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3~4年に1回、耳鼻科へ行って耳掃除をしてもらう。もちろん風呂上がりに綿棒で掃除をしているが、いつの間にか耳垢を押し込んでしまったりして、だんだん奥の方に溜まってくる。だんだんそれが大きくなってくると、洗髪などでふやけた拍子に耳垢が鼓膜にくっついて、詰まった感じがしたり、ボーンと耳鳴りがしたり、という症状を引き起こすのだ。...なんか汚い話で、申し訳ない。うちの娘も、耳掃除は定期的に耳鼻科。外耳道がとても細くて見難く、ちょっと綿棒を入れただけで痛がる。カサカサした耳垢なのだが、掃除しようとするとすぐに粉々にバラけてしまい、掻き出せないのだ。今年のプール前に耳鼻科で洗って出してもらったら、伸ばすと4センチにもなるカタツムリが出てきた。耳垢は外耳道の壁から順に剥がれてくるので、成長(?)すると渦巻き状になるのだ。数ヶ月前から、綿棒で掃除をしたときに、右耳の奥でくちゅくちゅという音がすることに気づいていた。とろうとして綿棒を少し深く入れると、一瞬ボーンと詰まったような感じがして、すぐに治る。「おっ、そろそろ行かないと駄目か」前回は、すぐ平日に時間が取れず、3日くらいボーンと耳鳴りしたまま仕事をしていた。前に診てもらった近所の耳鼻科の先生は愛想がなくて怖い。私は花粉症で年がら年中若干鼻づまり気味だが、もう慣れてしまっている。鼻は別に詰まってない、と言ったら「こんなもんはつまっとる」と診察でひどく怒られた。薬をのんでいるか尋ねられ、「症状のひどいときは、AかEかTをのんでいる」と答えたら、「そんな眠くならないような薬ばかりのんでいるからだ」とこれまた怒られた。「寝る前だけでもZをのめ」と無理やり出されたが、これだと寝る前にのんでも朝起きられない。いや、その先生のおっしゃることは実にもっともなのだが、実際の仕事とか生活を考えると、あんまり眠気の強い薬も困る。そんなわけで、少し離れたところに新しくできたらしい、耳鼻科へ行ってみた。どうせ耳垢をかっぽじって欲しいだけなので、腕とかはどうでもいい(笑)。医院はとても綺麗で、設備機器も最新のものが入っていると判る。私は受付40番目くらいで、10人余りの待ちだったが、耳鼻科の診察は短時間で数を多くこなすものだから、こんなもんか、と受付して座った。ところが、1時間経っても、待合室の人数があまり減らない。受付だけして外出している人もいるせいだが、それにしても、耳鼻科らしくどんどん診察が進む感じがない。1時間半ほどしてやっと呼ばれたが、聴力検査だった。いやあ、私は耳垢掃除してもらいたかっただけなんだけど、設備投資があるから聴力も検査するんだなーと思いながら、「まあたまには面白いからいいや」とあえてお断りはしなかった。健診でやる聴力チェックと違って、オージオグラムが記録されるやつ。本当は結果をもっとよく見てみたかったが、異常ないです、で終わってしまった。そこからさらに待つこと、1時間。待っていて気づいたのだが、耳鼻科でもインフルエンザの予防接種ってやるのだな。随分それを受けに来ている子どもが多くて、耳鼻科本来の診察よりも時間がかかるようだ。結局トータル待ち時間は精神科初診並みの2時間半。まだこなれない感じの先生で愛想はいいが診療は3分。料金は初診料を含めて2310円(聴力検査が半分くらいを占めている)。半日がかりで当直開始時間ぎりぎりになってしまった上、高い耳掃除だった。うーん、これではリピートしようとは思わないな。花粉症シーズンの前に投薬を開始するので、来るように言われたけれど、そんなもんは自分の職場で処方するしな...。耳鼻科は、速い、安い、ウマイ、でなくちゃ。次は3年くらい先だけど、近くの先生のところで怒られることにしよう。ちなみに私は自分が医師であることを、明かさなかった。保険を確認すればピンと来るはずなんだけど、どうも気づかれなかったみたいだ。
2007年11月25日
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寒ーい。「本日休診」の札を掲げてお布団でぬくぬくしたい。病院の建物が古くて冷える、というのもあり、週末にはデパートのワコールかトリンプでモモヒキ?を買おうかと思っている。薄手で外にひびかず温かいモモヒキ希望。今日は昼前から体調がすぐれず、給食なんてとても食べる気にならなかった。仕方なくコンビニサンドを食べたのだが、またこれが体を冷やしてしまった。体を少しでも温めようと病院の自販機でホットのミルクティーを買ったら、ぬるい!!仕方なくコーヒーを淹れて飲んだら、胃が気持ち悪くなった。午後になってさらに気分は最悪。とにかく横になって休みたい、と悲鳴を上げる体に鞭打って働いた。ゾクゾクっと寒気がしてたまらない。インフルエンザみたいだなー、と思ってから、気づいた。昨日、ワクチンを打ったっけ...その副反応でしんどいんじゃ。患者さんにはさんざん説明しながら接種したのに、自分のことは忘れていた。これだけ副反応が出たってことは、しっかり免疫が獲得されるに違いない。帰宅して、体温を測ってみた。当然、微熱くらい出ていると思った。ところが体温計は34.6℃。まさか...と測り直したが、34.1℃。冷えすぎて低体温になってしまったらしい。身体も冬眠寸前。全身の副反応が出ると結構きついインフルエンザワクチンだが、医療機関に勤める者としては、よほどの理由がない限り、接種するのが義務だと思う。一方、数か月以上~年単位で入院している患者さんも、受けて頂くのが義務、と私は思う。病院を変わって驚いたのは、入院患者さんの接種率の低さ。以前の病院では、実質半強制的に60歳以上は全員接種だった。申し込み前に、各主治医に、「インフルエンザワクチン接種に同意頂くべき患者さんのリスト」が配られ、直前の診察で全員から同意をとった。病棟ごとの接種担当医よりも、主治医が話す方が同意を得やすいもの。意思表示が曖昧な患者さん、意思表示できない患者さんの場合、明確な拒否でない限り、同意したとして接種を行う、となっていた。患者さんのご家族に対しては「とにかく患者さんの身柄をお預かりしている以上、接種にご協力いただく」という形だった。私の知る限り、ここ5年間、職員が単独でかかって休んだという以外、インフルエンザの院内感染はないはずだ。ところが、今度の病院では希望者を募るのみ。患者さんは、「去年打たなかったけれどかからなかったから」「痛い思いをしてまでやるつもりない」「お金を取られるのが嫌」と口々に言いだし、自ら希望してお金を払って痛い思いをしたいという人は決して多くない。患者さんの家族も「どうせ入院しているのだから、家にいる自分たちには関係ない」「余分なお金を払いたくない」と、協力が悪い。例年、ぽつりぽつりとインフルエンザは発生しており、去年は職員の一人から大流行してしまったということだった。自分の担当病棟でも接種をしたが、「もう終わり?」どう見ても半分くらいしか打っていない。自分が主治医の患者さんが接種したくない、なとと言うのは個人的に許せない。病棟は古く個室が少ないため、誰かが発症しても隔離する場所がない。よほど精神症状が悪い人以外は全員打って頂く、と改めて各病棟に通達し、家族へ再度連絡を依頼。「集団生活の中で身柄をお預かりしている以上、ご本人だけの問題ではないので、接種にご協力いただくのが、主治医の強い意向である。どうします?ではなく、やっていただくと伝えるように」指示。さらに自分が接種を担当する病棟には、体調不良で延期した人を含め、もう一度接種する機会を作るので、未接種者全員の家族に再度連絡するように指示。これで、あと1割でも、接種率を上げておきたい。インフルエンザワクチンの有効率は8割程度だが、接種してある人数が多いほど、発生を水際でブロックできるし、誰かが発症したとしても一気に燃え広がるのを抑えることができる。