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再受験にあたり、色々調べていたところ、二次試験を体育で受けられることがわかり、さらにラッキーなことにその体育の試験官をする人がバイト先に入ってきてポイントを教えてもらえることができたのでした。神様が確実に味方しているっと思った瞬間でした。人生二回目のセンター試験はなんと人生一回目よりも40点も高得点をマークし、大学二回目の受験は受験勉強4ヶ月ながら受かることが出来、晴れて二回目の大学一年生を1998年に迎えました。大学に入り、教育学と教育心理を学びながら、プロジェクトアドベンチャー、エンカウンター、などの新たな教育方法を学び、ドンドン自分の興味が心理学とそもそもの教育について気持ちが強くなっていくのを感じました。就職活動になり、最初は先生になろうと思っていたのでしたが、学校へ実習へいき現場をみたときに、自分の道は学校で先生をすぐにやることではなく、まずは社会をしっかりと体験し、学んだことを生徒達へ伝えていくことが役割だと感じ、就職活動をすることにしました。それで決めた会社が「リンクアンドモチベーション」という人事コンサルティング会社でした。10代から20代の頭の頃にはまったアメリカの自己啓発系の方々の肩書きにあった「人材育成コンサルタント」という仕事に憧れていた夢が実現した瞬間でした。念願の会社に内定を頂いた一発目の内定者としての仕事は、「アメリカに行き、最先端のモチベーション事例を研究し、リンクアンドモチベーションに新しいビジネスを提案せよ」という全く予想外の仕事でした。同期3人で6月から9月末までこのことだけに取り組み提案したのが懐かしいです。この仕事が終わった後、卒論、夢を叶えた人達の本作り、学生を集めた自己発見セミナー、内定者のアルバイトっと色々やりすぎ、カラダと心の疲れから二回目の鬱がスタートしました。このときの一番の原因はやはり「人との繋がり」と内定者として仕事をしたときの自分の能力不足から来る自信の喪失だったのです。。この鬱は長く続き、半年以上も続きました。治ったきっかけは、早起きとジョギングと朝ごはんでした。たまたま早く起きれた日に気持ちを入れ替え、走り、シャワーを浴び、朝ごはんを食べ、誰より早く会社に行き、みんながきたら元気よく「おはようございます」っと伝えたら、みんなが気持ちよい顔で挨拶をしてくれたことで、自分の居場所や役割なんかが分り、徐々に自信を取り戻していったのでした。そこから半年間はフル回転で彼女も出来、仕事も軌道にのりはじめ、ガンガン営業をしまくるっという日々が続きました。が、またあの精神的に暗い時期が訪れたのです。部署が変わり、社長に直に営業をしにいく部署に変わったことで、仕事スタイルが変わり、約2ヶ月もの間毎日電話をして、社長にアポを取ろうとするが結果がでない・・という日々が続いたのです。そのときにまた、自分の中での自信の崩壊っとその自信の崩壊から周りへの人間関係への気薄さが目に付き始め、心が弱りはじめたのでした・・・このときの精神的不安定はまた半年ほど続き、家に帰ってはため息をつき、朝も起きれず、会社に行くのはいつもフレックスタイムのぎりぎりの11時とかという最悪の生活を送るようになってしまいました・・しかし、このときに得たことがあったのです。それが二人の先輩による愛のあるサポートだったのです。毎日のように凹んでいる私を励まし、夜遅くまで仕事に付き合ってくれてなんとか私に結果が出るように付き合ってくれたのです。足りない私のロジックを少しでも埋めてあげようと、色んな観点からアドバイスをくれたのです。この二人から受けた愛が今私が仕事をしていくときの心の支えになっているのは間違いありません。そして会社に入って2回目の鬱を吹き飛ばしたのがこれまた早起きとジョギングだったのでした。部署が変わり、朝8時から9時まで毎日のように勉強会を開催することになったのです。その勉強会のために朝6時に起き、ジョギングをして、シャワーをあび、朝ごはんを食べ、勉強会のための本を読み、自分なりにそこをまとめ会社へもっていく。これを月曜から金曜まで3ヶ月間つづけたのです。さらに、一ヶ月に一回は難解な本を読み、それを5枚のパワーポイントにまとめるという課題もあり、ひたすら本を読み、本をまとめ、左脳を使い続ける日々が続きました。会社の営業でも飛び込みをしまくり、電話をしまくり、お客様にあいまくり、確実に土台を作り始めていきました。そんなある9月のこと、会社の上司からこんなアドバイスを貰ったのです。上司「小堀、もうええんちゃうか?」私「え?」上司「もう、無理せんでええんちゃうか?よく自分で一度考えてみ。」私「・・・・・」そこから私の悶々とする日々が続きました。その上司が発した質問の本当の意味は何なのか?