一ニ、宮津湾対空戦



 時に、昭和二○年七月三○日、敵戦爆二百機が雪風と初霜に襲いかかって
来た。私はニ艦の軍医長をしていたので、雪風の診察を済まし、初霜に内火
艇で診察に行く途中、初霜は蝕雷して陸に乗上げ、初霜艦長も負傷されたの
で応急処置を施し、宮津の民間病院に入院して貰った。

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 雪風の後部機銃員福田哲郎兵曹は、部下を叱咤激励し奮戦していた名兵曹
であったが、敵機銃弾を頭に受け、名誉の戦死を遂げた。敵数機も撃墜さ
れ、”天の橋立”付近に火を吹いて落ちていった。

 この対空戦は物凄くひどいものであり、水田政雄機銃長も右足を負傷し
た。それから宮津湾口の伊根という小さな漁港の岸壁につけて、木で艦をカ
モフラジュし、機銃は約半数、陸に揚げて陸戦の準備をしているうち、遂に
八月一五日の終戦を迎えたのである。感慨無量なるものがあった。

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