集団の中では、一人一人がかかるかかからないかということよりも、全体の流行を抑えられるかどうかが問題になる。まして、精神科療養病棟(俗に言うマルメ)では、インフルエンザワクチンの接種料金は患者さんに負担して頂けても、インフルエンザにかかった時の治療費はすべて病院からの持ち出しになるからたまらない(患者さんの家族の中には、だから負担しない、他の人や病院のことなんてますます知るか、と平気で言う人がいるが、私にはこれが許せない)。勤務医の私の懐は痛まないが、大流行の火消しに走り回って精神科本来の業務に専念できなくなるのが嫌。新入りのくせに、勝手なことをして、と看護に思われるかと心配したが、意外に各病棟とも、協力的だった。そうだよね。どの病棟も発生すれば看護が大変になるんだものね。
2007年11月21日
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医療観察法という法律の名前を、一般の方でも耳にしたことがあると思う。簡単に言うと、殺人だとか、放火だとか、精神疾患により重罪を犯した人を、入院治療から退院後の通院治療まで、指定の医療機関で行い、またちゃんと通院しているかどうか、患者さんがどうしているかをチェックできるようにしたという法律だ。退院後の通院を勝手に患者さんが指示通りにしなくなったとしたら通常は個人の自由だが、医療観察法下の通院の場合、医療機関には通報義務がある。世の中の流れは現在、重罪を起こした人は医療観察法で、そこまででなければ医療保護入院で、という方向にある。例えば、そのへんでコンビニのガラスを割った、公共の標識などを壊して回ったなどの器物損壊、他人の敷地に無断で入った不法侵入くらいだと、警察も面倒くさいんだろう。彼らにとって精神科の患者さんは守備範囲外、相手にしたくないわけで「精神科に受診歴がある」ということだと、医療機関に投げて済ませようという体質は実際にある。ましてそこへ親など「保護者」がやってきて、病気のせいだから入院させるので、とか言い出すと、「逮捕」→「措置入院」という手続きをとることは、警察も親も避けたい、という利害が一致する。損害のほうは民事で賠償して、被害届を引っ込めてもらうとか、警察は仕事を減らしたい。親も、前科のつく逮捕だけは避けたい。だが、現場の者にとっては「まあ親御さんも望んでいるし、医保(医療保護入院の略称)で...」というのがとっても困る。例えばそれで入院を引き受けたとする。当然本人は逮捕されずに済んでしまう。しかし、いざ入院させてもじきに「こんな病院の治療は気に入らないから、退院させる。」「可哀想だから、自宅で過ごさせる。」と親が言い出せば、法律的に私たちは退院させざるを得ない。おーい、あれだけのことをして、数日で無罪放免か。精神保健法的には、措置症状(自傷他害のおそれ)がなくなったと判断されれば措置解除、医療保護や任意で入院継続か、退院となる。だが現場では、刑法による懲役の代わりに、患者さんをお預かりしているという側面もなくはない。精神症状により傷害罪まで犯した患者さんを入院させて、「素晴らしい投薬治療の結果」2週間くらいで目立った症状が消失したとする。はい、じゃあ措置解除で、お父さんお母さんが連れて帰りたいならどうぞ、というのは、人間の常識的な感覚として、しにくい。重罪を犯している人の措置解除はやはり慎重にならざるをえない。だいたい「おそれがない」という判断の根拠はどこに?その患者さんが二度と犯罪を起こさないということを断言できる精神科医はいない。予知能力があるわけでもないから、そこにいた指定医の推定、にすぎないのだ。警察で意味不明のことを話せば犯罪を犯しても逮捕されず、医療機関への入院で済んで、お父ちゃんお母ちゃんが連れて帰れるなら、犯罪を犯した人は全員そうするだろう。余談だけれど、選挙があるとポスターを破ったり、立て看を壊したりする患者さんがよく現れる。選挙期間中にやると公職選挙法違反という重罪だが、選挙が終わった次の日にやったのは、ただの器物損壊。患者さん自身にはそういう区別がない場合が多いのだが、選挙期間中だと間違いなく措置鑑定になり、選挙が終わっていると医療保護入院でとってもらえないか、と言われる。ちゃんと、悪いことをした人は、まず逮捕しましょう。>警察
