ここで巨人の歴代オーナーについて紹介する。まず初代は 大正力(だいしょうりき:正力松太郎)翁
(写真右)。戦前、米国からベーブ・ルース率いるアメリカ大リーグ選抜チームを招聘し、アマ野球しかなかった日本に職業野球チーム第一号の「大日本東京野球倶楽部(現読売ジャイアンツ)」を設立したことでも有名である。後に 「巨人軍は紳士たれ」「巨人軍は常勝たれ」
との遺訓が残るが「常勝たれ」の言葉が、後の「渡辺院政-長嶋ライン」で 呪縛
となっていく。
大正力翁は、読売新聞社が軌道に乗ると、ラジオ(後の日本テレビ放送網)にも進出し、いわいるメディア産業の先駆者で、晩年は「プロ野球の父」「テレビ放送の父」と呼ばれた。一方この頃、報知新聞社(後に読売グループ入り)に入社していた、先の 務台光雄
氏(写真左)が、同社の販売局長を務めていたところを、大正力翁にその手腕を認められ読売新聞社に転入させた。その後務台氏は、戦前の東日本エリアで読売新聞の最高発行部数を達成し、戦後は大阪に進出し、関西の地盤を確立すると共にTV時代に備え「読売テレビ放送」を開局させ、読売に務台ありをアピールした。
大正力翁が1969年に死後
、読売新聞社は二代目で子息である 正力 亨
(とおる)氏(写真左中)に権限が委譲、新聞社主、巨人オーナー職を引き継いだ。しかし亨氏は典型的なボンボン気質であることが災いし、同業他社の評判は芳しくなかった。そこで務台氏が後見人として読売本体を支えることになり、実質権力が除々に務台氏に移って行く。
あ
たかも巨人はV9時代も終焉を向かえ、 川上哲治
氏も勇退、そして現役引退を表明した 長嶋茂雄
氏を翌年新監督に迎える。長嶋氏は監督在任6年間で、2度のリーグ優勝を果たすも3年連続で優勝を逃してしまう。更に務台氏が長期入院中に正力亨オーナーが引き起こした、いわゆる 「江川事件」
が勃発する。これが 務台氏不在中の事件
であったことから逆鱗に触れ、務台氏の正力亨氏や長嶋氏への不信感は頂点に達して行く。
そしてついに、成績不振を理由に 1980年10月長嶋氏を解任
、そしてV9監督川上氏の推薦で 藤田元司
氏を後任監督に据えた。しかしこの決断は長嶋ファンから凄まじい反発を招くこととなり、毎日のように抗議の電話が読売本社に殺到、販売部数を減らす羽目になる。それでも 務台氏は終生長嶋氏への不信感
が変わることはなく、長嶋氏の巨人復帰が長引いた最大の原因が、務台氏との確執であり、務台氏の存命中は巨人復帰は無理だった。その後、務台派=川上・藤田という関係が世間に知れ渡り 反長嶋派
が明確になった。長嶋氏は務台読売体制では無用と化した。
渡
辺氏の「球団経営(=球界経営)」の考えは「巨人一人勝ち」の構図である。しかし、日本に定着していた「プロ野球」「大相撲」に継ぐ新たな”プロ組織”「 Jリーグ
開幕(93年)」に「野球人気」が奪われることを懸念する。そこで、まず手始めに務台派である 藤田元司
氏を前年2位の好成績にも関わらず監督の座から引きずり降ろし、渡辺氏が支持する 長嶋茂雄
氏を早々復帰させる。またサッカーも指を咥えていたわけではなく、当時クラブ組織だった「読売クラブ」を「読売ヴェルディ」の名に変え、Jリーグ参戦を表明する。☆巨人関連記事☆ 『代打屋 ケンちゃん』… 2007年06月01日
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