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<table>やら<marquee>やらのタグを使用のため、携帯等一部閲覧不能の恐れアリ。尤も、ど~でもいいから読まなくて結構・・ 秋の日の ヴィオロンの ためいきの身にしみて うら悲し 鐘の音に胸ふたぎ色かへて涙ぐむ過ぎし日の おもひでやげにわれは うらぶれて こゝかしこさだめなく とび散らふ 落葉かな
2013/10/08
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めっきり朝晩は涼しくなり、暑かった夏を惜しむが如く・・ (p_-)先日、太鼓の公演の前の日、ベランダの物干し用のロープで見つけた。見ていると、お尻を上げたり下げたり・・・・ロープに卵でも産み付けていたのだろうか?確認はしていないが、何で、こんなところに??翌朝は、台風のために大雨。どっかに流されちゃったのだろうな・・で、これは、キリギリス? ウマオイ? クツワムシ?きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしき独りかも寝むだいぶ以前にブログに書いたのだが、ダレも覚えちゃいまいから、丸写ししておこう・・・ (-。-)y-゜゜゜初めての人には、とても「ためになるホヤ講座」の片鱗をご披露!「衣片敷き」・・・とは、 昔は寝るときに衣が蒲団代わりだった。 2人で寝るなら、 2枚敷くわけで、 片敷きだと、1枚のことだ・・ナ。 「かも」の「か」は疑問、「も」は詠嘆の助詞。 「寝む」は、上の「か」に応じて「む」の連体形を用いている。早い話が、 「独りで寝るのは、ああ・・・寂しいナ!」ってなことだ・ナ。 ってなことは、置いておいて、「きりぎりす」(蟋蟀) は、 今のキリギリスとは違う。 今の、「こおろぎ」 のことであります。 「コロコロコロ・・・」って、よく聴きます・ナ。 今のキリギリスは「ギ~~・チョン」って鳴くヤツが、それです・ナ。( 一一)ついでに、 平安時代には、 「リンリンリン・・」の今のスズムシを、マツムシ と呼んでおった。 平安時代のスズムシ はマツムシと呼ばれていて「チンチロリン・・」と鳴いておった。これは、嘘ではない。 時代とともに逆になっただけのことだが・・ あたしゃ、平安時代に生きていたわけじゃ~ないから、 確認したわけでは・・・ないが。 秋分も過ぎ、これから徐々に夜が長くなる。ど~しようもない世の中に、たまに浮世を離れるのも一興・・・・・・
2013/09/25
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寝た・・ふり。。 今日は、これだけにしておこうと思ったが、やっぱり何か書くか・・春眠不覚暁処処聞啼鳥夜来風雨声花落知多少なんだか、眠い。別に、春じゃなくたって・・眠い。一日中・・眠い。 寝てても・・眠い。上の『春暁』の句はなにも、「眠い・・・!(-_-)zzz」 ってことを詠ったものじゃ~ない!春の曙に、うつらうつらしているとスズメやシジュウカラの啼く声が、窓の外に聞こえている。昨夜の春の嵐で、花びらもたくさん散ってしまったろう~な~・・って、くらいのモンだけど。あの有名な 孟浩然の句。 (-。-)y-゜゜゜ もう更年期も過ぎた・・じゃない! 自然 に対する優しいさと観察力。その表現力。涅槃 とも言える、こんなゆったりした朝があれば、官僚達のいい加減さや、政治家達の無能さや、スリだ、ドロボウだ、強盗だ、殺人だ、いろいろな、世の中の喧騒や混沌も、なんだか夢の向こう側の現象みたいで齷齪しているのが、バカバカしくなりますナ。小っぽけな地球の上で、人と人が争い、短い人生を足早に駆け抜けて、そんなに急いで何処へ行く・・・ さてと、そろそろ お昼寝でも、しよかいの~・・ (ー_ー)ウツラウツラ・・・
2012/03/30
