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元夫ひとりを実家から叩き出したまではよかったが、現実的には困った。翌月から、子どもたちの保育園入所許可が出ていたのである。産休明けに合わせて、私は細々とでも仕事を再開するつもりでいた。ワーキングマザーなら理解してくれると思うが、保育時間、立地条件、保育内容などの条件を求めると、子どもを希望通りの保育園に入れるという作業は、簡単ではない。子どもが複数の場合、それぞれ別の保育園になってしまうことすら、多々ある。私も、妊娠中から資料を集め、大きなお腹で何箇所かの保育園を実際に訪ね、園長とじかに話をし、保育見学をし、産休前の職場に就労予定を証明してもらい、入所にこぎつけていた。自宅に戻らないと、勤務再開も、保育園入所も、身動きが取れない。とりあえず保育園には電話をかけ、父の急死により実家から動けなくなったという理由で、入所を1ヶ月遅らせてもらった。元夫と、電話でのやりとりはあったが、さすがに今回私は折れる気にならなかった。実家で2週間ほど過ごした頃、夫が実家にやってきた。「とにかくじゅびあさんのお父さんを侮辱したことを、じゅびあさんにも、お母さんにも、亡くなったお父さんにも、謝罪したい。今後は、これまで以上に、いや本当に心を入れ替えて、じゅびあさんと子どもたちを守っていく。」夫はそう言って、自分の大嫌いな私の母に頭を下げ、主義に反して父に手を合わせた。それで私は、もう一度だけやり直してみよう、と思ってしまうのだ。もう、とても元夫の発言を許す気持ちにはならなかった。しかし、子どもたちのために、その気持ちを封じて、やっていこう。やっていくと決めた以上は、死ぬまであの時夫が「死人が悲しむか、馬鹿馬鹿しい!」と言ったことを、蒸し返さないで生きていこう、二度と口にすまい、と心の中で誓った。私は、元夫の車に乗って、子どもたちと自宅に帰った。一方母は、父のいない家に急にひとり残されて、不安で夜も眠れずにいた。なるべく、姉の家に行ってもらったり、来てもらったりしてしのいだが、甥の大学合格に伴い、引越しをするために姉の家族全員が向こうで1泊するという日があった。その日だけは、じゅびあのところで預かって、と姉に言われ、母が我が家へやってきた。あれだけのことがあって、あれだけのことを謝って、元夫も1日くらいは我慢してくれよう。私の考えが甘かった。夫が謝罪して私が自宅に戻り、まだ1週間しか経っていなかった。夫は帰宅したが、食欲がないので夕食を食べない、と言い出した。あの夜の食卓に、母が用意したエビフライが載っていた光景が、まだ鮮明に焼きついている。母は、「お帰りなさい」と挨拶した以外、何も夫に言っていない。どう考えても、これで気分が悪い、食欲がない、というのは母に対する嫌味だ。一晩くらいは、見かけだけでもうまくやってほしい。「少しだけでも食べたら?」と言った私に、夫はつかつかと母のところへ歩いていき、叫んだ。「じゅびあのことは好きだが、お前のことは大嫌いだ!」その瞬間、こぼれ落ちた涙と一緒に、私の中の、何かが音を立てて崩れ落ちた。もちろん、耳には聞こえないが、こういう時に心は音を立てるのだと知った。私が、この何年も、守ろうとしてきた「幸せ」は何だったのか。「ああ、私はここまでよくやった。もうこれ以上頑張らなくていい。」と初めて思えた。「お母さん、もういいよ、帰ろう。」と私は驚くほど冷静に呟いた。「こんなことされて、あなたはまた私に帰れって言うの?」と母は半狂乱。「ううん、お母さんだけじゃない。今度は私も一緒に行く。子どもたちも、みんな連れて行く。私は、子どもたちをこんなことが言える人間にしたくない。だから、この人の傍には置かない。」元夫は信じられないという表情で、私を見ていた。自分の言葉で、私の母親だけを二度と来られなくさせるつもりだったらしい。私と、私の母親との縁を金輪際切らせようとしたようだった。まさか私が一緒についていくと言い出すとは夢にも思っていなかったようだ。何を言っても、妻は自分の下に残ると、信じ込んでいたようだ。後にこの時のことを、元夫は言っている。「お前の母親は、僕が自分を嫌っていることも知らないで、のこのこ平気でやってくる。好かれているとでも思っているんじゃないか。伝わっていないようだったから、思い知らせてやろうと思った。」「本気でそんな風に思っているなんて、バカじゃないの?」と思った。うちの母は、あなたのことを大嫌いだった。結婚した時から嫌っていた。ずっとずっと、止めて早く戻って来いと言っていた。顔も性格も全てが嫌いと言っていたよ。だけど、それをはっきり口に出してしまったら終わりだから、表面的に私も母も隠していただけ。あなたが私の親族郎党全て嫌っていることも分かっていたけど、それを口に出したらいけないから、気づかないフリをして、実家に来ないのも、葬儀から1人だけ帰るのも、他の理由付けをして丸く収めて来ただけ。どこからどう見たって、分かるじゃん。お互い口にだけは出さないのが、ルールでしょ。こうして今度こそ別居が始まったが、実際はどうしても私が自宅で踏ん張る必要があった。私と私の姉と、元夫とその父親で話し合いを何度ももち、元夫は離婚だけはしたくない、と私と子どもたちに自宅を譲って一人暮らしを始める。この話し合いの中で、父親の手術の日の出来事が初めて公になり、私はこう言った。「私はあの時ひどいことを言われても、親が生きるか死ぬかという状況だったら、自分も望みなんて持てないかもしれない、と言い聞かせてあなたを許そうとした。けれど、私は父が倒れてから、亡くなる最後の瞬間まで、父は頑張っているんだから、元気になって帰ってくる、と信じ続けていた。そういう風にしか、私は考えられなかったよ」私もこの時点で、小さな子どもを二人抱え、すぐに離婚をするという踏ん切りはつかなかった。自宅で、私と私の母と子ども2人の、先の見えない暮らしが始まった。
2006年11月30日
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「お父さんが配達先で倒れ、救急車で運ばれた。病院に運ばれたけれど、心臓マッサージをされているみたい。息もないみたい。大変なことになった。どうしよう」という母からの電話。同じ日のほんの少し前、甥の大学合格の知らせを聞いて喜んでいた父。私は受話器を持ったまま暫く立ち尽くしていた。父は十年以上前から心房細動があり、内科で処方を受けていた。心房細動自体は、致死的な不整脈ではないが、心臓の中に血栓が出来た場合、心房細動の発作でその血栓が剥がれてよそへ飛び、塞栓となる。飛んだ先が、脳なら脳梗塞に。それが一番怖いから甘く見ないようにね、とずっと私が言ってきたことだ。いつも、和室に布団で寝ている父は、必ず朝、布団を畳んで押入れにしまい、起きてくる。その日珍しく布団を敷きっぱなしで出かけたと言うから、本当は起きた時から調子が悪かったのだろうと思う。しかし、父はそれを隠して仕事に出かけてしまった。かかりつけの内科医から「本人が電話で診察を予約し、薬を取りに来ると言っていたのに、まだいらっしゃってない」と電話があったのは、3日後、父が亡くなってからだった。倒れた日は特別忙しい日だったが、本人は自覚もあって、どうにか受診しようとしていたのだ。元夫に連絡を取り、授乳を一度してから、元夫と子どもたちを連れて実家へ出発。元夫が私の実家の敷居をまたいだのは、両親へ挨拶に来たとき以来、およそ6年ぶりくらいだったと思う。翌朝、奇跡的に一度父は意識を取り戻す。元夫は、それなら仕事もあるし帰りたいと主張した。私も長丁場になる可能性があるのなら、行ったり来たりもやむをえないか、と後ろ髪をひかれながら、元夫に従った。枕元の私に、朦朧としながら「今何時だ?」と尋ねた父。「朝の9時だよ。大丈夫だからね」と答えた私に、父は目を閉じて涙をこぼした。結果的にこれが父と私の交わした、最後の会話。どうしてあの時、元夫が何を言っても、私はここに残ると言えなかったのか。結局倒れて2日後、私がいない時に、父は息を引き取ってしまう。母にこの時なじられた。「医者のあなたがずっとついていたら、もっと違う治療もあったかもしれない、もっと医者に何かお願いできることがあったかもしれない。お父さんだって私だって、どれほど心強かったか、知れない。」何しろ、急だった。少なくとも見た目は、元気で仕事に出かけた父が、倒れて2日で亡くなった。私も母も姉も、心の整理がつかない。現実を受け入れきれない。再び実家へ元夫と子どもを連れて向かったが、私は何かにつけ涙を流しては、眠ることも出来ず夜遅くまで姉や母と父の思い出話をしていた。縁起でもない、と大手業者の互助会にも入っていなかったから、葬儀の準備も本当に一から。訳のわからないうちに時間が流れた。父は配達途中で急に倒れた上、仕事を肩代わりできる人間がいないので、何も分からない私たちが、残務処理も並行して行なう羽目になった。元夫は私の親戚が集まる場に出ることは嫌うので、子どもの面倒を家で看ているので、と理由づけて通夜や葬儀に出る時間が最低限になるようにした。しかし、元夫は、「自分にばかり子どもの世話を押し付けて、じゅびあは一日中ベチャクチャ母親や姉さんと喋ってばかりいる」と苦々しく私を見ていたようだ。その感情が、父の葬儀を済ませた夜中に、実家で他の者にも聞こえるような大声で、怒鳴り散らす引き金となった。夜中に子どもが泣いても、もう体力というより、気力を消耗して、すぐに動けなかった。この時、子どもたちは生後3ヶ月になっていなかった。葬儀の間などは元夫に分担してもらっていたが、3時間おきの授乳は、容赦なく続いていたのだ。「僕は客のつもりで来ているのに、何一つもてなしもせず子どもの世話を押し付けやがって」「お前の一番すべき仕事は育児だろう。すぐに起きてやれよ!」「一日中母親や姉とべらべらべらべら喋っているくせに、子どものことは出来ないって言うのか」「友引だからって、葬式が1日遅れただろう。そのために1日長くここにいなきゃならなかったじゃないか。なのにそのことを謝りもしない(元夫は六曜にこだわることを、以前から許さなかった。私自身はこだわりがないが、両親が気にするので、納車とか新居の着工とかは、こっそり都合で決めた日が大安に合うように操作していた。こだわりを持たないだけならいいが、知ればわざとへそを曲げて仏滅の日に執り行いかねない人なのだ、元夫は。)」「僕が葬式とか、宗教がかったことは反吐が出るほど嫌いなのは、知っているだろう。それも黙って出てやった。線香だって上げてやったんだ」「あんな狭い台所が使えるか。こんな小さな家に押し込まれているから、お前も僕もおかしくなるんだ。明日の朝一番で広い僕たちの家に帰ろう。そうすれば、何もかも元通りだ」客のつもり、もてなしてもらうつもりだったのか。道理で、自分の布団も運ばないし、お茶を飲んでも哺乳瓶を使っても、何一つ自分で洗わず積んでおいたわけで、それを台所まで運ばされるだけでも、不満だったのだ。休日も無く、毎日深夜までコタツで背を丸めて伝票を作っていた父の小さな後姿が目に浮かんだ。「小さな家小さな家って、私が18まで暮らした家よ。あなたの家みたいに裕福じゃないし、旅行にも行かない、車は中古で地味な生活だったけど、教育だけはって私をずっと育てて、医学部に入れてくれた父よ。そんな侮辱は許さないわ!」「母だって急にひとりぼっちになってしまったのよ。初七日まで、私はここに残るわ」「私は、今日父のお骨を拾ってきたのよ。こんな夜にこんな喧嘩をして、父がどれだけ悲しむか」その瞬間、元夫が吐き出したのが、「わたしが離婚をした理由」の最初に書いた台詞だ。私は言葉を失った。仮にも愛していると言う妻に、そういう言葉って、思いつくものだろうか。元夫はむっとして授乳のために起き出し、私は1人布団の中で声を殺して泣き続けた。夜明け頃、夫が起き出して声をかけてきた。まるで夕べのことなどなにもなかったように。「さあ、帰るぞ。支度だ」私は返事もしなかった。「何?まだ怒っているの?」「あなた1人で帰りなさいよ」押し殺したような声が出た。自分からこんな憎しみのこもった声が出ることを、初めて知った。「私は帰らない。子どもたちを連れてあなただけ帰るのは無理ね。帰るのは、あなた1人よ」「父が一度意識が戻ったとき、あなたはどうしても帰ろうと言い出した。私は素直に従った。でも結果として私は、父の死に目に、会えなかったのよ。今度は、あなた1人で出て行きなさい」元夫はウワーッと叫び声を上げ、まだ夜も明けやらぬ外へ飛び出して行った。多分手荷物は持って出たのだろう。それきり、母にも姉にも挨拶することもなく、彼は帰った。挨拶など、出来ようはずもない。小さな古い家。彼の罵声は、実家にいた私の母や姉全員に、筒抜けだったのだから。
2006年11月29日
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元夫は、妊娠中の私の体調も気遣ってはくれたし、家事も手伝わなかったわけでもなかった。新居も完成し、私はこれから先の自分の人生が、幸福を保証されていると信じていた。子どもが生まれれば、元夫も、少し変わるのではないか、父親らしく落ち着くのではないか、と少なからず、期待もしていた。入籍する時に(元夫は、籍は入れるものではなく、新しい戸籍を2人で作るのだ、と言って妙に言葉にこだわり、入籍という言葉を使うことを許さなかった。)、やはり苗字を理由に再び両親の反対を受けた。もちろん、そんなことを夫には知らせていない。恐ろしくて知らせることなどできなかった。神経過敏になっていた私は、勤務中の病院で昼休み、駐車場の車の中に隠れよく泣いた。非常勤で仕事を続けていたが、最後切迫早産でドクターストップが出るギリギリまで仕事をした。切迫流産、切迫早産の危機に迫られたため、実母も遠方から手伝いによく来てくれた。だが、元夫と長時間顔を合わせないように(これは実母が元夫を嫌っていたことにも原因があるが、それ以上に元夫は、私の両親を嫌っていたから、顔を合わせると、「その後で」私が元夫の苛立ちを一手に引き受けることになる...)、日帰り往復を続けた。泊まれるのは元夫が当直で不在の夜だけ。年老いた母にはさぞかしきつかっただろうと思う。子どもは6週間早く生まれ、1ヶ月ほどNICUに入った。34週というのは、自発呼吸が出るか出ないかのギリギリライン。そのラインを越えているかどうかで、危険度は大きく違う。34週1日で生まれたうちの子どもは、NICUに入っていると言っても、要はあと少し保育器の中で大きくなるのを待つだけ。他の大変な子どもたちと比べれば、あんまり医師にも看護師にも手をかけられていなかった(笑)。1ヶ月間、毎日3時間おきに搾っては冷凍した母乳を届ける生活が続いた後、子どもたちが家にやってきた。怒涛の日々が始まる。体力的にも気力的にもきつかった。自分があの頃、どういうサイクルでどういう生活をしていたか、ほとんど今思い出せないほど。実母は相変わらず日帰りで手伝いに来てくれたが、そんな中私が高熱で動けなくなってしまった。それでも私は薬をのまずにやっていた(生後1~2ヶ月の子どもは、母子免疫があるので、まず感染症にはかからない)。母は飛んできてくれたが、さすがに元夫が帰宅しても、その夜は泊まった。翌朝のこと。出勤前の元夫が解凍母乳を与えようとしていたので、母が「やりましょうか?」と声をかけた。元夫が「父親だから」と言ったのに対し、母は「でも、お急ぎでしょうから、せめて1人」と手伝おうとした。その途端、元夫は母に哺乳瓶を投げつけたのだ。元夫の出勤後、涙ながらに訴える母に、私は「お母さん、とにかく帰って」と頼んだ。ひどい娘だが、この時の私は、何とか家の中を収めることだけしか考えられなかった。帰宅した元夫に哺乳瓶を投げつけられたと言っていたので急遽母を帰らせたことを告げると、元夫は一言、「ふーん、よく知ってるねぇ」と鼻で笑っただけだった。元々、その翌日、父が子どもに初めて(それが、最後になった)会いに来る予定になっていた。父は普段、土曜もお盆も祝日もなく、朝から夜まで商売をし、自宅に帰ってからも深夜まで伝票整理をしているような人だった。休みと言えば、毎年正月三が日くらい。私はその後ろ姿を見て育った。