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光陰矢の如し、というが、確かにそうだ。あっという間に年月は過ぎる。 十年ひと昔、とも言うが、それも確かにそう。いまどき、長文のブログなんて読む人もいない。 再開しようかどうしようか、、、、そんなことを考えながら日々流れていくこのブログ。 ま、もっと気楽に考えて、 どうせ、自宅に居て時間を過ごすなら、昔のことでも思い出しながら、これからのこと考えながら、一筆啓上読んでくれたらありがとう、位な体(てい)でやってみようかな。
April 1, 2020
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現存にびっくり。今年、16歳になった息子に、昔、楽天でブログやってたんだえ?今もやってるの?いやいや、もうほかってあるえ?今も残ってるの?どぉかなぁえ?見たいなぁえ~~、それはちょっとなぁと突然焦りだし、マズイことは書いてなかったか?と思い出すが、思い出せない。まずは、これが残っているのかも不明であるのに。と、一時間かけて探し出した。ようこそ!自分。タイムスリップした気分です。と、おばさんは、また日記を書いてみようかと考え始めたのである。(イマドキ、長ったらしい日記かよ?)ま、いいじゃないか。責任持って自分を語るくらい、許してくだされ、時間の神よ。
June 12, 2016
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なんたる時間を越えた事か。まだ無事で自分のHPが存在する事に、ただ、ただ、感動する。おばさんは、今もやっぱりおばさんで、今もやっぱり、某社会福祉協議会でパートをしています。認知症について、介護について、それに携わる多くのスタッフの喜怒哀楽を目の当たりにしながら、おばさんはおばさんしております。おまけに今年度一年は我が息子が通う園の保護者会役員を務めたりして、おまけにそれが会長だったりして、分に合わぬお役目がやっと終わろうとしております。ぱったり行けなくなった手話サークル通いも再開したい。ぱったり読めなくなった新聞も毎日見たい。ぱったりさっぱり書き込めなくなったこのHPも再開したい。希望を現実に出来るように、明日もお仕事がんばろぉっと!巷は異動だの転勤だの転入転出、ご栄転の嵐。パートのおばさんには関係ないもんね~。横目で見ながら、人間とは不思議な社会形成だなぁ、と感じております。みなさんにもまた新しい春がやってきますように。またお会いしましょう。
March 30, 2006
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よく、「体が二つあったら…」と聞きますね。音信不通のおばさんは、その音信普通の間に、なんと、臨時職員に採用されてしまい、兼業主婦をやっております。勤務先は、とある【社会福祉協議会】という所で、事務職をせっせと勤めております。長野県知事なぞは、「【社協】なんて必要ないんじゃない?」と発言していらっしゃるようで、真意や状況はともかく、電話番とコピー、封書詰めに時間の殆どを過ごしながら、「なるほど、知事のおっしゃる事はまんざら間違っておらんかもしれぬ。」などと口に出さずに心で独り言を呟いている毎日。それでも、給料日ともなれば、目尻も下がる小市民であります。 今や「福祉」と言えば、イコール「介護」であるのでしょうが、「障害」と言うのも忘れてはならない現状で、果たしてその中で「社会福祉協議会」というのはどんな役割を必要とされているのでしょうか? いやいや、そんな大それた事を並べるために久しぶりの日記を書いているんじゃぁなくって、つまり、兼業主婦は忙しい、と言うことが書きたかっただけ。 といって、仕事が大変とはとても思えず、何故かと言うと、往年のおばさんファンの方はご存知の如く、経験主義で積み重ねた脂肪とシワ、あ、ちゃうか基、経験主義で積み重ねたサラリーマン根性は数年経った現在も体と頭が覚えている。 「今日も電話番よろしく」と腹の出た職員がおばさんに挨拶代わりに投げる言葉さえ「誰にモノ言っとるンジャイ」と喉まで出掛かる。恐ろしいのは、とっさに出た電話の第一声が、思わず、数年前に辛苦を通した会社名が出そうになる事。これが、どうしても治らない。 今の自分を受け入れるためには、過去の自分を捨てなくてはならない。 これが身に沁みているはずなのに、過去の自分が今でも生きている。 これも人生の面白さ…かな。 まぁ、とにかくですね、体がふたつあればいいかな、いや、三つ、いや、四つ…と考えて、ふと我に帰る。 こんなおばさんが三つも四つもあったら、体力は三つや四つに分散する事で減退するんだろうケド、お口は複数発生するんだからね、うるさくて仕方ないよ。 と、言う事で、僅かな日記の今年に付き合って下さったみなさん、今年もお世話になりました。 来年も気長にお付き合い下さいませ。
December 15, 2004
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知ってはいたけど、おばさんの、削られたHPの看板娘、なんとかしなきゃなぁ…。
December 14, 2004
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「瞳を閉じて」と言えば、大昔は「荒井由美」であったが、今は「平井堅」である。 おばさんの朝は、この「瞳をとじて」が音量最大でケータイから鳴り響く。 昨年末の紅白で坂本九との映像掛け合いはなんだか訳もなく感動してしまった。感動しながらも、それを見てから、どうしても気になって仕方ない事があるのですが…。 気になりだすと、も~止まらない。「君は友達」を歌う、某CMも気になって気になって仕方ない。 「平井堅」のファンの方には申し訳ないが、彼の「ブレス」がど~しても気になる。おばさんは声楽家でもないし、そんな教育を受けた経験はないけれど、あの「ブレス音」はあれで良いのだろうか?ちょっと大袈裟過ぎではないだろうか? 「平井堅」の魅力ある声質に聞き惚れながらも、あの「ブレス音」についついつられて、呼吸困難になりそうなおばさんであります。 確かに肺活量や声域に関係するんだろうけれど、他のみんなもそうなんだろうかと、耳を澄ませて聞き入ってみても、名門サラブレッド「森山直太郎」は気にならない。 おばさんの記憶をたどり、例えば…木枯し紋次郎の主題歌を歌ってた人だって、もみ上げもりもりの「また会う日まで」だって、耳の位置がやけに下付きの「しくらめんの香り」だって、こんな「ブレス音」は聞こえないよ。 ただ、敢えて言うと、「中島みゆき」が例の女々しい歌を歌う時、かなり「ブレス音」は聞こえる気がする。 …それにしても、ふっる~い人達を羅列したもんだ。 でも、まぁ、「平井堅」がタイプという、おばさんの友人はこう言う。 「…アラ、いやねぇ…、あのブレス音がたんまらな~く、いぃじゃな~い?…あたしゃ、あのブレス音だけで十分だわぁ~…」 「十分」が「じゅうぶん」と言う意味なのか、「じゅっぷん」と言う意味なのか、冷やかし笑いと共に消えてしまうのだが…。 こんな事を考えているのは、気にしているのは、おばさんならではなんだろうか…。
July 2, 2004
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おばさんにもなると、「義理」で葬式に出掛けることは珍しくない。田舎に住んでいれば尚の事である。香典だけ置いて、さっさと帰って来る。もちろん、香典返しはいただくのだけれど。それさえもメンドクサイ同胞たちは、「アンタ、行くんでしょ。これついでに持って行って。」と言って、香典を持ってくる。おばさんチに持って来るくらいなら、葬式に顔出せよ、とも思うのだが、そんな事は言えない。 あんまり、それた話をしていると、このタイトルに惹かれてやって来たみなさんに失礼になるので本題に戻ります。 テレビを見ていて、「行って見たい葬式」というのが世の中にあるのだなぁ、とつくづく感動してしまった。 クリント・イーストウッド様の変わり果てた「じじぃ顔」に失望しながらも、とにかく、代わる代わるの巨匠達に唸るばかりであった。 …虹の向こうで、どうか安らかに。
June 21, 2004
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『ある会社』がリコール隠しの件で逮捕されましたよね。まぁ、みなさん、周知と思いますが。みなさんはどう思われましたか?逮捕された元社長が乗せられた車…おそらくテレビでもその一連の映像は流れた事でしょう。来週辺りのお昼のワイドショウは、性懲りもなく、繰り返し繰り返しその映像を流すでしょうか?おばさんはその報道記事を新聞で読んでほくそ笑んでおりました。正確に言うと、その記事に載っていた写真を見て、です。いやいや、別に逮捕された事をニヤニヤしているわけではありません。 『雪印』よろしく、トップが逮捕されたって、深々と頭を下げたって、その根本的な企業体質というのは、根強く残るものですから。 ワンマンな社長が君臨すれば、その部下は皆イエスマンばかりです。イエスとしか言えない社員を置く企業自体がいつしか崩壊を招きます。…まぁ、ノー!と言える人間は見切りを付けてさっさと逃げるでしょうけど。 …などと、他人事で偉そうに書きまくるおばさんであります。もし、配偶者が、「トップの考え方は変だ。俺は会社を辞めるぞ!」と叫んだら…おばさんはどうするか?う~ん。「せ、せめて、次の勤め先を見つけてからにしてチョ。」ぐらいな返事です。うへへへ。だって次の朝にはたぶん、配偶者はケロッとして「行ってきま~す」と疲れた体に鞭打っていつものように出勤するだろうから。男ってホント“働く蟻”なのね。蟻の行列を眺めるたびに、おばさんは男のしがない一生を思うので蟻ました~なんちゃって。おばんギャグ。 話の筋がかなり反れたけど、おばさんの言いたかったのは…そうそう…『ある会社』の元社長が逮捕されて乗せられた車… せめて最後の花道なんだから、三菱車にしてやれよ… え?じゃ何に乗せられたかって?…トヨタ車じゃなかったかな? ついに怪物に飲み込まれたか…って思ったおばさんでありました。 南無阿弥陀仏。
June 12, 2004
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日記を書いた途端、今までのアクセス件数が毎日ほぼゼロ件だったのに、一挙にアクセスが数十件に上るなんて、君たち、こんな夜中にこんな日記を読んでいて、いいのかぁ?明日の体力は残っているのカァ?おばさんはたぶん、明朝、定刻の5時15分には起きられないだろう。だけど、やめられない、この楽しさよ。
June 10, 2004
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毎回聞くたびにうんざりする、『あの会社』の「リコール隠し」であるけれど、実はこのおばさんも、当事者とは言えないがその事実は随分前から知っていた。 「知っていた」という表現はビミョ~に真意とは違うけれど、おばさんの経験はこのようなものである。 当時、私は『あの会社』製の車に乗っていた。その頃はとんでもない安値で車を売り出している時代で、その営業マンでさえ、「いいんでしょうかねぇ…こんなに安くて…」と呟くほどで、それでもまぁ売れればいいと言うことで、おばさんはその安い車のオーナーになった。 購入時期が調度今頃…梅雨時だったであろうか、買ったばかりの新車に容赦なくどしゃぶりの雨が車体を叩く。それでも快晴気分の能天気なオーナーは快適に運転中であった。車内の湿気を追い払おうと運転席の窓を少し、ほんのちょっと開けた途端、雨が勢い良く入り込む。…これがアタリマエだと思ってはいけません。イマドキ、窓には半透明のバイザーが窓に付いているはずなので、少し窓を開けただけでは入ってくるわけないのです。それが、雨が滝のように流れ込んでくる。バイザーが付いているのに。 冷たい雨に右肩を濡らしながら、冷静になった私はよくよくその状況を見詰めて観察してみる。もちろん、車は停車状態です。 すると、バイザーと取り付けられたドアの隙間から車体の屋根から流れ落ちた雨が漏れて、開けたガラス窓から入り込んでいるのです。 そんな状況が把握できれば即電話です。「ユーザークレーム」という単語が、脳裏に大きなネオンサインとなって点滅しています。この「ユーザークレーム」という単語が浮かぶのも、自動車部品関係に勤務しているお陰、というか、職業意識というか、車に携わる者の使命感というか、そうゆうものです。フツーの女性なら、まずもって、彼氏に「え~やだ~どうしてぇ~?アタシ、濡れちゃったわ~ぁ」などと、意味不明な、得てして、彼氏の鼻息を荒くさせんばかりの誤解を招く発言をしていたと思われます。 電話口の営業マンは第一声、「あ~わかってる、わかってる。今日、雨降ったからね、電話が鳴りっぱなしで。すぐ行くから。そうそう、うんうん。明日ね。」などと軽い返事です。なんだ、他にも同じクレーム入ってるんか…と、正義感に燃えた「ユーザークレーム」通報はあえなく片付けられてしまうのであります。 そして、私は思いました。「やっぱ、『あの会社』だもんな…」。 『あの会社』の車の部品の品質責任は当時、 1.そのラインの人で判断する、 2.何かあったらビール券で片付ける…という俗説がありました。 普通、夜中でも日中でも「不良」という業界用語に、自動車部品製造会社は殺気立ちます。業界用語で言うともうひとつ、「品不連」というのもあります。これは「不良」が3つ続いた場合を指します。 自分の会社で作り、納めた部品が得意先で「不良品だ」という連絡が入る、これは信用問題になりますから。こんな事は当たり前ですね。しかし、私のようなオチャラケタOLでも、周りの大の男たちの『あの会社』への一種異様な対応に不審を抱かざるを得ませんでした。 「え~!アイツから連絡?しつこいもんなぁ~」 「じゃ、何枚くらい?」 「いつもより多めに持っていこうか」 「わかりました」 「まいるなぁ、まったく、忘年会シーズンだからかな。」 「不良」連絡の第一報が入っていたにも関わらず、次の朝には不良実績報告の黒板には書かれていません。 おちゃらけたOLでさえ、「へぇ~、世の中、こんなもんなのかな…」などと悟ったように納得してしまいます。 ここまで書いていて、ふと不安になりました。こんな日記の内容も例えば「中傷」にあたるのであれば、当然、楽天管理者から指摘があり、削除されるのかな…と。久しぶりに書いて、削除では悲しいですが、少なくとも「貴方」が読んで下されば、おばさんは光栄です。 ある日のアフターファイブに、私は当時の彼氏と食事の約束をしました。 いそいそと彼の車に乗ると、彼が開口一番、「まずいんだ、今日は。ホントはこんな事してる場合じゃない。」そう言われて困るのは私。 彼は続けました。 「ウチの部品が原因で事故があったらしい。みんな不安がってる。これからどうなるのか、こんな事、初めてだから。」…かなりの実績と経験を積んでいるはずの彼がこんな発言をすることに私は事の重大さを鑑みるのでした。それは単に恋人への思いやりではなく、同じ職業に就く、「車」作りに携わる人間として。 その後、彼との間柄は、その事故の「品質責任」の結末を尋ねる間もなく、車の排気ガスみたいにウザったくなり消えてなくなってしまいましたけど。 …そう、『あの会社』にしてみれば、ユーザーからの「クレーム」も車の排気ガス程度の事にしか思っていなかったのでしょう。日本の一番いけない体質です。 …相手で判断する。物でものを言う。 車、と一言に言っても、『あの会社』が車を製造しているわけではありません。『あの会社』は車を組み立てているのです。『あの会社』だけではありません。怪物T社も、ゴーンと鳴り響くN社だって、小さな町の小さな町工場の親父が、裸一貫で立ち上げた自慢の会社で製造する、ほんの小さな部品から車の製造は始まっています。その小さな部品を使って、少し大きな部品が出来上がる。そして、その少し大きな部品と、他の部品を合体させて車の内装品やエンジン部品のある部分が出来上がる…といった具合に、たくさんの人や材料や機械が関わって、「車」が出来上がるんですね。 ですから、最終的な完成品の「車」の品質責任は『あの会社』にあるのは当然ですが、ある一部品の品質責任はやはり、その部品を作った無名の、あるいはその分野では専門の、部品会社に所在するのです。 そんな「不具合」「不良品」が製造時、あるいは組み付け時にわかれば良かったのです。その為に、製造部門とは別に、品質部門が必ず製造会社にはあるのですから。 これらを「隠した」という問題でみる事と、そんな「車」を作った経緯、作らせた経緯、という問題でみる事とはかなり違ってくるように思います。 「物作り」を誇る日本の将来の影なのでしょうか。 これら一連の関係車両を作った「製造・組み付け関係者」はもしかしたら、もう既に定年退職して年金生活を過ごしていらっしゃるかもしれません。「隠した」という事実は、そんな「製造・組み付け関係者」に事情を聞いたほうが事実が鮮明になるように思います。 トップが頭を下げている記事は、最近いろいろな分野でめっきり見慣れてしまいましたから。 今日はなんだかマジに書いております、このおばさん。 ではまたお会いしましょう。
June 9, 2004
