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本名ジョルジョ・グイディ (Giorgio Guidi) 1937年2月20日ミラノの北隣の小都市メダ(Meda)生、歌手、俳優、司会者、プロデューサー。
父ジョヴァンニ・グイディは戦前からテノール歌手ニーノ・ダウレリオの芸名でフォニットからレコードを出していました。1946年アメリカに移住し、ジョヴァンニは幼年期をアメリカで過ごし、マンハッタン芸術高校で音楽を学び、ジョニー・ドレルリの芸名でテレビ タレントの大会で好成績を残し有名なTVの音楽番組にも出ていました。
アメリカで51年14才の時“Arrotino/Famme durmì”を歌いRCA VICTORからデビュー。55年にイタリアに戻り、テディ・レーノのCGDと契約しアメリカのカバー曲を歌いイタリア・デビューをしました。他の歌手とは違う、洒落たアメリカ風な歌い方で人気が出てきました。
最初のヒット曲は56年の映画の挿入曲“Calypso melody”でした。1957年彼はヌッチア・ボンジョバンニと共にマリオ・リーヴァの「Musichiere」というRAIの音楽番組出演ができました。
58年サンレモ音楽祭初出場でドメニコ・モドゥーニョと“ヴォラーレ”を歌い初優勝、翌59年も同じ組合せで“チャオ・チャオ・バンビーナ(Piove)”が連続優勝しました。多くの芸術的価値と商業的な成功を得ましたが、ドモゥーニョの勢いに押しつぶされないように、身を守りました。
サンレモ音楽祭には58年優勝曲の“ヴォラーレ”の他に2曲(内1曲は10位入賞)、翌59年は“チャオ・チャオ・バンビーナ”が優勝、60年2曲、62年2曲、63年2曲、67年(9位)、68年(参加)、69年(8位)、2007年(入賞)と好成績を残しています。
サンレモの連勝でTVのレギュラー出演が決まり、59年から60年の夏にクァルテット・チェトラやゴルニ・クラメール楽団との仕事が入りました。その間、58年にNo.1ヒットの“マイ・ファニー・バレンタイン”、“桃色のくちびる”、59年にNo.1ヒット“ユリア”、“ポルトフィーノの恋”、“ピノキオへの手紙”も61年にNo.1ヒットにしています。
ジョニー・ドレルリの国内盤
20F-1003 (1959年7月 20th. CENTURY-FOX - 日本ビクター) ユリア (JULIA)/桃色のくちびる (BOCCUCCIA DI ROSA)
20F-1003
IS-1002
IS-1002 (1960年7月 KING INTERNATIONAL - キング) ロマンティック女 (ROMANTICA)/二人よ永遠に (NOI)
IS-1004 (1960年6月 KING INTERNATIONAL - キング) 悲しみよさようなら (FELICITA)/オルフェの歌 (LA CANZONE DI ORFEO)
IS-1004
IS-1017
IS-1017 (1961年3月31日 CGD - キング) バラ色の森[英] (THAT WAS THE OLD VIENNA [E])/ウィーンのほほえみ[英] (A SMILE IN VIENNA [E])
IS-1028 (1962年1月15日 CGD - キング) 君がひとみに (I TUOI OCCHI)/二人のメロディー (LA NOSTRA MERODIA)
IS-1028
IS-1033
IS-1033 (1962年3月10日 CGD - キング) モンテカルロ (MONTECARLO)/ルナ・ルナ・ル (LUNA LUNA LU)
IS-1038 (1962年4月10日 CGD - キング) ピノキオへの手紙 (LETTERA A PINOCCHIO)/可愛いぼくの恋人よ(CARA CARA MIA)
IS-1038
HIT-1167
HIT-1167 (1965年2月 SEVEN SEAS - キング) それは九月だった (ERA SETTEMBRE)/ピノキオへの手紙(LETTERA A PINOCCHIO)
HIT-1424 (1967年3月20日 SEVEN SEAS - キング) 涙に咲く花 (L'IMMENSITA')/夢みる夜(AL BUIO STO SOGNANDO)
HIT-1424
HIT-1473
HIT-1473 (1967年11月1日 SEVEN SEAS - キング) 涙に咲く花 (L'IMMENSITA')/涙に咲く花 [日] (L'IMMENSITA' [J])
HIT-1612 (1969年4月 SEVEN SEAS - キング) 恋の遊び(IL GIOCO DELL'AMORE)/恋の遊び(IL GIOCO DELL'AMORE) カテリーナ・カセルリ (CATERINA CASELLI)/ジョニー・ドレルリ
HIT-1612
MH- 142 (1964年2月 SEVEN SEAS - キング) カンツォーネを聞こう第2集 (CANZONE! CANZONE! CANZONE! Vol.2) 30cmLP
1愛のシャリオ
2アル・ディ・ラ
3黒い瞳に青い空
4恋はロマンティック
5リコルダーミ
6海のタンゴ
7やさしい情熱
8ヴォラーレ (NEL BLU DIPINTO DI BLU)
9チャオ・チャオ・バンビーナ (PIOVE)