父と旅行に行った記憶は、一泊旅行がただ一度あるだけ。そんな父が、土曜日仕事を休んで、遠方から子どもに会いに来る。予定の変更はありえなかった。だがその父から私へ、夜、ものすごい剣幕で電話がかかってきた。「どう考えたって、手伝いに来てもらって、哺乳瓶を投げつける夫のほうがおかしい」「それでお母さんの方を帰らせるなんてお前もおかしい。どういうつもりだ」「お母さんは帰ってきて泣いている。そんなにまでして、夫の肩を持つのか」「明日の訪問は取りやめだ」私も本音では夫が正しいと思っていたわけではない。だが、その時の私は、「自分と子どもの幸せ」を守らなければいけない、と頑なに考えていた。結局当日の昼過ぎまで、すったもんだした挙句、両親はやってきた。もちろん、その時間、元夫は留守。当初の予定より到着が遅れたこともあって、初めて訪れた新居に滞在できたのは、1時間かそこらだったと思う。私は高熱が続いていて、両親はお茶1つ出させなかった。そして、この時子どもを抱いてもらった父の写真を1枚も撮らなかった事を、私は多分、死ぬまで後悔し続けるのだ。「とにかくじゅびあが心配だから、じゅびあのために来たのだ。くれぐれも無理をしないようにしなさい。お前を無理させるために来たのではないから、駅までバスで帰るよ」元夫が帰宅してしまったので、早々にそう言って寒空の下帰る父の後ろ姿を見送ったのが、まさか元気な父の姿を見る最後になろうとは、夢にも思わなかった。一番寒い季節だった。その冬、私は1ヶ月に3回、高熱を出して倒れている。おそらくそのうちの2回は40℃近かったから、それぞれ型の違うインフルエンザだったと思う。それでも私は実母の応援を拒んだ。元夫が事あるごとに「どうしてお前は実家の親に頼むんだ。それなら僕の母親に頼んだらいいだろう」と言っていたからだ。義母は甲斐甲斐しく手伝ってくれはしたが、こちらから何かしてくれと頼むには気兼ねだった。衛生的に母乳やミルクを扱うキッチンの三角コーナーに、うさぎの糞が捨ててあってぎょっとしたり、衛生観念が私と大きく食い違うのも、気疲れした。義母は、掃除をするのに四角い部屋を丸く掃くような人。普通に付き合うのなら、細かい人より楽なのだが、義母が帰ってからこっそり、やり直しや後始末をしなくてはならない。授乳のために薬の内服を避けていたので、40℃近い熱は5日目になっても下がらなかった。見かねた実母が「じゅびあが何を言っても手伝いに行く。あの人とは、絶対顔を合わせないように、出勤してから着いて、帰宅前に必ず帰る。こんなことをしていたら、じゅびあが死んでしまう」とやってきた。帰る母にケーキのお土産を持たせた翌朝、夜遅く駅に迎えに来た父と母で、そのケーキを食べて美味しかったという連絡を受けた。珍しくその日、母は手伝いに来ず、自宅で過ごしていた。そしてその日の午後、私は今度は想像もしていない連絡を、受けることになる。父のたった一度の訪問から、1ヶ月あまり経った、まだ浅い春の、寒い日だった。
2006年11月28日
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手術が終わり、夜遅く元夫が帰宅した。帰るなり手術は成功で、原発巣は切除されたと言う。はっきりした転移はなかったが、少し怪しいところがあったので、病理の結果が出るまでは分からないなどと、まるで昼間怒鳴りつけたことも、私が公衆の面前で泣き出したことも、忘れたように話すのだ。私が「自分が同じ立場だったら、やはりイライラしたかもしれない。ごめんなさい」と謝るのを聞いていたのか聞いていなかったのかも分からない。離婚についての話し合いの場で、「義父の手術の日の出来事」と言っても元夫は暫く何のことか分からず、私が詳しく話してようやく思い出したくらいだから、私に怒鳴ったことについて、自分が悪かったとも、私の方が折れたとも、何も感じなかったようだ。結局怪しいところは転移ではなく、その後再発して亡くなるまで、義父は5年以上生き延びることが出来た。この種類のガンでは、20%のほうに入った、幸運なほうの一握りである。この義父が、その後もまた何かと私を苦しめることになる。数年後、元夫の祖母所有の土地に、家を建てる話が持ち上がる。この時元夫と私が揃って気に入ったハウスメーカーは、義父が役員をしている有名企業の系列ハウスメーカーではなかった。義父は、「ハウスメーカーなんて何処でも同じなのに、どうして自分のところの系列で建てない?」と不満をぶつけてきた。私に直接ということは少なかったが、元夫に対してはかなり強硬に主張したらしい。後々もその家の前には、その有名企業グループの会長が車を路上駐車して床屋に行くくらいだったから、義父としては、他で建てられるのは困るということがあっただろう。そのあたりを私は電話で義母から聞かされた。「お義父さまが、大変困っておられるので、じゅびあさんも、よく話し合って欲しい」と。資金の一部は私も出す予定だったから、私だって気に入ったハウスメーカーで、建てたかった。だが、元々義父の母親の土地。仕方なくその日帰宅した元夫に言った。「お義父さまが、どうしてもとおっしゃるのなら、私はそれでもいいよ。」その途端、元夫の形相が変わり、私に掴みかかってきた。「僕がこんなに苦労しているのに、どうしてオマエがそんなことを言うんだぁ!もう、家なんて建てない。止めた止めた!」この時も、髪の毛を掴まれて、引きずられている。要するに、元夫は、自分が義父の意向に沿いたくなかった。だから、私が自分の味方をしなくなったと腹を立て、突然暴力に出たのだが、私はなぜ彼がそんなに急に爆発したのか理解できなかった。私が義母に頼まれてそう言ったと知ると、彼は「じゅびあ、ごめんね、ごめんね」と謝り始めた。それでも最終的に夫が自分の希望を通し、建築計画がスタートする。このマイホーム建築で、私は資金の1/4を負担し、共有名義で所有することになるのだが、このことも、後々最大の争点となってしまう。そして、この計画を進めている最中に、夫は家も建てるのだし、もう子どもを作ってもいい頃だろう、と強く主張、その計画通り、マイホームができる数ヶ月前、私は妊娠する。妊娠したのを機に、籍も入れ、いよいよ私は後戻りも出来なくなった。
2006年11月28日
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午前中の仕事が伸びてしまい、遅れてとってる昼休み。さすがに食べてすぐに動けん(T_T)。昨日自分の離婚についての記事を書いたら、アクセスしてくれる新しい人が増えた。みんなこういうことに関心があるのだなー、と思った。365日、毎日DVがあるわけじゃない。1年のうち、360日は、普通に過ごせる。優しい言葉も、かけられないわけじゃない。だから、我慢しなきゃいけない、と思ってしまう。DVを行なっている時が夫の真実の姿ではないのだから、と言い聞かせてしまう。「自分は幸せなはずなのだから、これで文句を言うなんて私が我儘」と呑み込んでしまう。まさに、うちの元夫が、それだった。元夫が、自分の衝動性を反省しなかったわけではない。結婚後すぐに、心理カウンセリングに通い始めた。1回、1時間で、料金2万円。もちろん、保険は利かないので全額自費。一度した予約を何かの都合でキャンセルしても、料金5000円。精神科医師の診察は、予約ぶっちされてもお金をとれないけどね。元夫も精神科医だから、それなりに情報を集めて、評判のいいところを選んだんだと思う。何年も大枚はたいて通い続けた末、暴言を吐いて結局離婚。世の中の心理カウンセラーの皆さんには申し訳ないが、そういう理由で、私は今でもあまり心理カウンセリングというものを、信用していない。カウンセリングカウンセリングというけれど、きちんとやれる力量のあるカウンセラーはどれくらいいるのか。いじくりまわした末に手に負えなくなったから、入院お願いします、では無責任。クライエントも自分がかかっていることを秘密にしていることが多いから「口コミ」はしないし、治療実績がどうかとか、評価尺度がなさすぎる。話を戻すね。元夫の父親が、ある臓器の悪性腫瘍にかかった。定期的に検査を受けていて発見されたので、その種類のガンとしては、早期発見だったと思う。すぐに手術の日程が組まれ、私と元夫も手術日には出向いた。手術が始まり、私は義母にこう言った。「早く見つかりましたし、お義父さまも頑張っておられるし、先生たちも全力を尽くしてくださるのですから、きっといい結果が出ますよ。私はそう信じています」と。これが、元夫の逆鱗に触れた。手術予定時間が長かったため、医師からの説明を聞いた後、私と元夫は待ち時間に義母の食事を買うためもあり、一度外に出た。少し田舎のほうの病院だったので、買い物に出るため電車に乗った。事件はその電車の中で起きた。元夫が怒鳴った。「家族がみんな、父を心配して涙を流しているときに、お前1人、何をへらへらしているんだ!」「どうして家族と同じように出来ないんだ。出来ないんだったらせめてべらべら喋らず、静かにしていろ!」「お前だって医者だったら、あのガンの5生(5年生存率)がどれくらいか知っているだろう!知っているくせに、口先だけ楽観的なことを言いやがって!」電車はかなり混雑していたが、私たちの周り1メートルくらい、空間が出来るほどの剣幕だった。見知らぬ人たちの注目の中で、私は涙が出てきてしまった。「じゃあ、私はもう病院に戻らないほうがいいね」私は夫と別れ、1人さらに電車を乗り継いで自宅に帰った。「ああ、あの人にとっては家族は私ではないのだな」と思えて、道々涙が止まらなかった。それでも、元夫のことを、父親がガンで手術して、心配でたまらないから、ああいう言葉が出たのだろう、自分の配慮が、理解が足りなかったのだ、と自分を納得させながら、歩き続けた。夜夫が帰ってきたらとにかく謝ろう、私はとても傷ついたけど、私が悪いんだ、絶対に夫を責めず謝ろう、と心に決めて、泣きながら歩き続けた。義母は夫だけが帰ってきたのを一瞬不思議に思ったようだったが、夫の「アイツは急用が出来て帰った」という説明を信じ、この時のことには離婚話が持ち上がって私が話すまで、全く気づかなかったと言う。
2006年11月27日
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今日は家を離れて日直をしている。コールがあるまでは落ち着いて取り組めそうだ。せっかくだから家で子どもがいては、書けないことを書こうと思う。かなり長い話なので、多分一度では無理。尻切れトンボになるけどそのつもりで。正式に離婚をして、4年を超えた。夫婦の崩壊、別居の開始からカウントすれば、もうすぐ、7年。実質的な結婚生活は、5年ほどだった。こと、私に関して言えば、正式に離婚をしてずいぶん気持ちが楽になった。子どもの行事で他の家族が両親揃って来ているのをみると、子どもたちが本当は羨ましいだろうな、とか、駐車できない場所での行事だと送迎してくれる人もなく、自分ひとりで大量の荷物を運んでいたりしてなんとなく惨めだったり、いろいろあるけれど、それでも概して、離婚してからの自分のほうが自分らしいし、ずっと幸せだと思う。離婚を周知して1年くらいは、ずいぶん訊かれた。「先生は、どうして離婚したの?」思い切りプライバシーだが、私は離婚して沈んでいるように見えないので、尋ねやすいようだ。「父のお骨を拾った日の深夜、子どもが泣いても動けなくてすぐに授乳ができなかった私に、夫が『お前の一番大事な仕事は育児だろ』と怒り出し喧嘩になったのよ。それも私の実家でね。夫は『葬式が済んだんだから明日の朝一番で帰るぞ。こんな小さな家に押し込まれているから、おかしくなるんだ』と言い出した。私が泣きながら『今日みたいな日に、こんな言い合いをして、父も悲しむ』と言ったら、夫は『死人が悲しむか!馬鹿馬鹿しい!』と叫んだの。私は早朝夫ひとりを実家から追い出して、こんなことが言える人とは、もう絶対一緒にいられないと確信したの。」明るい調子でここまで言うと、みんな黙ってしまって、それ以上根掘り葉掘り訊かれなくなる。嘘みたいな話だが、本当のこと。こんなことを夫に言われた女性は私くらいだろうから、知っている人が見れば誰だかバレバレ。もちろん、これ以前にももっといろいろあった。これを説明するには、私の結婚生活を少し遡らなければならない。結婚式を挙げる1週間ほど前、街中で気に入らないと元夫に顔を叩かれたことがある。その時、迷った。自分の親に話せば「絶対結婚はならん」と反対されるに決まっていた。それ以前にも、苗字が気に入らないという理由(これについては詳しく書くと別の批判を受けるだろうから、あえて書かないが、こういう考えがまだまだ世の中に残っているという現実を、分かる人は分かるだろう。私自身はもちろんこういった考え方を今でも相手にしないし、自分の老親を、こういう考えを持っているという点でだけは、軽蔑もしている)で結婚を反対していたのを、私が「そんなことを言ってはならない」と押し切っていたからだ。姉には相談した。姉がやってきて元夫と話し合いをし、元夫は「謝って済むことではないことをした。二度としないし、本当にじゅびあさんのことを大切にしていきます」と姉に手紙をよこした。この時の手紙はまだ残してあったので、実は後々、私に有利に話を運ぶ材料のひとつになった。結婚する1ヶ月前にも、些細なことで喧嘩して元夫が「結婚なんて考え直す」と言い出したため、私は終電で向こうの家に謝りに行ったことがある。今のように携帯が全盛でなく、メールでやり取りしてもタイムラグがあった頃。向こうの親に心配かけてはいけないと、私は分からないように外の車の中で始発を待った。2人揃って医者で、傍から見れば、何一つ不自由のない、いい身分の夫婦だったようだ。元夫の父親は某超一流有名企業グループの役員(私はなんと結婚するまで分かっていなかった)。だが、結婚式が済んでも私は入籍に躊躇していた。表向きの理由は、仕事をするのに姓を変えるのは面倒くさい、ということになっていた。医師免許は戸籍の姓が変われば直ちに書き換えをしなければならない(医師法の規定)。診断書などの公文書も作るので、通称で仕事をするというのはありえないのだ。だが本当の理由は、この人と結婚して本当にずっとやっていけるのかという心の奥底にある不安。しばらくやってみてからにしよう、と思った。元夫は、疲れていたり眠かったりすると機嫌の悪さが露骨に顔と態度に出る人だった。朝食を用意しても「食べたくない」と、ほとんど朝食をとらない人だった。習慣だから少しでも、と勧めると「朝からこんなぐちゃぐちゃ作りやがって」と怒られた。そんな時によく「自分の親なら、こういう時いくらでも1人部屋において、静かにそっとしておいてくれるのに、お前はうるさい。もう少し静かに出来んのか」と怒っていた。元夫の実家は一戸建てで、2階は本人と弟の部屋だけ。親の寝室とも離れていた。だが私たちが住んでいたのはそれほど広くない賃貸マンション。1人でずっといる空間を確保するのは難しかったし、声をかけずに長く置くのも難しかった。今思えば、誰かとペースを合わせるとか、そういうことは一切出来ない人だった。幼少時から、そういうことは出来なかったそうだから。元夫は、私の親に結婚を反対されたこともあったから、結婚式を最後に、一切私の親と顔を合わせることはなかった。私も決して会わせないようにしていた。正月に夫婦で訪ねるのも元夫の両親だけ。私は自分の親には、実家近くの病院での当直の前日、月1回自分だけ帰省する形で会っていた。それで納得していたし、文句を言った事はない。私はよくこう言って元夫の両親を褒めた。「うちの親と違って、本当によくできたご両親ね。立派なお仕事をもって、立派なおうちもあって。うちなんて小さな商店で貧乏で、家も小さいし、親はあのとおり頑固な性格だし。こんなご両親に育てられて、いいわね。」しかし、些細なことでキレると、暴力を振るわれることは、結婚後も、何度かあった。例えば、元夫が帰宅してから、洗濯物を畳んでいると、「何で僕が帰ってくる前に、やっておかないんだ。僕が疲れて帰ってきているのに、これ見よがしにやりやがって」。私はご存知のように文章書きが好きなので、趣味で作った冊子の原稿作りに没頭してしまい、夕食が簡単になってしまったことがある。その時にも「誰もお前のこんな仕事期待しちゃいない」と怒鳴られた。髪の毛を掴んで引きずり倒されたり、厳冬の2月に、着の身着のままで外へしめ出されたり。親が結婚祝いによこした箪笥を「こんなもの、誰が買ってくれと頼んだぁ!」と蹴りつけたり。その箪笥は今でも私のところにあるが、元夫がつけた傷が紫檀の艶やかな表面にいくつも残る。ふくらはぎに噛み付かれて、3週間ほど傷が消えなかったこともある。DVについて書いた、自分の所有物を示すためのまさにマーキングである。こういうことがあっても、死んでも自分の親には相談できないと思っていた。今思えば、両親が変なこだわりを持って結婚に反対した、その事実があったために、私も意地になったし、相談できずに余計追い詰められた部分もある。元夫が怒って、暴力の末自分が実家に帰ると出て行くこともあったため、相談相手は元夫の母親。こういう時、元夫の母親はいつも私に謝罪してこう言うのだ。「じゅびあさん、ごめんなさいね。私の育て方が間違っていたんじゃないかと思うわ。でもあの子はじゅびあさんのことが嫌いでしているんじゃないのよ。じゅびあさんは頭がいいから、分かってくれるわよね?」夫も、実際暴力や暴言の後には、涙ながらに謝ってきて、二度としないと誓うのだ。こんな生活の中、元夫の父親に、悪性腫瘍が見つかった。...つづく。
2006年11月26日
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妻に暴力を振るうDV夫、というのを皆さんはどんな男性だと想像するだろうか?妻に対する愛情がない?仕事も満足にやらない?社会的地位が低い?インテリジェンスが低い?家庭を顧みない?↑のような男性は、意外に数少ない。妻に対する愛情はそれなりに篤く、職場ではバリバリと仕事をこなし、知的にも高く、休日には家族との時間を大事にしたがり、ゴミ出しなんかもしてしまう、一見模範的な男性が多いのだ。そのために、DVを受けている妻たちは、周囲にこんな目で見られる。あんなによくできたご主人なのに。そんなに幸せなのに、高望みのしすぎじゃない。あのご主人がそんなことをするなんて、あなたが口答えをするから悪いんじゃない?しょっちゅうあるんじゃないんだったら、我慢すべきよ。特にこういった意見を平気で述べるのは、既婚の女性に多い。この背後には、「私は(あなたとは)違うわ」という優越感、一見外ではよく出来た(あなたの)夫に対する羨望みたいな感情が渦巻いている。そして、多くのDVを受けている妻たちは、「自分は幸せなんだから」と自分に言い聞かせている。DV夫、というのは、妻に愛情がなくてやっているわけではない。どちらかと言えば、妻に対する愛情、むしろ独占欲といったほうが適切だが、それが強い夫であるケースのほうが多い。妻に気に入らないことを言われた→自分が否定されたように感じるが図星で言い返せない→妻の自分に対する愛情が信頼できない→一発噛み付いて歯型でもつけてやれ→この女は、自分のじゃ!これは自分のだ、という印をつけるために噛み付く、犬と同じ。どこかしら幼稚な精神レベル。だから、DVの後は平謝りに謝る。ときに、涙ながらに。「君の事を愛していないからやったわけじゃないんだ。とても愛しているんだ。僕は君を失いたくないんだ。本当にごめんね。もう傷つけたりしないから。もう二度とやらないから....。」決して言っていることは嘘ではない。反省していないわけでもない。本気で謝っている。残念だが、こういう行為は、繰り返される。いくらその時本気で謝罪しても、DV夫は湧き上がる衝動性に打ち勝てない。人格的に未熟なのだから、成長するには長い年月がかかる。人間は年老いてくると、よくも悪くも性格が強化されるので、成長するより強化されるほうが先ということもある。本音で言えば、逃げられれば逃げるのが得策。でも以前離婚の話で書いたように、「経済的な理由で」「子どもがいるから」別れられない、と思えるうちは、無理に慌てて離婚する必要はないと思う。でも将来、あなたのDV夫が、もっと大人になって完成された人格になるということは、宝くじに当たるくらい望み薄だから、忘れないで欲しい。もし、離婚をと思い立ったときのために、夫には秘密でなるべく克明にDV日記をつけておくこと。DVは家庭の中だけ、第三者の目のないところで行なわれ、証人がいない。いざと言う時しらばっくれる夫も多い。だが、それだけ克明に記録をつけられていたらどうだろう。調停で、裁判で、見る人が見れば、それが嘘やでっち上げでないことは、伝わるはず。日時、受けた被害の内容、経緯。それをもとに慰謝料をとれるチャンスはある。記録がいつかあなたの味方になってくれる時は、来るかもしれない。頻度の多少にかかわらず、DVを受ける妻たちに、いつもこれだけはと勧めている。
2006年11月25日
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気分が沈む、夫と上手くいかない、夫と性生活をもちたくない。そんなことを訴えてくる妻たちは数多い。だが、自分から、DVを受けてます、と話し始める妻たちは、意外に少ない。多くはこちらから、「夫は手が出ますか?」「ひどく傷つけるような暴言が出ますか?」と尋ねると、「いつもというわけじゃないです」というように、話し始める。また多くの女性が、ほとんど同じことを言う。「夫は仕事もしてくれるし、家のことも手伝ってくれます」「子どもには、いい父親なんです」「私さえ、ガマンすれば、うまくいくんです」「暴力や暴言はありますが、いつも後から、すまなかったと謝るんです」「もう二度としないと言っています」「毎日というわけではないんです。数ヶ月に1回あるかないか。あとは、普通に暮らしています」「病院に行くほどの怪我は、させられたことないです」(もちろん、このパターンに当てはまらないケースもある)最近、新聞に暴力夫の記事が出ているが、妻に暴力を振るう男たちの大半は、毎日毎日DVをやっているわけではない。毎日ロクに仕事もせず、家に金を入れず、酒を飲み、暴れ、殴り、子どもにも暴力、という絵に描いたようなDV夫の記事を見ると、うちの夫はここまでひどくないし、と思ってしまうようだ。いつもじゃないんだから、たまにイライラした時くらい、夫の手が出ても仕方ないんじゃないか、それくらい自分がガマンして当然なんじゃないか、全く手が出ない男性なんて、そっちのほうが少数派なんじゃないか、と錯覚し、あるいは夫に刷り込まれてしまっている。実際には、夫婦喧嘩はしても、妻に手を上げたことの無い男性のほうが、多いのに。心に突き刺さって忘れられないほどの暴言を、吐いたりしない男性のほうが、多いのに。彼女らは、そのことを知らない。よその夫婦の家の中のことは、見えないから、みんなそんなもんかも、と思ってしまう。私はDVの頻度が少ないからいい、病院で治療が必要なほどの怪我をしていないからいい、と言う問題ではないと思う。たとえば、1年365日のうち、5日だけDVを受けたとする。残りの360日はそうでないから、5日くらい、ガマンすべきなのか。DVは、身体の傷より、心の傷のほうがずっと深い。身体の傷は消えても、心の傷は消えない。だからと言ってDVを受けた妻たちが片っ端からいわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)にかかる、という考え方をしているわけではないので、誤解の無いように。私は、PTSDという診断をつけるのには、むしろ慎重派。PTSDといえるほどの心的外傷は、自分の生命を失うほどの強烈な恐怖を本気で味わった人でなければ、ありえないと思っている。例えば、バイト先の店長に迫られて、嫌々だけど関係を結んだ→店長の顔を見ると吐き気がする→店の前に行くだけでその場面が鮮烈に思い浮かぶ→仕事に行けなくなった。私は、これは当たり前の反応であって、PTSDという診断をつけることに意味はないと思っている。辛い経験をすれば、忘れないし、何度も思い出すし、眠れなくもなるし、繰り返し夢も見る。関わりのある場所には行きたくないし、出来る限り同じ状況を避けようとするのも、当たり前。人生をある程度の期間生きていれば、誰しもそういった体験の一つや二つ、あるとまで思う。人間は、それを抱えて生きていくものだ、と強く思っている。ああ、ダメだ。眠くなってきてしまった。続きは、また明日にでも。
2006年11月24日
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またまた、精神科と全く関係ない話。たまに軽いトークも入れないとね。街中、特に駅前あたりを歩いていると、しばしば外人に声を掛けられる。たいてい、手にはビラを持っている。どうもこの手の勧誘作戦を実施しているのは、決まって業界大手のイー●ンのようである。駅前留学、というキャッチフレーズもどこかにあったなー。ぺらぺらと英語で話しかけてきて、いい加減に聞いていると“Can you speak English?”と来る。こういう時必ず、待ってましたとばかりに“Yeah! I can.”と元気よく答えることにしている。それも、出来うる限りのとびっきりの発音で。ここでモジモジしてしまったりすると相手の思う壺である。黙って要らないと手を振って去ろうとしても、外人には通用しない。話せようとそうでなかろうと、自信があろうと無かろうと“Yes, I can.”と元気よく。これオススメ。だが、今日の外人はちょっと失礼だった。私は手編みのざっくりしたセーターを着ていたのだが、話しかけるなり、袖を捕まえられた。ぺらぺらとひとしきり喋ってからいつものフレーズ。“Can you speak English?”さあ、来たぞ!私のほうも、ちょっといつものような返答では、気が済まなかった。「あなたはたった今私に話しかけるという間違いをおかしたところです。というのも、私は英語のよき話し手だから。(あえて、中学生の英語文法レベルで直訳)」日本語にすると可笑しいね。英会話をかじったことのある人には、わりと口語的で自然な表現と思ってもらえると思うけど。もちろん、ちゃんと現在完了形で(笑)。“You've....”で始まるので暇な人は英語に直してみてね。外人は「Oh! あなた発音きれいねー。Merry Christmas!」と言って無事去っていった。でも外人(多分キリスト教徒?)にメリークリスマスって言われて無意味にちょっと嬉しくなってしまった。そうか、外人はハロウィンが終われば、メリークリスマスって挨拶になるんだ。これって、なんかいいね。ちょっと使おうかな。クリスマス過ぎまで外来に来ない患者さんへ、「お大事に」の代わりに「メリークリスマス!」年明けまで来ない人なら「I wish you a merry Christmas and a happy new year!」ダメかなあ。うつの患者さんとか、取り残された感じで余計凹んじゃうかもなあ。
2006年11月23日
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毎年秋が深まると、最大の仕事のひとつが入院患者さんへのインフルエンザワクチン接種である。多くの患者さんが病棟の中で生活をしている以上、外からインフルエンザウイルスを持ち込まれたら、あっと言う間に集団発生してしまう。職員はもちろん全員接種だが、慢性期長期入院の患者さんが多いような病棟では原則全員接種して頂きたいし、それ以外でも65歳以上の方々には、オススメして接種にご協力いただいている。まず、確保すべきワクチン数の確認のため、1ヶ月ほど前に、患者さんたちに同意を取る。意外にこれが一苦労なのだ。「去年もやったから知っているよね?」「そんなん知らん。」「うつると大変だから、やっておこうよ。」「そんなんやりたかないね。」「そんなこと言わないで。あなただけじゃないよ。みんな、やるしさ。」去年問題なく協力してくれた患者さんが、何にも覚えていない(^^;)。統合失調症の患者さんたちだから、無理に頼み続けると時には怒って興奮しだしたりしてしまう。無茶なこと言ってるわけじゃないのに、そんなに無意味に怒んなくてもいいじゃん。1回の診察で同意が取れないときは、また日にちを空けて、忘れた頃にお願いし倒す。こうして、どうにか締め切りまでに本人の同意を取り、今度は家族に料金を連絡しご協力頂く。めでたく接種にこぎつけたはずなのだが、接種日にちょっと熱っぽい人、外出してしまう人、土壇場になって拒否する人。こっちも外来などにかからない時間を選んで手を空けるのだが、なかなか1日2日で終わらない。1バイアルで1ml。成人一人あたりの接種量は0.5mlなので、偶数になる人数ずつ行う。実は接種そのものよりも、その前の説明、トークが疲れるのだ。●●××さんでいらっしゃいますね。(氏名の確認)今日の体温は、36.5℃ですね。本日の体調はいかがですか?(問診票を確認し)現在当院で出されているお薬だけをのんでいるということですね。本日、ワクチンを接種させていただけると思いますが、簡単に説明させていただきます。既にご存知かもしれませんが、お聞きくださいね。このワクチンはインフルエンザウイルスに対するワクチンです。毎年今季流行するウイルスの型予想に基づいて製造されたワクチンを接種しています。残念ながら、予想が外れてしまえば、せっかく接種しても無効になってしまう場合がございます。インフルエンザワクチンの有効率は1回の接種で80%程度と考えてください。つまり、5人接種すれば4人には免疫効果が期待できるということです。5人のうち1人は、残念だけど接種しても免疫効果が出ないという方がいらっしゃいますので、絶対にあなたがかからないという保証はできません。しかし当病棟のように、たくさんの方が同じ空間にいらっしゃる環境下で、5人のうち4人に免疫効果が見込まれれば、外からウイルスを持ちこまれる可能性、1人発症してもそれが一気に蔓延する可能性をぐっと低くすることが出来ます。それが、集団予防という考え方です。当院では去年も一昨年もワクチン接種を実施して来ましたが、院内でのインフルエンザ発症はゼロでした。それだけの実績もありますし、今年も同程度の効果が期待できると考えて実施しております。先ほど申しましたように、ワクチンはインフルエンザウイルスに対する予防効果を期待するものであり、それ以外のウイルスによる通常の「かぜ」には全く予防効果がございませんので、ご了承ください。局所の腫れや痒みが出ても数日で治まりますので心配ありませんが、あまり掻かないでください。重篤な副反応は接種後30分以内に出やすいので、もし気分が悪くなったら早めに看護職員に伝えてくださいね。他に軽く風邪をひいたような熱感や身体のだるさも感じられるかもしれませんが、いずれも明日くらいで消えると思います。以上の説明を聞いて、本日の接種を希望される場合は、「接種を希望します」を○で囲み、右側に署名をお願いしますね、あっ、ここですよ....。(バイアルを見せて)本日は▲▲▲のインフルエンザHAワクチン、ロット番号は★★★☆です。最終有効年月日は、2007年10月×日ですので、確実に有効期限内のものを使っていますので、ご安心ください。(注射器を見せて)接種量は、0.5mlになります。どちらの腕にしましょうか?筋注ではないので、腕がまくれればよろしいですよ。では接種していきますね。お薬が入るシカーッとした感じがありますが、異常ではないですよ~。じゃ、終わりますね~。あっ、今はそんな一生懸命揉まなくていいですよ。お風呂も入って大丈夫ですからね~。これだけ、20回くらい連チャンで喋ると、舌が歯で擦れて、炎症を起こしてしまった。中には、どのウイルスの型なのか全部教えろという強迫的な患者さんもいるので、その都度説明。インフルエンザ予防接種をちまたで受けると、1バイアルの半分の価格にシリンジ代を足したより、ずいぶん上乗せされているけれど、これって皮下注の技術料というよりこのトーク代なんだろうな。私は勤務医だから、これやったからって、儲からないけどね。
2006年11月22日
