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天地孰得。 天地、孰れか得たる、 (3) With whom lie the advantages derived from Heaven and Earth? 天の時、地の利、其〔その〕宜を得〔える〕やと、兩軍の是非を較計也。 法令孰行。 法令、孰れか行わるる、 (4) On which side is discipline most rigorously enforced? 法は曲制官道主用也、令は號令也、主將の下知を號令と云えり。三略に云わく、將之威為す所以者は、號令也、戦之勝全うする所以者は、軍政也、士之戦を軽〔かろん〕ずる所以の者は、命を用ふる也、故に將還る無しと云へり。法令ありと云〔いえ〕ども、おこなはれざれば正しからず、このゆえに行字を用也。舊説に法令を以て法度下知の心也と一つにいたしみるは非也。 (つづく)
2021年03月24日
故校之以計而索其情。 故〔ゆえ〕に之を校するに計〔けい〕を以てして、其の情を索〔もと〕む。 12. Therefore, in your deliberations, when seeking to determine the military conditions, let them be made the basis of a comparison, in this wise:-- 此〔この〕故字は上の句をうけたる言也、五事をしるものは勝ち、知らざるものは勝たず、ここを以て此の五事を彼我に引合せてはかるを計と云〔いう〕、物をかぞへてはかるは皆計字也、このすへ(術)の七つをかぞへあげていづれか有餘不足とはかる、是〔これ〕乃〔すなわち〕計也、此〔この〕一句重ねて之を言〔いい〕て七計發端とする也。 主孰有道、將孰有能。 曰く、主〔しゅ〕孰〔いづ〕れか有道なる、將〔しょう〕孰れか有能なる。 13. (1) Which of the two sovereigns is imbued with the Moral law? (2) Which of the two generals has most ability? 主は主人也、主は道を以て本〔もと〕とす、道を心得ざる主人はたとえ才知かしこくとも人物の大義にくらし、このゆえにたとひ軍は當座のかち(勝)ありともまことの勝をしむること之〔これ〕有〔ある〕可からざる也、道は五事に注せる所の道、人民皆上にしたしみおもひ付〔つき〕て危きを畏れざる也、孰とは彼我との二つを合せての言也、二國人心の向背いづれか人の心を得て道あるぞと校計てしる也。能と云、材能也、材能と云〔いう〕ときは、専〔もっぱら〕智にかかれり、大将は智を以て第一とす、このゆえに能と云へり、しかれどもすべて云ふときは智信仁勇嚴をさす、此〔この〕五相備はるを能将と云、乃〔すなわち〕良将の義也、彼将と我将といづれが此五つのものをよくするぞと校計也。主には道と云、将には能と云、尤〔もっとも〕其心得あること也、主は其〔その〕大要をつくすにあり、將は其のことわざを能〔よく〕心得て、それぞれのわざをつくすべき也、漢祖の將に將たるは道也、韓信の多々益々辨ずるは能也、項羽の暗嗚叱咤而千人廢するは能也、漢祖の寛仁大度は道也。 (つづく)
2021年03月17日
