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炊飯器は、暑い。ご飯を炊いてくれている間暑いけど。朝起きる前に炊いてるから換気扇のスイッチを、おせない。ので。炊飯器をバルコニーに出してしまえば解決。…と数年前から思ってるけどまだやってみてない。今年は、やろう。
2013年07月08日
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今年もエアコンなしの夏、継続。今年は…何事も挑戦とか…いう気持ちにならなくて。エアコンもどっちでもいいような…気もしなくもないが。今更エアコンをいれるのにも掃除したり、労力がいるので。ない方が楽かと。とりあえず去年までの対策はそのまま使えるので。暑い夏をそこそこ暑く乗り切ることにしよう。
2013年07月08日
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本名知ってたら探してきてください。
2013年06月13日
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死なん程度になんでもいいから食うときや。食事を作る気力も食べる気力もない間。そう助言をいただいたので菓子パンとかお菓子とか食事にしてたりそしたこの三ヶ月。体にいろんなものがたまってきて。調子が良くない。感覚もにぶくなってきて感じ取る力もなくなってきた。なので。断食中。これで少しつながりがよくなるかも。明日からは半断食に切り替え。食欲はずっとないままだったけど三日も断食したらちゃんと空腹になった。生きる気力なしと思ってても体は生きようとするもんなのね。
2013年06月13日
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きっと、意味があるのだ。ダンナのこんな早くの人生の終焉は。娘に。私に。なんだろう。答えがわかるのはいつだろう…娘がパパに会いたい一心で時空を超えて移動できる手段を生み出すかもしれない。実現すれば大発明。ノーベル賞もらえるかも。こんなに辛い思いを今しているのには必ず意味がある。なんだろう。良い未来を期待してダンナに感謝して生きて行こう。
2013年04月24日
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大会が終了し娘が私の元へやってきた。お疲れ様よくがんばったね。は~もうぐったりだよ。疲れた~と娘。出場の記念の品をいただいて会場のいろんなところで記念撮影をした。パパ、写ってないかな?とにかくうれしくてしかたがなかった。私も、パパも。インターネットで中継がされていたのを見ていた学校の先生からすごく喜んでくださっていて健闘をほめてくださったメールが届いていた。みんな娘を心から応援してくれていた。卒業式の日にお会いした保護者の方々もみんながんばってと声をかけてくれた。ネットの中継を見ていて一緒に応援してくれドキドキしていてくれた方もたくさんいただろう。わずか3週間前に父親という大切な人を失って悲しく辛いはずの娘がこうして。持てる力を出し切ってがんばっている。その姿にみんな心を熱くしているよきっと。娘よ、ありがとう。本当にありがとう。これからもがんばろう。いろんなことを一生懸命やろう。いつもパパが今日のようにすぐそばで応援して支えてほめてくれているよ。おまえならだいじょうぶや。すごいやん!がんばりや。って。そして。自分の娘になってくれて本当にありがとうとパパがいつも言っているよ。おまえのおかげでホンマに俺は幸せやと。私もそんな娘とそんなパパと家族でいられて本当に幸せだよ、娘よ、ありがとう。ありがとう、パパ。これからもずっとずっとずっとずっと幸せな家族でいようね。ありがとう。ありがとう。
2013年04月19日
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その後もラウンドは延々と続いた。本当に熱心に勉強してきた人たちが自信満々で正解を続けているという感じだった。最終に残った2人の対決もすごかった。いつまでたっても終わらない熱戦だった。娘よ。来年はファイナルラウンドに絶対残ろう。絶対来年もここで全力を尽くして私たち両親を感動させてください。ね、パパ。来年も一緒に興奮しようね。長いラウンドの末優勝者が決まった。
2013年04月19日
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休憩が終わってステージでは出場者の席が43から11に減っていた。失格になった人が大会運営上の何かで1人復活したらしい。休憩開けは11人でスタート。娘は休憩で集中が途切れたのか次のラウンドでついに正解できなかった。同じラウンドで2人アウトになったので娘は結果トップ10に残ったということだ。すごい!もちろん正解できなかったのは残念だけれどもう充分。本当にがんばった。よくやったね。ね、パパ。ホンマにすごいわ。自分の娘がこんなすごいなんて信じられへんわ。ホンマに自慢の娘や。ありがとうな。俺めっちゃ幸せや。きちんと聞こえるてよパパ。よかったね。一緒にこの感動を味わうことができて本当に良かった。私たちなんて幸せな親なんだろうね。
2013年04月19日
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休憩になって娘が私の席までやってきた。疲れたよ~もう早く終わってほしいよ。興奮と疲労の混じったなんともいえない表情の娘。やはり緊張はぜんぜんしていないとのこと。それより座っているだけでとにかく疲れるよそう言っていた。パパが娘の頭をなでてすごいやん!あともうちょっとがんばりや~と言っているようだった。単語わからなかったらパパに聞けば教えてくれるよ娘に言うと。だってパパ単語覚えてないもん。今はスマホも使えないから調べることもできないし無理だよ。と娘。そうだね。でもパパがずっとあなたのそばにいてがんばれがんばれって言っていたよ。わかったでしょ。休憩が終わるアナウンスがあった。
2013年04月19日
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ラウンド中の場内はしーんと静まりかえっている。すごい緊張感だ。ラウンドが終わるとみんなに拍手をする。3ラウンドも4ラウンドも娘は正解を続けた。信じられない。なんてすごいんだろう。3月に入っての3週間。まったく勉強ができない状態だったのに。あまりの緊張と興奮で何ラウンド正解を続けたのかもよくわからなかった。出場者席はどんどん人数が減っていった。かなりのラウンドが続いて休憩になるとアナウンスがあった。出場者席には10人が残っていた。娘がその中に座っていた。
2013年04月19日
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正解できなかった出場者は別の席へ移動する。勝ち進むとだんだんと出場者席の人数が減っていく。2ラウンド目。娘はまたさらっと答え正解していた。これで学校記録を更新だ。今まで2ラウンドまでが過去学校の出場者の記録だ。3ラウンドに進む。すごいすごい!!さすがやな~!!パパがドキドキしながらそう言っている。パパあなたと私の娘はすごい人だね。こんな幸せを私たちにくれた娘に本当に感謝だね。パパ、幸せだね。
2013年04月19日
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今回は娘も優勝を目指しているわけではない。ただ少しでも長く勝ち残っていてほしいそれだけだった。娘の番が来た。私は汗をびっしょりかいた手でカメラを構えた。ビデオと写真一人じゃ両方一度にとれないよ。いつもみたいにパパがビデオ撮ってくれないんだもの。写真とビデオをと格闘している間にさらっと答えて正解した娘は出場者席へ戻っていった。ほ~っと大きなため息が出た。とりあえず一回戦敗退はまぬがれた。よくやった!パパがおお~!すごいすごい!!といつものように言っているのがわかった。数人の敗退者を出してファーストラウンドは終わり2ラウンド目がはじまった。
2013年04月19日