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お久しぶりですね。二宮さん。なるほど、お変わりがありませんね。それにしても随分と長い時間お会い出来ませんでしたね。20年ぶりでしょうか。あの頃の私達は純粋でしたね。当たり前ですけど、純粋でなくては毎日が過ごせませんでした。私の憧れの君は、よく貴方をからかい、背中に乗っかって、鼻をつまんだり、目隠しをしたりして、貴方の読書の邪魔をしていましたね。ほんとうにやんちゃな彼でしたね。彼は結局、極道三昧の末に、何故か歯医者の令嬢をひっかけて、そこの実家から資金を調達させて、ちょっとした町工場(まちこうば)の社長になりました。憎まれっ子なんとか…と言いますが、その通りの生き方をする人間もいるんですね。あの頃、全てが同時に進んでいると思っていた時計は、実は皆一人一人違うのだと、大人になってやっとわかりました。幸せとか不幸とか、運がいいとか運が悪いとか、そんな言い方で表現する、と言う事さえも、わからない私達でした。私もあれから、色々な見方や考え方を学びました。学ぶつもりで学んだんじゃなくて、生きて行くって事はそんな事の繰り返しですね。もちろん、今もって解らない事はたくさんあります。でも、それは、その内解る事かも知れません。全部解らないかもしれませんが、全部解らなくてもいい事もあるような気がします。ところで、貴方はそうやってずっと読書をしていらっしゃいますが、一体どんな本を読んでいらっしゃるのですか?当時の私はそれが知りたくて、貴方の体によじ登り、開いた本のページを覗いてみましたが、何もありませんでした。…そうですね、あんまりたいした事ではないのでしょうね。あ、紹介が遅れましたが、あそこで私を見つけて笑って手を振っているのが、私の長女です。これから6年間、お世話になりますが、あの頃と同じように知らん顔しながら、見守ってやって下さい。それにしても、体に付いた苔は誰も何もしてくれないのですか?それではあまりにみすぼらしいです。あ、それはこれから私達PTAで考えていけばいいですね。では、これから度々お会い出来ると思います。知らん顔して前を失礼する事もあるかと思いますが、許して下さい。では…。おかぁさ~ん、と呼ぶ声に笑顔で返すおばさんは、タイムスリップから目を覚ます。6歳の娘は大きなランドセルをしょって、この春無事に小学校に入学した。おばさんが過ごした小学校と同じ小学校に通うのである。校舎は建て替えられ、運動場もかなり変わった。入学式当日、彼を探したが見つけられなかった。でも、噂では、運動場のすみっこに移動したと聞いていた。噂通り、ホントにすみっこに居た彼と約20年ぶりの再会である。イマドキ、彼が居る学校は日本にまだ多いのだろうか?…彼の名は、二宮金治郎。
April 18, 2004
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手話を学んでいると、みな同じだと思うけれど、聴者同士でおしゃべりしていても手が手話表現してしまう。 「そうそうそう…」 「なんで?」 「違う、違う」など、自然と手が動いてしまうのだ。 これは手話を学ぶ聴者同士が会話していればなおさら出てしまう動作で、理由はわかんないけれど、とにかく手が勝手に動いてしまう。 この、悩みみたいな事を、ろう者の友人にぼやいてみたら、「気にしなくていいでしょ、それがきっかけで手話を広める事にもなるんだから」と軽く流してくれた。 まぁ、そりゃそうだな。…すぅっと心が軽くなる。 今、おばさんは、日記もほかったままで、ろう者との交流に余念がない。…おばさんは元気ですよ。 しかしながらおばさんは、今、「資格保持者」と「無資格者」の違いに戸惑いを感じている。 「手話通訳資格保持者」が一人、居るとしよう。 反対に「手話通訳の資格を持っていない一般人」が一人、居るとします。 例えば、ろう者が一人、今、戸惑っています。朝から発熱し、頭が痛い。風邪かな?と、思っていますが、病院に行こうか迷っています。ろう者が病院に行ってまず困る事は、自分の診察順が来た時、受付で呼ばれてもわからない事です。ひたすら、診察の名前を呼んでいる、受付や看護士の唇をじっとみつめて、自分の名前を言っているかどうか、その度に読み取りします。…これは実際に友人の多くのろう者から伺った話です。 これを考えると病院へ行くのも億劫になります。そこで、思いつきました。2軒向こうの家に手話が出来るおばさんが居ます。専業主婦だから、家に居ると思う。相談してみようかな。 やっぱりおばさんは居ました。 事情を話すと、おばさんは快く引き受けてくれました。一緒に病院に行き、診察も無事に終えました。イマドキは医薬分業とかで、薬は別の場所でもらわなければなりません。おばさんが、たどたどしくも懸命に手話で伝えてくれました。話がむずかしくなると、筆談しました。 無事に帰宅し、おばさんは「お大事にね」と帰って行きました。そして、そのろう者は一日家でゆっくり休みました。 そんな出来事について、「有資格者」はこう語るのです。 「無資格者のそんな軽率な行動は、有資格者の活動を妨害する事になるんですよ。」 「病院へ同行するなんて、命に関わる事でしょう?万が一、何か起こったら、責任は誰が取るんですか?」 「私達、有資格者は協会が保証してくれています。万が一の場合でも責任が取れるんですよ。その違いがわかりますか?」 …その違いがわかりますか?な~んて喰いつかれても、「違いがわかるゴールドブレンド」じゃあるまいし、困るのである。 今、困っている人が、目の前に居る。アンタでいいから一緒に来てくれないか?と言われて、「よっしゃ!すぐイコカ!」とひとっ走り。…その単純な行動がいけないのだろうか? それ以来、「違いがわからない」オバサンはひたすら悩み続ける。とうとう悩み過ぎて、気にしたろう者に理由を聞かれ、オバサンは事情を話す。 するとまたもや、ろう者は明るく切り返す。 「何、気にしてるの?そんな事で悩むのやめなさい。」 「有資格者はそんな日常会話的なレベルに首を突っ込んでこなくていいのにね。」 「ろう者が貴方に、ってお願いしてるんだもの、心がつながっている証拠だと思う。」 おばさんは、またしても、すぅっと心を軽くしてもらった。 立場により、いろいろ見解の相違はあるだろう。 しかしながら、世間というものは基本的に「助けられたり助けたり」が当たり前なのではないだろうか…。 手話を学ぶ人が確実に増えている。その人たちが全て「資格」を持つためではないだろう。「資格」を持つためには、少なくとも、主婦にはとても無理難題な条件をクリアしなければその難関をくぐる事は出来ない。 身近に手話で会話出来る人が居る事は、ろう者にとって迷惑な事ではないと信じている。 そんなおばさんの毎日です。
March 15, 2004
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オークションをぶらぶらしていたら、世の中、こんな奴が居るもんだ…と恐ろしくなった。みなさんもどうぞ気を付けて。おっと、「気を付けて」…などと安易なお決まり文句だけではいけないね。気を付けるポイントは…1.出品日時(つまり、終了日時)がみんな同一である事。2.出品時、評価ゼロの「まるで初心者」を装っている事。3.初心者を装う割りに、高価なものばかりの出品である事。4.出品者が、入金をせかす説明文を記載している事。 …などなど。悲嘆にくれる 被害者の叫びをご覧下さい。正月早々暗い気持ちのおばさんであった。2004年も明るい一年でありますように。
January 7, 2004
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久しぶりに見る顔。いとおしい顔。 どうしても抜けきれない地方訛りで話し掛けて来る。耳慣れた声。あの声が耳元で囁く時、体中の骨が溶けて無くなる様などうしようもないだらしなさを自分に感じる。 今日のご機嫌はどうだろう。何を話しているの?仕事の話?一生懸命話しているんだけれど、よくわからない。聞こえない。…そう、いつもの事。もうわかっている。 「同じ職場で、こんな仲がばれたら、居辛ろうなるやろ、ほてくさ黙っとるけん、約束やで。」 ネンネの私はその言葉を頑なに守り、秘守し続けた。それがある時、 「田舎の飲み屋の亭主で一生終わるつもりで今日まで修行してきたんとちゃうからな。」その一言で全てが終わったと気づいた時、彼との未来への映像は壊れ果て、秘めやかに燃え続けた恋心は、黒い堅い岩となって暗い谷底に落ちて行った。 「…悪いけど。」彼が唯一付け加えたお侘びの言葉が刺さったまんまで記憶の扉を封印している。 それが訳もなく、きっかけもなく、突如解き放たれ夢に現れる夜がある。 夢の中の彼はいつも笑っており、その哀しい結末を知っているのは私だけだ。そう、だから、私はその夢を見る度にわかっている。あぁ、これは夢なのだ、だから彼はこんなに優しく微笑み、屈託なく話しかけるのだ、と。 それでも私は嬉しくて、はにかみながら微笑んで、頷いたり、イヤイヤしたりする。「かわいぃな、オマエ…。」彼が目を細めて無言で微笑み、ふと、よそ見をする。何を見つけたのかと心配になり私もそちらを向いた時、目が覚める。静かに、穏やかに、目が覚める。同時に私の心の奥から滲み出るように、失くしてしまった愛おしさが溢れて溢れて哀しさに変わる。部屋の暗さ、布団の感触、空気の冷たさ…、これが現実だと実感した時、そこでまた繰り返し思うのだった。…あぁ、やっぱり夢だった…。 「夢」と言うのは不思議なもので、実際遭遇もしなかった場面が現実の出来事と混沌したままの形で現れる。だからこんな字が存在するのかな…「儚い」…人の夢は「はかない」のだ。 なんとなく、今日はこんな事を考える。 「アタシは、もし、彼と一緒に暮らしていたらどんな人生になっていたんだろう。」 そして、また考える。 「彼は、今頃、思い通りに出世して、人生過ごしてんだろうか。」と。 答えも出ない、夢への問い掛け。 彼は今度、いつ夢に登場してくれるのだろうか。もう見たくない夢ではないが、また会いたいな…と思える彼でもない。 初夢は?とよく話題になるが、おばさんの今年最後の夢は、こんな切ない夢でした…。 迎える新年も皆様にとりまして、良き一年でありますように心からお祈り致します。
December 31, 2003
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この時期になると、NHKの「歳末助け合い運動」のPRが、始まる。 うん、そう、いいんだよ。それは。 だけど、どうしても、「私も歳末助け合い運動を応援します」という、PRの放送内で、使われる日本語が許せない。 日替わりで色んな有名人が登場してPRするんだけど、毎週月曜日に登場する、大林宣彦監督の前に登場するある有名人は、こう言うのです。 「… … … 私は、歳末助け合い運動に、ご協力致します。」と。 この部分を聞く度に、包丁持つ手が、ぴたりと止まるのね。…おばさんだけ?… いや、別にね。無学なおばさんがアダコダ言うまでもなく、天下のNHKなんだから、「日本語で遊ぼ」なる素晴らしい番組を作るNHKなんだから、間違いではないんでしょうが、間違いではないんでしょうか?
December 10, 2003
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秋…と言えば「紅葉(こうよう)」で、人は「秋」に「紅葉」を見る「効用」に、取り憑かれたように「高揚」して、その景勝地へ足を運ぶ。山育ち、田舎育ちのおばさんは、「秋」ともなれば、「飽き」のきている配偶者を連れて、わざわざ渋滞の中に車で出掛け、「空き」の見えない駐車場を捜し求め、「明き」らかに時間の無駄としか思えない一日を過ごすのは我慢出来ない。 そう…おばさんの近所には日本でも有名な(ホントだよ)、紅葉の景勝地がある。紅葉でも有名だけど、この時期、車の渋滞でも有名なんだろう。帰宅する時、ほんの1キロ先の自宅に辿り着くのに、観光客のバスや車に挟まれて、にっちもさっちも車が動かない。だから、この渋滞の季節には、この辺りの住民は家の外に車で外出出来ない。しないほうがいいのだ。 もちろん、この方面へ出掛けるのも避けたほうがいい。渋滞の列はかなり手前まで来ており、迂回する車や、近道したい車などの影響で、これまた方々の道路が渋滞する。 ラジオの交通情報でこの地域の渋滞状況を耳にする時、おばさんは「あぁ、秋も深まって来たんだなぁ…」と思うのである。 季節感を交通情報で感じるなんて、なんて味気ないと思われるだろうが、実際の所、みなさんは「秋」はどんな時に感じますか? 朝起きて、雨戸を開けた時、その寒気に奥歯を食い縛り、鼻から湧いてくる白い息に驚く。その割りに昼間はほんわり暖かくて、朝着込んだ上着を脱いだりする。 道を歩けば、落ち葉は溢れ、子供がもみじの葉っぱをもみじみたいな小さな手で拾い集め、誰の葉っぱが一番きれいで赤いか?について比べあっている。 山は確実に色付いて、あぁ…あんな処に銀杏の木があったんだなぁ…と、この季節になってやっと気が付く。他の季節には考えもしなかったそんな発見を、毎年している。同じ山の同じ場所で。 その横で、誠に不釣合いな「四季桜」が咲き乱れ、最近の観光客を魅了しているらしい。 そして、太陽が逃げるように消えてしまう夕闇。惜日感も全くないこの夕闇は、ふとよそ見をして振り返った瞬間に既に夜の暗闇に変わっているのだ。 おばさんは温暖化の危機感を感じながらも、やはり、わざわざ景勝地に出掛けなくても十分「秋」を楽しめる場所で暮らしているこんな毎日が好きなのである。 都会の皆さん、ごめんなさい。
November 19, 2003
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おばさんは、最近、自分のHPもうっちゃっておいて、「音楽配信」に夢中になっている。例えば、 こんな 曲もあったりして、ウホホホホ…っと、AV見る中年男よろしく、胸躍らせながら、試聴している。そう…、レンタル屋に行くのも億劫だし(車で40分かかる)、イマドキはどんな曲が流行っているのかさっぱりわからないし(セーラームーンがドラマ化された事とかアバレンジャーの今回のあらすじ位は説明できるが)、お金もそうそうないし(いつも試聴だけ)(しかもそれを何回も)、いろんな曲を聞き漁っている。やっぱり、音楽はいいなぁ…。音楽配信の試聴ばかり、ボリュームを家族に悟られないよう最小限に絞りながら、おばさんは秋の夜長を楽しんでいるのである。日記休んでばかりでごめんなさい。毎回楽しみにして下さっているあなたへ、おばさんからの吐息をお聞き頂きましょう。もちろん、「試聴」です…。 おばさんの切ない吐息です うひゃひゃひゃひゃ…
November 9, 2003
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寒いのである。寒い、寒くてかなわん。 おばさんは入浴中に何気なく浴室入り口の木の柱に目をやり驚いた。いやいや、順番から言うと、柱に目をやり、なんとなくその黒っぽさを不審に思い、風呂桶(桶…では古過ぎかな?)から飛び出して、眼鏡をわざわざ掛け、よくよく柱を見て驚愕した。爪の先で柱を押してみて、声を上げた…「うわぁ~、やられた~」 シロアリである。 柱の表面が皮一枚で、その皮の向こうは空洞になっている。全体の面積から判断しても、たいした範囲ではないが、おばさんの想像では既におばさんの家全体がシロアリの餌食になっている。シッポが矢印になった、(つまり、→、こんな感じ)、憎たらしい顔つきの白装束集団がおばさんの家にはびこっている。 恥ずかしいかなおばさんは、入浴中であることも忘れて、その格好のままでこの柱を今以上に観察し始める。 柱に、シロアリが運んできたと思われる微量の土が筋状にくっ付いている。爪で押せば押した分だけ、柱がいとも簡単に、破れる。その中を目を凝らして覗くと…白い蠢きが…うじゃうじゃと…は、なかったけど、おばさんの想像スクリーンに這い回っているのだ。 おばさんのその観察姿勢ときたら、頭を床にすりつける程低く、その分、デカイおけつは天井方向を向いている四つん這い状態。ひじ・膝は曲げて床に付けている為、だんだん冷たく寒くなって来た。…え?なんでかって?だから初めに言ったでしょ。おばさん入浴中の出来事だったの。つまり、すっぽんぽん、な~の。 …ここまでの文章を読んで、敏感反応する男性諸君よ!ありがとう。諸君は若いぞ!ダハハハハハ…。 残念ながらおばさんは既に、賞味期限切れ、品質期限切れ、もひとつおまけに使用期限切れ、である事をお断りしておこう。 ま、そんな事言ってる場合じゃないのだ。そう、シロアリ。 今更困っても仕方ない、とは思いつつ、やはり困惑する。 よくまぁ、ここまで知らずにほかっておきましたねぇ…、と駆除業者の声が聞こえるような気がする。一応おばさんも体裁というものを気にしたりする、のだが、やはりどう考えても今どうにもならない。業者に相談するしかない。 すっぽんぽんのおばさんは浴室入り口の脱衣スペースで腕組みして悩み続ける。せめて湯船につかって考えれば暖かいのに…。しかしながら、湯船の中で誰も「シロアリ」の事考えたくないよね。湯船に浮かんできそう…。 その時、勢い良く脱衣所の扉が開く。 配偶者がおばさんの仁王立ち腕組み状態の姿を目の当たりにして一言…「オマエ、何やっとるんだぁ~…?」 おばさんは、この家に起こったとんでもない異常を配偶者に訴える。 ここがね、ほらほら、ね、ね、すごいでしょ、ね、ね、も~た~いへん! 一息おいて配偶者はポツリと答える。 「話はわかったけど、その格好、なんとかならないの?」 この危機状態において、何を冷静に他人の格好を指摘しておるのだ!と誠に不満に思いながらも、おばさんは変に納得するのであった。 皆様、特にこの時期、風邪などひかれませんように。
October 24, 2003
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雨が多くて長袖を着込む夏であったのに、残暑に及んでジリジリと、日差しが顔面のシミを痛め付ける。 日焼け止め化粧品を購入するつもりで、そんな気候であったから、ついついノビノビになってしまい、結局UV対策をしていなかったおばさんであった。 気が付くといつの間にか蝉の声がしない。しなくなった分だけ我が子たちが、「あ、セミ死んどる」と呟きながら歩く朝夕の徒歩通園も、心地よい適度な運動になってきた。 「夏はスタミナ付けんとバテルからね。」…毎年、これが口癖のおばさんは、この冷夏にスタミナ付け過ぎて不覚にも3kg太ってしまったのだ。 9月と言えば、実はおばさんの誕生月で、確かに目出度い目出度いハッピーバースデーがあるのだが、25歳を越えた頃からだったろうか、さっぱりついてない。ラッキーな事が起こらないのだ。というか、身辺に「事件」が起こりがちで、毎年この月が近付くとビクビクしている。 今年も案の定、やっぱり事件があって、まぁ、ここに書くほどの事でもないけど、今のおばさんはかなり落ち込んでいる…。 9月ともなると、おばさんの居住地域は夜の10時を過ぎると肌寒い。冬布団をヨッコラショと押入れから出すには、この残暑は助かる。今年こそ、羽毛布団を買って、カル~イ夜を過ごすぞ!と考えながら2年目の秋である。 こうして、相変わらずの「子育ての苛立ち」と、なんだかパッとしない「ついてない誕生月」を過ごす9月なのだが、夕方、ダイエットよろしく子供を連れて、家の周辺を散歩する。 茜色に染まる空を見上げた長女が「明日も晴れるね」などとやけに大人びた口調で話す。オマエ、5歳だろ。とは思うが、春がくれば小学生か…。 横で立ち止まった長男の頭の上に赤とんぼが止まる。と思ったが、「あ、間違えちゃった」と言ってるみたいについと飛んで行ってしまった。 もう、この週末には刈られるだろう稲の穂が、「早くどうにかしてくれ~」と言わんばかりに頭を垂れている。みごとにみな黄金色の出来栄えのようだが、今日のニュースでやはり、米の不作を報じていたっけ。 山の方からヒンヤリとした風が吹いてくる。 烏の声もやけに寂しそうだ。 たとえ冷夏であっても、人は夏の「激しさ」「燃えるような感情」を抑えきれない。しかしそれは、夏祭りのフィナーレにふさわしい「花火」を見ることによって、あっけなく消え去ってしまう。本来「夏」とは「火」に例えるような季節なのかもしれないな…しかし、その「火」の色とは違う「火みたいな色」に気づいた時、既に秋が始まっている。夕焼け、赤とんぼ、雷草…。 そうして秋は誠に穏やかに、人の心に入り込んでくるのだ。 9月…今年も全く「ついてない」月であったが、夏から秋に変わるこの月を、おばさんはなんとも好きでたまらない。
