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徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫) [ 吉田 兼好 ]第93段されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。人が死を憎むなら、生を愛すべきだというのだ。生きている喜びを日々に楽しまずしてよいものか。(現代語訳)人が死を憎むなら、生を愛すべきだというのだ。生きている喜びを日々に楽しまずしてよいものか。鎌倉時代から人は同じことに悩んでいるんですね
2024.06.17
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牧師の仕事を辞めて、臨死患者のもとでハープを演奏し、讃美歌などをうたう坂本千歳さんを取材。東京清瀬市の病院で活動をしている。患者さんだけでなくその家族も癒している。いい仕事ですね。
2024.06.11
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がんと診断された時からの緩和ケア、に迫る患者さんたちの真実の声。膵臓がんで夫をなくしたNHKの女性ディレクター(Dさんとする)。夫との闘病の記憶をたどりながら、医療者、患者の声に迫る。2019年冬に発症、2020年2月に東京医大で手術を受け、5月に東北に戻り化学療法を開始した。東京医大の主治医は、再発しないことを考えましょうと言ってくれていたが、地元気仙沼の医師は、あなたのがんは必ず再発するから治療を頑張ろう、と言った。夫はとても落ち込んだ。勇気を持ってその地元の医師に会いに行き、厳しいことを話した理由を聞いた。再発してからその後のことを話すより、再発するのだからその心構えを持ってもらうことが大切と話す。10月に再発し東北大学に治療を受けに行った。大学病院には緩和ケアチームがあったが、夫は利用しようとしなかった。夫は化学療法を始めて2ヶ月、12月にはもう抗がん剤は効かなくなっていた。仕事も辞めてしまい孤独を深めていった。「震災でやりたいことなくして、病気でさらに何もなくなった。」2021年1月23日以降 Dさんの日記には「もうやんだ」を繰り返す夫のことばかり。3月に体調不良で東北大学に入院、治療は出来ないと告げられた夫。緩和ケア科の佐藤医師に出あい、初めて自分の辛さを医師に打ち明けた。3/10に退院、気仙沼に戻った。そこには緩和ケアの専門の医師はいない。4月、何かがおかしい、と訴えて地元の病院に入院。次第に起き上がれなくなっていく夫。優しい言葉が辛いと。そして旅立った。Dさんはみなはどうなのだろうかとインタビューを始めた。12年前にがんと診断され、以降患者の声を集めている岸田さん。ゆらぎを聞いてもらえなかったと話した。大腸がんの女性看護師 夜寝るときだけがんの恐怖から逃れられた大腸がんの男性 孤独感で一杯で生きていてもしょうがないじゃいと自殺未遂を繰り返した腺様嚢胞がんの男性 心を傷んでいて、医療者にはつらい気持ちを言ってねと言われたけど、つらい気持ちを言う余裕がなかった。スキルス胃がんで夫をなくした女性にも話を聞いた。訴えていないことを察してあげることが大切だったのかもしれないと話した。精神腫瘍科の保坂隆医師に話を聞きに行った。孤独に伴走してくれる存在に支えられているミホさんは闘病中ながら笑顔だった。緩和ケア病棟から訪問看護師に転身した女性にも話を聞いた。この人の存在が夫にもあったらなと思った。看取ってくれた医師にも話を聞いた。「怖いんですよ、死ぬの怖いと言われるのが、死んだらどうなるって聞かれるのが。」この最後の医師の声が真実であろう。緩和ケアを患者にすすめることも怖いのである、見捨てるのかと言われるかも、と思ってしまうから。
2024.04.14
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冒頭、遺族へのインタビュー5年前、小学生の頃に祖母を自宅で看取った湯浅康平くんマラソンみたいに走り抜け最後ゴールできてよかった、マイナスな死というイメージかをプラスに変換できたと、話す。山梨県甲府市 ふじ内科クリニック在宅ホスピスケア医師 内藤いづみ氏家で最後まで一番会いたい人たちに囲まれて生きたい、その方の良い隣人で有りたい。20代の頃に、自分より若い女性がん患者に、何がしたいと尋ねた時に「家に帰りたい。」と言われた経験、幼少の頃に祖母を自宅で看取った経験が在宅医師を目指したきっかけ。99歳 心筋梗塞後の女性 延命治療をしないでください、と書いた紙を財布に入れている。娘、婿には迷惑はかけたくない、から在宅看取りには拘らない、と話す。97歳 脳梗塞後で寝たきりの女性、その95歳の夫もがんで4回の手術。住み慣れた場所で穏やかに過ごしたいと話す夫。看護師が撮影した動画も紹介、看取ったあとに家族と一緒に故人に餞の言葉をかける内藤医師のすがた。健二さん大腸がんの60歳代男性。農作業をしたいと家に帰る。八ヶ岳と大根畑と犬や猫が待っていた。大根を抜き、ふろふき大根を食べ、半年後に旅立った。浩子さん40代女性、胃がん。娘二人の成長を見ながら家で死にたいとクリニックに駆け込んできた。一年以上を在宅で過ごし、下の娘の大学入学を見届けた。在宅医療のどこに光を当てるかが大事で、一日一日を暮らしの輝きでみたしていくと死に集中すること無く明るく過ごせる。むしろ怖いのは孤独、誰からも真実を説明されていない、放って置かれている、そういう思いをさせない努力をすればよい。最後は家族ケア冒頭の康平くんの話に戻る脳腫瘍のおばあちゃんは最後まで康平くんの呼びかけには反応した。そして康平くん冒頭のインタビュー。死亡診断書をおばあちゃんの卒業証書として康平くんが受け取った。康平くんの姉は看護師を目指している。
2024.03.17
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喉頭がんで声を失った70代男性Cさん。嚥下機能も失われ、胃瘻から栄養を摂っている近隣の基幹病院で抗腫瘍効果のある治療を受けながら、月一回、私の外来にも来てくれていた。栄養剤の注入量は減らしていないのに、ここ2週間でぐっと痩せが進んだことを家族が心配し、昨日、本人と妻で主治医に相談しに行った。栄養についても緩和ケアで聞いてくださいと言われた、と今日、私の外来を緊急受診された。なぜ、体重が減るんですか?と筆談で尋ねるCさん。なぜだとご自身では考えているんですか?と聞き返す私。がんが進行して、栄養を奪っているんでしょうか?そんな気がするんです。と答えるCさん。抗がん剤のやめどきてすね。抗がん剤で体力を奪われて、それでも小さくならないがんに栄養を奪われて、このままでは生きる気力も奪われそうです。抗がん剤をやめて、体力と気力を取り戻そうと思います。と、自ら答えを出されたCさん。賢明な判断だと思います、と答えておいた。
2024.03.01
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先日ホスピスで旅立たれた93歳女性の言葉人生最良の日はいつだって今日今日がいつでも一番若いんだから明日はまた一つ歳をとるし、死んでしまうかもしれないのよ今日が最良の日となるよういかに過ごすかが大切1930年生まれ数多の苦難をいつも必死で乗り越えてきたんだろうなあ
2024.02.29
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1/3に入院したBさんが今朝旅立たれた。妻に先立たれてから10年、独居で何もかも自分でやってきた。長男、長女、次男の3人の子供もそれぞれ所帯を持つようになり、新年を子供、孫と迎えることを楽しみにしてきた。昨年7月に膵癌と診断され膵頭十二指腸切除を受けたが10月に肝転移、癌性腹膜炎で再発。化学療法は効かず肺にも転移が広がり、疼痛、呼吸苦、食思不振、嘔気が出現するようになり12月上旬にホスピスに紹介、中旬に入院した。「何とか最後のお正月を自宅で過ごしたい。」それがBさんの望みだった。モルヒネとセレネースの持続皮下注射およびステロイドの点滴投与、インスリンの自己注射を一週間強で導入。見事に呼吸苦、食欲不振、嘔気は改善、クリスマス前に退院した。12/28に訪問診療に行き、「先生、願いを聞いてくれてありがとう。」と手をあわせてくれた。毎日、訪問看護とやりとりをしながら、モルヒネ、インスリンの調整をしつつ、元日の夜までは孫たちに囲まれいい時間を過ごしていたようであった。2日の夜には、子ども、孫たちもそれぞれの家に帰ったらしい。しかし、「3日の未明から呼吸苦、疼痛、嘔気が悪化、自らドーズを1時間に1,2回しながら朝を迎えたらしい。」と、7時ちょうどにBさんから緊急訪問依頼を受け自宅に直行した当直看護師から、私の携帯にそう報告があった。「最期はホスピスで過ごしたいそうです。」と訪問看護師。Bさん、私、長男夫婦が9時には病院に到着、症状からは癌性リンパ管症が疑われた。ステロイドパルス療法を開始、同時にモルヒネを増量して経過をみることとした。長男夫婦には、奏功すればまた頑張れるが、数日でお別れになる可能性が高い、と説明した。「子供3人だけで看取ってくれ、孫たちには頑張る姿を見せた。苦しむ姿は見せたくない。」と本人が言っているがどうしたら良いだろう、と長男夫婦。上は高校生から下は小学校低学年までの孫7人。受け止める力には違いがある。でも、ここからがホスピス医の正念場である。私達が天国に行った暁にはお父さんに怒られるかも知れないが、苦しまないように治療するから、生き様を最期まで見届けて貰うのが良いだろう、いのちは儚いものであることを教えて貰うのが良いだろう、と長男には説明した。コロナはまた増えつつあるので、適切な感染対策をしながら、孫たちにも面会をしてもらった。皆がおじいちゃんの最期まで頑張っている姿を目に焼け付けていた。そして今朝は子供3人で看取ることになり、Bさんの言いつけ通りになった。そして恒例のお別れ会。「2日の夜までは、弱っていながらもほんまにしゃんとしてたんですわ。孫たちもいのちの尊さ、儚さを知ったと思います。」と長男さん。いのちは儚いのです。 シシリー・ソンダースとホスピスのこころ [ 小森康永 ]
2024.01.06