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番号順に自分の番が来たらマイクのところへ歩いて行き。出された問題を答える。練習ラウンドでもすでに難解な単語が出題される。出場者たちはみんな当たり前のような顔で答えていった。練習だから正解したかどうかチェックはない。でも全員が答えられて当然と思っているかのように見えた。大変な大会へ来てしまった。娘、だいじょうぶか?娘の番がやってきた。落ち着き払った顔で娘はマイクに向かって単語を言っていた。やはり緊張してないらしい。いつも娘はこういうときに緊張することがない。見ている私やパパが緊張して息ができないなどといつも言っていた。今日もそうか。パパは相当ドキドキしているらしい。パパ、頼むよ。娘の番になったら娘の後ろに立って肩をなでていてあげてね。これはパパにしかできないよ。ファーストラウンドがはじまって一番の生徒がマイクの前に立った。
2013年04月19日
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出場者は全国からきたインターナショナルスクールの学校チャンピオンだ。3年生から8年生、43人。ファッションモデルのような人やアメリカ映画出てくる高校生のような男の子もいた。日本の家庭の子だろうと思う生徒もかなり多かった。すごいすごい。こんな中で娘は戦うのだ。ワクワクしてどきどきしてたまらなかった。パパもそうだからそれを感じ取って私は一人のときの何倍もワクワクしてどきどきしていた。大会が始まった。説明が終わり練習ラウンドが始まった。
2013年04月19日
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朝、娘は単語のリストを一通り見て朝食に行った。ホテルのビュッフェ朝食が好きだったパパ。私と娘、そして見えないパパ3人で楽しく朝食をとった。部屋に戻って準備をし最後にもう一度単語リストを眺め。会場へ向かって歩いて行った。会場へ近づくと参加するらしき親子がたくさん歩いていた。両親そろってきている家族が多かった。場内はすでにたくさんの親たちが着席していてすごい熱気だった。出場者席にはさまざまな人種の男女が番号札を首からかけて座っていた。そこに並んで座った背の小さい娘は一段と小さく見えた。私も空席を見つけて座り隣の席にパパの写真をたてて置いた。ギターを弾いているかっこいい一枚を選んで額に入れてきた。
2013年04月19日
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ホテルの部屋は快適だった。窓からは東京タワーが見えた。娘も私もパパの感激を受け取って喜びに興奮した状態だった。単語のリスト少しは見たほうがいいんじゃない?娘に言ってみた。結局3月に入ってから単語のカードを見ることもほとんどできなかった。せっかく大会にいけるんだからがんばろうよ一つでも多く答えてパパを喜ばせようよ。何度か娘に言ってはみたがたぶんできないと私もわかっていた。集中して単語を記憶するなど今の娘には無理だ。元気そうで今までと変わらず笑顔で楽しそうに日々過ごしている娘。でもやはり前とはちがう。その秘めた悲しみは私には計り知れない。やらなくてはと思いつつも単語に集中するなど無理なことだった。もう前日なんだしせめて今くらいは単語リスト見なよ。そうだねと言った娘だがしばらくしてみるとリストを手に寝ていた。そうだよね疲れてるよねこの3週間本当に大変だったものね。本当に本当に辛かったものね。
2013年04月19日
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東京へ向かう新幹線の中娘も私も異常なほどのワクワクした気持ちでいた。そうかパパのワクワクが伝わってきてるんだ。東京大会はもちろんだけど「東京」へも行きたがっていたものね。東京に住んでいる古い友達にも行ったら会いたいって連絡してたんだしね。新幹線から富士山も見えた。すごくすごくうれしい。パパ、今すごく喜んでるね。娘が言う。去年の夏見た富士山は遠くて小さかったけれど新幹線からはこんなに大きく見えるんだね。あっという間に新幹線は東京に到着。明日大会のある会場の近くのホテルに着いた。
2013年04月19日
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3月22日。学校は卒業式だった。娘の小学校は5年で卒業来年度からは6年生で中学生だ。5年。この学校に来るようになって5年の間にいろんな事があった。学校の行事にも必ず参加していたパパ。さまざまな記憶がよみがえる。学校のみんなに喜んでもらいたいとパパがやってきたこともたくさんある。それらが形として残っていて今もみんなの目に触れみんなが感謝してくれる。よいものをたくさん残してくれて本当に良かった。パパも私たちもずっとここで生き続けることができるね。そんなことを思いながら卒業式を眺めていた。式の終了後あいさつを済ませた娘と私は大きなカバンを持って東京へ向かった。姿は見えないけれどもちろんパパも一緒に。仕事が忙しくて行かれなかったはずのパパも今は行くことができるようになったのだから。
2013年04月19日
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3月1日の朝パパは寝たまま旅立ってしまった。ここからしばらくのことはまだ辛くて書けない。
2013年04月19日
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毎日朝も夜も「英単語」だった。家族の話題も単語や大会についてのことが多かった。イタリア語語源の料理や食材の単語などは娘も楽しんで覚えられパパにも説明したりしていた。へ~おもしろいなぁなどと言いながら娘の話を聞きがんばってるなぁと娘のことをうれしそうにパパは見ていた。2月下旬に単語のカードはすべてできあがった。後は記憶を確実にするため毎日カードを見て練習を続けていかなくては。2000の単語のすべてのスペルを答えられるようにらならければならないのだから。
2013年04月19日
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次の日から娘の東京大会への挑戦がはじまった。まずは2000もの英単語を記憶しなければならない。娘はどの週に何をするか大会の日までのびっしりとしたスケジュールをたてた。忙しい。必死だ。最初にやるのは全単語のカードを作ることだった。オンライン辞書で発音と意味を調べながら作るカードはかなり時間がかかる。翌日から朝も帰宅後も単語の記憶をしながらカードを作ることに集中していた。
2013年04月19日
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東京大会へ行ける!あのすごい舞台に自分が立つことができる。娘はとても喜んでいた。私もうれしくてうれしくて仕方がなかった。夜帰宅したパパに娘が優勝の報告をした。「え!!ほんまに??すごいやん!すごいすごい!!」パパもとても驚いてとてもうれしそうだった。「俺も見に行きたい!行きたいな~。絶対行きたい。3月23日か・・・ん~ちょうど忙しい時期やなぁ・・・何とか行けるようがんばるしかないな」普段から娘がいろんな大会などに出るときはほとんど見に行っていたパパ。それでもこれほどまでに見に行きたがっていたことはなかった。この大会は映画にもなっているほどドラマと感動の大会。その映画も何度も家族で見ていたのでそんな大会へ自分たちが参加できることがうれしかったのだろう。その中に立っている娘を見る事への期待で興奮していたに違いない。
2013年04月19日
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1月15日。やった~!!学校のある大会で娘が優勝した。4年生から8年生の希望者が戦う大会で5年の娘はみごと勝利した。先生方も5年の娘がまさか勝つとは思っていなかった。今年は練習だと思って参加してみてという感じだった。でも娘は東京大会に行きたいと優勝するつもりでのぞんでいたのだった。優勝した娘は学校代表として3月23日に東京で行われる全国大会へ出場することになった。
2013年04月19日
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3月1日にダンナが亡くなり3月はとても大変だった。娘にとって大きな挑戦の機会があったからだ。3月のことは思い出すだけでもつらい。それでも辛い中娘はとてもがんばった。そのことを文章で残しておきたくて日記に書くことにした。
2013年04月19日