凢此五者將莫不聞、知之者勝、不知者不勝。 凢〔およ〕そ此の五者、將〔しょう〕聞かざるは莫〔な〕し。 知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。 11. These five heads should be familiar to every general: he who knows them will be victorious; he who knows them not will fail. 凡そと云ふ者、大槩〔たいがい〕と云〔いう〕に同じ、莫の字、下知之言也、此〔この〕五の者は主將聞かずして叶わざる事也、このゆゑに聞かざる莫〔なし〕と、主將をいましめたる也、此〔この〕五事をしるものは勝〔かち〕、知らざるものは勝たず、されば之〔これ〕聞かざる莫〔なし〕といましむる也、知字尤〔もっとも〕心あり、察の字と相通じて見〔みる〕可〔べし〕。講義直解開宗の舊説皆なしと云う心に用〔もちい〕て、人々同聞と注するはあやまりなり、案之〔これ〕を知〔しる〕者は勝〔かつ〕、知らざるもの勝たずの一句は、下七計を云うべきための言也、下の句と引〔ひき〕合〔あわ〕てよむべき也。李卓吾〔りたくご〕云〔いわく〕、凡そ将為る者は孰〔いづれ〕か之れを熟聞せざらん乎、荀〔じゅん〕シ或〔あるい〕は之〔これ〕を語るに此の五事を以てせば、又〔また〕孰〔いづれ〕か以て皆〔みな〕老将之常談する所と為さざらん乎、然れども其〔その〕實〔じつ〕は知らざる也、其〔その〕實知らざれば則日に五事を聞くと雖も何の益あらん歟〔や〕、故〔ゆえ〕に曰わく、此〔この〕五者は將聞かざる莫し、之〔これ〕を知る者は勝ち、知らざる者は勝たざる、之〔これ〕を聞〔きき〕て知らず、此〔こ〕れ將之難き所以〔ゆえん〕也。大全に曰わく、聞かざる莫きは言は五事皆聞く也、聞字知字に較ふれば略ぼ分別有り、聞は耳に聞き、知は心に知る、文を作るに吞吐〔どんと〕を要す、下知字を虚含す、知字は大に議論を發するを要す、勝は乃〔すなわち〕是れ知之効験の處、惟〔た〕だ其れ知之實落功夫有り、所以に往くとして勝たざる無し。 (つづく)
2021年03月10日
法者、曲制官道主用也。 法とは曲制・官道・主用・也。 10 By METHOD AND DISCIPLINE are to be understood the marshaling of the army in its proper subdivisions, the graduations of rank among the officers, the maintenance of roads by which supplies may reach the army, and the control of military expenditure. 曲は、人衆を分〔わか〕つ法也、衆寡により士卒によりて、品々の法あること也、一よりおこり、伍にいたり、伍よりくみわけて百千萬に至れり、其の分つ作法あること也。制は人衆をつかうの制法也、人〔ひと〕相〔あい〕あつまるときは、紛雑して聲通らず、このゆえに其の耳目を一つにいたすため、金皷旌旗火を用〔もちい〕て、色と音とに約束を定め、人を進退せしめ、遠近を一〔ひとつ〕にする、これを制法と云〔いう〕。官は兵士それそれに頭をつけ、奉行をおきて、その下知をなさしむること也、五人より百千萬まで、段々に其〔その〕つかさを定めおくときは、衆又寡に同しきがごとくつかわるヽ也、心の四支をつかい四支の指をうごかすが如くなたしむるは官也。道は往來の道を考え、其の遠近について、用法をつまびらかにきわめ、營法糧道利不利をはかること也。