「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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2010.08.26
僕が僕でなくなるとき・・・18
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橙は湖の湖畔に立っていた。暮らしている場所からは余程遠いそこは彼女の足では道も細く難儀である。
そもそも蛇行した山道で遠回りしなければたどりつけないところであった。
彼女は、自分のたたずむ場所近く、大きな鳥居を目印にしてやってきた。
朱を際立たせたそこは奥琵琶湖は長浜の須賀稲荷神社という歴史有る場所であった。
湖面はいつものように小波だっている。時おり吹く風はこの地形ゆえの突風で、朝なのに速く吹き付け、それで髪を弄んだ。
そんな乱れを気にせず風でかき乱された水面を橙はじっと眺めている。
しばらくすると彼女が期待した通りの、広い範囲で浮かび上がる、泡の群れが現れた。
それは時に大きく、時に固まってやって来る。人間が吐き出すものであった。
「来たのね」そうつぶやくと彼女は奇妙な格好を作り始めた。
彼女以外その浜にはいない。
誰もいないことを確認した彼女はその左腕をゆっくりと動かした。
胸の前で離れ気味にして止められた左手、そこに拳が作られた右手を内側から突くような格好で少し間を開け重ねた。
そして彼女は、風に逆らい、湖の泡に向かって呪文を唱えたのである。
「オン シラ バッタ ニリ ウン ソワカ」
辺りは空気がどよめくように騒ぎ出した。それは明らかに彼女の周りからおこされたようであった。やがて黒いもやが掛かったような雲が橙の頭のすぐ上に立ち込めた。
そのままその場所から一気に湖に向かって流れていく。彼女の手は決して緩むことはなく、その力の込め方は更に強くなっていった。
やがて、泡の上に到達するや一つの人影が、彼女の起こしたもやと重なったかに見えた。
彼女はその影を急いで自分の念力でひきあげ、その上で新たに呪文を発した。
「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」
影がとうとうもやにくるまれたのである。
その影はだらりとしたまま宙に浮いていた。口にはめられてあったレギュレーターが落ちる。遠目でもすぐにダイバーだと分かった。
それは意識を失う稜であったのだ。
「三界…三有…」
そう言うが早いか、目の前にあった肉体はまるで魔法でもかけられたかのように、忽然と消えたのである。
橙は口元を緩め、先ほどから作っていた印を解いた。
「箱は?あった、あった。」
稜が浮かび上がった辺りにゆらゆらと浮くでもなく沈むでもないそれが漂っていた。
真っ黒の四角いそれは泥やコケ、水垢にやられてあるようで、ほとんど箱のようには見えなかった。
ただ、年代を感じさせるほど、そして、何か魅惑的な感情を抱かせるようなそんな匂いが感じられた。
「これだけはだめなのよね。絶対に開けてはならない。まぁしかたない。今しばらく私が持っておきましょう」
そういって、社の方へ歩いていった。
「神照寺というお寺はどの辺りですか?」
車の窓越しから尋ねた。
中学の社会科見学で来て以来のこの地。その懐かしさを覚えていたシュウも、琵琶湖の東側は疎い。
一徳から預かった地図と教えられた番地の中にその寺の名前があった。
地元の人から「萩の寺」と呼ばれていた。
平安から受け継がれ、度重なる戦火で焼失しつつも、足利、浅井、豊臣とその度に再建されてきた寺であった。
寺院では珍しく、京都は伏見稲荷、その元本尊であるダキニ天を祀る神照稲荷であった。
寺院や神社が点在するここ長浜でも、道を尋ねたおかげですぐにその寺の場所がわかった。
黒い屋根瓦の、長くせり出したそれは、決して大きいとはいえない本殿の上で威厳を保させていた。
その寺の周りには田畑が続き、シュウの住んでいる場所に似ていた。
そして以前農協があった跡地に、一風変わった家が見えた。
「タブンココダロウ」
ピーターが家の敷地に車を進ませた。
長屋のようなつくりの平屋に煙突のような塔を立て、その上に人一人が乗れるほどの囲いを用意してあった。
高さにして5メートルほどのそれは何に使うのかは全く分からなかった。
一見すると船の塔である。
ピーターはクスクス笑いながらシュウに指で示した。
車の音を聞きつけて人が出てきたのである。
「いらっしゃぁ~い♪」
なんとも体つきの良い女性である。
なで肩の、二の腕が張り、胸も大きな彼女はどこか女性とは言いがたい気もした。
ピーターは全く疑わず、口笛なぞ吹いて車を降りた。
シュウは車から出ると軽く会釈をして話し出した。
「あのう、丹後からきた」
言いかける彼に、女性は眉を動かして先に答えてしまった。
「戸張くんね。一徳さんの紹介で利ちゃんに会いに来たんでしょう?ふふふ」
何でも知っているようである。
玄関を空けてもう一人出てきた。
シュウは少しびっくりした。
同じような着物を着た、京都で見た人がそこにいたからである。
「きたのか。橙」
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Last updated 2010.08.26 08:08:40
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