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ダンナが死んじゃって文字通り時が止まったよう。前に進む気にもなれず。一番の望みほんのちょっと前のあの日より前に戻ってくれることもない。私たちは止まったまままわりは日々が流れて行く。そんな感じ。
2013年04月17日
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残された方が辛い。よくそう聞くけれど。死んじゃった本人の方がやっぱり辛いと思う。自分のせいで自分の大切な人たちが悲しみ苦しんでいる。それをそばで見ていて何もできない。それが辛いだろうと思う。残された私たちは彼のその辛さを取り除いてあげなければならない。娘と二人今できることをしてこれからも幸せに楽しくいなければ。泣いてばかりいてもう死んでもいいやなんて思ってたら彼が辛いだけだ。あの人を愛しているならあの人のためにあの人が幸せでいられるように生きなければ。
2013年04月15日
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涙は毎日こんなにたくさん流しても出なくはならない。あの歌を聴くと必ず涙が出る。日に何度も聴いてその度必ず涙を流す。ダンナが私へのメッセージとして伝えてきた、あの歌。マニアックな曲で良かったね。お店とかでしょっちゅう流れてる歌だったらどこ行っても急に泣き出して大変じゃん。娘が言った。本当にそうだ。主人がマニアな人でよかったよ。この歌を聴くと私は生きている限り必ず泣くのだろう。ダンナの大切な思い出として。そして人生で一番辛い思い出として。
2013年04月12日
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父が急にいなくなった11歳の娘の心中はどうなんだろう。毎日泣いたりわめいたりしているのは私だけで。娘はたんたんとしている。きちんと自分のやるべきことをやって楽しいことは楽しんで笑顔で生活している。ダンナが俺死んじゃっても悲しくないのと心配しそうなくらいだ。お葬式前夜、むすめはパパと約束した。お前の笑顔が好きだからもう泣かないで笑った顔を見せてと言う主人に泣じゃくってくしゃくしゃの顔で一生懸命笑った。その時から娘はほとんど泣かなくなった。泣いたらパパが悲しむそう思っているのか。普通なように見えてはいてもやhり以前の娘とは違う。覇気がない、というのか。何かに取り組むような気力がないとは言っていたけど。ぼーっとしたりごろごろしていることが多くなった。いろんなことがありすぎて疲れてるんだよね。少しずつがんばろうね。パパの喜んでる気持ちがいつも伝わってくるように。それがこれからの私たちの生き甲斐となるように
2013年04月11日
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ダンナが死んじゃってから毎日。一番先にすることはやっぱり本当なんだという確認。朝目が覚めてまずリボンのかかったダンナの写真を見てやっぱり本当なんだ、と思う。いろんなやるべきこともおわってきて生活が元に戻ってくると普通の日常からだんなだけが消えてしまったようだ。もういいんじゃない。早く帰ってきなよ。待ってるんだから。帰ってきてよ。お願い。さみしくて耐えられないよ。
2013年04月09日
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ダンナが死んじゃってから。ダンナの感情が伝わってくるのがはっきりわかる。先日もあるところで感激してるのがつたわり。あまりの感激で彼が私の目から涙を流した。その時私が泣いていたわけではなくああこれはダンナの涙だとわかった。喜んでいる幸せを感じているワクワクしているダンナのこれらが私のそれにプラスされて感じる。だから私は普通の何倍も嬉しかったり幸せだったりワクワクする。そして昨日気づいた。お葬式が終わった時私は異常なほどの幸福を感じていた。悲しいし辛いのに幸せで幸せでどうしようもなかった。とても不思議だった。あれはダンナの幸せな気持ちが伝わってきていたからなんだね。素晴らしい式をしていただきたくさんの方がきてくれた。いい式でみんなに見送ってもらえてものすごく嬉しかったんだね。それが私に伝わってきたからあんなに私が幸せを感じたんだ。昨日やっとそれに気づいたよ。。よかったね。本当にいい式だったもんね。そして幸せな人生だったんだよね。よかったよかった。私も幸せだよ。あなたと死ぬまで一緒にいられて。幸せだよ。ありがとう。
2013年04月08日
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ダンナが亡くなってから伝えてきたことはたくさんあるけれど。私と娘に最初に伝えてきたことは自分は幸せだったということだった。本当に幸せな人生だっただから泣かないでくれ、と。娘にはもっともっといろいろ伝えていた。娘としてきてくれた感謝やどれだけ大切に思っていたかなどなど。彼が幸せな人生だったと今言っているのだからその家族として一緒にいられた私たちも本当に幸せなのだ。彼が死ぬまで一緒にいられて私は幸せ。ありがとう、パパ。私たち幸せな家族だね。でもやっぱり会いたいよ。もう会えないなんて思えない。わからない。
2013年04月03日
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ダンナが突然死んじゃってからの一ヶ月。いろんなことがあった。不思議なことと言っても私たちには普通のことか。彼がいろんなことを一生懸命伝えてくる。本人だってこんなに急に死んじゃってできることならなんとかしたいことがたくさんあるんだろう。伝わってくるものはあるけれど手を握ることはもうできない。きゅーもちゅーももうできない。彼の意思を感じることはできても彼の姿は私には見えない。もう一度会いたい。会ってきゅーしてちゅーしてありがとうあいしてるって言いたい。聞きたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。お願い帰ってきて。いつもみたいに足音がして鍵の音がしてドアを開けてただいまって。会いたいよ会いたい
2013年04月02日
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突然ダンナが死んじゃった。何の前触れもなく。朝寝ている彼を起こしても起こしてももう目を開けなかった。どうして?なんで?あまりその時のことはもう思い出せない。今日は一日。激動の一ヶ月がすぎた。辛い。ダンナに会いたい。もう一度会いたい。エイプリルフール全部嘘だったんだよ、と帰ってきて欲しい。まだ信じられない。もう二度とあなたに会えないなんて。お願いもう一度あの人に会わせてください。だれかたすけて。あの人がいないとこんなにさみしくてこんなに辛いなんて。誰かどうかもう一度ダンナに会わせてください。前の日までの彼を返してください。誰かお願い。ダンナに会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。会いたい。
2013年04月01日
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大事件だ。水戸黄門が今シーズンで終わり。何十年かの歴史の幕を閉じるとHPに書いてある。そ・・・そんなぁ・・・・!!!!先シーズンから娘と全回見てなんてすばらしい番組なんだ!と改めて思っていたところなのに・・・今なんか助さんと格さんは東幹久と的場浩司でさ。なんともいえぬいい味出しているし。日本各地の特産や歴史の勉強になるし。なによりも誰も死なない。 一般庶民が救われる。話は必ず良い方に解決する。 すべてが本当にこうなったらいいのにと思える夢のドラマなのだ。水戸黄門をずっと何十年も見てはほっとして。世の中捨てたもんじゃないと思ってきた人も多いだろう。私も最近はあまり見ていなかったが子供のころは毎週欠かさず家族で見ていた。娘もその良さに魅せられ好きなドラマは聞かれれば今ただ一つ 「水戸黄門♪」 と答えるまでになったのに・・・なんとか続けていただく方法はないのだろうか?視聴率がよくないという理由で終わりになるのだろうか。NHKだったらあんなにつまらなくて大不評でも打ち切りにならないのに。これだけ長く続けてきたのに庶民に終わらせていいですかと聞いてくれることもなく終わらせちゃうの?頼むから水戸黄門やめないでくれ~~!!!!黄門様、なんとかしてください~~っ!!
