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某ニュース番組に問題発言をした政治家が生出演。当然、ことの真意を糺すのかと思ってみていれば、何のことは無いへらへらと揉み手せんばかりのおもねりよう。政治家のほうも組しやすしと見ているらしく、余裕の表情で笑みまで見せている。 サラブレッドの血筋を嬉しそうの紹介し、まるで昼のワイドショーのようなつくりだ。これでは問題発言を追認し、番組をあげてエールをおくる様なものではないか!こんな番組はいらない。こんなキャスターもいらない。
2006年01月31日
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何年か前「イルポスティーノ」と言う映画を見た。 パブロネルーダという、実在の詩人と、郵便配達のマリオの友情の物語と言えばいいのだろうか。地味だけれどとても良い映画だった。1年程前に、貸しビデオで見つけて嬉しくなって借りてきた。見てみると、何か違う。マリオとベアトリスの逢引のシーンがそっくりない。貸しビデオだから家庭向きにしてあると言う事なのだろうか。でもいまどきのテレビドラマよりぜんぜん露出度の少ないとてもきれいなシーンだったのに、こんなことしてしまっていいのだろうか。成人指定なんかではもちろんない。どうなっているのでしょう?
2006年01月31日
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受験シーズン真っ盛り。自分の時はどうだっただろう。今頃は自由登校で週に1回学校には行ったが、後は自宅で自習だったような気がする。今の高校は、能力別クラスも、文理、公私のクラスも分けるのが当たり前で抵抗は無いようだ。私の高校は、そういった方向からは対極にあった。高校は高校としてあるべきで、予備校化するのは許さないというのが、共通認識だった。受験勉強は各自がするもので、普段の授業で受験対策はされなかった。受験に熱心な学校より進学率は劣っていたのだと思うが、面白い先生が多く、充実した授業も多かった。今にして振り返ると良い高校だったなと思う。
2006年01月30日
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息子が2,3歳の頃、佐藤英和さんの講演を聴く機会があった。保育付きだったので思い切ってでかけてみた。5回連続で毎回興味深い話の連続だった。こぐま社は絵本が中心の児童書の出版社だ。佐藤さんに拠れば、出版業界の中では、「ぽっぽや」と呼ばれて軽んじられていると言う。はとポッポ、きしゃぽっぽ、というわけだ。20年読まれ続けてやっと一人前の本と絵本は言うのだそうだ。20年と言えば、自分が読んで育った本を自分の子供に読んでやるということだ。その年月に耐えられず消えていく物が圧倒的に多いという。「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」「ちいさいおうち」「おだんごぱん」等々読み継がれた名作ももちろん沢山ある。わたしは、自分の絵本を選ぶ目に自信をもっていた。けれど佐藤さんの話を聴いて自分は思い違いをしていたことに気がついた。絵として上等な絵が使われ、上質な物語が書かれていれば良い絵本だと思っていた。良い絵+良い文=良い絵本、と信じて疑わなかった。しかし、佐藤さんの話に拠れば、絵本とは、まったく別なもののようだ。絵本は先ず、読んでもらうようにできている。子供は大人が考えるよりずっと絵の細部を良く見ている。絵が語るところを全身全霊で受け止めている。絵の描かれているページに内容を先走った話を書いてはいけない。(これに反するものが案外多い)衝撃的だったのは、「早く字が読めるようになるのは決して良いことではない。」という言葉だった。「字が読めないのは子供の能力です」というようなことも言われた。 字が読めるようになった子供に「もう独りで読めるね」と読み聞かせをやめてしまう親がいるがとんでもないことだとも。覚えたての字面をたどるのに一杯いつぱいになれば、お話の内容どころではなくなってしまう。想像力を全開にして聞き入っているのとは大違いだと。私はなるべく遅くまで読み聞かせを続けようと思った。
2006年01月29日
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さて今日は何をかけようか。毎朝考える。元気になりたいときは、 シンディーローパー。しっとり気分でニーナシモン。軽さが欲しいときはビートルズ。チックコリア。サイモン&ガーファンクルでも、トラフィックでもいい。落ち着きたいときサイトウキネンのモーツァルト。自分に活を入れるにはコルトレーン。キングクリムゾンもいい。だけど、迷って決められないときは、やっぱりマイルスの出番だ。聴いているうちに、これしかないと言う気になってくる。今日もスティーミンをかけている。未発表の6枚組みライヴCDが出たらしい。聴いてみたいです。若いときのキースジャレットがオルガンを弾いているとか。マイルスが健在のうちに生で聴きたかった!
2006年01月28日
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ブログをはじめて3ヶ月ほど。この間に私のお気に入りリンクには7人の方が登録された。はじめは何が何だか判らないでやっていたので、どなたをいつ登録したのだったか記憶が定かでない。しかし、今見比べてみれば、よくもまあこれだけバラエティに富んだ選択になった物だと、満足している。一人として似ていない。普通実生活なら知り合えないような方もいると思う。毎日皆さんの更新を楽しみにしています。今後ともよろしく!
2006年01月27日
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高校の時は好きな先生と嫌いな先生ははっきりしていた。嫌いな先生の教科が嫌いとばかりは言えないが、大体は一致した。M先生は英語の先生で、3年の時だけ教わった。英語の先生なのに、K大の社会科学科の出身と聞いた。3年になると進路により選択科目が増える。M先生は英語演習と言う授業を担当していて、教科書以外の教材が用意された。ジェームス、カーカップの詩。同じカーカップのアメリカ紀行。一番印象に残っているのは、マーティン、ルーサー、キング牧師の、1963年の、ワシントン大行進のときの有名な演説。これはカセットテープが全員にダビングして配られた。黒人の公民権運動の歴史も合わせて説明があった。M先生は、教師としては教え上手ではないけれど、熱意が伝わる方だった。演説は感動的で、テープと生徒たちの感想のプリントは、卒業してからもたいせつに保管していた。去年本屋で偶然にこの演説のCDつきの本を見つけてつい衝動買いしてしまった。じっくりきいてみたいとおもいつつ、まだ機会が無い。
2006年01月26日
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割と最近この本を読んだ。小川洋子さんは初めてだったけれど、とても気に入って「数学が判る人はうらやましいなぁ。」なんておもっていた。映画化されたということで、テレビでスポットが流れていたのを見た。何だか違う。キャストが駄目だ。博士はもう少し年上の人で無いと。それに主人公、この人じゃない。声が駄目。静謐な雰囲気が絶対必要!意志は強く、押し付けがましくなく、そして優しい。誰ならいいか、考え中です。そういうわけで、この映画は見ません。
2006年01月25日
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80歳になると言うナベツネさんは、ニュースのロングインタビューで意外な顔をみせた。ジァイアンツがらみで登場する時はいつも変な爺さんで、権力に物を言わせて無茶ばかり言う、という印象だった。それが今日はとてもまともなのだ。総理の靖国参拝は、ドイツの首相がヒトラーの墓参りをするのと同じだ。止めるべきだ、という。「メディアと権力」と言う本を以前読んだけれどそこに描かれていたナベツネと、今日見た印象のあまりに違うことに驚いた。もうじきお迎えが来るから、その前に知っている(戦争を?)ものとして話しておかなければ、といっていた。今はどこかおかしい、とも。そう感じている人は結構あちこちにいるようだ。
2006年01月24日
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一つ前の日記を書いた時点では、こんなに早い逮捕は予想していなかった。なぜ今?何か隠したいことがあるときに、耳目の集まりやすいニュースをぶつけてくるのは良くあることだ。今だったら、、やっぱり耐震偽装で追及を受けそうな人達はこの逮捕を喜んでいるだろうなと思う。少なくても時間が稼げる。明日からの国会はきっと今日のこの逮捕に絡んだやり取りに終始することになるのだろうな。困ったことだ。他にも沢山大事な話があるのに。目が離せません。
2006年01月23日
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毎日、毎日大きいニュースは尽きる事も無く、あれもこれも垂れ流されてゆく。大きな事件があると、各局は争って同じ事件を報じる。次に違う事件が有ればそちらへ移って行き、始めのほうは何時の間にかどこも触れなくなっていたりする事がある。各局の主体性は何処にあるのだろうと疑問に思う事が多い。視聴率の取れそうなほうへ民放は流され、NHKが何にコントロールされているかはもう周知の事となった。目を開いてよく見ていよう。すぐ忘れると見くびられている事は知っている。忘れないようにしよう。沢山情報があるようでいて、本当のことは少ない。それを隠す為にばら撒かれた似非情報にだまされないように!