主は、もののあづかりつかさどるの類を云〔いう〕、粮食文書等にいたるまで掌所あるは主也、官と云〔いう〕に同義に似たりといえども、官は士卒についての長〔おさ〕奉行を云〔いう〕、主は事物大小事ともに皆そのあづかるものあること也。用は、軍用也。諸色の品々多し、人馬機械用具粮食衣服にいたるまで、軍用をさして用と云〔いう〕也。主用舊説皆二ニ分〔わか〕てり、講義に主將の用と注して主將の用を主用と云〔いえ〕り、魏武帝〔ぎぶてい〕(※曹操)及〔および〕李筌〔りせん〕は主の掌の儀也と注す、全書武徳全書には主者と主守之人也と注す、留守をつかさどるものを云〔いう〕といえり。しかれども、六段にわけて注することつまびらかにして相通ずる也、張賁はこれを三段にわかてり、部曲制有り、分官道有り、各〔おのおの〕其用を主ら使〔つかわしむ〕、是〔これ〕三段にみるの説也、武經大全云、一説に制は必ずしも金鼓旗幟と指定せず、凢〔およそ〕軍中の舉動皆一個の制有り、亦是也。以上五事、孫子自〔みづから〕注解して是を以て兵法の經とし、軍事を治〔おさむ〕るの要領とす、孫子十三篇は論ずるに及ばず、すべて此〔この〕五事主将事為〔なす〕之大要也と知〔しる〕可〔べき〕也。。 (つづく)
2021年03月03日
Army of Terracotta Warriors (Xi'an, China)Rachel Mary Prout 將者、智信仁勇嚴也。 將とは智・信・仁・勇・嚴也。 9 The Commander stands for the virtues of wisdom, sincerely, benevolence, courage and strictness. 將とは、主の下にて兵をつかさどる武將を云〔いう〕也。武將〔ぶしょう〕此〔この〕五つをそなうるものを用〔もちい〕ざれば、兵事全からざる也、戰の勝敗は一將にかかる、國家の大事のよるところなれば、そのえらび尤〔もっとも〕重し。智は智慧也、謀〔はかりごと〕を好〔このみ〕て事を行うを知と云う、知恵あらざれば、物に通じ變〔へん〕に應ずること得ず也、此〔この〕篇に察〔さつ〕と云〔いい〕、經〔きょう〕と云〔いい〕、計較〔けいこう〕と云〔いい〕、智を本として皆しるせる言〔げん/ことば〕也、されば智あらざれば物に惑〔まどい〕て決〔けっせ〕ず、先知〔せんち〕なきゆえに事機に通〔つう〕ぜず也。信はまこと也、心〔こころ〕正〔ただしう〕していつわりなく、能〔よく〕まことある也、大事を任ずるの大將、いつわりあっては大軍のつかさ(司/士)なりかたく、急〔きゅう〕臨〔のぞ〕で變節になりぬべし。仁は心の温和にして下より事を云〔いい〕よくやわらかなる也、仁愛の心うすくしては諸卒の心をつることかたし。勇は恐〔おそれ〕ず、強〔つよき〕ものに臨んでよくしのび(忍)つとめあやうきを恐〔おそれ〕ざる也、専〔もっぱら〕勇〔ゆう〕剛の一事をさすにあらず。嚴は意儀あっておごそかなること也、威あって壯嚴なきときは將の器〔うつわ〕そなわらず。此〔この〕五事〔ごじ〕一〔ひと〕つもかくる(缺/欠)ときは武將の實にあらざる也、武將より下すえずえの物頭〔ものがしら〕物奉行〔ものぶぎょう〕と云〔いえ〕とも、此〔この〕心得を以て用捨いたし選〔えらぶ〕可〔べき〕もの也、此〔この〕五徳〔ごとく〕相〔あい〕備〔そなわる〕ものはいつとてもまれなるべし。しかれども此〔この〕書はきわめて其〔その〕極〔きょく/きわみ〕を論ずるがゆえに此〔かくの〕如〔ごとく〕五徳をさす也。