はまっていまったんです。「宮廷女官・チャングムの誓い」です。はい、遅いですね。私は韓国映画が好きでした。なぜ過去形かというと、今の作品はあまり好きではないからです。もちろんおもしろいものもありますが、なんだか軽いノリの物が多くなったような気がします。だからこそ日本人に受けたのかもしれないけど、私はちょっと前の「八月のクリスマス」のように心にしみわたるようなもの、「シバジ」のような歴史ものが好きなんです。日本でも大人気だった「シュリ」ももちろん好きです。韓国ドラマははっきり言って大の苦手でした。「冬ソナ」は最初の2回見てやめました。どうも純愛ドラマっていうのが私にあわないようです。クォン・サンウっていう名前の俳優さんだったと思いますが、ルックスが好みだったので昼にやっていたドラマをちょっと見たのですが、クラクラしてきました。なんだかダメだったんですね。そんなこんなで、話題の「チャングムの誓い」も始めから見なかったのです。でも、40代のヨン様ファンの叔母に、チャングムは違う、韓国ドラマがダメな人でも楽しめる、見ないとバカだ…とまで言われ、DVDを無理やり貸されてしまいました。でも、DVDは埃をかぶるだけでプレーヤーに入ることなし…そんなある年末、テレビをつけていたのですが、チャンネルがNHKになっていました(いつもだろ?)。で、始まったのが「チャングムの誓い」。別に見てはいなかったのですが、テレビから聞こえるせりふが気になり始めてついつい見入ってしまいました。しかも、おもしろい!本当におもしろいんです。そこで、埃をかぶったDVDを見ようと出してみると、24話からしかないんです。叔母に電話して1話から見たいと言うと、1話から12話まではDVDに録画し損ねたから、友人からビデオを借りてくれると言いました。そして12話までのビデオたちが私の手元に…。昨日の夜から見始めたのですが、一気に5話まで見てしまいました。5時間…。気がつくと夜中の2時でした。物語の設定やストーリーももちろんおもしろいのですが、宮廷料理を作りシーンが私は大好きなんです。あの時代の朝鮮半島の皇帝はあんないいものを食べていたのですね。日本のお殿様やお公家さんよりもよっぽど豪華なものを食べていたと思います。それに、チャングムの少女時代がかわいくて。女官役の整形美人だらけの韓国女優も圧巻(笑)。さて、今日は6話からだなと、わくわくしながらビデオの入った紙袋を見ると、ないんです!7、8話だけがないんです。嫌だ~、飛ばしてみるのは嫌です。順番に見ないと嫌なタイプなんです。それに、12話から23話までのDVDは叔母が誰かに貸しているらしく、まだ手元にありません。ストレスがたまりそうです。でも、待ちきれないので飛ばして見ると思います。立て続けに見たためか、宮廷料理は夢の中に出てきました。でもなぜか、夢の中では自分で作っているんです。で、ドラマの中のようなきれいな器に盛り付けて、さあ食べようと思ったら猫に起こされました。よくあるパターンですね。「チャングムの誓い」のおかげで、これからしばらく眠れぬ夜が続きそうです。もちろん、金曜日のNHK総合テレビのものも見ます。「チャングムの誓いで学ぶ宮廷料理」…欲しいかも。
2006年01月24日
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日曜日の午後はテレビでスポーツ観戦を楽しみました。冬のスポーツと言えばマラソン、駅伝、バレーなど盛りだくさんですね。今年はトリノオリンピックもあるので、ウィンター・スポーツを見る機会もあって、スポーツ観戦好きの私にはたまりません。←見るだけでしない人。昨日の大相撲千秋楽、栃東関の優勝はお見事でした。おめでとうございます!優勝したから言うのではないけど、私は栃東関のファンなんです。昔は別に好きでもなんでもなかったのですが、この人、すごいって思う相撲があってそれ以来のファンです。その相撲はよく覚えていませんが、何年か前の優勝決定戦でした。対戦相手は千代大海関。千代大海と言えば大分県の力士なので、もちろんそちらを応援していました。そして行司の「のこった!」と言う掛け声と共に、千代大海は栃東を突っ張ろうと向かっていきます。しかし、それがわかっていたかのごとく、栃東は千代大海を一瞬ではたきこんだのです。ほんの数秒の相撲でした。それから二度の大関からの転落や怪我に悩まされたりしたのに、親方の息子という立場に甘んずることなく努力を続けた栃東関。昨日の笑顔は最高でしたね。実は、私は相撲ファンなのです。隠していたわけじゃないのですが。中学時代から好きでよく見ています。大学に入学して、語学クラスでの自己紹介の場で、趣味は相撲観戦、好きな力士は益荒雄と旭富士と言ってしまい、大笑いされました。入学当初は第三者たちの間で私の話をするときは、「ほら、あの相撲の子」と呼ばれてたといいます。相撲の子って、私が取るわけじゃないんですけど。今でも見られるときはテレビで観戦、仕事のあるときはNHKの大相撲ダイジェストを見て寝ます。そうそう、そして昨日は都道府県対抗男子駅伝もありました。どの県も高校生がチームの主力のようですね。大人はもちろんだけど、中高生が一生懸命走る姿はなんだか感動ものです。首位争いのデッドヒート、最後のほうだけどがんばって走るランナー、みんな応援したいって気持ちになります。しかし、最後はかなりムッときてしまいました。長野県が3年連続の優勝を達成しました。それはもちろん素晴らしいことです。しかし、その監督の発言、いったい何を考えているんでしょう?「他のチームが手を抜いたんじゃないですか?」とおっしゃいました、その監督さん。おい、こら、どこの誰がレースで手を抜くんだ?みんな自分の力を出して一生懸命走っていたのに!優勝してうれしいのはわかるけど、ちょっと人をバカにしたような発言に聞こえました。母も「失礼なやっちゃ(やつだ)!」とブリブリ怒っていました。でもやっぱり、冬場のこたつに入ってのスポーツ観戦、いいものですね。って、選手は寒い思いをしているのに何を言ってるんだって文句を言われそうだけど(笑)。
2006年01月23日
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剣豪宮本武蔵は晩年を熊本県で過ごしました。熊本市北部の金峰山、雲巌禅寺内にある雲巌洞で「兵法五輪の書」を書き記したのは誰もが知るであろう有名な話です。武蔵は出生地とする場所が数箇所ありますが、同時に彼の墓とされる場所も全国に数ヶ所あります。熊本市武蔵塚公園にも武蔵の墓と言われる場所がありますが。武蔵が最後に過ごしたのはこの熊本の地、私は宮本武蔵の本当の墓はこの武蔵塚公園であるような気がします。武蔵塚公園へ行ったのは約1年半前の暑い夏の日でした。熊本市内からも大分市内からも、旧国道を通るとわかりやすいと思います。JR豊肥線なら、武蔵塚駅で降りればすごです。車を停めて公園内に入ると、まず宮本武蔵の像が出迎えてくれます。けっこう大きいです。その奥に入っていくと、宮本武蔵のお墓があります。お墓の周りに人はまばらでした。その前の年のNHKの大河ドラマは「武蔵」でしたが、参拝客は少なく、ひっそりとしていました。それよりも、公園の下のほうにある池はにぎやかでした。お墓のあるすぐ近くには、たぶん人工の小川が流れていて、下の池へと流れ込んでいます。小川は小さいです。写真は友だちのHa。私たちも裸足になり、小川の中を歩いて池まで下ってみました。人工の川なのに、岩場なんかがごつごつしていて歩きにくいんですね、これが。下まで降りると上の静けさとは裏腹に、親子連れでにぎわっていました。子どもたちは水着になって池の中でビーチボールで遊んでいました。ものすごく暑い日だったので、私も川に入りたかったです。そんなわけにはいきませんでしたが…。武蔵塚公園は緑がたくさんで、市民の憩いの場となる素敵な場所でした。
2006年01月22日
