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久しぶりの日記なのにすみません。震災の被害にあわれた方へお見舞い申し上げます。仙台在住ですが家族全員無事でした。 3週間経ちました。え?まだ??ってのが、正直な感想。 毎日ニュースで悲惨な状況が放送されて目をそむけたくなる。 仙台なんか雪降らないのにこんな時に限って積もりやがる。 寒いだろうな 箇条書きですが記録で残しておきたいので覚えている範囲で。 3月11日 前夜に康平が吐く。 午前中に病院にいく。 鼻水もあるので風邪薬も貰う。 吐いたので水分&OS1をいっぱい買う。 次の日、千鶴の卒園式。 午後から謝恩会&夜飲み会で康平を旦那に預けるため、パンを買い込む。 月曜日から旦那が福島へ出張だったのでお金を大量に下ろす。 家に帰って康平昼寝。 起きる。 千鶴、本当は午前保育。 でも康平を病院に連れて行きたいのでお弁当持たせて延長保育。 次の日も食べれるように夜ご飯シチュー。 シチュー作り。 その最中に地震が起きた。 最初、カタカタと言い始めた時、2日前にも地震があってその程度だと思って食器棚を押さえたの。 でも押さえていられなくなり立ってられなくなって、出口のとこに康平がいたから康平を守るので精一杯だった。 押し入れタンスは落ち、食器棚・釣り戸棚から食器その他もろもろ落ちまくり、植木鉢は倒れ、冷蔵庫は全部開いて中の卵とか他の食材もいろんなものが吹っ飛んだ。 落ち着いてからバックを持って外に飛び出した。 この時、バックには本当にたまたまだけど病院に行った薬、保険証、康平が吐いたから大量の水、パン、お金が入っていた。 康平の薬、水があって本当によかった。 本当に助かった。 このとき、康平が吐いたりしたシーツとか洗ってる最中で洗濯機が止まったまま・・社宅のみんなが外に出てきてた。 でもそのあとも余震で社宅はミシミシと音を立てて揺れて本当に怖かった。 旦那(東北電力)から安否確認のがきて返事を打とうとしても手が震えてうまく打てなかった。 旦那や電力の人達が徒歩5分の技術センターから安否確認にきた。 私と康平を確認した旦那の第一声。 『千鶴は?』 そう。千鶴がまだ幼稚園にいたのだ。 『当分帰ってこれない』 旦那はそう言って仕事に行った。 私は康平をおんぶして千鶴を迎えに行くため、おんぶ紐とか防寒具を取りに部屋に戻ったけど皿が散乱して危なかったので土足で部屋に入った。 車で出かけてた社宅のママ友が慌てて帰ってきて信号が全部消えてて危ないからって教えて貰った。 自転車で千鶴を迎えに行った。 園庭で延長保育のお友達みんなで固まって千鶴が待っててくれた。 無事で本当に本当によかった~。 それから千鶴と歩いて帰ったけど、いろんな店がガラスが割れてて怖かった。 やっぱりなと思ったけど、セブンイレブンは立ち入り禁止だった。 社宅の人達が、家に入れないって小学校へ避難しに行ってたから小学校へ直行した。 社宅の人達、避難が一番最初だったから運動マットを敷いててくれた。 運動マットを敷いても本当に底冷えして寒かった。 皆さん寒くて大変だろうなって本当に思う ラジオを聞いて驚いた。 震源が宮城県沖じゃなく三陸沖だって… あんなに揺れたのに… 夜、買っておいたパンをみんなで分けて食べた。 でもこれから避難が続くかもしれない…と思って半分しか食べさせられなかった。 千鶴は余震があるたびに怖かったらしく毛布をずっとかぶっているうちに寝てしまった。 康平も寝てくれた。 でも私は寒くて怖くて人が密集して足も伸ばせる状態じゃなくて夜眠れなかった。 次の日の朝、朝刊を見て本当に絶句した。 千鶴が幼稚園で地曳き網に行った閖上港が何もない写真だった。 うちの近所の橋を渡ればすぐ隣の区の若林区。 壊滅的で助けられない状況。 信じられなかった。 社宅の人達と子供たちを交代で体育館で見ながら社宅に一旦帰って片付けに行った。 車で携帯の充電をして毛布とか懐中電灯とかオムツとか持てるもの持った。 生卵10個全部ベチャーと床になってたのでそれは片付けた。 でも片付けられるレベルじゃなかったから次の日も小学校に泊まった。 