2011年07月18日
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マンションでもできるエアコンなしの夏!シリーズ2回目です。・・。シリーズというほどまめには書かないと思いますけど・・・今日は暑いですねぇ。こんな日は対策をしっかりしないと朝方まで暑くて眠れませんな。さて。前回書いた3つの当たり前なポイント熱を入れない熱を出さない熱を冷ますの。熱を入れないを今回は語ります。これについては過去何年もずっと書き続けてきたことなのですが。何年も前の記事には責任が持てないので削除してしまいました。でも。やはり最初のころの努力が一番シンプルでよかったと思うので。改めて載せてみたいと思います。当時の写真が一枚だけ楽天に残っていました。すでにもう7、8年前かもしれません。(ということは、エアコンを入れない夏は今年6年目じゃないってことですなぁ)夜になって外気温は多少下がったはずなのに室内の温度は外気温より高い。・・・ということが起きていると思います。なぜ、熱源である太陽光はなくなった夜に暑いのか???と、考えてみていただきたい。で。うちの場合原因はバルコニーにありました。バルコニーはコンクリート製で日が当っている真昼間、誤って裸足で触れると熱い熱い!そしてこれが。日が暮れて数時間たった夜になっても熱を保ったまま、熱い。これがじわじわとずっと放熱を続けるためにバルコニー周辺はずっと気温が高いままいるわけです。バルコニーの同じところにある鉄の柵、ガラスは日が陰ればすでに熱くはなくなる。コンクリートは熱しやすく冷めにくいという人が暮らすには向かない性質があるんですな。では。このバルコニーを熱くしないためにはどうしたらよいのか。・・・ここで写真の登場です。 エアコンを入れないと決めた最初の年の暑さ対策。百均で買った白いタペストリーを3つはって、バルコニーの床面に陽が当たるのを防ぐ、というものです。たったこんな布一枚で・・・???布一枚で、違うのです。一日これで陽が当たるのを防げばここは熱くなりません。この布の下にまめに水まきをすることでさらに温度上昇が緩和され。バルコニーによる夜中熱放出はかなり防げます。これを原点とし、毎年さらにいろんなことをやってきました。今はバルコニー全面に陽が当らないように柱を立ててすだれを下げていますけれど。とにかく陽が床に当たらなければよいと単純にいろんなものを使って考えられる基となるには。この百均のタペストリー法があまりに単純で良いかと思い再び登場させました。断熱のレジャーシート(ギンギラのやつ)などを敷いておくというだけでも、その下のコンクリートは熱くならないため。布を空中にはる事が構造上難しいお宅の一番手っ取り早い方法としてお勧めです。レジャー用ガーデン用の傘なども利用しやすいと思います。ぜひ、バルコニー床面に陽を当てないという単純な方法を今すぐできる方法でお試しくださいませ。2色から選べる!日よけ・目隠しに!お洒落な空間を演出します!サンシェード オーニング90×180cm価格:790円(税込、送料別)【送料無料】ガーデンパラソル 2.4m アイボリー♪価格:3,200円(税込、送料込)
2011年07月09日
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マンションでエアコンを使わない夏なんてとやってみる前から思ってはいけません。うちは今年、エアコンのない夏6年目?(くらい)を迎えます。エアコンの一つは知り合いに引き取っていただき唯一残っている一台は何年もコンセントを抜いたままです。マンションが涼しい高原に建っているわけでもありません。ここは暑さには定評のある地域ですし。このマンション内のうち以外の家庭はきっと全戸エアコンを使っているに違いありません。・・・などと多分毎年書いてきました。何年も前の古い記事は様々な理由から非公開にしたのですがエアコンに関する記事だけ残しておけばよかったと今の時期になると思いますけれど。とりあえず誰でもすぐにできることを書いてみようと思います。室内を涼しく保つために必要な事は3つ。熱を入れない熱を出さない熱を冷ますです。当たり前のようですがスイッチ一つで涼しくなる生活に慣れているとほとんど考えていないことではないかと思います。熱を入れないとはなぜ暑くなるのか?と考えながらよく住居を見ることが大事です。暑いのは夏だから、で終わってはいけません。住居の外側から来る熱を室内に入れない。この防御が「熱を入れない」です。これは説明に時間を要すのでまたいつか書くとして。熱を出さないと冷ます、については今からすぐできることで特別な物の用意もないのでぜひこれを読んだ後すぐから心がけていただきたいと思います。熱が室内で出るところと言えば台所です。熱発生源はガスコンロがほとんどであとは炊飯器やトースターなどでしょうか。炊飯器は今新対策を考案中なのでとりあえずは換気扇の下に置く、以外のことはまた後ほどで。ガスコンロについて。本当に些細なことですが1.鍋からガスの火がはみ出さないようにすること2・できる限り鍋には蓋をすること3.同じ料理でも調理方法や技を選ぶこと4・換気をすること5.使ったらすぐすべてを冷やすです。一番大事な5から説明します。料理した後、ガスコンロは熱を保持したままです。これは室温と同じになるまでじわじわと室内に熱を放出し続けます。使った後手をかざしてみればその後何分もそのあたりが暑いことがわかります。なので、水を張った鍋などを使ったコンロの上に置きます。これで水が熱を吸い取ってくれるのであたりの空気が暑くなることを防げます。つかった鍋も使ったそのままコンロの上になど置いておけば熱を放出するので。必ず鍋はすぐに洗うこと。つかった鍋をすぐ洗って水を張って使ったコンロの上に載せればほぼ台所内の温度は上がらずに済みます。本当に些細な事のようですがこれはかなり効果があるのですぐ試してほしいと思います。1は読んで字のごとく、でして鍋からはみ出しているガスの炎は調理中に室内の空気を無駄に加熱するだけなので気をつけなければなりません。2の鍋に蓋も、鍋の周りから出てなくても調理中の鍋からどんどん熱が室内に出ていれば暑くなる上に熱が無駄でガスも無駄ということなので。炒めものでも調味料を入れるとき意外は蓋をするようにします。蓋をしたら野菜炒めなんかがしゃきっとしないと思われるでしょうがこれもちょっとした調理に対する考え方を変えるとかえっておいしくできるようになります。それが3になるわけですけれど。野菜をゆでる時に「鍋にたっぷりのお湯を沸騰させて色よく茹でます」などと書かれた本の通りにはしない!野菜をゆでるにはスプーン一杯程度のお湯で充分です。それには焦げつかない鍋で、蓋を使います。(蓋のある小型フライパンが便利。)ゆでる準備のできた野菜を鍋に広げて入れ必要なら塩を全体にして水をスプーン一杯程度入れ蓋をして強火で加熱。途中上下をひっくり返しわずかなお湯が野菜全体に通るようにします。この作業中も慣れたら蓋をしたままできます。火が通ったら濡らしたまな板の上に広げうちわであおって冷ましてできあがりです。このうちわであおった熱も室内へ行くのでこのときはまわした換気扇の下で一気に手早く冷まします。ゆでるお湯に出ていく野菜のうまみもほとんどなくゆであがりを色止めのためと水にとってうまみを洗い流した上に水っぽくすることもなく。