1

チェス世界選手権サイクル1958-60年 フィッシャー世界に初挑戦、インターゾーン 4位、挑戦者ラウンド 5位1961-63年 インターゾーン 1位、挑戦者ラウンド 4位1964-66年 ソ連選手の八百長を理由にフィッシャー棄権1967-69年 フィッシャー再挑戦、インターゾーンで首位を走っていたが途中棄権ボビー・フィッシャーの気難しさは齢とともに過激になり、67年のインターゾーンでは途中まで首位を走っていたにも拘らず、スケジュールなどに対する苦情を主催者側が認めなかったため、フィッシャーはあっさりと途中棄権してしまった。フィッシャーは、次の世界選手権サイクルのインターゾーン戦(1970年)に参加する資格を得ることが出来なかった。というのも、またまた気に入らないことがあって1969年の全米選手権をボイコットしたからだった。全米を戦わずにアメリカ代表になることは出来なかった。ここで二人の男が助け舟を出した。全米チェス連盟の幹部エドモンドソン(Ed Edmondson)とアメリカ代表の一人ベンコ(Pal Benko)が画策して、ベンコが代表の座をフィッシャー譲った。ベンコは、フィッシャーしか優勝するチャンスはないと思ったのだ。こうしてフィッシャーはやっと1970年のインターゾーンへの参加資格を得た。そしてインターゾーンの後半戦から奇跡の20連勝が始まった。中盤からの7連勝でインターゾーンを首位で終えたフィッシャー、挑戦者戦の最初(準々決勝)の相手はソ連チェス界のベテラン、44歳のマーク・タイマノフ(Mark Taimanov)だった。コンサート・ピアニストでもあり、やはりピアノ奏者の妻(Liubov Bruk)との二重奏は Great Pianists of the Twentieth Century というレコードにもなっている。息子も有能なピアノ奏者で、ピアノを軸に幸せな家庭を営んでいた。フィッシャーは稀有の集中力と耐久力でタイマノフを6対0で葬り去った。このレベルの戦いで6連勝というのはちょっと考えられない。例えば、1968年の挑戦者戦では、8人の参加棋士が全部で62局戦ったが、うち35局(56%)は引き分けだった。連勝というのは殆ど無い。2連勝が4回、3連勝がたったの一度、スパスキーがラーセンを破った時にあるだけだ。フィッシャーの成し遂げたことが如何に桁外れのことかがわかる。フィッシャーの奇跡はまだ続く。準決勝の相手、デンマークのラーセンをまたしても6対0で一蹴したのだった。挑戦者戦で12連勝、インターゾーンの時から数えて19連勝という前代未聞の偉業だった。挑戦者決勝の相手はソ連のペトロージアン、ここまで17局のうち15局を引き分けてきた、老獪な前世界チャンピオンだ。緒戦を獲ったものの、その後とうとう初黒星を喫し、更に3連続引き分けと、苦戦を強いられた。ところが、この後またもや3連勝し、フィッシャー念願の世界チャンピオン挑戦が決まった。ソ連のタイマノフは帰国後、「村八分」にあっている。空港で荷物を検査され、ソ連では当時禁書だったソルジェニツインの著作と無届の外貨を発見された。特権的な地位にあるチェスのグランドマスターとして、今までは多分不問に付されていただろうことがそうでなくなったのだ。フィッシャーというアメリカ人に6連敗で負けて帰ったことは国辱であり重罪だった。タイマノフはソビエトチームからはずされ、その後2年間の国外旅行を禁止された。全ての特権は剥奪され、コンサートでのピアノ演奏も禁じられた。収入の道を閉ざされて結婚も破綻した。一党独裁政権に恐れをなして、殆どの知人・友人はタイマノフを公には庇おうとはしなかった。例外はボリス・スパスキーだった。「我々みんなフィッシャーに負けたんだ。全員、絨毯の上を引き回されなきゃいけないのか?」そして、ボビー・フィッシャーの次の相手が時の世界チャンピオン、ボリス・スパスキーだった。
2005.04.02
閲覧総数 765
2