2007年11月15日
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新しい病院で、まとまった数の入院患者さんを引き受けたのだが、処方の内容には驚いた。こんなに「R」という薬の独り勝ちだとは、思わなかった。もちろん、引き継いだ患者さんたちの、元主治医は一人ではない。何人ものセンセイから引き継いでいるんだけど、ベースのほとんどは非定型と言われる、新しい世代の抗精神病薬。「Z」や「A」も多いけれど、とにかく「R」が大半。不穏時(落ち着かない時)薬もR液が自動的に使われていく感じ。その「R」、前の病院では薬屋さんがえらいマメに売り込みに来ていたが、最近ジェネリックの採用病院が増えたせいか、急に来なくなった。慢性期療養病棟でも、詰所カウンターに一日じゅう張り付いて大声で何か訴えている患者さんが多く、どことなくザワザワして感じる。「R」が主流なせいだな、と私は感じた。一日に何回も頓服のR液を取りに来ている人もいて、カルテ上サマリーには「頓服でよくコントロールされており...」なんて書いてあったりする。私に言わせれば、「頓服使用量が多い」ということは患者さんが苦しいのだし、「定期処方の再考を要す」なんだけれど。頓服薬頼みの処方というのはダメだ、と思っている。結局一日のトータル薬剤量が把握できない。その患者さんの症状が急に動いたとき、何によるものか、何を調整したらいいのか分からなくなり、頓服の回数で調整することになってしまう。だいたい不穏時薬を毎日のんでいる患者さんは、毎日不穏ということだ。4~5年前、Rを売る製薬会社の、大学へのゴルフ接待は凄かった(私は全くゴルフをしないので、もちろん無縁だった)。その名残なのか。でも、バカ売れしてジェネリックが採用されれば、それまでだったりして。転勤して1ヶ月、とにかく処方調整や不穏時指示の書き換えに追われた。引き継いだ患者さんのうち、半数くらいがやっとコントロール下に入った感じで、楽になってきた。私よりだいぶ若い世代だが、中堅に入る先生が若手の先生に話しているのを耳にしてショック。「ハロペリドール?そんなものは一昔前の薬だね。今はRといういい薬があるんだから、それから使っていくのが現代の精神科医としては当然じゃないかな。ハロペリドールなんて、非定型を全部使って、どれもダメな時にしょうがなく使う薬だね。」今の若い先生たちにとって、ハロペリドールは副作用の強い、怖い薬でしかないらしい。一番、余分な作用のない、副作用もデータが揃って知り尽くされた、シンプルで使いやすい薬なのに。私は、Rのよさも、Zの副作用を逆手にとった治療も、Sのナチュラルさも、ある種の患者さんに対するLという薬の有用性も分かっているつもり。A...だけは、新しすぎてまだまだ分からない部分が多い(実際現場の精神科医にも、よく分からず試しに使っている人は多いんじゃないか)。でも、非定型薬というのはAを除いて、ハロペリドールやクロールプロマジンから派生したもの、使い方はそれらの応用なのだ。ハロペリドールやクロールプロマジンなどの定型薬の使い方を知らなくて、非定型薬の使い方は知っている、ということがありうるのだろうか。非定型薬の良さはやはり副作用の少なさにあるから、副作用が強いといわれる他の薬とチャンポン(寝る前に睡眠薬代わりに定型薬を加えるのを除く)することも、原則あってはならないと思っている。また、非定型薬中心の処方なのに、副作用止めをてんこ盛り、ではどっちをのませたいのか分からない。私なんぞに薬のことなどをよく尋ねてくれるお若い先生がいるのだが、先日こうおっしゃってくれた。