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*ご来場ありがとうございました☆*主宰のブログより転載致しました おかげさまで無事に「happyrize」展終了しました☆沢山の友人・知人に会えて話も出来て新しいお客さんとの出会いもあってでこっちが幸せサプライズ気分の個展となりました。改めて御礼申し上げます。連絡不足でDMお渡しできてなかった方もWEBを見て来て頂いたりで嬉しかったです。次回はもっとDMちゃんと出します。。。郵送連絡出来なかった方々ごめんなさい。まだまだ書きたいことが沢山あるのですがひとまず御礼まで。ありがとうございました☆ happyrize_主宰_nyonyo_拝 happyrize☆okinawa 広報_弓龍_拝 合掌
2009年05月12日
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源氏物語與謝野晶子訳 第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着/はかまぎ の式がおこなわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手/はで な準備の費用が宮廷から支出された。それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌と聰明/そうめい さとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生れてくるものかとみな驚いていた。その年の夏のことである。御息所/みやすどころ /皇子女の生母になった更衣はこう呼ばれるのである はちょっとした病気になって、実家へさがろうとしたが、帝はおゆるしにならなかった。どこかからだが悪いということはこの人の常のことになっていたから、帝はそれほどお驚きにならずに、「もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよい」といっておいでになるうちにしだいに悪くなって、そうなってからほんの五六日のうちに病は重体になった。母の未亡人は泣く泣くお暇/ひま を願って帰宅させることにした。こんな場合にはまたどんな呪詛/じゅそ がおこなわれるかもしれない、皇子にまでわざわいをおよぼしてはとの心づかいから、皇子だけを宮中にとどめて、目立たぬように御息所だけが退出するのであった。このうえとどめることは不可能であると帝は思召/おぼしめ して、更衣が出かけて行くところを見送ることのできぬご尊貴の御身/おんみ のものたりなさを堪えがたく悲しんでおいでになった。 はなやかな顔だちの美人がひじょうに痩/や せてしまって、心の中には帝とお別れしていく無限の悲しみがあったが、口へは何も出していうことのできないのがこの人の性質である。あるかないかに弱っているのをごらんになると、帝は過去も未来もまっ暗になった気があそばすのであった。泣く泣くいろいろなたのもしい将来の約束をあそばされても、更衣はお返辞もできないのである。目つきもよほどだるそうで、平生からなよなよとした人がいっそう弱々しいふうになって寝ているのであったから、これはどうなることであろうという不安が大御心/おおみこころ を襲うた。更衣が宮中から輦車/てぐるま で出てよいご許可の宜旨/せんじ を役人へお下/くだ しになったりあそばされても、また病室へお帰りになると、今行くということをおゆるしにならない。「死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、私を置いて家へ行ってしまうことはできないはずだ」と、帝がおいいになると、そのお心もちのよくわかる女も、ひじょうに悲しそうにお顔を見て、「限りとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり 死がそれほど私に迫ってきておりませんのでしたら」 これだけのことを息も絶え絶えにいって、なお帝においいしたいことがありそうであるが、まったく気力はなくなってしまった。死ぬのであったらこのまま自分のそばで死なせたいと帝は思召したが、今日から始めるはずの祈祷/きとう も高僧たちがうけたまわっていて、それもぜひ今夜から始めねばなりませぬというようなことも申しあげて方々から更衣の退出をうながすので、別れがたく思召しながらお帰しになった。 帝は、お胸が悲しみでいっぱいになって、お眠りになることが困難であった。帰った更衣の家へお出しになる尋/たず ねの使いはすぐ帰って来るはずであるが、それすら返辞を聞くことが待ちどおしいであろうと仰/おお せられた帝であるのに、お使いは、「夜半過ぎにお卒去/かくれ になりました」といって、故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると、力が落ちてそのまま御所へ帰って来た。 更衣の死をお聞きになった帝のお悲しみは非常で、そのまま引籠/こも っておいでになった。その中でも忘れがたみの皇子はそばへ置いておきたく思召したが、母の忌服/きふく 中の皇子が、けがれのやかましい宮中においでになる例などはないので、更衣の実家へ退出されることになった。皇子はどんな大事があったともお知りにならず、侍女たちが泣き騒ぎ、帝のお顔にも涙が流れてばかりいるのだけをふしぎにお思いになるふうであった。父子の別れというようなことはなんでもない場合でも悲しいものであるから、この時の帝のお心もちほどお気の毒なものはなかった。 合掌 【 ハピライズ☆展 】
2009年05月10日