イエス(Yes)というプログレッシブ・ロックのバンドが1971年頃にリリースしたアルバム「こわれもの(Fragile)」を、僕はいつどこでなぜ買ったのか、全く覚えてない。1970年ごろから3年ほどぶらぶらしていた時期があって、その頃は時々近くのレコード屋で、その店を任せられていた一人の店員さん、僕より数歳上の青年だったが、彼のアドバイスやアルバムのデザイン、時にさわりを聴かせてもらい、ただただ印象で選んでLPレコードを買っていた。その中の一つに違いない。このアルバムのA面の冒頭(そう、その頃はA面とB面があった)に置かれた「ラウンドアバウト(Roundabout)」という曲にはぶったまげた。シンセサイザーかあるいはピアノ録音を逆に流したものか、7秒ほどの間Em(ホ短調)の和音が徐々に厚みと強度を増して行き、パッと姿を消した瞬間に、スチール絃アコースティックのギターが同じEmの和音を12フレットの倍音(フラジオレットあるいはハーモニック)を使って響かせる、ギターはそのままEmの旋律に続き一旦小休止する。倍音からEmの旋律をもう一度奏でて、今度はC和音に移って落ち着いたところに再び冒頭のキーボードがC和音で深く響く。もう一度ギターの倍音からEmの旋律が挿入されF#の音で足を止めた後、D和音に転換してスコットランド民謡風のメロディが小気味よく流れた後、曲のメイン部分へと変転する。堅実な8ビートに乗って、2小節単位でEm‐F#m‐G‐F#m‐G‐F#m‐Emと進行するコードが繰り返される。この時ベースは完全に16分音符のノリで、多分この当時としては高度な演奏だったものと思われる。やがて「I'll be the roundabout」とリードボーカルが、まるでもう一つの楽器のように独特な高音で入ってくる、澄んだ高音ではなく霞のかかったような掠れた高音。ハードロックの歌手は嗄れ声で自己主張をするものが多いが、イエスのJon Andersonの声は周囲に溶け込む自己主張の薄いボーカルだ。この曲、アルバムで発表された時は8分29秒という長さ、1972年に商業主義大国アメリカでリリースされたシングル盤は3分27秒に縮められていた。イエスのメンバーはもちろん失望したが、シングルがトップ10に入るヒットになり、経済的には楽になった。2012年に日本のテレビアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」のエンディングテーマに使われたそうだ。シングル盤は聴いたことがないので、アルバムバージョンに限って曲を少し分析してみる。曲全体の構成は、50年前はもちろんのことおそらく今でも、相当に挑戦的だ。当時の僕には、複雑だという以外その構成を把握することができなかった。今はネットの力なども借りてもう少し理解できる。上で紹介したEm‐F#m‐G‐F#m‐G‐F#m‐Emという2小節のフレーズは、ボーカルを伴って3度繰り返され、3度目の終わりで3度平行に押し上げられ(若干の変化を付けられて)Am‐Bm‐C‐D‐C‐Bm‐Amとなりこの部分のコーダに流れ込む。ベースの基調音だけを拾うと(以下和音ではなく単音)E‐F#‐G‐F#‐G‐F#‐EからA‐B‐C‐D‐C‐B‐Aに変化し、コーダ部分はB‐D‐G‐Cだが、和音としては最後の音はEmの平行調のG(ト長調)にsus4が付けられたものではないかと思う。この部分をXとすると、Xは2度繰り返され、サビあるいはrefrainと考えられるYが挿入される。Yは先ほど触れた平行調のG(ト長調)に移調している。まずギターのリズムだけでボーカルが流れ、オルガンのアルペジオ更にベースがギターと同じリズムで刻まれ厚みを増していくがドラムスは姿を消している。Yの部分でもう一つ特徴的なのは、フレーズの単位は4小節なのだが、その4小節目は2/4(4分音符2つ分つまり2拍しかない)、つまり一つのまとまりは16拍(4x4)ではなく14拍(4x3+2)という変則的なものだ。Y部分のコード進行は後にオルガンとギターのアドリブ・ソロで使われるが、その時にもこの変則ビートはそのまま保たれる。当時も今もこのビート数の変則には、僕は全く気づかなかった。自分でアドリブでもしない限り不自然さを感じないのだ。(もちろん音楽感覚の優れた人ならすぐ気付くことだろうと思う。)しかし、この僕でもおかしいなと感じたことがある。