野菜がおいしく調理できます。炒めものもほとんど同じ感じです。焦げない鍋に野菜を入れ蓋をして強火で加熱し熱くなってきたら油を少量鍋の縁から注ぎ入れます。蓋は油を入れられるだけちょっと開けて入れ終わったらすぐ閉める!蓋をしたまま油を底全体に行きわたらせこんがりよい匂いがしてきたら上下を返し蓋をしたまま加熱しまたこんがり香ってきたら調味して全体を混ぜればできあがり。最初に野菜を鍋に入れる際火の通りにくい野菜を下にすることがポイントです。中華のCMみたいに材料を空中に躍らせるだけが油を使って野菜を加熱するおいしい料理法ではないのです。麺をゆでるのにも蓋をします。麺は蓋をするとふきこぼれるので注意が必要ですが蓋の端を少し開けて沸騰している状態が保てる程度に火を弱めます。差し水を効果的に使うと吹きこぼれず芯までうまく茹でられます。これでそうめんを食べたいがための灼熱地獄はかなり防げます。4の換気も読んで字のごとく。加熱中換気扇を使って暑い空気がとどまらないように気をつけます。以上・・・毎度エアコン使わないための話は書くと大変に長くなり・・・だから最も重要な事からと思うわけですが。今日も暑い!!さっそく今日のお昼ご飯を作る時からやってみていただきたいと思います。後回しにしたことはまたいつか時間があって気が向いたときに書きます。今までずっと変人扱いされてきた真夏にエアコンを使わないわが家。この長年にわたる研究と努力も今年のためにあったのだ!!全く使うなとは言わないでもこれらのちょっとの工夫を普段の生活に追加することでエアコンに使う電気は確実に減るはず!ぜひさっそくためしくださいませ。真夏のキッチンは暑くて当たり前なのではなく暑くなる使い方をしてきただけなのです。暑くならない使い方をマスターしてぜひ涼しくそうめんを楽しんでくださいませ。
2011年06月24日
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原子力発電とは一体何なのか。これをきちんと理解している人は少ないのではと思います。そういう私もよく知らないとしか言いようがありません。原子力発電所などなかったらよかったと思う。こう最近の日記に書きました。これは今も思っていることです。そして日本の多くの人たちがきっとそう思ってる。なぜ原発が作られたのか。よく知らなかったから、ではないでしょうか。どのようにどの程度、危険なのかを。作る人たちも、作ることを反対しなかった人たちも。「原子力発電は安全か」このタイトルの本が今手元にあります。図書館で借りてきました。1987年に出版された本です。1986年のチェルノブイリ事故のあとそのことを含めて書かれた本です。子供用の本で振り仮名はありますが内容は曖昧にはされていません。20年前に書かれたこの本にはこの当時の未来である今を案じて書かれた警告がたくさんあります。なぜかこの本、まったく開いた形跡がありません。おそらく図書館で購入後、誰も借りたことがなかったのでしょう。私たちはこの本に書いてあるような警告を生かすことができたのでしょうか。これからどうしたらいいのでしょう。まずは知ること。ネットでも原発に携わってきた方がご自身の死を前に書いてくださった原発の内情が読めます。原子力開発機構の協力で書いた肯定的な近年発行の本も図書館で借りてきました。原子力開発機構でやっている科学館へはよく出かけましたがそこでは原子力発電がいかに効率が良いか安全かなど説明されています。原子力の研究は社会のあらゆる面で生かされているとも。今の私たちの選択によって将来自分たちの子供世代の生きる環境が作られる。その先の未来のこの国もずっと。知らなかったでは済まされない。とにかく、知ること。今すべきことは、それと思う。
2011年03月26日
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日本は総批判家化している。災害前ずっとそう思っていた。モンスターペアレンツや、クレーマー。自分以外の人がやる何かを気に入らなければ。批判し責め立て損害賠償を請求するとか社会的に抹殺してやるとか。国の中心、政治の世界でも同じことをしていて。国会中継でそれが国全体に流れ。民放や週刊誌が責められているところをかいつまんで作り上げてさらに民衆の批判的感情をあおる。専門家でもない、そのことについてよく知りもしない人までがあんな人は○○だからだめだと口々に言う。潰れそうな会社で、自分の派閥以外が中心になったからと言って会議中に野次を飛ばしたり欠席したり上げ足とって社長を決めなおせ!と言い続け運営に協力しないでいれば。あっという間に会社は潰れてしまう。でも国は同じことをしていても潰れないし、クビにもならないし今の国の運営に協力しないでいても給料もちゃんと満額もらえる。こんなおかしなことをこれからもずっと続けるつもりなのか。今の政権の災害対策を批判する資格が野党にあるのか。長年政権を取っていたところが作った体制を現政権が引き継いだだけの状態ではなかったのか。だからこそその党に入閣を求めたのではないのか。今までの国作りの結果が今目に見えて出ているというだけで今中心でそれに携わっている人たちを責めることがこの国の人たちにできるのか。民放もわざと批判的なものの言い方をするのはもうやめてほしい。そこへ出てきてモノ言う専門家なる人も。よくことを知りもしない芸能人も。停電が不公平で人災だ、などとテレビであえて言う必要があるのか。こんなにうまくいっていないとダメなところを並べ立てていうことが今のこの国の何の役に立つのか。一般の人たちも対応が悪いとか遅いとかおかしいとか噂話のレベルでマイナス面ばかり口にする。確かに一刻も早く物資を届けてほしい。助けを必要としている場所に早く的確に届くようにしてほしい。本当に心から願う。でも、暖かいところでテレビを見ながら文句を言って誰かを責め立てても困っている人たちの現状が良くなる助けには何もならない。私は今回の災害も、その後今に至るまで誰も悪くないと思う。防災対策が不十分だったと行政や防災の専門家を責めることができるか。東電を責めることができるか。原子力発電所などなければよかったと思う。しかし、作った当初としては作らざるをえない何かがあって電力会社はそれを担当しただけに思う。今現場で作業をしている社員の方々もできる限り安全に運営することに努力をしてきた人たちだろうと思う。深夜電力だオール電化だと電気大量消費をよしとしてきた売り手がいて消費者たちがいる。真夏に冷房需要で大量に電力消費しても停電しない。暑さを我慢することなく電車も信号も動いているのが当たり前。原子力発電所があるからだ。掃除も洗濯も手でするのは嫌で夏の暑いのも我慢できなくてでも原子力発電所が今あることがいやで東電の対応が悪いのが我慢できない。そのことに対して何もできない人が批判をするのはもうやめてほしい。言葉が力を生む。言葉が今より先の未来を作る。「あんな人だめだ、なにやってんだ。」「がんばってくれている。きっとうまくいく。早くよくなりますように。」「もっとこうしたらどうか、これなら私にもできる。」どうか一刻も早く命を守る物資がお手元に届きますように。あの原子力発電所が早くこれ以上の被害を出さない状態になりますように。こう書く私の文章も批判の批判か?