September 18, 2003
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久しぶりの名古屋である。 訳もわからず同伴している彼女はおばさんの母親友達である。周囲を構わず、いつものようにいつもの話題を延々と、いや、たまに「ねぇ、そう思わない?」と同意を求め、確認しながらしゃべり続けている。 「今月終わりまでやってる『人体の不思議展』ってのがあるんだわさ。アンタも来る?」と何気なく誘ったら、意外に簡単にのってきたので、内心心配しているおばさんであった。 …彼女、卒倒しちゃうんじゃないかなぁ… …やっぱ、もっと詳しく教えといた方が良かったかな… 会場に入る。 彼女は「わぁ~、よく出来てるじゃんかぁ~」と奇声を上げながら狂喜して、並ぶ列の隙間に入り込みシゲシゲと見ている。 「あかんて。触ったらあかんて、書いてある。」おばさんは彼女の背中に小声で教える。 ムフフフ…振り返った彼女は、鼻の下に力が入るような変な笑い方をしている。 「おチンチン、あるよ。男が多いね、なんでだろ。」 …なんでだろ、と言われても困るんだけど。 以下、彼女のコーナーごとの感想である。「うひゃ~、まつげまで付けたる。仕事が細かいね~。」「やっぱ、タバコは体に良くないねぇ~、肺真っ黒。」「この血管ってどぉやって色付けんのかねぇ…」「あひゃひゃひゃ…陰毛はえとる。ここまでやらんでもいいじゃんねぇ。」「これで、子供に性教育したらよぉわかるじゃんかねぇ。」 …まぁ、この際、このままでいいか。 と、おばさんも、彼女のこの後の事など思いやりもせず、展示に夢中になる。 「あ…」と声を上げる。彼女もおばさんも。 その視線の先には胎児が月齢ごとに並んでいる。 二人ともケースに張り付いて見る。見つめる。観察する。無言で。 最初、驚異と興味だけの視線が次第に母親の眼差しに変わった時、顔を上げる。すると彼女もおばさんを見つめていた。 「4ヶ月でもうホントに赤ちゃんなんだね…。」彼女は寂しそうに呟く。 「産婦人科じゃぁ、4ヶ月・5ヶ月って言っても、エコーで見るだけだもん、モノクロでさっぱりわからんのにねぇ。実感が無いよねぇ。」おばさんもとりあえず答えるが、その後に付け加える言葉が見当たらない。 彼女は特別返答もせず、またじっとそのケースを見入っている。彼女は結婚後に流産や中絶を経験していた。 医学生も来ているし、オリンピック選手も来ているらしい。スケッチブックで写生している若者もいた。 老若男女、美しくても・そうでなくても、天才でも・そうでなくても、みな、同じ人間。 展示された人間もそれを見ている人間も、様々な生き様があり、そして死に様があるだろう。 「人体の不思議展」 次回は 東京会場 が開催らしい。 見て良かった、と思う。その理由はまだ表現出来ないけれど。 もし行かれる事があるならば、場内に、「献体申請書」というのが紹介されている。その文面を読んで頂きたい。白紙の申請書ではあるけれど、生存中の本人が書き込む姿を想像した時、その文面には、単に事務的な手続きだけではないとおばさんは感じる。献体する本人の生存中の状況や情況が、哀しいドラマに見えるのは、おばさんの勝手な想像だろうか? 会場を出て、人込みから抜ける。 同伴の彼女に何気なく問い掛ける。 「『献体』って知っとる?」 …ケ・ン・タ・イ…??? たぶん彼女の頭の中はいつもの話題の「倦怠期」が浮かんでいる事だろう。 「ほら、昔はさぁ、ホルマリン漬けの標本ってあったじゃんか。今は違って、あ~ゆうふうな標本が有効なんだって。半永久的に保存できるって、ホームページに書いてあった。」 へ? …じゃ、今見て来たのって、みんな、本物、な、の…ぉ? その後、珍しく、彼女がランチを残した気分もわからないでもない。といって、おばさんと彼女の友情にヒビが入ることもないだろう。 たぶん…。
August 29, 2003
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長い休みで気付いた事。 1.HPを長く休む事で一番イヤだったのは、楽天から「日記を書きましょう。」の催促メールが届くのではないかな、という事。鬱陶しいよね。…しかし、どうやら、HP開設当初(たぶん、あるアクセス数未満)のユーザーに限定しているらしくて、おばさんくらいの合計アクセス数(といってもたかが知れているのだが)では、もううんともすんとも言ってこない。 なぁんだ!これなら、書きたい時に書けばいいんだわさ!…と変に喜ぶおばさんである。 2.こんな事は初めてだけど、前からこんなこと出来たっけ?…ほら、おばさんの8月4日の日記、ふたつ存在するよ。ありゃ?荒らされたのか?と驚いたが、自分で書いた日記が重複登録できる技は…果たしてどうやってやったか、自分でもわからないのであった。 以上、「気付いた事」シリーズ、でしたぁ。
August 5, 2003
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暑い夏にはデパートに出掛けるに限るというが、銀行へ出掛けるのもまんざらでもない。涼しいのである。 デパートへ避暑を目的に出掛け、電気代の節約以上に衝動買いして後悔しながら帰宅する事はあるが、銀行へ出掛け、衝動的に貯金して自戒することは無い。銀行強盗だって、衝動的に入る奴もいないよね。それなりに入念に腹くくってやるだろうから。 おばさんは2,3冊の通帳にハンコを持って出掛ける。…今日はきっと混むだろうか。懐かしい路地を抜け、その銀行の裏の入り口から入る。 す~っと冷気が「おりこうさん!今年も来てくれたわね。」とおばさんの頭を撫でてくれる。…そう、この支店とは既に20年来のお付き合いだ。店内は適度に混んでいる。「適度」といったのは、待ち客が多い反面、窓口に座って対応している行員も多いから、早く人が流れている感じであるから。…そうだよね、もう今週で最終の週だから、これ位しないと追い付かないかな…。 この銀行の支店はもう数日すれば閉店してしまうのだ。 「いらっしゃいませ。お待たせしました。」そう促されて座る景色はずっと変わっていない。ただ、カウンター越しに見える支店長の仏長面やせかせかと忙しいのか歩き回っているだけなのか、背広に身を包んだその行員の面々におばさんの知っている顔はいない。 「全部の取引を解約したいのですが…」言われた窓口の行員は、ワンテンポ置いて「かしこまりました」と頷いた。 普通なら「何かお入用ですか?必要な金額だけの解約に致しましょうか?」などと要らぬお世話を焼くのだが、支店閉鎖が決まって以来、おそらく、おばさんと同じように解約の客ばかりなんだろう。 おばさんは、カウンター越しの行内の風景に遠い日々を重ねてみる…。 おばさんが長いものに巻かれ過ぎて、気が付いたら「チーママ」を務めだした頃、その支店はオープンした。 「ね、お願いしますよ。何せ、よく知らない土地なんで、出会った人にお願いして歩いてるんです。」 その頃、昼時になると、必ずやってくる、背広姿の男性グループが私にはわけもなく眩しかった。夏の日差しの中に、汗をふきふきやってくるのだが、不思議と見ていて清清しい気分になる。毎日毎日、薄暗いカウンター越しに見るお客の多くは、昼であってもなんだか不健康な顔つきのお客ばかりで、相手をしている私までもが同じようになってしまうのではないかと憂鬱であったのだ。だから、そんな彼らがやってくると、スゴク嬉しくて、笑顔一つとっても、その頃の私の年齢にふさわしい笑顔についついなってしまうのを私自身も感じていた。年齢にふさわしくない、大人びた愛想笑いや媚びた笑いは彼らには必要ないような気がしていたのだ。 毎日毎日足繁く通い、呑んで食べて、お金を使ってくれる事に折れたのか、その彼らのためにおばさんの店の一同が普通預金から定期預金、あるいは貸付信託に至るまで、かなりの口数で預金した。おそらく、彼らが店で飲み食いした飲食代をその度に「領収書チョウダイ!」と言っていたら、そこまで協力してやる事はなかっただろう。来る度に、「今日も割り勘だぞ。」「よしよし、給料前だからな。」などと話し合っている様子を見ていれば、一口預金でも協力してやろうかな、という気持ちになるのは、水商売に生きる人間特有の「情にほだされる」という面かもしれない。確かにその頃、昼時や夜にやってきて、自分の飲み食い代を銀行の名前宛の領収書で済ませる行員が殆どであったから、そういう意味でも彼らの存在は新鮮に見えたのかも知れない。 預金契約をし終わったとたんに足が遠のく事も無く、それが返って好感を持たれ、ほどなく彼らは店の常連となった。 鼻の高い板長でさえ、彼らが来ると「つきだし」を一品サービスしてやったり、板長たちから「けち」と呼ばれていた女将でさえ、ビールを一本サービスすることもあった。 私にとっても彼らが来る事が一週間の中の楽しみであり、からかわれ、すかしかわしながら過ごす数時間は仕事も忘れる楽しさがあった。 そんな私を見て「なんや、あいつら来るとやけにはしゃぐねんな。」と相変わらず意地悪く言う板長の向こうに、二番板さんや見習い君が同じように、軽蔑の眼差しで見ているのに戸惑いを感じたが、その意味が、単純な「やきもち」であることさえ、その頃の私にはわからなかった。 考えてみれば、そんな私の仕事と精神年齢のバランスの悪さが、やがて店を辞める原因となるのだが、それはそれで致し方ない。これもひとつには「分不相応」というものなのだろう。所詮、二十歳にもいかないネンネにこれほどの店が務まるわけがなかったのだ。 私が店を辞める、と知った彼らは、途端になんだか事前に計画してきたかと思うくらいに頻繁に私に出会う機会を持った。もちろん、それは彼らグループが計画を練りに練った賜物であった。新しい預金タイプが出た、とか、今は利率がこうだから、来月満期のこの預金はこうしたほうが良い、とか、色んな提案をしてきた。 しかしながらその態度は無理強いしているわけではない。断れば、「そうだよね。あっはっは。ところで、兄弟はいるの?」とか、突然話題を変えて来る。真面目に答えれば、ふんふん、と、しごく真面目に聞いている。「面接みたいね」と私が言うと、不思議に赤い顔をして、「あ、いやいや、そんなつもりじゃないんだけど…ごめん、ごめん。」と平謝りする。 そんな不思議な期間が過ぎた時、ふと、私の方からある提案をした。 「いろいろ預金したけど、いつも難しい言葉ばかりでよくわからないの。もう少し、解りやすく、これからもためになる預金の方法を教えて欲しいんだけど。」 彼らにそう告げた時、彼らの顔が一瞬気色ばったのがわかったが、やっぱりその理由は私にはわからなかった。そして、彼らにそんな突拍子もないことを頼んだ自分自身も不思議でならなかった。銀行の窓口で問えばいい事だったのに。 待ち合わせの喫茶店には彼らの中の一人がやってきた。なんだか緊張してる。もちろん私も緊張していた。だって、別にわざわざ喫茶店で商談をするほどの大口預金者でもなかったし、店の休憩時間に来てくれるもんだと思っていたから。 あれこれと預金について詳しく解りやすく教えてくれた。一般的な話でなく、私自身の預金状況と今後の計画について実践で教えてくれたから、彼の一生懸命に教えてくれる姿は、私にとって嬉しい以上の感覚だった。忙しい仕事をさいて、私のために時間を空けてくれる男性が存在する事に驚きさえ感じていた。水商売に過ごしていると、女性の立場なんか、言葉は誠に悪いが「公衆便所」程度にしか思っていない輩が多い事をイヤと言うほど見て来たからだろう。 ふと、彼がためらいながら問いかける。 「店辞めるのは結婚するの?」…何度も聞いた事でしょ。うふふ、アタシまだそんな歳じゃないもん。恋人いないし。 「突然なんだけど」…へ?何? 「ぼ、僕、いずれ…そのぉ…銀行辞めて…北陸の実家の料亭を継ぐんだよ。」…あ、そう。そう、なんだぁ。 「だ、だから」…はぁ…、だから? 沈黙が数秒あったと思う。 と、そこまで彼は言って、突然大声で豪快に笑い出した。 「あっはっはっはっはぁ~、うん、だからね、うっひっひっひ…、お嫁に来てくれないかな~~~な~んて思っちゃったりして…、あははははははは…」 と、そしてまた数秒沈黙があったと記憶している。 何気なく私は答えた。 …アタシね、母子家庭で、一人娘なの。 何故そう言ってしまったのか、今もって私自身悔やまれるが、嘘ではない。真実をそのまま述べただけだったのだが、この一言で彼は全てを黙って飲み込んでしまったような、そんな気がした。 人生には三度チャンスが訪れる、と聞いた事がある。彼の突然の求婚は確かに私の人生のチャンスであったかもしれない。…もちろん、そう思うのは、そのチャンスが通り風のように過ぎてしまってから気付いた事なのだが。 そんな彼らが過ごしていた銀行も、私が辞めて直後だったろうか、総会屋との癒着が取り沙汰され、大きく世間を騒がせた。それに関する銀行側の陳謝と共に、大きく人事異動が行われた。当然ながら、あの彼らはチリチリバラバラになり、真夏の路地を闊歩する清清しい彼らの姿はもう無いのだと、会社勤めをし普通の生活を始めた私は案ずるだけだったのだ。 今こうしてこの支店のカウンターに座ると、支店長の死角を狙って、冗談半分で投げキッスしてきた彼らの笑顔が思い出される。もうイイおっさんになっちゃただろうな。あたしもイイおばさんになっちゃたんだから…。 「長い間のお取引、ありがとうございました。」そう言われて我に返る。 真夏の空の中で、彼らの清清しさの記憶も、この支店の閉鎖でなくなってしまう。 「お客様はこの支店の早くからのお取引だったんですね。」不意に窓口の女性行員に話しかけられ、じっと顔を見つめ直してみる。 おばさんは微笑み頷き返す。「そうです。この支店がオープンしてすぐでしたから。」 「解約済み」という遠慮のないスタンプを押された通帳を見ながら行員は「こんなに若い番号のお客様番号は初めて見ました」 微笑み返すしかないかな、と思い席を立った。背中にありがとうございましたと聞こえてくる。 自動ドアを抜けると熱気が吐き気みたいに襲ってくる。 あの清清しさは単なる「若さ」の証明だったんだろうか…一瞬わけもなくそんな疑問が心をよぎった。所詮、答えなんか見つからない、解答なんか要らない、そんな時代だったのかも知れない。 久しぶりの日記です。皆さんお元気でしたか?うふふ、ではまたね。
August 4, 2003
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暑い夏にはデパートに出掛けるに限るというが、銀行へ出掛けるのもまんざらでもない。涼しいのである。 デパートへ避暑を目的に出掛け、電気代の節約以上に衝動買いして後悔しながら帰宅する事はあるが、銀行へ出掛け、衝動的に貯金して自戒することは無い。銀行強盗だって、衝動的に入る奴もいないよね。それなりに入念に腹くくってやるだろうから。 おばさんは2,3冊の通帳にハンコを持って出掛ける。…今日はきっと混むだろうか。懐かしい路地を抜け、その銀行の裏の入り口から入る。 す~っと冷気が「おりこうさん!今年も来てくれたわね。」とおばさんの頭を撫でてくれる。…そう、この支店とは既に20年来のお付き合いだ。店内は適度に混んでいる。「適度」といったのは、待ち客が多い反面、窓口に座って対応している行員も多いから、早く人が流れている感じであるから。…そうだよね、もう今週で最終の週だから、これ位しないと追い付かないかな…。 この銀行の支店はもう数日すれば閉店してしまうのだ。 「いらっしゃいませ。お待たせしました。」そう促されて座る景色はずっと変わっていない。ただ、カウンター越しに見える支店長の仏長面やせかせかと忙しいのか歩き回っているだけなのか、背広に身を包んだその行員の面々におばさんの知っている顔はいない。 「全部の取引を解約したいのですが…」言われた窓口の行員は、ワンテンポ置いて「かしこまりました」と頷いた。 普通なら「何かお入用ですか?必要な金額だけの解約に致しましょうか?」などと要らぬお世話を焼くのだが、支店閉鎖が決まって以来、おそらく、おばさんと同じように解約の客ばかりなんだろう。 おばさんは、カウンター越しの行内の風景に遠い日々を重ねてみる…。 おばさんが長いものに巻かれ過ぎて、気が付いたら「チーママ」を務めだした頃、その支店はオープンした。 「ね、お願いしますよ。何せ、よく知らない土地なんで、出会った人にお願いして歩いてるんです。」 その頃、昼時になると、必ずやってくる、背広姿の男性グループが私にはわけもなく眩しかった。夏の日差しの中に、汗をふきふきやってくるのだが、不思議と見ていて清清しい気分になる。毎日毎日、薄暗いカウンター越しに見るお客の多くは、昼であってもなんだか不健康な顔つきのお客ばかりで、相手をしている私までもが同じようになってしまうのではないかと憂鬱であったのだ。だから、そんな彼らがやってくると、スゴク嬉しくて、笑顔一つとっても、その頃の私の年齢にふさわしい笑顔についついなってしまうのを私自身も感じていた。年齢にふさわしくない、大人びた愛想笑いや媚びた笑いは彼らには必要ないような気がしていたのだ。 毎日毎日足繁く通い、呑んで食べて、お金を使ってくれる事に折れたのか、その彼らのためにおばさんの店の一同が普通預金から定期預金、あるいは貸付信託に至るまで、かなりの口数で預金した。おそらく、彼らが店で飲み食いした飲食代をその度に「領収書チョウダイ!」と言っていたら、そこまで協力してやる事はなかっただろう。来る度に、「今日も割り勘だぞ。」「よしよし、給料前だからな。」などと話し合っている様子を見ていれば、一口預金でも協力してやろうかな、という気持ちになるのは、水商売に生きる人間特有の「情にほだされる」という面かもしれない。