そもそも私自身は今どんな状態なのか?仕事は楽しい、会社の仲間は最高、勉強も進んでいるし、会社がやっていることも、自分がやっていることにも不満がない。だけど、そういえば、何かが足りない・・・・この何かって何なんだ・・・そう感じ始めたら、どんどん本当の自分のコアへ意識が行き始め、毎日のように自分を見つめなおし始めました。そんなときに「ポン」っと思いつきのように、溢れてきた気持ちがあったのです。「もっと素直に自分の力を発揮し、人生に挑戦したい」「自分が生きることで誰かの勇気になりたい」「一歩踏み出せない自分を変え、その踏み出した自分の姿で誰かの一歩踏み出す勇気になりたい」「自分自身を目一杯表現尽くしたい」そういう気持ちが溢れてきたのです。その気持ちを融合し、そのとき自分が導きだした職業がなんと・・・・「お笑い芸人」。思いついたら動きの早い私は、ガンガンオーディションに登録し、ドンドンスケジュールを埋め始めました。そして、どうやって生計を立てていくか?を考えたとき、めちゃくちゃ安易だった私は、周りの人に自分の夢に投資をしてもらおうっという安易な考えを持ちました。そこで、その頃兄貴のようにしたっていた経営者Tさんに相談しました。G「ご無沙汰してます。実は会社を辞めて、お笑い芸人になることにしたんです。応援してもらえますか?」T「おおお~。相変わらずおもろい人生を選ぶねえ。 いいんじゃない。だけどまたどうしてお笑い芸人なの?」G「自分が人生で挑戦することで、一歩踏み出せない人の背中を押すことをしたいのと、自分自身を目一杯表現しつくしたいんです」T[それって、お笑い芸人じゃないっとダメなのかな? そのお笑い芸人で成功したとして、その次にしたい ことは何なの?」G「芸人である程度成功したら、講演をして回りたいんです。 夢を持って行動したら夢は叶うってことを表現したいんです。」T「だったら、そのゴールを仕事にしたらいいんじゃない?そのセミナー講師として生きることを仕事にしたらいいんじゃない?起業しちゃったらいいんじゃない?」G[だけど、そんな経験は自分にはないし、語るべきものが今無いし、そもそも起業したこともないし、お金もないし、人脈がそんなあるわけでなもないし、・・・」T[だから、いいんじゃないの?お金も無く、経験も無く、実績も無く、人脈もあるわけでもなく、そんなないない状態から挑戦するからこそ周りが俺もできるかもって一歩踏み出す勇気がもてるんじゃないの?」G「そうかあ~。色んな枠にはまっていた気がします。 俺。やります。挑戦します。ありがとうございました。」そして、その次の日会社をやめ、「有限会社ドリームナビゲーター」が誕生したのです。続きは、また後日。
2007.06.10
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はじめまして。本名「小堀 訓嗣」あだ名「ゴルゴ」 と申します。生まれは、兵庫県小野市河合中町という片田舎でございます。小学生の頃より、人の「才能」というものにずっと興味がありました。自分は一体何の才能を持ち、何のために生まれてきたのかがずっと気になっていた子どもでした。7歳か、8歳の頃に母親に「人間はどうして生きてるの?」っと聴いたそうです。さて、そんな私にも色んな転機がありました。まず、中学3年生のころ、友達の家から家に帰ろうとしたときに、交通事故にあいました。頭をがっつりぶつけたにも関わらず、(今も頭が凹んでいます)奇跡的に助かり一命を取り留めたのです。この頃から自分が死ななかったのは、生きて何かをするミッションがあるはずだと考えるようになり、中学生の頃からずっと自分のミッションを考えるような子になりました。時は流れ、高校時代は、勉強と部活に明け暮れすぎていき、大学生になりました。大学生になった理由は、「大学にいって自分のやりたいことを見つけるため」。しかし、大学で私を待っていたのは、自分に全く向かない工学部機械化の授業の日々。みんなと同じようにまったりと時間を過ごすことのできなかった私は、何かに急かされるように日々を充実させたいけれど、できない焦りに悩まされる日々が続きました。「自分のやりたいことが分らない」「このままこの学部で勉強をしていても自分の未来に繋がらない気がする」「心のそこから語り合える仲間、友がいない」未来や人間関係に絶望を20歳の頃かしはじめ、導かれるように「鬱」へと心は転落していきました。感性の豊かな10代の終わり頃だからこそ何かを感じていたのだとおもいます。そんな私が「鬱」から脱出できた一回目のきっかけは「ジグジグラー」というアメリカのモチベーターという仕事をしている人材育成コンサルタントのかたのテープを聴いたことがキッカケでした。