PR
~大地震発生直前~
外出が普通に出来ない、持病(薬害)がある上に、
受け入れ病院がないので、外出が全く出来ないのだが、
大地震の日は、2~4週間に1度の外出日だった---。
東京・町田市近辺の、繁華街の雑居ビル8階にある、
パソコン教室で、勉強中だった。
教室には、先生&生徒、約10人ほどがいた。

~ それは、震 度 5 強で、始まった ~
揺れ方が複雑で、そして、とにかく、長かった。
ひどい揺れに、本棚が倒れそうになり、
男性の生徒が、必死に本棚を支え続けた。
終わったかと思うと、また、揺れて、揺れて、
揺り返しての、繰り返しだった。
大地震が、いったん収まると、
<恐怖>から、パニック状態になり、すぐに、外に、
逃げ出そうとした人がいたので、私が、止めた。
「震源地が近ければ、大きな余震が来る。
ここは、繁華街だから、ビルのガラスなどが、
頭の上に、落ちて来る可能性が、あって危ない。
下手に、すぐに、動かない方がいい。
外に出るのは、とにかく状況を確認してから」
と言うと、情報をと思い、PCを操作した。
ヤフーのニュース速報の画面が、何故かすぐに出た。
~宮城県、震度7、 東京、震度5強~
その事を大きな声で言うと、数人がPC画面をのぞき、
本棚を押さえている人からは、もう一度言ってくれと
言われた。そのやり取りの間に、みなが落ち着いた。
コワイとは、全く思わなかった。
私は≪医療&福祉&警察&政界≫の問題と、仕事で
日本一<修羅場>なれしている(苦笑)
≪原発の放射能≫漏洩問題が、起きて
いるが、2月24日に書いた病状に更に、
15年前、≪国立病院≫で、私は全身、
放射能、被曝して、医師から、いつ
<ガン>が発病しても、おかしくないと
言われて、生き続けて来ました。だから
この程度の地震で、イチイチ驚いて、怖がっていたら、
私は自分の人生、生きていけない(苦笑) ただ、
通常の地震とは、何か違う、何か変だなと、感じた。
揺れのひどさから、震源地は関東地方だと思ったし、
東京が、震度5強なのに、
遠く離れた震源地、宮城県が、7?!
後に、震度9に訂正され、現在も、継続中の
世界中を巻き込んでの≪未曾有の大災害≫となり、
私自身、サバイバル生活を強いられている毎日に、
やっぱり、こうなったかと、思っている。
話をPC教室に戻すと、しばらく様子を見た後、
外に出ようという事になり、階段で下に、全員降りた。
同じビルの美容院では、物が、床に散乱していた。
道路は、人、人、人で、
テレビがある店には、大勢の人が、群がっていた。
皆の顔にあるのは、困惑、不安、恐怖、焦燥感だった。
~ ≪帰 宅 難 民≫ に な る ま で~
下に着いた時には、携帯電話が不通になっていた。
自宅が気になると言って、すぐに帰宅した人もいた。
余震は、すぐには起きなかったが、
「こればかりは分からないから、もう止めにしましょう」
と、私や男性が言うと、全員、それに賛成し散会した。
本当は一番、授業を続けたかったのは、私だが、
仕方がないとあきらめた。 歩いていて、
周囲の話で、電車が止まっている事を知って、
何かヤバイなと、感じ始めた---。
で、すぐにした事は、<トイレ>
土地勘のある所で、行ける時にする、これは大事。
で、徒歩で、町田の隣の、相模大野駅に着いた。
電車が止まったままで、バス&タクシー乗り場の
長蛇の行列を見て、自分が≪帰宅難民≫になった事
に気がついた---- ヤバイな、とは思ったが
≪帰宅難民≫になると言う事は、実際どういう事なの
か、そのシビアな大変さを、その時は、知らなかった。
その後、≪帰宅難民≫の、同行となった人たちが、
「奇跡よ!」![]()
「舞衣さん、あなたやっぱり、運が強いのよ。
あなたのその運と、感と、強さに助けられた」
と、言う事が起きて、私たちだけが、寒空の下、
<野宿?!>しないで、すみました。
この出来事は、私の力もまだ残っているのかと、
私自身が、勇気づけられて、
今、頑張って生きています
ご心配下さり、コメント、メール、アクセス
下さった方々、ありがとうございます![]()
今日の御来館 ありがとうございました