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中島義道氏著
珍しく読書感想文。
死への恐怖から哲学病になってしまった著者の、病気の克服への努力と、病気を受け入れる(自分を認める)までが書かれたもの。
哲学病を、一般的には考えないこと(例えば、明日はどこから来て、昨日はどこにいくのかとか)を考えてしまう病気と簡単に定義するなら、私もしばしば哲学病者になる。
そんな私とこの本の出会い。定例化しつつある大好きな先輩とのランチデートで貸していただき、思春期前からこの世を「生きにくい・・・」と感じていた私にとって、この本には魅力的で興味深いタイトルと表紙がついていたこともあり、すらすらと読んでしまった。きっと運命的な!?出会いなのだ。
冒頭で、比較的軽症な哲学病である子供と、重症なそれである老婆の童話で、哲学病は比較的軽症であれば、重症者と話させることで治るというくだりがある。
著者は最後にその童話に出てくる子供が自分であると書いておられるが、私は疑いなく著者が老婆であり、この本に興味のある読者が子供であるのだろうと思い読み進めていた。
物事について深く考えすぎてしまう癖のある私は、深く考えない周囲の人に腹をたてることもあり、時にはそれを生きやすいだろうとうらやましく思うこともあった。特に男性や同年代の女性に対してそれをよく感じる傾向があることもわかっている。
しかし、異常なまでに死への恐怖を追及する哲学者である著者の意見を読み進めていると、自己中心的な意見に反感を覚えることもあり、また自己の人生について真摯な態度で立ち向かう姿には共感・尊敬する面もあり、結果的には自分が著者よりは遥かにノーマルで生きやすい人間であることがわかり、この本はよい薬になった。
それでもまだ、平均よりは生きにくい体質であることは自覚しており、そういう自分も最近になってやっと好きになりかけているところだ。それは、そんなことを考えてる暇はない!生きるためには食べるために働くだけだ!流されてごまかして生きていくのも悪くない!考えることではなく、行動することにこそ未来が生まれるのだと、心から思えるようになってきたことも関係しているのかもしれない。
要するにバランスだろうと思う。生きにくさも、生きやすさも、持ってないよりか持っていた方がよくて、それをいかにバランスよくコントロールするか、いやコントロールできるように訓練していくことこそが人生の深みにつながるのだと思う。
生きにくさに気づける人の方が精神的・心理的な人の痛みをより多く癒せるだろうし、生きやすさを知っている人の方が、肉体的・物質的により多く人を守れたりするのではないかと思うのだ。
生きにくくていいのだ。生きにくいと感じながらもそうやって生きることが、結局自分にとって生きやすい生き方だったりすると思うから(笑)
そして、哲学と聞くと、あーいえばこーいう机上の空論って感じがどうしてもしてしまうが、いつの時代も、哲学は、あーいえばこーいう議論をしながら、お互いの意見を尊重しあって、自分にとって有益な何かを生み出していくという意味で、机上の空論では終わってこなかった重要で普遍的な学問なのだと思う。
そういう意味では読書も立派な哲学だ。
最後に・・・本を読める環境に、哲学的なことを考えられる余裕のある環境に感謝したいと思う。