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柏木哲夫とホスピスのこころ [ 柏木哲夫 ]78歳男性、Aさんの話。14年前に煙草好きが災いしたのか最初の肺扁平上皮がんの手術をがん拠点病院の呼吸器外科で受けた。その後は肺気腫も進行するなか、肺がんも度々再発し計4回手術を受けた。最後に手術を受けたのは3年前。その後、脳梗塞、心筋梗塞を患い、同じ病院の神経内科、循環器内科も受診するようになった。そして、今年7月に肺がんの再発を指摘された。しかし脳梗塞の後遺症があるし、心機能もよくなく、肺気腫も悪化して在宅酸素療法も受けており、手術は適応外と判断された。8月にその呼吸器外科からいきなり、神経内科、循環器内科の紹介状をもつけて、あとは貴科的によろしく、と当ホスピスに紹介してきた。当ホスピスでは、元気なうちに一度入院してもらって登録患者になって貰えれば、あとは全て診ることにしている。すべての薬を処方するし、困ったときの緊急入院、レスパイト目的の入院、在宅療養を希望したときの訪問診療、往診も引き受ける。そう説明して登録のための体験入院を勧めたが、嫌だと。とにかく入院生活はもう二度と嫌だと。ただ、呼吸が苦しいのはなんとかしてほしいと。それで、呼吸器外科以外の2つの科は拠点病院に通院すること、呼吸器外科の分は当科で診ることにして経過を観察することにした。しかし9月、10月、11月と徐々に弱っていくAさん。入院を勧めるが絶対嫌だと。12月末、当ホスピス外来予約日の前日、突然の腰痛が出現し動けなくなり拠点病院に救急搬送。救急部が診てくれ、画像診断上がんの転移はなく、骨粗鬆症による単純な圧迫骨折だと診断され、鎮痛剤のアセトアミノフェンを処方され帰宅させられた。翌日、家人から痛み止めを飲んでも効かない、動けない、体験入院をさせてほしい、と電話があった。たまたまベッドが空いていたので、介護タクシーで外来まで連れてきてもらい、入院してもらった。がんは1ヶ月でひどく進行しており胸水まで出現している、そのため呼吸苦は悪化している、心肥大も悪化しており、そのため足はパンパンに浮腫んでいる、何より悪液質による倦怠感でご飯も食べられておらず、痩せも進んでいる。それでも「はよ楽にしてくれ。楽になったら家に帰るから。」と宣うた。家人には余命は週単位、1月の半ばにはお別れになるだろうと説明した。ステロイドとモルヒネの内服治療を開始したところ、腰痛、呼吸苦は改善、それで心負荷も改善されたのか、尿も出るようになり浮腫みもましになった。何より当ホスピスナースたちの手厚いケアを受け、気持ちが楽になっていた。「もっと早うに入院しておけば良かった。帰る気がのうなってしもうた。あとはよろしく頼むわな。」元旦あけて2日の朝、突然、呼吸と意識状態が悪化したと病棟から連絡があり、診察しに行った。診察上は癌性リンパ管症。ステロイドパルス療法をし、モルヒネを持続皮下注に変えたところ、1時間で呼吸苦は改善した。しかし意識状態は改善せず、徐々に麻痺も出現してきており、脳転移ないしは脳梗塞の可能性が示唆された。残された時間は僅かであろうと家人に説明、その後は家人が代わる代わる付き添われた。そして3日夜に旅立たれた。今朝、いつものようにお別れ会を開き、チャプレンにお祈りをしてもらい、自宅へと帰られた。お別れ会で家人から、一週間の入院生活でしたが、8月に再発を言われてから消えていた笑顔をまた見ることができ、私達も救われました、ありがとうございました。とお礼の言葉を頂いた。これがホスピスマインドのなせる業である。
2024.01.04
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長野県、訪問診療クリニック樹の瀬角医師の活動を追ったドキュメンタリー番組。膵臓がんの諸井さん、65歳男性。2021年春に診断、秋には余命は3ヶ月と言われていた。瀬角医師の初回訪問は10/28。3週間を楽しく過ごしたが、呼吸が苦しくなり入院した。しかし、翌日退院し、また瀬角医師の診療を仰ぎ5日後に死去。家族は楽しく過ごせて良かったと。瀬角医師のコメント無し。胃がんの赤羽さん、77歳男性、独身。2022年8月、入院して胃がんと診断、余命わずかと言われ自宅に。瀬角医師は退院した日に初回訪問。4日目には転倒し往診、9日目にはトイレに動けなくなり、きょうだいに迷惑かけたくないから入院したいと。病院に行っても動けるようになるわけではないよ、と瀬角医師。本人も納得したのかそのままお家で過ごす。12日目、急激に痛みが来て医療用麻薬を投与した後から呼吸が弱くなったとナレーション&字幕スーパー。「限界だったかもね。」と瀬角医師。午後3時45分旅立たれる。「安心して穏やかに逝ってくれた。」というきょうだいたちの言葉を受け入れられない瀬角医師。それでも、苦痛、不安を取ってあげられなかった、家族との時間を作ってあげられなかった、と後悔する瀬角医師。胆嚢がんの三嶋さん、57歳女性。2018年11月発症。2022年9月、再燃し1ヶ月は持たないと告知され、訪問診療が開始。夫、専門学校3年の長女、中3の長男の4人暮らし。あと数日、というところから撮影が始まる。三嶋さん「あとどれくらい生きられますか?」瀬角医師「3日ぐらいかな、それじゃ短いかな?」三嶋さん「長い!」翌朝、旅立たれる。瀬角医師のコメント「愛する人を失って、非常に悲しむ、辛い、喪失感を感じる。そこから這い上がってくるためにも、最期の時間、あんなことをやったね、こんな話をしたな、こころの中で亡くした人と会話をすることが苦しみ、悲しみから立ち直っていく力になっていく。」訪問診療を60歳になって開始した瀬角医師の2年間を追ったドキュメンタリーとのことだが、登場した3人は2021年11月、2022年8月、2022年9月に亡くなられた。そして、3月に地域の訪問診療スタッフとカンファレンスを持つ姿、4月に三嶋さんの二人の子供がそれぞれ就職、進学した姿を映して、番組終了。まだまだ手探りの新米訪問診療医師の姿を描いた作品。もっともっと周りのスタッフの力を借りて、いい看取りが出来るようになって貰えたらいいなと思う。在宅診療を支えているのは医師よりも、ケアマネ、訪問看護師、訪問へルバーなどのいわゆるコメディカルなのだから。瀬角医師、頑張ってね。
2024.01.03
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たましいのケア増補改訂版 病む人のかたわらに [ 藤井理恵 ]近日、藤井理恵さんの講演を聴く機会があるので、彼女の本を購入して読んだ。一卵性双生児の姉、美和さんとの共著である。理恵さんが淀川キリスト教病院のチャプレンとして、美和さんが関西学院大学人間福祉学部の講師として、働いているときに書かれた本。初版は2000年。オススメです。☆☆☆ポイントをまとめておく。第一部 藤井理恵 チャプレン第二章 スピリチュアルケアの対象となる痛み、問いとは①生きている意味への問い②苦悩の意味への問い③人生の価値④孤独⑤罪責感⑥限界⑦死や死後の世界への問い第三章 訪問時の注意事項①病む人は受け身だ②訪問回数③訪問時刻と時間④心を白紙にして入室すべし⑤同じ峻さの目線⑥話し言葉関わり方①安易な励ましより沈黙に耐える勇気②聴くことは難しい③人間としてどうあるか④限界を知る⑤寄り添う⑥クリスチャンへの配慮第四章 患者さんから教えられたこと①苦しみの意味に対する答え重荷を背負っている人は私のところへ来なさい。休ませてあげよう。②神様が決めてくれる「時」あなた方のために、私は場所を備えに行く③問わなくてもすむという答えたとえ死の陰の谷を歩くことが合っても私は災いを恐れません。あなたが私とともにおられるから④委ねるということインマヌエル=神はわたしたちとともにおられる⑤寄り添うこと人間は人と関わる時その結果を求め、それを関りの目的としてしまう。結果はあとからついてくるもの、神が与えてくれるもの。⑥心を理解する人はうわべを見るが、主は心を見る。⑦幼子への成長悔い改めて子どもたちのようにならない限り、天の御国には入れません。⑧限界を超える安らぎあなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたのことを心配してくださる⑨すべてを神にあなたの持っているもので、貰っていないものがあるか第二部 藤井美和 28歳時に急性多発性根神経炎に罹患、長いリハビリを経て社会復帰シアトルホスピス Rスミスそこに死がある。だからこそ死について考えることが必要だ。死はどこにも逃げていかない。我々が意識的に死について考え始めるまで、死は我々の意識下で恐怖として蠢いている。Nバイロット、Wリンク強い希望はその人に困難な状況を乗り越える強さを与え、弱い希望は諦めに繋がる。一つのゴールに到達するには強い動機が必要であり、希望なしにはその目的に到達することはできない。身体的、精神的、社会的な痛みは薬や他の人の助けによってある程度は和らげることは可能。だがスピリチュアルな痛みはそれらでは和らがなく、自分自身で和らげるもの。ただ、寄り添う人がいることは大きな助けになる。C・A・コール死にゆく人は生きる人たちであって、まだやり残したこと、死ぬまでにやっておきたいことを持っていることが多い私たちが、死にゆく人の積極的な聴き手にならない限り、本当の意味でのケアは提供できない。私たち自身をよく知ること、つまり人間は限界を持ち、傷つきやすい存在で、必ず死を迎えるものであるが、しかし同時に、支え合い、愛しあう存在であるということを死にゆく人から学ばなければならない。ウォーデン悲嘆のプロセスを進めるには、大切な人のいない環境に適応し、亡くなった人を情緒的に再配置して生活を続けることが課題になる。まとめどんな状況にあっても私たちはどう生きるかを問われる存在であることを心に留め、私達自身の、また病む人のたましいの語りかけに耳を傾けること
2023.11.23
