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ぐっち0104

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2005.07.23
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カテゴリ: オフィスから
先日、ある出版関連の仕事で、担当者の方にご迷惑をおかけした。
私が記したある原稿の一部に曖昧な表現があり、意思の疎通が図れなかったのである。

という訳で、言葉は非常に大事である。

特に我々のような人前で何かを説明する仕事に就いている人間にとっては、一言一句を大切に発言していかなければならない。

トレーニングの指導中によくある光景だが、あるエクササイズの動作指導に際して、「この“あたり”で肘を固定しましょう!」といった言葉を発することも少なくない。
特に個人指導中に実際の動作を伴いながらの説明では、このような曖昧な表現が多くなるといっても過言ではない。

個人指導中には曖昧な表現であっても十分にお互い確認することが可能となるため、事なきを得ることが多いが、集団指導やセミナー・講習会といった大人数を相手に指導やレクチャーを行なう場合、このような曖昧な表現では適切な情報を提供することは出来ないといえるだろう。

私は日頃から曖昧な表現を極力避けるように指導しているのだが、常に今の表現で目の見えない方にも伝わるだろうか?ということを意識している。
目の見えない方に対しては、言葉の指導力というものが重要になる。


こうして言葉の大切さを考えていたら、ふと昔のことを思い出した。

それは高校時代のある先生のことである。
その先生は、試験に際して「~について説明しなさい。」という問いに対する答えとして「・・・のこと」では不適切であり、一切、点をくれなかった。
その先生の意見は、「・・・のこと」では答えにはなっていない、なぜなら、「・・・こと“である”」のか「・・・こと“でない”」のか分からないからであるというものであった。

いささか屁理屈のようにも感じられるが、自分が発する言葉には責任を持たなければならないことを感じさせられたような気がする強烈な思い出の一つである。

しかも、上記には句点がついていないので、文章の終わりではないということで、誤回答ということになるのである。

いずれにしても、自分の言葉に責任を持つということを改めて痛感した出来事であった。





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Last updated  2005.07.23 22:29:05
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