・阿部暁子『 カフネ 』は、喪失を抱えた人間が他者との関わりを通して再び呼吸を取り戻していく物語だ。タイトルの「カフネ」は、ポルトガル語で「愛する人の髪にそっと指を通す仕草」を意味する。触れること、寄り添うこと、その静かな行為が作品全体の象徴になっている。派手な事件は起こらない。しかし、静かな日常の底に沈む痛みと、そこから立ち上がる微かな光が、丹念に描かれる。
・物語の中心にいるのは、大切な存在を失い、時間が止まったままの人物。周囲は日常を続けているのに、自分だけが取り残されている感覚。言葉にできない感情が、身体の奥で澱のように沈殿している。そんな中で出会う他者との交流が、少しずつ主人公の内部を揺らす。会話は多くない。劇的な救済もない。それでも、誰かの不器用な優しさや、偶然交わされる視線が、固く閉ざされた心にひびを入れていく。喪失は消えない。・だが、それを抱えたまま生きる方法はある。物語は、再生というよりも「共存」に近い地点へと静かに着地する。
・喪失は解決されない
時間が癒やすのではなく、他者との関係が輪郭を変える。
・優しさは大きくない
派手な言葉よりも、沈黙や仕草が人を救う。
・再生は直線ではない
揺り戻しを含みながら、それでも前に進む。
・責任や役割が増え、弱さを見せづらくなる世代にとって、本作は一つの問いを投げかける。成果や効率では測れない時間に、どれだけ価値を置けるか。喪失は、死別だけを指さない。夢の挫折、関係の終わり、過去の自分との決別。誰もが何かを失いながら働き、家庭を営み、日々を進めている。本作は、その「見えない痛み」に名前を与え、抱えたままでも生きていけるという静かな可能性を示す。
・『カフネ』は、激しく心を揺さぶる物語ではない。むしろ、静かに寄り添う物語だ。触れること。そばにいること。急がないこと。30~40代という加速しがちな時間の中で、立ち止まる勇気を与える一冊。人生の速度を少し落とし、誰かの髪に触れるような優しさを思い出させる作品である。
・受賞歴: 2025 第22回本屋大賞受賞
カフネ [ 阿部 暁子 ]
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