Y部分を使ったアドリブの時にはドラムスが背景に存在するのだが、その(多分)スネアのビートが、1小節の中で2拍目と3拍目に置かれたり、2拍目と4拍目に変わったり、時には1拍目と4拍目だったり様々で法則を掴めない。しかし、上に書いたように4小節で14拍のまとまりだと分かれば、スネアのビートは1小節目が2拍目と3拍目、2小節目が2拍目と4拍目、3小節目は1小節目と同じ、2拍しかない4小節目はその2拍目に置かれるという法則が見えてくる。(本当のことを言うとアドリブの後半部分ではこの法則も破られているが、そこは目をじゃなく耳を閉じてもらいたい。)この曲の歌詞はどうなんだろう。結構意味不明な部分が多く、人によっては深読みをして詩的に味のあるものと解釈している。詩はもちろん個人個人が読み取るものだから、そこに深遠な意味を読み取るのもありである。作者(ボーカルのJon Anderson)のインタビュー記事によると、Roundaboutとは環状交差点あるいはロータリー交差点という意味で、1971年の春にバンドの車でスコットランドを移動中、何十ものロータリー交差点を通りすぎたことに詩心を感じたJon Andersonが、ギターのSteve Howeと車の中でマリファナを吸いながら作ったという(英語版Wikipedia)。冒頭の部分は、I'll be the roundabout. The words will make you out and out. I spend the day your way. Call it morning driving through the sound in and out the valley・・・In and around the lake. Mountains come out of the sky and they stand there、最初の文で、主人公「私」はロータリー交差点に同化している。次の2つの文では「あなた」も使われ、これがロータリーのことを指すのか別の誰かを指すのか不明だ。ロータリー交差点が心の中に存在して、その中にいる自分から歌詞が湧き出てくるのが、まるでそのロータリーから捩じりだされるような感覚なのだろうか。ロータリーをいくつも過ぎて山や谷も通り抜けている。その時、メロディの破片も心に浮かんでいるようだ。後半部分では更に印象的なイメージが歌われる、Along the drifting cloud the eagle searching down on the land. Catching the swirling wind the sailor sees the rim of the land. The eagle's dancing wings create as weather spins out of hand. Go closer hold the land feel partly no more than grains of sand. We stand to lose all time a thousand answers by in our hand. Next to your deeper fears we stand surrounded by a million years、「私」は空を高く舞う鷲に同化しているようだ。そこから地上や海上を見下ろし人生について思いを語る。鷲の踊るような羽で天候が乱される、地面にしっかり捕まってもまるで砂を掴むようにこぼれていく、僕たちの人生でいくつもの疑問がこぼれ落ちるように、深い慄きに囚われている僕たちを100万年という年月が包み込む。想像を上回る強靭な構成力、ギターの倍音から民謡風のメロディを合わせたイントロ、ボーカルを伴ったXとY、更にYを下地に展開される豪快なアドリブ、高度なテクニックを持った5人のメンバー、これらに支えられて霞みがかった高音が神秘的な詩を歌い紡ぐ。最後はイントロのメロディでEmをEに転調して終了する。8分29秒のドラマが50年間多くの人を捉えてきたことが実に納得できる。50年前に小さなレコード屋でこのアルバムを買ったことは、運命の人に出逢ったかのように、幸運だった。ユーチューブで聴くことのできるRoundaboutの一つ、2017年のライブ演奏。
2019.06.24
閲覧総数 598