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温泉を飲むことを、飲泉と言います。たぶん、循環泉以外の温泉なら、たいていどこの温泉でも飲泉ができるのではないかと思います。私も何度か挑戦したことがあるのですが…10年程前、私は無料のドイツ語教室に通っていました。国際交流員のドイツ人女性とは仲のよい友人となりました。当時彼女の住んでいた家にはお風呂がなく、あの長湯の大丸旅館のお風呂に毎日入浴していたのです。それも無料で!なんてうらやましいお話。教室の後、彼女は時々私を連れて行ってくれました。かけ流しの温泉なので、お湯はがんがん出てきます。そのお湯の出てくるところにカップが置かれていました。それはもちろん飲泉用です。私は初めて温泉が飲まれることを知りました。黙々と飲むドイツ人女性においしいのか聞いてみました。彼女は、最初は嫌だったけどもう平気だと言いました。長湯温泉は炭酸泉、私の頭の中には味のないコーラやサイダーのようなイメージが。それなら飲んでみようとカップに温泉を注いでみました。顔を近づけると、プンと鼻をつく鉄の香り。それでも一口グイッと飲んでみると…お、おえ~!!!!!!!!!ものすごい味でした。次に試したのが久住の赤川温泉でした。赤川の温泉は硫黄泉で、とても素敵なミルキーブルーです。硫黄の臭いが強烈で、ゆで卵を大量に茹でているような臭いが充満しています。硫黄泉に入ると翌日まで体に硫黄の臭いが残ります。炭酸泉はダメだったけど、硫黄泉ならいけるかも…と一口飲んでみますが、ここでも同じリアクションをしてしまいました。年末に、友人と国民宿舎直入荘の温泉に行きました。ここの炭酸は濃度が濃く、なんとあの入浴剤のバブの7倍なのだそうです。私たちは2時間近く風呂に入っていたのでのどがカラカラ。私はお風呂を出て冷たい飲み物を買おうと思っていました。しかし、地元っ子の友人は炭酸泉をグビグビ飲んでいるのです。もちろん私は飲んでいません。そして昨日は友人たちと長湯温泉・御前湯へ行きました。外の露天に入っていると、小さな男の子が飲泉しようとしていました。するとその子のお母さんが言いました。「○○ちゃん、あんまり飲むとうんちがビリビリ出るよ」それを聞いた最近便秘気味の私、飲むことにしました。あれから10年も経っているし、飲めないことはないよね~なんて思いながら一口グイッと飲みました。ま、ま、ま、まず~い!!!!!!!!!ちょっとは学習しましょう、私。やっぱりダメでした。口に入れた瞬間、きっと「愛のエプロン」でインリン・オブ・ジョイトイに料理を食べさせられたような人の顔になっていたと思います。たぶん、基本的に苦手なのでしょうね、温泉水。漬かるのはものすごく好きなのになぁ…。体に良いということで、苦手な豆乳も克服した私(それでもヨーグルトやコーヒーに入れなきゃダメだけど)。いつの日か温泉水もグイグイ飲んでやろうとリベンジを誓うのでした。
2006年01月22日
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日本にいる間、近くにある無料の英会話、ドイツ語教室(共に講師はネイティブ・スピーカー)に通ったことがあるものの、お金を払って勉強する語学学校へ通ったことはありませんでした。それでもある程度の会話には自信があったけど、ニュージーランドに渡航して英語を使ってみようものの英語が通じないのです。もちろん私の勉強不足と自信過剰もあったと思いますが、ニュージーランド独特の訛りがわからなかったのです。例えば、「I have ten pens.」が「I have tin pins.」ってな具合に聞こえるんです。ニュージーランドの英語はオーストラリアに比べると訛りが少なく、英国英語に近いと聞いていました。でも、向こうに着いてわかったのは「嘘やん…わからん」。そこで、私は語学学校に行く決意をしました。向こうに持っていったワーホリのガイド本でウェリントンにある語学学校を調べ(3校くらいしかなかったのですが)、その中でもっともらしい名前の学校を選びました。手続きはいたって簡単。書類の記入とお金を払うだけです。4週間の午前中のみのコースだったのに、入学金込みで1,000ドル近く払いました。う~ん、高い!4週間というのは、お金がかかるし、自分に必要なのはこの国の英語に慣れることと日本人の友人を得ることだから十分だと思っていました。学校初日はテストを受け、翌日から授業に参加します。私のクラスは準中級クラスでした。会話には問題がないけど、もっと文法を学びなさいとアドバイスされました。読む・書くの学習を怠っていたのがテストでバレバレでした。クラスの大半は日本人、それに加えてスイス人2人、ドイツ人1人がいました。28歳にして、私はクラスの最年長。それも先生よりも年上でした。席に座り、先生やクラスメイトに次々と英語で質問を受けますが、問題なくクリア。正直言って、このクラスで勉強することは難しいことではありませんでした。突然の抜き打ちテストもクラスで1番でした。クラスメイトに、英語がしゃべれるのになんで語学学校なんかに来たの?と聞かれました。大きなお世話じゃ!ニュージーランド英語がわからんのじゃ!と思いつつ、とりあえず穏やかを装うっていた私は、当り障りのない理由を言っていた気がします。しかし、自分がどんなに易しいクラスだと思っていても、先生は私の弱点を見抜いているんですね。ライティングでは冠詞の使い方が上手にできていないこと(今もまだうまく使いこなせません)、th、f、vの発音がうまくできないことでした。発音は散歩をしているときに、この文字の入った単語(mathやfishなど)を繰り返し発音して練習しました。また、午後のクラスはなかったので、学校にある図書館で本を読み始めました。もちろん英語の本です。最初からペーパーバックのような厚い本は読めません。英語学習者用の薄い本を読みました。「秘密の花園」、「貞子」(広島の被爆者の女の子の物語)、「ある貴婦人の肖像」など、小さい頃読んだ物語や映画の本を読むことで、文章が理解しやすかったと思います。語学学校へ行ったことで、英語もずいぶんわかるようになったし、友人もできました。学校を延長しようかと悩みもしましたが、でもよく考えてみればこの語学学校でニュージーランド訛りは習っていないのです。美しいクイーン・イングリッシュでした。それはそれでよかったのですが、やっぱり地元の人の言葉を理解したいし、お金も節約したいし、ちょうどその頃仕事も得たので卒業することにしました。卒業の日は私の29歳の誕生日でした。クラスメイトにも同じ日が誕生日の人もいて、授業中に先生やクラスメイトに祝っていただきました。思い出に残る日となりました。短い間だったけど、この語学学校へ行ってよかったと思っています。ただ、今の私の英語はイギリス英語でもなければ、ニュージーランド英語でもありません…。仕事、その後の英語学習についてはまた近日!
2006年01月21日
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冬の空手の稽古の後の楽しみは、何といっても温泉です。最近は親友のアユミちゃんとリーくん夫婦も、稽古の後にいっしょに温泉へ行くようになりました。稽古が9時までなのに温泉館は10時に閉まってしまうので、なかなかゆっくりできません。でも、昨日はわりとゆっくりできました。湯船につかっていると、アユミちゃんが私に聞きました。「チカちゃんのお父さんって、何歳くらい?」「もうすぐ65かな」と答えると、「そっか~、うちのお父さんと同じくらいね」と言い、さらに「チカちゃん、親子喧嘩ってする?」と聞いてきました。もちろんすると答えると、あゆみちゃんは言いました。「うちのお父さん、やっしゃきるんよ」『やっしゃをきる』。たぶん、これは大分方言、それも奥豊後の方言だと思います。馴染みのない方が多いと思います。『やっしゃをきる』とは、「ちょっとしたことですぐにかんしゃくを起こし、かっかとなってわめき散らす」…こんな表現がぴったりでしょうか。『やっしゃをきる』人のことを、『やっしゃきり』と言います。アユミちゃんのお父さんは昔から『やっしゃきり』で、それも度々なのだそうです。アユミちゃんはイギリスで結婚してロンドンで暮らしていました。今回は3ヶ月間限定で、だんな様のリーくんと2人の息子を連れて帰ってきています。リーくんのお父さん(北アイルランド出身)も短気で、アユミちゃんは苦手だったそうです。でも、日本へ帰ってみれば、自分のお父さんはリーくんパパの上を行くやっしゃきり。先日もアユミちゃんがリーくんと夫婦喧嘩をしていたら、お父さんがやっしゃをきり始めたそうで、もううんざり、早くイギリスに帰りたいとぼやいていました。私はアユミちゃんに言いました。「うちのお父さんもやっしゃきりっちゃ」そうなんです、私の父もすぐにやっしゃをきるんです。ちょっとしたことでも、すぐに母にわめき散らすのです。人前で母に手を上げる真似すらしたことがあります。しかし、うちの母は強いんです。口じゃ絶対負けません。しかし、母が言い返せば言い返すほど、父はムキになってわめくんです。顔を真っ赤にして。そんなときは、私登場。「お父さん、そんなにカッカすると血管切れて倒れるよ(父は脳梗塞を持っているので)」すると母、「倒れてんいい!そんときゃ救急車なんか呼んじゃらんけん!」おぉ、怖い、怖い。ぎゃんぎゃんわめいている父も、だんだん静かになっていきます。父の悪い癖は、他人の前で必要以上に母をなじることです。これだけは私も我慢できまないので、そのときは私も父にガツンと言ってやります。娘に言われるのは嫌なんでしょうね。言い返しもしないし、黙っています。今でこそ体のためにお酒を飲まない父ですが、以前は晩酌をする度に声を荒げてやっしゃをきっていました。大晦日など、お酒の量が多いときなんてひどいもので、母や私たち姉妹をなじりはじめます。子どもの頃は大晦日がくるのが憂鬱でたまりませんでした。今でもある意味トラウマで、大晦日の夕食時にはなんだかドキドキするのです。親が年を取って大事にしたいという気持ちもあるけど、いえ、実際家のことをしたり、病気をして弱った父には優しくしているつもりです。でも父がやっしゃをきる度に、私もどこか遠くへ行ってしまいたいなんて思ってしまうのです。
2006年01月20日
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よくこのブログに訪問してくださる(感謝!)のKくまさんことKのくまさんよりバトンを受け取りました。でも、それが何バトンであるのかは不明なのです。スンデクッパさんのところで見た、印象バトンと多少似ているところがありました。微妙に違うんですよね。それでは、やってみます。1 まず、回してくれた方の印象は? さわやかバレーボール青年です。 若いのにおばちゃんのブログにいつも来てくれて、ありがとね!2 子供の頃に、なりたかった職業は? これは夢バトンでも答えました。 教師か図書館司書になりたかったです。3 好きな言葉、座右の銘があれば。。。 継続は力なり 一期一会4 これはオススメ!の愛読書は? 「欲望」小池真理子 「二つの祖国」山崎豊子 「橋のない川」(一)~(七) 住井すゑ 「女の一生」第一部・二部 遠藤周作 「凍える牙」乃南アサ 「のだめカンタービレ」二ノ宮知子…マンガです。 他多数5 自分を動物に例えると。。。 猫ですね。 気まぐれ、自由気まま、わがまま、甘えん坊、そして時々意地悪。6 周りから見た自分はどんな人だと思われますか?3つ述べてください トークが面白い(知らない人までが笑っているし) 頼りになる(よく相談を受けるのです) 気分屋さん …って思われているんじゃないかな?7 自分の好きな人間性について5つ述べてください 話の内容が豊富でおもしろい 自分にも他人にも厳しいけど優しい 物を大切にする なんだかわからないけど、魅力がある 約束、時間を守る 8 では反対に嫌いなタイプを5つ 人の悪口、陰口、うわさ話ばかりする 時間にルーズ しつこい、くどい、ねちっこい 人に頼りっぱなしで、自分のことは自分でしない 気分屋←私やん… 9 自分がこうなりたいと思う理想像 理想像かぁ…。考えたことがないですね。 知的な人になりたいです。10 このバトンを回す人 たぶん、みなさんいろんなバトンをもらっていると思います。 よかったら持っていってくださいね。
2006年01月19日
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英語学習法・黎明編でも書きましたが、私の英語学習方法はネイティブ・スピーカーと話すから始まりました。その友人たちの国(地域)といえば、アメリカ(フロリダ、シアトル、ペンシルバニア)、イギリス(ヨーク、マンチェスター)、カナダ(トロント、モントリオール、バンクーバー)、アイルランド(ダブリン)、ニュージーランド(タウランガ)でした。いろんな国・地域の英語を聞いて、彼らと話し、友情を深め、私はある程度自分の英語に自信を持ってニュージーランドへ渡航しました。私が最初に出会ったのは、オランダ人のフラットメイトでした。このおっさん、英語は流暢だし、ドイツ人の友だちなんかもいて、当時は私も片言ドイツ語を話せたので会話には不自由しませんでした。このおっさん、バートも、私の英語は日本人にしては上手だから、学校なんて行かなくていいし、冬の間は働いて(秋に渡航したので)、夏は旅行なんかして楽しめとアドバイスをしてくれていました。そんなバートの言葉にもちろん自信過剰になってしまいます。自分は英語ができるんだって思い込んでいたのです。しかし、その自信はあっけなく崩されてしまいました。ニュージーランドについて真っ先にしなければいけなかったこと、それは銀行口座の開設です。バートに連れられてある銀行へ行きました。口座を開きたいという私の言葉は分かってくれたのですが、銀行員の英語がわからないのです。銀行員はニュージーランド訛りの英語で早口で話します。日本でのニュージーランド人の友だちの英語はよくわかったのに、何で?という気持ちでいっぱいでした。結局、バートの助けを借りて口座を開くことができました。次に、仕事をする上でのTAX番号を取っておいたほうがよいと言われ、税務署へ行きました。ここでも事務員の女性の英語が聞き取れず、バートの助けを借りました。バートは銀行も税務署も、普段使わない英語だから気にしなくていいと言いました。でも、やっぱり軽く凹んでしまいました。決定的に凹んだのは、スーパーで写真を現像できるかと店員に尋ねたのですが、私の英語が通じなかったのです。「はあ?あなた、何言ってんの?」って感じで、ポカーンとされました。こんな簡単な英語も通じないだなんて、私はもう大ショック。ニュージーランドへ来て約1週間、日本人も見ないし、話し相手はオランダ人のおっさんにその友だちのドイツ人女性。なんだか、日本が恋しく感じ始め、中島みゆきのCDばかり聴いていました。ますますドツボ。よく考えてみれば、日本で知り合ったネイティブの友人たちは、みんな学校や地域で日本人相手に英語を教えていたのです。だから話すスピードも私に合わせてくれていたと思うし、私のつたない英語でも理解して(しようと)くれていたのです。ニュージーランド人、アイルランド人の友人たちも、日本では自分の訛りを使わないように英語を話していることもわかりました。自分の能力を知るいい勉強になりました。そこで、英語をちゃんと勉強しようと決心し、自分で語学学校を探して入学手続きにいったのでした。それに、日本が恋しかったし、学校へ行けば日本人に会えるに違いないと思ったからでした。普通、日本人が少ない学校を探す人が多いのに、私は逆でした。語学学校でのお話、また滞在中に英語力がどう変化したのかは、またの機会にお話します。
2006年01月18日
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さっき、今使っているこのパソコンをリカバーしました。朝、普通にメールチェックをして、それから終了しました。その後、お昼から再び起動させたのですが、正常に起動せず、真っ黒な画面に英語のメッセージでCディスクがぶっ壊れているらしいのです。仕方がないので、リカバーするしかありません。リカバー、インターネットの再設定にかかった時間はわずか1時間程度。まあ、何度かやってきているので慣れたものです。以前のようにパソコンやネットが使われなくなった程度で、バカのように大騒ぎはいたしません。ただショックなのは、パソコンに保存した写真がすべて消えてしまったことです。幸い、アメリカを旅行したときの写真はまだメモリーカードにあるのですが、最近休日に撮って歩いた写真、去年の冬の長崎旅行の写真、その他たくさんの思い出が一気に消えてしまったことです。以前リカバーしたときは、その前にバックアップができたので、写真もメールも、ネットで見つけたお気に入りのページもすべて保存できたのです。今回は全てなくした上に、友人たちのメールアドレスも無くしてしまいました。パソコンに頼りすぎて、こまめに写真をCDにしたりなんたりを怠っていたからですね。ああ、バカな私。ちょっと前までなら、撮った写真を全て容量制限なしのYAHOO USA PHOTOに保存していたのですが、本当に最近そんなことをしていなくて。ああ、もう愚の骨頂です。バカバカバカバカバカ、バカ~!!!←自分に言っています。まあ、なくなったものは仕方がないですね。これから気をつけるしかないです、はい。なんだか、こんな気分のままじゃいやなので、夜には楽しい日記を更新しようと思います。
2006年01月18日