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源氏物語與謝野晶子訳紫のかゞやく花と日の光思ひあはざることわりもなし晶子 どの天皇様の御代/みよ であったか、女御/にょご とか更衣/こうい とかいわれる後宮/こうきゅう がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深いご寵愛/ちょうあい を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力にたのむところがあって宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちはまして嫉妬/しっと の炎を燃やさないわけもなかった。夜の御殿/おとど の宿直所/とのいどころ からさがる朝、つづいてその人ばかりが召される夜、目に見、耳に聞いてくやしがらせた恨みのせいもあったか、からだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へさがっていがちということになると、いよいよ帝/みかど はこの人にばかり心をおひかれになるというごようすで、人がなんと批評しようとも、それにご遠慮などというものがおできにならない。ご聖徳を伝える歴史の上にも暗い影のひとところ残るようなことにもなりかねない状態になった。高官たちも殿上/てんじょう 役人たちも困って、ご覚醒/かくせい になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどのご寵愛ぶりであった。唐/とう の国でもこの種類の寵姫/ちょうき 、楊家/ようか の女の出現によって乱が醸/かも されたなどと陰/かげ ではいわれる。今や、この女性が一天下のわざわいだとされるにいたった。馬嵬/ばかい の駅がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気/ふんいき の中でも、ただ深いご愛情だけをたよりにして暮していた。父の大納言/だいなごん はもう故人であった。母の未亡人が生れのよい見識のある女で、わが娘を現代に勢力のある派手/はで な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者たりえた。それでも大官の後援者をもたぬ更衣は、何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。 前生/ぜんしょう の縁が深かったか、またもないような美しい皇子/おうじ までがこの人からお生れになった。寵姫を母とした御子/みこ を早くごらんになりたい思召/おぼしめ しから、正規の日数がたつとすぐに更衣母子/おやこ を宮中へお招きになった。小皇子は、いかなる美なるものよりも美しい顔をしておいでになった。帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生れになって、重い外戚/がいせき が背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌/びぼう にならぶことがおできにならぬため、それは皇家の長子としてだいじにあそばされ、これはご自身の愛子として、ひじょうにだいじがっておいでになった。更衣ははじめから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの軽い身分ではなかった、ただ、お愛しになるあまりに、その人自身は最高の貴女といってよいほどのりっぱな女ではあったが、しじゅうおそばへお置きになろうとして、殿上で音楽その他のお催/もよお し事をあそばすさいには、だれよりもまず先にこの人を常の御殿/おとど へお呼びになり、またある時はお引きとめになって更衣が夜の御殿から朝の退出ができず、そのまま昼も侍/じ しているようなことになったりして、やや軽いふうにも見られたのが、皇子のお生れになって以後、目に立って重々しくお扱いになったから、東宮/とうぐう にも、どうかすればこの皇子をお立てになるかもしれぬと、第一の皇子のご生母の女御は疑いをもっていた。この人は帝のもっともお若い時に入内/じゅだい した最初の女御であった。この女御がする非難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。この女御へすまないという気もじゅうぶんにもっておいでになった。帝の深い愛を信じながらも、悪くいう者と、何かの欠点を探し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無力な家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。 住んでいる御殿は御所の中の東北のすみのような桐壺/きりつぼ であった。いくつかの女御や更衣たちの御殿の廊/ろう を通/かよ い路/みち にして帝がしばしばそこへおいでになり、宿直/とのい をする更衣があがりさがりして行く桐壺であったから、しじゅうながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みが量/かさ んでいくのも道理といわねばならない。召されることがあまりつづくころは、打橋/うちはし とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪いしかけがされて、送り迎えをする女房たちの着物の裾/すそ が一度で痛んでしまうようなことがあったりする。またあるときは、どうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠/じょう がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしがいい合せて、桐壺の更衣の通り路をなくして辱/はずか しめるようなことなどもしばしばあった。数えきれぬほどの苦しみを受けて、更衣が心を滅入/めい らせているのをごらんになると、帝はいっそう憐/あわ れを多くお加/くわ えになって、清涼殿/せいりょうでん につづいた後涼殿/こうりょうでん に住んでいた更衣を外へお移しになって、桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。移された人の恨みはどの後宮/こうきゅう よりもまた深くなった。 合掌☆もどる☆
2009年05月08日
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