「先生に教わったのを参考に処方を変えたら、患者さんが別人のように穏やかな表情になって、カウンターに張りつかなくなったんですよ!すごい、全然一昔前の薬ではないです。今までRを使って落ち着いている、と引き継いできたので処方を変えにくかったし、薬ってこんなもんなんだと思っていました。Rの液は、何回使っても効いてなかったんですよ。」抗精神病薬には、ものすごい種類がある。中にはもちろん、流行りものみたいに消えていった薬もあるけれど、今でも使える薬が何種類もある。その使い方を知っていれば、治療の幅はぐっと広がる。大学もそういう教育をしているとなると、10年先の先生たちは、非定型薬しか使えなくなってしまうんじゃないだろうか、と危惧せざるを得ない。
2007年11月12日
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保育園を卒園する時、初めて子どもたちが将来何になりたいかを知った。最初に娘が卒園証書を渡されて、言った。「大きくなったら、お医者さんになりたいです。」隣にいた他のお母さんたち(例によって相手は私を○●ちゃんのお母さん、と認識しているようだが、私は相手が誰だか分かっていない)に「おうち、お医者さんなんですか?」と訊かれた。次に息子。「大きくなったら、お母さんみたいなお医者さんになりたいです。」他の子たちは大半が「サッカー選手」「ケーキ屋さん」「お花屋さん」、あとは「小学生になったら漢字をたくさん覚えたい」「小学生になったら計算の勉強をしたい」といったところだったので、会場にどよめきが起きた。隣のお母さんたちに「お母さん、お医者さんだったんですか?」と驚かれた。同じ年の男の子と女の子だと、どうしたって女の子の方がませているし、口がたつ。息子は甘えん坊で「僕はずーっとじゅびちゃんといるよ」などと可愛いことをおっしゃる。「そんなこと言っても、彼女ができたらそっちの方が大事になるわよ。」「そんなことないもん。ぼくずっとじゅびちゃんとこのおうちにいるんだ。」「結婚して出ていくようでなきゃ困るわ。」「僕はじゅびちゃんと結婚するからいいんだもん。」あと何年そんなことを言ってくれるんだろう。そんな息子が先日、こんなことを言った。「僕ね、大きくなったらお医者さんになって、じゅびちゃんが病気になっても、手術して治してあげるんだ。」「そうなの?でも手術で治せる病気ばっかりじゃないからなー。手術で治せない病気はどうするの?」「アルツハイマーとか?」なんでアルツハイマーなんて知ってるんだろう。「アルツハイマー...おかーちゃん将来はアルツハイマーかぁ。アルツハイマーになったら、★☆くんを見ても分からなくなっちゃって『あなたはどちら様ですか?』って言うかもしれないけれどそれでもいいの?」「いいよ。僕ちゃんと診てあげる。」「★☆くんが赤ちゃんの時みたいに、お尻を拭いてもらわなきゃいけなくなるかもしれないけど、おかーちゃんのお尻拭いてくれる?」「うん。ちゃんとキレイにしてあげるよ。」...愛い奴じゃ。思わず息子にスリスリしてしまった。
2007年11月10日
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たとえば、貧血。たとえば、痛み。身体疾患が疑われるけれど、精神科単科の病院では検査しきれない、もしくは私では判断できない、薬剤のラインナップがなくて治療できない患者さんを、総合病院へお願いすることはよくある。ある患者さんを、肝機能障害で総合病院消化器内科へ送ったが、治療終了で帰されてきた。どれくらいのデータに戻ったのかな、と念のためすぐに採血すると、転院前より貧血が一気に進行している。食事もあまり摂れないので、体重が減少している。消化管出血、消化器系の悪性腫瘍、疑わなければならないものが沢山ある。どうして気がつかないのだろう。どうしてそのまま帰してしまうのだろう。肝機能障害の治療目的で送ったら、それだけ診て終わり、ということなのか。