ボリス・ヴィアン(1920年3月10日 - 1959年6月23日)は、フランスの作家、詩人である。ヴィアンは1946年からの約十年間、当時フランスを代表するジャズ雑誌だった“JAZZ HOT”誌に無償で評論、ニュース記事、エッセイ等を書き続けた。セミプロのジャズトランペット奏者としても名をはせ、余技として歌手活動も行った。少女クロエの肺に睡蓮の花が咲いてしまう『日々の泡(L'Écume des Jours 曽根元吉訳)』(または『うたかたの日々』伊東守男訳)は、「現代の恋愛小説中もっとも悲痛な作品」(レイモン・クノーの言葉)と言われて読み継がれている永遠の幻想青春小説、砂漠に鉄道を通す物語『北京の秋』は、ヴィアンによれば「北京」にも「秋」にも関係ないから『北京の秋(L'automne a Pekin)』というタイトルで、前衛的な作風の小説で知られる。1940年代後半に、脱走兵の黒人作家と称してヴァーノン・サリヴァンのペンネームで通俗的で暴力的なハードボイルド小説を執筆していたことでも有名である。ジャズ批評やアメリカ文学の紹介などの分野においても顕著な功績を残した。彼は400曲にものぼるシャンソンを残した。「Le Déserter/脱走兵」という反戦歌を歌って放送禁止になった。ヴィアン自身は、心臓疾患(心臓大動脈弁閉鎖不全症を抱えた病人であった。)のため徴兵を免れる。さすがにセルジュ・ゲンズブールの師匠である。
『墓に唾をかけろ(J'irai cracher sur vos tombes)』(1946年) 監督:ミシェル・ガスト 脚本:ボリス・ヴィアン 撮影:マルク・フォサール 音楽:アラン・ゴラゲール 出演:アントネラ・ルアルディ/クリスチャン・マルカン/ポール・ゲール/フェルナン・ルドー/ルナート・ウエール/マリナ・ペトローバ
ヴィアンは長年心臓に欠陥を抱え、不整脈に苦しんでいた。トランペットを吹くことは心臓病を抱えたヴィアンには危険なことだったが、彼本人は意に介していなかった。むしろ自分で「40になる前に死ぬよ」と常々語っており、短命を予感していたようである。1959年6月23日の朝、論争の的になっていた『墓に唾をかけろ(J'irai cracher sur vos tombes)』の映画試写会のため、ヴィアンはシネマ・マルブッフの館内にいた。ヴィアンはプロデューサーと作品の解釈を巡り、何度も衝突してきた。そして、その日もエンドロールで流れる制作関係者名から自分の名を外したがったヴィアンは、この映画を公然と非難した。映画が始まって数分後、伝えられるところによると、ヴィアンはこのように口を滑らせたと言われている。「こいつらはアメリカ人になったつもりなんだろうか?馬鹿にしやがって!」
アンリ・サルヴァドール2000年の現役復帰作!なんと!このアルバム『サルヴァドールからの手紙Chambre Avec Vue』はフランス国内では50万枚を超える売上を記録、全世界で200万枚のセールスを記録する大ヒットに!同時に『Victoires de La Musiques(←フランスにおけるグラミー賞)』で、「アルバム・オブ・ジ・イヤー」と「アーティスト・オブ・ジ・イヤー」の2つを獲得している。 フランスには“バカンス・ミュージック”というジャンルがあるそうな。 まさにそんな余裕綽々な、ウイットに富んだ名作。聴くものを抱きしめ優しく愛撫するかのような、艶やかな声!かのカエターノ・ベローゾさえもオマージュを捧げている。トゥーツ・シールマンス、フランソワーズ・アルディ(アルディ自身もアンリの大ファン!)も参加。