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何度も書いてきましたが、私は英語が大好きです。好きこそもののなんたらかんたらで、いまや英語で生計を立てています。今でこそ、日常会話、海外旅行、電話での応対も軽々とやってのけている私ですが(←ちょっと見栄っぱり、大げさ)、独学でここまでやってきました。そこで、私が英語に興味を持ち始めた頃の、きわめてシンプルな学習法を披露したいと思います。英語に興味を持ったのは、大学生の頃でした。映画が大好きで、好きな俳優の話す言葉がわかったらいいなぁなんて思う程度。DVDなんかない時代、テレビの下方部にガムテープを張って、好きな映画を字幕なしで繰り返し見ました。その映画は「メンフィス・ベル」。レベル高すぎ…。効果のほどは?う~ん、簡単な会話が聞き取れるレベルでした。本格的に英会話を勉強したいと思ったのは、大学4年生の頃。初めての海外旅行でカナダへ行ったときでした。ツアーじゃないので、自分たちで観光地やレストランで何とかやっていかなくてはなりません。不安だったけど、意外に英語がわかるし、通じるんです。今まで蓄積していた受験英語の単語が、頭からあふれ出るって感じでした。高校時代、英語は苦手だったけど、単語だけは詰め込んで覚えたからなぁ。受験英語も無駄ではないと思った瞬間でした。翌年の地元で就職した年、隣の市でイギリス人のネイティブ・スピーカーによる英会話教室が開かれることになりました。市民対象だったけど、友だちのコネで入れてもらいました。私は物怖じしない性格、知っている単語を使って積極的に話すように心がけました。ただ、文法も何もあったものじゃなく、目茶苦茶だったと思います(苦笑)。それから、なんとなく海外で暮らしてみたいなぁと思い始めた時期、地元周辺にやたらと外国人が増え始めました。市町村や県から派遣され、学校で英語を教えるALTと呼ばれる人たちやその家族です。好奇心旺盛な私なので、友だちといっしょにその人たちに会いに行ったりなんかしていました。私の初期の学習は、彼らを通じて聞く・話すことから始まりました。ただ、当時はネイティブ同士が話す自然な速さの英語についていけず、会話から置いてけぼりをくらってしまうこともありました。そんなときはひたすら彼らの話に耳をこらし、初めて聞く単語をキャッチしては家に帰って辞書で意味を調べたりしました。その頃は初めて聞く単語でも、自然にその単語のつづりが発音を通して思い浮かぶようになっていました。一時期、英語がさっぱりわからなくなってしまうスランプにも陥りました。聞いてもわからないし、英語も口から出てこないのです。そんなときは思い切って英語から離れ、一人でゆっくり過ごす時間を持ちました。それがよかったのか、スランプを脱出してからは英語力が急速に伸びました。初期の頃は、友人に勧められて「Active English」という月刊誌を購読していました。今でこそCD付のこの雑誌、当時はテープと別売りでした。初心者向けのいい教材だと思います。車の中で、いつもこのテープを聞き、わからない箇所をテキストでチェックしてひたすら語彙を増やしました。おかげで、外国に行くこともなしでネイティブ・スピーカーの友人ができ、英会話も勉強できました。ただ、読み書きの学習は完全に不足していたと思います。その後、ワーキングホリデーでニュージーランドに行くのですが、英語が通じないというトラブルが発生!そのお話は、また次回ということにします。
2006年01月17日
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年明け早々から自宅で映画を見ていました。冬休み中は寒くて出かける元気もないし、ずっと机にかじりついて英語学習やっていても仕方がないので、そんな時は映画か読書です。月の終わりにレビューを書こうと思ったのだけど、けっこう見たので1月の中間報告です。グリーンマイル(1999・アメリカ)スティーブン・キングの原作小説が大好きなので、この映画を見ることに少し抵抗があったのです。好きな作品の映画化は、たいていがっかりすることのほうが多いから。でも、はっきりいってすごくいい映画でした。よくぞあの長い小説を3時間にまとめたなぁと感心!あまり好きではないトム・ハンクスも嫌じゃなかったし。ジョンの生きていることの苦しさ、見ていてとても悲しくなりました。★★★★☆チキ・チキ・バン・バン(1968・イギリス)実は、5年前にアイルランドの友人宅でテレビで見たことがありました。でも、映画の英語って何言ってんだかわかんないことも多い上に、私の苦手なイギリス英語。改めて見ると、すごく楽しいミュージカル映画でした。海を渡ったり空を飛ぶ不思議な車、チキ・チキ・バン・バン、私も欲しい!★★★★☆フェイス/オフ(1997・アメリカ)ちょっと私のあまり好きそうではないアクションものでした。しかし、ジョン・トラボルタとニコラス・ケイジの演技がすごいんです。それぞれが見事に二つの人格を演じ切っています。船のアクションだとかガンファイトはちょっと多すぎたかなという感じもしましたが、見ごたえのある作品でした。★★★★☆いちばん美しい年令(とし)(1994・フランス)え~っと、なんて説明すればいいのかしら。実は、見ていてよくわからなかったんですね。パリの優秀な学校に通う少女は、先輩の自殺を偶然目撃してしまいます。その真意を探ろうと、彼女の恋人のアクセルに近づきますが、彼の危険な魅力に惹かれたり、先輩の弟と恋仲になったり…。不思議な映画でした。★★☆☆☆いちごブロンド(1941・アメリカ)リタ・ヘイワース扮するブロンドの美女を手に入れるがごとく奮闘する歯科学生ですが、彼女を裕福な親友に奪われてしまいます。彼はブロンド美女の親友の地味な女性と結婚します。平凡だけど幸せな家庭、彼は女性の外見よりも、本当の幸せというものを彼女と過ごすことで次第にわかっていきます。見ていてなんだか幸せな気分になるコメディ映画でした。★★★★★なまいきシャルロット(1985・フランス)シャルロット・ゲンズブールがかわいくて、見ていて全然飽きませんでした。13歳のシャルロットはいつも何かにイライラいています。それは学校であり、教師であり、友だちであり、家族でもあって。その不満を家のまかないをする女性や小さな友だち、ルルに当たってしまいます。そんな時、シャルロットは同じ年の天才ピアニスト、クララと出会い、次第に夢見がちになり始めて…。思春期特有の少女の不満は、フランスも日本も変わらないんだなぁと思いました。★★★★☆現金(ゲンナマ)には手を出すな(1954・フランス)ジャック・ベッケル監督。ベッケル作品はこれで5本目です。初めて見た「穴」のスリリングな展開を期待していたのですが、静かな作品でした。男くさかったですね。友人と思わぬことから大金を手に入れた男と、彼と敵対するギャングの駆け引きがおもしろいところかな。白黒でもはっきりわかるジャン・ギャバンの瞳と若き日のジャンヌ・モローの美しさにうっとりでした。★★★☆☆3-4X10月(1990・日本)北野武監督。1作目の「その男凶暴につき」は、暴力シーンが多くてダメだったけど、こちらはいったいコメディ?それともヤクザ映画?って感じで、残酷だけど、ブラックだけど、なぜか笑えてしまうんです。私の中では、ちょっと掘り出し物だったかもしれません。映像は昔も今も変わらず美しいです。★★★★☆1月後半も、時間の許す限りいろいろ見たいと思います!
2006年01月16日
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今日で寒稽古もおしまい。火曜日、木曜日は神社の石段を5往復し、締めの本日は毎年恒例、川に入ってから突きと簡単な組手をしました。11時に集合し、10分間走り、それから筋トレと柔軟をします。筋トレはいつもどおりの、腕立て20回、腹筋、背筋、スクワットをそれぞれ30回を3セットします。今日は指立ても拳立てもなんとかできた…。次は裸足になり、外へ出て移動稽古と形を披露します。子どもの門下生の父兄がビデオカメラに撮っていたので、ちょっと緊張。写真はいいけど、ビデオに撮られることってすごく苦手なのです。よく足が上がっているでしょ?そしていよいよ川に入ります。川はすぐ近くにあり、透明度が高くきれいな川です。昨日の雨で増水が心配だったけど、大丈夫でした。暖かい日だったので、水が冷たく感じます。この黄帯の子は、冷たいとわめくのでみんなに水をかけられていました。全員そろってから突き。右端が先生。私より若いんです。チビッコもがんばりました。新人夫婦空手(笑)。それから簡単な組手を2回行いました。私は1回目は親友アユミちゃんと、2回目は小5のたっくんとしました。アユミちゃんとの組手はあまり濡れなかったのですが、小学生とはもう水の掛け合いで頭からびっしょりでした。たっくん、本気で殴ってくるんだもん…冷たい川での稽古のあとは温泉にゆっくりつかり、焼肉食べ放題でした。肉を食べ過ぎるとお腹を壊すだろうなぁと思いつつ、お腹がすごくすいていたのでたくさん食べてしまいました。まあ、明日は仕事が休みだからいいか!火曜日からは通常の稽古が始まりますが、また気を引き締めて稽古に臨みたいと思います。押忍!