2006年01月23日
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とにもかくにも終わりました。噂のリスニングテストも、ちょっと体験させてもらいました。電池が途中で切れて最後までできなかったのは残念ですけど。あの機械は欲しい人は持ち帰りできたのでもらってきたのですが、他に使い道はありません。あれを作った会社は凄い特需だったわけですね。
2006年01月22日
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センター試験の今日は、関東は雪降りだったらしい。東京の人は滑り止めのついた靴を持っていないし歩き方も雪道に慣れていないのでよく転ぶ。鉄道も雪には弱くほんの少しの降雪で止まったり遅れたりする。うちの受験生も受けに出かけたが、ここは試験会場が近いので徒歩で出かけた。氷でツルツルなのでさすがに自転車はやめた。あともう1日。どんな調子だったかできばえはともかく、リラックスしていることは確か。さてそれが吉と出るか否か、、、食欲旺盛、睡眠充分、いまどきの受験生ってこんなものですか?
2006年01月21日
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なめてるとしか思えない!散々無理を言い、理屈にならない理屈をこじつけてごり押しして始まった輸入再開だというのに、実に初歩的な、ミスとも言えない手抜きというべき失態!さすがに政府も今回は聞き分けよくしている訳には行かないと思ったらしく、いつに無くきっぱりとしたコメントを出した。国会が始まったばかりだしね。こういう態度を基地問題でも取ってくれたら見直すのですが、、ポーズだけに終わらせず、しっかり主張するべきは主張して欲しいものだ。言いなりになるのはパートナーなんかではありません。ポチです。どちらにしてもアメリカ牛を食べることはこれから先も無いだろう。
2006年01月20日
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この本を原作とするアニメをNHKでしばらく放送していた。特に悪いことは無いのだけれど、原作を変に改作していた所があったし、一言で言えばかたちをなぞっただけで、見るべきところは無かった。テレビアニメはもともとあまり期待するものでもないので、これでもいいほうに属すると思う。本とは別物だ。それなりの見方をすれば良い。アニメがきっかけで本を手にする人が増えれば良い。
2006年01月19日
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半信半疑で読み始めてみた。息子が引き込まれるわけが判った。司書さんの言った意味も。私は自分用に全巻買い揃えてしまった。この作家は初めてだったが、これだけの数の人物を活かして描き分ける力量は並ではないと思う。続編が待ちどおしい毎日だ。
2006年01月18日
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2年くらい前、息子が熱心に本を読んでいた。その本の表紙がどう見てもテレビゲームの映像のように私には見えた。多分ゲームのネタ本の類なのだろうと思った。事実そういう本はたくさん読んでいて、ゲームをまったくやらない私からすれば(本とは呼べない)時間が勿体ないしょうも無い代物と日ごろ思っていた。見ていると、次々新しい巻を買ってきては読んでいるので、心配になってきた。私はまがい物と内心決めてかかっっていたので自分で読んでみようとは全然考えず、市立図書館に出かけていった。 司書さんに評価してもらうつもりだった。一人目の方は「確かに最近リクエストも多いし人気ありますが、私は読んでいないので、好きで全巻読んだ人がいるので、そちらに聞いてみて。」とのこと。さてその二人目の方、ぜひ読んでみるようにと私に勧めるのでびっくりした。時間の無駄になるような代物ではないのか念を押したら、そんなことはない、とても良い本ですと太鼓判をおすのだ。表紙はたしかにアニメ調(事実NHKでアニメ放送もあった)だが、大人に人気が出て地味な表紙の版も出たという。 続く
2006年01月18日
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今日は大きいニュースが目白押しだ。先ずはフューザー小嶋社長の証人喚問。それから宮崎勉の判決。阪神大震災から11年。ライブドア問題もありましたね。喚問はラジオで聞きながら仕事していたけれど、ちっとも先に進まないでどうしたことでしょう。追及が下手なのか、時間が足りないのか、もう少し何とかなりませんか。
