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こんばんは この前 生島足島神社へ 行った時に 撮ってきた 写真です 別所線は 上田駅から 別所温泉を つないでいます
2009.04.22
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こんばんは ブログを始めて 1年が経ちました 気まぐれな内容に お付き合いいただき 感謝申しあげます 記念的な企画も 思いつきませんでしたので 龍の子太郎の モデルになった お話をしたいと思います 上田市の南 塩田平(しおだだいら)に伝わる お話です小泉小太郎物語 むかし独鈷山(とっこさん)に お坊さんが一人で住んでいる お寺がありました ある晩 うら若い娘さんが訪ねてきて 泊めて下さいといいます ところが朝になると 姿が見えません そんなことが何日も続き 不思議に思ったお坊さんは ある朝あとをつけてみます すると娘は 物凄い速さで 山道を走って 湖まで行きました(沢山湖) それを見たお坊さんは 腰をぬかしました 娘は龍で しかも赤ん坊が産まれたのです 赤ん坊は産川(さんがわ)を流れて いってしまいました 赤ん坊は 小泉というところで おばあさんに拾われ 小太郎と名前を 付けられて 育ちました ある日 自分の出生を知った小太郎は 干ばつに苦しむ 村人のために 母に会いに行きます 息子に乞(こ)われた 母親の龍は 命をかけて岩を砕き 水を流しました 田畑は潤い 村人は救われました ・ ・ ・ このお話は 武田信玄と戦った村上義清側で活躍した 小泉氏の 起源の話とされています ただ産川と 小泉地区を流れる浦野川は 川筋が違います 雨量の少ない塩田地方の 希望のお話だったと思います この話は 大人になってからのことが ありませんが 逆に山(美ヶ原)を隔てた 松本安積野地方には 出生は分かりませんが 同じように龍の母が 湖を壊して 松本平をつくった 泉小太郎の話があるそうです塩田平より 四方を望む ▽ 北 上田原 上田市街地・上田城方面 戸石城 旧真田町方面 左から天白山岩鼻 虚空蔵山 太郎山 東太郎山 ▽ 西 信州の鎌倉と呼ばれる別所温泉方面 北向観音 安楽寺三重の塔 ▽ 南 伝説の山 独鈷山 沢山湖方面 ▽ 東 神話の郷 下之郷 生島足島神社 浅間山方面 ▽ 独鈷山 沢山湖方面 鹿湯教(かけゆ)温泉 美ヶ原方面 ▽ 上田市街 太郎山 菅平方面 ▽ 左から 女神 男神
2009.04.21
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私は 土曜日の 午後5:55~6:05の間 千曲川の 川原にいました 写真が 証拠です 久しぶりに 夕日の写真を 撮りました 千曲川の 夕暮れは 寂しく ありません なにか 明日への 希望を 感じます 訪問して いただいた方にも いいことが ありますように
2009.04.12
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暖かい日が 続いて いますね 上田の千本桜祭も その名に ふさわしく なって来ました 生島足島神社の 水面に写る桜が さぞきれいだろうと 思って 行ったのですが 桜の木も少なく まだ 咲いてもいません さらに 水が少なく 期待していた イメージとは だいぶ 違いました しかし 本殿は 土間になっており 御神体が 大地であること 生島様と 足島様の ニ神を 祭ってあること 歌舞伎舞台が あることなどが わかりました また 諏訪大社の御柱(おんばしら)祭りは お諏訪様が 大和を 追われた時に この神社に 身を寄せたということで その恩義で 行われているという 話もあります なにか 神話の世界の 壮大さを感じる 空間です
2009.04.12
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この間 須々貴城跡の 帰り 浦野川沿いに 木の橋を 見つけたので 立ち寄りました 醤油久保橋という おもしろい 名前が 付いていました どうやら 橋が 古くなったので 架け替え 地名をとって 名前も 替えたようです 谷保ーでは ありません(愚ー具留)が 調べると 上戸 彩 の オロナミンCの CM で 使われた そうです タッキー扮する 牛若丸と 橋の上で 出会うシーンです 上田市には いろいろ 映画に 使われた場所が あります 訪ねて 報告したいと 思いますが そんなに 映画を 見ていませんでした 残念 年度始め ですので 元気ハツラツと 行きたいと 思います
2009.04.08
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こんばんは ご無沙汰です 今日から 7年に1度の 善光寺御開帳が 始まっています 家のすぐ近くの 上田城跡公園でも 桜も まだなのに 千本桜祭が 19日まで 開催されます テポドンも 発射予定の中 岩鼻という 崖の近くの 天白山にある 須々貴城跡へ 登ってきました この城は 上田原の合戦で 武田信玄に対峙した 村上義清の 拠点と なったようです 風林火山の旗は 違和感があります 帰りにであった ご夫婦も 六文銭の旗は おかしいのでは と言っていました テレビドラマのときに 作ったのぼりなので しょうがないのですが 長い石段は 533段ありました さらに 右側の須々貴神社へは 57段 神社の前に1段 後ろの祠(ほこら)まで(実際には行けない) 9段 合計600段 踊り場などを足すとプラス8となり 行ける所までは 599段となります 神社へ登る途中には なぜか武田の家紋に 似た岩があり 武田石とかってに 名付けました 左側に 登っていくと 上の城跡へ つきます 須々貴神社も 小さく見えます ここに陣を構えた 義清は 東に広がる地に 思いを馳せると ともに 武田の脅威を 感じていたのでしょう 生涯2敗しかしなかった 武田信玄に 2度勝ったと言われる 武将も いつしか上杉を頼って 越後へ 落ちのびるのである 機会があれば 隣町の坂城にある 記念館を 訪ねてみたいと 思います
2009.04.05
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