2011年03月24日
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人々の祈り、思いの力が未来の現実を作ります。数分後、数時間後の未来も人々の強い思いが導き出します。今日、一週間前に地震が起きた時間にみんなで祈りましょう。被災された方々の命が救われますように。物資が早くお手元に届きますように。原子力発電所の危険性が一刻も早くなくなりますように。今日もそれらに働いてくださる方々の健康と、任務の成功を。どうかすべてが良い方に進みますように。どうか。どうか。
2011年03月18日
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今朝ある避難所の中学生たちが作った貼り紙が映っていました。「命あることを喜ぼう」。家族の行方がわからない中学生もその中にいるそうですがとても気丈に、がんばろう自分は大丈夫、などと語ってくれました。涙なくしては見ていられませんでした。どうか早くお手元に物資が届いて少しでも状況が良くなりますように。
2011年03月16日
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テレビさえつけなければ何事もなかったと錯覚するような普通の朝がきました。でも被害のなかった地域で思いもよらなかった現実がやってくるのはこれからだと思います。いまだ私に何ができるのかとずっと考えていますが。「東日本は西日本が支える!!」と思うことと思っています。何があっても協力し支えあってみんなで生きていこうと。具体的にもいくつかできそうなことが思いついてはいますが現実的なのかどうかわからないのでまだ書きません。母だから気がつくことふだん家のことをやっているからわかることが被災地の人の困難を少しでも減らすことができるかもしれない。まだまだ考えなければ。そして思いやり、祈る。同じ一つの国で暮らしてきた人々のために。
2011年03月14日
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明日から時間で停電になる地域の方々お気の毒ですががんばってください。そのエリア外にいる私たちも他人事と思っていてはいけないと思います。電気を変圧して送ることは困難なようですが今までそのエリアでやっていたことを別の電力会社範囲内で行うようになればこちらも電力が今まで以上に必要になる、ということも考えられると思います。心の上でもこの際、別の地域の人々も一緒にできるだけ節電をする生活をしてみるべきと思います。エコだ節約だと言われてもわかってはいるけれどとそれほど真剣にはやらずに過ごしてきたのですから。節電、そしてガソリンやガスもできるだけ無駄に使わないよう。輸送を必要とするネットでの買い物も当分は控える。みんなで心がけるべきです。「看脚下」ですね。心の在り方、生活もすべて。ということで、PC電源切らなきゃね。そして早く寝よ。
2011年03月13日
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こうして普通に生活しているのが申し訳ないように本当に胸が痛みます。野党も与党に協力することになった。こんな事態にならなくても協力しあってほしかった。誰かの失態を見つけては騒ぎ立て吊るし上げ。こんな公開処刑のようなことばかり続いていた日本。国民の代表者たちが国の中心でこんなことばかりしていて国全体が意地悪になっていて本当にうんざりしていた。管総理は最初からすべての野党に協力を求めていた。国力が弱っているときだからこそみんなが協力していい国にしていこうと。しかしいろんな党に行っては連立を頼みこみ節操がない、などと言われていた。日本の人々がこれでも自分さえよければいいと思いますかと問われているように思います。神様にか、仏様にか、どなたになのかわかりませんけれど。人を思いやる、みんなが助け合う本来の日本の心を取り戻しなさいと。この心のことを「大和魂」というのだと先日ある本で読みました。戦争のときに支配者側に都合よくつかわれてしまったため以降別の意味にとらわれているようですが本来「大和魂」とは慈愛の優しい心を指すのだと。本当の大和魂を取り戻して手を取り合っていきましょう。一人一人が自分にできることは何かを考えましょう。被害にあわれた方々心よりお見舞い申し上げます。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。ガソリンや灯油の輸送に問題があって不足する地域があるようです。ガソリンや灯油も使用を控えたほうがいいようですね。
2011年03月13日
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ああ最終回が終わってしまった。すっかり見入ってしまい未だにさめやらぬ。8時からしっかり見よう、と体制を整えていたのに。なぜかBSでもう一度ゆっくり見直さなければならなかったので。2度続けて見てさらに興奮状態が続いてます。龍馬暗殺犯は愛媛知事?とかNHK字幕テロとかつぶやかれてます。娘は暗殺シーンで興奮したのと龍馬が死んでしまって悲しいのとあの「字幕」への怒りで気持ちの収集つかず。明日起きられるのか?と心配な時間まで起きていました。BSでの放送も一緒に見てたし。ほんとにもうじき刺客がやってくる、とみんなドキドキして集中してるときにあの字幕はないだろう…。ま、気を取り直して。う~み(笑)とにかく楽しい大河ドラマでした。一年間本当に熱心に見ちゃったし。幕末にもしっかり興味を持ち勉強もたくさんできました。龍馬伝、ありがとう!坂本龍馬さんご本人さんもきっとすごく喜んでいらっしゃるに違いない。龍馬さんにもありがとう。よし、これで寝られる。・・・かな?