2006年01月17日
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2006年01月16日
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1週間ほど前のカルテットのコンサートの時からここで会えるかもしれないとは思っていたのでさほど驚きはしなかった。この日私たちは初めてゆっくり話をすることができた。私はこの頃ジャズを聴くようになっていたが、周りに同じ趣味の人は皆無だった。この日話してみると、彼の方も同様でお互いの趣味が似ていることに気がついた。前の年のマッコイタイナーのコンサートも、1日違いで聴いていたことを知った。話せば話すほど、興味深かった。帰らなければならない時間になって、私たちはお互い名前も知らないことに気づき笑ってしまった。 私たちは、たくさんのコンサートやライヴやジャズ喫茶やレコード屋にいった。アートアンサンブルオブシカゴ、ドンチェリー、セシルテイラー、チックコリア&ゲイリーバートン、ウェザーリポート、ダラーブランド、ムハルリチャードエイブラムス、etc 2年後、私たちは結婚した。きょうはその始まりの日。
2006年01月15日
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かつて1月15日は成人の日だった。ハッピーマンデーとかが始まって以来15日はただの日になってしまったけれど、私にとっては特別の日だ。その日成人式だった私は、母が無理して作ってくれた振袖を着て一応成人式に出、友人に再会したあと、キースジャレットのソロコンサートにむかった。期待どうり素晴らしいコンサートだった。前から4列目のとても良い席だった。一列後ろの席に彼は座っていた。 続く、、
2006年01月15日
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今日息子が、受験する学校の下見に出かけた。一人でバスを乗り継いで、時間の確認と街の様子を調べたり、住まいの状況を調べたり色々偵察だ。もう一人前と言ってもいいような外見でも、家から外に出たことの無い自立とはほど遠い暮らしぶりをしてきた。一人暮らしになればすこしは自立に近づけるだろうか。自分があのくらいの歳の頃を思い出してみると、もっと生意気で、大人なんて信用していなかったなあ。息子は幼いのか、それとも私が気づかないだけでもっと本当はすでに親離れしているのだろうか。 親のほうが取り残されるものだとは言われるのだけれど、まだ実感はわかない。
2006年01月14日
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「何の生命の躍如感ももたらすことなく、単に私を教えるだけのものは、私にはことごとくいやらしく思われる。」というのは確かゲーテだったと思うが、そうだそうだ、と感じることのなんと多いことだろう!本ものを見る目は、多くの本ものと接することでしか養われない。感動しろ感動しろと強制されるのなんてごめんこうむりたい。演劇は感動するために観るわけじゃない。その世界にどっぷり浸って体中で味わいつくす。その挙句が、感動か反発かそんなこと前もって考える事じゃ無い。体験すること、そのことが肝心なのだ。何でもかんでもマニュアルどうりに反応する事に馴らされていく子供たち。中学がことに辛いと私は感じた。今の中学生を私は務まらないなあ。色々な場所で、色々な方法で、自分を解放して行ってほしい。こども劇場はその一助になれると思う。
2006年01月13日
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こども劇場では色々な活動をするが、メインは例会と呼ばれる劇の上演と観賞だ。1年に4~6回の例会は、会員のアンケートを積み上げて決められる。小はエプロンシアター、大はバレーのようなものまで規模も予算も千差万別な候補の中から会員みんなの希望をまとめるのはなかなか難しい。予算のかかる大きいその年の目玉となる公演を先ずきめて、後の残りを安めの予算でこじんまりした少人数の劇団のものにしたり、はじめからあまり大きい物は諦めて平均に中くらいの規模のものにしたり、方法は色々だ。そういう選択のテクニックとは別に、選択の基準となる価値観がまったく違うと感じた場所があった。仮に「Aこども劇場」としましょう。Aでの一番の選考基準は「タメニナル」と言うことであると思われた。たとえば感想文のための課題図書になりそうなもの。たとえば道徳の教科書に載っていそうなもの。何だか感動しそうなもの。こどものことをこどものために一生懸命考えたその結果なのだろうとは思う。だけどそれはおもしろくなかった!マルマルのためになるなんて子供をなめてはいけない。大人がおもしろくないものはこどもだっておもしろくない。教訓に、言語化出来てしまう様な物はわざわざ演劇にすることなんて無い。お題目だけ読めば事足りる。Aでは、会員不足が悩みの種だった。文化(形の無いもの)にお金は出さない土地柄だと聞いた。
