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★クェッリ , {イ・} (compl) Quelli,{I}
フランツ・ディ・チョッチョ (Franz Di Cioccio) が1964年に結成したビートニック・バンド、70年に解散し、71年にイタリアを代表する世界的プログレッシブ・バンドP . F . M . となり現在まで活動を続けています。
SRL-10 ・
544
活動期間: 1964 年 -1970 年 , 2007 年
所属レコード会社: Ricordi
サンレモ音楽祭出場 0 回 : 1971 年第3位 ( フランツ・ディ・チョッチョはヌオヴァ・エキペ84のメンバーとして )
まずは現在もP.F.M. のフロント・マンを続けているクェッリの結成メンバーであるフランツ・ディ・チョッチョの生い立ちから始めていきましょう。
フランツ・ディ・チョッチョはローマの東方の山中にある小さな町プラートラ・ペリーニャに生まれ、幼少期を過ごしますが、ミラノに移りました。そこでオーボエ奏者をしていた父はリタ・ペコラロと知合い、支援を受けフランツも音楽の道に入りました。
彼がドラムスをし、ギタリストのピノ・ファヴァローロとベーシストのトニー・ジェスアルディの3人に、ほんの一時期所属していたサックスのアウグスト・ロ・バッソ (Augusto Lo Basso) でブラック・デヴィルス (Black Devils) というバンドを組みました。
64年バンドは当時フォーク・ロック路線で活動を始めていた ジャン・ピエレッティ (Gian Pieretti) からバック・バンドになるオファーがありました。バンドにギタリストがいなかったのでピエレッティがフランコ・ムッシーダを紹介し加入させ、バンド名もグリフォーニ (I Grifoni) と改めました。ジャン・ピエレッティの仕事仲間でイタリア・ロック・ン・ロール創成期を担った リッキー・ジャンコ (Ricky Gianco) の紹介でリコルディ (Ricordi) と契約することが出来ました。
その後リッキーは本名のリッカルド・サンナ( Riccardo Sanna )の名前で彼らのプロデューサーとなりシングル盤の制作に関わります。
さらにデモニャーチ (I Demoniaci) からヴォーカルとして一時 ウィルマ・ゴイク (Wilma Goich) の婚約者でもあったテオ・テオコーリ (Teo Teocoli) を迎えました、5人編成のバンドとなりました。
フランコ・ムッシーダの事はP.F.M. になってから1項目を設けて詳しく書きますが、ここでは生い立ちだけを紹介しておきましょう。
ムッシーダは1947年3月21日ミラノで生まれ。9才の時にギターを弾きはじめ、熱心な音楽好きの父にその才能を認められ、私立学校で5年間本格的にクラシック・ギターを学びました。卒業後61年、わずか14才でトゥット・ペル・イ・ラガッツィ (Tutto per i Ragazzi) に参加し欧州ツアーに出かけています。
結成メンバー ( 太字は P.F.M. [ Premiata Forneria Marconi] メンバー )
・フランツ・ディ・チョッチョ (Franz Di C ioccio)ドラムス ( 在籍 1964-1970) 1946 年 1 月 21 日ローマの東40 km 山中にある小さな町プラートラ・ペリーニャ (Pratola Peligna) 生
・フランコ・ムッシーダ (Franco Mussida) ギター、ヴォーカル ( 在籍 1964-1967 e 1969-1970) 1947 年 3 月 21 日ミラノ生
・ピノ・ファヴァローロ (Pino Favaloro) ギター、ヴォーカル ( 在籍 1964-1969)
・トニー・ジェスアルディ (Tony Gesualdi) ベース ( 在籍 1964-1966)
65年リコルディはボブ・ディラン (Bob Dylan) の曲“ミスター・ダンブリンマン (Mr.Tambourine Man) ”をヒットさせたバーズ (Birds) に似ていたので、彼らのカヴァーでデビューを提案します。彼らはフランコ・ムッシーダの作った2曲“風と共に去りぬ”、“今になって、君は泣く”を主張しました。しかしクレジットはSIAEの登録しているジャン・ピエレッティとリッキー・ジャンコの作詞・作曲に変更されていました。
SRL-10 ・ 409 (1965 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Via Con Il Vento ( 風と共に去りぬ )/Ora Piangi ( 今になって、君は泣く )
SRL-10 ・
409
SRL-10 ・
443
SRL-10 ・ 443 (1966 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Una Bambolina Che Fa No No No (La Poupée Qui Fait Non) ( ノンノン人形 ) /Non Ci Sarò (I Can’t Let Go) ( アイ・キャント・レット・ゴー )
66年2枚目のシングル盤を出します。フランスで衝撃的なデビューをしたミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff) のその曲をイタリア語カヴァーした“ノンノン人形”とイギリスのホリーズ (Hollies) が出した“アイ・キャント・レット・ゴー”のカヴァーでした。
実はこの前にもう1曲カヴァー曲を吹込んでいます。それは新人歌手の『お仕事』、66年サンレモ音楽祭のコンピレーションを作るため、他社の歌手が歌った曲をカヴァーすることでした。クェッリはクラン・チェレンターノ (Clan Celentano) の リベルリ (I Ribelli) の出場曲“あなたのために (A La Buena De Dios) ”でした。
バンドに初めてのメンバー交代が起きます。ベースのトニー・ジェスアルディが去り、その後P.F.M. のメンバーともなるジョルジョ・ピアッツァ (Giorgio Piazza) が加入します。
翌67年初めキーボードのフラヴィオ・プレーモリがバンドに加入しますが、ギターのフランコ・ムッシーダが兵役のため2年間海軍に入隊することとなり、代役としてアルベルト・ラディウスも参加しました。