2006年01月15日
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私の家からよく見える阿蘇五岳のひとつ、根子岳(ねこだけ)。名前からして、なんだか猫と縁がありそうですが、本当にあるんです。猫に関する伝説や言い伝えが。よく猫がけんかをして耳が切れている時がありますよね。この辺りでは、耳が切れた猫は根子岳に行ってきた猫だと言います。大人になって根子岳に旅をするのだそうです。そして、死んだ猫は全て根子岳に行くという言い伝えもあります。そんな言い伝えにぴったりな、根子岳にまつわる伝説をひとつ紹介したいと思います。◆根子岳のミケ◆ある日、ある男が阿蘇の周辺を旅をしていました。歩いているうちにだんだん暗くなりましたが、近くに旅館がありません。途方に暮れて歩いていると、山のふもとに明かりが見えました。男はその家に行くと、一晩だけ泊めて欲しいと願い出ました。すると、その家の女主人は快く泊めてくれ、酒やご馳走を振舞ってくれました。風呂も勧められたので入ろうと準備をしていると、一人の女中が入ってきました。女中は男に風呂に入らずに、早くこの家から出て行けと言いました。女中が言うには、ここにいる人間は全て化け猫の化身で、ここの水を浴びた人間は化け猫に変えてしまうのだそうです。男が不審がっていると、女中は言いました。「私はあなたにかわいがっていただいたミケです」そう言うと、男の顔を舌でぺろりとなめました。ミケはお世話になった飼い主を助けたくて忠告にきたのです。男は荷物を持って一目散に逃げ出しました。すると、化け猫たちが水の入った桶とひしゃくを持って追いかけてきました。化け猫のかけた水の一部が男の腕にかかりました。ようやく男は宮地(現・阿蘇市一ノ宮)まで逃げてきました(けっこうな距離です)。翌朝、家に帰った男は、化け猫に水をかけられた部分から猫の毛が生えていることに気がつきました…。という物語です。もし、死んだ猫が全て根子岳にいるのなら、うちの猫ちゃんたちもみんないるのでしょうか?車でそばを通るたびに、いつもそのことを思い出します。でも。登るにはかなり険しそうな山です。この話を思い出すたびに、一生懸命にかわいがってあげないといけないなぁと思います。いつかミケのように助けてくれる時がくるかもしれませんからね!根子岳の写真を探しましたがありませんでした。見つけたらここにアップします。英語でもこの物語を書いてみました!→A Cat Mountain
2006年01月14日
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今年もやって来ました!私たちの空手道場の寒稽古が火曜日から始まりました。私にとって今年で4回目ですが、これがなきゃ、私の新年がやってきたという感じがしません。たしかに、寒稽古は厳しいのですが、私は大好きなのです。稽古始は火曜日でした。まずは軽くウォーミングアップをし、裸足で外に出ます。そして、扇森稲荷神社、通称狐頭(こうとう)様まで掛け声をかけながら走ります。国道57号線を走るのですが、車の通りは多いし、途中ファミリーレストランなんかがあって、中のお客さんがジーッと見ているのでけっこう恥ずかしいんですね。狐頭様に着いたら、今度は115段ある石段を5往復しなければなしません。最初の2回はよいのですが、3回目はとても苦しいです。4回目、5回目はもうちょっとだと元気が出ますが、最後はさらに石段を登り、社殿にお参りしていかなければなりません。こんなに苦しかったのだから、神様がお願いを叶えてくれるとよいのですが。そしてまた走って道場に戻ります。帰りはもうきつくて、誰が見ようが恥ずかしいなんて思う余裕もありません。それから基本稽古に形の稽古。もう、膝も足もガクガクです。翌日の水曜日の夕方くらいから筋肉痛を感じ始めました。そして木曜日は足全体に激痛が。しかし、木曜日の夜も同じ稽古をしなければなりません。特に痛い部分に湿布をはり、膝のサポーターをつけて出かけました。火曜日に稽古に参加した大人は、先生をはじめみんな筋肉痛がありました。しかし、子どもたちは元気です。足が痛くないかと聞いても、帰ってくる答えは「ぜんぜーん!」さすが、子どもはすごいです。冬場は学校で毎日走っているからでしょうね。痛くても、私の大好きな小2のヒロトくんが、「競争しようよ」なんてかけっこの勝負を挑んでくるもんだから、全速力で競争してしまいました。負けました、はい。でも、いざ裸足になって走るときには、痛いけど走れるもんです。石段は火曜日よりもペースを落としましたが、ちゃんと5往復できました。この稽古が終った後の温泉が、また格別なんです!今日も筋肉痛があるけれど、昨日よりはましになっています。やっぱり、痛くても続けることで体も心も強くなるのだなと、毎年実感しています。日曜日は寒稽古の締めです。11時よりウォーミングアップ、形を披露し、正午には腰まで川に漬かります。川の中でから突きと軽い組み手をするのです。去年は雪の降る中、川に入りました。あまりの冷たさに泣き出す子もいるかと思うと、やけになって寒中水泳する子もいました。今週末は暖かいと言っていたので、ちょっと安心です。体力的にいつまで空手を続けられるのかわかりませんが。自分のできる範囲で今年もがんばっていきたいと思います。
2006年01月13日
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阿蘇山はうちから見えるし、日本国内や海外の友人たちを連れて何回も行ったことのある場所です。しかし、それはだいたい春から秋にかけての気候のよい時期で、真冬に行ったことなんてないはず。先週末はここ中九州もすごい雪でした。といっても、うちのほうは3cm積もるか積もらないかで、たいしたことはなかったのですが、阿蘇方面はすごかったみたいです。だから、その2日後の日曜日に阿蘇山へ行かれるかどうかちょっと心配していましたが、土日はよく晴れ、道路の雪もほとんど解けていました。古閑の滝を後にした私たちは、雪の心配をしながら阿蘇山頂に向かいました。さすが九州、いえ、日本有数の観光地、道路の雪はすっかりどけられていました。昔、料金所のあった辺りから見る阿蘇山や景色の美しいこと!何でそこに停まって写真を撮らなかったのでしょう。今頃後悔しています。でも、ちょっとだけ車を停めて撮ってみました。山頂に近づくに連れ、木々が白いんです。雪が残っているのではなくて、雪が凍って樹氷になっていました。本当にきれい!写真を撮ろうにも、車を停める路肩がありません。仕方なしに草千里展望台に到着。ここも車でいっぱいでした。真っ白な草千里、初めて見ました!ここからも樹氷を見ることができました。きれいだわ~。草千里の駐車場には停まらず、山頂へ向かいます。なぜなら有料だし、草千里は雪遊びをするすごい人たち。雪の下は馬糞だらけだぞ~。別名「糞千里」だよ~。この日の阿蘇山は煙がもうもうと出ていたので、火口付近まで行かれるかちょっと心配でした。有毒ガスは出ていましたが(いつものこと)、喘息等の症状がない人に限り火口付近まで行くことができます。それにしても、ここはいつ来ても観光客のほとんどは韓国、中国からのお客さんが多いです。一見の価値あり!阿蘇山の火口。火口に雪が素敵な模様を飾っています。まだ雪の解けていないところはこんな感じです。草木の生えない砂千里。雪もほとんどありません。なんだか、写真ばかりパシャパシャ撮っていました。そんな私にmy-sassy-boyさん、ちょっぴり苦笑。だって、きれいなんですもん。やっぱり阿蘇山はいいところです。この阿蘇・くじゅう国立公園ぐるり1周の旅の写真をまとめてみました。よかったら見てくださいね。スライドになっています。たくさんあるので、「Speed」のところを「Fast」に合わせて見てください。阿蘇・くじゅう国立公園 Aso-Kuju N.P.
2006年01月12日
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古閑の滝、何て読むかわかりますか?ちょっと今、「こかん」だって思ったでしょう(笑)?無理もありません。私だって、最初はそう思っていたのですから。古閑と書いて「こが」と読みます。先日、楽天仲間のmy-sassy-boyさんを阿蘇方面を観光案内しましたが、ここは私が行きたかったので、半ば強制的に連れて行きました。ごめんね~、滝に着くまですごい坂できつかったでしょ?ここ古閑の滝は、切り立つ崖に流れている滝です。水量は少なく、普段は水がシャワーのように流れている清楚な感じの滝なのです。しかし、冬になると雄大な阿蘇の自然を感じさせてくれるような景観にに大変身するのです。九州といえども、中九州の冬は厳しいです。厳しい寒さの中、シャワーのような流れの滝は徐々に凍りつき、その上から流れる水も凍って次第に大きな凍てつく滝へと大変身するのです。近くに住んでいるのに、古閑の滝の冬の姿を見たのは今年が初めてでした。さて、車で駐車場に到着。え?こんなところから入るんだっけ?と思っていたら、有料駐車場ができていました。それも200円!以前はもっと上のほうに停められて、無料だったのに…と車の中でブツブツ。でも、駐車場のおじさんの今年の滝は最高との言葉に、いっぺんに機嫌は直ります。ゲンキンなヤツね、私。滝まではそれは素敵な坂道が待っています。半端じゃないぞ!流れる水も凍る寒さ。まさに自然の作る芸術?この林を抜けると坂道が待っています。なぜか直立不動の牛さんたち。誰かの作った雪だるまが…こうして途中の景色を楽しみながら歩いていると、凍てついた滝が見えてきました。それが、すごいんです。国道57号線やJR豊肥線の電車の中からも見えるのですが、近くで見ると半端じゃないのです。写真ですごさがわかるでしょうか?望遠を使ってみるとこんな感じです。いつもは上に登って、隣の男滝も見られるのですが、冬場は氷柱が落ちてくる可能性もあり、危ないので上までは行くことができません。ちなみに、写真の女滝のほうが、男滝よりも大きいです。なんだかいい気分♪滝の下のほうは、ちいさな池となっています。池の周りはスケートリンクさながらに凍っています。流れる水が冷たそう。これで私のこの冬の本望は成し遂げました。←この程度でいいのか?次回は雪の阿蘇山の風景をアップしたいと思います。こちらも美しいですよ。近々YAHOO!PHOTOに、久住・阿蘇の冬景色をまとめてアップしようと思っています。そのときはリンクを作りますので、南国九州の美しい冬景色を楽しんでくださいね!古閑の滝ツアーの情報も!→阿蘇観光協会HP
2006年01月11日
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いつも知的でおもしろい日記を書かれる、私の英語の心の師匠(勝手に呼ばせてもらってます)からあげクンから夢バトンが回ってきましたので、やってみたいと思います。Q1.小さいころ何になりたかった? 小学校の先生、または図書館司書Q2.その夢はかないましたか? 一応かないました。 小学校で臨時講師を1年、児童館で図書を扱う仕事をしました。Q3.現在の夢は? 英語圏で英語を教えること。ESLとかで。 もちろん、移民の人が対象ですが。 まだまだそんなレベルじゃないから、毎日勉強しています。Q4.宝くじが3億円当たったら? 愛猫ハナちゃんのクローンを作る。Q5.あなたにとって夢のような世界とは? ありきたりだけど、争いのない平和な世界です。 国籍、人種、宗教などを含めて、誰もがお互いを思いやれると いいです。Q6.昨晩見た夢は? 友だちのお父さんにお説教されていました…。 なんでじゃ?Q7.この夢の話を聞いてみたいという人は? もちろん、みなさんの夢を聞いてみたいです。 お時間のある方、ぜひ聞かせてください!というわけで、chikiの夢バトンでした。今から3クラス教えてきて、今夜から空手の寒稽古です。寒空の下、裸足で走って気合を入れてきます!