見る見るモチベーションがあがり、生きることに意味をまた見出した私は、ある確実なる手ごたえのある「夢」を精神的死のそこから這い上がるための希望として「掴む」ことができたのです。その夢というのが「私のように鬱になって苦しんでいるような人たちを助けたい」という想いでした。そこから私は人生を180度転回し、大学を退学し、再受験をはじめ、1997年9月から4ヵ月後のセンター試験に向け受験勉強を再開したのです。鬱を抜け、すべてに対してエネルギーが出ていた私は不思議な力が自分に宿り、勉強も、恋愛も、アルバイトの営業の仕事も、運動も、絵画の力もなぜか全て普通以上の結果が出て、まるでマリオのスター状態になり、次々と結果が出始めたのです。このときの私の分析では、人は明確な目標が決まり、それがワクワクするものではあればあるほど、ありえない底力が自分から溢れてくるものなのだ。と思っていました。大学に入った私にはまた色んな転機が待っていたのです。この続きは、来週書きますね。
2007.06.08
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最近マネジャー研修をやっているときに、 どうやったら部下へマネジャーが愛を示すことが できるんだろうなあって考えいたら 「ポン」っと言葉が落ちてきました。 それが、「関係性を豊かにする 4つの愛」です。 ○「あいさつ」(挨拶) ○「あいづち」(相槌) ○「あいコンタクト」(EYE) ○「あいメッセージ」(I) の4つなんです。 まず、 =========== ○『あいさつ』 の効果 =========== 私の母親と祖母は昔は関係性が悪く、一時期は別居するくらいの関係性になっていました。 しかし、母親がこのままではいけないっと一念発起し、 約1年ほど、毎日のように祖母の家を訪ね 「おばあちゃん、おはよう、今日は元気?」っと 「愛のこもった『挨拶』」を続けたのです。 そして、一年後祖母は母親に心を開き、同居することを決め 今は一緒に仲良くくらいしています。 冷め切ってしまった親子関係さえも「あいさつ」の愛は 変える事ができるんだあっと両親に気づかされた「愛」 でした。 =========== ○「あいづち」のすごさ =========== 人が人と話すときに最も話したくなる人は 『素直にうなづいてくれる人」です。 皆さんも経験があるとおもうんですが、 「あいづち」が多い人と、少ない人ではかなり話易さが 変わってくるとおもいます。 「あいづち」を多用し、話を聞いてくれる人には自然と 親しみと愛情が沸き、この人は自分を理解してくれているという『自己重要感」が高まります。 カーネギーの書いた本で有名な「人を動かす」という 世界的ベストセラーの本に書いてある最も大切な「人が動く」 ポイントが『自己重要感』でした。 人はみんな自分を大切にしてもらいたいのです。 その大切にして欲しいという気持ちを満たしてくれる人に 愛を感じ、その人のためにエネルギーを使いたい、 つまり行動したいっと想うのです。 ========= ○あいコンタクト ========= 人が最も信頼する人の行動が、『自分の目を見ているか?』 というチェックポイントです。 人の目を見て話す人は、信頼できますが 人の目を見て話さない人には、首をかしげる人が多いと 想います。 それくら『目を見る』『目を見ない』という違いがあります。 もちろん、『目を見る』ことが怖い人は、ちょっとずつの 練習が必要だとおもいます。 目が無理なら、眉間の間をみたり、鼻の頭をみたりと 相手の目を見ているように見えながら、視線がやわらかくなる という工夫をしてもいいかもしれません。 最後に ========= ○あいメッセージ ========= このあいメッセージで最近すばらしい事例を貰いました。 私の大好きな方でHさんという方がいるのですが、 現在そのHさんには8歳になるお子さんがいます。 お子さんが4歳のとき、自転車に乗り始めたそうなんです。 そのときHさんは、危ないからヘルメットをかぶってほしかったので、最初は「危ないからヘルメットをしなきゃだめだよ」 っと毎日のように注意をしていたそうです。 しかし、一向にお子さんはHさんの気持ちを汲み取ることを せずに、「格好悪いからヤダ」の一点張りでヘルメットを かぶってくれなかったそうなのです。 あるときHさんは考えました。 「どうして、息子は自分の言うことを聞いてくれないのだろう」 そのとき、自分が本心を息子に伝えていないことに 気づいたのです。 その瞬間からHさんの行動はかわり、息子への伝え方 伝える内容が変わりました。 「のりと(息子さんの名前)、お父さんは、「のりと」のことが大好きで愛してるんだ。 だからもし、「のりと」が自転車に乗っていて、こけたり 事故にあったりして、「のりと」にもしかしたらのことが 起こったりしたら、お父さんは生きていくことができない くらい悲しいんだよ。 だから、お父さんのために「ヘルメット」をかぶって くれないかな?」 そう伝えられたそうです。 それ以降 「のりと」くんは8歳になった今もヘルメットを かぶりつづけているそうです。 しかも周りの同級生たちはみんな「格好悪い」という理由で ヘルメットをつけていないのにも関わらずです。 親の愛が子どもに伝わった瞬間ですね。 この話をきいて私も早く子どもが欲しくなってしまいました 以上4つの事例からもこの4つの「愛」実践してみる価値が ありますよ。
