極意漢のノ二とブドウ

極意漢のノ二とブドウ

2015年02月14日
XML
カテゴリ: 武道



  喧嘩に負けないため

  喧嘩に勝ちたいため

  暴力に屈しないため

  護身術として学びたいから

  人を倒す術を訓練したいから

  殺人目的のため

  平和な世を作りたいから

  身体を鍛えたいから



  強盗に遭っても自分や人を守るため

  自分に自信を持ちたいから


などなどあるが、究極的には、

  人が人として(肉体的に・精神的に・霊的に

  満足に幸せに)生きるため



であろう。


  「人」とは、自分と他人をいうが、

      人に限られるものではない。


  「人として」とは、健康、寿命、尊厳、名誉、地位

      社会性の維持、成功、金銭的余裕などが

      保たれることである。




ということであろう。  



 言い換えれば、武道とは、身体を鍛え、技を練ることである。




 そうすることによって、自分を改善、改造すること。


 改造した自分で、世の中に貢献することであろう。









  話は、変わって



    武道の奥義とは、力を抜くこと


    脱力は、無力ではない


    脱力が、無力であれば、”赤ちゃん”が最強である

  ことになる。


    力を抜くことは、かなり(最も)難しいことである。

    でも、相手を意識しないならば、意外に簡単なことでも

  ある。


    その場で、寝付いてしまえば、力を入れることはない。



    よく、流儀名に”無想”とか”無念”の名が付くことから


  これが大事であることが窺える。


  1  ”赤ちゃん”や”寝る”ことから、力を抜くだけでは、

    役に立たず、力を抜く何らかの訳(理由)があることが分かる。


     (赤ちゃんや寝ることには、相手を倒すという意思がない

    ことが問題であるが、赤ちゃんに押したり、曳かれたりした

    経験のある人もいるかもしれない。)



  2  力を抜くことによって、何かなるのか?それとも

    何かをすることによって、力が抜けた状態が付随されるのか?

    はたまた、力を抜きながら、何かをするのか?


  3  どうやら、何かをすることが、隠れているようだ。





 世の中は、広く、その秘密を誰でも運が良ければ、知ることも

 あると言える。


  それを、知りたい人(漢もであるが)は、コメント欄に


 「知りたい」と入れて見て。





 話がまた、逸れるが、


  「名人に、極意無し」といわれるからと言って、極意など不要だ!


 と言う人がいるが、言葉の遊びで申し訳ないが、


  極意が不要な訳ではなく、特に名人・達人の域に達しない

 内は、当然必要であり、名人・達人は、それを意識しない

 超越した状態にいるため、傍から見ると極意を必要としない

 ように見えるだけなのだ。


  合気道などの口伝を見ればわかるが、口伝を知っている者と

 知らない者とでは、明らかに差異が生じてくるものである。



  差異とは、それを知るのに要する”時間”である。

  運動神経の良い人や勘の良い人が、技のコツを見つけるのが

 早いとしても、口伝を知れば、さらに早くコツが分かるものである。




☆ 太極拳堋勁養成法












お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年02月14日 21時37分48秒
コメントを書く
[武道] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: