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January 12, 2021
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何故「古事記」と「日本書紀」があるのかを研究していて変な本を見つけ脇道にそれてしまった。
でも面白かったのでOK。
但し、完全に妄想で、根拠のかけらも無いし、
古事記や日本書紀には関係ないので例によって(その7)とはせずに(その6.1)枝番。
誰も信じられないと思う。でも面白い。何故なら「物証」が有るので妄想が具体的だから。

その本のタイトルは「発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く」田中英道氏の本である。
いやもうタイトルからして笑いそうだが、田中氏はまじめである。
と言うか、「ユダヤ人」と言うキーワード以外はまともである。
この人は歴史が専門ではなく、美術史等が本職なのだが博識であることは間違いない。

本当に「ユダヤ人」と言う部分を除いて。
かって秦氏と言う渡来人達が居て、その一族は神功皇后や応神天皇の時代に日本へきて、
子孫の秦河勝は推古天皇の時代に活躍した。
これだけなら教科書の通りである。日本書紀にもはっきりと書かれており、
秦河勝の建てた「広隆寺」は現存し、所蔵の弥勒菩薩半跏思惟像は美しい国宝である。

​でも彼はなんとしても秦氏がユダヤ人の子孫だと主張したかったんだよね。
その本がこれ。


著作権の問題は有るけれど、何の加工もしていないし、本の宣伝にもなるからいいかな?
見て分かるように本当にそうだと思ってしまう埴輪である。
日本人にしては異常に鼻が大きく高い。
これを見て思うのは「猿田彦の神」である。鼻が大きく毛深い。彼もユダヤ人だったのか?
実は僕のブログ「邪馬台国はどこにあったか(その18)まとめ」2020年12月19日と合う。
そう、瓊瓊杵尊が宮崎に高天原から降臨して来る途中に出会った猿田彦の神が、
「えびの=渡来人の国」の人ならば、まさにぴったしカンカンなのである。
僕は「えびの」が百済から来た渡来人の国だったと思っているので、
上に書いた日本書紀に書かれた秦氏の由来=百済から来た民ならばつじつまが合うのである。
Wikiを見ると、秦氏は『 新撰姓氏録 』によれば 始皇帝 の末裔で、
応神 14年( 283年 百済 から 日本 帰化 した 弓月君 (融通王)などが祖とされるそうである。
秦氏の本拠地は 山背国 葛野郡 太秦 と云われているらしいが、その昔はえびのだった?
そして彼らは大和朝廷の成立に協力し、そのことが形を変えて神話の中に残っている?
まぁ、妄想です。何の根拠もない。でも、田中英道氏の言う通りならば筋が通る。

田中英道氏は学者先生なので御存知でも言えないだろう話(噂)が有る。八咫鏡である。
明治時代の文部大臣「森有礼」は伊勢神宮の八咫鏡(やたのかがみ)の裏面に、
ヘブライ文字で「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」と書いてあるのを見たと主張したらしい。
これは聖書・出エジプト記3章14節にある言葉で、
「我は有りて在る者」(I AM THAT I AM)を意味する神の聖なる御名であると聞いたことがある。
妄想である。何の根拠もない。

<後日追記>
埴輪が日本人離れしていると思ったのだけど、案外そうではないのかも?
韓国の時代劇を見ていてそう思った。
ちょっと韓国のいつの時代か分からないのだけれども、そっくりな写真を見つけた。
(​​「宮廷女官チャングムの誓い」の時代なので、日本で言えば室町時代だそうです。)​​


帽子、ひげ、もみあげ部分の飾り、埴輪にそっくりでは?
韓国からの渡来人のお医者様を地元の人達が感謝の意味から、或いは古墳の守り神として、
埴輪にして祀ったのなら十分にあり得ると思う。
当時の日本の天皇家や首領たちは百済などから沢山僧侶や技術者を招いているから。
池や土手を作る土木技術や病気を治す医療技術はとても大事なので招かれた渡来人は多い。
そうじゃないかな?ユダヤ人よりは100倍くらい現実性が有ると思う。
<追記>
この帽子は韓国では「カッ」とか「笠子帽」と呼ばれる帽子で、
李氏朝鮮時代には位の高い人だけがかぶるものとされて服装で身分を示すものだったらしい。
なので一般的には19世紀位の韓国の帽子とされているが、
上記で書いたように、この写真は「宮廷女官チャングムの誓い」の中の画像なので、

つまり19世紀の帽子と言うのは正確には誤りである。
もっと調べると
起源は三国時代(高句麗、百済、新羅4~7世紀)にまでさかのぼるらしい。
官職者が正式に利用するようになったのは、
高麗末期・恭愍王(コンミンワン:)16年(1367年)のことなのだそうだ。
後年黒笠(フクリプ:흑립)​と呼ばれるものだ。