67 年のメンバー (太字は P.F.M. [Premiata Forneria Marconi] メンバー)
・ フランツ・ディ・チョッチョ (Franz Di Cioccio) ドラムス ( 在籍 1964-1970)
・ピノ・ファヴァローロ (Pino Favaloro) ギター、ヴォーカル ( 在籍 1964-1969)
・テオ・テオコーリ (Teo Teocoli) ヴォーカル ( 在籍 1966-1967) 本名アントニオ・テオコリ (Antonio Teocoli)1945 年 2 月 25 日長靴の踵の付根辺りにある中都市タラント (Taranto) 生、歌手、後にコメディアン、物真似芸人、TV司会者、俳優。
・ジョルジョ・ピアッツァ (Giorgio Piazza) ベース ( 在籍 1966-1970)
・フラヴィオ・プレーモリ (Flavio Premoli) 鍵盤楽器 ( 在籍 1967-1969) 本名フラビオ・フランコ・プレモリ (Flavio Franco Premoli)1949 年 4 月 1 日ミラノの北北西30 km にある小都市ヴァレーゼ (Varese) 生
・アルベルト・ラディウス (Alberto Radius) ギター、ヴォーカル ( 在籍 1967-1969) 1942 年 6 月 1 日ローマ生、フォルムラ・トレ (Formula 3) の結成メンバー
3枚目のシングルはA面がタートルズ (Turtles) の“ハッピー・トゥゲザー”、B面がミッシェル・ポルナレフの“君は友達”のカヴァーで、録音メンバーはフランツ・ディ・チョッチョ、ピノ・ファヴァローロ、ジョルジョ・ピアッツァ、フラヴィオ・プレーモリ、アルベルト・ラディウスでした。テオ・テオコーリは“ハッピー・トゥゲザー”が67年年間ヒット・ランク96位となるヒットした途端にソロ歌手になるためクェッリを脱退したので、クレジットされていないようです。
SRL-10 ・ 459 (1967 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Per Vivere Insieme (Happy Together) ( ハッピー・トゥゲザー )67#96/La Ragazza Ta Ta Ta (Ta-Ta-Ta-Ta) ( 君は友達 )
SRL-10 ・
459
SRL-10 ・
479
SRL-10 ・ 479 (1967 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Tornare Bambino (Hole In My Shoe) ( ホール・イン・マイ・シュー )/Questa Città Senza Te (Even The Bad Times Are Good) ( イーヴン・ザ・バッド・タイムス・アー・グッド )
4枚目のシングルもカヴァー曲となりますA面がトラフィック (Traffic) 、B面もトレメローズ (Tremeloes) のカヴァー曲でした。
5枚目は久々のオリジナル曲です。A面“変な気がした”は68年夏のディスク・フェスティヴァルの参加曲、B面“髪の毛の口述筆記”は映画「 Capriccio All'Italian 」の挿入曲でした。
SRL-10 ・ 502 (1968 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Mi Sentivo Strano ( 変な気がした )/Dettato Al Capello ( 髪の毛の口述筆記 )
SRL-10 ・
502
SRL-10 ・
525 
SRL-10 ・ 525 (1968 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Lacrime E Pioggia (Rain And Tears) ( 雨と涙 )/Nuvole Gialle ( 黄色い雲 )
6枚目のA面はヨーロッパで大ヒットしたアフロディテス・チャイルド (Aphrodite's Child) の“雨と涙”でした。B面はピエロ・ソフィッチ (Piero Soffici) 作曲、モゴール (Mogol) とアスクリ (Ascri) の作詞のオリジナル曲ですが、ここまでくればクェッリはカヴァー・バンドの印象は拭えなくなります。
SRL-10 ・ 544 (1969 年 Ricordi – Dischi Ricordi) Dici (Dizzy) ( 君は云う / ディジ- Tommy Roe) /Marilù ( マリールー ) ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
69年7枚目は兵役を終えたフランコ・ムッシーダが戻ってきてトミー・ロウのヒット曲“ディジ-”のイタリア語カヴァー“君は云う”のカヴァー、B面は第8回カンタジーロ・ジローネB出場曲でフランコ・ムッシーダとピノ・ファヴァローロの共作です。やっとバンド・メンバーのオリジナル曲が出せました。
そしてムッシーダの代役を務めたアルベルト・ラディウスはクェッリを去り、 フォルムラ・トレ (Formula 3) をトニー・チッコ( Tony Cicco )とガブリエレ・ロレンツィ( Gabriele Lorenzi )と共に結成します。
クェッリの国内盤
SH- 231 (1966 年 5 月 SEVEN SEAS - キング ) 30cm LP 第 16 回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1966)
5 . あなたのために (A LA BUENA DE DIOS)
SH- 231
SR- 176
SR- 176 (1966 年 5 月 SEVEN SEAS - キング ) 30cm LP ヒット・パレ-ド・イン・イタリ-第1集 (HIT PAREDE IN ITALY Vol.1)
3 . ハッピ-・トゥゲザ- [伊] (PER VIVERE INSIEME)
クェッリ2 ( P.F.M. 2 は次回に続きます
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