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今日のニュースから国立がん研究センターと国立成育医療研究センターは15日、15~39歳の思春期・若年(AYA)世代のがん患者のデータを集計し、その約8割を女性が占めていたとの調査結果を公表した。特に乳がんや子宮頸がんが多く、4年前の初回調査と同じ傾向だった。AYA世代患者約5万8000人分のデータを分析。男女別では女性が78.0%と多く、がんの内訳は、女性では乳がん34.2%、子宮頸がん・子宮がん25.4%、男性では結腸・直腸がん28.1%、甲状腺がん14.4%だった。我が家の子ども達はみなこの世代に到達した。まず、娘たちにはヒトパピローマウイルスワクチンを接種させた。本当は息子にも接種してほしいのだが・・・乳がんは予防できないので、娘たちに検診を受けるよう勧めている。息子には現時点で大腸がんと甲状腺がんを予防、早期発見をする方法はないことを説明している。
2023.11.15
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【中古】新たな全人的ケア (―医療と教育のパラダイムシフトー)ホスピスには私を含めて3人の医者がいる。私は常勤で火水木金土の週5日働いており、72歳の師匠に非常勤で月火水木の週4日、60代の女性医師に金土の週2日来てもらっている。ただ、この女性医師が働いてくれない。わがホスピス病棟は16床あるのだが、そのうち12人が入院していた。私は午前中訪問診療に出かけ昼前に帰って来た。この時点でまだ2人分しかカルテが書かれていなかった。昼から在宅療養していた方が緊急入院とのことで、早々にお昼を済ませ12時30分にホスピスに戻ってきてその方をまず診察し家族へ病状説明、13時30分頃にカルテを書き終えた。14時、15時から病状説明があり、その間に看取りもあり、その後にはカンファレンスもして、忙しく午後を過ごした。さて、17時、女性医師は帰っていったが、午後にカルテが書かれたのは一人だけ。残り7名の患者さんを診察し、カルテを書き終えた頃にはすでに19時近く。私、鬱を再発しそうである。
2023.11.11
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【中古】 新たな全人的ケア 医療と教育のパラダイムシフト / トム・A・ハッチンソン, 三宮 暁子, 恒藤 暁 / 青海社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】全人的ケアとは何か、よく問われることではある。この本によれば、治療と癒やしの統合である、との結論だ。治療とは、病気を治し、可能な限り苦悩を取り除き、問題を解決すること、である。癒やしとは、以前の自分とは違う新しい統合性と一体性を経験でき、自己を新たな人間として認識できるまでに成長することである。治癒可能な病気ならば、全人的ケアはさほど難しいことではない、ということになる。なぜなら、患者は治癒した時点で病気という苦悩から解放され、病気を克服したという自信のもとに新たに生きていけるのだから、すでに治療と癒やしは達成されているのである。こちらが意図していなくても、全人的ケアを受けたという感覚になっているであろう。全人的ケアが難しいのは治癒しない病気を抱えている患者である。治癒しない限り、治療は死ぬまで続けるか、どこかで諦めるかの二択になるし、死ぬまで身体は変化し続けるわけだから、新たな人間として認識するのは難しいだろう。治癒しない病を抱えた時点で、病気を直すことで苦悩を無くす治療スタンスから、病気と付き合い苦悩と共存する治療スタンスへ、と気持ちを転換できれば、治療のあり方が変わるのではないか。病気、苦悩と最期まで付き合う覚悟ができれば、その時点で新たな人間に変わることが出来る。これが終末期の患者に対する全人的ケアのあり方の答えだと私は思っている。
2023.11.10
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死生学入門[本/雑誌] (放送大学教材) (単行本・ムック) / 石丸昌彦/編著死を意識することで、どう生きるかを考えるようになる。今回はデスカフェに集まる人々が話していることを紹介していた。グリーフケアを生業にしている女性は、初めて身近な人を亡くしたとき、それが病死なのか、事故死なのか、自死なのか、遺された人の受け止め方はそれぞれに違いがある、と話した。7歳で父親が突然死したという女性。その後、死が怖くてたまらなかった。喪失感をどうやって埋めたらいいのか分からなかった。それで、生きている間にやりたいことは全部やるという思考になった。それが致知のプレゼントだとも話した。でも3歳だった妹には恐怖も喪失感もなかったとも話した。この講座の教授でもある石丸医師は、6歳の時に祖父を亡くした。お祖父ちゃんにもう会えないと聞いた時にとにかく怖くて、父親と泣きながら抱き合ったという経験をした。「死とは生き残った者が抱き合いながら耐えることだと教わった。」と話した。私も一年のうち半分は患者さんの死に接し、家族の悲嘆に付き合っている。よく生きたと話す人の家族ほど喪失感は少ないように思う。まだ死にたくないと話す人の家族はやはり悲嘆が強いように思う。
2023.08.22
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緩和ケア外来に1年前から一ヶ月に一度、受診に来る70代男性。2020年8月に大腸がんを手術、1年経った2021年8月に肝臓、リンパ節に再発が判明。その際に腫瘍マーカーであるCEAが上昇していた。1stラインの多剤併用化学療法をして、画像診断上で再発腫瘍は縮小し、2022年2月にはCEAもほぼ正常値まで下がった。しかしところそこからCEAは徐々に上昇、8月に2ndラインの化学療法に変更をするとともに当科に紹介となった。主治医には数値の意味であるとか、画像診断の細かいところとかを説明して貰えなくて不満だったようで、私がデータを事細かに説明したら、毎月、データを持って通われるようになった次第。2ndラインも奏功し2023年の4月まではCEAは下降した。ただ6月から上昇に転じ、そのあたりから痩せが進みだした。7月に3 rdラインを開始したが、副作用が強くて今月は受けられなかったらしい。いつもは妻とふたりで来るのだが、今日は息子も一緒に来た。息子は開口一番、父に抗がん剤をやめるよう説得してください、と。息子にお父さんの気持ちは聞きましたか、と尋ねた。「父は主治医が止めようと言ったら止める、というので、主治医のところにも行ってきました。主治医はお父さんが止めたいと言ったら止めます、と言うんです。父は生きている限り抗がん剤は続けたいと言う。どうしたらいいんですか?」なぜ、お父さんは抗がん剤を続けたいのか、尋ねましたか?と息子に問うてみた。そしたら息子は父親の方に向き直って「おとん、なんでや。なんで、身体がボロボロになっても抗がん剤打ちたいねん?」父親がちょっと涙目で答えた。「がんに負けたと思われるの、かなんやんか。」息子が「ボロボロになるまでやらんでもええやんか。今月、ちょっと調子ええやろ。それは抗がん剤中断してるからやで。主治医の先生も言うてはった。止めどきかも知れません、て。もうな、家族としてはみてるのが辛いねん。」そしたら、父親が「先生、わしには止めどきなんてこと言わはらへんかったで。しかも、お前、わしのことなんか知らんぷりやんか。」息子、「俺が何を言うたかて聞かへんやん!」父親、「お前が止めえ、言うなら止めるけどな。」突然、息子が私の方を向いて「先生、抗がん剤止めたらすぐ死にますか?」「止めてもすぐには死にません。暫くは元気に過ごせますよ。元気が無くなったらホスピスで面倒みますから。」二人が「ほな、もう止めときます。しんどくなったら入院させてもらいますわ。」こんなことも緩和ケア医の仕事なのである。
2023.08.19
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【中古】 死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話 エリザベス・キューブラー・ロス ,川口正吉 訳者 / E・キュブラー・ロス著, 篠原義近 / [単行本]【宅配便出荷】ホスピスについて話をしてほしい、という依頼があり、キュブラー・ロスの著作をいま読んでいる。とにかく、ロスが書いたことは、死に行く人は話を聞いてほしいのだ、辛さをわかってとは言わないけど辛い状態であることを知ってほしいのだ、自分がいなくなったあとの話をしてほしいのだ、自分のそばにいてほしいのだ、愛していると言ってほしいし言わせてほしいのだ、ありがとうと言ってほしいし言わせて欲しいのだ。
2023.08.11
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今日、がん治療基幹病院から転院されてきた70代の男性。肺がんと診断され、出来うる化学療法は全てしつくし、もう方法はないと告知されホスピスに紹介となった。ナルサス8mg 分1夕食後、疼痛、呼吸苦時にナルラピド1mgを飲むように指示しています、と紹介状にはあった。ナルサスが開始になったのは先週金曜日。それまではトラマドール25mgを4錠分4だったのだが、咳や痛みがおさまらず薬を変えてほしいと頼んで、ナルサス4mgを一日一回飲み、苦しいときにはナルラピド1mgを頓服してください、と指示されたとのこと。医師からは苦しければナルラピドは何度使ってもいいですよと言われたので、ナースコールを押してナルラピドを貰おうとした。するとナースが「薬剤師の先生からは6時間間隔をあけるようにと言われています。」と言われている、と6時間経たないことにはどんなに苦しくても、ナルラピドをくれなかったとのこと。苦しいのを我慢し、ほぼ6時間おきにナルラピドを飲んで、医者の来ない週末を過ごしていたとのこと。今週月曜日になって、医師に「ナースには先生と薬剤師とどちらの指示が優先されるんですか?」と文句を言ったらしい。しかし、医師は苦笑いするだけでそれには答えず、ナルサスを8mgにあげてくれたらしい。それで咳も痛みもおさまって転院してこられた。でも、患者さんはこの経緯に納得をされておらず、私に何が正しいのかを教えてほしいと。もうちょっと誰もが丁寧に説明すればいいのに、と思った次第である。
2023.07.19