仕方がないので再度外来受診させると、一日がかりで、帰されてくる。今度は外来で検査すると言われる。しかもその検査は、上部消化管内視鏡が2週間先、大腸内視鏡が1ヶ月先。その間、精神科の治療を優先できず、検査を待つためだけの入院。食事の摂れない患者さんは、どんどん動けなくなる、衰弱してきてしまう。家族は遠い病院までの往復、そして「行っても何もしてくれないこと」に不満げ。その不満は、ご機嫌を損ねるわけに行かない総合病院の担当医師ではなく、言いやすい私にぶつけられる。「とにかく食べられるようにしてもらえなければ、心配だ。動けなくなってしまうんじゃないのか。このまま弱らせるつもりか。このままの状態では家族は連れて帰れない。ここに置くしかないのだ」私も何とかしてあげたいと内心頭を抱えているが、如何ともし難い。原因不明の貧血と、重度の腎機能障害で総合病院へ送った患者さんは「うちで検査をしても判らないから、お前のところに置いておいても同じ」と帰されてきた。重症肺炎で送ったある患者さんは、「うちで治療しても改善は見込めず、家族がそちらで最期まで診てもらうことを希望したため」と帰され、1週間以内に亡くなった。設備の整わない医療施設で看なければならない苦悩。せめて少しでも楽にしてあげたいが、私の内科的な力量と、設備、薬剤の問題で無理。本人も苦しい最期だったに違いない。消化器内科に受診させた患者さんが「これは消化器疾患ではなく、肺炎ですから」と帰されたこともあった。「そのまま隣の呼吸器科に依頼していただけないのでしょうか」と尋ねたら、「消化器科と呼吸器科は別々で関係ない。それは改めて自分で依頼しろ」と言われた。仕方なくまた同じ病院の呼吸器科に数日後(にしか入れてもらえない)予約を取り直して、家族、職員を付き添わせる。院外受診も、軽いうちにかければ「こんなものでいちいち送ってくるな」「精神病院でも診られるでしょ」と叩き返され、もう限界のところまで見極めてかければ「どうしてこんなになってから連れてくる。看護や主治医は何をしていた」と怒られる。これくらいなら入院させてくれるだろう、これくらいまで悪くなれば総合病院で診てくれるだろう、そのタイミングを考えなくちゃならないってこと自体、おかしい。すべて、一流と呼ばれる総合病院の話。そこへ行けば腕のいい先生がいて、地域で最高の医療が受けられる、と信じる患者さんたちがある時は列を成して、ある時は波のように押し寄せるような医療機関。どこが一流だ、と私は鼻で笑うのだけど。人道的におかしい、倫理に悖る、ということに気づかないのだろうか。そういう当たり前の感覚ってないのだろうか。自分や自分の身内が、そんな風に扱われたら、とは感じないのだろうか。
2007年11月08日
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慣れない職場で精神科の「固い」医療をやるのは神経を遣う。精神科の「固い」医療というのは、うつ病の休養入院とかと違い、例えば統合失調症で大暴れしている人を隔離して行なうとか、自傷他害や身体管理まで必要な人を拘束して行なう治療の事を指している。精神病状態で、本人の同意なく入院させられた患者さんというのはまず自らすすんで薬をのんではくれない。人によっては「病院の食事など絶対食べない」と決めていて、水分すら勧めても口にしない患者さんもいる。被毒妄想、といって食事や薬に毒が入っている、と思い込んでいる患者さんもいるわけだから、一筋縄にはいかない。拒食拒薬というのは本当に日常茶飯事で、看護職員も「ああまたか」という感じ。週末に入院させた患者さんが、土曜日日曜日と全く服薬できない状態で大暴れ、不穏時(落ち着かない時)の指示薬ものめなくて、月曜日出勤するとそのまま保護室に隔離されている、ということもよくある。当直医によっては、「拒薬しています」という報告を聞いて、「ああそう、じゃ主治医来るまでそのまま様子見て」と自ら服薬を勧めにいこうともしない輩もいる。