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朝っぱらから、かなり揺れた関東甲信越地方。震源は富士山近く。「4年以内に大地震!」 が、現実味を帯びて来たような・・ くわばらくわばら・・先日、今年の芥川賞受賞のなんちゃら氏と、シンタロ~のすったもんだの言い合いを、You Tube で見た。細かいことを言うつもりは、ない。 読んでないし・・やめりゃァいい、あんな賞。 なんなの、純文学って・・? (-。-)y-昔から、とりあえずは目を通して来た、受賞作品。勿論、ハードカバーなんぞは買わないで、文芸春秋に一挙に掲載された時点で、まとめて目を通す。 直木賞も。最近は、それも買ったり買わなかったり。ハッキリ言って、面白くない。シンタロ~の指摘も、当たっている部分もあるかも。が、アンタの作品だって、ハッキリ言って、・・・・・面白くなかった。・・ちっとも。あれが、名作? 読んだのはン十年前だけど・・新党結成なんて、して大丈夫なのかね・・いい歳して・・ま、嫌いなんだから、仕方ない・・人間なんて、好き! か 嫌い! で評価が違うだけ。ついでに、直木賞受賞作品は、結構・・面白いのが多い。それよりも、アタシが敬愛する芥川龍之介ちゃん。こんな「賞」は、やめてくれ! と、墓場の影から言っているに違いない。「面白くない」とか「くだらない」とかそんな形容詞を付けるのは、所詮、人間の浅知恵に過ぎない。従って、アタシのこんな意見は、本来ど~~でもいい戯言に過ぎないわけで、もし、アナタが反論があるなら、聞いてあげてもいいが、聞く耳は持ってないんで・・そのつもりで!芥川龍之介は、彼の書 「侏儒の言葉」 (しゅじゅのことば) の中で、こう述べている。「人生は一箱のマッチに似ている。 重大に扱うのはばかばかしい。 重大に扱わなければ危険である。」 と。最近は、マッチ箱なんぞ、とんと見かけないが、人生を「マッチ箱」に譬える感性が、好きだナ・・更に、「人生を幸福にするためには、 日常の瑣事(さじ) を愛さなければならぬ。 雲の光、竹のそよぎ、群雀(むらすずめ) の声、行人の顔・・・ あらゆる日常の瑣事のうちに、無上の甘露味を感じなければならぬ。」 と。そんなわけで、今日のブログは、日常の瑣事をネタにしてみた。行人の顔に、興味はないが・・・・・匙にも棒にも掛からない内容で、 ゴメンね。
2012/01/28
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後年、ある人の紹介で、北 杜夫 氏と お会いすることが出来た。 (^。^)y- 勿論・・ご本人!最初の指定では、外苑近くの看板も出していない小さなビルの2階。薄暗いバーだった。後から知ったが、結構その世界では有名な「おばさんオジサン」が一人でやってる店。そのマスター ちゅうかママさんっちゅうか、も、執筆している人で、帰りがけに、その人が書いた本を頂いた。オカマちゃんの内容だったような・・? 全部は読んでない・・どっか行っちゃった・・カウンターに、すぐ隣に北さん。 その隣に紹介してくれた人。「私は、昔からのファンなんです! 貴方の『どくとるマンボウ青春記』で、自分の人生を選んだくらいです。 ほかの著書も殆ど持っていますが、今日はここに青春記を持って来ました。 よかったら、サインを書いて頂けないでしょうか?」「おや、そうでしたか。。 いいですヨ。 サラサラ・・ (#^.^#) 今日は、何日でしたっけネ?」昭和43年初版の中央公論社発行。 ¥360。 (-。-)y- ハードカバーが、この値段!!何の話をしたのか? 全然、覚えていない・・ただ、文学の話は、一切出なかったナ。。最近は、躁状態だから外に出られる。鬱の時には、殆ど死んでいるみたい。。 とか・・そう言えば、「躁鬱病」という単語を世間的に広めたのは、彼かも知れない。ちょっと、拡大して見る?気が付いた??「200年 3月28日」 ・・・(*^。^*)本当は「2000年」でした。 そうか~~~。11年前だったのか。。 あたしゃ、50歳。 北さん72歳だった。「貴方、まだ時間ありますか?」「あ、ハイ! 大丈夫です。」「じゃ、もう一軒行きましょう!」で、銀座のクラブに連れてって貰った。 結局、払いは、こっち持ちで・・店には、なんだか見たことあるナァ~~~! って人が数人。(;一_一)誰だったか忘れたが、小説家やら評論家やら、有名なお歴々があっちの席とそっちの席に・・小説家同士知り合いでも、お互いに連れがある時には、混ざって来ないのが仁義っちゅうもんで、ちょこっとお辞儀する程度だったナ。後で知ったが、このお店は、そういう文筆家諸氏の集まる店だった。らしい。φ(..)メモメモ 銀座のクラブのお姐さん達も、ハンパじゃァない。話題が豊富で知識もいっぱい。 キャバクラのネエちゃんとはえらい違い。 (ー_ー) 知らないけど・・あたしゃ、話について行けずに、隅っこでポッキーをポリポリしてたっけ・・!?とにかく、残念なことに、そのときのことは、全然覚えていない。。。。 大した話はしなかったんだろうナ。わが、敬愛してやまなかった北杜夫さんも、ただの爺さんだった。。今頃、あっちでクシャミでもしてるっぺ・・?