2006年01月12日
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文庫で知り合った人たちの中には、こども劇場のメンバーも多くいた。こども劇場は、全国いたるところでそれぞれ別々に運営されている。このときは「○○東こども劇場」。あるときは「○○こども劇場」またあるときは「××こども劇場」と言う具合に。それぞれ運営は特徴があった。会員の会費により運営されている所。上演の出し物を選ぶのや実際の運営を会員が交替で行うなどは共通している。ところ変れば変る物だといちばん思ったのは作品のえらびかた。 続く
2006年01月11日
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子供の頃北海道の十勝地方に住んでいた。このあたりでは、冬のスポーツは、スケートと決まっていた。スキーはスポーツではなく、交通手段だった。小学校の時通学は、夏は自転車、冬はスキーなのだった。冬道で自転車は使えないし、歩くよりスキーがずっと早いからだ。校庭の自転車置き場は、冬はスキー置き場と化し、授業中はスキーがずらりと並んでいた。一方スケートのほうは本格的にスポーツだった。どんなに小さな学校でも校庭には400mのスピードリンクを備えていた。これは生徒と、PTAの共同作業による。雪が降ると、生徒はみんなでトラックを踏み固める。晴れて冷え込む夜、PTAのお父さんたちが交替で水撒きをする。水撒きを4,5日続けるとだんだん氷が厚くなってくる。そうするといよいよスケートシーズンが始まるのだ。体育の授業はもちろん、放課後の遊びも冬はみんなスケートばかりだった。5時になるとすべりは終わりで、皆で掃除とメンテナンスをする。一日滑ると氷はきずだらけで細かい屑が、雪のように表面を覆っている。それを竹箒で掃き、大きな傷には水で濡らした雪を埋め込む。すぐに凍るので、盛り上がった分を平らに削り取る。ここまでが生徒の仕事。後は、夜またお父さんたちの水撒き。これが毎日繰り返されるのだ。
2006年01月10日
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この冬の雪は日本中で記録的といわれ、被害も多く出ている。雪かきは欠かせないが、大変な労力が必要で、お年寄りだけの世帯ではその負担も並ではない。私の住んでいる県では、大分前から「スノーバスターズ」と銘打って若者の雪掻きボランティアを組織している町がある。とてもいい取り組みだと思うし、何よりネーミングの勝利だと思う。フットワークの良い若い人たちが、頼もしい働きをしている様子が目に浮かぶような明るいイメージがある。若い人にとっても楽なはずは無い仕事だけれど、同じことをするのでも呼び方は大切だと思う。雪退治隊でもいいけれど、やっぱりスノーバスターズの方が正義の味方っぽくてかっこいいんじゃないでしょうか?
2006年01月09日
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生まれて初めてネットショッピングをした。余り簡単だったので驚き。これでは町の本屋さんは売れなくなるなあ、とおもった。注文した2日後本はもう手元に届いた。その事はとても嬉しいのだけれど、、、、町の専門店が衰退してしまうのは寂しい。
2006年01月07日
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それは、それまで知っていた絵の描き方からは想像もできないものだった。水彩絵の具を使い、下描きはしない。使う色は赤黄青の3原色と白、黒だけ。色は必ず3原色を3色とも混ぜて作る。(1色だけや、2色だけはなし)描きかたは輪郭線を描かないで1点から隣へ隣へと描いていく。植物は根は下向きに、茎は上向きに。動物は顔の中心から毛の流れに沿って外向きに。こんな具合だった。最初に描いたのがもやし。黒の色画用紙に、1本のもやしを描くのだが、茎と根の分かれ目も1点からまずは下向きに根を描き、その後同じ点から今度は上向きに茎を描く。これだけのことなのだが、白っぽいもやしだから黒い紙に描き、背景はいらないように考えてあるらしい。何人もでそれぞれ1本ずつのもやしを描いたけれど、皆それぞれリアルで魅力的なもやしになったものだ。1回の教室で1枚は必ず作品を仕上げる。できたら日付けと名前を入れて完成となる。上手い、下手というそれまで持っていた概念は何を根拠にしていたのか考え直しを迫られる気がした。マドカさんによる「キミコ方式」のお絵かき教室は、文庫の2階で週1回行われた。ほかには、秋刀魚、毛糸の帽子、大根、ねぎ、自転車、枯葉、イカを描いた。毎週教室が楽しみだった。
