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January 18, 2024
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1月12日はわの会31回目のイベントで浄楽寺運慶仏特別拝観と芦名周辺を見学した。
運慶はNHKの大河「鎌倉殿の13人」でも出ていたが、
鎌倉期の高名な仏師。
それまでの仏師とは作風がガラリと変わる、日本のルネッサンスと言える作品群を造った。
普段は拝観は難しいのだけれども、団体で申し込めば、今は拝観できるらしい。
今回拝観する浄土宗浄楽寺の仏像はその胎内から月輪形銘札が昭和34年に見つかり、
文治5年(1189年)に和田義盛が奈良興福寺の大仏師運慶と小仏師10人に造らせたことが判明、
国指定重要文化財に指定されている。

今回のルートは下図の通り。



最初は浄楽寺前バス停に集合した。JR逗子駅前からバスで結構時間がかかる。
降りると、まったく知らなかったんだけれども前島密の墓が浄楽寺に有ると分かった。
下の写真の碑とポストのおかげ。


前島密は教科書で習うけれど日本郵便の父。その人のお墓がここに有るなんて初めて知った。
ここからすぐに浄楽寺に行くのかと思ったら、まずは十二所神社と淡島神社に行くらしい。

十二所神社に行く途中にまずは丘の上から大楠小学校付近を眺めた。
大楠小学校は鎌倉期前にこの付近を治めていた芦名三郎為清の館跡。その脇の山は城跡である。
芦名為清は源頼朝が旗揚げをした際に三浦一族を守って衣笠城で死んだ三浦義明の弟で、
三浦義澄のおじさん。三浦一族は分家が多いので系図を読むのが大変!


この丘を経由したのはわけがある。
ここには昔の古い窯跡が有ったのだそうだ。



「きらきら公園」のそばと書いてあるのだけれど、地図を見ても公園は見つからない。
今では何も残っていないけれど、ガイドさんが説明板を見せてくれた。


うーん、登窯だな。8基有る。写真からすると瓦を焼く窯だったんだな。
ガイドさんの地図からすると写真と地図が合っているので、ここで良さそうだ。
(多分C地区の右下部分が電柱の所だと思う。)


僕は名古屋に居た時に愛知万博予定地を見学した際にたくさんの登窯を見たけれど、
あそこのに似ている。やっぱりこの辺の人は名古屋から渡って来たのかなぁ。
(僕はこの辺つまり横須賀の地名は愛知県東海市の横須賀から、
 ヤマトタケルの時代に来た尾張の人達が名前を連れて来たと考えています。)
ちなみにここで焼かれた布目瓦は下の乗越海岸から海に出て、
舟で相模川経由で海老名付近に有った相模国分寺に送られたのだそうです。
また、次に行く十二所神社の昔の瓦もそうだったのかなぁ?

次は十二所神社。
十二所字神社は芦名三郎為清が大楠小学校付近に館を作った際の鎮守だったらしく、
源頼朝が政子の安産祈願の為に選んだ箱根権現や伊豆山権現等の12の神社の一つらしい。


三浦義明の息子の佐原十郎義連が頼朝に代わってお参りに来たと書いている。
義連って三浦義澄の弟でNHK大河で有名な三浦義村のおじさんだよな。
彼は後に合津葦名氏の祖になる。この頃から芦名に縁が有ったんだ。

なお、この神社は「扁額」を見ると「十二天」と書いてある。
十二所神社は、元は十二天神社だったんだ。
つまり国常立命から7代天照大御神から5世代の12柱の神々が御祭神である。
三浦半島の神社ってややこしいんだよな。