2011/10/27
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この、東京→南紀白浜→高知 の大型フェリー航路は、私が行った1・2年後に廃止になった。 今は、もう無い・・ (--〆)骨を折り、腰まで折られながらの紀行文は ・・・おしまい!村上春樹は、85年の作品の中でこう言っている。「僕が小説を書こうとするとき、あらゆる現実的なマテリアルを、大きな鍋にいっしょくたに放り込んで原形が認められなくなるまでに溶解し、しかるのちにそれを適当な形にちぎって使用する。小説というのは多かれ少なかれそういうものである。リアリティというのもそういうものである。パン屋のリアリティはパンの中に存在するものであって、小麦粉の中にあるわけではない。」 ・・ と。彼のスゴイところは、真理を簡潔に表現するところにある。しかも、安易な分かり易い表現で・・・また、こうも言っている。「少なくとも文章による自己表現は誰の精神をも解放しない。自己表現は精神を細分化するだけであり、それはどこにも到達しない。もし何かに到達したような気分になったとすれば、それは錯覚である。人は書かずにいられないから書くのだ。書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。」 ・・と。わたしは、まだ錯覚の領域を出てはいない。 精神の解放を、自己表現の中に見つけるほどの気構えも才能も持ち合わせてはいない。従って、細分化された精神は、大きな鍋の中でゴッタ煮状態でグチャグチャに融けたままである。小麦粉のリアリティに拘っている内は、まだまだ作家には、なれるはずはない・・・・ なる気もないが・・
2011/07/27
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豆まきが終わると、 立春 。まだまだ、寒い。春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず時にあらずと 声も立てずと、歌う 「早春賦」 。里山では、そろそろフキノトウが雪の下から芽を出す頃か・・今年は、全国的に寒さが厳しく、大雪に埋もれている地が多い。ごくろうさまです・・・・・・・・ 頑張って下さい・・春は曙。ようよう白くなりゆく山際少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる。って~くらいで、春は朝がいいそうだ。しかし! 寒くてそれどころじゃ~ない。蒲団の温もりから抜け出すには、かなりの意志の強さが必要である。。大体、ここからは、山際なんて・・・・見えない・・・・・枕草子より・・・枕が恋しい! 思いそめき。四つの時には 春の花。春のうちには 曙の空。 あ~~~~ めんどうくさい・・・
2011/02/04
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なんだかちょいと命題からそれたコメントが多かったような・・ンでも、ええねん。ど~~せ、曖昧だし・・曖昧模糊。 モコモコ・・「春は曙。」文章の書き出し、というのはなかなか難しいが、ここでイッパツ決まるか決まらないかで、えらく違うもんダ。ナ。「夏は夜。」・・・「秋は夕暮れ。」・・・「冬はつとめて。(早朝のこと)」と続く「枕草子」は、『枕』って~~言うくらいなもんで、「まくらごと」を寄せ集め書き集めたもんダな。○○は××・・!! こういう書き方を「ものはづけ」形式と言う。「山は・・」「里は・・」と、季節や自然をその趣きに沿って表現してみる。別に、自然じゃなくたって構わない。「男は度胸。」「女は愛嬌。」 こんなんも、「ものはづけ」形式の一種だはナ。その人の『主観』であって、「○○は、こうでなければイカン!」などと言う類のモンじゃ~~ないぞ。人間、押し付けがましいのは・・・嫌われる。 なんだっけ・・?そうそう、なだそうそう・・押し付けがましくなくて、それが相当当てはまってて、みんなが「そうだ!そうだ!」というような「ものはづけ」は、やっぱ、それなりに・・いい。 (#^.^#)v和歌なんぞをみても「・・・・秋の夕暮れ」 なんてェ終わり方の歌が多いのは、秋は夕暮れ が、いい! ということの表れだ。ナ!「男」の『度胸』なんざ、高が知れてるのに・・・(-_-;)ましてや・・・ゴニョゴニョ・・さて、また書き出しで方向性を出せずに、尻切れトンボ。
