わたし



私は北海道で生まれた。昔の炭坑町なんだよ・・・と父にも母にも聞かされて育ってきたけど私が生まれた頃にはもう廃坑だったんだからよくわからない。
三歳までは北海道にいたという。となりのおばさんちに大きなインコがいてばーち
ゃんが「いっこー」「ひとーしー」と呼ぶとインコ達がマネしてたのを思い出す。
理由はなんだったかよく解らないけど、当時売薬さんだった父の稼ぎを使い果たしてはお父さんの実家に母は泣きの電話をいれていたらしい。
じーちゃんは「富山にこい、そして定職につけ」。
母の絶対条件は「北海道を出ない事」だったのに婚姻届を出してから5年目かな?
母の願いはうち砕かれて富山に転居。
その時家で飼っていたセキセイインコは母の知人に譲られて行った。
初代ピーコちゃんだった。まっ黄色いかわいい子だった。

三歳 移り住んだ町は温泉街のある所で、住んでいた所は物置を仮住まいにした所
でガラリと窓をあけたらスキー場に向かうリフトが見えていた。
三歳と言えば、もう立派に友達とかできていた頃で新しく行った保育園になじめず
あっという間に登園許否。引っ越ししたのを機会に転園した。
そしてその保育園でも子どもの浅ましい智恵で友達を作ろうしとて大失敗。
こともあろうに御菓子を持ち込んだ「あげる」っていうとその御菓子ほしさに友達
が寄ってくる。すごくうれしかった。でももってくる御菓子の数には限度があって
それを上げられなかった子に告げ口された。
私はみんなの前で「こんなモノ保育園にもってくる子は悪い子ですっ」と言われて
「悪い子と遊んじゃ駄目っておかーさんがいったから」と友達はみんな離れていっ
た、そして私はふさぎ込んでお腹が痛いといっては帰りたがり、頭が痛いと言って
はお母さんに連絡してと泣いて、どんどん孤立していった。

精神的にストレスがかかってくるとお腹がいたくなる。でもお腹を壊すわけではな
いのでトイレにしゃがんでいるだけで安心していた。
小学校ではあまりにトイレに行く事からか、ばい菌扱いをうけた。
どんどんひっこみじあんになり、やがて孤立。上級生はかまってくれるけれど無口
であまり他の人と遊ばないようになった。いつもお友達はリカちゃんとチューリー
ちゃんをはじめとする着せ替え人形だった。
そんな人形達にいつも様々な服をつくってくれた祖母。私の服を作ったあまり布で
まるっきり同じ服を作ってくれたり。テレビで見たドレスを作ってくれと言っては
作ってもらったりした。

何度もいじめられ酷い事もいっぱいされた。
どんどん男の子が怖くなって、男の子イコールたたく人・蹴る人・・・という公式
ができて行って、私は極力男子のそばにいかなくなった。
それでもわざわざ来て文句行っていく奴もいた。そしてモノを投げつけたりぶった
りする人もいた。そしてきまり文句「うおっさわってしまったじゃー。ばい菌で死んでしまうっ」私・・・そんなに汚いのかな?
身なりをキレイにしないからそんな事いわれるんだぞと言った担任に促されて頑張
って丁寧に髪をとかして黒いピンで留めて学校に行ったら「ブタがおめかししてる」と言われた。
なにしても駄目なんじゃん(^^;

小学校から中学に上がる時に担任は言った。
子どもじゃなくなるから、中学にいけばいじめはなくなると・・・。
でも入学して一ヶ月目くらいだったか、小学校が一緒の男子があたしの足につまづて転んでしまった。でもその様子が滑稽だったのでぷっと笑ったのがいけなかった
「なにわらっとんがよ?」と男子は怒って私の机を蹴った。
別の小学校出身の男子に「自分で転んでナニおこっとんがよ」といわれたその子は
多分恥ずかしさを隠すタメだったんだろう。
「なにこいつの肩もってんの?こいつ小学校の時いじめられてたんだぜ」
その言葉が引き金、かばってくれた男子はそれまであたしから借りていた消しゴムを投げてよこした「うわっきたねー、使ってしまった」

こんなのってないよね?


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: