♪Crescent Moon♪

♪Crescent Moon♪

♪金森長近の城下町へ♪



期間:4月9日~4月10日

感想:
二日ともいいお天気でしたww1日目は白川郷へ。ここは合掌造りの有名なところ。前回に合掌造りは説明しましたねww次の日は高山市内へ。桜はまだまだ咲いていませんがとっても、穏やかな日でした♪

高山

~高山市内と金森長近~
ここは城下町です。町づくりの立役者は、初代高山城主も金森長近(かなもりながちか)です。もともと金森長近は1586年(天正14年)に飛騨の国の領主として入城していますが、城下町を作るにあたっては、町の四方に街道を整備し、街道の入り口には武家屋敷を置き、核となる城の造営に取り掛かったそうです。町屋敷の通りは宮川の流れに沿ってほぼ平行に南北に走り、東の江名子川の間は、いわば堀に囲まれた一帯となり町民が活躍する舞台となりました。このとき作られた町の基盤は今の都市計画図と比べても、ほとんどずれが無いそうです。長近がはじめにつくった町屋敷が一之町から三之町まで三つの町は合わせて三町(さんまち)と呼ばれています。三町は現在まで美しい町並みを残すことになったのです。

~低い軒の町並み~
ここ高山では、陣屋より高い建物を建てることは禁じられていたため、低い軒の町並みが続いています。身分制度が通っていた時代、商家の人々は商いで築いた財力はあっても、それを表に表すことが出来なかったそうです。門と式台を持つことは許されず、家の入り口から内部は大まかで素朴な空間で奥の座敷では、床や棚、襖の取ってなどの細部にのみ精巧な装飾を施していたそうです。町家は屋根の勾配が緩く、屋根裏部屋を持つ中二階が多くなっています。張り出した軒先からは雨水が家の前の水路に丁度落ちるように設計されています。
 *旦那衆(だんなしゅう)*
家の奥に大きな蔵をもつ豪商は旦那衆と呼ばれていたのですが、ごく一部に限られていたそうです。蔵の中には小判がうなっていたといいますが、暮らしぶりは質素だったのです。もうけばかりでなく、橋や道路をつくるなどの社会奉仕を怠らず、祭りに屋台などには存分に財をつぎ込んだのです。このような人たちをを旦那衆とよんでいたそうです。

北アルプス

北アルプスがとってもきれいでした♪

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: