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昨日は夏至の日。わがやも数年前からこの日はキャンドルナイトをします。豪快な号外を読んだ今年は、夏至の数日前から毎晩夕飯の時だけでも灯りを消そう!と、息子達の希望でほぼ1週間続いたキャンドルナイト。結婚式の記念のでっかいろうそくと、台風時の停電用の色気のないろうそくだけど、灯りの美しさはなんでもいっしょ。パソコンやテレビもつけなかったので、みんながリビングに自然と集まっておしゃべりはいつもの倍でした。こうして少しずつ少しずつ「ない」ことに慣れていけたらいいですね。今朝、初心に返るために改めてセヴァン・鈴木さんのスピーチを観ました。http://www.youtube.com/watch?v=5g8cmWZOX8Qこのスピーチを聞く時の苦しい胸の痛みを忘れないように。そして今日は慰霊の日です。子どもたちが大人になった時どんな世の中になっているか…それは私たち今の親世代がどんな風に暮らしていくかにかかっているのです。何を大切にして、何を選んで、何を手放して暮らすか。将来、苦しい胸の痛みと後悔は感じたくないです。
2007年06月23日
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今日、ごくらくトンボさんの所から受け取ってきました。 『豪快な号外』 500部ずつまとめて締めてあるのをはずし、 早速一部は我が家用に。 子どもたちもみな(字に興味のないみっちゅ~を除く)読んだら、 早くも写真のようによれよれな感じになりました。 しかし、さすが「豪快な」号外。 読んだらほんとに明るく前向きになります。 今ほんのちょっと変われば間に合う!という気になります。 影響されやすい息子たちが言い出して、 今夜の夕飯はろうそくの灯りでいただきました。 誰かのバースデイ・キャンドルの再利用。 皆それぞれに色々考えている様子です。 この号外、夏至の日までに日本中で3000万部配布されます。 うちは1500部配る予定。 子どもたちは学校で先生方や興味のありそうな友人に。 夫は職場の同僚達に。 わたしは友人・知人・ご近所のお店などに。 みんなで「ちょっと」動くだけ。 その「ちょっと」が大切。 号外の裏ページの言葉、素敵です。 「それを夢見ることができるならば、あなたはそれを実現できる。」 「自分自身が平和でいることで、あなたはすでに平和な世界の一部になっているのです。」 「一緒に種をまきましょう。」 夏至の日まであと6日。 一緒に種をまきませんか? http://www.teamgogo.net/
2007年06月16日
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なんとなんと約10ヶ月ぶりの日記です。この間、ちんぬくさん何をしていたのだろう?って気になっている人もいるのか・いないのか?約1年前に始めた幸せの種まき。あちこちで芽を出すのを目にして、私自身が幸せになって、さらにたくさんの種をまきたくなり、自分のできる限りのことを毎日もくもくとやっています。実は「しあわせの種」って、私の製作している布ナプキンの名前なのです。たくさんの女性に布ナプキンの存在を知ってもらい、ご自分の身体の声=地球からの声に耳を澄ますきっかけ作りのお手伝いをして、しあわせの輪がひろがっていけばいいなぁという思いで、毎日毎日裁ったり縫ったりしています。縫ってる私もしあわせ。使っている人もしあわせ。そして、使っている人の周りにもしあわせがこぼれ、しあわせの輪がどんどんひろがる。そんなイメージを持ちながら縫っています。悲観的になって周りを批判しているばかりでは何も変わらないことに気づき、自分ができることをほんの少しずつでもいいから毎日行っているだけですが。それでも布ナプキンという性質上、中々最初の一歩が踏み出せずに躊躇しているという話しを聞き、先月お話し会をさせてもらいました。大勢(ではないか?)の人の前で話すのに慣れていない私は、心臓ばくばく、終わったら頭ガンガンだったのですが…参加者の方々には喜んでいただけてホッとしました。その一回目に定員オーバーでお断りした方も数名いたということで、同じ内容の「布ナプキンお話し会」2回目を7月8日(日)に行うことになりました。場所は嘉手納の「自由空間サンサン」というお店です。詳しくはお店のブログで紹介されていますので、こちらをどうぞ→http://sunsun.ti-da.net/e1579574.htmlこれからは、できるときにはブログも書いていこうと思います。
2007年06月02日
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末息子みっちゅ~の通う幼稚園(小学校付属)のすぐそばには、平坦で広々とした公園があります。 みっちゅ~は、この頃、その公園の大きなガジュマルの木がお気に入り。 がじゅまるは、キジムナーが住むといわれる木。 気根を持ち、大きく枝を広げ、大木になります。 沖縄のどこへ行ってもある木です。 先日、お迎えが少し遅れたので、慌てて校門へ向かって歩いていたら、遙か上の方から「おかあさん!」 「?」 と上を見上げたら、みっちゅ~が4m位の木の上から見下ろしていました~。 あんた、そんなところに!思わず誰か見てないかな?(近所のおじい、おばあによく危ない!と注意されるので)と、きょろきょろする私。私も子どものころ、よく庭の大きなジャンボランの木に文庫本持って登り、 読んでは実をとって食べ、食べては読み…してたなぁ。 木って、やっぱりいいなぁ。みっちゅ~はその木に登ると、居心地がいいらしく、いつもなかなか降りて来ません。 時々、「そのままキジムナーと一緒にそこで寝れば?」と置いて帰りたくなるほどです。私も、小学校のすぐ側なので、この木にはさすがに登らないけど、 人目がなかったら、一緒に登りたいくらい。木に登るのが恥ずかしい年になっちゃったのが、ちょっぴり残念です。
2006年08月29日
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我が家の子どもたちの学校は去年から2学期制を導入していて、夏休みは21日まで。子どもたちは残り少ないことに気がついて、宿題の山をどうにか崩そうと四苦八苦しております。 …が、 昨日、お盆やそれぞれの旅行(遠征やら冒険学校やら)のお陰ですっかり忘れていたことを、思い出しました。 今年は、家族で海へ行っていない! まあ、夕日を観に…とか、お弁当食べに…というのはあったけど、 いわゆる海水浴をやってないことに気がつきました。それで、よく行くパン屋さんに教えてもらった穴場の海岸へ、夕方からGo!(沖縄の昼間の日差しはハンパじゃないので、海水浴は夕方4時以降がオススメです) 国道からちょっとそれて、車で道なき道を入っていくと、砂浜のない海岸へ着きました。岩場だらけの海岸。 岩の上を登ったり降りたりして歩いて進むと、なまこやらウニやらうじゃうじゃいて、珊瑚もどうやら死にかけてるのばかりで、あまり綺麗とは言えない。なんでこんな所をパン屋さんはすすめたのかな~と思いつつ、あちこちの潮だまりを見ていると…いました、いました! コバルトブルーやオレンジやしましまの熱帯魚の群れ! もう~、みんな興奮して、足下のウニやなまこもなんのその。 じゃぶじゃぶ潮だまりに入っていって、水に浮かびつつ、夢中で綺麗な魚たちに見入っていました。みっちゅ~まで、ゴーグル付けて、一生懸命見ていました。夫は夢中になりすぎて、珊瑚で足を切るし、三男はウニを踏んでとげが刺さるし。 でも、そんなことどーでもいい!とにかく綺麗なんだもん! 岩の上においたラジオで八重山商工の野球、2回戦の中継を聞きつつ、何度も出たり入ったりして、岩場で魚たちと遊びました。 ガンガゼやミノカサゴなど、猛毒のある危険な生き物もいて、誰にも彼にも勧められる場所じゃないけれど、まるで、天然の水族館!最近はどこのビーチへ行っても、お魚にあまり会えなくて寂しかったから、もう昨日だけで数年分見たって感じ。大満足。 そうこうしている内に陽は傾き、潮が満ちてきたので、帰れなくなる前に退散することに。取りあえず水気を拭いて車に乗り、すぐ近くの恩納村営ビーチへ。目的は、コインシャワー。 シャワー室へ入り、込んでいる個室の前で待っていました。個室のドアは丁度ボディの部分が隠れるように出来ていて、顔と足の所は外からも見えます。それでなんとなく見ていると、みんな目の前にシャンプー、リンス、ボディーシャンプー、洗顔料…と、いくつものボトルを並べ、延々と泡立てては流し、泡立てては流し… 一体どんだけ泡流せば気が済むんじゃー!と段々イライラしてきました。 みんなの流した泡は、一体どこへ行くのでしょう? そして、熱帯魚の群れは、いつまで見られるのでしょう? あの死にかけた珊瑚達はどうしてそうなったのでしょう? なまこやウニの異常発生の原因は? 色とりどりの魚たちと会えて楽しかったけど、色々考えが浮かんできてしまい、少し哀しくなりながら帰路についたのでした。 この美しい海を、未来の子どもたちに残すためには、私たちに何が出来るんでしょうね。
2006年08月14日
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チャクラ呼吸法に対するある人のコメントで、「最初に吐くっていうのがいい」とあり、今朝、呼吸のことを考えていた。 ヨガの先生の言葉かけがとても素敵なのだけど、その言葉の中で、 「吐く息と共に、古いもの・ご自分を小さくしてしまうエネルギーを手放してください」 「吸うときには、新しいもの・元気なもの・ご自分を大きくするエネルギーを受け取ります」 …というのがある。 で、知ってはいたけど、ほんとに気づいた。 まずは、「空」にしなくっちゃ、新しいものは入って来れないのだ。 呼吸でも、深く吐くと、自然に深く吸うことが出来る。 いらなくなって手放したいものは、思いきり全て手放す必要があるんだ。 そうすることで、新しいものを手にすることが出来る。 そういえば、最近断食なさったごくらくトンボさんのお連れ合いも、すごく美しい笑顔になっていた。 その笑顔を思い出して、呼吸だけでなくて、食事も同じなんだなと気付いた。 日々たまっていくいらないものを、断食することでいったん空にする。 そうすると、少ない食事でもきちんと消化・吸収出来るようになっていく。 そういうことなんだ。 (この点では、私は午前中、食事をとらないから、少しはできてるかも) そしてそして、精神も。 心の中のわだかまりやモヤモヤをそのままにしておくと、いいことない。 だから、私たちは友達に愚痴ったり、瞑想したり、スポーツをするんだね。 いったん、空にする。 うむ。今朝はいいことに気づいたぞ。 よし。空にするのが上手な人になろう。
2006年08月05日
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最近、ヨガの先生から教わったチャクラ呼吸法。 ヨガの先生も、気功の先生から教わったと言うけど、すごくいいです。 夏休みに入ってからは、よく子どもたちを連れて早朝虫取りに行ったり、 夕方お弁当を持って海辺に行ったりするので、 息子達が遊んでいる横で、大木に向かって腰掛けて… 砂浜に座り込んで風を受けつつ… そのチャクラ呼吸をしています。 【チャクラ呼吸法のやり方】 あぐらをかいて座り、手は、手の平を上に向けてひざの上に軽くのせます。 軽く目をつぶり、まずは第一チャクラ(会陰部)から深く息を吐きます。 (あくまでイメージで) 吐き切ったら、第二チャクラ(丹田)から息を吸います。 その息をそのまま第三チャクラ(みぞおちのやや下)まで吸い上げます。 吸いきったら、第三チャクラから息を吐きます。 吐ききったら、第三チャクラから息を吸います。 その息をそのまま第四チャクラ(胸の中心部)まで吸い上げます。 吸いきったら、第四チャクラから息を吐きます。 吐きったら、第四チャクラから息を吸います。 その息をそのまま第五チャクラ(喉)まで吸い上げます。 吸いきったら、第五チャクラから息を吐きます。 吐ききったら、第五チャクラから息を吸います。 その息を、そのまま第六チャクラ(眉間)まで吸い上げます。 吸いきったら、第六チャクラから息を吐きます。 吐ききったら、第六チャクラから息を吸います。 その息を、そのまま第七チャクラ(頭頂部)まで吸い上げます。 吸いきったら、第七チャクラから息を吐きます。 吐ききったら、第七チャクラから息を吸います。 その息を第一チャクラまで吸いおろします。 ここまで来たら、振り出しに戻る。 これを延々、好きなだけ繰り返します。 自然の中でこれをやると、ほんといい気持ち。 この呼吸をすると、チャクラの滞りが掃除されるのだとか。 ところで、ヨガの先生、 一見、私と同じ年?又は年下?もしかして少し上?って感じなのですが、 今日、やっと年齢を聞くことができました。 なんと。 一回り上でした。 がび~ん。 44歳の時に、身体機能年齢を測ったら、28歳だったそうです。 私も今から、あのナイスバディと柔らかな心身にちょっとでも近づけるかな? あっ、無理? でも、いいのです。 毎週のヨガ、他の何にも譲れない「黄金の時間」だから。 それが証拠には、これまでの4ヶ月間、無遅刻無欠席です♪
2006年08月02日