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今日はホスピス緩和ケア協会の年次総会があった。コロナ禍でホスピス・緩和ケア病棟の在り方が変わってきているが、どう皆は取り組んでいるか?というところがテーマだった。私の勤務するホスピスも変わってきてはいる。コロナ禍前は長く入院を希望する人が多かったが、面会制限がある今、3グループに分かれるような感じだ。1/4は長く入院することを希望するグループ、1/4は在宅療養を希望するグループ、半分は特に希望はないが家族の望むよう、迷惑にならないように過ごせたらいいな、と思っているグループ。長く入院を希望する人とは軋轢が生じやすい。診療報酬が30日毎に減らされていくので、病院としては嬉しくないのである。家族は昔のホスピスをイメージして、ホスピスなのに追い出すようなことを言うのはおかしい、と迫られることもある。私たちだって追い出したいわけではない。診療報酬を削る医療制度がおかしいのである。ただ、後者の2グループは互いの利害が一致しているので軋轢はない。在宅療養を希望する人はまず、ほぼ再入院することはないので、風の又三郎みたいな感じである。家族にとってはホスピスがバックアップベッドとなることをお約束しているので有り難がられている。残りの半分は入退院を繰り返しながら、最期は病棟で旅立つ。一回の入院は大抵30日前後にしてくれるので、診療報酬の面で病院にとっては嬉しいのである。家族にとっても、長期のレスパイト入院と考えてくれるので、デイサービスやショートステイより有り難がってくれる。最後に淀川キリスト教病院 柏木先生がホスピス・緩和ケア病棟ではなく、緩和ケア病棟と名を打つところが多くなった。ホスピスという言葉の意味を再確認してほしい、と。ホスピスとは、おもてなしをする場所、の意であると柏木先生は常日頃仰っている。私はその教えを守っているつもりである。どのグループの患者さん、家族さんにも誠心誠意おもてなしをするよう心がけている。
2023.07.15
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SUPER CANDY BOY [ RYUCHELL ]ryuchellさんが自殺した。性同一性障害障害をカミングアウトした。女性と結婚し父親にもなったのに、やはり男性が好きという事実、女性として生きたいという想いから逃れられなかったのであろう。そして離婚した。見た目を女性にかえた。新たな一歩を踏み出しているように見えていた。何があったのだろう。精神科医、心理学者の本を読む限り、自殺したい人を救うのは難しいそうだ。ご冥福を祈りたい。
2023.07.13
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5/14に記した異父姉弟の後日談である。今日、二人の母親が亡くなった事例について、病棟、在宅のスタッフが集まり事例検討をした。亡くなった方の事例検討なので、デス・カンファとよんでいる。在宅のスタッフが後日談を話してくれた。弟家族は母親の在宅療養が始まった頃に離婚が成立、亡くなった時にも弟の妻や子には連絡はせず、姉の家族と弟一人で密葬にした。弟は姉に任せたと言わんばかりに、通夜、葬儀・告別式に顔を出した後、連絡が取れなくなったと。父親が母親と入るように購入した永代供養の共同墓地に納骨し、四十九日の法要をしたら、もう父親、母親のことは終わりにする、それ以上のお金をかけたくない、かけられないのだと言っていたそうな。さらに話を聞くと、娘さんは頼られるようになってから、自宅を母親のお金でバリアフリーに改装した上で、一旦銀行に買い取って貰い、その銀行が管理を委託した不動産会社からレンタルしていたとのこと。その買い取って貰ったお金+解約した母親の預貯金をまず均等に二人が生前贈与として受け取り、母親をまず一文無しにし、医療・介護費用は二人で折半していたとのこと。家に残された母親のものは全て遺品整理業者に任せたとのこと。赦しを請うてきた母を赦したのだから、母亡きあとは大切に供養し、弟とは和解するのだろう、と思っていたが、そうではなかったようだ。病院のスタッフは私と同じように、虐待された母親をきちんとみとるなんて、出来た娘だと思っていたので、少なからずショックを受けていた。
2023.07.04
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私が勤務するホスピス・緩和ケア病棟は在宅で療養している末期がん患者さんの緊急入院も引き受けている。ただし、ひとつだけ条件がある。過去に当ホスピスに入院歴があることだ。今日も一人緊急入院があった。2ヶ月前に、肺癌末期、呼吸困難の状態からみて予後2週間である、と紹介され転院してきたKさん。モルヒネを導入したところ直ぐに症状は軽快。1ヶ月前に退院し、私の訪問診療を受け自宅療養していた。呼吸苦が徐々に増悪してきて再入院となった。この患者さんのように、ホスピスは死を覚悟して過ごさざるを得ないとしても、決して死ぬための場所ではなく、より良く生きるお手伝いをする場所である。症状がよくなれば退院される方も多い。退院される時に、いつ戻ってこられてもいいですよ、と話す。これが当ホスピスの特長である条件、登録制度だ。患者さんはホスピスの持つ意味、モルヒネの有効性、及びスタッフのことを知ってくれる。スタッフ側も患者さんの人となりが分かる。そうすると緊急入院となっても、私が病院に行かずにすむ。当直医に電話で治療方針さえ伝えれば、あとはスタッフが一度みている患者さんなので何とかしてくれる。患者さんは困ったときに入院できて安心。スタッフも知っている患者さんなので安心。私も家から指示を出すだけでよいので安心。三方よしなのである。
2023.06.04
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さらばミスタージャイアンツ 長嶋茂雄全記録1958~2001 [ 長嶋茂雄 ]わたしは自他共に認めるプロ野球および大相撲ヲタクである。ホスピスに入院してこられた方で野球、相撲が好きという方には、大概話をあわせることが出きる。例えば島根県出身の方がいれば、活躍したといえば梨田昌孝、和田毅が僕にはすぐ出てきますけど、ほかに誰か応援していた選手はいますか?ぐらいの掴みを持っていくと、ワシは出雲やからね、和田は応援してるけど梨田は浜田やからあまり応援はしてへんかったかな。大野豊も出雲やけど知らんか?と言った話が返ってくる。そうでした、出雲信用組合でした。と返すと、おー、よう知ってくれている!と喜ばれたりする。先日は福岡県の柳川市出身の方がいて、柳商と言えば真弓明信、立花義家がいましたね、とふったら、権藤正利を忘れて貰っては困る、先生は相撲は観るの?柳川と言えば最近では琴奨菊、引退してもうたけど、応援してましたわ。と言われれたりもする。琴奨菊と言えば、塩まきとコトバウアーが忘れられませんねえ、と展開する。いま、来ている研修医にも、野球、相撲に詳しいって強いですね、と褒められた。
2023.06.01
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研修医当直御法度第7版 ピットフォールとエッセンシャルズ [ 寺澤秀一 ]近隣にある公立のがん拠点病院はいわゆる大学病院の関連病院であることから、研修医のための研修指定病院にもなっている。そのため多くの研修医が在籍している。昨年、私の勤務する緩和ケア科に研修協力依頼があり、2週ないしは4週、研修医が緩和ケアを学びに来ることになり、去年は2人、今年は4人受け入れることになった。そして、今年のトップバッターが今、来てくれている。とても勉強熱心な医師でそれはいいのだが、17時を超えて働こうとするので、ちと困っている。なぜなら、わたしはメニエール病患者なので、残業すると眩暈が始まる可能性が高まるのである。研修指導医として先に帰るのもなんだかなあと思うが、17時30分ぐらいには、子供の塾の送迎があるから、と嘘をついて帰ることにしている。
2023.05.31
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我々の病院にも訪問看護ステーションや訪問へルバーステーションがある。当院、他の病院に通院はなんとかできるけれど、日常の生活は訪問看護師やヘルパーに支えられている人が数多くいる。看護師やヘルパーから時々ハラスメントがあることを聞かされる。今回のクロカンではは在宅療養で起こっているハラスメント問題を取り上げていた。実際に医師が訪問診療先の家族に射殺された忌まわしい事件もあったし、最近では医師、看護師が監禁された事件もあった。この番組でも実際に、部屋に包丁が置かれていたとか、患者自身に大声で恫喝されたとか、酩酊している家族に殺すぞと言われたとか、色々な事例があげられていた。職員が辞めてしまったり、事業所自体を閉鎖したりということも起きている。それは、医療者が自らの正義感なのか、利用者をハラスメントを自分の落ち度としてとらえてしまうことが一つ原因にあると、この問題に詳しい髙口さんは語る。同時に、利用者側の契約意識の低さも問題だとも語る。ある事業所では、ボイスレコーダーでハラスメントを記録し、弁護士、行政に相談し、契約を打ちきる手段をとるところも出てきている。契約内容にハラスメント事項を入れることが今後大切であろう。一方、ハラスメントに及ぶ家族たちも、密室に追い込まれ、助けてほしいと思っている現状があることも問題として挙げられた。家族に救いの手を差し伸べることで防げるハラスメントもあるのだと。訪問看護師やへルバー等が受けるハラスメント事例に関しては、一事業所で抱え込まずに、直ちにその主治医、行政、警察、弁護士など、多方面に相談する仕組みを作ることが必要と思われる。
2023.05.16