2010年11月28日
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誰だってみんな安心して食べられる野菜がほしいに決まってる。安全な野菜というと農薬を使ってない野菜、ってことか。子供がいれば特にそうに違いない。安全なおいしい野菜を子供には食べさせたい。でもそう思うみんながみんな無農薬の野菜を買っているわけではない。なぜそう思っているのに農薬がかかっているだろうと思われる野菜を買うことになるのか。私が思う理由は二つ。安全な方の野菜は1,高い。2.普通には手に入らない。有機だとか自然栽培とか書いてあるものは慣行農法で作られたものの2倍以上する。値段が2倍するなら買う量を半分にしたらよいように思うがそれでは「野菜が足りない」「不健康」と思う。だから安い方の農薬を使った野菜を買う。本当によい野菜を買おうと思えばまず探し出すことから大変だ。「有機」の表示されたものががよいのかどうかこれはまた長くなるから別の機会に書くとしても。私は今ただ「有機」と表示されているだけのものは「いい方の野菜」とは考えていない。有機野菜コーナーなど、普通のスーパーにもみかけるようにはなったが。栽培法から水、土、種に至るまできちんと説明がなされていてこれなら高くても買わなければ、と思うような品物は普通に生活していて見かけるところには売っていない。だから結局本当にほしいものとは違うけれど食べないわけにはいかないからせめて●●産だけはやめて国産の野菜を買う、くらいになってしまう。いい方の野菜がほしい。世に需要がこれだけあるのになぜ見合うだけの供給はないのか。需要より過剰なほどに需要を察知し供給することが得意な日本がなぜ、できないのか。今の日本では作ることが難しいから、と考えられる。なぜ作ることができないのか。これにも二つの理由が考えられる。1.作れる土がない2.作れる人がいない農薬と化学肥料と水道水を使う農業を長年続けてきた土ではものが育たなくなってしまった。育たないから肥料を入れる。肥料を入れると虫がわく。だから農薬を使わなければ作物がとれない。こうなってしまっていない農地は日本中でとても少ないに違いない。日本中、肥料と農薬を指導通りに使ってないと出荷ができなかったのだ。こうしてぼろぼろになった土はただ何年もほおっておいただけでは元には戻らない。長年かけて「肥毒」を取り除くことをしなければまともに作物ができない。だから、土を元に戻す間何もとれず収入がなくては困るので慣行農法を続けるしかないのが現実だと思う。慣行農法をしている人だってできることなら薬なんか使いたくないと思っているだろうと思う。自分は吸い込まないよう完全防備で散布するのはそれだけ危険だということを知っているからだろう。自家用と出荷用、違う畑で育ててるのは農家の人にとって当たり前のことだ。出荷用は食べられないのだ、自分では。農家の人も今の慣行農法になりすでに代替わりしているだろうから農薬も化学肥料も使わなかった頃の農業を知っている人が少ない。先祖から受け継がれた大事なものは農薬と肥料で作る方法になって次に受け継がれることなく途絶えてしまったに違いない。なぜ日本の土地がこんなになってしまったのか。食糧自給率のこの低さは何なのか。もしこれで日本が突然輸入ができない状態になればいったいどうなるのか。土地は使い物にならないよそからは買えない。どこかの誰かが「日本民族全滅作戦」を何十年前からか実行しつつあり今の時点で何割か完了、という状態なのかもしれない。こんな今の状況を、世の中の人大多数はさほどおかしいとも感じていない。自分が、自分の大事な家族が一体何を食べているのか、疑問を感じない。中国のギョーザ事件のときは大騒ぎし中国産は怖い、と口々に言ったが。ならば国産は安全なのか?スーパーの野菜は店頭に並ぶまでどういう経過があったのか。大きな店だから信頼している、なんていったって店の担当者も本部の仕入れ担当だってきっと詳細などは知らないに違いない。種が中国産だろうがアメリカ産だろうが農薬が何キロ使われていようがそんなことは店には関係ないのだから。ギョーザ事件だって本当に悪いのは毒を入れた人でも仕入れ業者でも売った店でもない。それを「買う人」だ。買って家族の口に入れる人がいるから家族の口に入るのだ。買うから、売れるから作るのだ。まずは疑問を持って知ろうと思うこと。これをまずはしなければ日本の農業も土も何も変わらない。自分たちが普通だと思って食べているものがどんなものなのか。今まず必要な第一歩は知ろうと思うことだと思う。今の子供たちが大人になったときよいものが普通に食べられる世になっているよう。今の私たちに、きちんとした選択をしてこなかったゆえに大事なものを壊し捨ててきた私たち世代にできることを今すぐ始めなければ。野菜の裏側価格:1,470円(税込、送料別)
2010年11月08日
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「怒らない育児」という言葉のせいか。注意もしないし叱りもしない親もいらっしゃいますね。私は過去、ある子に何度も殴られたことがあります。鞄をひっくり返されたことも中身を出されてぐちゃぐちゃにされたこともあります。でもその子のお母さんに私は一度も謝ってもらったことがありません。もちろんお子さんご本人にも謝ってもらったことはありません。子供がしてはいけないことをしているときに「あらあら」などといいながらその場をやり過ごすことが「怒らない育児」ではないと思います。やってはいけないことやらねばならないことをきちんと教えること。それが親の役目であってそれこそが「しつけ」だと思います。怒ると叱るも別の言葉であって。親の怒りをそのまま子供にはき出してはならない。でもやってはいけないことはこれからしなくなるようにしたときにきちんと伝えなければならない。前者が怒るで後者が叱ると私は思っています。殴られたら相手は痛い。大事なものを壊されてはつらいし悲しいし、困る。きちんとそれを子供に伝えて二度とさせないように親は努力すべき。だから間違ったことをしたらきちんと叱ってほしい。本人が謝らなければ相手には親がきちんと謝って見本を示してほしい。どんなに普段親しいつきあいをしている相手でも謝るときにはきちんと頭を下げきちんとした言葉で、謝る。親にそれができなければ子供にだけそれをしろといってもするわけがない。
2010年11月07日
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ついに合格通知が来ました!なかなか来なくて・・・合格してるとは思いつつも通知が来るまでほんとにドキドキでした。マニアな検定。いや、素晴らしい検定だと思うんだけど。たぶん最年少合格、と思う。これを受ける子供はまず、いまい。特にこの級を子供が受けるのは・・・いないと思う。しかしよく勉強しました。夏休みの半分(一ヶ月)はずっとこの勉強をしていた感じです。大好きなことなのでこれに関する知識が一挙に豊富になり。知っている自信もつき。ますますこの道に精進できることでしょう♪おめでとう、お嬢!さて・・・今はというと次の別の検定の勉強の大詰め。気がつけばあとわずかな日数しかない!ん~これまた範囲が広くて大変・・・でも!がんばるぞっ。合格しようね♪
2010年10月07日
