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ねこの命をつなぐ会の日記を読んでくださいませその晩は深酒をして悪酔いしたのは言うまでもない
January 30, 2020
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実姉から母のなくなった瞬間はどうだったのかと聞かれた。そう言えば…父の時は詳細を施設の人に当日聞いていた。なので、お世話になった施設の責任者に聞きに行った。母の資料をもとに話をしてくれた。お盆過ぎ頃から食欲がなく訪問介護に切り替え点滴をはじめた。危篤状態になった場合、兄は病院への緊急搬送を望んでいた。私と姉は看取りを望んでいた。22日に、血便あり。ゼリーを少し食べる。点滴も入らなくなったので兄に連絡をして、このまま入院しても点滴が入らないのでタツ子さんも病院は嫌っていたから施設で看取らせて欲しいと旨く説得をしてくれたらしい。26日朝に兄と私に連絡あり。「すぐという訳じゃないが来て欲しい」兄が午後東京から来ると言われたので、午前中中抜けをして母に会いにいった。「あまゆみだよ!クロにあいたい?」って聞くと目を閉じながらも大きく頷いた。姉に直ぐにメールしたが夕方になっても返事がないので電話で伝えると、明日27日に会社に行って28日に休みを貰うから一緒に施設に行く約束をした。27日。呼吸は浅かった。8:30ごろ他の人の朝食が終ったので様子を見にいくと個室で亡くなっていたとのこと。父の葬式の時にお墓が決まっていた菩提寺の和尚さんと兄がもめた事を末代までの恥だと嘆いていたこと。補聴器をがんとして装着せず、耳も聞こえずひとりポツンとしており生きる気力がなかったように感じたこと。それでも、兄や私が頻繁に訪ねておりタツ子さんは幸せだったのではないか?入所者の中には訪ねて来る人もなく、小口金を預けに来ても面談せず玄関先で帰る家族もいること。母がなくなって、あれもしてやれば良かったと思うことがたくさんある。どんなに尽くしても、そういう後悔は必ずあるよと介護の先輩に言われていた。だから「親が生きているうちに親孝行」なんて言葉があるんだ。私を妊娠した時、母は入院を繰り返していた長女(姉)の看病に疲れ小諸のおばちゃん(母の姉)に、諦めた方が良いか相談したと聞いた。「この子(私)はきっと役に立つから生んだ方が良いよ」と言われたらしい。私は県外に進学したこともなく結婚する42歳までずっと両親と同居していた。結婚しても旦那を梓川から長野市に引越しさせ住居は3km以内の近い借家に決めた。マイホームも歩いてこれる距離を探して決めた。私は役にたったのかな?おかあさん、クロはずっと我が家で面倒みるからね!
January 14, 2020
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2020年が明けました。今年はねずみ年。4月に旦那は還暦です。20年前に旦那と結婚してからは、天理教の関係で元旦には必ず梓川の教会に元旦祭に出席していました。年末に些細なことから大喧嘩になりまして、「離婚」という話も出ました。いつもなら旦那が絶対離婚しないと言うのですが、離婚も仕方ないかなと言いまして…いま、現在の旦那の手取りと生活費の内訳を手書きしましてね。1人で暮らせるならやってみればと言いましたら、明細見て震えていました。実際、彼のいまの給料ではひとり暮らしは出来ません。甘やかした私も悪いけど、感謝の気持ちがないんですよね。私も細かく明細を見せなかったから、自分はかなり経済的に貢献していると思ったのでしょう。そりゃ、現在はアルバイトの位置なので(会社がブラックなので)所得税も引かれてないし、市民税・国民健康保険・国民年金も私がすべて手続きしたから理解出来なかったかもね。確定申告も私がひとりでやっていたからね。会社も結婚してから7回は辞めているし、節約してやりくりしていたのは私ひとりだったから私の給与明細もみせていなかった。男のプライド守ってやりたかったしね。私は勤続27年だよ。有給だって最大40日貯められる。有給消化のため半日休みとっても3月までに捨てる日数があり、1周間に2回取得する話を旦那にしたら羨ましがっていた。職安に通って見つからなかった時に数ヶ月も遊んでいた人に言われたくないよね。27年間営業で武勇伝もあるけどお客様に怒鳴られたり凄く嫌な思いをしたり、仕事からみで保健所に行って昔の課長さんにイジメられたこともあったな。そんな時代だしね。と、言うわけで私2020年の元旦祭は欠席となりました。旦那ひとりで行ってます。なので20年ぶりにお正月しています。ひとりって楽しいを満喫しています。/トウサン カエッテコナクテモイイヨ\
January 1, 2020
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