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昨日、本人の同意による入院について書いた。今回は、入院治療が不可避であるが、本人からどうしても同意が取れない、もしくは確認不可能な場合の入院で代表的な場合、「医療保護入院」について書く。精神保健及び精神障害者福祉に関する法律では、以下のようになっている。第三十三条 精神病院の管理者は、次に掲げる者について、保護者の同意があるときは、本人の同意がなくてもその者を入院させることができる。 一 指定医による診察の結果、精神障害者であり、かつ、医療及び保護のため入院の必要がある者であつて当該精神障害のために第二十二条の三の規定による入院が行われる状態にないと判定されたもの 二 第三十四条第一項の規定により移送された者 2 精神病院の管理者は、前項第一号に規定する者の保護者について第二十条第二項第四号の規定による家庭裁判所の選任を要し、かつ、当該選任がされていない場合又は第三十四条第二項の規定により移送された場合において、前項第一号に規定する者又は同条第二項の規定により移送された者の扶養義務者の同意があるときは、本人の同意がなくても、当該選任がされるまでの間、四週間を限り、その者を入院させることができる。 3 前項の規定による入院が行われている間は、同項の同意をした扶養義務者は、第二十条第二項第四号に掲げる者に該当するものとみなし、第一項の規定を適用する場合を除き、同条に規定する保護者とみなす。 4 精神病院の管理者は、第一項又は第二項の規定による措置を採つたときは、十日以内に、その者の症状その他厚生労働省令で定める事項を当該入院について同意をした者の同意書を添え、最寄りの保健所長を経て都道府県知事に届け出なければならない。 第三十三条の二 精神病院の管理者は、前条第一項の規定により入院した者(以下「医療保護入院者」という。)を退院させたときは、十日以内に、その旨及び厚生労働省令で定める事項を最寄りの保健所長を経て都道府県知事に届け出なければならない。 第三十三条の三 精神病院の管理者は、第三十三条第一項又は第二項の規定による措置を採る場合においては、当該精神障害者に対し、当該入院措置を採る旨、第三十八条の四の規定による退院等の請求に関することその他厚生労働省令で定める事項を書面で知らせなければならない。ただし、当該入院措置を採つた日から四週間を経過する日までの間であつて、当該精神障害者の症状に照らし、その者の医療及び保護を図る上で支障があると認められる間においては、この限りでない。この場合において、精神病院の管理者は、遅滞なく、厚生労働省令で定める事項を診療録に記載しなければならない。 22条の3の規定というのは、昨日述べた任意入院のことである。またこの法律内の「保護者」は以下のように規定されている。第二十条 精神障害者については、その後見人又は保佐人、配偶者、親権を行う者及び扶養義務者が保護者となる。ただし、次の各号のいずれかに該当する者は保護者とならない。 一 行方の知れない者 二 当該精神障害者に対して訴訟をしている者、又はした者並びにその配偶者及び直系血族 三 家庭裁判所で免ぜられた法定代理人、保佐人又は補助人 四 破産者 五 成年被後見人又は被保佐人 六 未成年者 2 保護者が数人ある場合において、その義務を行うべき順位は、次のとおりとする。ただし、本人の保護のため特に必要があると認める場合には、後見人又は保佐人以外の者について家庭裁判所は利害関係人の申立てによりその順位を変更することができる。 一 後見人又は保佐人 二 配偶者 三 親権を行う者 四 前二号の者以外の扶養義務者のうちから家庭裁判所が選任した者 3 前項ただし書の規定による順位の変更及び同項第四号の規定による選任は家事審判法 (昭和二十二年法律第百五十二号)の適用については、同法第九条第一項 甲類に掲げる事項とみなす。 第二十一条 前条第二項各号の保護者がないとき又はこれらの保護者がその義務を行うことができないときはその精神障害者の居住地を管轄する市町村長(特別区の長を含む。以下同じ。)、居住地がないか又は明らかでないときはその精神障害者の現在地を管轄する市町村長が保護者となる。 以前は身寄りがすぐ見つからないと市町村長同意による医療保護入院というのが非常に多かった。「俺の保護者は市長さんのはずなのに、市長さんは1回も来てくれない」と嘆く長期入院患者さんがあるが、市長さんは患者さんのことを知らない上、入院した時と今とでは市長さんは別の人。現在はできるだけ市長同意を減らして、任意後見に切り替えようというのが時代の流れ。任意後見がつけば、司法書士さんや弁護士さんが、保護者となって患者さんの財産の管理から重要事項の決定などを代行して行なってくれる。任意後見についてもいずれ説明するつもり。今は家族も多様化しているので、この保護者というのも、微妙。配偶者のいる患者さんの場合、いくら実親が連れてきたところで配偶者以外は保護者になれない。だがこれは基本で、離婚を前提に娘が実家に戻っているとかいう場合は、難しい。こういった場合本人は意味不明のことを言っているので、親が(娘をこんなにした、と思っている相手と)離婚させたかっただけ、ということもありうる。離婚調停まで進んでいれば、調停を行なっている「相手」が、患者さんの利益になるような入院を決定すると考えるのにはっきり無理がある。意味不明なことを言っている娘が、あちこちで婚姻を繰り返し、どうも娘が言うには今の配偶者は服役中らしい、と連れてきた親が言っている、なんてのはもうこっちも訳が分からない。結婚しているかどうかを戸籍謄本で確認しているわけではないから、嘘をつかれればそれまでだ。病院の身元確認というのはせいぜい、写真入でもなく、家族親族関係も記載のない保険証。結婚はしていないと、患者さんが「妹」を連れてきたため、保護者にして入院させたところ、全て手続きが済んだ後から、「妹」はそのへんの飲み屋のおねーちゃん、と判ったこともあった。確認したが、これは仕方が無い、ということで騙されてしまった病院に罰則はないそうである。騙した側は、罪に問われるかもしれないのでご注意を。患者さんが未成年者の場合、親権者が二人いれば両親ともの同意が必要で、これは自動的に親権者=保護者。だが20歳になった途端に、片方の親を扶養義務者にして家庭裁判所の選任を受ける手続きが要る。20歳の誕生日前後に入退院を繰り返されたりすると、親御さんは何が何だか判らないようだ。アパートの住人がおかしなことを言っている、と大家さんが「善意で」病院に連れては来たものの、大家さんは、ひたすら患者さんを置いていきたいだけ。こういう例は、かなりある。大家さんとしては、近所からの苦情も出て、困っているわけだ。身寄りが無いのなら家庭裁判所で選任手続きを取るから保護者と、身元保証人になるつもりはあるかと訊いても、「私は何の関係も無いのに、迷惑をこうむってきた。なんでそんなことまでしなくちゃいけない。ここまで連れてきただけでもありがたいと思ってもらわなければ」と言われる。ありがたいと思ってもらわなければ、と言われても、出て行った担当医としてはありがたくない。アパートを貸した時に、連帯保証人などつけているはずなので、遠かろうとなんだろうと連絡して、保護者と必ずセットで連れてきてもらわなくては入院させようがない。時々、遠方の人が警察に保護され(この逮捕でなくて保護、というのも私は本質的には理解できない。犯罪を犯していないのに警察に身柄を拘束されていいのか。)、すぐに身内に連絡が取れないとか、「やっと母親と連絡が取れたが息子とは絶縁したから知らないと言っている」という理由で、「市長同意、生活保護をつけて、医療保護入院をお願いしたい」と指示されることがある。こういう時、警察といえども公務員、やはり目の前の仕事を早く片付けたいのだなと思う。今のご時勢、小学校の前を徘徊しただけで通報されるので、そこで警察にちょっと訳の分からないことを言えば、すぐ保護されどこかの精神科へ入院という話になる。警察の方には悪いが、「まず保護者に連絡をつけ、身柄を渡してからにしてください。その後保護者が受診させたい、と連れてくるのならお断りはしません。もし引き取りにも来ないのなら、保護責任者遺棄の罪に問われます、と警察なら言えるのではないですか」と説明し、お断りしている。後から保護者が出てきて、「勝手なことをしやがって」と訴えられても困る。また、「身内に絶縁されたから」と市長同意と生活保護をつけて入院できるのなら、世の中の精神病圏の患者さんの身内は大半が、実際はどうあれ、患者さんと絶縁したと言うと思う。生活保護をつけたら、医療費の負担はすべて行政持ち。身内の経済的負担はゼロになる。実際に見捨てたかどうかは別にして、とりあえず経済的負担はゼロ、身体の病気が発生したときの責任もゼロ、退院決定された時すぐに引き取る責任もゼロにしておいて、面会などだけ、自由にし、病院に保護者の選任をと言われても無視し続ければいい、ということになる。警察には身内を引っ張り出す力があるが、病院には一度入院させてしまったらその強制力が無い。刑法に触れることをして警察に捕まった人が、意味不明なことを言っている場合は、措置入院という別の形態になる。
2006年11月21日
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精神科の入院、というのは、他の科の入院とは全く違うシステムを持っている。精神科の入院だけが、医師法だけでない独自の法律で縛られているからである。身体の病気なら、「あなたは○○という病気で、××の状態です。△△の治療をしたほうがいいので、すぐに入院をしたほうがいい。入院でないと治療できないです」と言われれば、少数の方がセカンドオピニオンを求めることはあっても、大多数はイチもニもなく入院しているのではないか。もちろん、入院治療なんてイヤだなあとか、そんなに大事なのかとか、何とか外来でやれないかとか、入院なんて不安だとか、お金がかかるとか、いろいろ思っても、である。通常自ら進んで入院をしたいという人はあまりない。入院が好きという人もあまりない。だが、「先生がそういうのだから、それしかないね」と指示通り、万障繰り合わせて入院する。ところが精神科の入院は、イヤと言う人を入院させることは原則、できない。どれだけ医者が入院での治療が望ましいと本気で思ったとしても、「自分に病識(病気であるという意識)がなく、治療への理解も協力もなく、外来通院での治療が明らかに困難であると見立てられるどうしてもの場合」でないと、強制的な入院はさせられない。たとえ診察室でだけ、患者さんがネコをかぶっていたとしても、おとなしく診察室に座って、興奮することもなく担当医と(一部奇異な言動があったとしても)疎通性のある対話ができ、見た目だけでも治療に対して理解を示し、本当は薬なんて捨てるつもりでも、「外来で薬ものみますけど、入院はイヤです」と言えば、入院させることはできないのだ。まあ、ネコをかぶっている場合は、実は医者のほうも、診れば判る。ずっとかぶり続けているのはご本人にも難しいので、たいてい日を改めて入院ということになる。以下が精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第22条の3と4にある、本人の同意に基づく「任意入院」というものである。この法律と言うのは、精神障害者の人権を守る、という側面が強い。もちろん、私だって患者さんの人権は守られるべきとは思う。第二十二条の三 精神病院の管理者は、精神障害者を入院させる場合においては、本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。 第二十二条の四 精神障害者が自ら入院する場合においては、精神病院の管理者は、その入院に際し、当該精神障害者に対して第三十八条の四の規定による退院等の請求に関することその他厚生労働省令で定める事項を書面で知らせ、当該精神障害者から自ら入院する旨を記載した書面を受けなければならない。 2 精神病院の管理者は、自ら入院した精神障害者(以下この条において「任意入院者」という。)から退院の申出があつた場合においては、その者を退院させなければならない。 3 前項に規定する場合において、精神病院の管理者は、指定医による診察の結果、当該任意入院者の医療及び保護のため入院を継続する必要があると認めたときは、同項の規定にかかわらず、七十二時間を限り、その者を退院させないことができる。 4 精神病院の管理者は、前項の規定による措置を採る場合においては、当該任意入院者に対し、当該措置を採る旨、第三十八条の四の規定による退院等の請求に関することその他厚生労働省令で定める事項を書面で知らせなければならない。これって結構、誤解する患者さんがいらっしゃる。精神科の入院は、自分が希望すればいつでも入院できて、退院したいと言いさえすれば、いつでも退院できる、と。身体の科と違って、精神科の患者さんの中には、「自ら入院したい人」が多くいらっしゃる。何らかの理由で、家庭にいたくないとか、職場に出たくない、とか、学校に行きたくない、とか。いる場所がないから、入院していたい、とおっしゃる。また病院というところは、非常に保護された環境下。看護職員は呼び止めれば話を聞いてくれる。たとえ、家族が話をあまり聞いてくれなかったり、話しかけるとイヤな顔をしたりしても、職員はそういうことはない。だから病院のほうが居心地がよくなってしまう、という患者さんもある。入院適応を決めるのは以前にも触れたが、受診先の担当医。担当医が入院は必要ありません、と判断すれば、いくら患者さんが希望しても入院にならない。紹介の場合、紹介元担当医の「当分入院させておきたい」という意図が働くと、患者さんは当然入院させてもらえるものとすり込まれてやって来られるので、大変困るのは、以前述べたとおり。書面で知らせろ、と法律にあるが、この書面ってのの内容も問題。「任意入院のお知らせ」という書面には、こうある。「あなたの入院は、任意入院でありますので、あなたが退院を申し出れば、退院できます。」こういうことは、どう考えても身体の病気ではありえない。身体の病気の治療では、医師が善意に基づいて治療を行なっていることが前提で、精神科医師だけが儲けのために治療をしたり、入院をさせたりしていることがありうる、とでも言いたげだ。退院したくない患者さんなんていない。みんなみんな、退院したい。私だって、退院なんて、できるものなら、一日も早くさせたい。法律を厳格に運用するので、任意入院の患者さんが夜間休日に「退院したい」と言い出すと、すぐに退院させなければいけなくなる。次の外来予約日も決まらず、退院後どうやって治療を続けていくかや、生活面や復職に関して主治医と話し合いもできないまま、だ。せめて、退院したくなったら、原則退院できますが、まず主治医に言ってよく相談してみましょう、とか、夜中に退院したくなった時は、朝主治医が出勤するまでは、待ちましょうねとか、そういう常識的なお話にはならないのか。上記の72時間お留め置きできる、というのは、あくまで患者さんが大暴れして「退院しろって声が聞こえてくるから退院するんじゃ」と言っているような場合。指定医診察を行なって、保護者が来院して入院継続の同意を確認でき「医療保護入院(また次回に話す予定)」に繋ぐまでの、時間的猶予という意味合いだ。普通に疎通のある患者さんが夜中に突然「退院したい、うちに帰りたいなぁ」とポツリと言ったら、もちろん看護師も当直医も説得を試みるが、「あのお知らせに、退院できると書いてあった!私は法律で退院できるはずだ。引き止めるとは何事だ!」と言われればすぐに退院させざるをえない。これって、普通に考えて無理がない?お知らせを渡しながら、仕方ないので一応自分の入院患者さんには、「法律的にはこうだから、これは私からのお願いなんだけど、夜中や休日に退院したくなっちゃった時は、何とか私が来るまでだけは、待っててよ。黙って帰っちゃわないでね。」とお願いしている。ああ、書類仕事を片付けるのがイヤで、ついブログに逃避してしまった...。ただいま、会議待ち。その前の別の会議が長引いて、開始が著しく遅れているのだ。まだ、終わらんのか!?
2006年11月20日
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週末出かけていて先ほど帰宅。洗濯物と、お土産を整理して、やっと一息。すっかり主婦です。夫婦の問題を話す患者さんは、たくさんいらっしゃるけれど、最近多いなあと思うのが、「携帯見ちゃった病」というか、「携帯見たくなる病」。もちろん、配偶者の携帯を、こっそり見てしまうこと。これって禁断の秘技。一度やると麻薬的に止められなくなるもの。したくなっても、決してしてはいけない、と思う。もし、それでも見てしまうのなら、見たことは墓場まで持っていく覚悟であるべき。自分はやましいところがないか見られても構わない、とか、配偶者間のプライバシーが何処まで守られるべきか、とかそういうレベルの問題ではなくて。携帯電話を一度でも見てしまうと、見てしまったほうが、苦しむことになるから。携帯って要はメールのやりとりを覗き見る。そこにあるのは、言葉だけ。そこから配偶者と、送受信の相手の関係を推し量る。やり取りしている表情も、言葉の調子も、裏の気持ちも見えない。少し親しげなやり取りがあると、全て不信に繋がってしまう。一度携帯を見てしまった妻たちは、揃って、次も見ずにいられなくなる。しかも、見てしまうような妻たちの大部分は、見たことを夫に黙っていられない。動かぬ証拠として、自分が見たことを宣言し、夫を問い詰めてしまう。問い詰められた夫は、大半が逆ギレ。本当は夫にやましいところがあったのかもしれないが、それを棚に上げて、お前が見るからだ!となる。逆ギレした夫を見て、ますます妻は怪しいと思う。そして携帯をチェックする隙を伺う。夫は携帯をチェックされないよう細心の注意を払う。妻は一日中、夫が何をしているか怪しいと思う。昼間、夫が出勤していても、本当に職場にいるのか、会社に電話をかけたい衝動にかられる。夜も眠らず、夫の熟睡した隙を狙って、隠された携帯電話を探す。これ、本当に治らない病気。これから配偶者の携帯を盗み見ようと考えている人たちがいたら、もう一度考えて欲しい。もし、見てしまったら、見たことを死ぬまで言わない覚悟があるか?怪しい内容がもしあったとしても、気づいているような気づいていないような微妙な態度で、夫を操縦できる自信があるか?それがなかったら、携帯を盗み見ることは、夫婦関係の改善に繋がるより、悪化に繋がる可能性のほうが高い。携帯やPCをこっそりチェックしてしまうというのは、一種の心理的依存、立派な中毒だと思う。この中毒にかかる妻たちは哀れなことに、「自分は夫のことを愛しているのに」と涙する。夫がきちんとあなたの許に毎日帰ってきているのなら、夫はあなたとの生活を守るつもりでいる。だったら、そこを信じたほうがいい。それほど愛せる相手と結婚できたこと、夜中に目が覚めた時愛している男性が隣りにいることは、それ自体、奇蹟。結婚する(事実婚も含む)ということは、「おやすみなさい」の意味が変わること。夫は昼間に仮の姿もたくさん持っているかもしれないが、「おやすみなさい」がそれで別れる意味でなく、それから一緒に過ごす意味であること、そこを大事にしたほうがいい。もし、夫があなたとの生活を守るつもりがない、何がバレても知ったこっちゃない、と居直る態度なら、既に夫婦関係は破綻しているのかもしれない。片方の気持ちが途切れたところで、実質的に続けていけないというのも、分かる。携帯電話を見てしまったことごときで、夫婦が壊れてしまうのは、本当につまらない。
2006年11月19日
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閉鎖病棟をもつ単科精神科病院に勤務していると、メンタルクリニックや総合病院の精神科からご指名で(近医宛でなくて)紹介されてくる患者さんの大半は、入院依頼。外来通院なら自分のところで診ればいいわけだから、当然だ。外来だけど転医のお願い、というのは転居や時間・距離的通院事情に伴う転医か、患者さんと前医が診療方針の食い違いや、相性が悪かったとかで喧嘩別れしている場合。時々他科が入院依頼、と紹介状を書いてくることがあるが、精神科経験のない医師に入院適応かどうかの判断は全くできないはずだから、本来ルール違反。患者さんには、入院という言葉は出さず、精神科で診てもらった方がいいですよ、という説明でとどめて欲しい。逆に私たちが身体科に紹介するときも、まず受診です、(入院で診て欲しいなあと本音は思ったとしても)入院になるかどうかは、あくまでかかった先の医者の判断ですと説明している。日本でトップ10に入るほど有名かつ素晴らしいと評判の総合病院身体科で、通常診療時間内に受診にかけたら「入院が必要だが受診するより先ににうちの精神科に紹介しそれを通してにしろ。医者としての常識がなってない」と怒られたことがあるが、私たちは初めに入院ありき、で紹介できる立場に無いから困ってしまう。要は受診されて、迷惑だったと言うことらしい。精神疾患のある人間には、身体の病気にかかる自由(?)もないと感じることがしょっちゅうだ。身体科の医者あるいは病棟の、精神科アレルギーは、それほど強烈。話がそれた。身体疾患で総合病院入院中に、紹介されて退院後即転院で送られてくる患者さんは、「病棟看護が、言うことを聞かなくて手がかかる患者さんに音を上げたから」のことが多い。うちは単科精神科病院だから、身体の病気を診られる設備も、検査体制も、薬剤のラインナップも、医者の手腕も、揃っていない。ところが、転院で到着したときから、熱があったり、白血球や炎症反応が高かったり、糖尿病のコントロールがボロボロだったり、胸部X線写真が肺炎で真っ白だったりする。特に高齢者が多いから、急変すれば、一気に悪化して生命に関わりかねない。1日経ってさらに熱が上がり呼吸状態が悪くなってきて、元の病院に逆紹介でお願いしようとする。ところが一瞬でもこちらに入院していれば、もうあちらは知らぬ存ぜぬなのだ。「あなたのところに入院しているのだから、そちらの患者でしょ。そっちだって病院なんだから抗生剤治療くらいできるでしょ。」「そんな検査もできないって、あなた医者ですか?よくそんなところでやってますねぇ。」平身低頭でお願いしなければならない上、ボロクソ言われたことがある。後で調べたら、言われた相手は卒後数年の女性内科医師だった。「息苦しい、と言って外来受診されたが、うつ病の亜昏迷状態です」、と総合病院から送られてきた患者さんが、どう診ても本当に息が苦しそうで、聴診してもゴボゴボいってるので、胸部レントゲンを撮影したら、真っ白。そのままUターンしてもらったら、完全に呼吸不全だったというケース。こっちは、採血結果も外注ですぐに出ないし、技師がいないからレントゲンも自分で撮影して現像して読影している。PCでオーダーしただけで全ての結果が出揃って戻ってくる、恵まれた環境じゃない。身体疾患が出ても、すぐに誰かが引き受けて診てくれるような環境ではない。恵まれた環境に慣れきってしまうと、医師はそれが当たり前だと思ってしまうようだ。総合病院からの紹介の場合、本当に本当に、いくらでも検査できる環境なんだから身体疾患を除外してから患者さんを送ってもらいたい。というより、医学部の精神科の講義で、「精神科的診断を下すには、まず器質的な疾患を除外すること」って習うと思うんだけど、そんな基本はどこかへ飛んでしまうんかな?精神科閉鎖病棟のある大学病院から、病状が悪化し本人が入院を希望しているから取るように、と「満床」を理由に紹介され、本人の同意による「任意入院」で入院した患者さん。大学病院で、もう長年投薬治療を受けている。入院したからすぐよくなるという症状には乏しい。法律的に任意入院というのは、本人が退院したいと言えば、退院してしまう。その時、「(幻聴で)退院しろという声が聞こえるから、今すぐ退院する」とでも言ってない限り、お引き留めすることは難しい。案の定、(地域で最高峰の精神医療を提供しているはずの)大学病院で治療してきて、一介の精神科病院に送られてしまった不満もある。入院して短期で劇的に症状改善することでもないと、「退院したい」と言い出してしまう。退院したい、大学病院に戻ると言われれば、お引き留めできないので、「力不足で申し訳ありません」と紹介状を書いて戻す。だが、数日後、そちらの教授から院長に「お前のところの病院は、治療不十分で患者を退院させる医者がいる」とクレームが来て、厳重注意を食らった。仕方がないので、大学の主治医に謝罪の電話をかけると、「家族の問題を調整してから退院させて欲しかった」とおっしゃる。....これって、おかしいと思う。要するに、先方の主治医は、「こっちは大学病院で日々の診療に忙しい。家族の問題なんてめんどくさいことは、暇な単科精神科病院ででも聞いてもらえ」って言ってるってことではないの?長年、自分が外来で診て、解決できなかった問題でしょう?しかも、長年自分が外来治療をしてきて、よくならなかった、もしくは悪化して、でも、自分のところに入院させないで、申し訳ないが治療してもらえないかって送ったはずでしょう。本来、自分の手腕が至らなかった、恥ずかしいと思うことなのよ。自分の治療内容、処方内容に問題がなかったか反省もしないで、当然のように他人様に送りつけて、思ったように解決してくれなかったから、文句?文句があるなら、自分で責任もって最後まで診ろよ。ハハハ、一度や二度じゃないのでつい熱くなってしまった。
2006年11月16日
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自分が紹介状を作成するときにもろもろ思うことを書き連ねたが、今回は、自分が受け取った紹介状で「えーっ!?」と思ったもの、参ってしまったものをいくつか、書く。まずとにかく困るのは、読めない紹介状。だいたい医者ってのは字が汚いと相場が決まっている。某有名な先生は、診断書に記載した病名が読み取れず、「こんなふざけた病名があるか」と提出先からつき返されたという伝説を持つ。この先生のカルテは、99%の文字が判読不能。また別の先生の患者さんを私が引き継いだ時、...その先生のカルテは95%の文字が判読不能なのだが...、患者さんの言葉に、必死で笑いを噛み殺した。「先生はカルテを日本語で書かれるんですね。▲▲先生は、全部英語で書かれてましたよ。」▲▲先生のカルテは、あれでも日本語です.....。少し距離をおいて、立体視すると読めてくる字があります...。先日、紹介状にお返事を書いたが、後からネット上で、宛先である某病院の院長の名前を間違えて書いたことに気づいた。チョー失礼に当たるが、紹介状の字からはそうしか読めなかったから迷わず書いてしまった。特に、身体科からの紹介状では、「検査で異常が無いんだから、うちではもうお断り。何回も来てグスグズ言うならプシコ(精神科)に送ったれ!」という勢いで殴り書きされたのが届く。もともと字の汚い医者が、殴り書きしてくるんだから、余計始末に負えない。入院をお願いしたいという紹介状もよく来るのだが、「ここへ入院させてもらいなさい」とか、「ここへ行けば入院させてもらえるから」と患者さんに説明してしまう紹介元も困る。入院決定権は、入院する病院の医者にある。入院のご相談をお受けするということであって、診察しなければ入院適応かどうか判断できない。一人暮らしの認知症のご老人を、普段は放置している遠方の親戚が寄って集って連れてきて、何とか病院へ置いていこうとするケースも後を絶たないが、事前に紹介元から入院が決まっているような説明を受けていると、トラブルになる。ご本人は、きょとんと静かに診察室に座っている。周りで親戚が、いかに困るか口々に訴える。本人に訊くと、「入院はイヤだから、入院しなければならないのなら、薬をのむ」と言っている。奇異な言動が混じりながらも、静かに診察室に座って「薬をのむから、入院はしたくない」というレベルの会話ができる患者さんを強制入院させることは、法的に出来ない(説明はまたの機会に)。親戚の人たちは、薬なんか誰がのませるんだ、ここではおとなしくしているが、家ではそんなことはないんだ、薬をのむなんて言ってるのが信用できるか、と、どうしても置いていきたい。入院でいくら表面的な症状が改善したとしても(認知症は不可逆的な変化なので、残念ながら病気そのものがよくなることはない)、退院後誰も薬を管理しない、通院にも連れてこない、後のことは誰も看るつもりない、というのでは、治療にならない。というより、多分このケースでは、二度と誰も迎えに来ない。薬を出すから、まずのませてみましょうね、いくら入院させても、退院後だって服薬はあるんですよと話したら、「金もかかるし、こっちだって入院なんかさせたいわけじゃないんだ!金は払うって言ってるだろう!入院させてくれるって言うから、ここまで来たんだ!こんなところまで通院できるか。オマエ名前はなんて言う!(自己紹介はしたのだが、まるで聞いてなかったらしく、名札を覗いて)じゅびあ、じゅびあっていうんだな。この薬をのませれば、何も問題を起こさなくなると言うんだな。これでコイツが何かしでかしたら、俺たちのせいじゃないってことだな。警察にもお前の名前を言うからな。損害賠償も何も、全て責任取るんだろうなオラァ!」と来た。ひえー、怖いよー。本当は手が震えてカルテが書けなくなっちゃうくらい、怖い。ビビッているのがバレては困るので、カルテは後から書くことにして虚勢を張る。こんなことを言う身内がいるのでは、ますます入院して頂くわけにはいかない。退院してから、放置しておいて何かあっても、退院させた医者が悪いと言いかねない。この時の紹介元は、どちらかと言えばライバル関係にある民間病院。いつも、患者さんを送ってくる時、口頭で「あっちへ行け!」だけで紹介状を持たせた例がない。今回は初診なのに満床のため、と丁寧に紹介状を持たせ、確実に引き取るようFAXまでよこした。本当に満床だったはずがない。自分たちが診たくなかったから、送ってきたのだ。その証拠に、親戚の一番唾を飛ばして喋るオッチャンが言った。「ここは、★★★病院の関連会社って話じゃなかったのか。話が違うじゃないか。一日がかりで来たんだぞ。オマエじゃ話にならん。他の医者を呼べ!」そこまで出まかせ言ってでも、★★★はうちに押し込みたかったんだな。私より(実は)若い男性医師に、自宅から近い★★★病院ともう一度相談するように言ってもらったところ、一言も罵声を上げることなく、あっさり引き下がったと言う。
2006年11月15日
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医者の作成する書類の中に、紹介状、というものがある。皆さんご存知のように、医療機関を移る時、移るのではないが、紹介元では診療不能な疾患が出てきて、他の科なり医療機関なりに並行して受診する時に、作成する書類だ。転医の場合、基本的には、患者さんがどの医療機関を選ぼうと自由。だから医者は二つ返事で紹介状を作成すべきだし、実際私もしているが、いくつか例外がある。精神科という科の特性上、統合失調症などの、精神病圏を診療している。だから時に患者さんが妄想的になって「お前は俺を馬鹿にしてんのか!お前は薬でなく自分に毒をのませている、だから転医する」「自分の病気は精神疾患などではない。自分は(心電図他血液生化学的検査所見に異常は無いのに)心筋梗塞で、CCU(循環器科の集中治療室)に入れてもらうべきだから、紹介状を書け」などと言っていることがある。もっと極端だと、「自分は××星人なので(多分、実際は地球人)、地球の医者には診せられない。××星の医者にかかる」と言われたことがある。帰る方法が見つかるまで、地球の医者で我慢してね、と診療した。小倉優子はコリン星の医者にかかっているのか!?ここまで行くと書きようもないですが....。これらはそれ自体が疾患の主症状なのでいちいち他へ紹介したら、よそから怒られてしまう。その時の患者さんの気分で、私のちょっとした言動に、担当医に対する評価が突然「最悪」となり「転医してやる!」と言い出した場合。ある意味でそれも心の問題と言える。それまでにも医者への評価がコロコロ変わるためにドクターショッピングをしていることが多い。こういう患者さんも紹介先に迷惑をかける可能性があるので正直言って紹介しにくい。この次までにもう一回家族とも相談してよく考えてきてね、と言ってその回は帰す事も多いのだが、「あの医者は紹介状も書かん」と怒ったのかそれっきりになることも多々ある。どうしてもその場で紹介状を書けと言われると、「近医宛て(特定の医療機関を名指しで書かず、好きなところへ行ってね!ということ。遠方への転居に絡む普通の転医でも、地域事情が分からないので、宛先を近医にせざるをえないことが多い)」で書くことになる。どこの医療機関が、その患者さんのお気に召すのか分からないし、どこか特定の医療機関を紹介しても、そこが気に入らないと「あの医者、腹いせに悪い病院を紹介したな」と恨まれるからだ。もう1つ、「外来でここまで来るのは大変なので、普段は近所のクリニック(内科であることが多い)で薬を出してもらいます。悪くなったらまたぜひお願いしますので」と言うケース。意外かもしれないが、これについては基本的に紹介状を出したくない。それでも紹介状を出す場合は、「悪くなった時だけお引き受けします、と言う約束はできない。基本的にはお引き受けしないと思ってください」という条件の下で、だ。表面だけ読むと、患者さんたちには意地悪ととられるかもしれないが、説明すると皆さん納得してくださる。ここで意味する悪くなったとき、は、まず「入院が必要となったとき」と捉えて間違いない。だから、悪化しても入院に至る可能性が低い疾患なら、精神科クリニックへの紹介状は作る。よーく考えて欲しいのだが、私が外来診療でまず考えていることは、「入院しなくていいように病状をコントロールする」ということなのだ。そのコントロールは他の医者に頼みますので、悪くなったときだけお願いします、と言われると、じゃあそっちの医者は何をやっているの?と訊きかえしたくなる。いや、まだコントロールを試みてくれればいいが、そのへんの内科で投薬だけとなると、実質的に漫然と処方を継続するだけ。さらにまだそのまま継続してくれればいいが、一般内科の先生は向精神薬を使い慣れないし、使い慣れない薬を出し続けるのは抵抗があるので、病状が安定していると早めに減薬してしまいがち。少し悪くなりかけた時も、自分で診ていれば何とか入院させぬよう早めの調整を試みるのに、対応ができないと結局そのまま悪くなって再入院となる。施設入所の患者さんだったりすると、そちらの嘱託医が診るので紹介状を書くよう言われることがあるが、悪くなった時自分で診なくていいんだったら、その医者には何の責任も無い。こう言ってはなんだが、自分で診きれなくなったら、施設が看きれなくなったら、よそへ送ればいいという状況を許しては、医者にも施設にも何とかしなければという努力は期待できない。...悪くなったとき、って悪くならないようにしてもらわなきゃ、困るのですよ。
2006年11月15日
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今日は、精神科とあまり関係ない話。興味の無い方は読み飛ばしてくだされ。プロフィールにも書いているが、私の家には10歳を超えるうさぎがいる。人間で言えば、もう100歳を超えていると言っていい。私が結婚して1年後、夫の転勤で見知らぬ土地へ引っ越した時に暮らし始めたうさぎで、うちの(人間の)子どもたちよりも、付き合いは長い。家にやってきたときは、生後6週ちょうど。掌に乗るくらいの小さな仔うさぎで、食べる姿も、おしっこする姿も、毛づくろいする姿も、何をする仕草も可愛くて可愛くて、1日中眺めていたのを覚えている。ところが、性格はまるっきり女王様で、気まぐれ。寝ていると自分から飛び乗ってきたりする一方で、こっちが抱こうとすると蹴りを入れるか、おしっこを引っ掛けて逃げていく。突然寝室に跳び込んできて、口を開けて寝ていた私は見事に前足をズボッと喉まで突っ込まれたことがある。若い頃はイタズラもした。ダイヤル回線でネットをしていた頃は、何度も電話線を噛み切られた。お見合いをさせて4回出産し、死産もあったが全部で10匹、仔うさぎを産んでいる。深夜に生後2週の仔うさぎが5匹全部脱走し、何時間も探し回ったこともあったっけ。寒い時だったので、暖かい場所を探して10個の耳が冷蔵庫の下のわずかな隙間に並んでいた。仔うさぎを里子に出した直後、授乳をしようと探す姿に涙した(通常うさぎは生後1ヶ月ほどで授乳をしなくなるが、うちの子はいつも、生後1ヵ月半の別れの日まで授乳を続けた)。その仔うさぎたちも、もう半分以上、お月様に帰ってしまった。生きている子で、消息が分かるのは私の手元にいる娘1匹だけ。その子ももう、7歳になった。私の半生(期間としては半分に満たないが、内容は半分以上)をともに過ごしてきた相棒だ。私の幸せだった時も、幸せを守ろうと努力していた時も、妊娠出産で大変だった時も、別居して幼子を抱え、仕事も出来ずに先々の不安にさいなまれ絶望していた2年間も、離婚を決意してから闘い続けた1年半も、離婚してから全力疾走を続けてきた日々も、この子はみんな知っている。うさぎがそんなことするわけない、と誰にも信じてもらえないのだが、私が一人で泣いていると、この気まぐれうさぎは「どうしたの?」と自分から寄り添ってきて、私の手を舐めるのだ。普段は、威張っていて絶対しないのに、私が泣いているときだけ、やってきて、舐める。子どもと私が全員体調を崩して高熱で寝込んでしまったとき、動けずに1日掃除をサボったら、全く食事をしなくなってしまった。うさぎというか、草食動物は、絶えず食べていなくてはいけない生き物だ。エネルギー効率も肉食動物に比べて悪いから、身体の割にはたくさんの量を食べる。1日中食べて食べ続けることで消化管が動き、食べなくなれば消化管の動きそのものが止まってしまい、自然に回復する見込みは乏しい。草食動物は捕食される立場。弱った時は食べられる時だから、長く苦しまないように出来ている。人間の子どもは熱を出しても一般には死なないが(!)、うさぎは食べなくなれば、1日の勝負。夜、自分は少し回復したが、丸1日食べずにいたうさぎは、じっとうずくまり、体温まで下がってきてしまった。筋肉の張りがなくなり、危ないのが分かったが、よりによって祝日で動物病院は休みだった。徹夜で身体を温めて励まし続け、朝一番、出勤前に動物病院に車を飛ばし、「覚悟はしていますが、出来る限りのことは全てしてください、オマカセします」とうさぎを預けた。別れる時、これが生きている姿を見る最後になるかもしれないと後ろ髪を引かれながら出勤した。仕事が済んで動物病院に飛び込むと、ショックを起こしていたため、ステロイドを打って、点滴で補液をしたそうで、私の帰りを何とか頑張って生きて待ってくれていた。翌朝、動物病院に寄ると、なんと、自分で小松菜を食べ始めていて、その日の夕方には退院。一体なんだったの、あのハンストは、とこづいてやりたい気分だった。一昨年の夏、乳腺に腫瘍が見つかった。うさぎの場合、乳腺腫瘍は9割が悪性。摘出するには繋がった左右の乳腺(おっぱいは、4×2で8個もある)を全て切除するそうで、高齢のうさぎには体力的に厳しいと説明を受けた。また、転移をしている可能性も高く、メスを入れてもかえって悪性の細胞を飛び散らせる結果になるだろうとも聞き、納得の上で手術しないことを選択した。去年の夏、やはり食欲が落ちて、糞も減ってしまい、年齢的に厳しいかも、と思いながら1日おきにビタミンと食欲増進剤の注射に通った。体重は半分近くまで減ってしまったが、2ヶ月間彼女も(私も)頑張り、最後は3日ほど入院して強制給餌してもらい、2割くらい体重を戻して、もう一度私の元に帰って来てくれた。担当の獣医師も、「この子は人間の言葉が分かるタイプのうさぎですからね」と言う。寡黙だが、いつも「アタシはじゅびあのことみんな分かってるのよ」という目をしている。その目もここ半年、片側は白内障が進み見えないようで、ケージまでの距離を誤ってコケている。私には必要としているから、何度も生命の危機を乗り越えてきてくれたが、次はもうないだろうな、という覚悟もしている。毎年、この夏は越せるか、この冬は越せるか、という状態になってきた。...と、書きながらすでに泣けてきてしまう。多分壮大なペットロスになるだろうな。動物を飼うということは、その子の生命を全て引き受けること。病気になった時に治療費用が捻出できるかも、最初から考えなくてはいけない。ペットを治療しなくちゃいけないがお金が無い、と私の前で泣く患者さんがいるが、ペットは長くともに過ごせば人間と同じで必ず病気になるものだ。人間の子どもはいずれ巣立つが、ペットは私より確実に先に死ぬ。というより私より後まで生きるペットを飼ってはいけない。うーん、違和感があるなあ。うちの相棒には、ペットという言葉自体、そぐわない気がする。相棒が月に帰る時には、「ありがとう」という言葉しかないと思う。抱っこは嫌いな彼女だが、抱きしめてそう言って見送ろう、そっと心の中で決めている。うちの相棒のことになると、いつもよりさらにまとまりのない文章になってごめん。
2006年11月14日
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精神科の外来をやっていると、「薬はのみたくないので、カウンセリング(だけ)で治療を受けたい」と言って来られる患者さんが多い。他の科だったら、受診して不調を訴えて薬も出なかったら、納得できない人が多いのに、何故?また、処方を受けても、「薬をのんだら副作用が出たので、結局最初の1回しかのみませんでした」と、2週間後、外来に来る患者さん。もちろん、深刻で服用を中断すべき副作用もある。ところが多くは、「便秘したから」「のんだ途端にふらついたから」「眠かったから」「ぼーっとしたから」「1回のんだらちょっと気持ち悪くなったから」という程度。「眠気」は確かに副作用の代表格だが、それだけなら風邪薬も、花粉症の薬も、かなり眠い。便秘したから、とおっしゃる方は、元々便秘気味だったりするのに、薬をのみ始めると、「薬のせいで便秘した」と思ってしまったりする。「のんだらすぐにフラフラした、気持ち悪くなった」とおっしゃる方は、副作用を気にしながら恐る恐る服用し、緊張のあまり自律神経症状が出たのだろう。まだ、お薬は胃袋の中。そんなに早く、薬効(副作用も含めてだ)が出ることはありえない。「ぼーっとして仕事(家事)ができなかった」とおっしゃる方は、仕事(家事)ができないということ自体が、うつ病の症状だったりする。便秘や、食後のムカムカ感などは、食べた内容や体調(ちょっと風邪気味とか)によっても左右されるのに、何故か「薬の副作用が出ました!」ということになってしまう。これはひとつに、「薬剤情報提供書」の弊害でもある。そこに書いてあるから、「ほら、書いてあるとおりの副作用が出たでしょ!?」ということになってしまう。そういう症状が出ても、お薬のせいのことがあるから、すぐに心配しなくていですよ、処方医に相談しましょう、ということなのだが、ここに書いてある副作用が出たから、すぐ止めた、となる。歯医者さんで、「痛かったら手を挙げてくださいね」と言われて処置を受ける。結構痛いので手を挙げるが、まず「ちょっと我慢してくださいねー」と言われるだろう。精神科の薬を出していても同じで、「ちょっと我慢して続けてのんでみてくださいね」と言わざるをえないことが多い。2週間、というのは抗うつ薬なら効果が徐々に出始める頃。続けて服用してもらって、合うか合わないか観察をしようとしているのに、1回しか服用せずに来ました、と言われると、正直、ガッカリだよっ。心に作用する薬をのむのは、身体に作用する薬をのむのと違って、怖いというのは理解できる。身体の病気と違って、のまなくても死なないし、まあいいや、という気持ちになるのも分かる。のんだら熱が下がるとかいうように、はっきりした効果もすぐには出ないし、今出ている副作用(と患者さんが思っている症状)のほうが辛いから、のみたくない、というのももっともだ。例えば、「あなたはガンです。」と宣告されたとする。抗がん剤には、向精神薬とは比べ物にならないほどの激しい消化器症状や、皮膚症状、全身倦怠感、髪の毛がほぼ全部抜け落ちてしまうほどの辛い副作用が多く存在する。だが、みな、一生懸命、服用する。有難く点滴の治療も受ける。のまないと、生命に関わると考えるからだ。精神科の病気は、直接には生命を奪わないかもしれないけれど、あなたの人生を奪うこともある病気ですよ、とよく説明させてもらっている。生活を、仕事を、人生そのものを奪っていく病気なのだから、侮ってはいけない。そう、精神科医は、人の生命を直接守る仕事ではないけれど、患者さんの人生を守る仕事なのだ、私はそういう誇りをもって、仕事をしているつもり。だから、お願い。患者の皆様、薬は指示通り服用シテクダサイ。
2006年11月14日
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学会出張、と言ってもそう滅多に行けるわけではないのだが、東京の学会の合間に、有名チャイナの店、銀座アスターでランチをした時のお話。週末の学会だったので、銀座アスターはとても混雑していて、順番待ちの人でいっぱい。ようやく順番が回ってくる頃には、かなりお腹が空いてしまった。かなり待たされてお腹が減ったこともあって「せっかく本店まで来たから」と、知り合いのドクターと私は、ちょっと奮発してランチコースを注文することにした。案内されたテーブルに着くと、一部がガラスになった衝立の上縁が頭より少し低いくらい。その衝立を隔てた隣のテーブルでは、中高年の男性と若い女性が、向かい合って食事をしていた。いや、食事をしていたと言わず、あえて、ラーメンを挟んで座っていた、と言おう。私たちのテーブルにも前菜が運ばれ、「やっぱり某百貨店の中のアスターより美味しいような気がする」とか言いながら、くらげをずるずる啜っていると、隣の会話が耳に飛び込んできた。男性の会話の内容から、同業者であることはすぐに判った。レストランやバーで、会話の端々から、医療関係者は発見される。これより他に話題は無いのか、と言うくらい、業界の話しかしない。学会出張で食事に行くと、例の医者の会合みたいな話ばかりするスーツ集団に遭遇、辟易する。今回の男性は、学会でプレゼンテーションされた内容にいたく刺激を受けたのか、これからの児童精神科医療はこうあるべき、親に対してはどーの、教育機関に対してはどーの、と熱弁を振るっていた。向かいに座っている女性は、「そうですよね」「本当ですね」とひたすら相槌を打っていた。さあ、2人の間にあるラーメン、もちろん銀座アスターのラーメンだから、単品でも1500円くらいはするんじゃないかと思うが、私も私の連れも、だんだんそのラーメンが気になりだしてきた。...自分たちのスープが湯気を立てて運ばれてくる頃には、私たちは無言になってしまった。話を聞かされている女性に対して、男性が目上なのだろう。間をおかず喋り続けるので、女性は箸を手に取る暇もないようだった。明らかに女性がうんざりしている様子が見て取れるが、男性はお構いなしにトークを続ける。男性が目上だから、多分男性の奢りなんだろうが、ラーメン一杯で聞かされるのは、酷だ。せめてフルコースを頼んで、合間にゆっくり話すか、食事が済んでからファミレスでコーヒーを飲みながら話したらどうだろう。ラーメンはすっかり冷めている様子で、湯気も上がっていない。麺物だから、温度だけでなくのびてしまえば食べられたものではない。せっかく、アスターの高級ラーメンなのに。私たちが炒め物にさしかかる頃、女性が化粧室に立った。ずいぶん長く戻ってこない。男性はしばらく手持ち無沙汰にしていたが、箸を取って麺を一口啜った。「...絶対、美味しくないだろうな」私だけでなく、みんな同じ意見だろう。15分くらいして、ようやく女性が戻ってきた。これでさすがに相手は嫌気が差しているのが分かっただろう、と私たちは安心してチャーハンに手をつけた。戻ってきた女性に男性が言った。「ごめんね、こんなオッサンの話、長く聞かされて、嫌だよね。うるさいと思ってたでしょ。」「そんなことないです」と女性が答えた。思わず、ここでチャーハンを噴き出しそうになったのだが、女性がそう答えた途端、あのマシンガントークが再開したのだ。結局私たちがデザートを食べ終わっても、2人はラーメンを挟んで、向かい合ったまま。それからあの2人が、そして何よりもあのラーメンが、どうなったかは分からない。私は、店で料理が出ると、冷めないうちに、美味しいうちにすぐ頂く、という主義なので、2人の間の不味くなりゆくラーメンと、銀座アスターが可哀想でならなかった。
2006年11月13日
