その中で 渡辺氏の”怒り”
に触れたのは、日本球界初の200本安打を達成した天才バッター イチロー選手のMLB移籍
であった。世論は、オリックス球団の経営状態では、このままイチロー選手の年棒を払い続けることは不可能であること、そして何よりもイチロー選手がMLB行きを望み、それをオリックスファン、野球ファンも後押ししたことで実現する。しかしこのイチロー選手移籍が、渡辺氏の目論みに大きな誤算が生じてくる。
その年の秋は 原辰徳監督
が長嶋遺産で 日本一
になるも、前述した通り巨人は”生え抜き最後の四番” 松井秀喜選手を手放す
ことになる。原辰徳監督は、元々”生え抜き選手”を中心にチーム編成を考えており、更には長嶋野球とは異なる藤田野球を目指していた。それは原監督が巨人入団時は、打ち勝つ野球より、投手が最小点で抑える野球で優勝を重ねた 藤田元司氏の野球に感銘
していたこともあり、そんな所から原辰徳監督を知る人は 藤田派
と言っている。
2003年9月、原巨人は28年ぶりの9連敗を喫した。そして同月9日、渡辺オーナーの懐刀である「野球のド素人」 三山秀昭
氏が突然球団代表(当時)に就任する。三山球団代表は就任早々9連敗を喫した原辰徳監督の”采配”について批判。更に阪神優勝が決定的になったある日、来シーズンの 巨人コーチ人事がフロント主導
で行われることが発覚し 原辰徳監督は猛反発
する。特に三山秀昭球団代表の 「契約が残っていたら(コーチはそこまで)全部やるんですか?」
との発言に大激怒し、翌日辞表を叩き付けた。その後、渡辺オーナーが監督の慰留に努めるも、原辰徳監督の固辞により最後は苦し紛れに「読売の人事異動」とし退団。次期監督に「晴天の霹靂(へきれき)」とコメントした 堀内恒夫
氏となる。
一方、巨人の低迷、混乱の年、関西の球団では思いも寄らぬことが起きていた。03年初頭、関西老舗球団である 大阪近鉄
の親会社 「近畿日本鉄道」
が、バブル期の事業拡大策に失敗していたことが表面化し、2003年3月期連結決算で有利子負債が1兆3000億円に達する。翌2004年大阪近鉄は赤字解消策の一つとして、同年1月31日に球団名から「近鉄」を外して命名権(ネーミングライツ)を売り出すという構想を発表したが、他球団からの猛反発を受けて2月5日に却下。同年5月、 オリックス会長
で球団オーナーの 宮内義彦
氏がオリックス球団との合併を提言する。☆巨人関連記事☆ 『代打屋 ケンちゃん』… 2007年06月01日
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