<後日追記>
韓国からの渡来人が千葉に居たと言うのはあながち妄想とは言い切れない。
どういうことかと言うと、関東にはいわゆる坂東平氏が多いからである。
坂東平氏は桓武平氏の流れで、何故か平家(平氏ではなく平家)とは仲が悪く、
源平の戦いでは北条氏や三浦氏を始め多くの坂東平氏が源頼朝方について戦った。
教科書等にそう書いてあるせいで、鎌倉幕府は源頼朝が開いたと言う人が多いが、
源頼朝を支えて平家を滅ぼしたのは坂東平氏の北条氏や三浦氏である。
源氏の血は実朝までの3代で途絶え、その後を継いだ北条氏は平氏である。
なので極端な言い方をすれば源平の戦いは実は平氏同士の一族の中の争いと言える位である。
もちろん坂東武者の中には源や藤原の子孫もいたのだけど、
要は氏同士の戦いではなく、ひとことで言えば、農場経営者として力を蓄えた関東武士団が、
相変わらず経済的に搾取してこようとする京都朝廷に対し、独立戦争を仕掛けたのである。
その際に大義名分として平家一門の横暴とそれに対する朝廷の一部勢力と源頼朝を利用した、
それが真相である。
なので用が済んだら源頼朝以下実朝まで皆殺しにしただけである。
それ故に幕府を鎌倉に置いた。源平氏の戦いならば都は依然として京都に置いただろう。

平将門の場合もそうである。
関東の勢力が彼を頭にして朝廷に反旗を翻し、独立しようとしたのが平将門の乱である。
それ故に関東の人達は平将門を大事にして後世に伝えるのである。
藤原純友はそれほど地元の人達には慕われていない。
坂東武者達は鎌倉幕府の創立に至ってようやくその夢を実現したのである。

それが渡来人が関東に居たのではないかと言うことと何で関係が有るかと言うと、
坂東武者特に坂東平氏がどうして発生したかという所に関係がある。

関東に桓武平氏が下ったのは要は経済的な事情である。
桓武天皇にはものすごい人数の奥さん・妾・お手付きの女性がいて、それぞれの子も多く、
(Wikiによれば皇后1、妃1、夫人4、女御6、宮人12、女嬬数十人とそれらの子が居た。)​
その為上位の者はともかく下位の者は養いきれず「平」の姓を貰って関東や伊勢に下った。
坂東平氏はそのうちの多治比真宗(たじひのまむね)の子の葛原親王(かずらわらしんのう)
の子孫である。
実は桓武天皇のお母さんは百済系渡来人氏族の和氏の出身である高野新笠であり、
当初は立太子など予定はされておらず、
天武天皇系の孝謙天皇、淳仁天皇、称徳天皇の後で色々と血なまぐさい争いが有った際に、
天智系である光仁天皇が即位し、さらに異母兄弟間の争いを経て、
(藤原氏の一部の援護を受けて:同じ藤原氏の一派は敵)何故か皇太子になったらしい。
桓武天皇は母方が百済王家(武寧王の子孫)だったことから百済系の人々を重用した。
つまり子孫の桓武平氏が関東に下って行った際には百済人も付いて行ったと言う事である。
であれば、千葉の古墳に百済人の埴輪が有っても何の不思議も無いのである。

神奈川県の平塚の地名の由来は、
桓武天皇の孫で桓武平氏の祖の葛原親王の子の高見王の娘「政子」がここで亡くなり、
その墓を造ったのだが、その塚がいつしか平になったから平塚と呼ぶようになったらしいし、
三浦半島には桓武天皇の孫娘が土地を治めに下って来たとか、その墓が有ると伝わる。
娘さんが一人で未開の土地に来るわけは無いし、百済系の娘さんなら渡来人も来るだろう。

また桓武平氏が関東に下って行ったのは、
既にそこに渡来人の集団が多くいて、その集団を頼って行ったのかも?
元王族の坊ちゃんやお嬢ちゃんが全くの未開地に行くはずは無い。
関東への赴任を命ずる朝廷の方もちゃんと気を使うはずである。
つまり渡来系の集団が居て、そこに行けば優遇してもらえると分かっているから命ずる?
その位の気は遣うはずである。
だから千葉には百済人の墓が有り、百済人の埴輪が有ったのだと思う。
上の写真の装束は室町時代の物らしいが、それ以前から似たような服装だったのかも?

まぁ冗談はこれくらいにして田中氏の論拠となった埴輪は千葉県山武郡横芝光町中台にある。
13基ある古墳の中でも殿塚と姫塚は大きく、関東では有数の大きな古墳である。
殿塚からは馬や犬や牛等の動物埴輪と人物埴輪が出ている。
内部は朱で塗られ、太刀や鏡、玉類も出土しているそうである。すごい。
姫塚は早稲田大学の発掘調査時に全国でも珍しい「葬列埴輪」が見つかっている。
多くは6世紀後半から7世紀頃の造営とされており、最古の駄之塚古墳は推古天皇の時代らしい。
え?田中先生の言う通り、秦氏が活躍した頃じゃん。
応神天皇の時代に九州に住み着いた秦氏がこの頃には関東に達していたのか?
そう言えばヤマトタケルの命が弟橘姫の歌を詠んだ中にある「相模」は「秦野市」付近だ。
秦氏の野?相模の古代の発展の裏にはユダヤ人であるかどうかは別として秦氏が居たのか?
と言うことは5世紀頃には相模にいて6世紀に千葉に居た?つじつまが合いすぎ。