そう言えば鎌倉の金沢街道にも十二所ってあるなぁ。
朝比奈の切通を見に行った際にその出口の部分に有った。

僕の奥さんの実家、秋田の大館付近にも十二所と言う所が有る。
大館には源義経を殺した藤原泰衡の墓が有る錦神社と言う神社がある。昔の贄の柵の近く。
父の藤原秀衡から源義経を助けて奥州を守るように言われた藤原泰衡が、
父の遺言を守らず義経を攻めて殺し、それを理由に源頼朝から攻められて逃げ、
家臣の河田次郎に裏切られて殺されて首は頼朝の元に差し出されたが、
残された身体は錦神社に祀られたのである。
付近には河田次郎の家の跡も有り、安達を名乗る家も多い。
奥州討伐後に元々源頼朝の家来だった鎌倉の安達一族が移り住んだ子孫かもしれない。
全国の十二所と言う地名はみな鎌倉時代の十二所に関係があるのかなぁ?

淡島神社への途中に帯解地蔵尊が有る。


ガイドさんの説明では、淡島神社は子宝に恵まれると言う俗信が有り、
この地蔵尊もそれに関連があるのか安産と育児に関わるお地蔵様らしい。
と言うか写真右側を見るとちょっとお地蔵様らしくは無いなぁ。
付近の人達に大事にされているらしい。

さて淡島神社に到着。


和歌山県海草郡加太(現在の和歌山市加太)の淡島神社をいつのころかこの地に勧請したといわれ、
縁結びの神社・航海安全の神社として江戸時代から三浦半島一帯で信仰されていたらしい。
ネットで調べると、
「あわせてください淡島様よ、お礼参りは二人づれ」と、
底抜け柄杓(びしゃく)の柄に麻を結んで奉納する祭礼が行われるらしい。
底抜け柄杓は「水が抜けるように安産」の願いがこめられ、全国各地の安産祈願でも見られる。
祭礼では神社前の芦名海岸から神職・巫女が船に乗り込み、流し雛を行うそうだ。
うーん金沢区の富岡八幡宮でも「祇園舟」行事が有り、舟でこぎ出す祭礼を行うけれど、
やっぱり三浦半島は海の一族の住処だったんだな。

淡島神社をあとにして芦名城址に向かう。
先にも書いたけれど大楠小学校は芦名三郎為清の館跡。そして東側の裏山に詰城が有った。
大楠小学校に着くと面白いものを見つけた。


懐かしい。
今ではもうどこの小学校にも残っていないし、子供達はもう知らないと思うけれど、
二宮金次郎が居た!
ごく平凡な小学校で、ガイドさんの説明が無いとここが歴史的な場所とは気付かないけれど、
ここが芦名三郎為清の館跡。裏山の芦名城址に至っては何も無い。
と思っていたら、今回は寄らなかったが、芦名城址康申搭があるらしい。ネットで見つけた。


地元の人しか知らないと思う。ここに芦名城址が有ったんだな。

芦名城址からスタート地点の浄楽寺に戻る。


浄楽寺は上述のように和田義盛が大仏師運慶に作らせた阿弥陀仏他五つの仏像が有る。
仏像は本殿ではなく、下の境内案内図を見ると分かるように本殿裏の収蔵庫に有る。


その収蔵庫の中で副住職がわざわざ色々と御説明をして下さった。
ただ、写真撮影は禁止なので、ガイドさんの資料をお借りする。


毘沙門天立像と不動明王像である。(阿弥陀仏等三仏像は残念ながら写真無し)
僕はこの毘沙門天像が好きで、その真ん前で説明を聞きながら堪能した。
ちょっとお腹が出てデブっぽいが強そう。
目が水晶製の目がはまっていてキラキラしているのが良い。
境内に運慶と仏像の説明が書いてあったのでまとめてみた。
まずは運慶について。


ここに書いてあるように、
僕が毘沙門天立像が好きなのは水晶を使った目がキラキラして生きているように感じられるから。
当時のことを考えれば画期的な工夫だと思う。
また五つの仏像は当初は阿弥陀仏等三つが重要文化財に指定されているだけだったのだが、
昭和34年に像内から月輪形胎内札がみつかり五体が運慶作と認められて重要文化財に指定された。
その辺が説明板に書かれていた。


なお、上の説明板に書かれた仏像の体内から見つかった月輪形銘札は下の写真の物だったらしい。
ガイドさんの説明板から借用した。


おぉー!これは貴重な史料だと思う。ずいぶんと小さい字だな。
よく綺麗な状態で残っていたものだと思う。仏像の中に有ったので劣化しなかったのかな?