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夏は、帰省の時期。 久しぶりの再会のチャンスがたくさんあります。 先日も、大学時代の友人2人と久々に会いました。 ふたりとも知的な職業に就いていて、キャリアを積み続けている。 会った場所はその内のひとりの自宅。 まるでカフェのようにおしゃれなリビング。 大きな吹き抜け。 高級そうな家具。 私が仕事を辞めずに続けていたら、 今頃きっと手に入れていたであろうものたち。 その、おしゃれな部屋の中で、大学生のように床にちんまり座りながら、 ジャンクなピザを食べつつ、おしゃべりしました。 話していると、自然と彼女たちの現在の仕事の話にもなるし、 すでに遠い過去の記憶の中に埋もれている学問の世界の話にもなる。 あ~っ、そういえば、私もそんな世界に生きていたこともあったのね。 背伸びしていた自分をふと思い出し、懐かしくなる。 話しながら色々なことを思い出し、考え、昇華していった。 私の退職してからの生活についても話したし、 最近作って売っている布ナプキンも、ふたりにプレゼントした。 自分が、自分自身を見つけようと夢中だった頃の、 同じ空気を吸っていた仲間と話すのは、とても楽しかった。 そして、帰り道、思った。 退職するときにたくさんの人から言われた、 「本当に辞めちゃうの?今辞めたら、子どもが大きくなった時、後悔するよ。」 あの言葉は、まだ私には効力を発揮しないなぁ。 あの素敵な家も、立派な肩書きも、やりがいのあるだろう仕事も、 私にはまだ、ちっとも必要でない。 また何年か経ったら、後悔することもあるのかなぁ? 数日後、アメリカへ戻ったその内のひとりからメールが来た。 「久しぶりに会えて、うれしかったよ。 ちんぬくちゃん、前とちっとも変わっていないけど、 地に足つけて生活してる感じがして、とてもいいなぁと思いました。」 また言われちゃったよ。「地に足がついている」って。 うれしいけど、この頃、本当に私はこの生活でいいのだろうか?と物足りない気持ちが出てきているので、少し考え込んでいます。この生活を「地に足がついている」って、本当に言えるのだろうか? でも、数年ぶりに誰かと会って話すと、日常の中で当り前になってしまっていることを改めて認識させられるので、この季節、私は中々好きです。
2006年07月29日
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…夏休み。今日で3日目です。今年の私の夏休みの課題は、「息子達の家事能力アップ!」毎日、食後の食器洗いは上の3人に交代でしてもらっています。昨日は、夕飯時にみんなお腹空いた~の大合唱だったので、「ゴーヤー、洗って縦に割って中の種とって!」「人参は洗ってシリシリーして!」「鰹節入れてダシとって!」「ザル持ってるから、この中に全部あけて!」と、口で4人の助手を使いつつ、一緒に「冷やしそばとゴーヤーチャンプルー(我が家の夏の定番)」の夕飯を作りました。洗濯物も、タオルなどは残して、子どもたちに干させたり畳ませたりしています。出足は上々。きっと夏の終わりには、家事能力が3倍くらいにアップしていることでしょう。うっしっし。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~さて、沖縄の夏の日差し…梅雨明けから凄かったのですが、今はとにかくお日様と対面したくない!でも、子どもは外で遊びたい!というわけで、昨日は、朝8時前から早朝セミ穫りに行きました。(すでに凄い日差しなんですけどね)セミって不思議。あんなに堅い木の幹にストローのような口を差し込んで、樹液を吸っています。一体どうやってあの幹の皮をさすのかなぁ?どうしてあんなに一生懸命鳴くのかなぁ?鳴いてるセミは樹液は吸ってないのかなぁ?セミ穫りに興じる子どもたちの横で、ぽかんと口を開けて色んなことを考えていました。自然って、不思議。思考は続きます。ディズニーランド、きっと一生行かないだろうなぁ。海洋博花火祭り、同じく一生行かないだろうなぁ。でも、セミは毎年観る度に感嘆するなぁ。花火を見上げて首が痛くなるのは嫌だなぁと思ったけど、セミを見ているうちに、気がついたら首が痛くなっていました。なるほど。人が作ったものより自然が作ったものの方が、私にアピールするってことか。発見がいっぱいの夏休みです。
2006年07月23日
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今日は小学校の個人面談がありました。 次男、三男の担任の先生とお話し。 次男は、長男の後を追って、まじめ街道まっしぐら。 先生も「う~ん、特に気をつけて欲しいことは…ないですね~… 強いて言えば、しっかりしすぎて、ちょっと神経質かな?」 この子は、3年生くらいまで忘れ物大魔神だったんですがねー。 お勉強も、児童会も、お掃除も、全てきちんとやっているようです。 一体どうしてこんな風に育っちゃったのか? (長男が親だという説もある) まぁ、他に話すことも特にないので、 「夏休み中に、お料理を仕込もうと思ってるんですよー。」 「おっ、それはいいですね。」なんて、にこやかに話して、面談終わり。 で、三男。 彼の漢字の書き取りを時々チラリと見ると、ちょっと冷や汗が流れます。 (じゃあ、ちゃんと見てあげればいいって?) でも、三男の担任の先生は、小さいお子さんが三人いらして、 同じ状況で退職した私と共通点があるから、 とても先生の気持ちが分かります。 だから、三男の話は半分。 後の半分は、「先生、お家のことと両立するの、大変でしょう~」と、 つい先生を励ましに来たような方向へ話しが展開してしまいます。 そして、「大変でしょうけど、頑張ってくださいね」と、 こちらもにこやかに話しは終わりました。 (案の定、漢字の書き取りテスト…かなり悲惨だったんですけど) ふ~っ。 これで、あと一週間すると夏休みです。 今年の夏休み。 息子たちを引き連れて「海だ~!山だ~!」と遊び歩いていた、 過去の夏休みとは、ちょっと違うかも。 将棋をしている長男・次男は、県大会で入賞したので、 長男は東京へ、次男は倉敷へ、全国大会に派遣されます。 特に次男は初めての派遣。 きっと大舞台でたくさんの刺激を受けてくるでしょう。 ちょっと気になっていたのは、 特にまだ好きなことに巡り会っていない三男。 でも昨日、九州での冒険学校に参加申し込みをしました。 保護者抜きの子ども達だけ、スタッフと山や川で過ごします。 自然の中で遊ぶのと、友達つくるのが好きな彼には、ぴったり。 去年からずっと行かせたいと思っていたけど、今年とうとう初トライ。 約一週間も三男坊がいないと思うと、私がドキドキするけど、 きっと帰ってきたら一回り大きくなっていること間違いなしです。 みんな、また夏休みの間に一皮むけるんだなぁ。 う~ん、楽しみ。 問題は、みっちゅ~だ。 まぁ、まだみっちゅ~は私から離れられないから、 きゃぴきゃぴのギャル(姪っ子)でも誘って、 連日プールといきますか。 あと、虫取りは外せないね。 早く来い来い、夏休み♪
2006年07月11日
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厚くなりました。 5年前、末息子を自宅で出産してすぐ後、ある人に街でばったり会ったら、ぺちゃんこのお腹を見て、「あれ?赤ちゃん産まれたの?」と聞かれました。自宅で出産したということを成り行き上話したら、かなり引かれたのです。 そして、数日後に他の人から言われました。「あの人に、うかつに何も言わない方がいいよ~。だって、『ねぇ、ねぇ、知ってる?ちんぬくさんって、自宅で産んだんだってよ~。今時ね~。』って、うわさ話の種にしてたから。」と警告されました。 それ以来、ずっと「自分に心地よいことでも、他の人には時代遅れなことかも」という気持ちがあって、自分の生活を人に話すことに抵抗がありました。 でも、この頃「布ナプキン屋さんになる!」と決めてから、変わってきたかも、わたし。 息子が幼稚園終わって公園で遊ぶときも、たいてい布ナプキンの型をとった布をどっちゃりと持っていって、自分は他のお母さんとゆんたく(おしゃべり)しながら、手はちょきちょき裁断。 おまけに、知らないお母さんが「それ何?」と聞いてきたら、迷わず布ナプキンのことを説明します。相手がどう取っても、それは相手の問題。私は相手に関係なく、私。ひたすら手はちょきちょき。 そうしていると、まわりのお母さんたちも意外に興味を持っていて、関心がありそうだったりします。そういうお母さんには、縫い損じて売り物にできない布ナプキンを、機会を見てプレゼントしたりして。 なんだか、「人にどう思われても、私は私」って思えると、すごく楽で、すごく愉快です。 昨日は、スナップをマイナーチェンジしようかなと、ジャ○コの手芸コーナーに行きました。私が色々質問していたら、レジの人が「これ何に使うのですか?」と聞くので、またいつものように布ナプキンのことを説明しました。レジの人も意外に食いついてきて、細かく質問するので、延々20分ほども布ナプキン、石けん、重曹、などなど色んな話しをしてしまいました。 気がついたら厚くなっていたのね。 私の面の皮。 話した相手は、ただの話のネタを仕入れるつもりで聞いたかもしれません。でも、その人が誰かに話したとき、もしかしたら、その情報を必要としている人に伝わるかもしれない。そう思うと、自分はただ、そこへ小石を投げただけ。後は、必要なら波紋がきっと広がっていくはず…そう思えます。たまに浅すぎるところに投げて、かきんとはね返ったりもしますが(笑)。 わたし対相手だけではない。その相手の後にも延々と繋がりがあって、みんなみんな繋がっている…そう思える今日この頃です。 自分が変われば、きっと世界が変わる。 変わる瞬間はすぐそこに来ているような気がします。
2006年07月07日
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いきなりですが、3年ほど前までの私は、「朝ご飯は大事!朝ご飯を抜くと大変なことになる!」という人でした。学生の時は、ひとり暮らしだったので、たまに朝ご飯を摂らずに学校へ行くと、「あぁ、私、朝ご飯を食べていないのよね」という罪悪感から、誰も知らないのに、肩身の狭い思いまでするほどでした。 ところが、カローラのCMで、ビートたけしが「変われるっていいよね」と、ポッケに手を突っ込みつつ言っていた頃(…かな?)、「朝食有害説」(渡辺正 著)という本が書店の本棚から私に大胆不敵な顔で挑んできたのです。 もちろん、「朝食は絶対摂るべし!」派の私は、「何ですと!朝食が有害ですと?!おうおう、その挑戦受けて立とうではないか!」と、すぐにその本を購入し、一晩で読み上げてしまいました。 目から鱗がポロリ。 朝食、摂る方がいいというわけではないのね。 いや、著者は少々過激なほどに、朝食を摂ることの有害さを力説している。現役のお医者さんとして、患者の治療に小食(限りなく絶食に近い)を取り入れ、その結果から、自説を確信しているから、論調は強い。 朝食抜きをするに当たって、細かい注意事項などもあるので、詳しいことを知りたい方は、どうぞその本を読んでください。 でも、私はただ本を鵜呑みにしたわけではなく、その本を読みながら、実家の飼い犬のことを思い出したのです。 以前飼っていた実家の飼い犬。ある日、足の骨が折れたような大けがをして外から帰ってきました。見るも痛々しいほどの大けが。早速手当をしてやろうとしたのに、あっという間に床下にもぐって、暗闇の中でうずくまり、出てきません。どんなに猫なで声で呼んでも、エサで釣っても、次の日も、また次の日も、暗闇の中で、目を光らせながらうずくまるばかりでした。 「このまま死ぬのかなぁ?」家族とそう話していたら、1週間以上経ってから、ひょこひょこと痩せた姿で床下から出てきたのです。 その間、エサは一口も食べず、ようやく差し入れた皿の水をぴちゃぴちゃなめたくらい。ほぼ1週間以上断食です。 …で、足はというと、 なんと、見事に回復へ向かっていました。 きっと、あの犬は、本能で、どうやったらけがが治るか知っていたのでしょうね。 考えてみたら、私自身も、大風引いたときに何も食べられなくて寝込むと、びっくりする速さで回復し、回復したときの健康度はすごくアップしています。 そいういうもろもろのことと、その本の知識が結びついて、私は朝食を抜くことにしました。便乗して夫も。休みの日は子どもたちも一緒に遅めの時間にブランチ。 で、今の生活はというと、すごーく快適です。 まず、食事の支度が楽。 食事のために座る時間がいらない。 食べてないから、身体が軽い。 飢餓に身体がなれて、少々昼食が遅くなってもふらふらしない。 一旦、この生活になれてしまったら、もう、朝ご飯はいらないです。でも、あくまでもこれは私にとっていいということで、他の食生活スタイルで長年健康で長生きする人もたくさんいますから、「これが正しい!」という気はさらさらありません。誤解のないように。 朝食に限らず、今までの私の中の「絶対」が覆された瞬間というのは、すごい快感です。そして、どんなに正しく見えることでも、もしかしたら、世の中には、他の見方・やり方があるかも…と考えるようになりました。世の中に「絶対」正しいことはない。そう思うようになっただけでも、「朝食有害説」読んだ甲斐ありました。