確かにその頃、昼時や夜にやってきて、自分の飲み食い代を銀行の名前宛の領収書で済ませる行員が殆どであったから、そういう意味でも彼らの存在は新鮮に見えたのかも知れない。 預金契約をし終わったとたんに足が遠のく事も無く、それが返って好感を持たれ、ほどなく彼らは店の常連となった。 鼻の高い板長でさえ、彼らが来ると「つきだし」を一品サービスしてやったり、板長たちから「けち」と呼ばれていた女将でさえ、ビールを一本サービスすることもあった。 私にとっても彼らが来る事が一週間の中の楽しみであり、からかわれ、すかしかわしながら過ごす数時間は仕事も忘れる楽しさがあった。 そんな私を見て「なんや、あいつら来るとやけにはしゃぐねんな。」と相変わらず意地悪く言う板長の向こうに、二番板さんや見習い君が同じように、軽蔑の眼差しで見ているのに戸惑いを感じたが、その意味が、単純な「やきもち」であることさえ、その頃の私にはわからなかった。 考えてみれば、そんな私の仕事と精神年齢のバランスの悪さが、やがて店を辞める原因となるのだが、それはそれで致し方ない。これもひとつには「分不相応」というものなのだろう。所詮、二十歳にもいかないネンネにこれほどの店が務まるわけがなかったのだ。 私が店を辞める、と知った彼らは、途端になんだか事前に計画してきたかと思うくらいに頻繁に私に出会う機会を持った。もちろん、それは彼らグループが計画を練りに練った賜物であった。新しい預金タイプが出た、とか、今は利率がこうだから、来月満期のこの預金はこうしたほうが良い、とか、色んな提案をしてきた。 しかしながらその態度は無理強いしているわけではない。断れば、「そうだよね。あっはっは。ところで、兄弟はいるの?」とか、突然話題を変えて来る。真面目に答えれば、ふんふん、と、しごく真面目に聞いている。「面接みたいね」と私が言うと、不思議に赤い顔をして、「あ、いやいや、そんなつもりじゃないんだけど…ごめん、ごめん。」と平謝りする。 そんな不思議な期間が過ぎた時、ふと、私の方からある提案をした。 「いろいろ預金したけど、いつも難しい言葉ばかりでよくわからないの。もう少し、解りやすく、これからもためになる預金の方法を教えて欲しいんだけど。」 彼らにそう告げた時、彼らの顔が一瞬気色ばったのがわかったが、やっぱりその理由は私にはわからなかった。そして、彼らにそんな突拍子もないことを頼んだ自分自身も不思議でならなかった。銀行の窓口で問えばいい事だったのに。 待ち合わせの喫茶店には彼らの中の一人がやってきた。なんだか緊張してる。もちろん私も緊張していた。だって、別にわざわざ喫茶店で商談をするほどの大口預金者でもなかったし、店の休憩時間に来てくれるもんだと思っていたから。 あれこれと預金について詳しく解りやすく教えてくれた。一般的な話でなく、私自身の預金状況と今後の計画について実践で教えてくれたから、彼の一生懸命に教えてくれる姿は、私にとって嬉しい以上の感覚だった。忙しい仕事をさいて、私のために時間を空けてくれる男性が存在する事に驚きさえ感じていた。水商売に過ごしていると、女性の立場なんか、言葉は誠に悪いが「公衆便所」程度にしか思っていない輩が多い事をイヤと言うほど見て来たからだろう。 ふと、彼がためらいながら問いかける。 「店辞めるのは結婚するの?」…何度も聞いた事でしょ。うふふ、アタシまだそんな歳じゃないもん。恋人いないし。 「突然なんだけど」…へ?何? 「ぼ、僕、いずれ…そのぉ…銀行辞めて…北陸の実家の料亭を継ぐんだよ。」…あ、そう。そう、なんだぁ。 「だ、だから」…はぁ…、だから? 沈黙が数秒あったと思う。 と、そこまで彼は言って、突然大声で豪快に笑い出した。 「あっはっはっはっはぁ~、うん、だからね、うっひっひっひ…、お嫁に来てくれないかな~~~な~んて思っちゃったりして…、あははははははは…」 と、そしてまた数秒沈黙があったと記憶している。 何気なく私は答えた。 …アタシね、母子家庭で、一人娘なの。 何故そう言ってしまったのか、今もって私自身悔やまれるが、嘘ではない。真実をそのまま述べただけだったのだが、この一言で彼は全てを黙って飲み込んでしまったような、そんな気がした。 人生には三度チャンスが訪れる、と聞いた事がある。彼の突然の求婚は確かに私の人生のチャンスであったかもしれない。…もちろん、そう思うのは、そのチャンスが通り風のように過ぎてしまってから気付いた事なのだが。 そんな彼らが過ごしていた銀行も、私が辞めて直後だったろうか、総会屋との癒着が取り沙汰され、大きく世間を騒がせた。それに関する銀行側の陳謝と共に、大きく人事異動が行われた。当然ながら、あの彼らはチリチリバラバラになり、真夏の路地を闊歩する清清しい彼らの姿はもう無いのだと、会社勤めをし普通の生活を始めた私は案ずるだけだったのだ。 今こうしてこの支店のカウンターに座ると、支店長の死角を狙って、冗談半分で投げキッスしてきた彼らの笑顔が思い出される。もうイイおっさんになっちゃただろうな。あたしもイイおばさんになっちゃたんだから…。 「長い間のお取引、ありがとうございました。」そう言われて我に返る。 真夏の空の中で、彼らの清清しさの記憶も、この支店の閉鎖でなくなってしまう。 「お客様はこの支店の早くからのお取引だったんですね。」不意に窓口の女性行員に話しかけられ、じっと顔を見つめ直してみる。 おばさんは微笑み頷き返す。「そうです。この支店がオープンしてすぐでしたから。」 「解約済み」という遠慮のないスタンプを押された通帳を見ながら行員は「こんなに若い番号のお客様番号は初めて見ました」 微笑み返すしかないかな、と思い席を立った。背中にありがとうございましたと聞こえてくる。 自動ドアを抜けると熱気が吐き気みたいに襲ってくる。 あの清清しさは単なる「若さ」の証明だったんだろうか…一瞬わけもなくそんな疑問が心をよぎった。所詮、答えなんか見つからない、解答なんか要らない、そんな時代だったのかも知れない。 久しぶりの日記です。皆さんお元気でしたか?うふふ、ではまたね。
August 4, 2003
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手話の勉強、ならびに役員を務めている手話サークルの活動専念のため、しばらくこのおばさんのホームページを休ませて頂きます。 完璧に削除しないのは、ほんとはまだまだおばさんの記憶の一端を手繰り寄せながら文章でみなさんに披露したいという意欲もあるからです。 毎回くどくどだらだらとした文章を読んで頂きありがとうございました。 いま少し充電期間をいただき、また再会したいと存じます。 どうぞ皆さん体に気を付けて。健康第一安全第一家内安全無病息災商売繁盛を心からお祈りいたします。 さようなら。 153
May 13, 2003
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いわゆる「たなぼた」と言うのだろうか、ちょっとこの表現では関係者にひんしゅくをかうかも知れないのだが…。 一年前の2月24日、おばさんはこんな日記を書いた。(過去の日記) これにはこのHPに来て下さっている方から激励のメッセージを頂いたりして、当時おばさんは感激し、奮起したのであった。 しかしながら実際、手話サークルを設立するには、聴障者の協力だけでなく…、う~む、簡単に言うと、ここでは簡単に書ききれない協力や根回しが必要であることがわかり、今年の1月の段階ではほぼあきらめていた。だったら今通っている手話サークルの役員を務めさせて頂き(現に立候補したのだが)、サークル運営のノウハウを勉強する一年にしようかと思ってこの新年度を迎えた。実際の所、おばさんのような3年4年手話を学ぶものはゴロゴロ居て、じゃぁ手話を学んだからといってオマエ何が出来るんだと言われても、ちょっとした日常会話。聴障者の為にこれが出来る!というほどの実力もない。ましてや、資格も持ってないので公の場に出ることも許されない。 「手話サークル」というのは聴障者あって成り立つものなのだ。おばさん如きの「目立ちたがり精神」だけでは「手話」は「趣味」「カルチャー」の域を超えられず、本来の意味をなくしてしまう。 激励メッセージを下さった方に「あ、あの目標は無理だった。あっはっは、アタシの知識不足よ。あんな目標とんでもない目標だったわ。」などというわけにもいかず、モジモジしていたおばさんであった。 ところが、物事というのはどう転がるかわからないもので、おばさんが通っていた夜の部の手話サークルが参加者の減少化、講師の聴障者の都合で取りやめとなった。取りやめになった代わりに、これまた講師の都合で平日昼間の手話サークルを新しく始める事となり、その方が好都合であるおばさんはホイホイと参加したのである。しかしながらまだ始まったばかりで、人数も少ない。講師であるろう者と夜の部から移ってきたサークル員わずか3名。その中で役員を決める事となり、このおばさんが代表になったのである。いや別に自分で手話サークルを興したわけじゃないのだが、結果として一年前に立志した「平日昼間開催の手話サークルを作る」ということにあてはまってしまった。 手話サークルの「代表」や「会長」という言葉には「手話」の奥深さが解り始めて以来、とんでもない荷の重さを感じる。 おばさんは、いやはや、牡丹餅をどうしたものか、じっと見つめて考え続けるのであった。
May 2, 2003
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晴れ渡る空。心地よい風。投票日には最適な天候です。投票には行かれましたか?無投票も多いと聞きましたが、やはり選挙はあったほうが楽しいです。 おばさんは今週、二人の幼児は保育園、昼間空いているのをいい事に選挙事務所に足繁く通いました。そう、おばさんは「ウグイス嬢」を努めさせていただきました。これでもかなり若手のウグイスに入るので、先輩ウグイスの指示に従い、言い回し、言葉、口調など4年前の記憶を呼び起こしながら調整を行うのであります。 田舎なのでさほど上級のレベルは必要ありません。地下(じげ)の人間が多ければ多いほど、名前さえPRすればそれで構わない。親戚筋、近所の付き合い、同級生関係、全てが結びつく候補者が出馬しているのだから、確認するように街宣車が巡って行くだけなのです。 もちろん共産、革新系も居ます。ゆるぎない宗派推薦の候補も居ます。もちろん共存です。みな不思議に票を分け合い当確を決めていきます。 ここで皆さんに街宣車の中から見た街角をご紹介しましょう。おばさんの地域は田舎なのでご覧の皆さんにはあてはまらない事例もあるでしょうが、話のねたにおひとつどうぞ。 1.毎日毎日名前を連呼するだけの街宣車、誠にうるさいですよね。あなたが家の中で洗濯物をたたんでいるとしましょう。そんな人の聴覚へいかに有効に候補者をねじこむか?を考えるとやはり候補者の名前を連呼する方法しかないのです。すみません。 ウグイスは街宣車の運転手と息がピッタリあっていないといけません。街宣車の速度にあわせ話すのです。住宅街をゆっくり走る街宣車、それを早口でしゃべってはいけません。街宣車に合わせ、ゆとりがあれば候補者のキャッチフレーズをしゃべります。声のトーンも考えます。住宅街はかなり響きます。一戸建て住宅地かマンション・アパートなどの状況で声の響き渡る度合いもかなり違います。それも考慮しながらしゃべるのです。 2.街宣車が家の近くに来たとしましょう。あなたは家の中に居る。当然ながら外からは見えません。見えないようにそっと街宣車を覗いて見てください。その街宣車から運動員はあなたの家に向って手を振っていますか? 例えば雨が降っていたとしましょう。雨天なら戸外に出ている人も居ません。でも、運動員たるもの必ず手を振っていなければいけません。雨でも晴れでも、戸外に人が居なくても、住宅街を街宣するならば、運動員は必ず一戸一戸の「家」に向って手を振らなければいけません。運動員からは見えなくても家の中からそっと覗いている家人は必ずいるのです。覗いていなくても、ぼんやり戸外を眺めていて、その視界の目の前を街宣車が通過する事はままあるでしょう。家人と目が合ってから手を振っていては遅いのです。運動員は「家」に向って手を振ります。雨だから、外に人が出ていないからという勝手な判断から、「白手袋の手」が出ていない候補者の陣営に「やる気」は伺えません。 3.選挙活動の数日間をウグイスは交代しながら街宣車に乗ります。もちろん下手も上手もあるでしょう。これこそ経験の賜物ですからこれも当然です。故郷訛りのない、変に洗練されたウグイスは派遣された「雇われウグイス」です。これも運動員の関係上仕方ありませんが、運動員が多ければ多いほどウグイス候補も多く、その分陣営に活気があります。鶯の羽を被った鳩、とでも言いましょうか。耳障りは良いでしょうが、あくまで事務的にしか聞こえないのは、地元の候補者は地元の人間が応援する、という意識が根強い程裏目に出るでしょう。 3.さて、毎日毎日連日連夜連呼される名前もいやというほど聴覚を刺激されたとしましょう。明日はいよいよ投票日だという日の午後からその街宣車のウグイスに何か変化はないでしょうか?相変わらず初日と同じ文句、口調でただ義務的に切羽詰った感じで連呼しているだけではやっぱりウンザリです。選挙活動が終盤に近付けば近付くほどウグイスの話す内容、口調は変わらなくてはいけません。…どう変わるって?それはその陣営の作戦なので、こうなのだ!と正解はありませんが…おばさんの陣営の場合は… 候補者の家族がこぞって街宣車に乗ります。そして、連日お騒がせしたお詫び、そして運動員として協力していただいたお礼、そして投票のお願いをします。奥さんが娘が婿が弟がゆっくり、ゆっくりと走って行く街宣車の中で、噛み締めるようにウグイスになります。中には感極まり涙声になる時もあります。「ふん、演技なんかしちゃって」と思う有権者もいることでしょう。「鬱陶しい」と思う有権者も多い事でしょう。…まぁ、いいじゃないですか。そんな「ウグイス」の変化も聞き逃しては面白くありません。 何にせよ、人生は一度きりです。選挙も有権者たるもの「行って当然」なのです。同じ選挙ならみんなと楽しみたいおばさんであります。 しかしながらやがておばさんの小さな田舎は大きな市に合併されていきます。着々と話は進んでいるようです。4年後の選挙にはおそらくおばさんの地域ではもう候補者は出馬できないでしょう。「できない」という表現も変ですが、こんな「トウシロウグイス」が出る幕はありません。それこそ洗練された訛りのない若いウグイスがもてはやされるのでありましょう。 そんな名残惜しさを感じながら今日の投票日を迎えたおばさんであります。 さぁみなさん、投票に出掛けましょう。「行っても行かなくても同じ」選挙なんて政治なんてないのですよ。
April 27, 2003
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この4月から長男も無事に保育園に通い出した。入園書類に書き込む時、こんな項目に手が止まった。 園児の言語の発達について:異常なし・遅れている(原因: ) おばさんは勢い良く「異常なし」に丸を付ける。提出書類なんて所詮こんなものなんだろう。この一瞬のつっかえは、そうね、テストでヤマかけて勉強し、テスト当日ずばり的中した時の充実感と「うまくしてやったり」という罪悪感が妙に交差する感じ。 「異常ない」までに至るのにどれくらいの時間と労力と焦燥と涙が費やされてきた事か。通い続けた相談室の先生が「よく頑張りましたね、これなら大丈夫。自分の意志が伝えられるようになれれば十分です。時間とともにどんどん語数も増えていますよ。笑顔がかわいいし、きっとみんなにかわいがられますよ。」そう言って頂いた事が、家族に「まだ通ってるの?もうしゃべるようになったんだから、わざわざ障害児の中に入ってなくてもいいでしょ。世間体もあるし…あんたの取り越し苦労じゃなかったの?ほかっておいてもきっとしゃべれるようになってたんだよ。」と言われるより、遥かに嬉しかったのは何故なんだろう。 ほぼ一年前の春、おばさんはこんな不安で一杯だった。あの時の長男の姿は今もおばさんの心に焼き付いている。過去の日記 今まさに目の前で桜の花びらを追っかけてケタケタ笑っている長男は母親の努力の賜物、と言ってしまっては少々自画自賛か? 「おかぁしゃん、つかもうとしても…うひゃひゃひゃ…、ち~っともつかめないよぉ…なんでぇ?…なんでだろぉ~なんでだろぉ~…あははは、あ~ぁ、ころんじゃったよぉ。」 散る桜と戯れる長男にお祝いの言葉。 よく頑張ったね。今日までの君におめでとう。これでほんの少し母親から離れた生活が始まるね。だけど心が離れてしまったわけじゃない。どうかこれからも健やかでありますように。 「おかぁ~しゃん。ほら、つかめたよぉ~。」そう言って見せる指先につままれた薄いピンクの花びら一枚。すごいね、じょうず、きれいだね。君と費やした毎日はこの桜の大木から舞い落ちたこの花びらと同じくらいわずかなものだったろうけれど、この母親にとってはこの上ない思い出の時間だったよ。ありがとう。 誰が言ったかな…「育児」は自分自身も育つ「育自」なのだって。
April 21, 2003
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楽天のHPに必ずある、頭の上の広告はスライドする速さがすごく速いのでクリックする間もないよ。これじゃぁ、宣伝にも広告にもならないよ。笑える。欲張りすぎて意味がない。 だけど最近楽天内がすごく重たいのは、このスライド広告のせいじゃないかと思っているのですが…。重くて固まっててもこの広告だけは動いてるもんねぇ。笑える。見て欲しくて重くしてるの? ♪そぉ~んなぁ~あ、女の、ひぃ~とりごとぉ~♪
April 16, 2003
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「いい?学校終わったらカバン置いてすぐにミエチャンとこに来るんだよ。」 母は出掛けようとするランドセルにそう投げ掛ける。 「また今日も店休むの?」振り返ったランドセルは口を尖らせてそう答える。 「こんな時にお金出して飲み屋に来るお客なんかおらんよ。選挙でみんな『ただ酒』呑めるんだからねぇ。」 「んでも、昨日は遅から店にお客さん来とったじゃんか。」 「ありゃ、選挙の作戦会議。ツケだけど、酒の5本6本余分に請求書書けるからね。」そう言うと母はニタニタ笑い、ふと我に帰り、まだ不服そうにたたずんでいるランドセルを追い立てて学校へ送り出した。 小学生も4年生ともなれば、大人の世界が見えてくる。良い事よりも返って悪い事が見えてくる。見えて来だすと自身の中に吐き気に似た嫌悪感が芽生え出し、それは一般的に「反抗期」の始まり、と定義するのだろう。しかしながら本人の思考能力は傍でいうほど成熟しているわけではない。「悪い」ものを「悪い」と思わない大人・社会に自分はどう対処したらよいのか、どう言動したら良いのかわからなくて、不発弾を心の中に溜め込んでいるようなジレンマに漂っているだけなのだ。 私は待ち合わせした同級生たちとボソボソ歩いて行く。 「今日もミエチャンとこ行けるの?」友人が聞いて来る。ん?ウン…私はなんとなく気のない返事をする。 「いいなぁ。あたしも行きたい。ミエチャンとこ、お金持ちだもんねぇ、すごい家だし。」 うん、そうだけどさ。でも…、と言葉を濁す私。「ミエチャン、意地クソ悪いもんねぇ。ホントはキライ…」 本音を言う私に、友人は少し間をおいてから、私の顔を覗き込んでつぶやく。 「いいじゃんか、気にしんで他の子と遊んどったら。ショウちゃんとかマサチャンとかも行くんでしょぉ」 …うん。そりゃそうだけど。 選挙が始まってから毎朝こんな会話をこの友人としている。 「選挙」。これほどに大人が熱狂し一生懸命になるのは一体何故だろう。たった一人の男の為に。ミエチャンのお父さんの為に。 ミエチャンの父は町でも有名な会社の社長さん。田畑しかないこの町で3階建てのビルに住んでいる。1階2階は会社で使っているが3階はミエチャンたちが住んでいる。ミエチャンちへ行くにはエレベーターに乗って行く。ミエチャンはスピッツという犬を家の中に飼っている。犬を家の中で飼うなんて不思議だ。私は犬が嫌いだから傍に来ると逃げ出したくなる。だけど我慢していればミエチャンのお母さんがケーキやクッキーを山盛りに持ってきてくれるので待つしかない。 ミエチャンのお父さんが選挙に出ると決まった途端、母は店をろくに開けもせず、毎日ミエチャンちへ手伝いに行く。ミエチャンちが「センキョジムショ」というところになっているから、そこにはいろんな大人が出入りする。昼間は私も学校に行っているからわからないけど、夕方の様子はデパートに行ったような騒がしさだ。特に夕ごはん時になると大人は益々活気付く。それは寿司やオードブルが長テーブルに並べられ、酒・ビール・洋酒などありとあらゆる飲食物が毎日毎夜並べられるのだ。お腹が減っている私は生唾飲みながら眺めているのだが、少し我慢していればそれらのおこぼれを食べさせてもらえる。おっと、寿司は気を付けなけりゃいけない。わさびが入ってるからね。夜も遅くなってきて、ミエチャンちの大きなテレビも見飽きた頃、母は割烹着姿で迎えに来る。顔が赤らんでいるのは飲んでるせいなのかもしれない。とにかく、呑み放題食べ放題なのだ。だけど今日はちょっと様子が違うようだ。 「お父さんが来とる。はよ帰ろう。」大袈裟に愛嬌振舞いながら男たちの合間を抜けて行く母は何故急いでいるんだろう。 「あんなやくざもんの手伝いなんか行かんでもイイ。選挙は金を使って当選するもんじゃない。おまえ、なんか間違えとらんか?」 父は、私は寝入ったと思っているらしく遠慮なく母を叱咤している。ふすまの向こうの様子が見なくてもよくわかる。 「あそこは兄貴が有名なやくざもんだって知っとるだろうが。そこから流れた金をばら撒いて選挙しとるんじゃ、良心ちゅうもんはないんか。」 母は黙っているが、じきに反論するに決まっている。決まり文句は「生活かかっとるからね。あんたのお金だけじゃ生活できへんよ。」 こんなに意見の違いがあるのに、夫婦とは何故いつまでも夫婦なのだろうか。 私は悪いものを悪いと言う父が大好きだった。家族であって一緒に住めない事情は別としても、反抗期の自分にとって、父の考え方は唯一の光だったような気がする。しかしながら、今もし父がいなくなっても困らない。私は母あってこそ生きていられるのだ。ごはんも学校の道具もみな母が苦慮しながら揃えている事は痛いほどわかっていた。だから、こんな夫婦喧嘩の母の言い分もほとんどが私という存在を大切にするための行動だと納得していたのだ。 父は黙って帰って行った。やはりいつもより無口だったと思う。家を出る時には必ず私の寝顔を眺めてから出掛けるのに、今日はそれがなかった。寂しかった。 統一地方選挙。それは町中あげてのお祭りだった。子供心にそう思って、選挙期間中の1週間を楽しみにしていたものだ。 むかぁし、むかしのお話でした。
April 14, 2003
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♪化粧なんてどぉでもいいと思ってたけれど…♪ と、唄い始めるのは中島みゆきであったが、果たしてどぉでもいいのだろうか。 今日は入園式。お陰さまでおばさんの長男も入園を果たしました。言葉の遅れもなんとかこの日までには間に合い、自分の意志をちゃんと伝えられるようになりました。嬉しいな。楽しいな。 おばさんは久しぶりに着物を着て、新入園児の長男と「もう保育園飽きたよ」とつぶやく在園児の長女を愛車に乗せ、園に向かいます。 おばさんはチーママの時期なぞ、ほんの2年足らずの住み込み生活でしたが、着物を着るとその頃の「粋な」気分が蘇ってなんとなく浮き足立って来るのです。配偶者は冷めた目で「着物着て二人の子供連れて、しかも車の運転もするの?おまけにカメラマンもやるの?やめときなよ、恥ずかしい。」とおっしゃるが、仕事を理由に子供の晴れ姿さえ見に来ない父親こそ恥ずかしいのだぞ。男は外に出りゃ七人の敵がいるというが、今日という日の数時間さえ仕事に費やす程会社はあなたを必要としているのかい?…とゴタクを並べるおばさんはヤッパリ今日はテンションが高いらしい…まぁ、いいや。父親不在なんかおばさんは、子供の頃から慣れている。ふん。 だけど、やっぱ、着物はいいなぁ。足取りも自然と不思議と内股になって、これで片手に三味線持ってたら、そのままお座敷にでれるかしらん。…などとあの頃言ったものなら、あの頃の姉さん方に「10年、いや、30年早いわよ」と叱られそう。 少し本題がそれたのだが、化粧、である。 仲良くして頂いている母親仲間の輪の中に入る。みな綺麗にしている。服でも着物でもやはりきちんとすればみな綺麗な女なのだ。そして綺麗な理由はやっぱり化粧をしている事も理由にあげられる。ファンデーションしかりアイシャドウしかり。 そしてここで面白い会話が繰り広げられる。 「朝、ダンナがまじまじ顔を見て言うのよ。『おい、おまえ、顔になんか付いとるぞ』ってさ。あたし、ごはん粒でもついてんのかと思って鏡見たけど何にもない。よくよく聞いてみるとファンデーション付けたから、ダンナが変に思ったらしいのよ。」 「ふぇ~、バカニシテルゥ。だけど、あたしゃ、ファンデーション持ってないからっさ、実家のおかぁに借りてきちゃったよ。わざわざ買うのもったいないし。」 「うひゃひゃひゃ、そりゃ面白いわぁ。あたしなんか鏡台から独身の頃の化粧道具引っ張り出して並べたのはいいけど、どんな順番で化粧すんだったか忘れちゃって自分の顔に『ぬり絵』してるようなもんだったよ。」 「そうそう、イマドキの化粧の仕方と違うからねぇ、化粧の仕方で年代ばれちゃうもんねぇ。」 「うちなんかさぁ、化粧したあとに朝食食べてたら、子供が『おかあさん、お顔に付いてるお粉、お味噌汁に落ちない?』なんて心配そうに聞いて来るんだもん…ちょっと厚くしすぎたかしら。」 「そうそう、化粧してさぁ出掛けるぞ!って思った途端、子供が『おかぁさん、今日はどこに行くの?この家から出てっちゃうの?パパの事嫌いになったの?』って泣きながら聞いてくるのよぉ。アンタの入園式に行くんだぞ、ってさぁ、笑っちゃうよ。」 これは、実際の所、二人、三人、いや、それ以上の子供を持つ母親にありがちな会話です。 母は強し、と申します。化粧はどぉでもいいと思っているわけじゃないんだけれど、子育てに必死であればあるほど、忘れているのでしょう。そしていつかきっと思い出す時期が必ずあるのです。女なんだもの。
April 9, 2003
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おばさんは生涯の趣味を「油絵」にしたいと思っている。思っているだけでここ7年くらいは筆をとっていないのだが、実は我流で油絵を描く。若い頃からの趣味で育児にキリがつくまでは押入れの一番奥にしまってある道具一式だが、性格的に日本画や水彩画は(やったことはないが)おそらくむかないだろうと思っている。 このおばさんのHPに時々お越し頂いているらしい方が画廊のオーナーをしていらっしゃるようだが、その足跡から時々オークション作品を眺めて楽しむのが最近のおばさんのささやかな楽しみである。こんな普通のおばさんの家庭ではとても手の出るものではないが、考えてみれば、このような自分の気に入った作品が、たとえ自分の描いた作品であっても有名な画家の作品であっても、部屋にひとつ位飾ってあっても別段贅沢ではないような気がするのだが、問題はそれだけの投資が出来る勇気があるかないかで、今日も今日とて自販機で、缶コーヒーを買おうとしてチョイトよそ見をしたはずみに指先から滑り落ちた100円玉を必死になって大雨の中、親子で捜すようでは、まだまだそんな勇気を持てるゆとりなどありゃしないだろう。(結局100円は見つからなかった…クソッ!) 例えばおばさんはこんな作品が台所にあってもいいのじゃないかと思う。 なんで、豆腐を描くんだぁ…と思うだろうケド。 もちろん、これでもいいよ。 うふふふ…堅苦しくなくていいよね。客間に飾る雰囲気の絵ではないかもしれないけど。
April 5, 2003
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「啓蟄」なぞ随分前に終わっているのだが、おばさんちはそろそろ家族各人が飼っている「虫」が満開の桜に誘われて起き出した様だ。 このおばさんは、やたらと朝早く目が覚めるようになる。いくらなんでも3時に起きて家事をするのも憚られるし、うるさがられるだけなのでひたすら5時くらいまで布団の中で寝返りばかりうっている。人間の体温はこういうものなのだろうが、意識が目覚めると身体も目を覚ますのか、体温が上昇してくるのがわかる。そうなるとどうにも布団の中が暑苦しくて居心地が悪いのだが、まぁ、健康な証拠だろう。早起きしたら…そう、おばさんはパソコンなのだ。…一ヶ月に2,3回の日記更新では訪問していただく皆さんに申し訳なく思うこの冬でありました。あぁ~文章書きたい! 配偶者も同じなのか、早くお目覚めのようで、そぉっと起きてそぉっと家の玄関を出て外に出て、駐車場で早朝の喫煙をしているようだ。泥棒か(この時期)変質者かあるいは放火魔かに間違われはしないかと心配しつつも既に「禁煙宣言」してから5年以上のこの状態だ。妻は気付いてない、と今でも思っているのだろうか。まぁ夫婦間の約束なぞシロクロはっきりさせなくても所詮いいのだが…。所詮シロクロ決着できないんだから。 早寝早起きの代名詞たる自信のおばさんちはこうして季節を感じるのであった。 熟睡なぞ出来ない国の家族を思うと胸が痛むのだが…。
April 3, 2003
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こんな事もあるものだ。 彼女は双子の母親だった。 親戚の法事に双子を連れて出席した。夫方の親戚とはいえ、一同が揃い、双子たちをチヤホヤと甲斐甲斐しく遊んでくれていた。そんな一瞬油断が、2歳になる、双子の一人、ミックン(仮名)に襲いかかる。 会席料理の小鍋の沸騰した汁が、鍋をひっくり返したはずみで首元から服と体の間に入り込んだ。大やけどである。首の喉仏あたりから胸のあたりまで。 救急車で運ばれたが、手に負えないと言う事で(なんだそりゃ?)他の病院に運ばれた。救急車を呼んだ時には泣き叫んでいたのだが、次の病院に着いた頃には、当の本人はケロッとして元気で、消毒してもニコニコしている。その笑顔に両親は安堵したのだが、医者いわく「神経まで焼け爛れていますね。かなり深そうです。」かなりのショックと共に両親は、子供のその笑顔に胸を痛めた。やけどの範囲少なく、命に別状ないのだが、その後の診察で「皮膚移植が必要」となり、本人の頭の皮膚から移植する事となった。 日取りも決まり、手術も明後日に控えたある日、ひょっこり公園にあらわれた彼女と双子。「これでとりあえず見納めかな…と思って。」としんみりしている。神経まで到達して痛くも痒くもない、ひどいやけどを胸に抱えたミックンと「あの時アタシがしっかり見ていれば…」と悔やみ続ける母。励ます言葉もありきたり過ぎて、別れ際「うふふ・・・明日この子の頭、坊主になっちゃうのよ。ここから皮膚、取るからね。」と頭をなでられるミックンにおばさんも「がんばれよぉ。」とまた頭を撫でる。 撫でられっぱなしのミックンは訳もわからず、ニンマリと微笑んでいたのだが、彼女とおばさんは同じ心境になったのか、お互いに涙ぐんでしまった。 さて、明日か…とおばさんも心配でカレンダーを見つめる前夜、ケータイメールがミックンの母から届いた。 「今日朝からアーチャン(双子のもう一人)が水疱瘡になっちゃった。だから、ミックンにも移ってる可能性大。とりあえず、明日病院で相談するけど・・・なんで、こうなるんだろ。」 潜伏期間は一週間。一人がかかってれば、当然もう一人もかかってるんだろうなぁ・・・。メールは続いていた。 「ミックンが可哀想。だって、手術のために丸坊主にしちゃったもん。一休さんみたい。」 とりあえず、一週間が過ぎ、それでもまだミックンには水疱瘡の症状は出なかった。出ないなら出ない、出るなら早く出ればいいのに…。他人の子、とは言えおばさんもその双子が不憫に思える。といって、ご主人もいらっしゃる事だから、何と言って余計な大きなお世話でも仕方ない。おばさんがやれることと言えば、ケータイメールで話し相手になってあげることくらいで、しかし、こちらが元気な様子を伝えるのも酷な話題なので、ひたすら聞き手にまわるよう努める。 そんな中、メールが届く。「ミックンは相変わらず、症状なし。ところが、アーチャンが私の家事の隙に、私の鼻炎カプセルを2錠も飲んでしまった。急いで救急病院に行ったが、洗浄不可能ということで(なんだそりゃ?)、今とりあえず入院してる。もう、いやになっちゃう。なんで、こうなるの?」 事件というのは予期せず起こるものだが、いくら子育てが大変とはいえ、こうも続くものなのか? 大事には至らず、翌日退院したものの、母の心労激しく、メールの文章も暗い。おばさんはかける言葉ももう見当たらず、「開き直るしかないねぇ。こうなりゃなんでも来い!だわさ。」と書いて送った文章が返って彼女の励みになったらしく、「全く呆れて叱る気にもならんわ。ウフフ。」と返してきた。 “なんでも来い!”がそれからホントになんでも来てしまって、まもなくミックンは水疱瘡の症状が出、それが治ったと思ったら、今度はアーチャンが胃腸風邪にかかり、部屋中汚物だらけになったとか。 いまだに皮膚移植の手術は果たせず、消毒のための通院は一週間に一回となったのだが、手術の計画も何も進んでいない。 「まぁ、なるようになるね。命に別状ないことばっかりだったし…」 気分転換に誘った平日昼間のお花見。 双子を目の届くところで十分に遊ばせて、満開の桜を見つめて微笑む彼女は誠に美しい、そして強い母親であった。 子育ては大変である。生身の人間を育てるんだもん。
March 31, 2003
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祭日。快晴。 こんな日はまず布団を干す。洗濯物も。これで今日の主婦業は十分に果たされた。 二人の幼児を連れていつもの公園に。なんとなくだるいのでお弁当はさぼる。昼にショッピングセンターに出掛けて中の食堂でラーメンでも食べよう、と心でほくそ笑む。久しぶりの贅沢。最近は長男もお利口さんで食べるから楽になった。 公園はいつもと違い、小学生が遊んでいる。遊具の隅っこで中学生が携帯を無心に見入ったり、あるいはもう一人は、何故かこの屋外でゲーム機とにらめっこしている。 こんな日の幼児達は、小学生にとっては誠にのろい障害物で、中学生には鬱陶しい生き物である。 おばさんはそんな余計な心配をするのがめんどくさくなって、「山へ散歩に行こうか」と突如提案をする。 長女は大喜びし、長男はわけもわからないくせに飛び跳ねる。 向かう目標は山の上の神社。「山」といっても標高なん百というものではなくて、この格好でこの持ち物で、幼児が歩いて行ける山である。 新芽も吹いていない山を歩くのは、落ち葉に足を滑らせないよう気を付ける以外は、考えてみれば今が一番いい時期かもしれない。蛇が出ない、蜂がいない、新緑に覆われていないので細過ぎる山道が確認できる、空が見える。もちろん、「花粉症」の世話になっていないことが大前提であるけれど。 歩く、歩く、歩く。 長女はさすがに山育ちだ。先頭を勇ましく歩いている。身長約105センチ、体重約16キロの隊長さんだ。 長男を真ん中にして、登る、登る、登る。長男が両手を付いて登ろうとするので手を貸してやる。その懸命な姿を見ながら、何故かポケットの携帯電話を確認する。万が一の時はこれがある。 約30分。頂上の神社にたどり着く。そこからは絶景である。おばさんの生まれ育った街並みが見える。傍らで深呼吸しているこの幼児達がこれから育っていく街並みでもある。 帰り道は違う道を通る。なんということはない。裏から行けば山登りだが、その山の表側、つまり国道側は半分削られ、住宅地になっている。山の急斜面に、お行儀良く戸建住宅が並んでいる。どこかのハウジングセンターでもお邪魔しているかのような気分で通り過ごす。国道に出て両手で幼児の手を固く握り、歩道を行く。砂利を積んだダンプが遠慮なく走っていく。これも昔から変わってない。 おばさん親子は車に乗り込み、ショッピングセンターの食堂に向う。空いている。 歩いたせいか、幼児達はいつもよりよく食べている。その分、おばさんも落ち着いて食べられるのだ。ありがたい。 誰かが当たり前みたいに店内のテレビを付けた。テレビからは遠くて音声は聞こえない。 暗い画面に緑色の閃光。なんで緑色なんだろう。 字幕が少し出て状況が理解出来る。 他のお客も手を止めて画面を見つめている。無言で。 「アルジャジーラ」「フセイン」というカタカナ、「家族」「無事」という漢字が遠目からも確認できて何を伝えているのかがわかる。 突然、長男が「やめて」と叫ぶ。何事かと傍らを見ると長女とシナチクの取り合いをしている。なんとかなだめて半分こにして解決させた。 おばさんのいつもの一日。誰がこの幸せを破壊しようとしているのか?
March 21, 2003
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ある寒い寒い冬の日の早朝、彼女は都心のバスに乗っていた。通勤のためではない。とある講習会場に向い、不慣れな、いや、初めての経験と言っても良いだろう「通勤ラッシュ」を体感しながら彼女はバスのつり革をしっかと握りその振動に身を任せていた。田舎育ちの彼女にとっては波のように、塊のように電車、バスへなだれ込む人々が殊更珍しくて仕方なかったが、郷に入っては何とかの通り、開催時間も迫っている事もあり、その「人」の流れの中に競歩とも言える足取りで入っていくしかなかった。 それにしても「土」の見えない都会の冬はどうしてこんなに寒いのだろう。バスが進んでいく道路には真冬らしく、葉のない街路樹が立ち並ぶ。どう見たってアスファルトに木が生えているとしか見えない。これじゃぁ降った雨も散った葉も飛び散る花粉もどこにしみこめば消えていくのかと真面目に考えながら街並みを眺めていた。「花粉症」「花粉アレルギー」がまだ耳新しかったその時期でそんな素朴な疑問がこの現代病の要因そのものを指しているとは彼女はまるで気付かなかった。 目的地までまだ少しある。バスが低速になり、やがてバス停で止まる。乗り口近くに居た彼女にまとわりついていた、バスの中のどんよりとした暖かさを一瞬のうちに取り払い、外気の寒さがまともに入ってきた。彼女は・・・う~さむ。と心で叫び、誰もがするように奥歯を噛み締め寒さをこらえた。そう、誰もがするでしょ、そうやって。 右耳の奥から「プチッ」とかすかな音が聞こえた。かわいい音。外からの音でない、体のどこかからか聞こえてきたはじけるような音。気にも留めない。乗客が早く全部乗ってくれればいいのだ。そうすればまたバスの中は暖かくなる。 バスが走り出し、寒さに硬直していた体の力が徐々に抜けていく。バスの揺れにスムーズに身を任せる。・・・しかし、彼女は体の一部分だけ力が抜け切らない事に気が付いた。自分の意志で力でどうにもならないその部分は、自分の顎だった。 “口が開かない・・・” たぶん目は白黒していたことだろう。顎が動かない。硬く歯を食い縛ったまま、である。彼女は社内でも際立って頑張り屋の方だった。努力もした。学歴不足から馬鹿にされないよう時勢にも遅れないよう新聞には毎日必ず目を通した。そんな彼女が手にしたのは所謂「キャリアウーマン」という代名詞と「女の癖にやり手だ」という意味不明な褒め言葉だった。その事情は確かに自画自賛と言われようが認めてしまおう。それにしてもいっくら歯を食い縛って頑張ってきたとはいえ、ほんとに歯を食い縛ったままになってしまっては喜劇としか言いようがない。どうにもできない口を硬く貝のようにしたまま、彼女は可笑しくて笑い出す。が、声には出来ない。目元だけが目立ち始めた小皺を一層深めて顔の上半分で笑う。全く奇妙な顔つきだろう。それを思うとこれまた笑えてくる。 バスがやがて目的地近くに来た時、さてどうしようかと改めて考えてみる。降り口からトントンと降りる。もたもたしていられない。田舎者に見られない為にはまず早足にならなきゃ。顎は外に出てから考えよう。歩道に冷たい足先をかっこよく包んだパンプスをカツンと下ろす。その「カツン」という振動で顎が「カクン」と動き、口が半開きになる。「あ、治った」そんな独り言と共に顎は普通に戻った。でも少し右耳の前辺りが痛いな・・・。歩道を他の通勤に急ぐ人たちと共に歩いて行く。右手で顎を擦りながら。 とりあえずそれきりで暫くは何と言うこともなく異常はなかった。ちくちくと痛む感じはあったものの、食べる事としゃべる事が出来ればそれで良かったのだ。考えてみれば、異星人は口が退化しているのだから案外それもわかるような気がする。ほんとに仕事の出来る奴は「無言」という、勘とコツに似たテレパシーみたいなのが備わっているのだ。会社で口が必要なのは営業くらいかな。それ以外でお口がよく動くのは「グータラ社員」と言う奴だ。 彼女の所属する会社は田舎の町工場から創立した中堅企業で、当時まさに時代の波に乗り、飛ぶ鳥の勢いであった。しかし、企業とは面白いもので、昔からの慣習をやけに頑なに守り続ける部分があった。ひとつは「残業パン」と言われるもので、夜7時以降も残業する者に対して菓子パンと牛乳が与えられる。誠に慎ましい慣習であった。独身者には絶好の夕食となり、給料泥棒の社員には残業手当稼ぎの絶好のパワー補給となった。もちろん仕方ない残業者の糧にもなっていたのだが、その「残業パン」の注文はその日の毎朝行われるところから観ると、どう考えても昔からやってる行いをおまじないの様に誰も疑問に思わずに繰り返しているだけなのだ。可哀想なのは突発の残業に遭遇した社員で、「残業パン」をうまそうにほおばる常連社員を尻目に早く帰りたくて必死で仕事を片付けながら、腹の虫の音が聞こえてくるのは気の毒としか言いようがない。 彼女もどちらかと言うとその一人で、「出社した時から残業するつもりで仕事やってんじゃねぇよ。」と呟きながらひたすら残業の原因になった書類を片付ける。すると、後ろから呼んでいる。振り返れば同期入社の経理課の彼だ。 「意外と早く片付いたから、俺のパン、食べなよ。」差し出すジャムパンと牛乳の瓶。彼女は実はジャムパンはくどくて好きではない。 「残しといても・・・ほら、あいつがどうせ食べちゃうからさ。」顎で目指した先は、うまそうにパンをほおばっている残業三昧の営業のおっさん。 好きではない等と言えるわけはない。残業している社員にも真実を知っている社員はここにも居たのだという嬉しさの方が先に込み上げる。・・・あ、ありがと・・・・。 彼女は彼を同志のように思い敬意の眼差しを向ける。 じゃぁ、お先に・・・他の社員にも同じく言葉をかけ、静かに彼は帰宅していった。去っていくその後姿に「おっつかれさ~ん。」と大袈裟に大声で送るのは、その、残業三昧の営業のおっさんである。彼女はそれを憎憎しく見つめながらパンの袋を開ける。生唾が口の中に溢れ出る。それを飲み込み、パンにかぶりつく。「ガブッ」と言ったのはいいが、何か変だ。口が開けられない。またもや、顎が開かないのである。それも額関節に針を刺したような痛みが伴う。こりゃまずい・・・。残ったパンをデスクに置き去りにしてトイレに駆け込む。残業時間の女性トイレにはほとんど人の出入りはない。洗面台で顔を見る。口が真一文字に閉じたままだ。・・・いてぇ~よぉ。そう言ったつもりだが、口が開かない不自由さと口の中にイッパイにほおばったパンが入っているのとで何が何だかわからない。仕方がないので、痛さをこらえ、両手の人差し指を前歯の上下に押し込み、無理に開けようと試みる。「ズキン」とくる額関節の痛みに思わずしゃがみこむが、口内の噛まないままのパンを消化するための唾液が歯の隙間から流れ落ちてくる。・・・こりゃやばい。すばやくトイレの個室に駆け込み、とりあえず、痛みに耐えながら深呼吸する。上を向き、唾液を喉の奥へ流し込み、ゴクンと飲む。これと一緒に噛めないパンを喉に詰まらせたら笑い事ではない。以前はちょっとした振動でコロッと治った。よし、と思い、トイレの個室の中で片足でピョンピョン飛ぶ。パンプスのカツンカツンという音が響き渡る。すると徐々に、氷がすぅっと解けるように額関節の力が抜けていった。 それからの彼女は猛然と仕事を片付け、ついでに次の日の午前中の段取りを組み直し、全て午後、あるいは後日へ日程変更する。 明日は医者に行こう。彼女の決意であった。 さて、無事外科にたどり着いた彼女は医師に恥じることなく状況を説明した。ふむふむと聞きながらカルテを作る医師は「額関節炎ですね。」と言い、不意にニヤニヤ笑った・・・様な気がしたのは彼女の思い過ごしだったろうか。「注射で症状は軽くなりますが、また痛んだら来て下さい。」・・・「注射?」額関節が痛いのだ。腕に注射してどうするんだろう・・・。やがて看護婦が医師に差し出したド太い注射を見ても彼女はボ~っと見つめるだけだったが、「はい、ここに痛い方を上にして頭を横に乗せて」と小さな台を差し出されるまで、額関節めがけて、右耳の前を、頭部真横に、献血の時みたいな太い針で、ド太い注射処置が行われるとは思ってもみなかった。 イテェ~、イタタタタタ~、というおよそ女性が発する言葉とは思えない悲鳴と共に処置は終わった。もちろん額関節に注射しているのでしゃべってはいけない。彼女本人はそう叫んでいたのだ。 病院での一連のこの様を、病状も嘘のようにすっかり改善した彼女は事あるごとに面白おかしくしゃべった。「顎がはずれる」というのはよく聞くが「口が開かない」というのはやはり面白く、誰もが腹を抱えて笑った。 そんな話に飽きてきたある日、彼女は同じフロアの男性社員に呼び止められる。 ・・・余計なお世話だけどさぁ・・・言い難そうな彼は一呼吸おいて意を決したように私に告げる。 「顎関節炎って言ってたよなぁ。あれ、あんまり他にしゃべらんほうがええと思うンやけど。」 「顎関節炎ってなぁ、ソープの女の子がよぉなるもんやから。知っててしゃべっとるんなら、ええんやけど。わかる男はわかるもんやから・・・」 その時、医師が不敵に浮かべたあのニタニタ顔を思い出した。 そう告げて申し訳なさそうに行ってしまう彼は社内でも有名な、ムッツリスケベ、ソープマニアの独身社員であった。 あぁ・・・頑張り屋の彼女は歯を食い縛り、努力してここまで辿り着いた。名声など欲しくはない。会社の歯車のひとつでも構わない。ただ、「女の癖に」「女だから」と言われるのがイヤで男性と同じように頑張ってきたつもりだった。しかしながら人間誰しも、たまには力を抜く事も大切なのだとこの事を機に何故か彼女は痛感したのであった。もう、歯を食い縛る事はやめよう、と。 久しぶりに日記を書き終えたぞ。 今もカクンカクンと異音を放つ顎関節でゆっくりと咀嚼し、のんびりと長男と共におやつをほおばるおばさんであった。
March 9, 2003
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「長女のお迎えがあるので私は車で行きますから。」 会員の皆に伝えると、きっかけをつかんだようにおしゃべりをやめ女性たちは福祉センターを出てその店のほうへ歩き出した。ここから歩いても行けるからその店を選んだのだ。 春の近さを思わせる住宅街の道路を皆は闊歩していく。バックミラーでそれをちらりと見た間に既に前方にはその寿司店が見えてきた。立派なビルの店舗。住居も一緒になっていることだろう。屋上の目隠しの向こうで洗濯物が干してある。通りも多いこの交差点に構えている店構えは建ててからかなりの年数は経っているようだが、片田舎の街には十分な、堂々とした老舗の風格があった。 あの時の日本刀はまだこのビルの屋敷のどこかにしまってあるのだろうか。・・・ふと建物を見上げて思う。車から長男を降ろし、「いい?今日は他のオバチャンたちと一緒にごはん食べるんだから、お利口にしてるんだよ。」聞いたか聞かずかキョロキョロしている長男の手を握り、店の入り口に立つ。自動ドアが開く。 ・・・・さぁ、過去と現在の扉を今同時に開けましたわよ・・・・ なんて、時の神がささやくような気がする。悪戯っぽく。 店先に入ると大柄な男が振り返る。白い調理服を着ている。 その顔を見ておばさんは生唾を飲んだ。まさに20数年前、囲っていた芸子さんを寝取られて日本刀持って乗り込んだという、あの社長であった。おばさんの表情は硬くなっていたと思う。・・・あ、あのぉ、お昼に予約の10名ですが・・・・何でしどろもどろに緊張しなければならないのか、自分でも不甲斐なく思いながら、彼の営業的な微笑みに余計に緊張する。「そこの階段上がって下さい。一番奥の座敷です。」・・・はい。と短く答えて階段を上り始める。長男が愛嬌をふりまいたのか「あぁ、かわいいね、ボク。ゆっくり食べておいで・・・。」と彼の声が聞こえる。 やっぱりあの店のドアは時空の扉だ、いきなり鉢合わせするなんて・・・ 宴席といえど女性ばかり昼間の食事だからさして大騒ぎするわけではない。おしゃべりが嫌いなわけではないが、長男が座敷で走り回っているのが気になって仕方ない。他に二階の客は居ないが、障子のひとつ、花瓶のひとつ、どうにかしてからでは「子供のした事だから・・・」と言い返すわけにもいかない。頃合を見計らいお先に失礼する。 ふんばり、帰る事を拒む長男を抱え込んで階下へ降りる。当然ながら泣き叫んでいる。まるで誘拐犯のようである。おばさんは構わず、平然とした顔つきで「ごちそうさま~」と言って店を出る。厨房の奥から「ありがとうございました~」と男の声がする。が、社長の声ではないようだ。まぁ、いい。どうでもいいのだ。・・・そう言い聞かせて駐車場へ出ると、あの社長が何故か背筋を伸ばして手を伸ばして体操をしている。泣き喚く長男を車に押し込む。心配そうにこちらを見つめているのが背中でわかる。ほんの2、3m程の距離である。 「どうかなさったかね?」太い声が話し掛けて来る。・・・あぁ、社長、いや、あの頃は“大将”と呼んでいましたね。大将、お久しぶりで。相変わらず、お元気そうで何より。その声もあの頃のままですねぇ・・・ 「い、いえ、子供が帰りたくないと言って聞かないもんですから。」・・・この顔、覚えてるわけはありませんよね。よく大将からチップを頂きましたよ。だけど、あの頃は和歌奴ねぇさんにゾッコンの頃だったでしょう?私のようなネンネは視野に入っていませんでしたからね・・・ 「はっはっは・・・大変ですね。ボク、またおいでよ。」ふっくらとした大きな手が長男に向って振られる。長男は涙も鼻水も一緒になりながら社長の方を見つめている。 荷物を後部座席へ放り込み勢い良く、いや荒々しく後部ドアを閉める。エンジンをかける。その音で泣き喚く声も少し静かになった。 「ありがとうございました。」大将は車に乗り込む私に景気良く声を掛ける。 運転席に乗り込み、この時初めて彼の風貌をまじまじと眺める。腹は昔より出っ張った感じだ。しかしながらその顔つきは、今も現役、と言わんばかりのぎらぎらした精悍さがみなぎっている。こんな大男が日本刀持って押し入ってきたら、一般人なら今でも驚くに違いない。 ・・・あれから20数年も経つのだぞ。何故あなたは歳を取らないのだ・・・自分だけが歳を取ったような気分になり、動揺してくる。 まだ春遠い冷たい風が頬をなで、車内に入り込んでくる。長男に手を振り続ける社長に何か言わなくては・・・。 「・・・ごちそうさま。おいしかった。また来ます。」精一杯の社交辞令。 「はいよ~。またおいでね~。ありがと~。」社長は私を見てこれまた営業スマイル。 ・・・ホントに私のこの顔、覚えてないのね。そりゃそうね、あの頃ドギツイ化粧してたから・・・。 「うふふ、大将、アタシの事忘れたの?いやぁね。カウンターでころころ笑ってたでしょ、覚えてな~い?」この再会がもう10年も早かったらこんな風に馴れ馴れしく話し掛けていた事だろう。だけどそんな話など堅気の奥さんがするもんじゃない、と今の自分がブレーキを掛ける。少しは大人になったかな・・・。臆病とも言うけど。 フットブレーキをはずし、アクセルを踏めば、車も少ない平日昼間の本通り。信号も青。ルームミラーに目をやると、また体操を始めている。この交差点を曲がればもう店は見えない。また来る事もあるだろうか。あったとしてもこの心の動揺はもう起こる事はないだろう。 諦め切れずまだグチュグチュとぐずって泣いている長男をなだめながら家路を急ぐ。急ぐ理由もないのだが、アクセルを踏む足に力がこもっている。 坂下さんはあの後調理師会から名前をはずされた。つまり、和歌奴さんの店でそのままずっと働く、という状況を意味していた。もし和歌奴さんと別れても、もう二度とこの界隈の板場としては雇ってもらえない。離婚もせず、かつての売れっ子芸者「和歌奴」さんと一緒に、現在も同じ店で働いている。「働いている」という表現は今となっては相応しくないだろうか。二人で経営しているのだから。 「時間」というのは単純に回っているだけのようだけれどかなり複雑で、「記憶」を作り、「思い出」を織り重ねていく。破れた恋を忘れるためには新しい恋をするのが良いのと同じで、「記憶」の上に「記憶」を重ねればそれで「思い出」変わるような気がする。しかし、チーママ時代の「記憶」はそれ以上重ねる「記憶」はない。年老いた、現役を退いた、あるいはボケの始まった社長を見たいはずだったのに、腹が出ただけのあのままの社長がそこに居るとは驚きであった。ただ時間は移ろいだだけなのか。 おばさんは単に「記憶」を思い留めておきたくてこの日記を書いているのではないと最近気が付いた。おそらく、ここに書くことで区切りを付けたいのだ。もし楽天が震災でサーバーこけて復帰不可能となっても、嘆く事はしないだろう。パソコンの向こうに広がるネットの彼方へどうにも出来ない「記憶」を、「思い出」にも出来ない執着や怨念を、全て葬り去りたいのだ。 馬鹿は死ななきゃ治らない、「記憶」も「思い出」も死ななきゃ消滅しない、んだろうなぁ・・・。
February 18, 2003
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和歌奴さんには当然の事ながらスポンサーが居た。いくら売れっ子の芸者さんだからといっても女一人で自分の店を出すにはかなりの資金が要る。隣町のすし屋の大将がソレで、何度かカウンターに来た事のあるので知らない顔ではなかった。和歌奴さんの店は開店から順調な客足で、こちらのお客があっちに回ってしまったかと思うくらいの盛況振りだった。それもそのダンナの宣伝振りもあったからで、ダンナが堅気であるからこその所以かもしれない。 坂下さんというのは、和歌奴さんの店に板長が世話をした中堅の板前さんで、関東方面からやってきたいわば出稼ぎ板さんだった。もちろん妻子は関東の家に暮らしており、月2回くらい帰ってたかなぁ・・・。 「寝取る」という表現だから、この三者の間の「一悶着」なんだろう。板長の話はテレビの番組でも見ているような内容だった。 夜な夜な板長の家に電話が入った。「おやっさん、助けてくれ。殺される。」声の主は坂下さんで、どこか路上の公衆電話から掛けて来たらしい。その頃、携帯電話などない時代だったから、逃げ惑いながらありったけの小銭で坂下さんは状況を話したという。 夜、店を閉めて暖簾を入れたところへ和歌奴のダンナが現れた。顔は高潮し怒り露わのダンナの出で立ちは右手に日本刀。それを握る拳にはしっかりと晒しが巻きつけられ、眩しく怪しく輝く日本刀と共にダンナは体ごと凶器となっていた。逃げ惑う二人、割れるグラス、毎日溢れんばかりの客で埋まっていた店内は、悲鳴と叫びでほとんどの物が壊れた。それがどれ位の時間かはわからない。裏口から這い出た和歌奴と坂下さんは逃げ惑いながら板長に電話したのだ。不思議とダンナは追っかけて来なかった。破壊された、いや、自ら破壊しつくした店内で独り残されたダンナが何をしていたのかはわからない。隣の喫茶店のマスターが呼んだ警察官が店内に入った時には既に誰もいなかったという。喫茶店のマスターはバツの悪さに「気のせいでしょうか・・・」と笑ったそうだが、気のせいにしては店内の荒れ様に警察官も「酔っ払いの喧嘩でしょうか・・・」と話はそれで終わってしまった。たぶん、店内が血の海だったらそんな流暢な場合ではなかったろうが、深夜に差し掛かったこの町でそんな残忍な事件も起こりはしないと喫茶店のマスターも勝手な想像を打ち消したそうな。 変に感心してしまったのは板長の対応で、散々の思いで電話をしてきた坂下さんに「ホントに和歌奴と出来とるんか?」それを確認した上で一言「寝取るオマエが悪いんとちゃうか。殺されて当たり前やで。」 とりあえず、暫く店へは行かない事、当然ながら店は閉める事、店内の片付けは引き受けた事を簡潔に言う。最後に板長は聞いてみる。「和歌奴は今一緒なんか?」はい、と答える坂下さんに「和歌奴とは一緒におったらあかん、あいつはあいつで別の場所でしばらく隠れとった方がえぇわ。」言われた坂下さんはダンナが追っかけてきた時の気遣いかと思ったらしいが、板長は冷たく「・・・おまえらも頭冷やさんとな。」 板長はさっそく他の板さんが寝泊りするアパートへ出掛けた。深夜に叩き起こされた板さんたちは板長の運転する車に乗り込み、和歌奴さんの店に向った。まず、警察がいないことを確かめる事(事件にしたくない、関わりたくない)、店内に入ったら大声でダンナの存在を確かめる事(間違えて殺されては困るから)、あとは荒れた店内を片付ける事などが車内で板長の指示によりまとまったらしい。 事件にならなかったのはこうした周りの思慮と配慮の賜物で、幸いだったのが火が付けっぱなしの油鍋が火災を起こさなかった事も要因のひとつだった。火加減を常に一定に保つ、という板場稼業の鉄則の成果でもあったのだ。 「おい、出前、さめてしまうで。」・・・板長のおしゃべりを切るように、「おやっさん、ええ加減にやめぇや。」とでも言いた気に二番手の板さんが私を睨む。 は~い、と答える私はたぶん、二番手板さんの意地悪さに口を尖らせていただろう。 徹夜で店内の片付けをした板前さんたちはその日の昼休憩に皆昼寝をしていた。珍しい。パチンコ行かない日があるなんて・・・。しかし、板長だけは姿がなかった。そして昼休憩が終わり、夜の営業時間が始まっても来なかった。女将が二番手板さんに尋ねると、昼から休みを取ったらしい。ふん、楽な身分ね、と言わんばかりに鼻をならして女将は奥に消えた。 後になってわかったことだが、その頃板長は和歌奴のダンナに話をしに行っていた。どんなやりとりがあったかはわからない。それだけはおしゃべりな板長も話してくれなかった。今で言うプライバシーが板長なりに、そこで線引きされていたんだろう。 その後坂下さんは遠くに残した妻とは離婚もせず、しかし帰宅するわけでなく、おしどり夫婦さながらに和歌奴さんと店を続けた。現在もおそらくやっていることだろう。つまり、あのダンナと和歌奴さんは別れたことになるのかな。 この「記憶」が先日、やっとのことで「思い出」に変わる瞬間に出会えた。 おばさんは手話サークルの交流会でそのダンナのすし屋に初めて行く事になったのだ。 初めおばさんはその店の名を聞いた時、行きたくないな、と思った。今更過去の記憶を駄目押しするみたいにダンナの顔を見たって面白くもない。向こうだってこんなおばさんを見てあの店に居た女の子だ、と気付くわけもない。この「記憶」は人生経験豊かな板長の素晴らしい采配で一件落着したのだと思いたかったのだ。 いや、こうも考えた。あれから随分経っている・・・そう二十数年・・・。もしかしたらあのダンナ、もうくたばってるかもしれないな・・・。だったら、別に拘らず、日頃の勉強仲間と楽しく食事すればいいさ。別にアタシが悪い事したわけじゃない。過去の「記憶」にアタシが縛られる事はないさ、と。 結局、後者を選んだおばさんは長男同伴で手話仲間と連れ立ってその日を迎えた。