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子育てに大切なことをぎゅぎゅっとまとめて選りすぐってみると。「好奇心・感動・記憶力」の3つになるのではと今の時点では思っています。なんだろう、知りたい、やってみたい子どものこの自然な気持ちを・・・引き出す、広げる、続かせる。なんだろう、知りたい、やってみたい子どものこの自然な気持ちを・・・親が握りつぶさない。じゃましない。なんだろう、知りたい、やってみたいこの気持ちがそうだったのか!おもしろい!すごい!もっと知りたい!もっとやってみたい!となるように実際に、触れて、調べて、やってみる機会を持てるようにすること。・・・親が、そのうちねえっそんなこと!、難しいね・・・とならないよう。好奇心が感動へと誘われるようつなげていくこと。そして。そうしたきっかけから感動までをずっと覚えていられ。関連したことが起きた時に随時思い出すことができること。この記憶力が大事に思えます。頭には入っているように思うけれどどうもはっきり思い出せない。思い出したいのに出てこない。こうならないためには普段から一度頭に入れたことを引き出す機会を多く作ることで習慣ができるように思います。これに一番手っ取り早く効果的なのが会話だと思います。新聞や本などをきっかけにそういえば○○の××ってどうだっけ?などと問いかけをしてみたり。車窓からの景色、テレビなどでもなるべき過去に一緒に見たことやったことに関連付けて会話につなげてみる。そういえばあのときは・・・と楽しかった記憶がよみがえり再び感動にひたることができます。あることに関して物を大量に覚えるのは頭にたくさん入れようと思えば思うだけ入ると思うのですが。入れることよりも入れた記憶を確実に引き出すことができることのほうが大変なように思います。頭に入れたら、出す。要求に応じて出せるよう訓練をすることが大事に思います。1番から100番まで順番に何かを覚えたら。20番から突然始めても100番まで言えるよう。87番、65番、とばらばらに言われても一つ一つ出せるよう。100番から1番まで逆唱ができるよう、と。このように引き出すことができるようになってこそ一般的に「記憶力がいい」といいう状態と言えると思います。頭にはあるんだけど出てこない、では記憶してる、とは言いにくいし。実際に生きていく上で必要になったから使いたいと思った時に、引き出せないのでは知ってるはずなのに!!と本人が一番悔しい思いをすることになると思います。記憶については長くなりすぎたのでまたいつかもう少しまとめて書きたいと思いつつ・・・。「好奇心・感動・記憶力」この三つを大切にしてきたしこれからも大切いしていきたいと思ったので書き留めておくことにしました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2010年09月10日
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娘に絶対音感をつけたいと思い。いろいろ試みてきて、現在。確かに無事身についているということがわかり。うれしい限り。なんでそれを改めて思ったかというと。七田教育を受け、すでに大人になり。ミュージシャンとして活躍しておられる方の子供のころのことが書かれたものを読んだから、なんですけれど。その方のお母さんは音楽の教室の絶対音感をつけるコースが4歳からだったのに疑問を感じていて。七田先生の著書に絶対音感は0歳から3歳の間につく、とあるのを読んで共感、納得し七田式をはじめたとのことでした。うちでもちょっと熱心に絶対音感をといろいろやっていたのも2歳頃までだったと思います。そもそも、私は絶対音感があるので絶対音感のない人が音をどう感じるのか、どう記憶するのかがまったくわからない(カラオケでオリジナルとキーが違うのになぜ歌えるのかがわからない)のですけれどね。でも自分はそうだから、自分がなぜ絶対音感があるのかを考えれば。娘がつかないままに成長することはないだろうと思いました。私の記憶の中ではたぶん3歳の頃には、鍵盤が見えない状況で鳴らされた音が何の音なのか答えられていたように思うのです。この記憶がなぜあるかというと姉が私をよくこうやって試していたから。姉は自分はできない音あてを私ができるのがおもしろかったらしく。おもしろがってよく鍵盤を鳴らしては何の音か「答えてみな」と私に問題を出していたのでした。私と姉の年齢差は学年にして、6年。そのとき私が3歳とすれば姉は8~9歳。8歳の姉は同じことをやってももう音をあてることはできるようにならなかったのです。でもそれは生まれつきの差とかではなく。姉にも私にした姉のような人がいて同じことを3歳以前にしていれば絶対音感はついていた、はず。・・・私の霞のかかった記憶を掘り起こしての推測なので絶対にそうだ!とは言い切れませんが。同じ家で育ち、楽器も同じように身近にあった姉と私の差はどこで生まれたのかといえばやはり年齢としか考えられません。私が絶対音感を身につけられた理由をまとめてみると。家にピアノがあった。この音がなんであるかをいいながら単音を聞かせられた。(これはドだよ、と。)鍵盤の見えない状態で音を聞かせられ何の音か答えさせられた。(考えさせられた。)という3点だろうと思います。たったこれだけのこと。これをふまえて私は娘にも同じようにやりました。1歳過ぎのクリスマスプレゼントにはおもちゃではなく、楽器のキーボードを買いました。(おもちゃのキーボードは音の高さが適当なのがあるので要注意です。)これは娘専用で、娘が座って弾ける高さに設置し、いつでも好きなように鳴らせるようにしていました。ドがわかるしるしをつけ「ド」と口で言いながらこの音を鳴らすようにとよく言っていたように思います。そして私が姉にされたようにこれは何の音だ?、とクイズもよくやりました。0歳から3歳のお子さんがいる方。ぜひやってみてほしいと思います。楽しく遊びながら、当たり前のこととして身につくことと思います。絶対音感が。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆絶対音感があると、何がいいのか?特別何かに役立ったということもないように思うのですが・・・。でも楽器を演奏するにはあったほうが便利なんだろうと思います。バンドをやってるようなミュージシャンには絶対音感がある人は少ない。とバンドをやってるようなミュージシャンであるダンナが言ってますけどねぇ。バイオリンなどは絶対音感がないと難しいでしょうね。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆暑くてボーっとしている間に夏休みも後半にさしかかりました。今回は学習計画も、目標もなにも日記に書いてないままに夏休み突入し。暑い暑いと言っている間に今に至りました・・・暑いよね・・・
2010年08月22日
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楽天の社内公用語の英語化。いやぁ~やりますねぇ。それがいいかどうか私にはわかりませんけれど。本格的英語時代がやってくると言われていたにもかかわらず何十年もやってこなかった日本に。ついに、本格的に、やってきたのかもしれません。そのためにわざわざ(なのかな?)記者会見が開かれニュースになるということでも現状がわかります。うちの娘の行ってる学校はインターナショナルスクールで。子供たちの日常会話は英語でも日本語でもどちらでもよく。日本語を普段使う人たちは日本語、英語を使ってる人たちは英語、この両者が話すときはどちらかが相手に合わせる、という自然な感じで。英語のできない親が多く参加するイベント時は日英両方で話して(同時通訳状態)くれます。授業は5年生までに全員が英語で受けられるようになるようそれまでに教育されるという感じで。ちょっと難しい英語を使われるとわからない子がいる、というのが娘のクラスの状態のようです。もしもある日学校に日本語禁止令が出たらかなりの割合で困る子がいるかもしれません。でもどちらかというと英語全面禁止令が出たほうが学校全体でみると困ることが多いように思います。しかしもし学校からのお知らせの書類が英語で来るとなったら毎回かなり解読に時間が必要になりそう。(会話と書面の英語ってべつものだと思うので。)日英どちらも普通、という今の環境がやはりありがたいです。娘にとっては学校が英語だけになっても問題ないでしょうけれど。まぁそういう環境にいるから楽天の話もあまり驚かなかったのですけれど。実際にそこで働いている人にとっては大変なことでしょうね。英語に縁なく仕事ができていた人たちにも英語使用令ですものね・・・。英語ができることを自慢する人も困りますが。実は英語ができないことを自慢する人が世の中にあまりに多いのが私はずっと苦痛でした。人はなぜ英語に関してはこんなにできない、と自慢するのでしょう。私はそれを聞かされるのがとても苦手なのです。楽天で働く方々はもうその自慢はできる雰囲気じゃないでしょうね。本格的英語時代の到来(?)で英語できない自慢をする人が少しでも減ってくれるよう・・・そして日本の英語教育がさらに実用的で効率よいものになってくれるよう・・・願ってやみません。楽天にお勤めの方々、がんばってくださいね。やりゃできるんだってところを日本中に見せてほしいと思います。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2010年07月01日
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