2006年01月10日
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今日から仕事始めでした。本当は明日からなのですが、受験を控えた中3の特別講座を午前中にしました。仕事を終えてからは、妹の嫁ぎ先の新年会にお呼ばれしていたので出かけました。今朝方、猫のさくらが胸の上に寝ていたので、苦しくて目が覚めてそれからよく眠れなかったし、昨日は寒い中ソフトクリームなんて食べたからでしょうか、お腹の調子もよくありません。しかし、出かけることにしました。妹夫婦、あちらのご両親に叔母さん夫婦も来ていました。お腹の調子がよくないと言うと、妹が正露丸を持ってきてくれました。今の正露丸は白くコーティングされていて飲みやすくなっているんですね。正露丸が苦手な私でも楽に飲めたし、お腹の具合も治りました。さて、新年会のメインディッシュはすき焼です。この地域は、すき焼は男性が料理するものなのです。何かと飲みごとの多い男性が、自分たちで楽に作れ、酒のつまみにもお腹いっぱいにもなる料理がすき焼なのです。おまけに、そんな飲み会の席では牛肉ではなく、鶏肉が主流なのです。大分県は全国でも鶏肉の消費量がいちばん高いためか、値段も安いのです。我が家では大晦日はすき焼で年越しと決まっています。うちでする時はおいしい豊後(ぶんご)牛を買います。調理をするのはもちろん父です。まずは肉の脂をよくしき、糸こんにゃくを炒めます。それから肉を入れ、砂糖と醤油で味付けをし、こんにゃくに味がしみ込んだ頃に野菜を入れます。出来上がったすき焼は、お皿に溶いた生卵と混ぜて食べます。私は生卵が苦手なので、そのまま食べます。食べたあとはうどんかお餅を入れるのですが、これがまたおいしいのです。これが我が家の作り方です。今日の妹の嫁ぎ先では作り方が違っていました。まず、肉の脂をしいていちばん最初に砂糖を入れるんです。それからその上に肉を入れて、醤油を加えます。それから糸こんにゃくや野菜を入れるのです。そして、生卵は出てきません。お姑さんが卵が苦手なので使わないのでしょう。同じ町内でも、家庭が変われば作り方も違うものなんですね。そういえば、お正月の朝にお雑煮が出てこなかったので、食後、旦那さまに「お雑煮は?」と聞いたそうです。すると旦那さま、「え?食べたじゃん」と答えたそうです。朝出てきたものは、お味噌汁の中にお餅の入ったもので、妹はそれをお雑煮だとは思わなかったのです。我が家の母が作るお雑煮はすまし汁に鶏肉、しいたけ、かまぼこ、ちくわ、ねぎの入ったものです。妹には『すまし汁+お餅=お雑煮』という公式ができていたので、意外だったそうです。そういえば、小学校の時、同級生の一人ははお味噌汁にあんの入ったお餅を入れたものがその家のお雑煮だと言っていました。ごぼう汁を作りにしても、ごぼうの切り方は家庭によって違います。以前、福祉センター内である児童館で働いていました。時間のあるときは老人会の食事会の調理を手伝っていたのですが、ホームヘルパーさんにごぼうのそぎ方が違うと言われました。「そんなの家庭によって違うのは当たり前じゃないですか~」と、気にせず続けましたけど(笑)。調理の面では、妹は嫁ぎ先でいつもプチ・カルチャーショックに陥っています。お姑さんもけっこうはっきり、「これじゃいかん」って言う人なんだそうで、たまに凹むのだそうです。うちは薄味の家庭なのですが、嫁ぎ先は濃味好みで、向こうの家庭に合わせるのも大変みたいです。確かに、今日のすき焼は辛かった…。やっぱり、自分のお母さんの味に似てくるのは仕方がないですね。小さな頃からずっと食べてきたものだから。私は結婚しても母の味を守りたい派かな?
2006年01月09日
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私の長い冬休みも今日まで、明日からはお仕事再開です。そんな最後のお休みの日に、なんと関東のほうから楽天仲間のmy-sassy-boyさんこと、なばさんがやってきました。青春18きっぷを使っていろんなところを旅しながら大分にたどり着いたのだそうです。私も暇なことだし、阿蘇山を案内することにしました。ブログでいつもお話しているとはいえ、相手は22歳の大学生です。30代半ばのおばちゃんと話が合うだろうか…とちょっぴりドキドキしましたが、無問題。なかなかの好青年でした。それに、ブログに自分のことを書いているので、なんだか初めて会うような感じはありませんでした。不思議な感じ。案内するのはいいのだけれど、心配なのは雪でした。阿蘇方面では金曜日に大雪が降り、はたして私の車で阿蘇山に登れるかが心配でした。でも、昨日ネットで道路情報や天気を調べたら、昨日の時点で大雪警報も解除され、道路の雪も解け始めたということでした。幸いにも今日はいいお天気。これなら大丈夫!市内の駅でなばさんをピックアップし、遠くから友だちが来た時の観光案内コースを回ることにしました。まずは久住へ行き、あざみ台で風景を楽しみました。ちょっと霞がかっていた上に阿蘇山頂には厚い雲が。雪雲じゃなければいいのだけれど。あざみ台の前は、近場の雪をかき集めてにわかスケートリンクができていました。雪を下ろすおじさんと、氷の上を飛び跳ねているなばさん。次に大観峰へ向かいました。やまなみハイウェイには植木をいろんな形に刈ってドライブ客の目を楽しませる場所があります。今日はその植木に雪が積もっていてきれいでした。そこで飼われているシカたち。寒そう…それから大観峰へ。3連休の中日、普通ならたくさんの観光客でいっぱいだけれど、雪のため人も少なかったです。でも、景色は最高でした。標高が100メートル近くあるので寒かったのですが。雲の間から光がさしています。阿蘇山も美しい。それから阿蘇市に下り、お昼ご飯を食べて凍りついた古閑(こが)の滝を見て阿蘇山に向かいました。阿蘇山の登山道路の雪はどけられていて、車で楽に登れました。山頂は雪に覆われていて、樹氷が美しかったです。古閑の滝と阿蘇山レポートはまた後日したいと思います。帰りは阿蘇みつばち牧場でハチミツ入りソフトクリームを食べました。210円とは安い!そして阿蘇ファームランドでお菓子の試食。ケーキ屋さんへ行かなくても、ここでお腹いっぱいになります。けちな私…。でも、こらえきれずにここでもクランベリーソフトクリームを食べてしまいました。冬でもソフトクリームはかかせません。ちなみに、そのときの気温は0℃です。遠いのにこんな田舎まで遊びに来てくれてありがとう、なばさん。おばちゃん相手は大変だったでしょうが、楽しかったですよ!また来てくださいね。明日からもよい旅をしてください!