February 14, 2003
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「思い出」というのはいつの頃を過ぎたらそう呼ぶのだろう。「記憶」というのはどれくらい経てば「思い出」に変わっていくのだろうか。「過去」の事を「思い出す」度、おばさんはその「記憶」のあまりの鮮明さに怖れながら苛まれながら、あるいは自嘲しながら薄笑いを浮かべながら、その場面場面を懺悔したりいとおしく思ったりするのだ・・・・。 その日の朝はいつもと違っていた。住み込み先の部屋からいつも通り店に顔を出した。厨房には見習い板さんだけが開店前の支度に慌てふためいていた。 「みんなどうしたん?」 見習い板さんは鬱陶しそうにチラッとこちらを見て何も答えずに背を向けた。・・・ふん、相変わらず無愛想ね、あの子。アタシより年下の癖に・・・。たぶん口を尖らせていただろう私に女将が後ろから小声でささやいた。 「昨日、和歌奴(仮名)さんトコの店で一悶着あったらしいヨ」へぇ~・・・・和歌奴さん・・・か。和歌奴さんはこの辺りでもやり手の芸子さんで、高卒後、OLを半年くらいやってはみたが結局この世界に憧れて飛び込んだらしい。芸達者で、器量は良くないが、若さもあったせいか、常連の座敷では大概お呼びがかかっていた。私の任された店にもよく顔を出していたので知らない顔でもない。ある時期、頻繁に和歌奴さんが店に通って来た。こりゃなんかあるなとは思っていたが、ある閉店前の晩、現れて板長に「ちょっと相談ごとがあるんだけど・・・」。鼻の下伸ばした板長は「えぇでぇ。ほな今から行こか。」と身支度整える。キョトンとする私を尻目に「あと頼むでぇ」と店からさっさと出て行ってしまった。またかいな・・・と言わんばかりの溜息をつく二番手の板さんは私に苦笑いをする。まぁ仕方ない、板長の言うことだからね。暖簾をしまい、フロアを掃きながら、少し浮き足加減の板長の後姿を思い出していると焼き手の板さんが二番手の板さんに話し掛ける。「和歌奴さん、店出したいらしいからその相談ちゃいますかぁ?おやっさん、誰か世話するんでしょうかねぇ。」うん、と頷くだけの二番手の板さんだったので、その話はそれで終わってしまった。手を止めて聞いていた私に二番手の板さんは「こら、はよ片付けんか。大人の話を盗み聞きしたらあかんで。」とやたら子供扱いする。その時もやはりわたしは口を尖らせていたんだろう。そりゃそうかもしれない。その頃私はまだ18で、化粧の仕方も着こなしも野暮極まりなく、まさに田舎者まるだしだったから。そんなネンネが店を任されて、関西の一流の料亭ばかりで修行し、花街の垢抜けたオンナばかりを見てきた板前さん達と一緒に仕事をしていること自体が因果といえばそうだったかもしれない。 ともあれ、女将の言った「一悶着」が一体何なのか、どんな意味なのか想像もつかない。 開店前10分前頃に気を揉む女将に「いやぁ~、なんとか間に合ったなぁ。焦った、焦った。」とやけに明るく微笑んで店のカウンターに入ってきた板長。「一悶着」がかなり悪い状況であることはその板長の態度が示していた。仏頂面が当たり前の板長がこんなに明るくしかも女将に愛想笑いまでするのは、給料日と仕事が終わった後に飲みに行く時くらいだ。気味の悪さまで感じながら、女将を始め厨房で働く皿洗いのおばちゃんが、いや、お座敷の仲居さん達までもが板長が「一悶着」の報告するのを待っていた。私は固い表情のままの他の板さんたちとカウンターの方に出なくてはならない。もう開店の時間だ。私は仕方なくカウンターに出て行った。 その日の昼も随分と忙しかった。向いのうどん屋が定休日の日は必ず混み合う。あっという間に3時間が終わり、暖簾を入れて昼休憩の時間になる。あと出前を一件済ませてから私の休憩時間は始まる。出前の分が出来上がるまでやることもなく、醤油瓶の位置を整えたり、茶殻を捨てに行ったりして待っていた。 そこへ板長がブラブラとやってくる。またパチンコかな・・・。女将に体裁が悪い時はいつも店の出入り口から出掛ける。そんな事を考えながら見て見ぬ振りをしていると、「おまえも気ぃ付けや。悪い男に引っかかったらあかんでぇ。」と話し掛けて来た。何のことかわからず、怪訝な顔をする私に板長は「坂下(仮名)の奴、和歌奴寝取る事しやがって。かなんわ、まったく・・・」と手で頭をバリバリかく。・・・寝取る?・・・たぶん私はそう言ったと思う。この私の言葉がきっかけで、板長は一気に昨夜の「一悶着」の説明を始めた。
February 13, 2003
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温泉、あぁ・・・この言葉を聞くだけで心の奥底から温まるようなそんな感じを受ける。 が、しかし、である。最近、おばさんは世の多くのオバサン方に提言したい。温泉でのマナーが失われつつあるぞ、と。 当然の事ながらおばさんは女湯しか入った事ないけど、「あぁ、ここでもか・・・」とウンザリするのである。 温泉の浴場に並ぶ体を洗う場所に平然と場所取りがしてある。これは断じて許せない。 今日も今日とて出掛けた温泉浴場内には全部で20ほどの洗う場所が設置してあった。幼児を連れたおばさんは、世間知らずの幼児の行いが予測できているのでなるべくはじっこの場所に座りたい。長男がシャワーを振りまいた日にゃ両隣のどなたかに迷惑なのは目に見えているのだ。しかし、洗面器にはなみなみと湯が入り、そこには個人のタオルがザッブ~ンと浸かっており、そこに不在の持ち主の代理の如く、洗面器の浴槽でタオルが入浴してござる。鏡の前にはクレンジング・マッサージクリーム・洗顔クリームと順に並んでおり、そこに不在の持ち主の屋敷の洗面所で、さっきまで他の多くの化粧品と並んでいたかのような並び順で鎮座ましましていらっしゃる。 いかにも「ここはアタシの場所なのよ。だから、アンタはよその場所で頭洗いなさい。」と訴えながら場所取りしている。 この排除感はどこかほかの場所でも味わった事がある・・・あ、そうそう。チーママ時代、昼間の休憩時間にやることがなく、パチンコに通った時期があった。相変わらず混み合う店内。こんな真昼間からなんでこんな暇な奴等がそろってるんだと考えながら空いた台を捜し店内をうろつく。遠目に見つけた空いた席。小走りに近寄ると台にはセブンスターが何気なく置いてある。灰皿には消してもいないタバコが、周りの狂騒めいた雰囲気とは裏腹にのんびりと煙を伸ばし伸ばししている・・・。小学校の頃、母に連れられて入ったパチンコ屋で気まぐれに座ろうとした私に向って母は服を引っ張って叱咤した。「ここは座るんじゃないよ、見てご覧」と言った視線の先には同じくまだ数本入ったタバコが置いてあり、灰皿からはつぶしたタバコが汚らしく灰を撒き散らしていた。まもなく、その台の列の影から、前のチャックを閉めながら、のっそり現れた雪駄履きのオジサンがやってきた。「目を合わすんじゃないよ」と母に耳打ちされながら、訳もわからなかったけど、子供心に恐かったっけ。 まぁ、それはともかく・・・憤慨したおばさんは幼児の手を引っ張りながら、他の場所へ移ろうとするが他でも同じく、個人タオルで洗面器取り、鏡前の化粧品の陳列、シャワーの頭は蛇口に引っ掛けたまま、おまけにここには汚らしいブラシまで横に置いてある。 これでこの地区ではわりかし上級の温泉旅館が敷地内で開放している温泉風呂だから、旅館側ももっと管理の目を向けなければ質は下がるばかりだろう。これでは銭湯と変わらない。場所取りしているお客が「銭湯」感覚だからいけないのか? さて、おばさんは結局どうしたかというと、かなり意固地といえばそうなのだが、湯船につかったタオル入り洗面器をススッと横にずらし、目の前で行列する化粧品を無視し、そこに座る。周りの状況を見ればこれは致し方ないのである。がらすきならともかく、皆洗う場所がなく混みあっているのだ。少しの勇気を出せば、座った方が有利である。「ここはアタシの場所だからどいてよ」とわざわざ言いに来るオバサンもおらんだろう・・・。イマドキどこでも温泉の入り口には「刺青の方お断り」って書いてあるし・・・まさか綺麗な墨入れたオバサンが凄んでくる事もない・・・と思うけど。と、考えながら手早く体を洗う・・・あぁ~気持ちいいな~。長男は案の定シャワーで遊んでいる。「あめ、あめでしゅ~」と名曲「雨に唄えば」を連想させるが如くの楽しさである。人の目もありやりたい放題でも困るので、早々に立ち上がり、浴槽に向う。湯船に浸かり、長男とのんびりする。横目で観察していると、不在のはずの持ち主が、のそのそとその巨体を現した。誠に不快な表情で、おばさんのどかしたタオル入り洗面器を元の場所に戻し、並んだ化粧品を検査し、仲間らしきオバサン方に目で合図する。「ふん、一見客が、生意気な。」てな感じか? 大抵はこうゆう事がなせるのは、ほぼ毎日、あるいは毎週、同じ時間に同じメンバーでやって来る常連の客だろう。でなければ、マナーも遠くのお空に飛んで行ったこんな所業は出来る訳はない。遠山の金さんが成敗するなら、「おいおいおい、てめえらぁ、この桜吹雪がちゃぁ~んとおみとぉしだぁ」と叫ぶところだが、やはりここは刺青ご法度の公衆の温泉浴場、おまけに女湯ときているから、あくまで個人のマナーの域から出られないのである。
February 2, 2003
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おばさんは今日もいつものように誠に簡単な弁当を持って幼児達と一緒に公園へ出掛ける。 お昼。いつものように公園の管理事務所内のベンチで弁当をほおばる。 なんとなしにすぐ目の前にある事務所の受付を眺めていた。 二人の子供を連れた夫婦。持っている紙を事務所の人に見せ、指差している。事務所の人達は一瞬表情が強張る。夫婦は無言である。手にした紙を指差して、視線は事務所の人達をじっとみている。 事務所から飛び出て来た顔馴染みの事務員さんが、おばさんに向っておいで、おいで、来て来て、と手招きする。 うむ、たぶんそうなんだろう。聾唖者の夫婦だ。 「手話できるんだったよね~」事務員さんがすがるように見つめる。・・・だけど健聴者の事務所の人たちは、筆談とか身振り手振りでなんとか会話しようとなんで思わないんだろう。手話だけが会話の手段じゃないんだよ・・・。 事務員さんのお願いに、うん、と頷いておばさんはその夫婦に話しかけてみる。夫婦の表情が一瞬に和らぐ。良かった、話が出来そうだ。 用件は難しい事でなかった。道を教えて欲しかったのだ。 ・・・じゃぁ、気を付けて!おばさんは夫婦を見送る。子供の手をつなぎ、歩いていく。子供が振り返り、このおばさんに手を振ってくれた。両手を振ってまた見送る。 聾唖者と会話する時、何に気を付けたら良いか、こういう場面に偶然遭遇した時、いつも考える。 私的な考えだが、あまりざわざわと大騒ぎにしたくない。この人たちはろう者なんですと誇張しんばかりの手話、「私は手話が出来るのよ」という健聴者の驕りの上に乗っかった手話ではいけないと思うのだ。相手の困っている事を的確に掴み、簡潔に対応したい。といっても人との会話なのだから事務的でも愛想がないし、礼儀も必要だ。 そしてもうひとつ。 それらが一件落着したあと、何気なくささっと立ち去りたい。必ず周りの健聴者は「わぁ~すごい、手話が出来るんだぁ。」「いつから習ってるの?」「今なんて話してたの?」「手話って難しいの?」と、賛美賞賛の嵐をあびせてくれる。しかしながら本来は、今回のように「にわか」通訳したとしても、通訳者たるもの、褒めていただく必要はない。ささっとその場から消え失せるのが真の姿だと思う。近年、「手話」がもてはやされ、「英会話」の如くに「これが出来たら人間の価値が上がる」ように扱われている。悲しいことに「手話」が流行りもの、健聴者の趣味の域に入ってしまってからは、通訳終了後健聴者からの賞賛の嵐のド真ん中で、鼻高々に微笑む通訳者が少なくない現状らしい。通訳者は聾唖者から「ありがとう」と一言言われればそれでその役目は十分に果たしている。それでいい。それだけでいいのだ。 「手話通訳」に携わる人々は多い。しかし、聾唖者から信頼される「通訳者」は少ないのである。 「にわか」通訳を果たしたおばさんは、表情は冷静にその場から立ち去る。しかしホントは胸中穏やかではない。大丈夫かな・・・わかってもらえたかな・・・あん時、単語が出てこんかったし・・あぁ、まだまだ未熟もんだなぁ・・・、もっと勉強せんとあかんなぁ・・・もう一回今の場面やり直せたらこう表現するのになぁ・・・などと後悔している。ほんとにまだまだ勉強が足りない。・・・幼児達が弁当を食べずにリュックの中のお菓子を散らかし食べているのを珍しく叱りもせず、幼児達の横に座り、食べかけのおにぎりをまたほおばる。 今の一連の場面を再度思い返しながら、手話表現をやってみる。あまりの一生懸命さに幼児達が不機嫌になる。あんまり煩いので「はよ、おにぎり食べんか、こら。」と叱り返す。近くに居た親子が白い目でおばさんを見つめる。人前で叱られた幼児達は萎縮してますます不機嫌になる。簡単にいうと、すねている。 う~む、おばさんは手話の上達も大切だが、子育てももっと上手になるべきかもしれない。
January 25, 2003
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新年の初売りに配偶者が「春財布」を自費購入した。ほくほく顔で包みを見せて「ほぅら~、初春に買う財布は縁起がいいからね~。」と見せびらかす。おばさんは特別興味も無く、おばさんの財布から払ったわけでもないので、「へぇ~良かったね。」と流した。自分の小遣いで買う気になったんだから別段とやかく文句をいうわけでもないが、そんな余裕があるんだったら、妻に洒落たべべの一枚でも買ってくれよ・・・と考えながら婦人服売り場の横を通り過ぎる。ホントは悔しいおばさんは「いくらしたの?」とまた話題をもどして話し掛ける。「2,900円。」安いよね~・・・などとニコニコしている。フン、そんな値段で安いなどとアンタ買い物のトウシロだね。などと考えるおばさん。他人の嬉しそうな顔を見るとなんでこんなに腹が立つのか。いや、別に腹を立ててるわけでもないのだが。やっぱり悔しいのだ。「ねぇ、アタシにも何か買ってぇ~ん。」とおねだりすればいいのに、それが言えない。素直じゃないおばさん・・・。 帰宅して配偶者はさっそく財布の交換作業を行う。黒の革財布、二つ折り。タグを切り、小銭入れのポケットを覗いている。カード入れに何気なく、指を突っ込む。 「ビリリッ」カード入れのポケットの縫製部分が破ける。 「あ~」配偶者は残念な、誠に悔しそうな表情をする。小走りにおばさんの所に走って来て、「や、やぶけちゃった・・・」その顔つきは今にも泣きそうである。処女膜じゃないんだから、そうそう簡単に破けるもんでもなさそうだが、見事にビリビリっと破けた。 「ふぅん。」おばさんはごく冷静に、いや冷たく眺める。 「ど、どうしよう。」どうしようって言ったって、・・・男ってどうしてこんな日常的な出来事の対処方法が思い付かず、困り果てるのか。いつも行ってるデパートなんだもん。 「レシートは?タグは捨てないでね。」事務的に言い放つおばさんに配偶者は只オロオロと捜しまくり、手に握って立ちすくむ。 「あったよ。レシートも捨ててなかった。」 おばさんはレシートと現物片手に受話器を手にする。「あ、もしもし。すみませ~ん、さっきそちらの財布売り場で男物の財布を買ったんですけど~・・・」 話は5分もかからない。お客から売り場へ電話が掛かれば、大概の店員も用件の察しがついている。 レシートとタグを大事に不良品の財布へ挟みこみ、袋に入れ直す。 「どうだった?」・・・どうだった?とは失礼な。交換だよ、交換。買うときはね、よ~く見て触って撫で回して、それで決心したら買うんだよ。・・・などとは言わない。配偶者の自尊心を傷付けてもいけない。 「交換してくれるって。また行かなきゃ行けないけど。1ヶ月以内には行きますって言っといた。」 「あ~良かった。」ひどいよな・・・せっかく自腹で買ったのに・・・配偶者はホントに悔しそうであるが安堵の表情もありありと窺える。 ・・・その前にこの私に「お手数掛けたね。ありがとう。」位の言葉言えよな。 そんなこんなで今日、その財布を売り場に持って行き、交換してきた。 売り場を見渡す。もう正月の雰囲気はどこにもなく、少しずつ近づく「春」に向って売り場もそろそろ変化しつつある。 僅かなスペースに財布が並んでいる。交換すべく新しい財布を物色する配偶者の表情に若干の不快感が漂っている。おばさんはその理由を並べられた商品を見て理解出来た。そんな顔つきをしながら配偶者は辺り構わず、触って、撫でて、指突っ込んで、引っ張ったり、覗いてみたりしながらお気に入りを捜している。 電話で話をした責任者が低姿勢で現れる。こうゆう話をする時はぼろい服を着ていてはなめられる。きちんとした格好で来て良かった。いくら両手にハナタレ幼児を連れた母親でも、服一枚の違いで心の中を見透かされたような態度をされては新年早々不快極まりないからね。 配偶者の気に入った財布を差し出し、レジへ。 こうして「新年春財布ビリッと事件・・・中年紳士が自腹で買った牛革財布の行方は如何に?!」は無事解決した。 おばさんはさっきの配偶者の不快な顔つきを思い出しからかいだす。 「今日の財布売り場の商品、いい商品が多かったねぇ。」 「み~んな、お手頃値段ばっかりであれなら新年だし、買ってみようかなって気になるよねぇ。」 「千円とか2千円でいい財布買えたじゃな~い。今日来て良かったわよ~。」 「あの時の商品ってみんな三千円以上ばっかりだったもんね~、確か。」 おばさんは思い出したようにポケットから千円札一枚と50円玉一枚を配偶者に渡す。「あ、これ返金分ね。」 「正月だから、縁起がいいから、って結構勢いで買っちゃうのよね~。」 高らかに笑う妻を横目に、配偶者は返金分1,050円を大事そうにポケットに押し込むのであった。
January 19, 2003