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先日、医者の集まりが苦手と書いたが、薬屋さん(MR:製薬会社から、営業回りに来る医薬情報担当者)も、大の苦手だ。私が医局の机で患者さんの現病歴や、退院時サマリーや、診断書や鑑定書なんかの書類を作成している時、ではなく、昼休みにぐーたらテレビを見ていたり、ブログに愚痴を書いてたり、昼食メニューがあまりに貧弱で午後やる気が出んからデザートを食べていたりする時に彼らはやってくる。彼らはすぐ横までやってきても、私がいかにきれいにプリンを食べるかに熱中していると、プリンを平らげて視線を向けるまで黙ってじっと待っているのだ。あなたたちも(いや、下手をすると私よりあなたたちの方が)忙しいだろうから、用があるなら声をかけたらどうだろう。「お忙しいところ、すみません」「はあ?(忙しくないのは見れば分かるでしょ。忙しそうに見えるかいあんた。)」「今日は●●の副作用についてのデータをお持ちさせていただいたんですが、こちらへ置かせていただいてよろしいでしょうか?」「どーぞどーぞ。(無遠慮に突っ込まれたダイレクトメールやちらしでいつも家のポストはいっぱいだよ。そんなん机に置いてくくらいでいちいち遠慮してたら身が持たんやろに。)」「で、先生、近頃●●をお使いいただける新しい症例は何例かおありでしたでしょうか?」「そんなん、数えたことないからワカラヘン。大体薬なんて、合う人には使うし、合わない人には使わん。それだけやで」大体こんな調子で会話が進む。あんまり愛想がなくても、なんだし。彼らの言葉遣いはやたらと丁寧で、へり下っているが、私への敬意は微塵も感じられない。いや、そんな尊敬されるような人間でも、心当たりも、実際ないし。どう考えても、彼らは自分たちの売っている薬を買って欲しい、より多く処方して欲しいだけ。口では表面的にお世辞を言って、心の中では、舌を出しているに違いない。どうしても、慇懃無礼って感じがしてしまう(MRの皆さん、ごめんなさい)。この雰囲気が生理的にダメなので、医局詣でのMRさんたちが昼休み、黒服みたいに廊下に並んで立っていると、「げっ!」と思って踵を返し、看護の休憩室に隠れたりする。頼むから、もうちょっと普通に、自然に口を利いてもらえないだろうか。MRさんたちは、「先生はお忙しくてなかなかお話させていただけない」といつも言うけど、本当は逃げ回ってるのだ。彼らも、暫くすると売り込みをしても無駄って分かってくるみたいで、だんだん私には寄り付かなくなるんで、いいけど。ところが、世の中には、薬屋さんたちと話が弾む、もしくは薬屋さんと話をするのがとっても好きなお医者さんが意外に多くいる。なんであんなに和気藹々と話せるのか。私が社会適応できてないだけ?と思うくらい。薬屋さんと、早朝からテニスに行ったり、休みの日にまでゴルフに行ったり。薬屋さんに家族の分まで旅行のお膳立てをしてもらって、駅までのタクシーも要求したり。臨床治験の協力をすると謝礼がいくらだから、協力できませんかって宣伝したり。宣伝するだけでそれなりの特別な見返りがあったからこそ、周りを誘ったんだろうけど。あんなふうにかしづかれて、本当に自分が偉くなった気になれる?偉そうにしていると、薬屋さんたちは心の中で「いい気になって」と、医者なんてバカにしているかもしれないよ?医者って、みんなそういう風だって思われたら、恥ずかしいよ?ある医者が、自分で当直を入れた土日を急にやれなくなったと言って、土壇場で私に替わってもらえないかと頼んできたことがある。その日はどうしても、大学で用事があり、行かなくてはならないからというのが理由だった。私はその日、子どもの誕生日ディナーを計画していたので、できることなら辞退したかったが、他に誰も引き受けられる医者がいなかった。私は仕方なく、子どもの誕生日を諦めて(一応そのことは、告げた上で)、当直を引き受けた。ところが、引き受けた直後から、医局で薬屋さんと平気で週末の接待ゴルフの話をしているのだ。××助手の腕前が、どうとか。私がいるのも構わず無遠慮に、医局中に聞こえる声で。当直明けの月曜日にも、「替わってもらってすみません」の一言もなく、昨日のスコアがどうだったとか、薬屋さんと盛り上がっている。今後もしその医者に当直交代を依頼されることがあっても、二度と引き受けないと決めている。
2006年11月12日
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生まれて初めてブログを書いてきて思ったんだけど、誰にも予告とか宣伝とかしてないのに、ここを訪れて下さる方が、たくさんいて嬉しいです。世の中、こんなブログって流行ってたんですねえ(私が時代遅れ?)。でも私の書く内容って、とても精神科医には見えないんじゃないかって気がしてきました。いえ、普段も白衣を着てないと全然医者に見えない人です、私。子どもが卒園式で「大きくなったらお医者さんになりたいです(その時、初めて聞きました)」と挨拶した時、周りのお母さんたちに「お父さんお医者さんなんですか?」って訊かれたくらい、医者に見えんとです。もちろん、普段普通に統合失調症とか、躁とか、うつとか、神経症とか、転換性障害とか、診てるんですよ。だけど時々、自分の仕事が分からなくなる時があって、外来看護師にぼやいてます。「また私、こんな『行列のできる法律相談所』みたいな相談を受けてしまった...!」患者さんにも「先生、医者ですよね?やたらに何でも詳しいけど本当は何してる人なんですか?」って訊かれることあります。世間話から入っても話題はゆりかごから墓場まで、付き合えなくては話を引き出せません。こちらからも質問して話を聞きだすためには、精神医学だけでなく、育児に関するものから、死んだ後の相続のことまで幅広く、基本的な知識を要求されるのです。本来精神科医ですから、提供できるサービスは基本的に医療のみ。占い師や宗教家ではないので、人生の指針を提示することはできません。H木K子先生のように、「今のままだと地獄に落ちるわよ」って言い切れればカッコイイですが。一応、名目上は、不眠とか、自律神経症状とか、頸肩腕症候群みたいな訴えなんだけど、どこにも相談するところが無くて、話をとにかく聞いてもらいたくて訪れる患者さんが、たくさんいます。聞くだけしかできないので、「ごめんね、聞くだけで解決してあげられなくて」と言っています。患者さんの話を書くときは、一人の患者さんの話でなく、似たような患者さんたち何人かのお話を組み合わせて書いたり、定型的にしたり、一部を残して変えたり脚色したりして書いてます。ですから、ここに書かれた患者さんのお話がそのまま存在するわけではないし、個人を特定されることのないよう、留意しています。でも、お医者さんについての話は、本人が見たら思い切り心当たりがあるかもしれません(うわっ)。
2006年11月11日
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離婚後の厚生年金分割制度発足を前に、分割後年金額目安の情報提供を希望してくる人の9割が、女性だそうだ。私の外来にも、離婚を考えている女性が数多くやって来る。「妻がうつ病らしい」と夫に連れられてうつむいて入ってきた女性が、診察室で2人きりになって顔を上げたら開口一番、「私、離婚したいんです。夫と顔を合わせているのが嫌で、口を利かないだけなんです。明るい顔なんてできません。もう決めているんです。でもいくら言ってもそんなことを言い出すのはおかしい、と夫が話し合いに応じてもくれないんです」と言い出すこともある。夫にしてみれば、「妻が離婚なんて言い出すとは、心の病気のせいにちがいない」と信じられない気持ちだったのだろうが、妻の話はしっかりしていて、離婚したい理由も明確であったりする。こんなケースでは後日診察内容を夫から問い合わせられたりすることが多いが、「ご本人に話して頂いてください、そのほうがよろしいと思います。」と一切お答えはしない。離婚予備軍とまでいかないが「いっそ離婚したらどうだろう」と考えたことのある女性は、と尋ねたら、確実に7~8割の既婚女性が手を挙げると思う。かく言う私も離婚経験者だ。私自身の離婚についてはまたの機会に触れるとして、この仕事をしていると経験が役に立つ。診察場面では当然だが、私は離婚を推奨するつもりもないし、止めるつもりもない。それはあくまで夫婦が決めること。だがいくつか、必ず言わせて頂くことがある。「離婚したからって、そこから先の人生が、バラ色になる訳ではないですよ。」当然のことながら、女性が離婚して1人で生きていくのは容易ではない。子どもがいれば、なおさら。経済的にも、労力的にも、いざという時にも、頼れる実家のある人はまだいいが、実家の親もどこまで元気でいてくれるか、分からない。「経済的に心配だから別れられない(または、子どもがいるから別れられない)というのも1つの十分な理由だと思います。そう思えるうちは、離婚しなくてもいいんです。」本当に続けていけない、どうしても嫌だ、という時は、経済的なものをさておいても、子どもがいても、どうしても別れようと思うもの。それくらいのモティベーションがないと、双方が離婚希望でない限り口にするだけ労力の無駄。結果的に離婚できない。何が何でも別れる、お茶ガラ食べても生き延びてやる...くらいの意志が、エネルギーが、必要。そこまで思えないのなら、機が熟すのを待つのも悪くない。「本当に離婚してしまっていいのでないなら、夫婦喧嘩で脅し文句のように『別れる』『離婚する』『どうしてあなたなんかと結婚しちゃったのかしら』は禁句です。一方で、本当に離婚する気持ちになった場合も、自分の心や経済的準備が完全に済むまで、それをチラつかせてはいけないんです。」夫婦喧嘩のたびに「別れる」「出て行け」と罵りあいになる夫婦は意外に多いようだ。だがこれを繰り返すと、心の中には雪のように、降り積もっていく。根雪のように、溶け残る。また本当に離婚を心に決めた場合も、自分に有利に事を運ぶためには、配偶者に原因がある場合の証拠固め、預貯金をできるだけ子ども名義にするなど離婚後に備えた経済的準備、様々な制度や法律の勉強、本当に離婚していいのか、離婚できるのかを十分に吟味してから、口に出すべき。夫の浮気が原因なので親権をとりたいが、自分だけで家を飛び出してしまったという女性には、とにかく一度戻るよう勧める。子どもが10歳を超えてくれば、子どもの意思というものも尊重され、どちらか選ばせることができるが、それより幼い子どもであれば、婚姻継続困難にした原因がなければ母親が圧倒的に有利だ。経済的な問題は父親が養育費を払えば済むからである。だが離婚が本格化し、調停や裁判が絡んできた場合、現状で父親の下、子どもたちが何不自由なく生活してしまっている、のでは母親が不利。親権を離したくなかったら、絶対長期間子どもと離れてはいけない。慰謝料も養育費も要らない、とにかく夫と縁を切りたい、と言う女性もいる。確かに離婚するには瞬間それくらいの意気込みが必要だが、慰謝料はともかく、養育費をもらうのは母親の権利でなく、子どもの権利。子どもが小さければ小さいほど、その有無で長期にわたって差が出てしまう。大きくなると教育費も負担大。後悔しないために、それを忘れてはいけない。離婚原因がどうとか、慰謝料養育費でもめる場合、協議離婚でも弁護士を入れるように勧める。自分たちで話し合っても、あの時どっちがこう言った、と感情的にお互いを罵倒するだけになってしまうと、進む話も進まない。顔を合わせるだけでもイヤなのに、話し合いを思い出すとますます腹が立って毎晩眠れない、という女性もある。離婚渦中の女性が精神科に来るときは、だいたい不眠を理由に、いらっしゃる。長期に食べられなくなってしまったり、自律神経失調症状に苦しんだりするくらいなら、初期費用を(応援してもらえるのなら)実家の親に借りてでも、代理人を入れたほうが精神衛生上いい。弁護士っていうのは、依頼人の希望をそれ以上に拡大して、相手方に伝えてくれるので、気持ち的にはかなりスッキリ、楽になるし、プロがついているという安心感は大きく違う。
2006年11月11日
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私は医者の端くれであるが、同業者との会合がものすごーく苦手だ。自ら出ようともちろん思わないが、極力出席しないよう、避けている。会合、と一括りにしたが、要は宴会や食事会、学会なんかの後にある懇親会、何とか教授の退官記念パーティとか、そういう類のヤツのことである。医者と言っても気心の知れた連中ならよい。学生時代のサークル仲間もよい。友人が、結果的に医者、というのはOKだ。医者の集団ってのは、ああいう場で、どうしてゴハンが不味くなるような話しか出来ないのだ!?寄って集って、あんなくそ面白くない話題しか、喋れんのか!ああいう中に長時間いると、吐き気を催して、頭がクラクラ。自律神経がパニックを起こし始める。まず初対面の医者同士が集まると、自己紹介の後始まる話題は、必ずコレ。「先生のご専門は、何でいらっしゃるんですか?」精神科の医者同士だと、そこで「精神生理で睡眠のほうを」とか、「大学では児童をやっておりました」とか、「分析をやってます」とか、「●●先生の下で森田療法を研究しておりました」とかが正答だ。だからと言って実際、その患者だけを集めて診ているドクターなんていうのは、大学などに籍を置く、恵まれたごく一部に過ぎない。普通に臨床をやっていたら、精神科疾患といわれるものは、統合失調症もうつ病も、神経症も認知症のせん妄も、一通り全部相手にしている。総合病院の内科で、外来から病棟まで、消化器(例えば消化管と肝・胆・膵のようにさらに分かれる)・循環器・呼吸器・腎・内分泌・血液・神経(何か忘れていたらゴメンナサイ)のように分かれているのなら、何が専門というのは臨床と一致する。外科系も、何の手術を一番多くやっているかを答えればいいから、答えやすいだろう。私はしがない一臨床医なので、このような高尚なご質問に対する回答を持ち合わせていない。なのでいつも「いえ、私にはそんな専門と言えるようなものは...」と答えることになる。ところが相手は私が謙遜していると思うのか、「いやそうは言っても、ご専門はあるでしょう」と食い下がる。(....ひつこい。強いて言えば精神科のプライマリをやってるんじゃ。文句あっか!)他の医者が、自分の専門は「認知行動療法」だの「森田」だの「分析」だの自慢げに答えているのを聞いて、吹き出したくなるのを必死に堪えていることもある。(ちゃんとやれてから、それで患者さんよくしてからお言い。ゴルァ!)...ちゃんとやっているドクターがいないとは、言いませんが。医者が自分で「自分の専門」と言っているのは、大学にいた頃に何の研究室に属していたか、ということだけだったりするから、信用できない。ちょっとその研究室のミーティングに出ていたことがあります、だったり。実は論文のために、ネズミの脳を使って、試験管を振っていたのだったりもする。そういった研究が無意味だとは言わないが、そのドクターの治療実績とは必ずしも比例関係で結びついているとは限らない。私はこれが専門、と臨床医が胸を張って言っていいのは、専門=得意分野、その疾患についてなら、自分が平均的な精神科医と比べて優れた治療実績を上げている場合だけだと思っている。この疾患について、治療法についてならそんじょそこらの誰にも負けない、くらいの自信がなければ、何が専門なんて、恥ずかしくて言えない。あと30年くらいしたら、何かこれなら負けん、と言えることも、出てくるかな。そこからの話題は、自分が何とか教授とこの前の学会でお会いしたとか、何とか言うおエライ先生と一緒に仕事を何年していたことがあるとか、この間ゴルフに行ったとか。(...それがどーした、と言いたい。)仕事の話をするのなら、どういうシステムにしたら診療が円滑になったかとか、最近来た患者さんの処方をどうしているかとか、実はこういう症例で困ってるとか、学会発表みたいなきれいごとじゃない部分、そういうのを聞きたい。「エビちゃんOLの服を着て診察に出たら患者さんのウケがよかった、それはどこどこで売ってるの」とか、「かすかにブルガリブルーをつけて診察に出たら患者さんから怒鳴られなくなった」なんてお洒落の話題にも関心をもったらどーだ。どこかの病院が新築中だけど、入院患者さん全員入れる核シェルターを地下に掘っている!くらいの突飛で面白い話は無いのか。職員も全員入れるのなら、転勤する。いや、その状況下で大量の患者さんと保護室みたいなところに2週間缶詰、は精神的にキツイ。前言撤回、やっぱりいざとなったら家族用に自分ちで穴掘ることにします。
2006年11月10日