此〔この〕五つかねては知仁勇也、孫子が云〔いう〕所は、智の字にして四をつか(束)ぬる也、知は四の内をはなれる也、ゆえに七計の内に至〔いたり〕ては將を論ずるに能を以てする也。今案ずるに太公將を論じ、勇知仁信忠を以て將之五材と為〔な〕し、之を譯〔やく〕して曰わく、勇ならば則〔すなわち〕犯す可からず、智ならば則〔すなわち〕亂〔みだる〕可からず、仁ならば則〔すなわち〕人を愛す、信ならば則〔すなわち〕欺〔だま〕す可からず、忠ならば則二心無し、李騰芳〔り とうほう〕施子美〔し しび〕謂う、太公〔たいこう〕克〔かつ〕を重んず故に勇を以て先と為す、孫子始計を重んず故に智を以て先と為す、愚〔ぐ〕謂う太公兵を治世に談ず故に、勇を以て先と為す、孫子は兵を戰國に談ず故に智を以て先と為す、治世には勇を用うる所無し、故に勇〔ゆう〕必〔かならず〕定〔さだまら〕ず、戰國には智を練るに暇〔いとま〕あらず、(而も)勇〔ゆう〕自〔おのづから〕餘〔あまり〕有り、太公孫子共に足らざるを揚げて教〔おしえ〕と為す、各々〔おのおの〕人君時勢之抑揚に據〔よ〕りて當る所有り、何ぞ優劣を論せん乎〔か〕、司馬法に曰わく、仁を以て本〔もと〕と為す、此〔こ〕れは是〔こ〕れ聖人兵を用いて以て天下を愛する之心也、將を論する之事に非〔あら〕す、觀る者玩味す可し矣〔かな〕、詳〔つまびらかに〕六韜論將に解解見ゆ。案するに古人云う、古〔いにしえ〕之臣を使う、仁者をして賢者を佐〔たす〕け、賢者をして仁者を佐け使〔つかわ〕して言〔いう〕は仁者は惻隠之心〔そくいんのこころ〕有〔あり〕、才大き者の權略有るに如〔しか〕ず、是れ將師材知を以て體と為し、仁を以て佐〔たすけ〕と為す、然れども不仁ならば則〔すなわち〕多材〔たざい〕亦〔また〕之〔これ〕を用うるに足らず、知宣子〔ちせんし〕(※知宵)將〔まさ〕に瑶〔よう〕を以て後と為さんとす、瑶智伯也、知果曰わく、宵に如〔し〕かざる、庶子宣子云わく宵也很〔もと〕れり、知果云く宵の很〔こん〕面〔おもて〕に在り、瑶〔よう〕の很は心に在り、心很は國を敗る、面很は害あらず、瑶之人に賢〔かしこか〕る(者)は五、其〔その〕逮〔およ〕ばざる(者)は一、仁也美鬢長大は則〔すなわち〕賢〔けん〕、射御足力は則〔すなわち〕賢、藝〔げい〕畢給〔ひっきゅう〕は則賢、巧文〔こうぶん〕辨惠〔べんけい〕は則賢、彊毅〔きょうき〕果敢は則賢、是〔かくの〕如くして(而して)甚だ不仁、其〔その〕五賢を以て人を陵〔しの〕きて(而も)不仁を以て行わば、其れ誰か能〔よ〕く之を待たん、若し果して瑶也を立たば、知の宗は必〔かならず〕滅〔ほろ〕びん、聽かず、知果〔ちか〕族を太史〔たいし〕に別けて、輔氏〔ほし〕と為〔な〕る、知氏の亡うるに及び、唯々〔ただただ〕輔果在り、凡〔およそ〕撰擧之道、本末有り、常變有り、一齋に之を議す可からず。 (つづく)
2021年02月24日
函关古道 (Hangu Pass Road, China)函谷关,远方山岭既为著名的崤山,2500年前,假途伐虢的秦军在此被晋军全部歼灭,秦国第一次扩张中原被遏制。灵宝,河南Photo by Eric Johnson 地者、遠近、險易、廣狹、死生也。 地とは遠近・險易・廣狹・死生也。 8 Earth comprises distances, great and small; danger and security; open ground and narrow passes; the chances of life and death. 