2006年06月30日
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毎日毎日、やりたいことがたくさんで、時間がいくらあっても足りない感じ。 読みたい本は山積み。 瞑想したい。 モーニング・ページ書きたい。 家の掃除を思いっきりしたい。 こういうときに限って、梅が届く。(どうやら週末に下漬けはしたぞ) ヨガは外せない(大事)。 トランポリンも休めない(こっちは責任が伴う)。 三男の漢字の書き取りはめちゃくちゃ(ちょっとは見てやらんと)。 母は、肺炎になりかけて入院(実家へ時々まわって行かなくちゃ)。 ねっ?身体が3つくらい欲しい感じでしょ? この合間合間に、カタカタとミシンを踏んでいます。 先週末は、ある小さなお店のイベントに出品する分を必死で縫っていましたら、なんと、ミシンを踏む右足が腱鞘炎っぽくなってしまいました。(幸い、翌日には治っていましたけど)自分で感動。ここまでやるなんて、すごいぞ、自分(笑)!「好きなことだから、とことんやってみよう!」って思ってたけど、ついに腱鞘炎にまでなったかー(笑)。 で、さすがに身体がついて来れなくなって、時々むしょうーに眠たくなるのですが、一日とろけそうになりながらどうにか家事はこなしつつ過ごすと、次の日にはまた復活している。やりたいことをメインにやってると、本当に疲れにくいのだな。 で、週末は母の病院へ行ったり、実家いったり、布ナプの集中縫いをしたり、他の時間は眠すぎてとろけそうになったりしながら過ごしていて、正直、気分的にも体力的にも、ちょっと追いつめられていました。 でも、友人から誘われて吉本有里さんのライブへ行ってきました。 吉本有里さん。あまり知っている方は多くないと思うのだけど、長野に住んでいる、自然派のシンガーとでも言うのかな。私は、2年前にmomさんのホームページで販売していた有里さんのCDを購入したものの、まだ末息子が小さかったので、ゆっくり聞けないまま、棚の奥にしまいこんでありました。先週の火曜日に何となく、いつもと違う音楽が欲しくて、ごそごそ探したら、「あ~、こんなものもあったっけ」って感じで見つかって、1年余ぶりに聞いてみました。そしたら、最近私がよく感じるようなことが、もっと深い言葉で、もっとあたたかい色で歌い上げてあるじゃないですか! 「う~む。吉本有里さん、いいじゃん。」 と、ひとり感動していた翌日… ヨガで会った友達のYさんが、 「ねぇ、ちんぬくさん、これ行かない?」と一枚のチラシを私の手へ。 見ると、なんと! 吉本有里さんのライブの案内! なんてなんて絶妙なタイミング! 神様が行けって言ってるんだな。 もうこうなったら、行かないわけにはいかないでしょ! というわけで、ちょっと無理してでも行きたかったのです。 ほ~っ。 有里さん…よかったです。 歌も。お話しも。ビジュアルも。 有里さんの姿はまるで、菩薩様のようでした。 ふくよかな菩薩様。 あんなに穏やかで、あんなにあたたかいオーラの人を、 私は他に知らない。 有里さん、東京で最初の子を身ごもったとき、 「夫以外に誰もいないところで生みたい!」と思ったのだそうです。 で、夫婦でロッキーの山へ。 3ヶ月の滞在ビザで行って、結局二人目もそこで身ごもって、 歌を歌ったり、畑耕したりしながら、子を生み、育て、 まる8年をアメリカで過ごしたのだとか。 子供が生まれた2、3日後には、赤ちゃんがおしっこしたら、確かめなくても「あっ、今おしっこしたな。」ってわかる不思議な瞬間があって、「繋がっている」ことを実感したのだそうです。 その8年の間にはもちろん、困ったこともいくつか起きたけれど、 その度に、奇跡のようなタイミングで救いの手がどこかから差し伸べられたとか。その体験から思うことは、自分が魂から欲する生活をしていたら、困ったことが起こっても、神様が「うんうん。これでいいんだよ」って念を押してくれるような奇跡のような出来事がおこる。逆に、本当はやりたくないのに我慢して生活していると、「ねっ、これじゃあダメでしょ?」と念を押されるようなことばかりが起きるのではないかと。 また、ライブでの有里さんの歌声はとても素晴らしかったのだけど、その有里さんも、20歳過ぎに歌に出会ってから、人前で歌えるくらいになるのに、10年かかったそうです。 そうかぁ。好きなことでも、実になるまで10年かかってもいいんだなぁって、かなり気持ちが楽になりました。焦ることはないんだね。焦ってうまくいかなくて途中で放り投げたら、もったいないねって。 ライブの後のシェアリング、瞑想会もとても良かったです。 とにかく、そこに集まっていた人がみなそれぞれユニークで、 気持ちよくて、「全てはひとつ」っていうことが、 すごく実感として感じられた。 誰かが体験を話して泣いたら、こちらももらい泣きするんだけど、 実は、もらい泣きって、お互いに繋がっているから、共鳴しているんだなぁってしみじみ思った。 この世界のものは全て繋がっているのだから、私が変わったら世の中も変わるっていうのは、きっと疑いようのない事実なんだろうなと、初めて心から思いました。有里さんが毎朝瞑想をするのは、自分が何者であるか毎日思い出すため。そうでないと、雑事に紛れて、本来の自分を見失ってしまう。…これも、なるほど~です。私の場合、今はモーニング・ページがその役目を果たしているのかも。 有里さんのやさしい笑顔と声を思い出す度に、ふわ~っと心があたたかくなります。
2006年06月28日
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21日は夏至でしたね。その日の晩は、2年ほど前からうちで恒例になっている「キャンドルナイト」をしました。キャンドルナイトとは、夏至の日の晩に2時間ほど灯りやテレビを消して、かわりにろうそくの明かりの中で、スローな夜を過ごしてみよう…という試みです。もう何度目かになった今回、色々思うところがありました。息子たちはこのキャンドルナイトが大好きです。いつもはだらだらと中々片付けや明日の準備をしないのに、「今夜はキャンドルナイトだよ」の一声で、稲妻のように動きます。早めに夕飯の支度をして、押し入れから私たち夫婦の結婚式で使った、ばかでかいウェディングキャンドルを出して、準備OK。結婚式の直後には、結婚式場の押しつけのこの陳腐なキャンドルを苦い思いで受け取り、押し入れにしまったのに、こやつは台風で停電の時や、キャンドルナイトに大活躍してくれています。他にも小さなろうそくをいくつか出して、お皿に立てておきます。元々テレビはついていることの少ない我が家なので、この日テレビがないことは全く普通。でも、家中どこへ行っても灯りはキャンドルだけだから、トイレや風呂場がおもしろいのです。お皿に小さなろうそくを灯して、それを持ち歩くのも中々オツです。次回に向けて、しゃれたろうそく立ても欲しいなぁなんて思いつつ、薄暗い中で家族みんなで夕食をいただき、特別デザートのEMアイスを食べ、子どもたちはろうそくの灯りでできる物の影や炎の色に夢中です。ろうそくの炎で遊ぶ子どもたちを見ていて、思ったこと。もともと、火遊びって誰にとっても楽しいことですよね。でも、火遊びは、まかり間違うと大変なことになるから、簡単にはできません。アウトドアが好きってワケでもないので、うちの子どもたちにとっては、このキャンドルナイトと停電の日くらいしかチャンスがありません。子どもの頃、家が薪のお風呂だったので、その焚きつけや火の番をしていて、わたしは毎日のように「火」に接していました。ひとり「炎」を見つめつつ、色んなことを考えたものだし、時々は、薪の間にお芋を入れておいて焼き芋も作りました。私は、子どもの頃の風呂炊きの体験を通して、充分「火遊び」をさせてもらいました。きっと、火と遊ぶことは人間にとって、すごく楽しい体験なのではないでしょうか。洞窟の中で暮らしていた祖先からの、火への記憶は遺伝子の中に焼き付いているのだと思います。手間暇かけた昔の不便な生活は、子どもたちにとっては五感を使う体験の場だったし、大人にとってはきっと、そういう生活そのものが癒しでもあったのではないかと思います。生活が便利になることで、人間はそれを手放してきてしまったのでしょう。生活の中で灯を灯したり、物を燃やすことが少なくなった今、子どもたちは火を体験する機会がなかなかありません。せめて、息子たちが火を体験できる機会であるキャンドルナイト、夏至の日だけでなくて他の日にもやろうかな…と火と戯れる息子たちを見ていて思ったのでした。今日、沖縄は「慰霊の日」。今朝、今年初めての蝉の声を聞きました。
2006年06月23日
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毎度のことながら布ナプキンを縫ったり、広めたりしていると、ものすごく色んなこと(自分の中も外も)に出会い、ものすごく色んなことを考えます。そして、すっぱりと気づくこともたくさんあります。先日、近所の人とスーパーでばったり会いました。手にはティッシュペーパーの5個セット二袋を提げています。そのお宅は、ご家族そんなに多くないんですけど。「石油ももっと値上がりするって言うからさ~。今の内に買っておこうかと思って。」もしも、ティッシュが買えないほど値上がりしたら、ティッシュを買わなきゃいいのです。家の中にはすでに、ハンカチやタオル、雑巾と、代わりになるものはいくらでもあります。でも、この人は買っておかないと不安なんだなぁと、その時は思いました。その日の夕方、布ナプキンを縫っているとき、ふと気づいたのです。紙ナプキンしか世の中には選択肢がないと思っている世の多くの女性も、もし、紙ナプキンがものすごく高くなったり、手に入らなくなったら…と考えると、いてもたってもいられないほどの恐怖を覚えるのではないかと。消費者が「これがないと、困る」商品を作り上げてゆく…それは、すなわち「支配の構図」だと。ティッシュがないと困る、紙ナプキンがないと困る、このビタミン剤がないと困る、このお化粧品がないと困る、○○社の洗剤がないと困る、○○の香りの芳香剤がないと困る…色々考えてみると、すでに私たちはなんて深く支配されているのでしょう。そして、支配されているということには、全く気づいていません。生命の存続とは全く関わりのない部分での、隠れた、深い支配。わがままで、支配されたくないタイプの私は、これから少しずつでも自分でできることを増やしていこう…そう思いながらカタカタとミシンを踏みました。この話を夫にすると、「布ナプキンでそこまで考えるか~?」と笑われましたけど。
2006年06月20日
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みっちゅ~が幼稚園終わっても、たいてい幼稚園のすぐ側の公園で遊ぶ!と言います。だから、お弁当の日だろうが、空腹のままだろうが関係なく、降っても照っても関係なく、たいてい帰りに1~2時間は遊びます。そうして、みっちゅ~と他の数人の幼稚園児が帰りに遊んでいると、時々公園に来る姉妹がいます。年は2歳と3歳。大人は誰もついてこなくて、2歳の子はオムツで、たいてい、二人とも自転車に乗っています。3歳の子は補助輪無し。2歳の子は補助輪付き。しかも、2歳の子は、自分の足が十分に届かないので、ペダルをぐるりとこぐことができません。途中の届くところまでこいだら、一旦足をペダルから離して、ペダルが上まで戻ったら、また足を載せてこぐ…この繰り返しで、家から300メートルほどの距離をこいで来るのです。お母さんは夜のお仕事をしているらしく、昼間寝なくてはいけないようです。同居のおじいちゃんも家にいるのですが、おじいちゃんの目を盗んで逃亡してくる様子です。たいていしばらくすると、おじいちゃんがお迎えに来ます。毎日、外に出て遊ぶので、全身真っ黒。色黒では中々他の人に負けない私でも、この姉妹には負けています。しかも、髪も陽に当たって茶色くなっています。服は、いかにも自分で選んで、自分で着ました!って感じ。ボタンが時々掛け違えてたり、びっくりするようなフリフリのドレスを着ていたりします。2歳の妹は、3歳のお姉ちゃんがすることを何でも真似します。遊具に登っていったり、ブランコにのったり。お姉ちゃんは、まだ3歳なのに、ちゃんとおおらかに妹の面倒をみます。時々、荒くて泣かせてるけど、基本的に面倒見がいい子です。その2人の姉妹を見るにつけ、思います。うちのみっちゅ~は、飼い慣らされている!と。きっと、子どもの持つ生命力は、この二人のようにものすごくたくましいものではないかと。この二人の姉妹を見る度に、色んな事を考えて、気づかされます。今日は、この子達を見て、「誰も知らない」という映画を、まだ観ていないことを思い出しました。DVD借りて、観てみようっと。
2006年06月16日