これって、結構困る。患者さんから見れば、「ごねれば服薬せずに済む」わけだから、ますますその後ごねることになる。主治医が出勤してから服薬させようと粘っても「昨日の先生はのまなくていいと言った」ということになってしまう。私自身は、自分の入院患者さんが薬をのまない、ということを断固許さない医師だ。入院させて薬が入らないのなら、入院の意味などない。家にいて治療ができないから入院なのに、プロの医療職が薬をのませられず、そのへんに閉じ込めて徒に時間だけが経過するなら、何のための入院だ。当直時に患者さんに服薬を勧めに行き、どうにか口に含ませたもののブーッと吹っかけられ、頭から薬と水とよだれをかぶったこともある。白衣を通って服まで汚れ、クリーニング代だけは病院を通して請求させてもらった。筋肉注射や末梢からの点滴で入れられる薬剤は限られている。この患者さんにこれが合うだろう、と考えて処方した薬剤を確実に体内に入れるためには、やはり内服しかないのだ。新しい病院でも、拒食拒薬の患者さんを拘束して経管栄養と内服、をやった。入院前からろくに食べていなかった上、入院してから職員がお茶を勧めてもそっぽを向く状態だったから、いたしかたない。もちろん精神保健指定医の診察の上、である。だが、その指示が出た瞬間、「えーっ、マジで?」と言っている看護職員の声が聞こえた。...めげずに聞かないフリで、やらねばならなかった。薬を全くのんでくれない患者さんが薬をのんでくれるまで、何日も隔離されることは、患者さんやその家族の時間的経済的負担を増すだけ。あっという間に、何週間も経過してしまう。鼻から入れているチューブが辛くて「こんなのを入れられているくらいなら、口で食べます。口から薬をのみます。その方が楽だから」という気になってくれればそれでいい。前の病院ではだいぶ浸透させたことなのだが、ここではまだ違ったようだ。結局その患者さんは、1週間で食事が摂れるようになり、あだこだ言いながら2週間で内服できるようになり、3週間後に「これくらいなら家でみます」と家族が連れて帰った。最初の人でそこそこの結果が出せてよかった。今後同じようなことがあっても、次からは理解されるだろうから。
2007年11月06日
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秋の行事と言えば、運動会と、音楽会。運動会はこの頃春先にやる学校も多いようだが、音楽会は秋が定番。大体、クラスでやる合唱と、合奏。うちの子どもも、一応ピアノをかじってはいる。我が家にあるのは、私が生まれるより前からあるアップライトピアノ。45年ほど前のものだが、定期的に調律し続けてきたので、今でもきちんと音が出る。前の家ではキッチンの横と言う過酷な環境にいたから、外の塗装は曇ってしまっているが、中の木や弦はまだまだキレイ。もちろんサイレントとかではないし、防音室があるわけでもないので、弾ける時間は限られている。それに何より、ピアノの前に座ってまとまった時間練習するということが、うちの子どもにはできない。譜面が読めて鍵盤がわかる程度でいいと思っているし、私自身も同じだったから、何も言えないが。小学生でも、「ピアノを弾ける子」というのは無茶苦茶上手いもの。ところがうちの強気な娘は、「ピアノを習っている子、手を挙げて」と言われると、挙げてきてしまう(謙虚な息子は絶対に挙手しない)。去年もそれで、「週明けまでに練習してきて」と合唱曲のピアノ伴奏を持ち帰ってきた。私が初見ではすっと弾けないくらい難しいもので、片手がやっとの娘には到底無理。何人かの子が楽譜を渡されたそうだが、はなから勝負になるわけがない。それでも、週明けに一人ずつ弾かされるとのことだったので、手もつけなかったではあんまりと、最初の4小節だけ、死に物狂いで練習させた。片手ずつしか弾けない子どもに、たった4小節でも両手で弾かせる、というのは至難の業だ。