地は地形也、地形に此〔この〕八箇條あり、天下の地形此の八形を出〔いで〕ず也、遠近はその道のり也、險は山川阻澤あってけわしき也、易は平陸原野也、廣はひろし狹はせばき(せまき)也、險易廣狹は地の形、兵を用〔もちう〕の場の考〔かんがえ〕也、其〔その〕地によれば敗〔やぶる〕可きを死地と云い、其〔その〕地によれば勝〔かつ〕可きを生地という、おしゆくにも陣をはるにも大〔おおい〕にきろ(嫌)う處〔ところ〕と大〔おおい〕にこのむ處也ゆえに死生は地の用〔よう〕也、此〔この〕場よく知〔しり〕てそれに随〔したがい〕て兵を用捨あること也、凡〔およ〕そ動〔うごく〕に遠近ありて軍用諸色のつもりかわれり、相對して兵を動〔うごか〕すにも、勞逸〔ろういつ〕のたがい(違)あり、險形は守〔まもる〕に利ありて戰〔たたかう〕に利薄し、ゆえに守成の地と云い、易形は守にたよりなくして戦にたよりあり、ゆえに草業の地と云う、廣〔ひろき〕ところにては大軍をつかうに利あり、せばき處にては小勢を用〔もちう〕に利あり、死地をば速〔すみやか〕に退〔ひき/しりぞき〕、生地にては先〔まづ〕我これをとる、此〔かくの〕如〔ごとく〕能〔よく〕心をつくるときは又死を變じて生とし、險易遠近廣狹相變じて用〔もち〕ゆるの術あり。 (つづく)
2021年02月17日
Yin YangPhoto by Neil Noland 天者、陰陽、寒暑、時制也。 天とは陰陽・寒暑・時制也。 7 Heaven signifies night and day, cold and heat, times and seasons. 陰陽は陰陽家〔いんようか〕の説、天官時日災祥妖端時運盛衰を考うる也、寒暑は四時也、時制は時を考えて事を制するなり。云〔いう〕心は道ありと云〔いえ〕ども、時を失〔うしなう〕ときは基〔き〕和〔わ〕全〔すべ〕からず、ゆえに天を第二とす、天は乃ち時也、陰陽の盛衰、時運の興敗、善惡災祥、是を陰陽と云う、能〔よく〕陰陽の理〔り〕をしる時は、天の時に通〔つう〕す、つねの陰陽師卜占も陰陽の一〔ひとつ〕也、寒暑は猶〔なお〕以〔もって〕諸卒のつもり考〔かんがえ〕に入ること也、寒暑といえば、四時を含むこと也、中にも極寒極暑について兵の用捨〔ようしゃ〕あること也、司馬法に云う、冬夏〔とうか〕は師〔すい〕を興〔おこ〕さず、呉子謂う所〔ところ〕疾風〔はやて〕大寒盛夏炎熟之類也、時はすべてものに時あり、時をうしなうときは其の勢を得ず也、制は宣〔のぶる〕がごとくこれをきりたちいたして其のりにかなわしむること也、しかれば陰陽寒暑に定法ありといえども、其〔その〕時を考えて、宜〔のぶる〕がごとく用捨いたす心也、制の一字天の字を用〔もちう〕の極法也。陰陽と云〔いう〕に諸説多し、講義には孤虚向背之術也と云〔いう〕、經通鑑には陰晦〔いんかい〕陽明〔ようめい〕の義也と云〔いう〕、陰晦兵を行〔おこなわ〕らば則〔すなわち〕利あらず、陽明兵を行らば即〔すなわち〕利あり、直解に云う、明晦〔めいかい〕生殺之類の如し、凡〔およそ〕星雲風雨之變、以〔もって〕兵象之勝負を占検す可き(者)、孟氏云う、陰陽(者)は剛柔〔ごうじゅう〕盈縮〔えいしゅく〕也、陰を用〔もちう〕れば則〔すなわち〕沈虚固静、陽を用れば則〔すなわち〕輕㨗〔けいしょう〕猛厲〔もうれい〕、後〔あと〕は則〔すなわち〕陰を用い、先〔さき〕は則〔すなわち〕陽を用う、陰は蔽〔おおう〕無き也、陽は察〔さっす〕無き也、陰陽之象定形無し、云云。