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昨日、妹と実家で会いました。そしたら、私が2ヶ月前に上げた布ナプキンを鞄から取り出して、「ねぇ、これ、こんなになっちゃった。」と差し出すその手の先を見て、目が点。なんと、布ナプキンの本体につけた綿テープが、はずれているではありませんか!この綿テープは、本体と一緒にロックミシンを掛けただけ。ちょっと考えたら、ひっぱっただけで綿テープの端からほぐれて、はずれるのは当然のこと。洋裁している人なら誰でも気づきそうな、初心者的ミスです。もうそれから、頭の中は小パニック!実家のトイレ掃除しながらも、「あの人にもあげたし、あの人にも送ったし、あ~っ、あの人にも!」頭の中では忙しく、これからするべき事を考えていました。そして夕方帰宅したら、家事そっちのけでパソコンに向かい、あちこちへお詫びのメールを出しまくっていました。そこへ、夫が帰宅。「どーしたの?」と私の形相をみて言うので、かくかくしかじかと説明。夫は「そりゃ、大変だね。」と言って、さっそく、子どもたちに指示して家の中を片付けさせたり、流しに山積みだった洗い物をしてくれていました。そして、私のメールが一段落したところで、「じゃあ、夕飯はそば屋へ行くか?」と一言。お言葉に甘えて、みんなでそば屋さんへ。偶然にも開店3周年のサービスとして、おそばにはジューシーかおいなりさんがついてきました。あれれ?なんか、とてもついてるなぁって思いつつ、帰りの車の中で、かねてから疑問だったことを夫に聞いてみました。「私の趣味(布ナプの普及)で、家事も滞ったり、お金も使っちゃったりして、いやだな~って思わない?」と。そしたら、夫曰く「全くそんなこと思わんよ。好きなことがあっていいなーって思うよ。そんなにやりたいんだったら、気が済むまでとことんやったらいいよ。」まー、そんな風に思ってくれていたのね。なんてありがたい。おそばと夫の言葉に、意を強くして、帰宅してからまたメールの続き…とパソコンに向かいました。まずメールチェックしたら、夕方送った方から何件かメッセージが入っています。みなさん、「そんなこと全然気にしないで~。自分で直すから大丈夫!」という、暖かいメッセージばかり。非難の言葉はひとかけらもありませんでした。そして、極めつけ。んまんさんからのメッセージ。このあいだ、マリア様の生誕祝いの日に幼稚園の園長先生が 「生きるということは、買うということになっています。 最近は、学校に提出する雑巾を100円ショップで買って くるお母さんがいるという記事を読みました。 みなさん、今日から、ひとつでもいいから、 この消費社会に逆らって生きてみませんか? 作るということ、直して使うということ。」 と、話してました。 そのことを考えながら 楽しく縫って直したので 新しいのを送っていただいたりしなくても ぜんぜん大丈夫です♪ もし、またはずれたら また楽しく直します♪ もう、これ読んだら涙腺が緩んじゃって、ダメでしたね。あぁ、私が布ナプキンをひろめることで、何かもっと大切なこともひろがるような気がしていたのは、実はこういうことだったのかもしれない。そして、今回の初歩的な失敗は、実はこんなにも周りから応援してもらってるんだ…って私が知るために必要だったことなのかも。やっぱり、私はこれを一生懸命やってみよう。そんな風に勇気がわくと同時に、ありがたい気持ちで、いっぱいになってしまいました。そして今日も、残りのお詫びメールを昼頃までずっと送っていたのですが、やっぱり返ってくるのは、非難の言葉でなく、暖かい理解と励ましの言葉ばかり。昨日、今日と一体どの位の「ありがとう」を言ったことでしょう。口に出したり、キーで叩いたり、心の中でつぶやいたり。「すみません」「申し訳ない」の、きっと数倍。失敗したはずなのに…本当にありがたいことです。
2006年06月13日
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今日は、「お話しの木の会」の勉強会へ初めて行ってきました。かねてから、ミニャコラーダさんに誘われていたのです。メンバーは10人ほどのようですが、今日の参加者は私を含めて7人でした。でも、みなさんそろいも揃って、すごいベテランって感じ。私なんかがここにいていいのか?と思うほど、その世界の経験が豊富な方ばかりでした。絵本の読み聞かせは、子どもたちにも、小学校のボランティアでも何年かやっているけど、クラス全員を前に絵本を見せながら読むのは、いつもなんだか違和感があります。かと言って、大型絵本や紙芝居などで…っていうタイプでもないし。いっそ絵がない本を読み聞かせるか、素話がいいかなぁと以前から思っていました。素で語れるお話が増えれば、夜も早々と灯りを消して暗闇の中でお話しできるし。ちょっと場違いかもしれないけど、とにかく素話のできる人になりたいなぁと思っているのです。今日は、来月のお話し会のために、ちょっとした打ち合わせをして、当日のプログラム通りにお話しする方々がメンバーの前で一人ずつ実演していました。グリム童話、宮沢賢治、松岡享子さんの創作など合計5つのお話しを聞きました。どのお話しも私にとって初めてで、耳はずっと惹き付けられっぱなし。絵がないので、目は語り手を見ているのに、お話しの情景がどんどん浮かんできます。絵がないっていうのがいいんでしょうね。お話しって、やっぱりいいですね。今日は全くの聞き手だったので、なんのプレッシャーもなく、とにかく楽しみました。おもしろいなぁと思ったのは、お話を聞きながら、「この話はみっちゅ~とひろしが喜びそう。」とか、「この話はあっちーの好みだなぁ」と、息子達の顔が浮かんできたこと。自分が語れるようになって、はやく息子達に語ってあげたいと思いました。20分くらいの長さのお話しを全くとちらずに語った方もいたのですが、あそこまで出来るようになるには、一体どの位練習するのでしょうねぇ。考えると、ちょっとクラクラします。まぁ、しばらくは、一つのお話しを繰り返し繰り返し読んでみましょう。
2006年06月11日
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この頃、毎日のように布ナプキンの注文を頂きます。加えて、縁のある方々にもサンプルを手渡しで差し上げたりするので、一日の内、かなりの時間、布ナプキンに関わることをしています。裁断したり、縫ったり、包装したり、メールにお返事書いたり、布ナプに添えるお手紙を書いたり。とってもとっても幸せなのですが、おもしろいことに、先日から、「ほんとにやりたいの?あなたの動機は、ほんとに真実なの?」と誰かに試されるような出来事が起こります。ほんとに些細な出来事なんですが、その度に、私の感情がゆれるのです。そのゆらぎを感じると、自分でも「あれ?」って思うのです。「このゆらぎはなぜ起こったのかな?」って。で、自分の心の中をよ~く見つめてみると、出てくる出てくる。こんなものが心の中にあったのね~って、びっくりするような気持ちが。おもしろいなぁって思います。「あなた、こんなもの心の中に隠してたのね~。まぁ、なんて小さい人!」(いや、実際身体はかなり小さいんですが)試されてるんですね。「さあ、ほんとにやりたいのか?わたし?」自分で自分に問いながら、やっぱり楽しく布ナプキンを縫っています。カタカタ。
2006年06月08日
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出産、育児をしていると、その中で色々なことを経験させてもらえます。もちろん中には、私自身の血となり肉となるものもたくさんあるけれど、生活のリズムが変わっていくにつれて「卒業」することも結構あるなぁって気づきました。例えば、出産で色んな事を感じ、学び、自分自身が変わっていくことを知ったとき、「妊娠」「出産」が私の中でブームになりました。行く先々妊婦さんや赤ちゃんが目につき、この人はどんな出産をするんだろう?とか、母乳かな?ミルクかな?布のオムツ使ってるかな?と人ごととは思えないほど気になり、一時期、わたしは「出産オタク」と化していました。出産関係の本も(かなり毛色は変わっていたけど)たくさん読みました。そしてあろうことか、本気で助産婦さんになろうかな?と考えたこともありました。でも、不思議なことに、その時期を過ぎてしまった今となっては、もう他の人の妊娠・出産はあまり気になりません。いってみれば、見事に卒業。それから、遊び。子どもたちが幼い頃は、一緒に泥遊びしたり、工作したり、すべり台で遊んだりしていました。桑の実の季節には、一緒に木に登って実を取り、ジャムを作りました。シュタイナー教育にはまっていた時期は、本を何冊も買い、拾い読みして、「こんな部屋にしよう!」「木のおもちゃをつくろう!」と燃えたりもしたっけ。この頃、めっきり、子どもたちとめいっぱい遊ぶ機会が減りました。「この子達がもう少し大きくなってしまったら、もう泥遊びも桑の実取りもできないんだなぁ」と時々寂しく思ってしまいます。一人で木登りしている大人や、一人でどろんこ遊びしている大人って超あやしいもんね~。だからといって、学童の先生になろうとか、よその子を預かって遊んでみようとかは思いません。これも、卒業しかけてるのかな。将棋も、息子達のお陰で、だいぶ興味が湧いて、ちょっぴり強くなった気もします。でも、こっちもきっとそのうち卒業するのだろうな。絵本の読み聞かせも、あんなに好きだったのに、この頃はそれほどでもなくなり、学校の読み聞かせボランティアも、そのうちに足を洗いたくなるような気がしてなりません。どれもこれも、旬の時にはすごく関心が高まるのに、時期を過ぎるとめっきり勢いが衰えるのです。そして、その旬の時期は、私の場合、子育てと直結しています。考えたら、その時その時を楽しんできた…とも言えるのかな?でもでも、もしかしたら、いつか孫ができたときには(むふふっ)、それぞれのブームが再来したり、または、未知の事柄に興味がわいてきたりするのかな。こうして考えると、本当に、何から何まで子どもたちのお陰です。
2006年06月04日
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最近、みっちゅ~が、「幼稚園で何したの?」という私の問に、でたらめ話をすることが多いです。長々と話してすぐ後に、「うそだぴょ~ん!」って言うから、嘘だとわかるものの、言わなかったら、真に受けそうな話しばかり。何でかなぁ~?って考えていて、思いついたのが、私のでたらめ話。夜寝る前に、絵本やお話しの本を読んであげることが多いのですが、2年ほど前から、寝かせるのが遅くなっちゃって、本を読まずに灯りを消さないといけないときは、暗闇の中で、私がでたらめに作った昔話をするようになったのです。話の内容は、たいてい主人公がみっちゅ~で、いつも遊ぶお友達や兄ちゃん達が出てきて、いつも行く場所で、いつものように何かしていたら…という展開。これまでの大ヒットは、こんな感じです。むかしむかし、みっちゅ~という男の子がいました。ある日、みっちゅ~はお兄ちゃん達が将棋教室だったので、ヒロシ兄ちゃんとお母さんと一緒に、うらそえ大公園へ行きました。うらそえ大公園には長い滑り台があります。しばらくお兄ちゃんとふたりで、いろんな滑り台ですべって遊んでいました。一番長いすべり台があったので、お母さんに言わずにふたりですべり台をすべってみました。このすべり台は、中がトンネルのようにまあるくなっています。入り口からはいって、しゅ~っと滑り始めると、段々中が暗くなってきました。こわいのを我慢してしゅ~っとすべっていくと、段々先の方が明るくなってきました。「は~っ、よかった。」出口からぽんっと飛び出すと、なんと、そこはもう公園ではなくて、遊園地でした。見たこともない場所です。みっちゅ~とヒロシはこわごわあたりを歩き回ってみました。でも、だ~れもいません。誰もいないのに、ふたりが乗り物の近くを通ると、その乗り物は動き始めます。ふたりは、こわいのも忘れて、次々と色んな乗り物にのってみました。メリーゴーラウンド。観覧車。ジェットコースター。お金も入れないのに、どれもちゃんと動いてくれて、ふたりは夢中で遊びました。しばらくあれこれのって、ちょっと喉がかわいたので、パーラーに行ってみました。やっぱりパーラーにも人はいません。でも、ふたりがのぞき込むと、ちゃんとジュースやアイスクリームが準備されていて、すぐ食べられるようになっています。ふたりは、ジュースとアイスクリームと、ポップコーンをもらって食べました。食べ終わって、ふと気がつくと、辺りは暗くなり始めていました。ふたりは急にこわくなってきて、もう帰ろうと思いました。辺りを探すと、来るときにすべってきたすべり台の出口がありました。ふたりはそのすべり台の中を来たときと逆に、はいはいで登っていきました。だんだん中が暗くなって、こわかったけど、我慢してずっと登っていくと、その内だんだん前の方が明るくなって、とうとう、すべり台から外へ出ることができました。外へ出てみると、公園中の人たちがふたりを捜しているところでした。お母さんは、もどってきたふたりを見ると、とても喜んで、ふたりをぎゅ~っと抱きしめました。そして、周りの人たちに、言いました。「みなさん、ご心配かけてすみませんでした。ふたりとも無事に見つかりました。ありがとうございます。」そして、公園もだんだん日がくれてきたので、お母さんとふたりは、一緒にお家へ帰りました。おしまい。と、まあこんな具合です。つかれて考えるのも嫌なときに「むかしむかしして~」と言われると、結構きついのですが、私も頻繁に作っているうちに、だんだん作り話が上手になってきました。そして、子どもって、自分が主人公で、知っている人が出てきて、知っている場所の(でもちょっとフィクションの入った)話しだと、入り込みやすいようです。で、毎晩灯りを消すと、絵本読んだ日でも「むかしむかしして~」と言われます。みっちゅ~のでたらめ話が上手なのも、夜寝る前の、わたしのでたらめ話を聞いているからかなぁ?