2007.06.06
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今日は、過去のブログを読んでいてこれは今大事だなあっと 思い出し、久々に復活させたコンテンツです。 それは、「自分の人生をチェックする・・カキクケコ」のお話です。 このお話の元ネタは、千望という大阪のお好み焼き屋さんの社長さんの講演ネタらしいです。 いつも元気に楽しく人生を暮らすために、毎日チェックしてほしいポイントがあります。 それが 1、カ 「感動、感謝、感激」を毎日しているか? 2、キ 「興味を毎日何かに持っているか?」 3、ク 「工夫を毎日しているか?」 4、ケ 「健康であるか?」 5、コ 「恋をしているか?」 らしいのです。 さあ、今日はこの5段階チェックでどんな1日でしたか? 今日は○5つでした~ 最高の1日。 ありがたい ありがたい
2007.06.02
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最近一番熱が入っている研究が、『人を天才にするコミュニケーション技術』です。 教育を研究しているとたどり着くのが、人が人に与える影響というところになってきます。 その中であらゆるシーンで最も多く出てくるのが 親と子ども 先生と生徒 上司と部下 というような教える、教えられる関係性です。 そして、その関係がもっとも人に影響を与えます。 その影響を与える人たち全ての人に意識してもらいたいのが 『人を天才にするコミュニケーション技術がある』という ことなんです。 今マネジャー研修なんかでは毎月熱くその部分を語らせて 頂いているので、今日はブログでもその一部をご紹介 したいと思います。 まず、『天才にするコミュニケーション』とは、 シンプルに言うと『人を褒めること』です。 人の能力を引き上げていくコミュニケーションのステップは 3段階あります。 ステップ1、 『褒める』 ステップ2、 『認める』 ステップ3、 『叱る』 叱るというコミュニケーションがもっとも高難度の技なんですね。 ではまずステップ1からの解説です。 『褒める』は深めていくとめっちゃ深いんですが、 ここでは簡単にいうと、『本人も認識している、表面的に見て、人より秀でている部分を伝える』ことをしていくことが 褒めるということです。 ステップ2、 『認める』というコミュニケーションは、『本人が気づいていない、人より秀でている部分をソフトに伝える』ことを していくことです。 ステップ3 『叱る』というコミュニケーションは、『十分に自分に自信を持っている人に対して、本人が気づいていない秀でている部分を伝える』コミュニケーション技術なんです。 なので、まず人は大きく二つのタイプに分けられます。 1、自分に自信がない人 2、自分に自信がある人 タイプ1の人には、まず褒めると認めるコミュニケーションを続け、自信を引き上げ続けます。 次に10点満点で9点ぐらいまでくると、叱られ、引き上げられたくなってきます。 タイプ2の人には、褒め続ける、認め続ける、たまに 本人が気づいていない部分で、行動さえすれば引き上げられる 部分を動機づかせるために、『叱る』というコミュニケーションが出てきます。 しかし、『叱る』コミュニケーションをとるときは、 かなりのポイントを意識しないとマイナス効果を与えて しまいます。 そのポイントとは、 1、叱って相手が受け止める信頼関係はあるか? 2、部下が納得する人格はあるか? 3、叱る言葉は適切か? なんです。 褒めるときには、ポイントは必要なくとにかく人の良いところを伝えつづければよいのですが、叱るときだけはかなり ポイントが必要になってくるんですね。 このようにして、3つの『褒める』『認める』『叱る』を 駆使して、たくさんの人を天才に引き上げていきたいですね。 っと、言いながら自分自身も実践はかなり難しいんですよね ではまた気が向いたら、他の天才にするコミュニケーション技術発表をしていきます!!
2007.06.01
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