僕がどうしても分からないのは、芦名一族と和田義盛の関係である。
和田義盛は三浦本宗家である義澄-義村とは違い杉本義宗の子である。
ここ芦名に館を構えた芦名三郎為清は杉本義宗のおじさん。
つまり和田義盛にとっては遠い親戚であって、何故義盛がここに居たのだろう?
義盛の所領は現在の三浦市初声町和田付近。
確かに浄楽寺は源頼朝が鎌倉の父源義朝を弔う為に鎌倉に建てた勝長寿院が台風で壊れた時に、
和田義盛が北条政子と協力してここに移したことが始まりなのだそうだが、
何でもっと鎌倉に近い所にせずにこんな辺鄙な場所にしたのだろう?
しかも芦名の所領?
芦名が滅びたのならばともかく、芦名は戦国時代まで生き延びている。
あの石田三成が芦名氏の子孫だと言う話まである。(これは単なる三成の自称かも?)

調べてみた。
すると為清の孫の為久の代にはなんと現在の伊勢原市石田あたりに所領が移っている。
しかも和田義盛の時代には、木曽義仲を討ち取った褒章として芦名氏は近江国石田を与えられ、
一族はそちらに移っている。(じゃぁ石田三成がこの一族出身というのは本当かも?)
(義連の子孫の合津葦名氏は福島にいて、和田義盛とは関係が無い。)
つまり芦名氏が(田舎であるここ芦名を捨てて)よそへ移った後を義盛が引き継いだのだと思う。
NHKの「鎌倉殿の13人」を見ても和田義盛は良い奴でちょっと不器用な感じだもんなぁ。

和田義盛のことが出てきたが浄楽寺には義盛のことを書いた立札が有ったのでまとめた。


そして後から行く正行院には巴御前の御遺髪の埋蔵地が有るのだが、
ここ浄楽寺にも巴御前のことを書いてある立札が有ったのでまとめてみた。


この巴御前の話も色々と不思議である。
朝比奈の切通を一夜で切り開いたと言う伝説の有る朝比奈義秀は、
彼女の息子であると言う言い伝えがあり、ここ三浦半島には彼女の伝説が伝わる。
吾妻鏡にも木曽義仲の愛妾であった彼女が捕らえられて処刑される寸前に、
和田義盛が妻として迎えたいと願って引き取ったと書かれている。
ただ、義盛の妻は既に横山等の娘が居たので愛妾と言うことになるのだと思うのだけれど、
上の説明板にも有るように、墓は横須賀市岩戸の満願寺に有る。
しかも三浦市の義盛の菩提寺にも巴御前の遺品が残っている。
そしてここ芦名の隣の秋谷の正行院は義盛が巴御前の菩提寺として建てて御遺髪埋蔵地がある。
でも和田義盛は巴御前よりも先に死んだんじゃないのか?どうして義盛が建てた?
まぁ色々と有るんだろう。

ここ浄楽寺には「日本郵便の父」前島密の墓が有ると最初に書いた。
その墓が下の写真。


一般の人は実感がわかないと思うのだけど郵便と言うのは国の発展にとって非常に大事である。
例えば現在のSNSを考えればよく分かると思う。
インターネットやSNSにより世の中は劇的に変わったと思う。
恐らくは明治・大正・昭和に日本が大発展したのは情報の伝達が可能になったことが大きい。
情報が流れないと社会や人間は成長しないのだ。