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今朝、在宅みとりとなった80代の女性。結婚して5年目、26歳で漸く子宝に恵まれた。生まれてきたのは女の子。その後は2度の流産。もともと姑との折り合いが悪かったこともあり、追い出されるように30歳で娘を連れて実家に帰った。31歳で親族の紹介で再婚し、3人の生活が始まった。再婚した夫、最初は長女を可愛がってくれていたが、36歳で長男が生まれると豹変、長女を疎んじるようになり、中学卒業したと追い出してしまう。長女は母の実家、つまり祖父母の元に身を寄せ、高校卒業までそこで過ごし、就職して他県で過ごすようになる。一方、女性は夫と長男、3人での生活となったが、女性が57歳の時に夫は死去。長男は大学を卒業、就職し35歳で結婚。孫も二人生まれたが、今度は女性と嫁との折り合いが悪くなり、女性が75歳の時に長男家族は出ていってしまう。それからは年金で細々と独り暮らしをしていた。昨年末、コロナ/インフルエンザを疑って撮影されたレントゲンで両肺に多発腫瘍を指摘、基幹病院で精査を受け肝臓がん、stageⅣと診断された。3月に黄疸が出現し、痛みも出てくるようになり、3月末に入院となり、4月上旬にわがホスピスに転院となった。転院時、姉弟の二人に付き添われてきたが、どこかお互い他人行儀。余命は一か月あるかどうかと説明した。入院して2週間、本人、長女、長男から個別に情報を収集、ようやく我々に彼女の生活史が明らかになり、他人行儀なのは仕方ないか、と理解した。しかし、間もなく肝性昏睡が出現し治療にも反応が悪く、お別れの時期が近いことを再度説明。そうしたら長女がいきなり実家で私がみますと宣言。弟が出ていってから、心細くなったのか母がこれまでのことを謝ってくれて、距離があるので頻繁にというわけにはいかなかったが、面倒はみてきた。自分に悔いが残らぬよう母をみてあげたい。弟も、姉が出入りしているのは知っていたが、これまでの関係もあって、見て見ぬふりを決め込んでいた。これからも母の介護には関与しないとのこと。4/28にPCAポンプを使ってモルヒネの持続皮下注射をしながら退院。5/2、6、10、13と訪問診療すると昏睡はそれほどでもなく、ご飯を食べたり、喋ったり出来ていた。ただ、弟家族は実家に出入りすることはなかった。そして、退院して2週間余り経った今日、長女のところの孫、曾孫たちに見守られて旅立った。長女が話してくれた。母がホスピスに入院して、スタッフの皆さんに家族のことを話しているうちに、なんだか心が解れてきて、弟も辛かったのかなとも思うようになって、弟ともちゃんと話をするには母を連れて帰って、3人で話すのがいいのかなと思った。でも、弟とはやはり話し合えなかった。それは仕方ない。我々のホスピスは入院してくれた患者さんが帰りたいといえば、在宅療養も引き受けている。今回は訪問スタッフたちと連携し、シームレスにホスピスケアが提供出来たように思う。
2023.05.14
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【中古】おどおどオードリー 地上波では流せない自由すぎて危ない若林編 / オードリー【出演】癌と告知され治療を受けているにも関わらず、既に余命宣告されている六人のドキュメント映像。54歳男性 悪性リンパ腫 余命半年と宣告されたが1年が経過。10歳の長女との時間を大切にしたいと治療を中止。何気ない日常が楽しい。42歳女性 乳癌 乳癌と診断され治療を始める際に、まずは5年を目指しましょう、と言われる。編集者として働いているが、いつ自分がいなくなってもいいよう準備を怠らない。52歳女性 卵巣がん 余命1年と言われたが2年経過。同じ境遇の人達とYOUTUBEで意見交換をする。34歳女性 乳癌 まずは10年生きましょうと。バットマンをこよなく愛さ、力をもらう。32歳女性 骨腫瘍 余命1年と言われたが2年経過。結婚3年目の自衛官の夫とは時々しか会えない。3回目の結婚記念日、式を挙げたホテルでディナー。その2週間後に旅立つ。そんな5人をオードリーが見守る番組。医者の言うことを鵜呑みにせず、自分のいのちと向き合い、今、何がしたいか、何が出来るか、を考えて生きている人たち。下手な映画よりずっと良い。
2023.05.10
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NI363 新共同訳 大型新約聖書 詩編つき クロス装 大型新約聖書・詩編つき [ 共同訳聖書実行委員会 ]「どうすれば永遠の命を得ることができますか」の問いに、イエスは答える。「心を尽くして神を愛し、隣人をあなた自身のように愛せよ」隣人とは誰ですか?との更なる問いに答えるイエスの文言が「善いサマリア人のたとえ」の節になる。信仰心よりも人間の良心が神の道に近い、という教えだそうだ。ユダの裏切りにあうイエスはそれでもユダに言う。「友よ、しようとしていることにとりかかりなさい。」師を裏切らなければならないユダの苦しさを理解するイエスだからこそ、友よと呼びかけたという教えらしい。十字架にかけられたイエスは神に言う。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」神よ、神よ、どうして私をお見捨てになったのですか、という意味と聖書に書いてあるらしい。イエスが弱音を吐き、残酷な死を遂げたからこそ、人は苦しみを背負って生きていることを誰もが理解できるのだ、ということらしい。解説してくれる若松さんの大切にしている教えヨハネによる福音書 第15章12わたしがあなた方を愛したように、あなた方もお互いを愛し合うこと、これがわたしの掟である。
2023.05.01
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脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体 (幻冬舎新書) [ 中野信子 ]患者さんやその家族への説明で、一番難渋するのが麻薬についてである。本書を読んで貰えれば、その辺りがすっきりする筈なので、是非一読して欲しい。麻薬=覚醒剤と認識してはいるが、よくわかってない人が多いし、実際麻薬を投与された人を見て、眠らされるので、痛みがなくなったまま死に至らしめられる、という印象を持っている人も多い。確かにまだ昭和に使われた覚醒剤であるヒロポンは医薬品として残っている。効能としては、ナルコレプシー、各種の昏睡、嗜眠、もうろう状態、インシュリンショック、うつ病・うつ状態、統合失調症の遅鈍症の改善に用いる、とある。覚醒剤にはドーパミントランスポーター阻害とドーパミン放出促進作用があり、ドーパミンが溢れんばかりの状態になるため、興奮状態となることで上記のような効能が得られる。しかし、不眠となったり食欲低下をきたしたりするほか、耐性、依存性が問題になる。医師が使う麻薬、主にモルヒネは、オピオイド受容体に作用し鎮痛をもたらすだけで、ドーパミンには関与しないし、眠らせる作用もない。モルヒネを適切に投与されている方は、痛みに苦しむことが失くなり、不安も消え、よく動き、よく食べられるようになる。もちろん眠れるようにもなる。これは『ライオンのおやつ』を読むとよくわかって貰えるかなと思う。ただ、癌が進行しすぎてから投与が始められると、よく動きよく食べることが出来ないまま、痛みに苦しむこともないが、よく眠るようになり、そのままお別れになる。こういった方たちが多い現状は否めない。緩和ケアが普及し、モルヒネが誤解されることなく受け入れて貰える社会になるよう努力を続けよう。
2023.04.30
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NI363 新共同訳 大型新約聖書 詩編つき クロス装 大型新約聖書・詩編つき [ 共同訳聖書実行委員会 ]マタイ6章 6-8あなたは祈る時は、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れたとこにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば隠れた行いをご覧になるあなたの父が報いてくださる。(中略)あなた方の父はあなた方が願う前に必要とするものを知っておられるからである。損得の行いではなく意味の行いをせよ、その意味の行いこそが、神のなせる業なのである、ということらしい。マルコ14章36アッバ、父よ。あなたにはおできにならないことはありません。私からこの杯を取り除いてください。しかし、私の思いではなく、み旨のままになさってください。処刑される前のイエスの思いの章。杯は苦しみのことらしく、苦しみをいかにするかも神の心のままで良いとイエスは話したという意味らしい。仏教でいう無心という言葉も、御仏の心のままにということ。神、仏に関わらず、祈ることとは見失っている自分とつながることであり、自分に出会う=神に出会うことらしい。マタイ6章14-15 人の過ちを赦すなら あなた方の天の父もあなた方を赦しくださる。しかし、あなた方が人を赦さないなら、あなた方の父もあなた方の過ちを赦してくださらない。あなたは誰かを赦し得る力を持っているということ。誰もが過ちをおかしているのに、今の社会は誰かの過ちをあげつらう社会になっている。聖書にはそれを説いているのかも知れない。
2023.04.24
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【中古】【全品3倍!4/18限定】藤子・F・不二雄[異色短編集](2)−気楽に殺ろうよ− / 藤子・F・不二雄NHKBSPで毎週日曜日、夜15分放映される、藤子・F・不二雄のSF短編ドラマ。藤子不二雄のSFはサイエンスフィクションではなく、すこし不思議な話、という意味。『定年退食』は1973年にビックコミックオリジナルに掲載された作品。1995年小学館コロコロ文庫の異色短編集(2)に収録。私も本棚に納めてある。老人に合法的に死を促す社会はこんな感じ?では、安楽死も容易されているのかな?と考えさせられる作品。近未来、食糧危機に陥った日本は食糧を配給制にした。現在の法律では76歳以上の老人達は国家の保障がなくなる76歳定年制が導入されている。主人公のおじいさん、75歳で来年以降は配給がなくなるため、今日の糧を保存している毎日。時々、特別定年延長の抽選があり、なんとか当たらないかと願っているが、今回も外れてしまう。しかし、ある日、総理大臣から重大発表が。明日より定年を72歳に引き下げる。今日で73歳以上の方の年金、食糧、医療などの国家の保障を打ちきる、と。おじいさん、翌朝、息子夫婦が自分達の分を削って、朝御飯を出してくれる。しかし要らぬと手を振り表に出て、出会った友人と2人、街をさまよう。2人でベンチに座っていると、友人の孫が彼女とすわる場所を探している。「おじいちゃん、譲ってよ。」怒る友人。「年寄りに席を譲れだと!」怒る友人を諫めて立ち上がり、2人またあてもなく彷徨いだす。「もう。わしらの席はどこにもないのさ。」一日中、街を彷徨ったのか、夕陽に向かって階段を登っていく2人。死を暗示するようなラストにすこし震える。50年前に書かれた作品とは思えない。今の社会では、数年後に現実になってもおかしくないような作品。是非原作を読み、ドラマをみてください。