鍵を閉めてるのに、部屋全部の窓が地震で開いた。 後から聞いたけど旦那は地震のあった時、会社にいてテレビを押さえたけど押さえきれず落ちてきてブラウン管のテレビの角で手首をザックリ切ってた・・ みんな地震の時はモノを押さえないですぐ机の下へ。 旦那のいつも行ってる現場が三井アウトレットの隣の変電所。 そこも津波にやられた。 いつも一緒に行ってる同僚がその現場で津波から逃げて夢メッセに逃げて助かった。 高速道路で津波が止まった。 二日目の朝、康平を泣かせないようにうるさくしないように気をつけてたつもりだったけれどちょっとだけ泣いて起きたら爺さんに 『うるせーんだよ!!!!』 って二回叫ばれた(泣) 一日目二日目はワカメご飯やおかゆが支給されていた。 でも3日目の朝は食料を作る燃料がないのでバナナ一本。 水ももう配られなかった。 もうここに子供たちを置いておけないと思った。 実家では落ち着いてからと思ってたらしいけど、来て欲しいとお願いした。 その次の日からだ。 ガソリンが周りから消えた。 4時間あれば実家からゆっくり社宅に着くけれど、9時間かけてきてくれた。千鶴と康平にもう会えなくなるかも・・と思って泣けてきたけど、旦那も仕事頑張ってるし社宅もすごいことになってて片付けなきゃ住めない状態だったから子供達をお願いした。 三日目かな。電気がついた。 拍手してしまった。 プロパンガスも水も使えた。 でもガスが壊滅的な多賀城市の会社で連絡がつかない。 これからガスがなくなったらどうしようと思って3日に一回しかお風呂に入ってません。 今、まだ震災から一回も入れない人達がいるからいいのだ。 旦那も会社に泊まってたけど帰ってきて会うことが出来た。 千鶴の入学式は4/11に決定した。 卒園式は、未定。 やってあげたいけど、幼稚園がガラスが割れたり県外に避難してるお友達が多数なので多分出来ないと思う 『小学校6年間、育てて頂きありがとうございました。津波からも守って頂き親元に返して頂き、この守って頂いた命今度は保護者一同で守ります』 テレビで宮古の小学校の卒業式で保護者の挨拶。 泣けた。 千鶴と康平を実家にお願いしてる間、家の片付けしたり、並ばないと買い物に行けなかったので社宅の子供たちを預かったり、まだ避難してる同僚の家族の人達におにぎり握って持たせたり、被災してるとこに家族がいる人達から着のみ着まま逃げてきたから子供服や大人の服が欲しいと言われて声かけてかき集めたり。 私でも何か出来ることがあるからがんばれた。 千鶴と康平は秋田の実家でいい子にしてくれてたみたい。 千鶴も地震で不安で仕方なかったと思う。 体育館で友達と遊んでてもすぐ泣いた。 『地震でお父さんも社宅も大変だから秋田に行って爺さん婆さん、姉ちゃん(←私の妹)の言うこと聞いて待っててくれる?』と聞いたら『うん』って言ってくれた。 でも秋田に避難する車の中で千鶴が『お母さん~』と泣いてくれて。 『やっぱりお母さんと仙台に残ればよかった』とも言ってくれて。 避難してて交代で片付けしてる時、温かいワカメご飯が支給されて食べてていいよって言ったのに 『お母さんのこと待ってる』って食べないで待っててくれて。 でも実家に電話すると『今、テレビ見てるから~』って電話に出てくれなかったり(笑) 康平も一歳10ヶ月全く仙台じゃ全く歩かなかったのに、実家に行ってすごく歩くようになった。 3月27日にやっと秋田行きのバスの予約が出来たので帰りました。 中二日だけの滞在だったけれど、温泉に入ってラーメン食べて寿司食べて生ビール飲んで充電完了した。千鶴と康平も実家に送られて仙台に帰ってきました。地震以来初めて家族が揃った。家族みんなで暮らせるように頑張りました。 みんなに支えられて協力しあって頑張れてます。 小学校で避難した際、助けてくださった先生方、家族もいただろうに配給を手伝ってくれた方、本当に感謝仕切れません。ありがとうございました。仙台の復興を心より応援致します!
2011.04.02
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