ここから正行院まで行く途中に前田川遊歩道が有る。
非常に天気が良かったので川の傍の道を歩くのは気持ちよかった。
途中に滝なんかもあって、ガイドさんが単調になりがちな見学通路を工夫してくれたんだろう。


正行院に着く。


やっぱりおかしいよな。
確か和田合戦で義盛が死んだ後も巴御前は生きており、越中石黒へ移って出家したらしい。
だから菩提寺を義盛が造ったと言うのは変。
でもせっかく地元の人が信じているのだから、やぼなことは言うまい。

で、巴御前の御遺髪埋蔵地にも行った。


実はここで僕は傍のお墓に「揚羽蝶の紋」が有るのを見つけた。
揚羽蝶は平家の紋。
この次に行く若命家は平家の子孫らしい。
若命家長屋門はこんな門。


そして偶然だけれども、この家の奥様がお庭の掃除をしておられて門を開けておられた。
わの会のメンバーがたまたま奥様とお話をして、奥様が中を見せて下さる幸運を得た。
それで中を見学した。(写真やパンフレット等は御迷惑をかけるといけないので載せない)
良かった。

さすが長屋門と言うだけあって写真の門の左右のなまこ壁の内側にはお座敷が有る。
そこには若命家の歴史を書いた色々な史料が張られており、
それを読むと若命家は元弘元年(1331年)伊豆守基盛が津久井から秋谷に移り住んだのが始まり。
(ガイドさんの説明では鎌倉末期に相模国葛原:現在の藤沢市からここに移ったと書いてあるが、
 若命家の説明では三浦郡津久井からここに移ったとしている。)
また、若命(わかめい)家と言う名前も元は「若名(わかめい)」家だったらしい。
関東の三浦氏や北条氏が坂東平氏の子孫なのに対して若命家は伊勢平氏の流れなのだそうだ。
そう、そこで僕は正行院で見つけたお墓の揚羽蝶の紋(平家の紋)を思い出した。
なので奥様に若命家の紋は揚羽蝶ですかとお聞きしたら、
いえ、沢瀉紋ですと仰った。なので、あのお墓は若命家とは関係ないらしい。
つまりこの付近には伊勢平氏の子孫が複数おられると言うことだ。
この関東の地、源頼朝が幕府を開いた地に平清盛の子孫がいたのだと言うことがうれしかった。

吾妻鏡に伝わる、またNHK大河鎌倉殿の13人で出て来た「平盛綱」が思い浮かぶ。
鎌倉殿の13人では八重姫に助けられて北条泰時の従者となって活躍する平盛綱である。
彼は平資盛の息子である。
平資盛は平清盛の長男である平重盛の次男。本来ならば伊勢平氏直系。
NHK大河では川でおぼれた盛綱を八重姫(ガッキー)が助けたことになっているが、
本当は平氏の子として源頼朝に殺されそうになったのを、八重姫が助けたのではなかろうか?
北条氏も元はと言えば平直方の子孫。盛綱を殺す意味が無い。

源頼朝は不自然な死に方をし、その子頼家は伊豆で風呂の中で死に、実朝は頼家の子に殺され、
源氏は滅びている。
もしかして北条氏が源氏を滅ぼしたのは、北条氏が平家の子孫だから?
なので、平盛綱は大事にされた?
うーん、そう考えると、ここ三浦半島の田舎秋谷に伊勢平氏の子孫が居てもおかしくはないなぁ。
ロマンだと思う。

最後は若命家長屋門の上にある神明社へ行った。


房がでっかい。きっと古い神社なんだな。
若命家がここに来た時に元の神社は建てられたらしい。
今の社殿の建立は天保7年だそうだ。由緒が有るなぁ。

和田義盛には色々と秘密が有りそう。
やっぱり鎌倉幕府は一筋縄ではいかないなぁ。
吾妻鏡は重要な場面前後は1年とかごそっと抜けているからなぁ。





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最終更新日  January 23, 2024 07:02:54 AM
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