2023.04.17
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これは経費で落ちません!DVD-BOX [ 多部未華子 ]NHKBS 幸運なひと 後編をみた。患者の会に参加して思いを変えた拓哉は「これからはできることを数えていこう」と咲良に伝える。そして、抗がん剤治療が始まるが、腫瘍は悪化していく。ある日苦痛にうずくまっていた拓哉に、咲良が「しんどいなら寝たら?」と優しく提案するが、「もう少し優しくしてよ。」と答える拓哉の真意は。「寝るのが怖いんだ。もし、そのまま眼を覚まさなかったら、と思うと。」咲良は拓哉が心の内側を話してくれたことに感動して、これからも気持ちをちゃんと伝えてほしい、と話す。この場面、癌に苦しむ人をきちんと取材したドラマだな、ということがよくわかるシーンである。ホスピスでも多くの患者さんが、夜寝ることに不安を抱く。それは拓哉と同じ理由である。だからこそ、私も必ず、「また明日!」と言ってその日の診察を終えるようにしている。そして、拓哉「最後の授業」のシーンも良い。「エゴは我のまま、わがまま。自分の本当とも言える。この社会でワガママをぶつけられるひとはそうそう出会えないが、もしそんな人と出会えたら勇気をもってエゴをぶつけ合ってください。」自分らしく生きるには、我が儘に振る舞うことも時に必要である。でも、それには我が儘を許してくれる存在か必要である。前編で、ビアノの仕事も子供も欲しがる咲良に、それはエゴだ、と拓哉が怒るシーンがあった。最後の授業はそれを伏線とした回収の場面である。その最後の授業、咲良は産まれたばかりの娘と、同時配信された画面で眺めている。咲良はエゴをぶつけて良かったと授業を聞いて大きく頷く。互いのエゴをぶつけ合い、そのなかで妥協点を見いだしていくことこそが大切なのだ。どちらかが我慢すればそれは片方のエゴを通させることになる。しかし、どちらも我慢せずエゴの落としどころを見つけることが大事だ。相手ががん患者であっても、咲良のように全てを許すのではなく、自分の本音をぶつけることが大切だ。良いドラマでしたね。
2023.04.13
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山上の説教と呼ばれる有名な章自分の貧しさを知る人は幸いである 天の国はその人たちのものである 悲しむ人は幸いである その人たちは慰められる 柔和な人は幸いである その人たちは地を受け継ぐ 義に飢え乾く人は幸いである その人たちは満たされる 憐れみ深い人は幸いである その人たちは哀れみを受ける 心の清い人は幸いである その人たちは神を見る 平和をもたらす人は幸いであるその人たちは神の子と呼ばれる 義のために迫害されてる人は幸いである 天の国はその人たちのものである マタイによる福音書5章3-10貧しさとは心の有りようの不完全さを意味する。不完全な人間同士だからこそ手を携えて生きる必要がある。手を携えることが出来た人たちに天の国は開かれている。義とは神の前の平等を指す。等しさを求めることで人は満たされる。NI363 新共同訳 大型新約聖書 詩編つき クロス装 大型新約聖書・詩編つき [ 共同訳聖書実行委員会 ]
2023.04.06
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生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉 (幻冬舎文庫) [ 日野原 重明 ]往診をしてきました。102歳女性、西暦1920年、大正9年生まれです。子供3人、孫8人、ひ孫17人、玄孫3人だそうです。ご自宅には15人ほど集まっておられました。日野原先生には及びませんが、大往生といっていいと思います。お疲れさまでした。
2023.03.29
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せん妄対策 成功への道しるべ 今日の夜からはじめる 一般病棟のための [ 山川 宣 ]娘さんに怒られたAさん。昨夜はそのせいか少し興奮気味。デエビゴとレスリンを眠前に飲んで就寝。朝6時に起きるやいなや、「今から帰るから妻を呼んでくれ。」と叫びだしたらしい。制止する看護師を振り切り、車イスに乗って玄関まで行き、自動では開かないドアをガンガン叩いたらしい。当直医に相談、セレネースを筋注して貰い落ち着いたとのこと。昼過ぎまでウトウト。家族に説明、せん妄コントロールは内服では難しいだろうと、モルヒネとセレネースでの持続皮下注射を開始した。帰りたい、という想いを叶えられるか。
2023.03.04
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ほぼ同じ時期に当ホスピスに入院した78歳の男性2人の話。AさんとBさんとしておこう。二人とも70代の妻と二人暮らし。Aさんは長女が近隣に嫁ぎ、買い物や掃除、洗濯などを手伝っている。長男は隣の県にいるため、余り接触はない。Bさんは長男が敷地内に新屋を建て、お嫁さんが身の回りの細々としたことを手伝っている。長女は他府県にいて、時々顔を出す程度。入院して一週間経って、2人とも痛みはコントロールでき、そこそこ食事も摂れており、帰りたいと訴えるようになった。ただ、2人とも足腰が弱りトイレに一人でいけなくなっている。家族に事情を話すために面会と面談をした。今回、家に帰る話がまとまったのはBさん。Bさんはお嫁さんに迷惑をかけたくないからと、尿道カテーテルをいれることを自ら希望。お嫁さんは「トイレぐらい手伝うのに。」と言いながらも舅の申し出を喜び、退院の日取りを決めて妻と二人帰っていった。Aさんは「小便は立ってせんことには出ない、カテーテルもオムツもワシの自尊心を傷つけるもの。」、と看護師2人介助でのトイレ行為を当たり前の如く思っている。そして「家でも妻と娘に手伝って貰えば何とかなる。」と宣った。娘は「オムツかカテーテルにしない限り家は無理やと思いや!」と告げ、さっさと一人帰っていった。残された妻はオロオロ。Aさんに「お前の教育が悪いから親の面倒もみれない。」と怒鳴られている。自分らしさとは何だろうと考えさせられる、好対照な2人でした。
2023.03.03
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ホスピス・緩和ケアのこころと実際 [ 柏木哲夫 ]ホスピスケアとは、その人がその人らしく人生を全うするのを援助する働きであると柏木先生は説いておられる。では、自分らしさとは何か?久々に考えてみた自分らしさを自分で説明することは難しい。私をよく知る家族、友人が、私の行為を見て、「ああ、パパらしい。」「ああ、お前らしい。」と言ってくれることが、私の自分らしさであろう。とすると、妻や子供たち、友人による私らしさとはこれまで浴びせられた言葉から判断するに自己中心的で、思いどおりにならないと怒る人の揚げ足取りが上手時間にうるさい、時間を守らないことに厳しい言葉遣いにうるさい分からないことはすぐに調べる語彙が豊富物事を教えるのが上手任せておけば何とかなっている好きなことにはとことん拘るいいこと悪いことが半分ずつぐらいかなその人らしく人生を全うできたかどうかは、その人をよく知る人にしか分からないのである。ホスピケアとは、遺された家族に「この人らしい最期やったね。」と言ってもらえるよう、ケアすることなのだ。
2023.03.01
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医療・ケア従事者のための 哲学・倫理学・死生学 [ 清水 哲郎 ]医療倫理というのは分かっているようで、いざ、人に説明しようとなると難しい。倫理や道徳というものは、当たり前のことなので、当たり前のことは教えるのは難しいのだ。漸く人に教える際に参考にするのに値する本が出た。それがこの一冊。ホスピス・緩和ケア科は他のどの科よりも、人の死が間近にあるので、哲学、倫理学、死生学を踏まえているかが問われるのだ。頭を整理するために良い本である
2023.02.24
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【新品】いのちのおはなし 日野原重明/文 村上康成/絵肺癌で入院中の80代女性について。昨年11月までは夫と二人、何にも不自由すること無く暮らしていた。しかし12月に入って食欲が落ち、少し歩くだけで息切れをするようになった。中旬には咳や熱が出るようになり、発熱外来を受診したところコロナと診断された。SpO2が低かったため入院することとなり、胸部CT検査が施行された。コロナによる肺炎像は軽症だったが、左の肺、心臓の裏あたりに腫瘍があり、肺門部や縦隔のリンパ節が腫大しており、転移しているものと評価された。咳や熱が収まるまで1ヶ月を要した。その間はコロナ病床に隔離されていたために、すっかり足腰が弱ってしまい、痩せこけてしまった。一般病棟に移り、気管支鏡検査が行われ肺扁平上皮がんと診断された。それで精神的にも更に弱ってしまい、食欲も無くなり高カロリー輸液が始まった。年齢的、体力的、気力的に治療は困難であり余命1ヶ月、在宅かホスピスかどちらかです、と宣告され、結局ホスピスに転院となった。しかしホスピスに来てホッとしたのか、まずご飯を食べられるようになり、リハビリを受けた成果かトイレにも何とか自力で行けるようにまで回復した。自分でもコロナ感染前に戻った感じだと話した。そして、今日、退院前のカンファレンス。ホスピスに来て良かった。自分の足で動くこと、口から食べられること、家族の顔がみられること、当たり前のことが一度出来なくなって、また出来るようになった。それらがこんなにも嬉しいことだとわかった。癌になったのは、煙草を吸っていた以上、仕方がない。でも、残された時間を家族のために一生懸命生きようと思う、と話した。80歳まで一生懸命生きてきたのでは?と問うてみた。そしたら、こう答えられた。「なんとなく生きていたら80を超えていた。これからはちゃんと生きようと思う。そうやないと、助けてくれた先生や、助かったことを喜んでくれた家族に申し訳ない。」