2009/10/19
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豆まきが終わると、 立春 。まだまだ、寒い。春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず時にあらずと 声も立てずと、歌う 「早春賦」 。里山では、そろそろフキノトウが雪の下から芽を出す頃か・・前の日記を見ると、東京地方は今頃、雪が降ることが多いようだ。春は曙。ようよう白くなりゆく山際少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。って~くらいで、春は朝がいいそうだ。しかし! 寒くてそれどころじゃ~ない。蒲団の温もりから抜け出すには、かなりの意志の強さが必要である。。大体、山際なんて、見えない・・・・・枕草子より・・・枕が恋しい! 思いそめき。四つの時には 春の花。春のうちには 曙の空。
2009/02/04
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先日、ちょこっと書いたブログ。下の方に、「地方分権しか、対抗措置はないのだろうか・・ (-_-メ) 」と記した。そしたら、昨日、あの伴食宰相曰く、「特別給付金の線引きやら配給方法は、各自治体でやればいい。 地方分権なのだから・・・・云々。」 とほざいた。地方分権の意味も知らない人が、なんで総理なんてやってるわけ?? I am sory !地方分権を唱えるなら、その2兆円を、初めから自治体に均等に分けて、「景気対策に、それぞれ独自に利用するように!」と、言うのが本来の地方分権じゃない!!? 口から出任せに提案しておいて、ど~~しようもなくなって、地方に丸投げするなんて、 途中で仕事を投げ出した奴等と同じじゃん。イヤ! もっとタチが悪いかも・・・・・あ~~~~~~~~!もう、イヤ。 もうイイヤ! (-_-メ)だれか、刺し違えて!!! 解釈するって、ひとそれぞれ違うのは分かる。 (ー_ー)例えば、昨日の「短歌」。「そこはかとなく 物ぞかなしき」の解釈でも、『そこはかとなく』は、普通「なんとなく・・・」と解釈されるようだ。でも、わたしの解釈はチト違う。 (-"-)「そこ、墓」などとアホな解釈は言わずもがな!「なんとなく、物悲しい。」では、つまらない。徒然草のあの有名な一節。「心にうつり行くよしなしごとを そこはかとなく 書きつくれば・・・」でも、「なんとなく書いていたら、物ぐるおしけれ・・」なんて解釈では不完全な気がしてならない。兼好さんクラスの文章家は、暇をもてあまして硯に向かっていることなぞあり得ない。一生懸命熟慮して、検証して、文章を書いていたはず。 (^_^;) こんな私でさえ、結構頭も使ってる。書いていると、次々とアイデア(?)が湧いて来る。だから、「そこはかとなく」は、「次から次へ、ドンドン・・・!」と、解釈した方が、正しいのでは、なかろうか?従って、前記「そこはかとなく 物ぞかなしき」は、「なんだかさびしいな~~」じゃなくて、「とってもとっても、限りなく物悲しいヨ!」これが、いい!! 秋も終わり、冬を迎える今日この頃。なにげなく寂しい?あたしゃ、とっても寂しいヨ・・・・・今日のブログは、起承転結の「承」の部分に、イマイチ難があったかも・・・
2008/11/14
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神無月風に紅葉の 散るときはそこはかとなく 物ぞかなしき
2008/11/12
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