又〔また〕張預が説、尉繚子〔うつりょうし〕天官篇を以て云〔いう〕ときは、陰陽は天官時日に非ず、兵に陰陽有る也、されば太白陰經に天無陰陽篇有り、しかれば孫子謂う所陰陽は天官の説にあらざるべしと云えり、又〔また〕杜牧註に陰陽向背は定めて信するに足らず、孫子〔そんし〕之〔これ〕を叙するは何ぞ也〔や〕、答えて云わく、夫〔そ〕れ暴君〔ぼうくん〕昏主〔こんしゅ〕、或〔あるい〕は一瑤〔いちよう〕一馬〔いちば〕の為〔ため〕に則〔すなわち〕人を殘〔そこな〕い志〔こころざし〕を逞〔たくましく〕す、天道鬼神を以て非ずんば誰が能〔よ〕く制止せん、故に孫子之を叙す、蓋〔けだし〕深旨〔しんし〕有り。案ずるに太公云わく、天道鬼神、之〔これ〕に視るに見えず、之を聴くに聞えず、故に智者〔ちしゃ〕則〔のり〕とせず、愚者は之に拘〔こだ〕わる、尉繚子云う、刑〔けい〕以て之〔これ〕を伐〔か〕り、徳以て之を守る、謂う所天官時日陰陽向背に非〔あらざ〕る也、黄帝(者)は、人事〔じんじ〕而已〔のみ〕、李筌云う、天に陰陽無し、又云う、天の時は水旱蝗雹荒亂之時、孤虚向背之天時に非〔あらざ〕る也、此〔かくの〕如く云う時は天官陰陽の説用に足らざる也、此〔この〕説を用〔もちう〕時は天のみにあらず、地〔ち〕亦〔また〕人の用にしたがう、しからば孫子只人事のみを論ぜすして、何ぞ天と云い地と云えるや、是〔これ〕等の説、皆用捨にかかわりてこれを論ず、常論〔じょうろん〕非〔あらず〕也、孫子謂う所五事は天下古今相通じて用〔もちう〕ところの常論也、これゆえ末に時制の字を加え、之を讀むものに心をつけたる也。 (つづく)
2021年02月10日
TroopsTerra Cotta warriors were commissioned by Qin Shi Huang Di, first emperor of China (enthroned 246 BC), to accompany him on his journey to the afterlife. They were discovered in 1974 by workers in Xi'An, Shaanxi Province, PRC.Photo by RedRockhopper 道者、令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也。 ※道者、令民與同意。故可以與之死。可以與之生、而不畏危。 道とは民をして上(かみ)と意を同じくせむるなり。 故に以て之と死すべく、以て之と生く可くして、危きを畏〔おそ〕れざるなり。 5-6 The Moral Law causes the people to be in complete accord with their ruler, so that they will follow him regardless of their lives, undismayed by any danger. 令は、使也、畏は、懼也、危難也、是〔これ〕孫子、五事を注して道の字義後世の疑惑を散する也、道は民より上におもいついて、死生一大事をも上ともになさんと存し、危〔あやうき〕にいたりても上の下知を重して主將とともにことをなす、是を道と云う也、たとえ文學あり才徳の稱美ある人なりとも、此〔この〕處かくるときは、道あるの人云うにたらず、民はすべて人民をさす、士卒ばかりにかぎらざるなり、これ國政にかかる言也、七計にいたっては士卒兵衆と直に軍旅の士をさせり。此〔この〕一句は主將道を存するのしるしを云えり、此〔かくの〕如く人民の思いついて志を一つにいたすことはかねて主將に其〔その〕道なくては、通じ可からざること也。