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外来にセクハラの相談に現れる女性たちを診ていると、ある共通点が存在することに気づく。過去の自分も含めて、「隙(すき)がある」のだ。身体不調や出勤不能で精神科に相談に来られるケースは、行為がどこまで及んだかは様々ながら「大概他者のいない空間で行われる恐怖を伴うセクハラ」である。上司が挨拶代わりにお尻を軽く触った、も社会的には十分セクハラだが、そのレベルではない。だが、もちろん挨拶代わりにお尻を触られる女性も、その先もっと深刻なセクハラに遭う可能性が高いので、注意が必要である。念のため言っておくが、セクハラは行うほうが絶対的に悪い。セクハラされた方が隙があるから悪い、などと言うつもりは毛頭ない。だが、現実にはセクハラはいたるところに存在し、社会で働く女性の皆さんに「自分の隙」を知っておいてもらいたいと思うし、それなりに自衛をして欲しいと思うのだ。セクハラに遭う遭わないは、美人であるなしとか、お色気ムンムン(笑)とか、露出度の高い服装の多少(痴漢には遭いやすいので気をつけて)とか、モテ度、仕事の出来、とはあまり関係ない。多いなと思うのがこんなタイプだ。A.どちらかと言えば明るくて職場でもムードメーカー。エッチな軽口を言っても冗談として付き合ってくれる。「イヤだぁ♪」と言いながら軽く叩き返すなど、自分からのボディタッチが多いこともある。B.どちらかと言えばおとなしくて職場では目立たない方。何か嫌な思いをしても、到底職場で訴えていけそうもない。そんなことを言い出す姿は想像的できない。セクハラをする側から見るとどうだろうか。電車で見知らぬ女性に痴漢をするのではない。職場で、顔見知りで、身元もお互いに判っている相手に行うのだから、痴漢より自分の立場を脅かされる危険度は高いはず(もちろん、痴漢も許されぬ犯罪です)。なのに、痴漢をする勇気がなくてもセクハラするのは、行う側に自分は大丈夫という「心の言い訳」があるのだ。A.「コイツに何か言われても、周囲にはそんなの冗談に決まってる、で済ませればよい」B.「間違ってもコイツが職場で声を上げるなんてことはない。念のためちょっとビビらせておけばなお確実だ」大体この2つのパターンではないか。読んで頂けば判るように、それぞれが上の女性のタイプA、Bに該当する。精神科医がこんなことを言って、と怒られそうだが、セクハラ被害に遭った場合の治療、と言っても残念ながら「日にち薬」を上回るものなどない。今後どうやって身を守るか、を考えないと、たとえ職場を移っても、同じ目に遭いやすい。・親しくなってきた上司でも、宴会で無礼講でも、絶対に自分からボディタッチをしない。・普段明るく調子よく振舞っていても、身体接触や性的な言葉に対してだけは、毅然とした態度で嫌悪感を示しておく。・普段職務に忠実、上司の命令に従順であっても、いざとなったらコイツは黙っていないな、と思わせるだけの強いオーラを感じさせられれば、しめたもの。・周辺に他者のいない場合、相手の視線や言動からいち早く危険を察知し、相手が持ち込もうとするムードに流されない。ことごとく打ち壊す。とにかく離れる、顔を近づけられないようにする、など相手がどう仕掛けてくるか、先に予想して、封じる。そこまでの事態で「ダメですよー♪」みたいないつもの調子、失礼にならないよう明るく別の話題を振るのは、隙になってしまうのでタブー。痴漢でなくセクハラをしてくる男性というのは、案外勇気も度胸も無いのだ。簡単に言うと、自分の好きなオトコをオトす時と、逆の態度をとればよい。相談に訪れた女性たちにいつも話す。「隙のあることは悪いことじゃない。でも、その隙は本当にあなたが好きな相手の前でだけ、見せなさいね」仕事に、行ってきます。
2006年11月10日
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当時住んでいた賃貸マンションまで、車なら約15分で、帰れるはずだった。病院の外へ出ると、雨が降り出していたのを覚えている。傘もないし、助かったな、とオーベン(上級医)の車に、私は何の抵抗もなく乗り込んだ。10分ほど走った頃だろうか、オーベンが「ちょっとドライブしていこうよ」とルートを変えた。(明日も朝早いから勘弁して欲しいな)と思ったが、ペーペーの私は何も言えなかった。赤信号で停車。フロントガラスの水滴が赤く染まっていた。その時突然、「ねえ、じゅびあ先生」とオーベンの左手が私の肩に回ってきた。と思ったらいきなりグイ!と私の肩を引き寄せよった。(えっ!えーっ!)(嘘!これは嘘だ!そんなはずない)(ちょっと、何してんですか)あまりのことに、予想もしていない事態に、頭はパニクり、声も出ない。「じゅびあ先生は、お付き合いしている人、いるの?」「い、い、いますよー。」「まだ結婚しちゃったわけじゃないんだし、いろんな男性とお付き合いしてみたほうがいいと思うよ。」「セ、センセイ何言うんですか。とにかく帰らせてください。お願いします。明日も朝早いんですよー。」それからオーベンが何を言ったか、ほとんど覚えていない。土砂降りの雨にかき消されていた...はずはないのだが、そんなイメージ。路肩に停められた車内、肩を抱き寄せられたまま身を固くした私は両手で顔を覆ったまま、ひたすら「帰らせてください。お願いします。困ります。」と半ば泣きながらオーベンを拝み倒し続けた。なんだかよく分からないけど、気が付いたら車はマンションの前だった。はっきり記憶しているのは、やっと肩から手が離れ、降りがけにオーベンが「じゅびあ先生、今夜のことは、絶対誰にも言ってはいけないよ」と言ったあたりからだ。送っていただいてありがとうございました、なんて言ってる場合ではないから、とにかく何故か会釈だけして、マンションの階段を駆け上がった。部屋に飛び込んで鍵を締め、時計を見ると、時刻は2時を回っていた。私は3時間半も、オーベンと押し問答をしていたのだ。驚いた。よくそれ以上のことなく、帰ってこられたものだ、とも思った。現実と思えなかった。怖くて怖くて身体の震えが止まらない。朝、普通に出勤できるだろうか。2時半、部屋の電話が鳴った。当時はナンバーディスプレイもないので、相手は判らなかった。が、実家で帰宅が遅いのを心配して、何度もコールしてきたのだと思い、受話器に飛びついた。「じゅびあ先生、さっき先生は、意地悪を言ったね」(ひえーキモい)「とにかく、休みますので。もう、許してください。」叩き切った。眠ったか眠らないか判らないような状態で、起きなければならない時間。7時半、再び電話のベル。「今日、来るよね」「......」(もう言葉出ない。)「また、会うね」「......」(何も言うことない。)「絶対に、病院で言ってはいけないよ。言えば、困るのは先生のほうだからね。」「......」......脅しだった。セクハラというのは性的嫌がらせ+脅しのセットのことを言う、と思う。私は無言で電話を切ったが、オーベンの言葉の意味は、判っていた。当時、そのオーベンは内科病棟の看護師と婚約をしている、という話だった。ほんの一昔前だが、今より女性医師は少ない時代。看護師(全員女性)の中には、同性の医師に対して一種の嫉妬か嫌悪感?のようなものを持ち、明らかに男性医師に対してと違う態度をとる者も少なからずいた。呑み会の席で私のほうをチラチラと挑戦的に見ながら、これ見よがしに男性医師にベタベタした態度をとる看護師もいた。もし、私が「こんな目に遭った」と病院に広めれば、おそらく、私のほうが看護師の婚約相手の医師をたぶらかした研修医として、看護職員に総スカンを食うだろう。なんと言ってもぺーぺーの研修医。看護師に総スカンを食ったら、仕事にならない。何も出来ない。何事も無かったように出勤して、黙っているしかなかった。その後も勤務は続けたが、乗り合わせてきて二人きりになったらどうしよう、と思うと、病院でエレベーターは使えなくなった。それでもストレッチャーを押して移動する時にはエレベーターを避けられない。部屋にかかる電話も、1ヶ月くらい取れなかった。それから毎日、何とか顔を合わせないように、ということばかり考えて勤務を続けた。当直をペアで組むオーベンがそのドクターにならないよう、同期に交代を申し込んだりした。1年間のローテート研修を終えたとき、私は精神科を選んだ。当時精神科を選んだ理由を尋ねられると、私は「手先が不器用で、外科系は向かないし、内科は(レントゲンの)被爆量が凄いから止めた」と答えることにしていたが、本当の理由は違った。その病院に、精神科が無かったから。無い科を選べば、辞められる。もう1年、そこで内科系ローテートをすることは、もはや考えられなかったし、同じ医局に入って顔を合わせ続けるのも、嫌だった。もしそのドクターがいなかったら、私は深く考えることもなく内科を選んでいたかもしれない。
2006年11月09日
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女性の精神科医師の外来、ということで、私の枠を選んで来てくださる女性の患者さんも数多い。よくある相談のひとつが、セクハラ。その後、出勤できない、眠れないというのが、大方の主訴。どうして自分だけがこんな目に、と思って来られる方が多いが、実のところ、どの女性にとっても明日は我が身、と思っていただきたいくらい、どこにでも転がっている話だ。だからと言って、当たり前とか、女性が我慢しさえすればいい、とはもちろん思っていない。かくいう私も、研修医時代にセクシャルハラスメントを受けた経験がある。今でこそ病院機能評価対策で、セクシャルハラスメントに対する委員会なんぞを設置する病院も増えてきたが、当時あまりそういったことは叫ばれていなかった。病院で医者からセクハラを受けた、と言えばイメージ的にまず看護師を想像する人が多いのでは。でも、女性医師も、しっかりセクハラ、受けてます。忘れないでっ。まだ医者になりたてほやほや、フレッシュな1年生だった私は、針を刺す事がとても苦手だった。自信がなくて、患者さんに針を刺そうとする時点で、緊張のあまり手が震えてしまう。患者さんも、手が震える医者に針を刺されたら、怖いだろう。止めようとするのだが、患者さんの視線を意識すればするほど手が震え、ますます出来ない。そんな時、ある内科のオーベン(上級医)が、「先生、採血苦手なの?僕がついてってあげるから、いつでも言って。」と言ってくれたので、すごく頼もしくて親切な先生だな、と感激した。実際、静脈採血も、動脈採血も、サーフロー留置(持続点滴のために、細いカテーテルを入れること)も、内科ローテートを終わる頃には、その先生のお蔭で一通りできるようになった。精神科医になって、そういった処置が必要な頻度は減ったけど、今たまに言われてほいほいっと出来るのも、その時その先生の指導があったからこそ。その点は感謝しているんですよ。外科ローテートに入ってから、呑み会があった。外科系というのはたいてい呑み会が多い。外科病棟の忘年会と、オペ室の忘年会と、検査室の忘年会が、全部別にあったりする。その日は外科部長が「じゅびちゃん、帰りは車で送ってったるぞー」とずーっと言っていたのだが、研修医室に戻っても完全に酔っぱらっていて、「醒まして帰るぞー」と叫びながら爆睡。どう見ても帰れそうにはなかった。「自分で帰ります」というのも感じ悪いし、明日も朝早いし困ったな、と思っていると、研修医室に内科で親切にしてくれたオーベンがいた。「じゅびあ先生、僕が送っていってあげるよ。☆☆先生(外科部長)、じゅびあ先生僕が送りますよ」と外科部長に声をかけてくれ、「助かりましたぁ」と車に乗ったのが、いけなかった。病院を出たのは22時過ぎ。その時間、車なら、15分もあれば帰宅できる、ラッキー!しかし、ここから悪夢は始まった。私は化粧っ気もしゃれっ気もない、いつも髪はボサボサの田舎っぽい女の子で、同期には「あの美人のほうの研修医」とか言われている女性医師がいたくらい。そんな自分の身に、まさか...。さすがに短時間で書ききれないです。続きはまた明日にでも...。
2006年11月09日
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今、うつ病ってどこでも話題になっている。ネットを開ければ、「あなたのうつ度チェック」みたいなページは数限りなく出てくる。新聞でも本でも、いたるところで「うつ病」が取り上げられ、情報が氾濫。「誰でもかかる心のカゼ」「ひとつでも当てはまれば医療機関へ」「今はいい薬があるから半年治療すれば治る」「とにかく休養が必要」「こじらせると長い期間闘病することになる」などなど。...それらが、みんな嘘だとは思わない。おかしいと思ったら、素人判断は禁物、精神科に早めに、気軽にかかって欲しい、とも思う。↑↑みたいなマスコミの記事は、それを啓蒙するために、こう書いているんだろう。精神科にかかりにくいから、かかりつけの内科医あたりで済ませよう、というのはよくない。身体科のお医者さんたち、というのはポリクリ(医学部学生の時に行なう臨床実習)の2週間程度しか精神科経験がない場合がほとんどだ。心療内科、という標榜も要注意。何科を標榜するかは医師免許さえ持っていれば自由。だから内科専門医が「ついでに」やっているケースがある。精神科という科は、とかく他の科に馬鹿にされていて、「睡眠剤と安定剤を出すくらいなら、誰でも診られる。死なない病気だし、それで手に負えなくなってからプシコ(精神科)へ送ればいいや」と思われている。抗うつ薬にも種類があってそれぞれ「個性」があるので、それらを熟知していない内科の先生に、SSRI(最近はやりの抗うつ薬で、1stチョイスと言われている)の処方を受けると、合わない人は危険な衝動性を呼び覚まされる。これはSSRI販売攻勢をかけた薬屋さんたちにも責任の一端があるのだが。だが、私が今いちばん問題に思うのは、精神科医自身が、「うつ病」を量産していること。初診で、患者さんが「気分が沈みます」「食欲がありません」「夜よく眠れません」と訴えさえすれば「ああ、うつ病ですね」と抗うつ薬を処方し、場合によっては教科書どおりに3ヶ月もの休養を要する診断書を作ってしまう。激混みの有名総合病院精神科(患者さんたちはいいと思っているから殺到しているのだろうが)で、SSRI処方マシーンと化している精神科医もいる。もちろん、それで事足りるケースも多いから、診療が成り立っている。混雑している。一方、私たちが診るのは、さんざんこじれてから内科医が、心療内科医が、精神科クリニックが、総合病院や大学病院の精神科医が、「休養入院お願い」と紹介状の「熨斗」をつけて送ってくるケース。そういうのが、多すぎる。精神科病棟をもたないクリニックからの紹介はまだ許せる。しかし自分のところに病棟があるのに「満床」を理由に送ってくるケースは、例えばその患者さんが不定愁訴を繰り返して話を聞くのがうるさくなってきた、とか、人格的な偏りが顕在化してきて自分たちの病棟では診たくない、とか、身体にも手がかかって看護に嫌がられるから(総合病院のくせに、だ)、とか、できることならそのまま紹介先で長く病棟に入れておいて欲しいんだろうな、退院後もこっちにいついて欲しいんだろうな、と推測される患者さんが多い。もし、あなたがこういう病院で、「すぐ入院してもらわなければならないが、満床だから他の入院できる病院へ紹介しますね」と主治医に言われたら、要注意。待てるのならば「空くのをどうしても待ちたい」と言ってみて、主治医の反応を見るのも手だ。ああいう病院は病床回転率が高い(出入りが激しい)から、同じ頃ちゃんと「満床」を理由に断られず即入院させてもらっている患者さんもいるのだ。「困った」患者さんほど「居心地のいい病院、ストレスのケアに力を入れている病院、そこへ行けば入院させてもらえるから」と強く宣伝されて、いらっしゃる。ところが、実際来院されて診察してみると、入院適応でないケース、「これ、どう考えてもうつ病じゃねーだろー」と叫び出したくなるようなケースにしょっちゅうぶち当たる。有名病院精神科や、大学病院精神科で「あなたはうつ病です」と本人も家族も擦り込まれてきた患者さんの診断および「入院しなさい」という判断を覆すのは、一介の精神科病院の医者には困難を極める。「○○病院の××って偉い先生にうつ病と、ここへ来ればすぐ入院させてもらえると言われて、わざわざ1日がかりでこんなところまで来たんだ。本当はこんなところじゃなくて○○病院に入院するつもりで行ったんだ!お前ごときが何を言う!」と患者さんや家族から怒鳴られるのは、日常茶飯事。でも、実は○○病院のお忙しくておエライ××先生は、その患者さんを診療するのがちょっとめんどくさくなっただけだったりする。中には、初診でおエラーイ先生に3ヶ月以上休職の診断書を出され、職場に提出したら即クビを宣告され、ますます今後の不安と気分の沈みがひどくなって2回めの診察で紹介、「入院依頼」なんて患者さんもある。「自分は休むつもりはなかった。診断書を書いてもらうつもりも、辞めるつもりもなかった」と診察室に座ったときから、怒っている。3ヶ月診断書書いたら、せめてその期限が切れるとこまで責任もって自分で診ろ!とまたまた叫びだしたいのをこらえながら話を聞く。クビになったのは今更どうしようもないのに、それでますます死にたくなっちゃうのを入院でどうよくしろって言うの!?失恋して気分が沈む、親に進路を反対されてムカつく、夫とうまくいかなくてイライラする、職場の人間関係がうまくいかなくて出勤したくない、そんでもって、食欲が落ちたり、眠れなくなったりする、私は人間ってそういう不完全な生き物だと思っている。それでいい、そのままでいい、そういうことに向かい合うのも大切、と思っている。そういう話をしたら精神科で抗うつ薬を処方されて、一向によくならないので、病院を変えたくて来ました、という患者さんも多い。みんな、許容範囲狭すぎ。人間ってもっといろいろでいい。いつも元気ハツラツ、な訳がない。いわゆる気分が沈む「抑うつ気分」があるとみんな「うつ病ですね」と言ってしまう医者って、人生で壁にぶち当たったり、挫折したりした経験がないんじゃないだろうかって思ってしまう。どうして、「人間って、そういうこともあるよね。みんなあるよ。大丈夫」って言えないんだろう。「自分はうつ病なんて、トンデモナイ病気にかかってしまった。ああ、どうしよう」ってますます抑うつ気分になっちゃう人、焦っちゃう人がたくさんいるのに。お医者さんたちって、人生スムーズに生きてきすぎ、世間知らずすぎなんだよ。いや、決して私が人生の酸いも甘いも噛み分けてきたわけでは、ないけど。さて、今日も午後から診なければ。ガンバッテキマス。
2006年11月09日
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