2006年01月05日
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Sさんの文庫ではいろいろな人との出会いがあったが、「キミコ方式」という方法で絵を教える、マドカさんと知り合えたのは楽しかった。「キミコ方式」とは、松本キミコさんが考案した、絵が苦手な人も必ず描けるようになる指導理論だ。この方は芸大を卒業した絵を描ける人。だんな様も芸大出身でいわばエリート夫婦だったが、そのお二人の子供が全然かけない子だったことから、2人の意見は対立し結局離婚にいたってしまう。夫は、才能の無いものには絵は描けないと言い、妻はわが子のために何とか方法を見つけ出したのである。その方法は、実にユニークだ。 続く、、、
2006年01月05日
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Sさんの文庫は、毎週日曜日の午前中だけ開放されていた。それ以外の日はさまざまな活動に飛び回っているかただった。楽しみにしていた日曜日には私のような幼児を連れたお母さんや、小学生がぽつぽつと訪れた。アップライトピアノとホットカーペットがあるその部屋は、猫が何匹か出入りして、たまには犬も顔をみせた。Sさんは何万冊かあるそこの本を皆読んでいるようで、どの本のことも聞けばよく説明してくださった。さっき読んだばかりであるかのように生き生きと。でもけっしてどれを読みなさいとか押し付けはしない。そしてこちらから言い始めない限り本を悪く言わない方だった。お連れ合いは、小劇場を率いる舞台演出家だった。お金持ちとは程遠い暮らしぶりだったが、とても豊かな暮らしだと思った。 日本海側の地方都市に引っ越した私が、とても落ち込んでいた時、河合隼雄の「マイナスはプラスを連れてやって来る」と言う言葉とともに「子供と学校」と言う本を送ってくださった。これは本当に助けられた1冊だ。
2006年01月03日
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息子が3歳の頃、家の近所で文庫を主催されているSさんとお近づきになった。引っ越して間もない私はSさんの文庫に毎週通ってお世話になった。色々な活動をマルチにされている方だったが、文庫も、ご自宅を改装しスライド式の書架を(天井まである、両面から使えるもの)を4、5本作りつけた、とても内容の充実したものだった。絵本、児童書、ヤングアダルトもの、もちろん大人の本もあった。この時私たちは、本当に多くの本とであった。Sさんは知的で品のいい女性で、子供劇場に引き入れてくださったのも彼女だった。テレビばかり見ることの多い子供たちに、生の演劇をみせようという活動である。肉声と生身の人間の舞台は想像していたよりずっとストレートに子供たちの心に届くようだった。また引っ越さなければならなくなった時、4歳になったむすこに「いつまでもともだちでいようね」と書いた恐竜の絵本をくださった。「アースシーの風」の予約受付が始まった時、すぐ予約していたのだが、Sさんから「プレゼントするから買わないで待ってて。」と連絡があった。あわてて予約キャンセルをしたが、岩波なので本屋さんには申し訳なかった。Sさんはたしかル=グウィンさんより2歳年上。手紙のやり取りだけになってしまったが、今もお元気で文庫をなさっているらしい。
2006年01月02日
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このところ毎年のことだが、大晦日は仕事で、何やかにやで結局いつもと変わらないくらいの時間になってから(つまりは遅い)年越しの夕餉となる。今回は初めてのことなのだが、年越しソバならぬ年越しラーメンにしたので、雰囲気も今ひとつだった。それでも、忙しい当方に同情したミチコさんが届けてくれたお肉たっぷりの豪華おせち料理のおかげでりっぱな年越しとなった。(ミチコさんありがとう!)年賀状もはがきを買っただけで1枚も書いていない。自慢にはなりません。1年前は今年こそ良い年になりますようにと年賀状にも書き、願ったものだったが、1年たった今ぜんぜん良くなっていない現状に驚く。まっとうな努力に正当な評価を与える世になって欲しいものだ。
2006年01月01日
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