往年此〔この〕一句に疑あり、此〔この〕一句をみるときは、道と云うものは民をおもいつかわしむべきための道也と云うに似たり、聖人之道は當然ののり(則)にして、人の思いつくをまつにあらず、孫子が謂う所道は覇者の説く所なるゆえに此〔かくの〕如くいえりと、今案〔こんあん〕此〔この〕説是實に道をしらざるゆえ也、道は人民のための道也、民人をのけて別に道なし、我〔わが〕道にかなえりと思うとも、衆心我に背く時は、道にあらざる也。凡〔およそ〕衆心向背之事、太誓に云う、民之欲るる所、天必ず之に従う、傳〔でん〕に云う、衆に違〔たが〕わば不祥、晋〔しん〕の郭偃〔かくえん〕云う、夫〔そ〕れ衆口は、禍福之門也、是〔これ〕を以て君子衆を省〔かえり〕みて(而も)動き、監戒して(而も)謀〔はか〕り、謀り度〔ど〕して(※言い聞かせて)(而して)行う、故に濟ならざる無し、内謀外度、考省〔こうせい〕倦〔う〕まず日に考えて(而も)習わば戎備(じゅうび)畢〔お〕わる、鄭〔てい〕の子産〔しさん〕云う、衆怒〔しゅうど〕は犯し難し、荘子天下篇墨子を論じて云う、恐らくは其れ聖人の道と以て為す可からず、天下の心に反し、天下堪えず、墨子〔ぼくし〕獨任〔どくにん〕すと雖〔いえど〕も天下を奈何〔いかん〕、天下を離れば其の王を去る也〔や〕遠し、是〔こ〕れ皆衆心の向背〔こうはい〕を考えて、衆ともに志を一にいたすのおしえ也、しかれども蘇子瞻〔そ しせん〕謂う所國を為むるものは未だ行事之是非を論ぜず、先〔まず〕衆心之向背を觀ると云うの説に至りては、又〔また〕古人の議論なきにあらざる也。直解に道字を解して孫子謂う所道は葢〔けだし〕王覇を兼ねて(而して)言う也と、其の説〔せつ〕詳〔つまびらか〕なることは詳にして、上向にいたりて、又兵法之實を得ざる也。兵法より云う時は、令の一字〔いちじ〕尤〔もっとも〕高味〔こうみ〕あること也、主將士卒の志を知〔しり〕て其〔その〕用法當座のつくりことのごとくにいたすにあらず、時にとって士卒の志をはかり、或〔あるい〕は賞祿し或は重罰して、人心を一つにするもまた道の一端と心得〔こころう〕可し也、三略に、軍國之要は、心を察して(而も)百務を施すと云えり、又〔また〕志を衆に通じ好悪を同〔おな〕じうするも同義也、案に七計にいたって主〔しゅ〕孰〔いず〕れか道有ると云うときは、此〔この〕道字専ら主にかかる言也、將は五事の一〔ひとつ〕也、しかれば、將の兵をつかうの道とみんことはいかが也。又云う民をして上〔かみ〕意を同うせ令〔し〕む、此〔この〕六字一句、令の字危を畏れずよりかえりよむべからず、上下をして一致令む、是れ道也、此〔かくの〕如くならば則〔すなわち〕死生を與〔とも〕にして(而も)危〔あやうき〕を畏れざる也。又云う令民與上同意(民をして上と同じくせむ意)を、此の六字一句、令の字危を畏れずよりかえりよむべからず、上下をして一致令〔せし〕む是道也、此〔かく〕の如くならば即〔すなわち〕死生を與〔とも〕にして(而も)危を畏れざる可き也。武經大全に云わく、令字講粗了す可からず、民の意最紛最強、豈〔あ〕に(※決して)上と同〔おなじ〕くし易〔やす〕からんや、惟〔た〕だ其〔その〕好惡を通じ甘苦を共にするは、自〔おのずから〕然〔しか〕るを期せずして(而も)然る之〔の〕妙有り、故に道之至る所は、與〔とも〕に死すと雖〔いえど〕も、自然意を同じうする難〔むずかし〕からず、是〔これ〕不令之令〔ふれいのれい〕為〔な〕り、何の畏危〔いき〕か之〔こ〕れ有らん、道字着實發揮するを要す。