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January 8, 2021
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1月7日に令和3年最初の「わの会」イベントが開催されたので参加しました。
今回は歴史と言うよりは地元を知るイベントと言う意味合いが強かったのですが、
65歳を過ぎて外を自分から歩くことが無い僕にとって、歩くきっかけとなる会は良いものです。
3時間休まずに歩くと、今日は「冬の台風」みたいな激しい風が吹いたのに暖かいくらいでした。
健康に良いのかもしれない。最近糖尿病の恐れが有るので、積極的に参加しようと思います。

今回のコースは、京浜急行六浦駅→諏訪之橋→象塚跡→三艘会館と文殊菩薩→庚申塚→厄神様
→傍示堂→雷神社→築島→浦郷陣屋跡→良心寺→首切観音と言うルートで一部金沢区を出ます。

まずは六浦駅に集合しました。
今回は今日(7日)新型コロナの緊急事態宣言が出る予定だと言うことで、

密にならないように無線のガイド機を使いガイドさんの周囲に集まらないようにしました。
ガイドさんは気をつけてくれてはいますが、ガイドと言う職務の性格上話続けるので、
マスクをしていても呼気が漏れるのは仕方ありません。
でもマイク越しならば感染は防げるし、みんながソーシャルディスタンスを保てるのです。

今回のルートはこんな感じです。


結構歩きます。金沢区の南の果ての六浦から横須賀市の追浜まで約3時間のルートです。

追浜駅の自転車駐輪場は侍従川の支流(六浦川)の暗渠の上にあります。
都会の川なので奇麗とは言えませんが、ゴミも少なく透明です。
何よりも鳥たちが居ます。
金沢区にはあちこち野鳥の住める水場や森(僕はこの中に古墳が有ると思っている)が有るので
恐らく夜はそこに住む鳥たちが昼間はこの辺で遊んでいるのだろう。



この付近は昔から「川」と言う地名なんだけど(珍しい)アオサギまでいる。
新潟に住んでいた頃、よく田んぼにアオサギがいたけれど横浜にもいるとは知らなかった。
さすがにカワセミはいないけどカワウらしき鳥までいた。
京浜急行の音は恐くないのかな?学習して危険な音じゃないと思っているのかも?

侍従川は照手姫の伝説に出てくる照手姫の乳母(なので侍従)にちなんで侍従川と呼ばれたらしい。

照手姫は助かったらしいのだが、死んでしまったと思った乳母が川に身を投げたらしいのである。
ここは支流なので、身を投げたのは後述の三艘橋の方だと思うのだが、「川」の由来である。
昔の御姫様は大変だったのですね。

ここを少し下流に下ると諏訪之橋が有る。
すぐ上に有る諏訪神社にちなんでつけられた名前で、
鎌倉から六浦へ向かう六浦道(鎌倉道)と浦賀へ向かう浦賀道の分岐点だったらしい。


諏訪神社は「川」地区の鎮守で、ガイドさんから面白い説明が有った。
よく「沢田」など「沢」がつく名字があるが、この沢と諏訪には関連があると言うのである。
確かにこの「川」地区に「諏訪」神社が有るのをみるとうなづける。
もちろん川には沢がつきものなので、関連があるのは当然だが、
逆に「諏訪」が「沢」からきているのかもしれない。
Wikiによると、
「すわ」は国譲りで負けて逃げのびたタケミナカタが祀られている長野の諏訪大社にちなみ、
もとは長野では谷や湿地のことをすわと言っていたらしい。沢もそうである。
古い言葉なのだろう。
で、その諏訪神社なのだが、いかにも地域の鎮守らしい。


諏訪之橋を後にしてさらに下ると、象ヶ谷橋がある。


昔船で運ばれてきた象が船上で死んでしまい、港から近いこの地に埋められた跡を象塚と呼び、
そのたもとのこの橋を象ヶ谷橋と呼んだらしい。
ここをさらに下ると侍従川の本流から六浦川が分かれる所に三艘橋がある。


奥が侍従川本流で、支流(手前の橋の下の六浦川)はここから分岐して京急六浦駅の方へ流れる。
三艘橋はこの辺に鎌倉の東の玄関口としての湊が有り(つまりこの辺は六浦=海辺だった)、
ここに唐船が三艘寄港したから名づけられたらしい。
この橋の近くに三艘町内会館(中に文殊菩薩が祀られている)が有り、その脇には庚申塚が有る。


この文殊菩薩は元は越前朝倉能登守義景の子の景隆の持仏で付近に有った文殊堂に祀られていた。
その文殊堂が京浜急行の開通に伴って壊された時にここに移されたらしい。

ここから国道16号線に向かう途中に厄神様がある。


由来に書いてあるが、1550年頃安房の里見軍がここに攻めてきた際に小田原北条氏に敗れ、
逃げようとした武将がこの辺で力尽きて亡くなったのを地元の人が手厚く埋葬したところ、
それ以来この村は疫病から免れるようになったので厄神様として信仰されるようになったそうだ。
是非、新型コロナでもみんなを守って欲しいな。

ここを過ぎて国道16号線に出ると、傍示堂がある。


昔、武蔵国と相模国の境には天神山脈が連なり、浦賀道はそこを横切るように通っていたのだが、
その道筋に祀られていた地蔵尊等をここに集めたものらしい。
古い言葉で「榜示」とは境を示す言葉で、この傍示堂とはそれからきたらしい。

傍示堂を南に下ると、旧浦賀道脇に雷神社が有る。国道16号線は旧浦賀道に沿って走っている。


祭神は火雷命で、10世紀頃に天神崎に有った社を朝倉能登守が雷(いかづち)神社と改め、
16世紀にここに移したのだそうだ。なお、地元では「かみなり」神社と呼んでいるそうだ。
写真には写っていないが、すぐ隣に忠霊碑と浜空神社(元は富岡に有った)もここに有る。
この雷神社とは関係は無いのだが、追浜には別に雷にまつわる伝説もある。
追浜駅の近くの築島のビャクシンがそうである。


永禄2年(1559年)この木に落雷し、
木は黒焦げになったのだけれども居合わせた女性12人は無傷で助かったのはこの木のお陰と、
雷神社が一時ここにあったのだそうだ。
時系列的に近く、朝倉能登守が雷神社を移したのと関係がありそうな気もするが傍に石碑が有る。


上の枠内に「雷神社故址」と書いてある。本当はここが雷神社の址なんでは?
ここから西に進み京浜急行を渡る踏切付近に、昔は「浦郷陣屋」が有ったらしいのだが、
例によって京浜急行は古い遺跡を軒並み壊して開通したので今は無い。
踏切を渡った所を南下すると良心寺が有る。


何か面白いお寺である。
形も面白いが、由来がすごい。
朝倉能登守景澄が元は曹洞宗のお寺だったのを夫人の菩提を弔う為に浄土宗に改めたのだそうだ。
そんなことができるんだ。すごい。
写真左手の山を登ると夫人のお墓(宝篋印塔)が有る。横須賀市の史跡に指定されている。


朝倉能登守景澄は小田原北条氏の家臣で、豊臣秀吉の小田原攻めでは箱根山中城を守った。
ここ浦郷村追浜をはじめ伊豆や上総にも領地を持っていたらしい。
墓には天正11年(本能寺の変の翌年)と書いてあるが、建てられたのは江戸時代初期らしい。

この後、付近の首切観音にも行ったが、ここは罪人の首を切った場所で実際に頭蓋骨も出て、
供養塔の意味合いが強いので怖いから写真は載せない。

こんな感じで金沢区南部から横須賀の追浜まであちこちの史跡を見てきた。
皆さん足腰が強くて立派だなと思った。僕も負けずに鍛えなくては。





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最終更新日  January 14, 2021 03:43:58 PM
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