2006年06月04日
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今日は、ミニャコラーダさんのお宅で、羊毛ボール作りをしました。ミクシィのコミュでつながった何人かの方々とお会いできて、いっしょにきれいな羊毛でボールを作れて、とても楽しかった~♪羊毛を巻いた玉を、熱い石けん湯に浸してから、ひたすらコロコロ手の中で転がすと…あ~ら不思議、数分後にはしっかりしたボールになっているんです!このコロコロ手の中で転がす感覚がとても心地よくて、是非家でも子どもたちと一緒にやりたいなぁって思いました。企画して教えてくれたミニャコラーダさん、そして参加者のみなさん、ありがとう~♪…で、攻めのタイミングって何なのかというと…長男、次男が毎日1局は指すネット道場の将棋。彼らはネットの道場ではまだ1級なのに、勉強のため…と高段者にばかり挑戦します。2段、3段、4段など。先日、長男が、ダメ元で6段に挑戦しました。そしたら、相手は何となくうっかりして、挑戦を受けてしまった様子。チャットで、「ふだんは受けないのだよ」と打ってきました。長男は、かなりがりがりに攻めるタイプのようで、受けるより攻めろ!の人。だから、相手が何段だろうが関係なく、攻め筋を探しています。そしたら、相手が、「ここでいきなりそういう攻め方はよくない」とご指導の言葉。そして、「つらいけど、うける」「つらい、つらい、つらい」「でも、ひたすらうける」もちろんしっかり相手は攻め続けながらのチャットです。「君はプロになりたいの?」「はい。」「名前は?」「○○です」「そうか。○○君か。プロになったときはおぼえておこう」え~っ?この人もしかして、プロ棋士?真相はわかりませんが、この人との対局いらい、長男の将棋は変わったようです。無理矢理でも攻めていたのが、辛抱強く攻めのタイミングが巡ってくるまで受けています。なんかそれ以来、この長男と六段の相手とのやり取りを思い出しては、思うのです。将棋も人生も一緒かも…って。将棋でも何でも、何か一つのことを極めた人は、大切な「何か」をつかんでいるのでしょうね。つらくても、つらくても、受けるべきときは、しっかり受ける。攻めのタイミングが巡ってくるまで。女性は、結婚、出産、育児、親の介護…と受けなくちゃいけない時期がはっきりしています。でも、そこで焦ったり、浮き足だってはいけないんですね。「つらくても、受ける。」う~む。この言葉、きっと私また思い出すはず。必要な時期には。私も、今は攻めの時期だけど、受けの時期にしっかり受けられる人になりたいです。
2006年05月30日
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今年の春から、かなり「やりたいこと中心」の生活になってきています。ほんの半年前くらいまでは、「こうしたら、あの人が助かるだろうな」「これをやったら、あの人が喜ぶだろうな」「これは嫌なんだけど、誰かがやらないといけないことだから」という論理で動いていることがとても多かったわたしなのですが。今日の午前中は、小さい子(未就学児)達の親子トランポリンサークルの日でした。私はなりゆきで、息子は(幼稚園へ行っていて)午前中は参加しないにもかかわらず、先生が来られない日は行かなくてはならない羽目になってしまっています。ごちゃごちゃ考えてもしかたないので、どうせ行くなら「息子に邪魔されずに、ちょっとでも練習できてラッキー!」と思うことにしました。が、今日は他に用事があったので、トランポリンはお休みすることにしてありました。その旨を、他のメンバーにも伝えてありました。ところが、今朝になって、急にその用事が消滅してしまいました。そしてその時、まだトランポリンには間に合いそうでした。半年前の私なら、こういう場面では確実にトランポリンに行っています。でも、考えてみると、私が行かなくても、誰も困らない。お休みする旨は伝えてある。じゃあ、別に気が進まないのに行くことはないじゃないか!というわけで、うちへ帰り、しばしノートへ向かっていました。そしたら、ふと、かねてから行きたいと思っていたぴーすどらごんさんの「オーラソーマコンサルテーションお試しキャンペーン」が頭に浮かびました。こんな急には無理かな~と思いつつ、電話を掛けてみると…うれしいことに予約OK!すぐ着替えて、嘉手納の「自由空間サンサン」へ。オーラソーマのコンサルテーション、とても興味深かったです。私の選んだボトルは、「キリスト」「サンライズ・サンセット」「鳴り響く鐘」「勝利」。自分でも意外だったのは、赤(=目覚め)が基調のボトルが2つ入っていたこと。しかも、最初に選んだのが「キリスト」のボトル。先日見た「ダ・ヴィンチ コード」が影響してるのかしらね?とふたりで顔見合わせてしまいました。でも、やっぱり自分で選んだだけあって、何度見てもそのボトルの色が美しいこと!色に癒されるって、ありますね~。そのボトルを毎日眺めたくて、結局、うち3本はお持ち帰りすることにしました。そのリーディングの後も、クウィントエッセンスやポマンダーのお試しをさせてもらったのですが、すでに息子のお迎えの時間が迫っていたので、慌てておいとますることになりました。帰る前に…と、お土産の手作り布ナプキンを取り出すと、ぴーすどらごんさん、びっくり顔。すごく感心されて、結局、お店で私の手作り布ナプキンを置いてくださることになりました。なんでも、布ナプキンをお店に置きたくて、ある業者に問い合わせようとしていた矢先だったとか。もう、うれしくてうれしくて、帰りの車中はルンルン♪今日はやっぱり、「サンサン」に引きつけられたのね~。「やるべきこと」ではなくて、「やりたいこと」を尊重してやると、魂の求める方向へと導かれていくのだなーと再確認しました。「サンライズ・サンセット」のボトルのアファメーションは、「私は人生の喜びに自分をひらきます」これから毎朝毎晩この夕焼けのような色のボトル液を塗ってみようと思っています。さて、ますます、人生の喜びにあふれた自分勝手な私になっていくのでしょうか?楽しみです。自分勝手、ばんざい!です。
2006年05月25日
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この頃つけ始めた「モーニング・ページ」。vijayさんがオススメしていた「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」(ジュリア・キャメロン)。その本の中ですすめているワークの一つが「モーニング・ページ」です。とにかく何でもいいから、思いつくことをどんどん3ページ埋まるまで書く!というものです。今朝、このノートに向かっていたら、先日観たばかりの「ダヴィンチコード」が浮かんできました。映画の中では、あるキリスト教の一派の信者で、「自分の外に神を求める人々」が登場します。ありのままの自分を肯定できず、外の権威におびえ、又は屈し、押しつけられた価値観にすがって自らを傷つけている姿は、哀しさを通り越して、グロテスクでした。吐き気がするほどに。そして、そういう人々を利用する権力を持った側の人々。宗教って、何だろう?人々を支配するためのもの?特定の宗教を持たない私だから、そう思うのかなぁと思いつつ、答えを探していました。今朝、モーニング・ページに向かっていて、思ったのです。やっぱり答えは自分の中にあるんだ。外に探していては見つからない。ただ自分の中の魂と繋がればいいんだ。そして、その魂は、全ての人の中にもあって、その魂の源はきっと一つなんだ。だから、上も下もない。みんな同じ源から出ているのだから。ただ、その人の魂の色は人それぞれ。違う色だけど、みな同じように輝いている。敢えていえば、その「源」が神なのかも。実感を伴ってそういう思いが自分の中からわき上がってきました。言葉にすると、実際にわかったこととちょっと違うような気がするのですが。でも、これまで何度も見聞きしてきたことが、やっと自分のものになった気がしました。 =============================そして、昼頃。先日から気になっていた近くの「天使のささやき」というアトリエの陽恵さんのところを訪ねました。陽恵さんは、私の知り合いの何人かと接点があり、ここ1月の間になぜか何度もお名前を耳にしていたのです。お会いして、いろいろな話しを伺っていると、まさに今朝、私が心の底から納得したことと同じようなことを、陽恵さんが話し始めました。体中がじ~~~~んとしびれるみたいでした。だれかにだめ押しされたようでした。息子の幼稚園のお迎えがあったので、話の途中で帰る形になりましたが、「天使の輪」を注文して帰りました。受け取りの時にきっとまたいろいろお話しが聞けるのでしょう。私の「天使の輪」は一体どんな色をしているんでしょうね。楽しみです。
2006年05月23日
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やってきました…魔の季節が。沖縄は、たいてい5月頃から、どこへいってもクーラーがギンギンに効いています。私はクーラーが苦手。家でもクーラーはありません。扇風機すら滅多に回さないくらいです。息子達は、夏になると毎晩汗びっしょりで寝て、夜中に私が起きて、服を着替えさせます。汗びっしょりでもぐっすり眠る我が子を見ていると、ちょっと微妙な心境ですが、子どもは(大人も)夏は汗をかくのが一番!ところが、うちの息子達の学校は、小中学校ともに全館クーラーなんです!3階建ての廊下、階段を含む建物全てがクーラーで空調されるので、一階には冷気が降りてきてものすごく冷えます。授業参観の時に教頭先生をつかまえて、問いただしたこともありますが、のれんに腕押しでした。「暑さの感じ方は個人差があるので、寒いと感じる人は、上着を持ってきてください」ですって。でも、子どもは外で休み時間の度に汗をかいてきます。または、プールが始まったら、きちんと髪を乾かせないので、濡れ髪で教室へ戻ります。そういう子どもたちがクーラーの冷気に当てられるのです。身体にいいわけがないでしょう!あ~~~~~~~~~っ!いったい何でクーラーが必要なの~~~~?汗かいたら、タオルでふいて、着替えさせたらいいではないですか!何で電気をばんばん使って、寒すぎるからって上着を着なくちゃいけないの?毎年この時期、私はかなり熱くなってしまうのです。頭を冷やすはずのクーラーのことで、私は頭に血が上ります。子どもたちをこの理由だけで学校へやりたくなくなるほどに。実は昨夜も夫(クーラー容認派)と言い合いになってしまったのですが。=======================================今日は、末息子の幼稚園参観でした。お勉強するわけでもないのに、なんと幼稚園にもクーラーが付いています。先日、お迎えに行って息子の手を握ったら、その手の冷たいこと!外遊びの後、最後のお集まりの時間(20分ほど)だけ、汗を引っ込めるために(!)クーラーが付いていたのだそうです。居ても立ってもいられずに、参観の帰り際に副園長先生に質問とお願いをしてきました。幸い他のお母さんからも抗議の声があったらしく、温度設定を高めにします…と仰っていました。でも、きっと夏場はずっとついているんだろうな。クーラー、本当に必要?
2006年05月19日
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夕方、身体が疲れすぎるといいことないということを日記に書いて、2時間後のことです。「お母さん、見て見て~!」と、みっちゅ~が何か自分の作った工作を私に見せていました。「うんうん。」と私が見ていたら、急にパッと走ってきて、にこ~っと笑い、私の顔のあちこち、頭、手と足にまで「ちゅー」の嵐。顔中べとべとになるくらいでした。そばで見ていた他の息子達は同情のまなざし…(まぁ、こういう事はよくあるのですが)やっと熱い抱擁から解放されて、聞いてみました。「ふ~っ。みっちゅ~、そんなにお母さん好きなのー?」「うん!大好き!」「何で大好きなの~?」「だって、怒らないから」…怒ってうっかりみっちゅ~の指を引き出しで挟んだのは、ほんの2時間前なんですけど。子どもってすごい…。お母さんは本当に世界一なのね。っていうか、みっちゅ~の記憶力がないだけ?
2006年05月18日
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毎日毎日、やりたいことがいっぱい。ヨガ、トランポリン、絵本の読み聞かせ、布ナプキンづくりなどなど。昨日は午前中ヨガ、午後トランポリンの「運動の日」。昼間の疲れで身体はへとへとだけど、夜、みんなが寝静まったら眠るのが惜しくて、こそこそ起きだして、夜中まで布ナプキンの裁断をしました。そして今日は、朝から幼稚園のお弁当作って、小学校の読み聞かせに行って、炎天下で父の農作業の手伝いをして、帰ってシャワーを浴び、幼稚園の帰りに息子を公園で遊ばせ、お買い物をして…やっと帰って一息。…と思ったら、最近友達と遊べないと不満気味になるみっちゅ~が、ぐずぐずぐずぐず。本当は昨日のトランポリンの疲れがとれてないから眠たいのだろうな~と思いつつ、あーだこーだとそばでごねられると、だんだんこちらもイライラしてきました。「外はまだ暑いから、絵の具で絵でも描く?」と、気持ちを抑えつつ材料を準備していました。そしたら、私の引き出しから勝手にペンを取ろうとするみっちゅ~。「ここは勝手に開けないの!」と引き出しをばたんと閉めたら…みっちゅ~の指を挟んでしまいました。あちゃ~!ごめんね~!急いで、ホメオパシーのクリームを指に塗り、レメディーを口に入れてやりました。みっちゅ~は、すぐに泣きやみ、落ち着いてお絵かきを始めたけれど、実は、疲れていたのは、みっちゅ~だけでなくて、私もだったんですね。いくら楽しくても、身体を酷使し過ぎてはいけません。みっちゅ~と一緒に楽しくいられないのなら、それはよろしくない状態だわ。夕方、中学から帰宅した長男が、私の「おかえり~」の声を聞くなり、「お母さん、疲れているね。声で分かるよ。」と一言。ううっ、ばれている。やっぱりわかるのね~。はい。身体がちゃんとサインを出しているんだから、今夜はしっかり休みましょう。ちゃんと教えてくれる身体さん、本当にありがとうございます。
2006年05月18日
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誰かに言われてひっかかる言葉の数々。先日も、ある人が話しているのを聞いていて、私に対してではなく、他の人に対して言っているのに、とてもカチンと来た言葉がありました。「○○な人」前にも同じような言葉でカチンときた覚えがあったので、今回は、それがどこに由来しているのか探ってみようと思いました。そして、思い至ったこと。その言葉がひっかかるのは、自分自身がそういう風に思われる事への恐怖・不安・嫌悪感。私自身が、「○○な人」と周りから言われたら、思われたら、すごく嫌だなぁと思っていること。でも、もしこの「○○な人」だったら、世の中に真に貢献できる状態なので、私自身は、その「○○」の価値を認めていないわけじゃない。むしろ、「わたし、○○だから~」とニコニコと公言できる人の方が、実はすごいと思っているくらい。それでも「○○な人」という言葉がひっかかるのは、やっぱり私も世間一般の「○○」の対極にある生き方に対する価値観を、無意識のうちに植え付けられてしまっているんだなぁ。その無意識に植え付けられた価値観を捨てていきたいなぁと思ったのでした。ワケのわからない日記でごめんなさい。
2006年05月13日
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昨日は、午前中ヨガ。午後、久々の親子トランポリン(幼稚園児・小学生組)。そして今日も午前中、トランポリン(未就学児組)。2日間運動三昧です。昨日のヨガは連休挟んで、2度目でした。やっぱりいいですね~。期待を裏切らない内容でした。先生の言葉掛けが特にすてき。「吐く息をおいかけて」「吐く息でとけていきます」「自分の中の古いものを手放して」「今感じているものを味わってください」ヨガのポーズを誘導しながら仰る言葉の数々、手帳を取り出してメモしたいくらい。でも、終わってからそうお話したら、「頭で考えないのよ~」と言われてしまいました。とにかく自分の身体を感じ尽くして、その後のぽかっとした空っぽの時間を味わう。…そんな感じなのかなぁ。まだ2回だけしか教えていただいてないけれど、これからますます楽しみです。トランポリンでは、久しぶりにあったメンバーさんのお子さんがみな顔が変わっていてびっくり。子どもの成長って、1月でも目に見えるのね。しかし、昨日今日とすごく暑かったので、さすがにへとへとですわ。今夜は、きゅ~ばたん!って眠れそう。こんなに動くことを楽しめる身体に、感謝。
2006年05月11日
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最近、布ナプキンを友人知人に、縫っては差し上げ、縫っては送り…していました。で、5メートル買ってあった布地が全てなくなりました。今、あらたに注文した10メートルの布地を、首を長くして待っているところです。友人知人だけではなかなか範囲が狭いかな…と思っていたら、ブログを通じて知り合った3人の方にもお送りする流れになり、モニターになっていただいています。その中のひとり、「んまん」さん。なんと、現職の歯科医師さん!しかも、かなり食事や生活に共通の感覚を持っておられる様子…これは是非お近づきになりたい!そう思っていたら、なんと、布ナプを差し上げたお礼に…と出張ブラッシングしていただくことに。で、昨日は友人のごくらくトンボさん、Fさん、Mさんも誘って、うちで「歯磨き講習会」でした。んまんさんはお若いのに、しっかり勉強なさっていて、私たちの素朴な疑問に次々答えて下さって、ひとりひとり丁寧にきちんと歯をブラッシングしてくださいました。みんな子どものお迎えなどで限られた時間の中、とっても中身の濃い2時間でした。歯磨きで虫歯や歯周病はだいぶ防げるんだというのが、実際に磨いていただいて、実感しました。ゆっくり時間を掛けて、教えていただいた通りに歯磨きすると、本当に口の中がすっきりします。歯磨きを通して、「自分の身体を慈しむ」というのがどういう事なのかも、改めて考えました。きっと歯だけではなくて、身体のあちこちにケアの方法があって、それは結構大事なんだろうなと思います。今まで本当におろそかにしてきたな。自分の身体を。魂の乗り物なのに。これからは、もっと大切にしてあげよう。昨夜から、息子たちの歯磨きをみてやっているのですが、たった2日で、もう変わってきました。やっぱり、どんな意味でも自覚しながら生活するっていうのは大切なことなんですね。あんなに歯磨きを面倒くさがっていた息子達も、私自身が価値を感じて、しっかり向かうと、不思議なことに、大切だと思ってしっかりやってくれるようになりました。やっぱり親の思いって大切なんですね。本当に大事だと思っていないことは子どもたちに強制しても、伝わらない。息子たち自身の中に、この「自分の身体を慈しむ感覚」が染み渡るまで、しばらくはしっかり歯磨きを見てあげようと思います。さらに、んまんさん、帰り際には、あらたに2セットの布ナプキンをお買い上げ。正規の値段でのお客様第一号です!もう~、うれしくてうれしくて、万歳三唱したいくらいでした。自分の好きなもの、いいと思うものを心から喜んで受け取ってくださる人がいるというのは、こんなにも満たされるんですね~。んまんさんに出張ブラッシング指導に来ていただいたお陰で、たくさんのことに気づきました。世の中の人がみんな、自分の持っているシェアしたいこと(皆それぞれ違う形でも)を、周りの人に分かち合い、また他の人のシェアしたいことを受け取って暮らせれば…そうすれば、世の中はどんなに美しくなるだろう。お金儲けのためだけでなくて、心から人にシェアしたいことを仕事にして暮らせたら、どんなに幸せだろう。布ナプをうれしそうに抱えて帰るんまんさんを見送りながら、そんなことを思っていました。みんなが幸せでありますように。
2006年05月09日
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最近、日記を書いていませんでした。GWに比地大滝に行った次の日から2日間、身体が動くことを拒否していたので、素直にほっといてあげました。まあ、つまりほとんど寝て過ごしていたのですが、具合が悪くてもちゃんと家事だけはやるところがさすが私!3日間の小食&ぐーたらのお陰で、今は、すっかり元気です。で、GWを境に、とうとうはまってしまいました… 将棋に。春休みの頃に三男と差し始めたのは前に日記に書きましたが、その後、三男は(あんなに悔し泣きしていたくせに)飽きて、相手してくれなくなりました。でも、長男、次男はレベル高すぎて、私にはつまらない。(あっ、つまらないのはむこうか)それで、長男と次男に一日一局だけ許している「ネット将棋」。私もやってみました。インターネットで将棋道場に入ると、入場者リストの中から自分の力に応じた相手に挑戦。相手が受けてくれたら、将棋盤が画面に現れて、将棋が指せるという仕組みです。差し終えたら、駒を最初に戻して、感想戦までできます。すばらしい。いつでも分相応の相手がどこかに居るなんて。ブログとアマゾンの注文以外でこんなにネットが素晴らしいと思ったのは初めてです。でもね…弱いんです。わたし。時々勝って、ほとんど負け。やっているうちにもっと強くなりたくなったので、今日、図書館から借りてきましたよ。「強くなる こども将棋」さあ、私は強くなれるのでしょうか?
2006年05月09日
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GWはどこへ行っても人でいっぱい。だから、出来るだけ自然があって、出来るだけあまり人の来ないところへ…ということで、「比地大滝」へ行ってきました。昨夜の残り物のたけのこ入り炊き込みご飯(ごくらくトンボさんありがとう!)のおにぎりを握り、近所の自然食品店からただで頂いた、賞味期限切れの黒パンをトーストし、卵をゆで、たくあんを切り、朝昼兼用のお弁当完成!その超チープなお弁当を車中で頂き、CDに合わせて歌ったり、早口言葉で爆発したりしながら、車で走ること、約2時間。一番辛抱のない三男坊が「ねぇ、まだ~?あとどの位~?」を何回か言った頃にやっと到着しました。いつもひと気のない場所なのに、さすがにGW。第3駐車場までいっぱいでした。みんな良くこんな遠くまで来るね~。…と自分のことは棚において…ここは2年前にも来たのですが、その時は中流で子どもたちが遊び始め、2時間たってしまったので、滝まで行くのは諦めました。でも、今回こそは「比地大滝」を拝もうと、まずは滝へ向かってGo!歩きやすいように木の階段や橋で整備された遊歩道を通って、40分ほどで、着きました。滝へ。昨日の大雨のお陰で滝の水量は多分、最大値。ものすごい響きをたてて、水が落ちています。沖縄にもこんな立派な滝があったのね~と感心しきり。子どもたちは水に入りたがってしょうがないので、急流に流される心配のない、岩でかこまれたところへ入るのをOKし、わたしと夫は、滝に向かって大岩の上に座り、全員、マイナスイオンをたっぷり浴びました。滝って、すごいですね。自然の力を感じます。こんなにたくさんの水は一体どこから来るのか?この大きな岩は、どうやってこんな風にちらばったのか?不思議だなぁ~と思うことばかりでした。入り口の事務所に戻ってみて、看板が目に入りました。「滝壺での遊泳や岩の上に登ることを禁止します」そ、そうだったのか。もし、比地大滝へ行っても、みなさんはやらないで下さいね~。(でも、ただ歩いていって、滝を見て、帰るっていうのも寂しいですよね)
2006年05月03日
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この頃、日記を書く気になれなくて、しばらく書いていませんでした。でも、毎日色んな事があり、忙しく、楽しく日々が過ぎていきます。末息子もすぐに幼稚園大好きになり、小学生の息子達が朝は一緒に連れて行ってくれます。お陰で家事の後に、私自身の好きなことをする時間も少し出来ました。…で、まずは布ナプキンをせっせと縫っています。3月に頼まれていた分もやっと縫い上がりました。それと平行して、頼まれてもいない友人知人にも、縫っては渡し、縫っては送り。「誰にも頼まれなくてもやりたいこと」があるっていうのは素敵です。そういうことをやっていると、心が満たされます。他のことは段々必要なくなってくる気がするくらいです。そして、それが人の役に立っていたら、もういうことないですね。後は、これが継続できるように、収入もあると完璧!考えてみると、この1、2週間、本もあまり読んでいません。映画のDVDも見ていません。講演会へも行っていません。今はそういう時期なのでしょうか。この静かな幸せをしみじみと感じてみよう。
2006年05月02日
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以前から自己流で本を見ながら時々やっていたヨガ。今日は、最近再会して色んな事でつながっているYさんの紹介で、ヨガ教室の体験に行くことができました。今日は、たまたま他の方がお休みで、同じくらいの年代(に見える)健康的美人の先生と、Yさんと私の3人でした。なんて贅沢~。私は、実際に教えていただくのは初めてでしたから、「今まで本を見ながらやっていたのと全然違うじゃん!」というポーズもいくつかありました(笑)。ウォーミングアップを含め、様々なポーズを1時間くらいやって、最後の方でしばし安らぎのポーズ。その安らぎのポーズの途中で、いきなりものすごい開放感を感じました。「あ~っ、あおい地球の上に私ひとり。ごろりん」そんな感じ。終わってから先生にそうお話しすると、「それはよかったわ。そのために他のポーズはあるようなものよ~。」とのこと。そうなのか~。あの開放感を感じるためにやるのか、ヨガ。これはいいかも。しばらく続けよう。ということで、さっそく申し込みをして帰ったのでした。またまた、ずっとやりたかったことがひとつ叶いました。感謝。
2006年04月26日
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今年、末息子が幼稚園に通うようになってできるほんの少しの自分の時間に何をしよう?…そう考えて、冬頃から頭にあった「布ナプキンづくり」。ちゃくちゃくと進行しています。少しずつ改良を重ね、身近な友人知人で少しでも使ってくれそうなひとには、「試しに使ってみて~」と、自作の布ナプをただで差し上げていました。上げる段階で断られたことが一度ありますが、めげないめげない。だって、一度使ったら、今のところ全ての人が「これいいね~」と言ってくれているのですから。ところで、私には妹が2人います。その内の一人の近くに住む妹は、子どもたちのオムツも紙おむつ。環境にも、身体にもよくないかもしれないけど、布オムツを洗う体力も気力も私にはありません…という人。いわゆる大多数派のお母さんなのです。その妹に、先月、布ナプをプレゼントしました。「え~っ、これ、どうやって洗濯するの?シミにならない?もれない?」と、 あまり喜んでいない様子でしぶしぶ受け取っていました。で、今日会ったときにふと思い出して、「布ナプ使ってみた?」と聞くと、ぱっと顔が輝いて、にこにこ顔になりました。出た言葉が、「あれ、いいね~!とても気持ちいいし~。自分で、もっと縫おうかな~。」結局、彼女はロックミシンを持っていないので、私が縫って、材料費だけもらうことになりました。わ~っ、うれしーぞー!またひとつ芽が出たぞー!何を隠そう、この妹には娘が4人いるのです。彼女が布ナプを使うということは…つまり、その娘4人にも布ナプは伝わるということ!身近な人を変えるのは結構難しいものだけど、たった一度の体験で変わってくれました!すごいことです。妹は、さらに、よく行く子育て支援センターでも、他のお母さん方に布ナプを宣伝してくれると言ってくれました。妹と話して後、帰りの車の中ではずっとるんるん気分の私だったのでした。一粒、また一粒、幸せの種まき中。ひろがれひろがれ~♪
2006年04月24日
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今日はアース・デイ。ひまわりママさんの企画で、「自然を感じ、地球に感謝しよう!」ということで、名護青年の家でネイチャー・ゲームをしてきました~。ネイチャー・ゲーム…ひまわりママさんが作ってくれたハンドアウトによると、1979年、米国のナチュラリスト ジョセフコーネル氏によって発表された活動で、様々な感覚(五感・六感)を使って自然を直接体験し、自然への共感を育むゲーム。「自然との一体感」を基盤とする「自然への気づき」を得ることを目的としているのだそうです。子どもを含め、合計10人が集まりました。名護青年の家の周りはイノシシも出るような森です。その自然の中で、「バットとモス」(こうもりと蛾)…目隠し鬼のようなゲーム「ネイチャー・ビンゴ」…自然の中の色んなものをビンゴシートに書き込んでいくビンゴ・ゲームなどなど、外で楽しく遊んできました。ビンゴシートをうめながら、こんな花もあるんだなぁとか、これは○○にそっくりだなぁとか、色んな発見がありました。また、「バットとモス」、うちの子達は恥ずかしがって、バットにもモスにもなりたがらなかったけど、帰ってきてから、将棋で参加できなかった長男・次男に説明したら、子ども4人で盛り上がってしまっています。みっちゅ~のケタケタ笑いが聞こえる~。遠足なんかの時、クラス単位でやると盛り上がりそう~♪聴診器を木の幹にあてて、樹液の上がる音も聞く予定でしたが、あいにく小雨がぱらついてしまい、断念。でも、アース・デイ、お陰様で楽しめました。いつもの事ながら、やんばるに行くと自然の力を感じますね。ところで、参加していたFさん。ひまわりママさんから、布ナプ用の無漂白ネル地を分けてもらっていました。もうすぐ初潮を迎える年頃の娘さんの分も、縫っておくのだそうです。素敵だなぁ。私も娘がほしいなーと思ってしまいました。
2006年04月22日
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昨日は、幼稚園と小学校の家庭訪問がありました。3人の先生とお話し。その中で、2人の先生と「牛乳」について話しをしました。学校給食のメニューは、見る度に考え込むような内容なのですが、一番気になるのが、「牛乳」。どんなメニューにも必ずというほど牛乳が付くのです。パン食のときだけならまだしも、麺類や、ご飯ものの後にも牛乳。私自身、給食の牛乳飲むのがいやだったので、子どもたちの気持ちになると、残さずに飲みなさいとは言えません。私は幼い頃、チビコンプレックスを持つ父から強制的に毎朝牛乳を飲まされていました。給食でも飲まされていたので、一日約400cc位飲んでいたことになります。そのせいか、一年中、ハンカチを離せない鼻水たれでした。成長期を過ぎたらさすがの父も諦めて、朝の牛乳はなくなり、自然に鼻炎は治っていました。牛乳を毎日たくさん飲んで、高くなっているはずの私の身長は、今でもかなり小さいままです。だから「牛乳って、本当に身体にいいの?」という疑問はずっと私の中にありました。ここ数年のうちに、様々な情報源から牛乳という食品の裏側を知ってしまうと、なおさら、子どもに飲むことを強いるものではないなと思います。牛乳を継続して搾るために、妊娠・出産を強制的に繰り返させられる母牛。産まれてすぐから、「売り物」である母牛のお乳を一滴も飲む権利のない子牛。母牛の飼われている不自然な環境(飼料や予防接種を含めて)を差し引いても、この事実だけで私には充分ショックでした。「絶対飲んじゃダメ!」とは言いませんが、「栄養があるから毎日必ず飲んで!」と言うものでもないと思っています。お菓子と一緒。欲しかったら、少しならいいよ。そんな感覚です。私自身も、全く摂らないわけではないけれど、「骨粗鬆症予防に牛乳!」とは思わないのです。みっちゅ~の幼稚園では、ミルクのみの給食があります。彼は牛乳大好きなんですが、家では普段、与えていません。今週、幼稚園でミルク給食が始まってからは、喜んで飲んでいる様子。でも、お昼に「お腹いっぱいだからご飯いらない」と言うようになりました。そのことを先生にお話しすると、「食事の時間をずらして下さい。」とのこと。牛乳を飲ませないようにとお願いしてみる勇気はありませんでした。小6の次男は、牛乳を飲むと何だか体調がよくないと自分で感じるようで、2年ほど前からほとんど飲まなくなりました。毎年、担任の先生に色々説明をして、考慮していただきます。今年も、「苦手なものも、一口でもいいから努力しようね!」というお考えの、太陽のように明るい担任の先生に、私の考えを説明しました。でも、一般的に言われている牛乳信仰を疑わない方に、牛乳の害を説明するのはとても難しいです。あまり言い過ぎて対立してしまわないかと、おっかなびっくりでした。 何とか穏便に話しを済ませましたが、「変な親だなぁ」という印象は与えただろうなぁ。でも、後から、「先生が、いつか牛乳の害についてどこかでまた耳にしたとき、私が今回お話ししたことによって、次は、その考えを受け入れることができるかも…」そう考えることにしました。今は受け入れてもらえなくても、いつかはわかってもらえるかもしれない。そう思わないと、「口に出すだけ無駄」となって、どんどんこちら側の我慢だけが増え、その内、爆発してしまいそうですから。学校へ通わせながら、自分なりのやり方を通すのは、とても難しいですね。
2006年04月19日
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今夜は満月。先日、EMホテル「コスタビスタ」のスパ棟が完成しました。そして、その記念に今夜、山根麻以さんのコンサート”Beautiful”がありました。なんと、入場無料!しかも、子連れ大歓迎!こんなコンサート、なかなかありませんよね。で、みっちゅ~を連れて、行ってきました。(他の息子達は、やりたいことがあると言ってお留守番)会場に集まったのは、大部分がスピリチュアルな世界へと心が向かっている方ばかり。なかなかないような、独特の雰囲気でしたね~。麻以さんは、数ヶ月前に瞑想会のナビゲーターとしてお会いしたことがあります。すごく素敵な声の、素敵な方でした。その時に、もともと本業が歌手だというのは聞いていました。でも、歌をまともに聴いたのは、今夜が初めてでした。あのハスキーな、ハートから出てくるような歌声。だからかなぁ。聞いていると、ハートから入ってきて、全身へと響く感じ。目を閉じて、その響きを全身で感じたいのに、みっちゅ~は許してくれない。途中まで、間を持たせるために買ったビスケットをかりかりと食べていました。でも、コンサートが佳境に入るにつれ、みっちゅ~も段々ハイに…。麻以さんの歌と、会場に集まっている人のハッピーなエネルギーに反応したのでしょうか?私の膝に座って、私の顔にべろべろ攻撃を仕掛けてきました。それに私が反応する度に、けたけた笑い転げ、もう~止まりません。もういいやって諦めて、笑い転げるみっちゅ~を膝に載せたまま、曲にのせて膝をゆらしたり、リズムを取ったりしました。お互いにけたけた笑いながら。それが、すごく楽しかった~♪麻以さんの「日本列島やさしい気持ち化計画」、すてきです。みんながやさしくなって、日本中にたくさんの光があふれるイメージが浮かびました。自分の内なるエネルギーに気づいて輝き始めた女神たちも、会場のあちらこちらで踊っていましたっけ。満月こそ拝めなかったけれど、そのエネルギーはしっかり満ち満ちていたのではないかと思います。結局、ハイになったみっちゅ~と10時頃に帰宅。急いでシャワーを浴び、いっしょに布団に入りました。そして、「寝る前に読んで~」とみっちゅ~が100冊以上の絵本の中から選んだのは、「ちいさいねずみ」(さとうわきこ・作)この本、1年以上も読んでなかったなぁと思いながら読み始め、気づきました。そうそう。このお話しには、満月が出てくるんだ。まあるい満月を見たネズミが、それをチーズだと勘違いして…というお話しだったよ。みっちゅ~、なんでこの絵本を選んだのかなぁ?はて?こどもって、すごく不思議。ハイになったみっちゅ~、その絵本を読み終わってもすぐには眠りそうになかったので、コーヒーから作られたホメオパシーのレメディ「コフィア」を一粒お口へポン。コーヒーを飲んだときのように神経が高ぶっている時は、これが効きます。灯りを消すと、ものの2、3分で寝息を立てていました。しめしめ。私もきっとコフィアなめたらすぐ寝入れるのでしょうけど、眠るのがもったいなくて、こうして起きています。
2006年04月14日
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春休みのある日、しばらく将棋を指していなかった三男と私が対局したことは書きました。その後も、毎日たいてい一回は三男と将棋をしています。私も楽しくなっちゃって、長男や次男に手筋を教えてもらっています。ふたりとも低レベルではあるけれど、お陰で、少しは進歩したような気もします。今のところ、私の方が少し勝率は上。昨夕も、一局指して、どたんばで私が勝ちました。終わる直前まで勝勢だった三男は、とても悔しかったようで、「もう一局!」と言います。夕飯の支度が…と思いながらも、変な勝ち方で後味の悪かった私は、ついもう一局。今度は、私の作戦がちで、すぱっと勝負がつきました。ますます悔しい三男。布団をかぶって出てきません。夕飯の時間になって、みっちゅ~に布団をはがされた三男は、汗びっしょりで、目は泣きはらして真っ赤でした。夕飯を食べながらも、しばらくしゃくり上げていました。「そんなに悔しいんだったら、お前、将棋強くなるよ」と長男に言われ、少しずつ気を取り直している様子でしたが、寝る前に、「お母さん、明日6時半に起こして」と言って寝ました。何するのかなぁと思っていたら、今朝起きた三男、本と将棋盤を出して、詰め将棋の問題を解いていました。勝負にこだわらない子だと思っていたのに。弱っちい母に負けるのはプライドが許さないようです。
2006年04月13日
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今朝は、何ごとかと思うほどの豪雨と強風。入学したてで、徒歩30分の中学校へ行く長男を、まず車で送りました。一体あの大雨は何だったんでしょうね?午後の雷もすごかったし。地球が怒ってるのかなぁ…って感じのお天気でした。…が、今日は待ちに待った、末息子の入園式!(沖縄の一般的な幼稚園は公立小学校付属。1年保育です。)みっちゅ~とは、産まれてから5年間、ずっと家でも外でも一緒だったので、心の底から、「ずっとふたり一緒は、もう充分!」という思いで迎えたこの日でした。昨夜、うすい髪の毛も散髪して、今朝ちゃんとスーツを着せたら…あ~ら不思議、幼稚園児の出来上がり!幼稚園で受け付けしても、中々私から離れずに、ひっつき虫のみっちゅ~でしたが、先生が「幼稚園生になるお友達はあっちに移動しますよ。」と一声かけると、すたすたと私から離れ、他の子達の中に混じって行ってしまいました。女の子と手をつないで入場し、椅子に座って園長先生の話を聞き、先生の真似をして手話付きの歌を歌い…しっかりと「参加」していました。そんなみっちゅ~の姿を見て、思わず涙が。は~っ。大きくなったな~。考えてみれば、上の子達の入園の時は、いつも誰か下の子を抱っこしたり、手を引いたりしていて、式そのものに集中できなかったんですよね。さて、明日から楽しみです。最初はほんの2時間余だけど、わたしひとりの時間ができます。やりたいことがたくさんあります。でも、まずは手始めに、家の中を居心地よくすっきりさせようかな。
2006年04月11日
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今日は実家のカミウシーミーでした。清明とは二十四節季のひとつで、旧暦の三月吉日にあたります。沖縄では、その季節にはいると、地域によって「この日」と決め、祖先のお墓に行って墓掃除をし、ごちそうを供えます。そして、墓前で親戚一同、お花見よろしくごちそうをいただきながら、歓談する習わしです。実家の墓は、亀甲墓といって、カメの甲羅のような形をした中国から伝わった形のお墓。でも、実はこのお墓の形は、一説によると、「女性の胎内」を表しているらしいです。言われてみれば、そのような気も・・・。人は皆、母の身体から産まれ、死後も母の胎内へとかえってゆく…ということだそうで。そして、沖縄の伝統的なお墓は、墓前にたいていちょっとした広場があります。十畳前後の敷物が敷けて、そこで親戚が会食できるように作られているのです。実家のお墓は、戦時中にはなんと防空壕としても使ったそうです。中は四畳半くらいのスペースがあるとか。昨日は、来週の清明祭にそなえて、息子達も一緒にお墓の掃除をしました。でも今日は、近い祖先でなく、遙か遠い祖先のお墓に参る「カミウシーミー」でした。この日は遠くからもたくさんの親戚が集まり、車で三十分ほどの祖先のお墓に行きます。朝から作ったごちそうの重箱やらお茶、泡盛などを持ち、うちの家にゆかりのある祖先のお墓を五カ所も拝みました。最初のお墓に入っている祖先は、南山の落人だそうです。その後は、世界遺産にも登録されている勝連城址の近く。ご先祖様、本当にあちこち移ったのね~。去年の暮れからスピリチュアルな世界へと目を開かれたこともあって、今年は何だか、祈るときの気持ちも違う気がしました。お祈りしながら、合わせた手のひらも体中もあったかくなって、全身で、お参りできてよかった~って感じました。そして「ご先祖様、ちゃんと見守ってくれているんだなぁ」って、感謝の念でいっぱいになりました。朝からずっとごちそう作ったり掃除したり、立ち働いたのに、ほとんど疲れもないし。つくづく、私の宗教は「祖先崇拝」なのかも。改めて自分の「核」を認識したいと思う、今日この頃です。
2006年04月09日
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今日は、長男の中学校入学式でした。初めて制服をきちんと着た息子…背丈は小さい方だけど、やっぱり中学生に見える!不思議なものです。歌と、いくつかのあいさつ、そして担任の先生の紹介など、式は簡単に終わりました。その後、クラスで学級開きがあり、役員を決めたらおしまい。新入生が学年集会中に、外では体操着、リコーダー、辞書などを販売しています。私はさっさと買うべきものを選ぼうと思って見ていました。そうだなぁ、辞書は、小学校では買ってやらずに古いお下がりを使わせていことだし、マイ辞書は必要でしょう…と英語、漢字、国語3冊を購入。小学校では使ったことのないアルトリコーダー、これも必要だよね。…で、即購入。美術セット…これも必要なのかな?と見ると、何だかあまり小学校の絵の具セットと変わらないような…はて。これは、小学校の絵の具セットとどこが違うんですか?販売員のお兄さんに聞いてみると、ポスターカラー1箱が入っているとのこと。じゃあ、他のものは小学校で使ったものと一緒?お兄さん曰く、「小学校の普通の絵の具もきっと、中身が減っているでしょう?このセットだと、単品を買いそろえるよりもずっとお得ですよ~。」じゃあ、安いからすでにあるものまでセットで買えってこと?他のお母さん方も、買うべきか買わないべきか、手にとって迷っていましたので、私は、今聞いたことを伝えて上げました。(営業妨害ではないですよね?)あるお母さんは「じゃあ、ポスターカラーだけを買い足せば小学校のでいいってこと?」でも、そばから他のお母さんが、「でも、それでうちの子がうんっていうかどうかだよね~」(うんって言わないあなたの子がおかしいんじゃないの~?)←私の心の叫びそのお母さん達が美術セットを買ったのかどうかは知りません。私は美術セットは買わないことに決めて、さっさとその場を離れました。学校って、時々思うけど、自分の頭で考えないと、流されてしまいがちな場所ですよね。・・・て言うか、自分の頭で考えない人を作るための場所なのかな?