結局その年は、とってもピアノの上手な男の子(もうツェルニー100番のレベル)が、ピアノ伴奏を受け持った。うちの娘には「ピアノの弾ける子、と訊かれてもあなたは人前で弾けるレベルでないのだから、二度と言ってはいけない」と強く言い聞かせた。なのに、また今年も、娘は楽譜を持って帰ってきた!ピアノを習っている子、と急に言われ、音楽会のこととは思いも寄らず(この時期に言われたらそうに決まっているだろ!)、また性懲りもなく手を挙げたという。「あれほど去年言ったでしょ!」と怒りながら楽譜を見た。合唱の伴奏ではなくて、合奏のピアノパートだと言うが、私が初見で一通り弾ける程度のもの。うちの娘も、今年は両手の練習に入っている。ひょっとして、これは何とか弾けるように出来るかも。途中で飽きる娘を相手に、1時間ほどかけてとにかく一通り教え込む。右手だけで練習させ、次に左手だけで練習させる。和音のパターンは2小節の展開部分を除いて、2通りしかないんだから、楽譜を見るより覚えさせる。展開部分だけが特別難しいので、そこだけを繰り返し弾かせる。前半部分だけ、後半部分だけを繰り返し弾かせ、繋げて弾かせる。翌日からは、一通り前日の復習をさせてから、前奏、一番、二番と通しで。全体のテンポはゆっくりでいいが、難しいところだけテンポが落ちると、注意する。テンポ一定で弾かないと、音楽は音楽にならない。一番難しいところを弾けるテンポに、全体を合わせて弾かせる。3日目にはゆっくりながら、何とか娘だけで一通り弾けるようになった。左手の音と、右手の一番上の音を、口で歌わせ、覚えさせる。お風呂の中でも歌わせ、もう暗譜させてしまうことにした。歌ってしまえば、テンポを保ちやすくなる。ある程度弾けるようになった娘に尋ねると、今年は女の子3人に楽譜が渡され、いずれオーディションで1人が選ばれると言う。初日など娘も泣きそうになりながら頑張ったし、何より私もとても頑張った(笑)。ここまでやったのだから、選ばれて欲しい。娘の伴奏に合わせて、私が上の音でメロディーを弾き、つられない練習もした。ある程度弾ける子同士だとすると、どこで差が出るだろう。とかく左手より右手の音が強くなりがちなので、左をしっかり弾かせ、右の和音は軽く。左手の音が長くなりすぎないよう、休符を守らせる。最後の音で気を抜かないよう、きちんと両手を揃えて離す練習もする。学校で訊いたらしく、1人はまだ全然練習していなくて、もう1人は何とか弾けて、暗譜で弾けるのは自分だけだ、とこの頃娘が言っていた。...ダメなんだよ、暗譜でやってるってバラしちゃ!と内心舌打ちする親の私。結局、実際の曲のテンポで弾けるまで、3週間ほど毎日やらせた。これほどピアノを頑張ったのは親の私も初めてだ。オーディションに、他の子どもたちはお母さんお手製の色紙で大きな音符を貼り付けた楽譜などを持ってきたというが、うちの娘は暗譜で弾いた。最終的にはこの暗譜の差で、うちの娘が選ばれてきた。よく頑張ったぞ、娘。よく頑張ったぞ、私。これで本番当日娘が風邪ででも休んだら、代役は私がやるしかないか(爆)。音楽の授業では、合わせての練習が始まっているが、娘は小節の頭だけ鍵盤を見て、あとは先生の指揮を見ながら弾けるので、「うまいね」と褒められたと嬉しそう。「でもね、鉄琴の子は、まだ全然弾けなくてね、先生は『今度までに弾けなかったら、クビ』って言ってた」ク、クビだってえ!?鉄琴なんて、家で練習してこられないのに...。去年も何回もパート変わって最後に大太鼓になったけど、きっとその前の大太鼓の子がクビになったんだな...。今時の小学校は昔と違って甘い、と思っていたけれど、うちの子どもの学校は、私が小学校の頃より厳しい。他の先生たちにお子さんのことを訊いても、明らかに厳しい。いや、普通に公立の小学校なんですけどね。
2007年11月03日
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