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2016年12月21日
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カテゴリ: 坂田 博昭
 水曜日の担当は、坂田博昭です。
 地域を巡り、競馬のありようを探る旅の「まとめ」
 今回は、「場所」ということについて思いを巡らせていきたいと思います。

 場外発売所も含めて、競馬が「その場所」にあるということの意義を感じさせられることは、仕事も含めて競馬に携わっているとしばしばあります。



 Aiba小樽が入居するショッピングセンターは、小樽築港の港湾エリアの中にあり、風景としてもこのまち「小樽」らしさを感じさせる。


 私はいつも思いますし、言ってもいます。
競馬は、そもそも「なくてもいいもの」なんだから
…と。
  
 いわゆる「衣食住」といった人間の生存の根幹に近いところを支える産業とは異なり、競馬という産業は、人類の生存そのものを支えているわけではありません。いま突然競馬がなくなっても、困るのは競馬に携わっているひとびとだけ。勿論私も困りますが…でも世の中全体としては、なくなってもそれで日本が滅びるようなことはありません。



 旭川競馬場がかつてあった付近で見つけた、微かな痕跡。
 競馬場は失われ、先週見たように競馬を楽しむひとびとも恐らく激減した。



 おまけに、 競馬はギャンブル 。世界中どこを見ても、賭け事を我がことこそ正義とばかりに胸を張ってやらせている場所はありません。ラスベガスやアジアで言えばマカオのような場所であっても、その場所柄への配慮だったり、運営への配慮だったり、様々な気遣いとともに行われているのが実情でしょう。


競馬は、その「なくてもいいもの」を、わざわざお上の認可を得てその場所でやらせてもらっているということ。
 競馬のある場所を回って現場の様子を見聞きすれば、そのことを改めて意識させられます。


 それは単に形として「認可が取りやすい取りづらい」「住民の理解がどうのこうの」ということだけではありません。

 その場所で、そもそもどうして競馬が行われているのか。そしてその場所でどのような形で競馬が続いてきているのか。もっと言えば、その場所に競馬があると言うことの意味は何なのか。
 そうしたことまで思い及ばなければ、「その場所の競馬」は続いてはいけないと思います。



 かつてAiba留萌があった場所。
 住宅地となり、商業地域すらほぼ失われていた。
 人口が少ないとは言え、商圏が被らず娯楽が少ないこの地域に競馬を、という考えは当時理解され、設立に至ったはずなのだが…


 現実に、これまで数々競馬がなくなるところを見てきました。
 北海道の中を見ても、数々の場所で競馬が失われ、また失われつつあります。

 競馬がその場所と繋がって、いつまでも続くということ。
 それはとりもなおさず、その場所のひとびとと繋がって、競馬があると言うことへの(大抵は暗黙の)理解がずっと継続するということに他なりません。

 そのためには、 競馬が地域に対して働きかけていくことが、絶対に必要です。

地域が競馬を助けるのではなく、競馬が地域に主体的に働きかけ、そして地域にあり続けることを認めてもらうこと。
 そうした取り組みの姿勢が重要なのではないでしょうか。

 競馬の損得とは全く関係のないところで、競馬場や場外発売所と言った「競馬がある場所」の存在を意識してもらうこと。
 ひとびとが「競馬が『おらまち』にあって良かったよねと思える活動を、競馬として行うこと。
 そういう貢献を、重ねてになりますが「主体的に」行っているかどうかということは、改めて検証されるべきだと感じました。



 Aiba石狩 オリンピックの地元選手を応援するパブリックビューイング
 普段レースを楽しむスペースと大型ビジョンを解放した。
 レースの損得勘定を離れた「場所として」のアピールが、地域での存在感を膨らませている。


 要するに、ただ店を開いているだけでは…それで「経済に貢献している」などと言っているだけでは、ダメなんでしょうね。
「地域に根ざす」 という言葉がありますが、あとから入って行ってその「根ざす」というところまで行くのは、本当に大変な努力が必要なはず。

 それでなくても、「なくてもいいもの」ですから、競馬は。



 Aiba登別室蘭の建屋の一角は、近隣住民が使える「多目的室」
 棚に置かれた住民たちが使う趣味の品々が、このほんとうに小さな場所の「かけがえのなさ」を物語る
 これこそ規模は小さくても、本質的な貢献と言える


 北海道では、 競馬と馬産地との関係 、という特別な関係があります。

 当然、競馬がその馬産に対して持つ意識というのは、とても重要になってきます。

 北海道だけでなく地方競馬全体で競馬の経営が長く苦しかったことから、馬産地のひとびとはとりわけ北海道の競馬に対して、様々な協力や貢献を行ってきました。そうした協力や貢献が場所として競馬を支えている事例も、取材の中で数多く見てきました。



 Aiba静内に隣接するセレモニーホールで行われる「Aiba祭」
 地元地域の全面的な協力により行われ、「その日の売上」には貢献できるが…
 昨年7回行われていたものが、今年は4回に縮小。
 地元の熱気を保ち続けるためには、「競馬側」の主体的な参加と、馬産地であっても当たり前ではない競馬を地域で続けようとする「熱意」が欠かせない。


 競馬が地域や場所に対して何が出来るか、ということを考えたとき、少々心配になる競馬側のひとびとのメンタリティに触れることがあります。

 競馬がなくなったら、馬産地も困るだろうしね。

 こういうことを 競馬側のひとびとは微塵も思ってはいけません
 競馬が地域や場所に貢献してこそ続いていけるという観点からすれば、こういう考えこそ 「競馬の自殺行為」 にほかなりません。

 考えてみてください。馬産地と言われている地域でも、馬産以外の産業に携わっているひとびとは大勢います。むしろ人数で言えばそちらの方が多いはず。日高・静内にいても競馬とか全く関係ない、触れたことがない、という人は山ほどいるのです。むしろ、競馬や馬産に携わる人の数は、減り続けています。それでも「競馬」が特別な存在感を保ち続けるために何が必要なのか。

 競馬が苦しかったときに始まった地域主導で競馬を支える取り組みは、一刻も早く全く逆の「競馬主導で地域を支える取り組み」にしていかなければなりません。

 場外発売所、という場所を活かして、競馬がその地域にどのような貢献が出来るのか。競馬側にいるひとびとが主体的に考えて行かなければ、地域のひとびとはやがて競馬に対してそっぽを向くに違いありません。





 廃止された岩見沢競馬場の跡地
 いまは場外発売所「ハロンズ岩見沢」の形で微かに競馬の痕跡を残すこのまち
 元々は「馬文化」が根ざしているはずのこの場所でも、競馬の存在感の後退は著しい


 そう言う場所を、私たちは数多く見てきているんです。
 北海道だけでなく、日本の全国で。
競馬は、なくてもいいもの、ですから。 本質的には。

161221-8.jpg

 解体前の福山競馬場跡地
 市中心部に近い有利な立地であっても、地域との融合なしには継続できない


 次回は、その「なくてもいいもの」がなぜその地域その場所に必要なのか。それを考えずにはいられますまい…。
 競馬と触れあって生きている、私たち自身のためにも……。 





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最終更新日  2016年12月22日 10時39分13秒
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