2006年04月07日
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昨日は、キネシオロジー・ミニセミナー第2弾でした。場所はある高校の武道場。メインのプログラムが始まる前に、その高校のなぎなた部の女の子達が顧問の先生に連れてこられました。そして、キネシオロジーについて全く無知な彼女たちが、慶太さんからお話を聞き、様々な問題や力を引き出され、変容するのをそばで見させていただきました。ほんの1時間の間に、ある女の子の、試合で苦手な相手に向かう気持ちが、大きく変わったようでした。普通、何でもない相手に対しては、まっすぐ立てるのに、苦手な相手に向かうと、自然に身体が後ろへ引けます。横から見ているとはっきりわかるほどに。そして、自分の得意とする相手が前にいると、逆に前へと傾きます。腕のカックンと原理は一緒だと思いますが。ストレスの元を確定できたら、そのストレスを感じながら修正(イメージの書き換え?)が出来、修正の後にはストレスへ向かう前向きなエネルギーが生まれているのです。言葉で説明することはとても難しいのですが、身体を通して、潜在意識の声を聞き、身体を修正することで、潜在意識も変えられる…という感じかなと思います。メインプログラムの方では、実用的な技術もたくさん教えていただきました。ストレスの探し方。ストレスのあることへと向かうときの対処法。頭が、ある問題に囚われているとき、白紙に戻す方法。とても具体的で、生活の中でも取り入れられそうなことばかり。後半では2人1組になって、実習もしました。筋肉の反射テスト、水を飲み、頭にちゃんと行き渡らせる方法、そして脳を活性化させる体操(?)などなど。どれも、とてもおもしろいものでした。そして、最後。カードの中から、この場で必要なメッセージを引くことになりました。参加者全員が手をつなぎ、慶太さんとメルモさんがキネシオロジーで引いたカードのメッセージは、「音楽から魂へのメッセージを受け取って下さい」(ちょいうろ覚え)というもの。結局、慶太さんが音叉を鳴らすことに。そして、参加者は、自分の心からなりたい姿をイメージして、目を閉じてその音を全身で浴びました。その音叉の音が、とてもいい音なのです。身体全体にび~~~~~~~~んと響いてくるような。私はなりたい姿…と言われて浮かんだイメージは、やっぱり大きな輝く真っ白い光の玉でした。(笑)そのイメージを頭に、音叉の音を全身で受けていると、なぜか涙が出てきて、困りました。でも、音叉の音がすごくいい音なので、ずっとその音に浸っていたい気持ちでした。身体は心で、心は身体。全てはメッセージ。キネシオロジーにこんなに惹き付けられたのも、私の魂からのメッセージだったのかな。
2006年04月06日
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今、横浜からキネシオロジスト慶太郎さんご夫婦が来沖中です。キネシオロジー。どんなものなのかよくわからないのに、なぜか惹き付けられているもの。被験者が腕を横に上げた状態で、試験者がその腕を下に向かって押します。その時に質問するのですが、その質問への答えが「イエス」なら腕は上がったまま。「ノー」ならカクンと下がってしまいます。Oーリングと似ているけど、もっとわかりやすい反応が引き出せて、「答えは自分の潜在意識が知っている」っていうところが、また素敵だなぁ…と。それで、沖縄でセミナーがないかなぁ…とちょっと調べたりしたけれど、可能性は皆無に近いことがわかり、このところ諦めていました。自分で主催するほどの自由とエネルギーは今はまだないなぁ…と。ところが、他の方が慶太郎さんを招いてミニ・セミナーを開催するという情報が先月、入りました。不思議なことに、本当に心から求めていることって、躊躇しないんですね。「どこに子ども預けようかな?」とか「いくらかかるのかな?」なんてことは、一瞬も考えませんでした。でも、直前には「本当にこれをやりたいの?」って、試されもするようです。今日のミニ・セミナーを楽しみにしていたのに、一昨日から末息子のみっちゅ~が発熱。昼は下がるのに、夜になると熱が上がり、昨夜も寝ている時は苦しそうでした。まぁ、行けなかったら行けなかったで、いいさ。それなら、今は行くなっていうことだろうから。そう思って迎えた今日でした。朝は布団から出ずに病人モードだったみっちゅ~だったのに、昼頃にはすっかり元気になって、お兄ちゃんや近所の子と遊んでいました。これは行っても大丈夫だなと判断して、ぎりぎりの時間に家を出ました。そして車で会場へ向かうこと1時間余。会場のすぐ近くで電話しようと鞄の中を探りました。携帯電話は持ってないので、アドレス帳を探すために。そして気づいたのです…お財布を持っていないことに。(実はその中に運転免許証も)が~~~~~~~ん。でも、こういう時って、ちっとも引き返そうとか思わないんですよね。そのまま会場へ行って、主催者の方に財布を持ってない旨を伝え、後日、受講料は口座に振り込むことにして、しっかりセミナーを受けました。セミナーの内容は…また後日。とにかく、中身の濃い2時間でした。キネシオロジー、おもしろ~い!ウルトラマンのスペシウム光線も教えてもらったし。きっときっと、沖縄でセミナー開催できますように!
2006年04月04日
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9時過ぎ、私が日記を更新し終えたら、すでに布団に入っていた息子たち。でも、「ねぇ、将棋しよう~。」という声がする。長男は町の道場で三段。次男は初段。三男は半年前にやる気が無くなって、しばらく行っていないが、六級。「将棋しよう~」の声の主は、その六級の三男だった。「おっ、めずらしー!じゃあ、兄ちゃんたちよりは、互角の、お母さんが相手だ!」と言うわけで、軽くやっつけて(やっつけられて?)寝かせるつもりが、お互いに将棋指すのは久し振りなので、しっちゃかめっちゃかの長丁場になりました。そばでは、高いびきをかいて寝ている夫。観戦しながら、おかしな手の連発に笑いをこらえきれず、寝るに寝れない長男、次男。「早く絵本読んで~!」と私にまとわりつく末息子。長男、次男は、そばで観ながら、あまりの初心者らしい意外な展開に、可笑しすぎて、興奮気味です。三男と私のどちらかが指す度に、誰かが叫びます。「あ~~~~~~っ、ここでそれはないでしょう~!」「え~っ、もったいない!オレならもう投了するね~。」「まさか、こう来るとはね~!」もう、うるさいうるさい。さすがの夫も目を覚まし、「お願いだから寝かせてくれ~!」結局、一時間あまりかけてやっと、私がどうにか勝ちました。灯りを消して寝かしつけていたら、長男と次男はすぐ寝てしまいました。そして、三男は「お母さん、将棋って楽しいね。」と満足そうに言いました。寝付きの悪い末息子には、暗い中でいつものように作り話を語ってあげました。でも私は、いつも使わない脳みその分野を使ったのか、神経が高ぶって眠れない~!いやはや。でも、久々の将棋、楽しかった♪年齢も、性別も、体力も関係ない遊び…将棋。これから、もう少し勉強して、息子たちと一緒に将棋教室で指すのもいいかも…なんてちょっと思ってしまいました。でも、いくら春休みでも、夜の9時過ぎてから指すのはやめておきます。反省。
2006年04月02日
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昨日は、20年以上の友人に会って、布ナプキンを試しに…と分けてあげようとしたら、「きっと使わないから、もったいなくてもらえない。」と、受け取ってくれませんでした。「魔法のナプキン」という冊子を先に貸して、読んでもらっていたのですが。彼女にとっては、頭で今の生活がよくないって思っても、行動が変わるほどではないのでしょう。こんなに気持ちいい物だから、一度使ってみたらいいのになぁ~と思ったけど、無理に押しつけるのは本意でないので、世間話をして、「またね。」って別れました。覚悟してはいるけれど、やっぱりちょっぴり気落ちしました。今日、偶然に他の友人に会いました。彼女は、昔、お互いに独身だった頃の元同僚です。私が今のような生活をする前の付き合いしかなくて、2、3年前に再会した人。再会したときには、お子さんの健康のことで色々悩んでいる様子でした。彼女は私とはかなり違う生活をしていることを知っていましたが、なんとなく私が生活の中でやっていることを色々話す流れになりました。ホメオパシー、石けん、粗食、朝食抜き、布ナプキンなどなど。引かれるかなぁ~と思ったけど、意外にも熱心に聞いてくれて、我が家の本棚から本も何冊か借りて読んだりしていました。彼女が仕事が忙しくなって、中々会えなくなって久しかったのですが、今日、会ってすぐにうれしそうに話してくれました。「朝食抜きやってるよ~!お陰で体力がついたよ。子どもが病気しても、病院も行かずに、ホメオパシーでがんばってるよ。」そして、年末に咳が続いていたけど、ホメオパシーと漢方薬でどうにか乗り切ったそうです。治りかけた頃、健診があり、お医者さんに「肺炎だったようですね。ほぼ治癒してますが。」と言われた…と笑っていました。「そんなこんなをずっとあなたに話したくて、会いたかったよ~。」と言われました。うれしいものです。共鳴する人がいると。がっかりさせたり、喜ばせたり、神様はどちらの体験も準備してくださっているのですね。
2006年04月02日
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先日、家族みんなで観にいきました。ストーリーは、素直にとても面白かったです。CGだと思うけど、実写ではあり得ないシーン満載で、刺激的な部分もあって、純粋に娯楽映画として楽しめました。でも、驚いたことに、私は最初の10分以内にボロボロ泣いてしまったんです。イントロで泣いてたのは、館内で私だけだったかも。間違いなく母である我が身を自覚した、10分間でした。また、100年も冬に閉ざされていたナルニア国に春が訪れた時の、人々の喜びが、本当の冬の厳しさを知らないお気楽な亜熱帯人には、実感としてどうしてもわからないんだよなぁと思ってしまいました。英語の「春」は、spring。「ばね」と同じ言葉です。映画を観ながら、大学時代に英文学の教授が話していたことを思い出しました。「イギリスで春を迎えてみて、初めて、なぜ同じ言葉なのか理解できた」と。沖縄は今日も、春?それとも夏?っていう陽気です。
2006年04月01日
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春休みに入ってから、息子たちはの~んびりと過ごしています。春休みなので、宿題はなし。母がこんな人なので、勉強する人もなし。じいちゃんの農作業の手伝いしたり、うちでごろごろ本や漫画を読んだり、将棋を指したり、外でキャッチボールしたりして過ごしています。特に「休み!」って感じのイベントはまだなし。まあ、これはこれで休みらしくていいのだけれど。でも、ずっと忙しかった夫が、今日から4日間お休みをとれることになりました。明日は、トランポリン、土曜日は将棋の日、日曜日は人出が多い…ので、必然的に街へ出るなら今日。それで昨夜、「明日は映画館へナルニヤを観にいこう!」ということに。我が家が映画へ行くと、散財するので、年に1度か2度のイベントです。晩ご飯を食べながら、みんなでわいわいと作戦会議。「沖縄の人はみんな朝が弱いから、やっぱり朝1番だよ。」「え~っと、ナルニヤは…10時からやってるよ。」「ねぇ、美浜がいい?那覇がいい?」「お昼ご飯はどこで食べるの?」「コスタビスタ!」「またお母さんはすぐ外食しようとする~。」「映画が○○円かかるでしょう~、コスタビスタだと○○円でしょう~…合計○○円だよ!」「あっ、この映画の特別割引券、学校から貰ってたでしょう?あった、あった!」「この映画の主役の兄弟って、4人だ。うちみたいね。」「ねぇ、割引になる分でポップコーン食べられるね。」「おかぁさん、みっちゅ~、ドラえもんがいい~」「あぁ、ドラえもんはね、みんながねぇ…」「いや。みっちゅ~、ドラえもんはビデオでいつか借りてあげるよ。」10分くらいこの調子でわいわいと盛り上がり、早々と今夜は寝るぞ!ということになりました。「ナルニヤ国物語」、まだ観てないけど、すでに昨夜のあんなこんなでかなり楽しんだ感あり。楽しみなことって、ほんと、計画段階の楽しみも大きいなぁと思ったのでした。
2006年03月30日
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縫い物好きです。もし、私がインディアンなら、第2の名前は「縫い物する女」かも。でも、パッチワークとかぬいぐるみとかそういう上品なのではなくて、実用品オンリー。貧乏性なのでしょうね。…で、今は、布ナプキン作りにはまっています。布ナプキン。自分自身はもう使い始めて4年くらい。MOMさんのHPで紹介されていた「魔法のナプキン」という小冊子を読んだのがきっかけでした。無漂白ネル地を長四角に切って、短めの長四角のを真ん中に重ねます。そして周りをロックミシンでタッタカタッタカと。それを三つ折りにして使います。その心地よさは、素晴らしくて、一度使ってみると、もう元のケミカルナプキンには戻れません。私は、試供品を含めケミナプの使い残しがタンスの中に少しあったのですが、布ナプを使い始めてからこの4年、そのケミナプを一度も(!)使っていません。そのくらい気持ちのいいものなのです。出来るだけたくさんの女性にこの心地よさを味わって欲しくて、最近行われた環境講演会の時に販売するために、ボランティアで数十枚縫いました。その時の楽しい勢いで、妹や友人にも縫って分けました。「これが仕事になったら、幸せだなぁ~。」と感じたので、取りあえず、「4月からは布ナプキンやさんになろうと思う。」と、あちこちで口にしていました。そしたら、使ってみた友人からも「もっと縫って!」と注文が。妹からは、「ここをこうしたら、もっといいのだけど」と注文が。で、市販のやつみたいに羽をつけてみたり、スナップつけてみたり。またその工夫が楽しいのです。何かこの勢いで、本当に布ナプキンやさんになれそう。ふ~ん。やりたいことは、取りあえず口に出してみるもんですね。そのうち、ネットでも販売しようかなぁ~。(これも取りあえず、言ってみる)
2006年03月27日
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実家の母は、何でも自分でやろうとする人です。家事全般はもちろん。あまり器用でない父の代わりに、ちょっとした大工仕事もしていたし、祖父が倒れてから後は、なれない畑仕事にも精を出していたものです。寝たきりの曾祖母の介護をしていたし、病気の実弟を、毎週毎週看に行ったりもしていました。小さい体のどこにそんなパワーがあるのかと思うくらい、若いときは朝から晩までずっとくるくると働いていました。とにかくこれまでずっと、人のために働いてきた人なのです。そんな母も、この頃持病が悪化して、自分で出来ないことが増えてきました。結果、人の手をかりないといけません。でも、やはり、自分で出来ない悔しさと、人に迷惑をかけたくないという気持ちで、なかなか「これ、お願い」と口に出して頼むことができないようです。そしたら、10年以上前からお世話になっている鍼灸院の先生に言われたそうです。「あなたは、今まで他人のために働いて、功徳を積んできたでしょう? 自分のことを省みずに、他人に尽くした結果が、この身体でしょう? 今度は、周りの人に功徳を積ませる番よ。」あまり人の言うことを聞かない頑固な母が、「本当にそうかもしれないと思ったよ。」と、しみじみ言っていました。人の手をかりるのは、他人に迷惑をかけることではなくて、相手に功徳を積ませること…そう考えると、素直に人の手がかりられるかも…私も、そう思いました。
2006年03月25日
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