2006年01月08日
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ワーキングホリデーという言葉を始めて聞いたのは、23歳の冬でした。その頃私は大学4年生(うん?計算が合わないって?)で、友人たちと卒業旅行でカナダのバンクーバーへ行きました。その時訪れた老人ホームでボランティアをしていた日本人男性に会いました。なんでもワーキングホリデーでカナダに滞在しているとか。その方はBさんといいました。Bさんにワーキングホリデーが何であるのか、その時初めてお話を聞きました。外国に住むなんて、留学か仕事か結婚くらいじゃないと住めないだろうと思っていた私には、まさに目からウロコの話でした。英語の勉強も仕事もでき、その上海外で生活ができるだなんて…。初めての海外にもかかわらず、すっかりカナダの虜になっていた私にはおいしい話でした。しかし、大学を卒業してからは就職し、ワーキングホリデーの話なんか忘れていました。しかし、この旅行で英語に目覚めた私は、いつも英語にだけは関わるように心がけていました。そんな時、ともに海外生活に憧れ、英語を共に勉強してきた親友がイギリスに留学することになりました。私たちは常日頃から、いつか2人でカナダに住みたいねと話していた仲でした。しかし、ロンドンは安い語学学校がたくさんあり、彼女は渡航先をカナダからロンドンへ変えたのです。親友に海外生活の夢を一歩リードされた私は、留学ではなくワーキングホリデーの道を選びました。カナダはビザを取るのがなんだかややこしそうだし、半年ごとの更新です。オーストラリアはその頃25歳までという年齢制限がありました。なので、ビザを取るのがちょろいニュージーランドを選んだのでのです。渡航先を決めてからは鬼のように働きました。積み立て貯金も増やし、仕事の給料が安かったので夜は家庭教師のバイトをし、1年で100万円以上貯めました。母はもうあきらめていましたが、父は猛反対しました。でも、私の意志は変わらず渋々あきらめたって感じでした。もちろん、海外で暮らしてみたいという憧れがあったけど、独学で勉強してきた英語がどこまで通じるか試してみたいという気持ちもありました。実際の生活は、実は日本にいたときとそんなに変わらないなぁ~なんて思いました。毎日が「普通」なんです。たぶん、言葉、食べ物、生活習慣など適応が早かったのだと思います。同じ日本で暮らしていても、カルチャー・ショックは多々ありますから。英語圏以外の国だったらもっと違っていたのかもしれませんけど。いろんなことがあった1年でしたが、とてもよい経験でした。ワーキングホリデー体験記は…→チカコさんのマイページ
2006年01月07日
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欧米各地では、今日は主顕節(Epiphany)と呼ばれる日です。何の日だかご存知ですか?クリスマスの日の日記で、主顕節に少し触れましたが、それが何の日であるのか、どんなことをするのか少し書いてみます。主顕節は厳密には5日の日没から始まります。12月24日、クリスマスイブの日から数えて12日目に当たります。そういえば、「The Twelve Days of Christmas」というクリスマス・ソングがありますが、主顕節までを歌った歌なんですね。絶対に聞いたことがあるメロディですよ。主顕節はイタリア、ドイツ、オーストリア、スペインでは国の祝日となっているのだそうです。フランスでも盛大にお祝いをするだとか。私は数年前にスペインのマドリッドで主顕節の日を迎えました。ネットで探せば主顕節の詳しい内容を知ることができるのですが、ここは我が友であるカルメンに聞いた話で説明します。ただ、彼女の強烈なスペイン語訛りの英語が時々聞き取りにくかったので、どこまで理解できているかは謎です。カルメンは主顕節のことを英語で「Three Kings' Day」と説明をしてくれました。主顕節は、イエス・キリストが生まれたのを聞いて、東方の三賢者(Three Kings)が手土産をもって、将来の王となる人物のお祝いに駆けつけた日なのだそうです。三賢者は白人、黒人、黄色人種の3人なのだそうです。そういえば、マドリッドの街角にデコレーションされていた三賢者の人形も、プラド美術館で見た三賢者の肖像も肌の色が違っていました。私がマドリッドに着いたのは1月3日のことでした。クリスマスもお正月も終わり、静かなのかと思っていたら思いっきりお祭りムードでした。大通りの木々は美しいイルミネーションで飾られ、どこを歩いても主顕節を祝う飾りやショッピングをする人であふれていました。5日の夜にはマドリッドで三賢者のパレードがありました。パレードの前日に観光地のひとつ、マイヨール広場へ行ったのですが、ここがパレードのメイン会場になっていたので特設ステージを作っている最中でした。カルメンは私をしきりにパレードに連れて行きたがっていました。もちろん、そんなパレードがみられる機会なんてありませんから、私だって見たかったです。ところが、翌日の5日は私は体調を壊し、1日中寝込んでいました。しかし、このマドリッドのパレードの様子はテレビ中継されるのです。さすが敬虔なキリスト教の国。三賢者になる人は毎年違う人です。選ばれた賢者たちは、沿道からパレードを見物する人たちに、キャンディをばら撒いていました。カルメンはその様子をしきりに説明してくれ、ついには私にちょっとでも見に行こうと誘いますが、体調悪い上に雨が降っていましたから断りました。今思えば行っておけばよかったなぁ…。主顕節はスペインの子どもの日でもあります。5日の夜にキッチンに自分の靴を置いておけば、夜中に三賢者がこっそりやって来てプレゼントを置いていくのだそうです。サンタクロースじゃなくて、三賢者です。カルメンも私もキッチンに靴を置いておきました。翌朝、カルメンが私を呼ぶ声で目が覚めました。「あなたはいい子だから、三賢者がプレゼントを置いていったわよ」それはカルメンが私のために用意しておいてくれたものでした。私がおいしいと言ったスペインのチョコレートがたくさん箱の中に入っていました。彼女とは滞在中はよく口げんかをしたけど、なんて優しいのでしょう。彼女にはバルセロナのお母さんからホットサンド機が送られてきていました。スペインではこの日を境にクリスマスが終るのだそうです。サンタクロースの登場するクリスマスよりも、宗教色の濃さを感じます。やっぱりカトリックの国だからでしょうか。カルメンは今でもよい友人です。時々、Eメールでお互いの近況を報告し合っています。今度は彼女に日本へ来て欲しいです。それも、お正月とかお盆の頃の日本独特の行事があるときがいいですね。主顕節を詳しく知りたい方は…→Epiphany Who is the king?スペイン旅行記は… →オリエンタル・マドリード→マドリード観光→歴史的な学園都市
2006年01月06日
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いつのことだったでしょうか、父が知人の家の棟上に呼ばれて、餅まきの餅を持って帰りました。新築中の家の屋根から餅や五円玉を投げてご近所にふるまう儀式です。小さな餅が紅白2つずつ、小さなビニール袋に入れられていました。その餅を見て、私が一言…「餅、焼いて食~べよっと」と言うと、遊びに来ていた叔母が「あんた、バカやねぇんな!そげんことよそ行っち言うと、笑わるぅで!」(訳:あんた、バカじゃないの?そんなことをよそに行って言うと、笑われるよ)と言いました。はい?何で?叔母の話によると、新築祝いなどでいただいた餅は、煮たり茹でたりしてもいいけど決して焼いてはいけないのだそうです。つまり、新しい家が火事になるだとかならないだとか…。信じがたい話だけど、古くからの言い伝えや習慣を忠実に守ってしまうこともあります。迷信はいろいろあるけど、いまいちその理由や背景が見えてきません。まあ、「カエルが鳴いたら雨」とか、「ツバメが低く飛んだら雨」程度のことならわかるのですが…。よくわからないのが、「救急車を見たら左手の親指を隠す」とか、「霊柩車を見たら幸運のしるし」だとかです。例えば、子どもの頃から聞かされてきた迷信にはこんなものがあります。「夜に口笛を吹くと蛇が来る」蛇って、確か涼しくなった夜に活動開始すると聞いたことがあるけど、でも何で口笛と関係があるんだろう?「靴下を履いて寝ると親の死に目にあえない」何で???冷え性の私には、靴下なしでは眠れません。う~ん、ジレンマ。「出かける前に針や糸を使って縫い物をしてはいけない」中学生の頃、制服のカッターシャツのボタンが取れていたので家を出る前に縫っていました。すると、父に叱られたのです。ポカーンとするしかなかったです。なんでも、出かける前に縫い物をすると、出先で怪我をするとか。根拠は一体なんなのでしょう。「夕方、新しい靴を下ろしてはいけない。下ろす時は靴の裏に炭を塗る」これも謎。子どもの頃、我が家はお風呂を薪で沸かしたり、釜戸でお湯を沸かしていました。ていました。だから新しい靴を下ろす時には、母が靴の裏に風呂窯や釜戸についた炭を塗っていました。しかし、そんなものがない今では、母はなんと、靴の裏に油性マジックを塗るんです。果たして意味があるのでしょうか…。「靴を家の中で履いたとき、そのまま外へ出てはいけない」靴をはいたまま外に出ることは、死んだ人がすることだと言い聞かされました。これは先日、本を読んでいて謎が解けました。人が死んで、棺を抱える人は靴(草履)をはいたまま家に上がり、棺を抱えてそのまま家の外に出て行くからなんだそうです。葬儀屋さんのいない昔は、きっと棺が重いので草履を履きなおすのが大変だったのでしょうね。もし、何か理由を知っている方がいらしたらぜひ教えてください。地方によって迷信も変わるし、根拠や背景も違っていくのでしょうね。それを学ぶのもおもしろいなって思います。
2006年01月05日