で、問題の埴輪はここのはにわミュージアムに有るのだそうだ。
ネットで探してみた。


どう見ても日本人じゃないよ。さらに探すと、


日本の古代の人が結っていた髪型の「みづら」とは少し違うなぁ。むしろ巻き毛みたい?
ちょっと違うのも有った。


この埴輪の帽子にはつばが無い。これって兜だなぁ。みづらではなく兜の一部かも?
後世の戦国時代の兜にも同じ構造があるが、
首を傷つけられてはおしまいなので兜には首の覆いがある。それかも?
<追記>
上記で「カツ」や「笠子帽」について調べていたら、
これも帽子で武臣の帽子かも?庚寅の乱(1170年)頃の武臣の帽子に似ている。

最後のはユダヤ人ではなくむしろバイキングかも?
バイキングはイギリスに渡って現在のイギリス王室の祖先(ウイリアム1世)になっているし、
グリーンランドにも渡っているし。
現代人の感覚ではこの時代に日本へ来るのは信じられないかもしれないが、
「秋田のなまはげ」や「能登の御陣乗太鼓の鬼」はバイキングに似ているからなぁ。
でもバイキングが来るのは今から800年前なので埴輪のモデルにはならないか?

バイキングは無理かもしれないが、ユダヤ人のディアスポラ(民族離散)の歴史は古い。
なんせ、モーゼの時代からだし、
AD70年頃のローマ軍により壊されたエルサレムの宮殿(西の壁が有名な嘆きの壁)後に多くの
ユダヤ人は世界各地に散って行ったらしい。
その中には中国に達した人達もいたらしい。開封市のユダヤ人街が有名である。


写真を見ると混血の果てに既に中国人と同じような顔をしているが、日本から近い地域である。
この辺に住んでいたユダヤ人がいたのなら、別グループは日本へ来ていてもおかしくは無い。
しかも上記のユダヤ人は中国の皇帝から中国名を与えられ、
今のユダヤ人とは違い、戒律は控えめにして中国に溶け込んでいたらしい。

田中先生は秦氏=ユダヤ人の根拠としてかって中国の西ウイグルやカザフスタン辺りに、
「夕月国」があり、秦氏はそこから来たのであり、
そこには景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)が多くいたと考え、
新撰姓氏録には秦氏が仁徳天皇より姓を賜った際には「ハタ」のあて字として「波多」を使い、
その波多はヘブライ語のユダ族を意味する(ヤ)フダに漢語の波多をあてたからだと主張します。
でも僕はもっと直接的な解釈ができると思います。
秦氏の祖先の「弓月王」は新撰姓氏録では「融通王」と書かれており、
このことから弓月王はあて字で月の「き」は無音だったのだと思います。なので融通なのです。
で、この「ゆづ」は英語のユダヤ人の蔑称の「ジュー」と同源なのではないでしょうか?
「ゆづ=ユダ」だったのだと思います。そもそも夕月国と言う表現自体がそうなのかも?

<後日追記>
田中先生の話が面白いので妄想してみたが、
妄想がすぎて誤解を受けるといけないので一応まじめな話も載せるが、
上に書いた秦氏=ユダヤ人と言うのは、秦氏=秦の子孫と考える僕の主張からはあり得ない。
千葉の埴輪が秦氏に関係があると言う事はあり得るが、
その秦氏は隋書巻81「倭国伝」に書かれた 竹斯(筑紫)の東の秦王国から千葉に来た子孫で、
秦の滅亡に際して後に前漢により玄菟郡が築かれる地域に潜伏し、
斯蘆(しら:後の新羅)を経由し九州の豊前に住み着き秦王国を築いた人達の子孫である。
(千葉の埴輪の帽子はユダヤの帽子ではなく高句麗そして後の朝鮮の「カツ」である。)
これは2021年8月13日の「邪馬台国はどこにあったか(その21)」に書いた。
田中先生には申し訳ありませんが、ユダヤ人がイスラエルの地から当方へ向かうのは、
(仮に失われた十支族の伝説が真実だとして)ユダヤの北王国がアッシリアに滅ぼされた、
アッシリア捕囚(紀元前722年)以降であるが、
秦の嬴公が周王から秦邑を賜ったのが紀元前770年だからである。つまり周の発生が早い。
従って秦氏=ユダヤ人はあくまでも妄想であり現実には誤り)

もうただひたすら妄想だったんですが、何か物証=埴輪があると面白いなぁ。
どう見ても日本人じゃない。
埴輪になっているのは、モデルがシャーマンで呪術を操り、病気を治す技術を持っていたので、
在住の日本人たちに尊敬されて大事にされていたからではないでしょうか?
秦(はた)の語源通り織物の技術も持っていたし、秦河勝のように土木建築も得意だったし、
古来日本人は自分達を助けてくれる渡来人には寛容だったので、地元では歓迎されていたのかも?
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最終更新日  December 4, 2021 06:13:25 AM
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