2023.02.22
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肝細胞がんでホスピスに12/24に入院となり、1/10に退院、1/21に訪問診療に出掛けた患者Aさんの話の続き。その次は2週間後で大丈夫だろう、ということで2/4の訪問診療枠を予約した。幸い、その2週間は何事もなく過ぎた。2/4、診察に行くと内服がしんどくなっているとのこと。食事量も減りだいぶんと痩せてきていた。下肢筋力も低下してボータブルトイレに移ることも辛くなっていた。オキシコドンの内服量に相当するフェンタニルテープを貼付することにし、レスキューはアブストラルという舌下薬に変更した。診察した結果をみんなにも説明しておきますね、と本人に断って別室にて家族に話す。おそらく残されている時間は1,2週間であり、アブストラルのレスキュー回数が増えていくようなら、マズフェンタニルテープを増量するが、それでもやがてコントロールは難しくなるだろう。そのときは持続皮下注射が良いだろうと説明した。2/11、往診依頼があった。アブストラルを舌下に入れるだけで吐き気がするという。それも2/10から1日4回使うようになっていたとのこと。痩せはさらに進み、今までは診察の際に欠かさず義歯を着けてくれていたが、もうグラグラで「入れ歯をしてない顔は皺くちゃなので見せられへん。」と、マスクをされていた。排泄ももうパンツ型のオムツ、いわゆるリハビリパンツにされていた。少しの水分以外は欲しがらないとのこと。一度、病院に戻り、持続皮下注射の準備をして再度往診した。家族には、「おそらく頑張れても2日か3日、明日には昏睡が始まり、その後はウトウト寝て過ごすことになるだろう。その後は呼吸が半日単位で不規則に変化していき、下顎呼吸になり、お別れになるだろう。」と説明した。そして、昨日2/14の夜21時過ぎに旅立たれた。ご家族からは、「先生が説明されたとおりの経過でした。穏やかに見守ることが出来ました。」との言葉を頂戴した。在宅看取りに必要なのは、家族の覚悟と医者の先々を見通した説明であることに尽きる、と思っている。
2023.02.15
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23時頃に往診、血圧も100を下回り、意識も朦朧としているが、何せ苦しそう。診断としては癌性リンパ管症を疑う状態であり、こういう時を想定して処方しておいたモルヒネとステロイドの坐薬を投与した。同時に病院に電話して、モルヒネの持続皮下注射を準備して貰うよう依頼した。15分後には、呼吸、心拍ともに落ち着きだした。Mさんの自宅から病院までは20分。持続皮下注射にはPCAポンプを使うのだが、その調整の時間を考えて一時間半後に再度往診すると約束して、病院に戻った。2/9に日付が変わって、午前1時に再度往診し、モルヒネの持続皮下注射を開始した。Mさんもその頃には苦しそうな表情は既になく、穏やかに休んでいた。ご両親、姉、妹も到着していた。今後の起こりうる変化を説明し、今日、明日のどこかでお別れになるだろうことを説明した。皆さん、涙を浮かべて聞いてくれていたなか、父親が静かに話した。「皆さんのお力で、Mは最後に親孝行、子孝行をすることが出来ました。あとは静かに見守ってあげたい。」そして、お昼過ぎに訪問看護師から連絡があり、再度往診し、最後の診察をさせて貰った。妻が「旅行に行けて本当に良かった。帰ってきてすぐ、ありがとうなあ、また行こうなあ、って言ってくれたんです。民宿の方たちも本当に喜んでくれたて、また来年も来てや、待ってるで、って言ってくれて。来年もまたみんなで行こうと思います。」患者さんがその人らしく最期まで生きることを支えるのがホスピスの仕事であるが、大切な人に先立たれたそのご家族の力になることも、仕事のひとつである。
2023.02.12
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「やっぱり無理でした。病院に向かいます!」といった連絡がいつ来るのか、2/7 朝のカンファレンスでは、スタッフがみな、そんな思いを持ってどきどきしながら一昼夜を過ごした、と話した。そんな我々の思いをよそに、11時頃になって病棟の電話がなり、「今からチェックアウトします。観光しながらぼちぼち帰ります。」とのことだった。スタッフみんなが胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。2/8 訪問診療に出掛けた。本人は疲れが出ているのかウトウト過ごしていた。酸素投与量もモルヒネのレスキューも増えていた。妻と子ども二人、プリントアウトした選りすぐりの写真を見せてくれて、旅先でのアレコレを話してくれた。今週残りはしっかり休んで貰って、来週はパンダを観に行こうかなと思っている、とも話してくれた。しかしその夜、訪問看護から連絡がきた。「呼吸が粗く頻回になって、脈も速くなって、酸素飽和度も低下して、苦しがっているそうです。今から訪問します。」(つづく)
2023.02.11
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肺の転移も悪化してきているのか、少し呼吸苦が認められたので、モルヒネの内服と、酸素投与を開始した。また、腫瘍熱、食欲不振があるのでステロイドも開始した。推定される予後は2週間から3週間と評価し、ご家族にはその旨を告げた。家族は「なにか想い出づくりがしたいです。本当に旅行に行って大丈夫ですか。」私からは「モルヒネとステロイドの効果が出れば大丈夫だと思います。出きるだけ早くに予約しましょう。」翌1/28、本人は「少し楽になってきました。旅行、ほんまに行ってきてもいいですか?」と話し、1/30には「みんなが休みを調整してくれて、2/6-7で民宿の予約を取ってくれました。家族4人+両家の両親、計8人で行くことになりました。」と喜んでいた。1/31には訪問看護ステーションなどとカンファレンスを行い、2/4に初回訪問診療をすることを約束して退院となった。2/4に訪問診療に出掛けた。「トイレに立つのも辛くなってきて、ポータプルトイレを借りました。あと、車のなかでも出きるように尿器(尿瓶)も借りましたわ。」と話した。更に、「旅行の用意は万全ですけど、旅行先でなにかあったらどうしたらいいですか、先生の病院まで帰ってきたらいいですか?」との質問があった。道中で救急指定病院を見つけて行くのが良いだろうから、これまでの治療内容を書いた診療情報提供書を宛名無しで作っておきましょう、と作成してプリントアウトして渡した。(紹介先を書かないと保険診療請求はできないので、医者としてはタダ働きになる。)2/6朝、奥さんから病棟に電話があり、今からいってきます、と。(つづく)
2023.02.10
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今年1月にホスピスに紹介された50代前半の男性Mさんのことを記しておく。一年半前にstageⅣの大腸がんと診断され、姑息手術を受けたのち、抗がん剤治療を続けてきた。昨年12月に受けた最後の抗がん剤レジメの効果判定の画像診断を今年1月にうけた。しかし無効であり余命3ヶ月と告知されての紹介だった。1/17の初診外来に妻と二人で来られた。そのときは妻に支えられて何とか歩いていた。10日後の1/27に漸くベッドが空き入院して貰った。その時は既に車椅子が必要となっていた。ホスピスをバックアップベッドにしたいと希望される方には4泊5日の体験入院をして貰っている。緊急時の入院をスムーズにするためだ。我々はその患者さんの病歴と人となりを知ることが出来る。患者さんはどんな環境か知ることができる。そうするとお互い緊急時に慌てなくてすむ。入院時は大学生の娘さん、高校生の息子さんも一緒についてきてくれた。ホスピスは全て個室だ。さすがに4人が入ると個室も狭く感じる。いつものように、「Mさんが一番困っていることは何ですか?」と尋ねた。「1月に余命3ヶ月と聞いたんやけど、今の状態では桜は観れそうにないなあ。最後に満開の桜を家族と一緒に観たかったんやけどな。」と努めて明るく話すMさん。娘さん、息子さんも涙をこらえている。「明日のことを思い煩うな、と言いますから、今日出来ることを考えましょう。退院したらまず何をしますか?」と次に尋ねた。「毎年、家族で越前がに、食べに行っててん。いっつも世話になってる民宿があるねん。せやけど、一昨年はコロナで行かれへんかった。去年は治療してて行かれへんかった。最後に行きたいわあ。」(続く)
2023.02.09
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死にゆくあなたへ [ アナ・アランチス ]ブラジル・サンパウロ病院の緩和ケア医が著者。自らが医者を目指したきっかけ、がん患者に寄りそうことができなかった研修医時代の辛い日々、そしてそれを乗り越えてある今、を綴っている。医療者にはおすすめの一冊。そして、現状の緩和ケアに疑問を持たれている患者さん、ご家族さんにも一読の価値あり。
2023.02.03
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「在宅ホスピス」という仕組み (新潮選書) [ 山崎 章郎 ]2ヶ月前にがん診療拠点病院から紹介となった男性患者さん。家で死にたい、と我がホスピスでの療養を希望された。当ホスピスは訪問診療、往診、在宅看取りを手掛けている。でも、皆がみな、在宅看取りまで辿り着けるわけではない。患者さん本人が不安になったり、ご家族が不安になったりして、やはりホスピスで診て欲しい、という場合もある。なので、元気なうちに4泊5日の体験入院をして貰い、その後に訪問診療を開始することとしている。もちろん、不安になったらいつでも再入院できるよう体制は整えてある。退院後1ヶ月は通院されていた。2週間前、私の再診外来の日、朝に出掛けようとしたが、ベッドから立ち上がれず、訪問診療開始となった。昨日午前、妻から「2日前から内服が難しくなっている。」と連絡があり、「モルヒネの持続注射を開始しましょう。」と話した。しかし、「先生が前に話してくれたように、尿毒症なのかウトウトしています。苦しむようならまた連絡します」と。そして、今朝、旅立たれた、との連絡があった。妻が「昨日、夜10時頃にパッと眼を開けて、おれはもういくよ、と言ったんです。」それからまたウトウトしたので、家族も床についたらしい。今朝4時ごろ、胸騒ぎとともに眼を覚ました妻。隣の夫をみると息をしていなかったという。息子たちも「お父さんは分かっていたんやなあ。お父さんらしいなあ、と思って。悲しむよりも先に感心してしまった。」と話してくれた。聞けば、細かな予定をたて、必ず目的を果たす、有言実行型の人だったと。人は生きてきたように死んでいく今、看取ってきてこのブログを書いている。
2023.01.26
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70代、肝細胞がんでホスピスに12/24に入院となった患者さんの話の続き。Aさんとしておこう。お正月もホスピスで過ごされていた。病棟は一階にあるので、ホール、ベランダの内側に患者さん、外側に家族にきて貰えれば、窓越しに面会は可能なのだが、日常業務のなかでは出来ずにいた。年末年始、病棟師長、主任の3人がボランティアを買ってでてくれ、面会者の誘導、面会のタイムキーパーをしてくれ、面会を希望される10名の家族全組が会えるように配慮してくれた。Aさんのご家族も1/2に来てくれたらしく、そこで退院へ気持ちが大きく傾いたようで、ケアマネ、訪問サービスとの調整をして1/10に退院された。1/20に外来受診予定であったが、1/17に家族から電話が病棟に入った。もうベッドから立ち上がるのが困難になっている、訪問診療をして貰えまいか?そこで昨日1/21、ご自宅を訪問してきた。夫、長女夫婦と孫息子2人、長男と孫娘1人の7人に出迎えられ、リビング隣の客間に入れたベッドで横になるAさんを診察した。痛みはコントロールできているし、吐き気も量を食べ過ぎなければ大丈夫だし、睡眠もとれているし、排泄は思いきってオムツにしてヘルパーさんに朝、晩きて貰って、手伝って貰うようにした。最期までここで過ごせそうな気がする。そこにいる家族全員が大きく頷いたので、きっと大丈夫であろう。夫との二人暮らしだが、娘家族が車で15分の所にすんでいることが支えになっている。病棟もみて、訪問もして、院内感染対策も最近は仕事が増えており、よれよれに見えたのであろう私にAさんが一言。先生、疲れてそうやけど大丈夫?私が逝くより先に倒れないでくださいね。頑張ります。
2023.01.22
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在宅死のすすめ方 完全版 終末期医療の専門家22人に聞いてわかった 痛くない、後悔しない最期【電子書籍】昨夜8時頃、とある訪問看護ステーションから電話が鳴った。直腸がんで直腸切除術+人工肛門が造設された80代男性の家族から、突如、強い痛みを訴えっている、と呼び出しがあった。訪問してみると息も絶え絶え、酸素飽和度も上がらない、頓服のロキソニンをすすめたが痛すぎて飲めなさそう、どうしたらいいですか?すぐさま訪問した。妻と息子夫婦があちらこちらをさすっていた。これまでにない強い痛みを訴えていて、頻呼吸になり、身の置き所のない感じで、手が宙を彷徨っている。こういった場合は何らかの血栓症であることが多い。いのちの危険性が迫っていることは確かだ。まず家族にそのように説明。この時のために処方しておいたオプソというレスキュー用の麻薬を少しずつ飲んで貰った。10の痛みは5に和らいだ。腹部を診察してみると、がん性腹膜炎でキンキンに張っている。どこかに血栓があり壊死を来し始めているか、腫瘍から出血している可能性が高い。そうなればこの夜のあいだにお別れになるだろう。また、強い痛みが来るはず。入院するもよし、このまま家で過ごすもよし、モルヒネの持続注射を開始すれば、どちらででも過ごせますよ、と話したところ、「親父は家で死にたいと言っていたが、ほんまにこの痛みはとれますか、家で過ごせますか?」急いで病院に行き、モルヒネとセレネースのカクテル液を作り、PCAポンブのカセットに充填し、もう一度患者さん宅に戻り、持続皮下注射を開始した。開始して30分、開始時と15分後にドーズ(1時間量の早送り)をして、痛みは2低度まで改善したと話し、のどが渇いたとお茶を少し口にして、うつらうつらし始めた。息子「モルヒネは凄いですねえ。こんなに眠らせることが出きるんですね。」私「モルヒネに眠らせる作用はありません。僕らでも痛みを抱えたままは寝られない。それと一緒で、痛みがなくなったから眠れているんです。」息子「これはもう中毒状態ですか?」私「覚醒剤とは違うし、適切な量を投与している限りは依存性は起きない。」朝までにお別れになるかもしれないが、痛みを訴えれば何度でもドーズしてよいし、困ったことがあればまたいつでも往診する、と話して辞去した。帰宅した時には日が変わっていた。朝までにコールはなかったので、昼に家族に電話してみた。息子はすでに仕事に行ったらしく、お嫁さんが「ときどき痛がるがドーズするとまたスヤスヤと寝る。時折、お茶と叫びますけど。このまま家でみたいと思います。私は先生からモルヒネについて詳しく聞いていたので大丈夫でしたが、夫には伝えきれていなかったのでパニックになっていたみたいです。先生から貰った説明書を見せたら納得していました。」あとは穏やかに人生を全うできるよう祈りつつ、サポートするだけである。
2023.01.16
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老いと孤独の作法 (中公新書ラクレ) [ 山折哲雄 ]死に関して調べものをすると、この人の名は欠かさずでてくる。元日、朝日新聞のオピニオン欄の記事を私なりにまとめた。覚悟を語るとき欧米系のリーダーは、旧約聖書の一節、いま我々は死の陰の谷を歩いているが、神がいてくれるから恐れずに進んで行こう、を使う。それで、小泉純一郎にそれに匹敵する言葉かないか聞いたら、『ないな』と答えた。その後、改革をめぐる綱引きの場で、『自分は死ぬ覚悟で取り組んでいる』と伝えており、それだよと思った。覚悟とは仏教用語で、『迷いを去って道理を悟ること』という意味。迷いをもたらす最たるものは死であろう。覚悟が死と結び付くようになった原点は平家物語であろう。源頼政が平家に追討されて死を覚悟し、西を向いて念仏を唱え、歌を残し切腹をしたエピソードがそれに当たる。思想的な意味で転機になった書物は江戸時代、山本常朝の『葉隠』で、『武士道とは死ぬ事と見つけたり』の一説で知られる。戦のなくなった太平の世で、武士が主君に忠誠をどう尽くすか、それを強調するのに死が注目された。庶民の世界にまで死と覚悟を結び付けた価値観を定着させたのは、近松門左衛門の『曽根崎心中』。女性が男性に『死ぬる覚悟が聞きたい』と尋ねる場面があり、仏教の文脈から離れた新しい言葉としての覚悟が出来上がってきた。葉隠の思想は、先の戦争中に、また切腹自殺した三島由紀夫に、死の覚悟を促すために使われた歴史もあり、命の軽視にも繋がる恐れもある。しかし、葉隠の冒頭には『浮世から何里あろうか山桜』という俳句が掲げられている。武士の理想が実現できない状況下で、隠者脱俗の世界で『勝てないけれど負けない』生き方があることをも示している。人生100年という超高齢化時代は、老いや病を抱えた時間、死を意識する時間が、今までよりも長くなる。死をどう覚悟するか、覚悟をどう考えるか問われる時代だ。
2023.01.02
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問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション 安斎勇樹/著 塩瀬隆之/著青海社「緩和ケア」という専門誌を定期講読している。最新号のテーマは「対話 傾聴を超えて」目から鱗の話を一つ学んだ。京都大学 総合博物館の塩瀬隆之さんの著述「あなたにとって豊かな朝ごはんは何ですか?」そう、尋ねられてすぐ答えられる人はいないだろう。もし、本当にこの答えを聞き出したいとしたら、どういう段取りの問いかけが必要だろうか?それが、問いのデザイン、ということのようだ。今日、朝ごはんに何を食べましたか?が、問いかけの最初になるだろう。塩瀬さんは対話の中に表れる表現を仮に<流れる水>に例えるならば、対話における両者の関係性とは水の流れ方を決する<水路>であり、いかに<水路>の変化に意識を向けた対話を重ねるかが鍵となる。ホスピス医の頭の中にあるものを的確に表現してくれた感じである。ホスピスでは傾聴が重んじられるが、聴いてもらうだけではいつか患者さんは物足りなくなる。関係性が深まれば対話が必要になってくる。そのためにはスキルが必要だ。早速、購入して読んでみようと思う。
2022.12.29
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70代、肝細胞がんでホスピスに12/24に入院となった患者さんの話の続き。入院日をday1としたら、今日はday5。痛みからも吐き気からも解放され、夜も眠れるようになり、毎日大便も出るようになった。食事も少しずつ食べられるようになってきた。ただ、トイレに立つには看護師の介助がまだ必要としているよう。生活の辛さが減り、余裕がでてきたのか、家族へのLINEの回数も増えているようだった。書き忘れたが患者さんは女性。入院するまでは、ほぼ同い年の夫と二人暮らしで、癌を抱えながらも家事一切をしていた。夫から「そんなに調子が良いなら年内に退院できそうか?」とLINEがきたらしい。それを読んで彼女の一言。「娘に聞いたら、お母さんがいなくて、炊事、洗濯、掃除と一人では大変やから助けに来て、と夫は娘に言っているらしい。今のままでは家事は出来へん。もし、お父さんがそれを期待しているなら帰られへんなあ。」私からアドバイス。「お父さんが全部できるようになったら退院許可をだします、と先生が言っている、と返信してあげてください。」患者さんがそれに対し一言。「お父さんができるようになるのを待っていたら、きっと死んでしまいますわ。」と笑っていた。私からもう一言「正月三が日が明けるまではここでゆっくりしましょう。あなたがいないことで、あなたの存在の大きさに気づくでしょうから。」
2022.12.28
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