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さっきまで、「愛のエプロン」という料理番組(?)のスペシャルを見ていました。いつもならこの番組は仕事で見られないけど、年末のスペシャル、昨日の再放送、そして今夜と立て続けに見ました。いろんな芸能人の方がスタジオにある食材を使って、お題の料理を作って対抗するというような番組なのですが…なんでそんなにひどい料理が作れるの~ってくらいひどいんですね。もちろん、ものすごく上手な方もいますが、これは人の食べ物かしら?というくらいひどい料理を作る人もたくさんいます。食材がもったいないというよりも、ある程度の調理方法、料理の基本や常識を知らないと恥をかくなって思いました。私は料理をするし、お菓子も作ります。それはレシピを参考にしたり、自分のアイデア料理だったり、人に作り方を聞いたりで、習ったことなんてありません。子どもの頃から料理を作っている母や板前だった祖父の姿を見ていたので、料理は人に習うものじゃなくて、自分の親や周りの大人の作るものを見て覚えるものだと思っていたのです。だから、大学生になって一人暮らしをした時も苦労をしませんでした。何を考えていたのか、母は一人暮らしの私にもち米や栗、アジの干物など送ってきていたので、山菜おこわや栗ご飯なんかも炊いていました。普通に生活していれば、料理なんて自然にできるものだと思っていました。もちろん失敗も時々しますし、私の作る料理は単なる普通の家庭料理です。こんなふうに料理なんて自然に覚えるものと思っていたのですが、いろんな人と出会ってそうじゃないってことにも気づきました。人によってセンスもあるんですね。そうじゃなきゃ、お料理教室なんていりませんから。だから、テレビを見ていても「へたくそー!」なんて簡単には言えません。ただ不思議なのは、女性も男性もお母さんのお手伝いをしたことがないのかなってことです。味はともかく、手際がものすごく悪いので…。番組の最後で対決した青木さやかさんと城島茂さんは本当にお見事でした。アイデアもすごいし手際もいいし、限られた時間であんなに何品も料理を作るだなんて、とても真似できません。見習いたいです。私はそれなりに料理ができますが、でも結婚するなら絶対料理の上手な男性ですね!いっしょに料理をしても楽しそうだし、もう自ら台所に立ってくれるような人だったら最高です。そんな人、いないって?いるんですよ~、それが。それが誰かというのは、のろけになるのでやめておきます(笑)。←言ってるじゃん…
2006年01月04日
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お正月3日目、動かないのに食べてばっかりで、今日はお腹を壊しています。ショボン。昨日のニュージーランドでのお正月に引き続き、今日はアイルランドでのお正月について書こうかと思っていましたが、よく考えればフリーページのアイルランド・その4に書いていました。興味のある方は読んでくださいね。まあ、欧米のお正月は似たり寄ったりだと思います。昨日は夕方から妹夫婦が帰ってきました。といっても、車で5分のところからだけど。夕食は妹のリクエストで焼肉でした。母と私はお肉を買いに出かけたのですが、まだ開店したばかりだというのに車の多いこと!近辺のスーパーはみんな初売り出し、近くに大きな神社があるので初詣客の車でいっぱいでした。「もう正月は出かけん!」と、私は逆切れしながら運転…。夜は楽しく食事をした後、妹夫婦、母、私はカラオケに出かけました。父は地の割れるような音痴で本人も歌が好きではないし、夜はすぐに寝てしまいます。乗り気じゃなかった母がいちばん最初に用意しているのがなんだか笑えました。それにしてもカラオケなんて久しぶり。11月に従姉と叔母のスナックで歌いましたが、ボックスなんて来たのはいつのことだろう…。妹も久しぶりだと言っていたし、母なんて初めてのボックス体験でした。ってなわけで、機械による当てにならない採点機能を使いながら4人で歌合戦してしまいました。別に勝負してなかったけど、なぜか誰もが高得点を出そうと必死になってきました。気になる優勝者は、私でした~♪アバの「チキチータ」で勝ち取りました。2位は母、3位は妹、そして最下位は妹旦那でした。でも、機械は当てになりません。妹夫婦、母のほうが私よりよっぽど上手なんです。私は学生時代と社会人になってからコーラスの経験もあったから、声量で勝ったって感じですね。フフフ…(ニヤリ)そんなこんなで3時間歌い、家に帰ってきたのは夜中の1時。2時まで話していたので、今日は眠いのなんのです。4人で温泉で朝風呂入って、みんなでお昼を食べて、妹夫婦は帰りました。こんなに家族で楽しんだお正月は子どもの頃以来じゃないかなぁ。今も眠いけど、7時から毎年楽しみにしているNHK教育テレビの「ニューイヤーオペラ」を見ます。chikiにオペラ?似合わね~って思ったでしょう?大好きなんですよ!詳しくはありませんが、今日は大好きな「カルメン」(これは舞台も見に行った!)からの曲が演奏されるそうなので楽しみです。
2006年01月03日
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世間は冬休み、海外でお正月を迎えられる方も多いと思います。私も過去2回、海外でのお正月を経験しました。1回目はニュージーランド、2回目はアイルランドでした。今日はニュージーランドでのお正月のことについて書きたいと思います。1999年1月1日、私はニュージーランドの北島オークランドに住んでいました。オーペアという住み込みのベビーシッターの仕事をしていました。宿泊フリー、食費フリー、週末に120ドルのお小遣いをもらっての生活でした。生活費は一切かからないし、週末もオーペア仲間の友人たちと会って食事をするくらいだったので、私には十分でしたが、こき使われました。もう、ベビーシッターというよりはメイドさんです。寝ている時間以外はとにかく働きました。上から10歳の男の子、7歳の男の子、3歳の女の子の世話をしていました。おまけに、スリスマスホリデーでスイスから長男の従弟(一番上の子はお父さんが違うのです)とおばあちゃんが遊びに来ていて、私はリビングに寝ていた上に、家族の食事も全て用意していました。幸い、みんな日本食が好きだったので、自分の食べたいものを作っていました。いつか、この家族のことは書きたいと思っています。さて、ニュージーランドのお正月ですが、クリスマスに比べたらあっさりしたものです。朝、家族でHappy New Yearを言って後は普通の休日と同じでした。ホストファーザーはフリーのお医者さんだったのでクリスマスも正月もありませんでしたが、他の全員は昼食後にケリー・タールトンズという水族館へ行き、その近くのミッション・ベイというビーチでのんびり過ごしました。南半球のお正月は真夏ですから、たくさんの海水浴客でいっぱいでした。のんびり過ごしたのはホストマザーと長男のおばあちゃんだけで、私はひたすら子どもの世話でした。ホストマザーなんて普段子どもにかまわないのだから、こんな日くらい遊んであげればいいのに…なんて思っていました。いつもは甘える3歳児のタラは、この日はお母さんといっしょなのでなんだか強気で、わがまま炸裂でした。家に帰れば男の子たちにゲームをしようだ、なんだと休む暇もなく、夕食を作り、子どもに食べさせて皿洗い、3歳のタラをお風呂に入れて、大人の食事の後の皿洗い、子どもに絵本を読んで寝かしつけ、それからやっとベッドに入るのはいつも12時を過ぎていました。しかし、2日からはホリデーが数日間あり、誰よりも先に起きて荷造りをし、朝いちばんのバスでタウランガという小さな町に行きました。着替えのほかにキッチンにあったフルーツやパンも持っていっちゃいました(笑)。前の日に子どものおやつに焼いたバナナケーキの残りも、自分で作ったんだからいいや~って持って行きました。タウランガとハミルトンで何をすることもなくのんびり休暇を過ごし、6日にはオークランドに戻ってメイド…じゃなくてオーペアの仕事に戻りました。夏真っ盛りのお正月もなかなかいいものだと思いましたよ!ニュージーランド生活はこちら→チカコさんのマイページ
2006年01月02日
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あけましておめでとうございます。2006年のスタートです。お正月といっても、我が家は変わらぬ日常を過ごしています。一応、鏡餅やらお正月のお供えや飾りをしたり、朝は母がお雑煮を作ったり、両親はご近所の年始挨拶の集まりに行ったりはしたのですが、それ以外は何の変わりもありません。天気もいいし暖かいので、普通の日曜ならカメラを抱えてドライブってところだけど、車も多そうだからやめておきました。それでも新しい年の始まり、気分も新たに今年の目標は立てますが、公表は1年後に!元旦マラソンを走るつもりでトレーニングなんてしていたのですが、バカな私は申し込み締め切りの日を勘違いしていてお流れになりました。でも、来週からは空手の寒稽古で走るので、トレーニングは無駄ではないと思います。←言い訳ね。初夢も見たのですが、なんだか正夢になりそうで怖いです。時間にとてもルーズな友人がいるのですが、夢の中でも彼女が遅れてきて、それに私が怒って口もきかずに車で去って行く…。あぁ、現実になりそうで怖い。今年の目標は、とりあえず気長になって怒らないことかな?でも、夢の内容は彼女に伝えようと思います。ふふふ。今年もやりたいことがたくさんです。いちばんはやっぱり旅行ですね。近場から国内、海外、時間とお金のある限り旅行したいです。スイスの友人が、旅費を半分出すからヨーロッパにおいでって言ってくれています。よっ、太っ腹!半分もいただくのは恐縮…でも、どうしようかなとお悩み中です。今年も1年いい年になりますように。今年もよろしくお願いいたします。
2006年01月01日
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