おばさんが作った死語ブログ。人生いろいろに語ります。

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あ~ら、せんせ、いらっしゃい。



 おばさんは母子家庭で育った。その頃、この田舎で母子家庭の家なぞ何処を探してもなく、といって別段、不都合を感じていなかったのだが、母親は、飲み屋をやっていた。そこのお客の中に「先生」がいたのだが、まぁ、酒癖の悪いこと。母はいつも、せんせぇは酒癖悪いのが多いねぇ、と愚痴っていた。店で寝込み、その先生宅へ電話をしたものなら、とんでもないことになる。母親が悪さをしてその先生が悪酔いしたような、悪態をつかれる。といって、ほかっておくわけにも、泊めておくわけにもいかず、母はいつも困っていた。
 次に私、おばさんが小学校4年生のとき、夏に学校のプールで泳いでいると、担任で若い男の先生に体を触られた。バタ足で泳いでいる時、その先生の前を通ったら、「体を支えていてあげよう」とか言われたと思う。腰からお尻のあたりを何回か撫でられたというかさすられた。私はその先生の顔をびっくりして見た。そのときの先生の顔つきは今でも覚えている。どうしたらいいかわからずに逃げた自分も覚えている。(その先生は今、どこかの校長におさまっている。)(もちろん、それ以外は、それ以上は、何もなかった。)
 てなことで、まだほかにもあるのだが、「先生」という人はどうしても好きになれず、ここまで来てしまったが、歳を重ねてくると、人に教えることはあっても、人から教わったり、人に共鳴したりすることがほとんど無くなってくる。ともすると、昔はこうだったのに、とか、あたしはこうゆう風に生きてきたんだからね、などと昔話や自慢話をしたくなるのが人間というものかもしれないが、やっぱりそれではいけない。生きていく上で、「先生」は必要なのだと思う。

 HP巡りをしていていろんな人格と出会うと、やっぱり魅力的な人間というのは居る。
 結局、その人のHPを見るのが楽しみであったり、自分の無学さを恥じながらも、そんな人になりたいと思ったりする。そういう意味でHP巡りは有益な手段だと思う。そんな人に巡り合うのは確かに大変だけれど、家の中でゴロゴロしてても見つかるわけはない。

 今日のタイトルとこの本文との関連だが、何のことはない。私が成人してから少しの間、母をおいて、家を飛び出し、居酒屋を敷地内で経営する料亭に住み込みで働きだしたことがあった。(家出ではない。ちゃんと学校から職安を通した就職であるが。)
 そこで見込まれてその居酒屋を1年ほど任されたことがある。
そこにも「先生」という人たちはやってきて、浴びるほど飲んでけろっとして帰っていった。そんな「先生」達がまたやってくると、いつも私は「あ~ら、センセ、いらっしゃい。」といって出迎えるのだ。「先生」は飲んでいても「先生」と呼ばなければ機嫌が悪い。そんな人種がイヤで私はいつもセンセ、センセと言っていた。
 「「センセ」などと呼ぶな、「せんせい」と読むのだ。」と教えてくれる「先生」がその頃の私には欲しかったのかもしれない。





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