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「つわり」。・・・これを説明するのにどうしたらいいか?独身女性、あるいは男性に対して何に例えたら理解してもらえるのか?おばさんは考えてみる。 手っ取り早いのが「二日酔い」だろうか。 ・・・そう、あなたがもぅど~しようもなく二日酔いの朝である、とする。床から頭をもたげ、ベットからあるいは布団から出ようとする途端、重力の変化が血圧を左右しているかのような、めまいと共に吐き気がする。ブヘェッ・・・。ゲップとも吐き気とも取れる生臭い息が胃の奥底から排出される。 ・・・そして貴方は寝室を出て階下へ降りていく。リビングでは既に家族が朝食を食べている。目玉焼きの油臭さ、トーストの香ばしい焼具合、その上でマーガリンがトロンと溶け出している。そんな全ての状況が二日酔いの貴方を攻撃する。ゲホッ・・・、家族の前で吐くわけにもいかず、貴方はトイレに突進する。 ・・・気を取り直した貴方は朝食は後にして顔を洗いに洗面所に立つ。生気の無い顔。青白い顔というのか、客の来ない魚屋でもこんな色の悪い目をした魚はいないだろう。顔を洗おうとかがんだ瞬間、ゲェッフ・・・。何が出てくるといおう訳でもないが、何か出てきそうで思わず上体を起こす。こんな状態で歯ブラシを銜えようものなら、胃も腸も口から吹き出てきそうで、歯磨きをする気にもならない。 ・・・とりあえず、職場へ向い、なんとなく時間が過ぎる。はたから見ても「二日酔い」だとわかるだろうか。いやいや元々日頃の仕事振りがパッとしないとしたら皆は気付かないだろうが、第一アルコール臭いからわかるだろう。向かいのデスクの女の子、そういやぁさっきいやぁな顔して鼻をクンクンさせてたな。ふん、もう昼だ。飯食いに行こう。 ・・・社員食堂はごった返している。とにかくなにか腹に押し込もう。食券買うのに前に並んだ女子社員の香水の臭い、きついなぁ。TPOを考えろよ・・・オェップ・・・まずいまずい、こんなとこで粗相したら一生の恥さらしだよ。なんとなく、近くのテーブルに座っている同僚のメニューを見る。天ぷらうどん。ゲェホッホッホ・・・あ~やばい。冷麦あたりでいいよ、今日は。冬なんかないかそんなメニュー。 おばさんもこうして日記を書いているうちに、だんだん「二日酔い」の気分になってきてしまった。食事前の方、食事終了直後の方、あるいはホントの「二日酔い」の方、ごめんなさい。 「つわり」は経験してみないと実際わからない。「つわり」が原因で入院する妊婦さんも実際いる。「つわり」は女性が「母」になるための入り口なのだ。「母」になることは女性にかなりのリスクを背負わす。社会的にもその女性の人生においても。そして昔も現代も・・・。しかしながら「母」になることは男性には到底解らぬ「母性」への目覚めでもある。「母」と子は切っても切れない絆で結ばれるのだ。 戦争を知らないでこんな事をいうのは憚られるが、よく日本の戦争映画で死に間際に兵隊さんが、「おかぁさん・・・」と呟いたり叫んだりする。しかし「おと~さ~ん」と叫んで死んでいったり、敵機に突っ込む特攻兵はいない。あのNHKでも「おかあさんといっしょ」はチョー長寿番組だし、あれが「おとーさんといっしょ」ではなんとなくしまりがない。まぁせいぜい「ピタゴラスイッチ」で♪おと~さん、おと~さ~ん、ボクのおと~さ~ん♪とヨイショされている位がイマドキだろう。でもまぁ、男性の育児参加を推奨したいのは当然であるが。 ここまで読んで誤解されても困るが、このおばさんが「つわり」に悩まされているわけではない。そんな行為はここしばらく心当たりが無いぞ、配偶者よ。うっひゃっひゃっひゃ・・・。 おっと、笑い事ではない。「つわり」に苦しむドリドリクマさんに今日の日記を贈ります。 懐妊おめでとう。貴方の費やした日々は決して無駄にはならない。「母」になるためのほんのステップ。「つわり」の辛さなぞあの頃と比べたら屁のカッパ。どうかお体大切に、もっともっと幸せにな~れ。
January 12, 2003
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おぉ、すげぇ。この三が日でおばさんのHpへのアクセス数はなんと連続9ですよ。一日9アクセス。2日9アクセス。3日も9アクセス。これが「8」なら末広がりで縁起もいいだろうけど・・・・。
January 3, 2003
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新年の朝、なんと静かな朝だろうか。朝の5時。普通ならダンプが我先にと国道を突っ走っていく時間だが。育児に没頭するおばさんには晦日も正月もさほど違いの無い毎日で、結局除夜の鐘も幼児たちと一緒に大口開けて寝込んでしまった。呑気といえばそうだし、無頓着といえばそうなんだろう。まぁいいや。田舎をはしる国道は車が一台も無くて、雀やら百舌の声が響いている。街からやって来る暴走族も今日は来ないなぁ。もっと街の方へ行っちゃったかな・・・。とりとめのない文章で新年の日記はおしまい。みなさんどうか今年もお元気で、そして、ぼちぼちやりましょう。
January 1, 2003
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戦争体験があり、震災経験もある母は今でも、出掛けようとする家族を玄関先へ出て見送る。 「家の外に出たら生きて帰って来れるかわからへんのよ。見送る時はいつもそう思う・・・。そう思うからいつも見送る。」 家族、友人を、戦争であるいは震災で目の前で死んでいったのを体験した母にとっては、生きている者の当然の義務のようである。 153も僅かながらその教えがいきづいており、家族の出掛けの際には、出来る限りツッカケ引っ掛けて玄関先に出て「必ず帰って来てね」という思いを込めて見送る事にしている。愛する家族にはやはり無事で必ず帰って来て欲しい。 帰って来て欲しくないのは、ずっと続いているこの不景気で、ここで無知なおばさんが殊更書くまでもない。 みなさん、この一年頑張りましたね。お疲れ様でした。 来たる新年も輝かしい年になりますように心からお祈り申し上げます。 みなさん笑顔で一年過ごせますように。来年もみなさんの笑顔をネットの端から覗かさせていただきますね。 必ずご無事でまた来年もお会いしましょう、ね。
December 31, 2002
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ここのところ寒さが厳しくて、ついつい「おばさん」が「おばぁさん」のように背を丸め、「さぶい、さぶい」(寒い、寒い・・・の意)と呟きながらじっとして動きたくない。二十年来の、ぎっくり腰の後遺症みたいな、刺すような痛みも、気候を告げてくれる病気みたいなもので温シップを長女に貼ってもらいながらお付き合いしている。 それでもやっぱり家事というのはやらねばならず、眉間にしわ寄せながらもおばさんはボツボツとこなしている。 田舎に住んでいると「クリスマス」というのはさほどの行事ではない。サンタの存在を信じて止まない子供たちはこの行事には沸きかえり、狂喜・乱舞をしはするが、新興住宅地の飾りまくった電飾デコレーションの家の派手さくらいが話題になるくらいだ。田舎で暮らす人々は着々と「正月」の支度をする。 おばさんもこの地で生まれて暮らして、最近やっと山での暮らし方が少し解ってきた。慣れて来たというのだろうか。まだまだここら辺の長老にとっては「ひよっこ」なんだけど。 今日もおばさんは、生ゴミをついつい溜め過ぎてしまい、重くなったバケツを提げて畑の端っこに向う。生ゴミ用の穴があって、そこにバサッと捨てている。ちゃんとフタもあるので、夏もさほど苦にはならないが、冬は生ゴミも土中で凍ってしまいバクテリアと格闘する事もなく、どんどん積み上がるばかりである。そんな穴の中を覗いていると、昔、トイレを「トイレ」と呼ばず「便所」と呼んでいた時代の、上から見下ろした時のどんどん積み上がってくる「それら」が毎回毎回気になって母に泣いて訴えた事を思い出す。・・・そんな記憶にフタをするみたいに急いで生ゴミのフタをする。 寒さで猫背になりながら、おばさんはバケツをブラブラと揺すりながら家に向かい歩いて行く。まだ夜ではない。といって日があるわけでもない・・・・遠くの山を見上げると、日が落ちたところ、という位か・・・。冬の夕暮れには太陽に対する惜しみがたい感情が湧かない。落日への執着といえばやはり夏の方が強いだろう。冬には太陽は正午を中心に現れる通行人みたいなもので、それ以外はどんよりした曇り空や厚着をしていても骨の奥まで沁み込んで来る山の風やあるいは他の季節には見られないキリッとした星空が印象的で、太陽の出番は11月の頃に「小春日和」と愛でられるのが最後くらいだろう。逆に言えば、だからこそ太陽が朝からキラキラとお出ましになれば、それはそれで貴重な一日となり、家々の窓は開け放たれ、布団が体裁よく干され、洗濯物がこの日ばかりは楽しそうに北風と群れている。 子供の頃、時間を忘れて山・畑・田を駆け回った。もちろん四季を問わず走り回った。冬には多少ぬかるむところはあるが段々になった田を端から端まで走ることに何とも言えぬ開放感を味わう。秋に生い茂ったすすき野原は冬にはパキパキと音を立て折れる。そのミイラ化した茎は私たちの「剣」にもなったし、「矢」にもなったし、あるいは「敵」となり、手にした剣や矢によってどんどん倒されていった。 遊び疲れて畦に腰を降ろし、ふと見上げた時、見慣れた山に日が落ちている。冬の夕暮れは早い。日が落ちるというより、太陽が迫ってくる夜の暗闇に消える、といった感じか・・・。それを見て驚き、急いで自転車にまたがり家路に着く。また母親が心配しているだろう。心配というより、叱られるかもしれない。今日もまた叱られるのかと心配している自分に気が付く。ペダルにも力が入る。頬にあたる風も気のせいか夜の気配がするのだ。 これも一種の郷愁というものだろうか。 冬の夕暮れには、一目散に家に帰る子供の頃の自分がいつも思い出される。あの山も田も今も変わらずにあるし、ここで暮らして来た自分も、これからもここで暮らして行くだろう。多くの住宅が立ち並ぶのと同じくして山々の景観も変わっては来るけれど、故郷が変わっていくのを見続けるのも自分の力ではどうしようもないから、かえって楽しいかもしれない・・・・。
December 28, 2002
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「なまこ」と読む。この世で初めてこの生物が食に耐えうるものだと試した人はホント勇気のある人だったろう。ましてや、その単純明快な「わた」を引っ張り出し、これが珍味、美味であると説いた人には「ゲテモノ好み」以上に脱帽である。 何せ、おばさんは「海鼠」を包丁で切る時、なんだかムラムラと変な気分になる。うぉっほっほ・・・・まだ若いのぅ。まるで・・・その・・・・じぃさんのぺ●スみたいじゃからなぁ・・・実物を手にとって見たわけじゃぁないが、男もあんなになっちゃったらさぞかしクタクタだろうに・・・などと想像するのだ。楽しいキッチンである。あるいは、気分によっては、阿部定の如く、思いつめたような顔をしながら海鼠に包丁を入れるのだ。あぁ、それでもやっぱり楽しいキッチン♪ おばさんの配偶者はこの海鼠が大の好物である。これをつまみに酒を飲み、この上ない贅沢な気分に浸れるらしい。おばさんは海の生まれではないので、イマイチ理解に苦しむのだが、おばさんの生まれたこの地域でも、「へぼ」と呼ばれる地蜂を甘露煮にして食べたり、成虫の蜂や幼虫を味ごはんにして「美味」「珍味」として食べる習慣があるので、配偶者を「ゲテモノ」扱いするわけにもいかないが・・・・。いや、いや、あの「へぼ飯」うまいんだよ。みなさん食べた事ありますか?幼虫はパッと見るとまるで便所に湧く「蛆」みたい。でも違うんですよ~ん。 熊蜂の幼虫なんか最高!口の中でプチッとはじけて中から甘い蜜が出てくるんです。外側の皮は口に残りますが、品のいい木綿豆腐の食感・・・・熊蜂の成虫も食べますがあれは硬くて困りますね・・・・などとおばさんは「ゲテモノ」談義をするために、楽天から日記更新の催促メールを受けると言う屈辱に耐えながらこうしてキーボード叩いてるのではない。 今日は「海鼠」の話。 今冬は海鼠が安価である。これが小泉政策の効果かと苦笑いするが、もしかしたら、今時はやりの、「Made in China」抗生物質投与済み、かも知れない。そう思いながらも今まで手が出なかった赤海鼠を購入し、料理する。 おばさんは冷蔵庫を開け、ゴソゴソとふたつき容器を取り出そうとする。今晩辺り味も落ち着いただろう。配偶者の奴、喜ぶだろうなぁ・・・うっひっひ。 と、上段から取り出そうと容器を掴んだ手がスルッと滑った。 「あっ」 おばさんは小さな悲鳴を上げる。冷蔵庫上段からまっさかさまに容器が落ち、ひっくり返ってフタが飛んだ。いや、もともと固定式のフタではなかったので、落ちながらフタが取れ、中身の海鼠とそれが浸かっていた酢の液体が散らばりながら下に落ちた。 自分の目でその惨状を確認するのだが、予想以上の散らばりようだ。酢は野菜室ドアをしたたり落ち、ぽたぽたと効果音も甚だ耳障りである。肝心のスライスカット状態の海鼠たちもとても海鼠とは思えないグロテスクな散らばりようで、春先にどうしようもなく異常発生した芋虫たちが行くところを失い、冷蔵庫にちらばり戯れている、という感じか? おばさんは姿勢も直さず、呆然とする。 まず、拭かなきゃ・・・・食品を入れる冷蔵庫なので、長男のお漏らし雑巾を使うわけにもいかない。きれいなタオルを数枚用意する。そこで初めて自分の顔や腕にも酢が飛び散り、何個かの海鼠が張り付いている事に気付く。小さい頃、川岸の日陰になっている所で遊んでいた時、友人の足首に何かゴミみたいなものがくっついていた。「葉っぱが足に付いとるよ~」言われて友人は足首にねっとりとくっつき離れないナメクジがぺちゃんこになったような「ヒル」を目にする。半狂乱した友人は大きな尻餅を付きながらもその手でヒルを剥がし、泣きながら家に帰った。 「ヒル」ほど大きくはない。既に酢漬けにされ、小さくなってしまっている。服や顔、はたまた冷蔵庫の内部から側面、あるいは床にしたたる酢とは裏腹でペッタリとネッタリとくっ付いている海鼠。 幼児たちはお昼寝中である。起きる前に何とか片付けなくては。使命感に燃えるおばさん。何ということはない、「おかあさん、何してんの?」と問われる事が鬱陶しいのだ。 おばさんは必死で海鼠を拾い集め、元の容器に放り込む。そうこうしていると、酢が床にどんどんと広がっていく。これを拭くのが先か。いやなんでもいい。とにかく、片付けなくちゃ。 床にこぼれおちた海鼠を拾う。ついでに床に落ちていたゴミやら埃も一緒にくっ付いてくる。海鼠に髪の毛がくっ付いたものをひろっていると、なんだか人殺しをして、バラバラにし、その肉片でも拾い集めているようなイヤ~な気分になる。 とにかく元の容器に埃も髪の毛も海鼠も一緒になって放り込む。・・・この時点でお気づきの読者もいらっしゃると思うが、おばさんは既にこの海鼠たちを、ゴミ箱に放り込む気はさらさらなかったのである。そうだ。また洗って酢漬けにしなおそう。と心に決めていたのだ。これを世間では「ケチ」とか「せこい」と表現する。 酢を拭き取り、海鼠も拾い集め、ここでやっと安堵の気持ちが湧いたのか庫内の掃除なんかもついでにやったりするが、訳もなく、フフフフ・・・と独り笑いをする。立ち込める酢酸の臭気の中で「お酢もしたたる、よかおばしゃん」になっている自分がなんとも滑稽で仕方がなかった。 さて、その晩、配偶者は例の赤海鼠のつまみで晩酌をし、「やっぱこの季節はこれだよな~。最高!」と至福の表情でご満悦であった。 めでたし、めでたし。
December 22, 2002
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前回おばさんの娘の素朴な疑問をふとそれなりの機関へ問い合わせてみた。すると即座に回答。・・・暇なおばさんと思うなよ。おまけに暇なお役人などと思うなよ。一国民との対話が現に行われたのである。----*----*----*----*----*----*----*----*----*----●● ● 様ご質問素朴な疑問ですみません。交差点の信号は一般に『青』なら『すすめ』と教えますが、4歳になる娘は「あれは『青』じゃなくて『みどり』だ。」と言います。なるほど、どの信号を見ても青ではなく緑です。この質問に答えるにはどう答えたらよいでしょう。現に青だった時代もあったのでしょうか?また、何がきっかけで緑になってしまったのでしょう?子供に代わって質問させてもらいました。よろしくお願い致します。回答 この度は道路標識等に関するご質問ありがとうございました。 ご質問の件ですが読売新聞のホームページに次のような掲載がありましたので紹介させていただきます。 日本交通管理技術協会発行の「信号機なんでも読本」によりますと、1930年(昭和5)に初めて信号機がついた時は、法律の上では「緑色信号」と呼んでいました。 しかし、色の三原色と同じように「赤・青・黄」と呼ぶ方が分かりやすいことから、世間では青信号という呼び方が定着していきました。また「青葉」「青物」など、緑色のものを「青」と呼ぶ場合が多く、青信号と呼ばれたのでしょう。 戦後の47年(昭和22)になって、法律上も実態に合わせ「青信号」と呼ぶようになりました。実際の信号の色は、71年以降に作られた信号機は青に近い色に改められています。ホームページアドレス http://osaka.yomiuri.co.jp/mono/990510a.htm 今後とも道路標識等にご意見をお寄せいただければ幸いです。□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□国土交通省 ●●●●局 道路部交通対策課 ●● ●●□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ----*----*----*----*----*----*----*----*----*----他からの転用とは言え、子供に説明するには十分な内容である。おばさんはお役人とのコミュニケーションに、気を良くして、日本もまだまだ捨てたもんじゃないかな・・・などと考えてみるのであった。『曖昧な日本』は案外、日本人の心の中に存在しているだけかもしれない。
December 12, 2002
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4歳の長女が最近交差点に差し掛かると必ず尋ねて来る。「ねぇ、おかぁさん。信号が青になったら『進め』でしょ?」母は、あぁまたかいな・・・と思いながら明るく答える。「そうだね。」「だけど、どの信号見ても、あれは『青』じゃなくて『緑』だよ。ねぇ、そう思わない?」「あ、そうだね~ぇ。そうそう、そうだよねぇ。」そうなのだ。確かにそうなのだが、世の中そんなもんなのだ。・・・とは、子供に言えないので曖昧な返事で話題を変えるおばさん。『曖昧な日本』の一端は意外とこんなとこにもあるのだ。
December 10, 2002
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久しぶりに新鮮な空気が吸える。 あぁ・・・おばさんはこのほぼ一週間、風邪をひいてどうにも体力も気力も失せてしまっていた。 先週初めから風邪かな?と感じ始め、咳をしながらも家事に育児に手話サークルにと、昼間は愛車を乗り回し、長男を連れ回し、いつものスケジュールをこなしていた。毎夜、眠る頃に熱が出ているにもかかわらず、「まぁ、そのうち治るだろう」てなノリで幼児達を風呂に入れて、市販の咳止め薬なんかを買ってはあったが、「薬は寝る前だけでいいや、昼間飲むと眠くなるから。」などと勝手な言い訳を作り、適当に、飲んだり飲まなかったり。そのうち、夜中に40度近く発熱しても、「これ以上熱も出ないだろう。明日はケロッとしてる・・・かも。」などと熱による関節の痛みをこらえながら、自分にいいきかせる。 不思議なもんで朝になると、なるほど、熱は平常に下がっている。しかし、気持ち悪いくらいの寝汗と共に目覚めるのが健康とは言えなかった。どうにもこうにも、咳が止まらず、「ゴホゴホ・・・あぁ、これが沖田総司だったら・・・げほっ・・・ゴホゴホ・・・ここで血を吐いて無念の死を遂げるのかぁ・・・ゲホゴホ・・・」と大昔テレビで見た新撰組を思い出す。大根役者を演じた後には鼻のかみ過ぎでおばさんのカワユイお鼻は皮がめくれてクリスマス向き。鼻が赤いだけならまだしも、出てくる鼻水は、実は、鼻のかみ過ぎで鼻血だらけ。色気も何もありゃしない。しかもその頃真剣に飲み出した咳止め薬の副作用で便秘となり、止まらぬ咳と夜毎の高熱でとうとう朝から寝込みだした7日目。あぁ、今日は日曜日か・・・・と医者の休みを恨んだが、「いや、医者なんか行っても薬はたいして効く訳でもない。」と突如思い立ち、長女が飲み残した2ヶ月くらい前の小児科処方の風邪薬を服用。「4歳の子供が飲む量だから、1回分くらいじゃ飲んでも足りないかしら。」などと、ガバッと2回分抗生剤も一緒に飲む。するととたんに鼻水は止まり、咳も静まる。「へぇ~、お医者の薬はやっぱ効くのねぇ。」などと高熱の頭でぼんやり考え、ふとんに入る。ウトウトしたかしないかの頃、とんでもない悪寒に襲われ、トイレに走り、さっき食べた食事をもどす。ここでおばさんは「子供の薬でもやたらと飲むな。」と自分に言い聞かせる。 「あ~ぁ・・・・」とおばさん溜息。来週のスケジュール、どこまでダメになるかしら・・・と淋しく考え、ふと月曜日に幼児たちのインフルエンザの予防接種をしに行く事を思い出す。「う~む、この時ついでに診て貰おう・・・」おばさん、ここで初めて医者に行く気になった。 医者に「よくまぁ、ここまで我慢しましたね。」と褒められ(?)薬を処方してもらい早速服用。 こうしていつもの元気なおばさんは、万全挽回爆裂爆走、である。なんだこりゃ。 おばさんは講釈たれである。この性格が災いし失敗する事が多い。特に歳を重ねるごとに、行動より先に考え過ぎな点が多くなってきたように思う。反省しながらも、今日もウダウダ講釈をたれているかもしれない・・・ まぁ、何にせよ、皆さん、風邪をひいたら早めの診察を。お体どうぞ大切に。
December 4, 2002
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