10.恋のブルース (IO SONO IL VENTO)
11.ピノキオへの手紙 (LETTERA A' PINOCCHIO)
12.何でもないさ (NON COSTA NIENTE)
13.ロマンティカ (ROMANTICA)
14.ひきだしの中の海 (IL MARE NEL CASSETTO)
1~7ベティー・クルティス (BETTY CURTIS); 8~14ジョニー・ドレルリ
MH- 142
SR- 326
SR- 326 (1970年4月10日 SEVEN SEAS - キング) 涙に咲く花/ジョニー・ドレルリ (JOHNNY DORELLI) 30cmLP
1.涙に咲く花 (L'IMMENSITA')
2.秋風の頃 (PROBABILMENTE)
3.君に生きる (NON E' PIU' VIVERE)
4.夢みる夜 (AL BUIO STO SOGNANDO)
5.花のためいき (RUBERO' IL RESPIRO DEI FIORI)
6.スカリナテッラ (SCALINATELLA)
7.夜のストレンジャー (SOLO PIU' CHE MAI)
8.それは九月だった (ERA SETTEMBRE)
9.雪 (LA NEVE)
10.狂った蝶々 (LA FARFALLA IMPAZZITA)
11.あなたの瞳 (I TUOI OCCHI)
12.アリヴェデルチ・ローマ (ARRIVEDERCI ROMA)
13.君にふたたび (NON RIVEDERTI PIU')
14.恋の遊び (IL GIOCO DELL'AMORE)
コンピレーション(オムニバス)
17M-1012 (1964年10月1日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモのすべて第3集 (TUTTE LE SAN REMO Vol. 3) 17cmCP
2. ヴォラーレ (NEL BLU DIPINTO DI BLU)
4. チャオ・チャオ・バンビーナ (PIOVE)
17M-1012
PS- 8
PS- 8 (1967年4月20日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭’67第3集 (FESTIVAL DI SAN REMO 1967 Vol.3) 17cmCP
1.涙に咲く花 (L'IMMENSITA')
PS- 62 (1968年4月 SEVEN SEAS - キング) 第18回サン・レモ音楽祭第2集 (SAN REMO 1968 Vol.2) 17cmCP
4.狂った蝶々 (LA FARFALLA IMPAZZITA)
PS- 62
IF- 5 (1962年2月10日 CGD - キング) ナポリ民謡祭 (FESTVAL DI CANZONE NAPOLITANA 1961) 25cmLP
2.九月はぼくと (SETTEMBRE CU ME)
5.泣かないで (NUN CHIAGNERE)
IF- 5
IF- 7
IF- 7 (1962年5月25日 CGD - キング) 1962年サンレモ国際音楽祭 (SAN REMO 1962) 25cmLP
4.大きな雨傘 (L'OMBRELLONE)
7.恋人よ今日は (BUONGIORNO AMORE)
ジョニー・ドレルリの後半は次の機会に続きます
★クリスティーナ・ヨリオ (vf) Cristina Jorio
本名クリスティーナ・タヴォラッツィ(Cristina Tavolazzi)、1928年7月18日ヴェネチアとサンマリノの中間にある小都市アルフォンシーネ生、1950年代の歌手。
父はメッザーノのエリダニア砂糖工場の労働者、母親はお針子、7人兄弟の3番目でした。クリスティーナは美しい声を持っていたのでオペラが好きな父に励まされ、16 歳の時にルーゴ(Lugo)のティナ・ブリーニ(Tina Brini)の学校で歌うため送出されました。終戦後、彼女が20歳になった頃、人前で歌うのは初めてでしたが、ラヴェンナで行われたコンテストで優勝しました。
1950年頃、ラヴェンナのGrotta Verde di Marinaでアストリア楽団にいたギラリスト、エウジェニオ・ヨリオ(Eugenio Jorio)に会い結婚します、彼女は夫の姓を芸名にしました。54年の夏にミラマーレ・ディ・ベッラリーアに来ていたジョヴァンニ・ダンツィ(Giovanni D'anzi)が彼女の声を聞き、見出しました。彼女は“ジョニー ギター(Johnny Guitar)”を歌いV.C.M.のV.d.P.と契約とすることになります。
彼女はあるトラブルからサンレモ音楽祭に関わります。57年第2夜に歌われる“美しきもの(La cosa piu' bella)”がヨリオの歌で先にレコードが出てしまい、この曲は初の失格となりました。しかし彼女には何のお咎めもなく翌58年初で唯一のサンレモ音楽祭で2曲歌いました。
60年代に古巣V.d.P.からJET INTERNATIONAL、COMBO とマイナー・レーベルでレコードを出しましたが63年頃には引退をし家庭に入りました。
クリスティーナ・ヨリオの国内盤はありません
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