武經通鑑に云わく、西魏〔さいぎ〕の將王〔しょう〕思政〔おう しせい〕潁川郡〔えいせいぐん〕に守りたり、東魏〔とうぎ〕師〔すい〕十萬を帥〔ひき〕いて之〔これ〕を攻む、備〔つぶさ〕に攻撃之術を盡〔つく〕し、潁水を以て城に灌〔そそ〕ぎて之を陥〔おちい〕る、思政〔しせい〕事の濟〔な〕らざるを知り左右を率いて謂〔い〕いて曰〔い〕わく、義士恩を受け、遂に王命を辱〔はづか〕しむ、力屈し道窮まり、計出づる所無し、惟〔た〕だ當〔まさ〕に死を効し以て朝恩を謝す耳〔のみ〕と、因〔よ〕りて天を仰ぎ大いに哭〔こく〕す、左右皆號慟す、思政西に向いて再拝し、便〔すなわち〕自刎〔じふん〕せんと欲す、衆共に之を止め、引決するを得ず、城陥るに及びて曰わく、潁川士卒八千、存せる者〔もの〕纔〔わづか〕に三千人、終〔つい〕に叛〔そむ〕く者無し、此〔こ〕れ民をして上〔かみ〕意を同〔おなじ〕う令む是〔これ〕也。直解開宗合参に云わく、問う孫子〔そんし〕首〔はじめ〕に民をして上と意を同う令むと言い、呉子〔ごし〕亦〔また〕首に先〔ま〕づ和して(而も)大事を造すと言う、同〔おなじく〕曰わく、和〔わ〕、果〔はた〕して皆〔みな〕人和之〔じんわの〕旨〔し/むね〕に非〔あら〕ず歟〔か〕、曰わく、孫子〔そんし〕同〔おなじ〕と言い、呉子〔ごし〕和と言う、意〔い〕類せざるに似たり、然れども皆〔みな〕民の為に起見〔きけん〕す、同〔おなじ〕と曰〔い〕うは、民を同うする也、和と曰うは、民を和する也、斷然〔だんぜん〕人和を以て主と為す、但〔た〕だ道の同〔おなじ〕は上〔かみ〕之をして同〔おなじ〕うせ使〔し〕め、和は上〔かみ〕之をして和せ使〔し〕むるを知る、此〔かくの〕如く發揮せば、方に議論有り。李卓吾云わく、一に曰わく、道、孫子已に自〔おのづから〕註し得て明白〔めいはく〕矣〔かな〕、曰わく道者は、民をして上〔かみ〕と意を同うせ令〔し〕め、之〔これ〕と死す可く、之と生く可くして、(而も)危きを畏れず是也、夫〔そ〕れ民をして之と死生を同うす可くんば也、即〔すなわち〕手足の頭目を扞〔まも〕り、子弟の父兄を衞〔まも〕るも啻〔ただ〕ならず、過ぎたり矣〔かな〕、孔子謂う所〔ところ〕民〔たみ〕信じ、孟子の謂う所民信を得〔うる〕是也、此れ始計之本謀、用兵之第一義、而して魏武(※曹操)乃〔すなわち〕之を導くに政令を以てするを之を以て解く、基本を失す矣。魏武平生好みて権詐を以て一時の豪傑を籠絡して(而も)道徳仁義を以て迂腐〔うふ〕と為すに緣〔よ〕る、故に只だ自家心事を以て註解を作〔な〕す、是れ豈に至極之論、萬世共由之説なからん哉、且〔かつ〕夫れ是を道〔みちび〕くに政令を以てす、但だ法令孰行一句の經を解得せる耳〔のみ〕、噫〔ああ〕、此れ孫武子〔そんぶ し〕の以て至聖至神にして天下萬世以て復〔また〕加うる無しと為す所〔ところ〕焉〔これ〕者也、惜〔おし〕い乎〔かな〕儒者以て取らず、士故を以て讀〔よ〕まず、遂に判〔わか〕れて兩途〔りょうと〕(※両〔ふた〕つの途〔みち〕)と為り、別けて武經と為し、文を右にして武を左にす、今日に至りては、則〔すなわち〕左〔ひだり〕して又左す、蓋〔けだ〕し之を左する甚〔はなはだ〕し矣〔かな〕、是如くして其の樽俎〔そんそ〕之間に折衝し、戸庭を出でず、堂堦を下らず、(而も)變〔へん〕を万里之外に制するを望む、得〔う〕可けん耶〔や〕。 (つづく)
2021年02月03日
Male Guardian Lion (the yang)Forbidden City China - front paw on a embroidered ball.Photo by Jim Munson 一曰道,二曰天,三曰地,四曰將,五曰法。 一に曰〔いわ〕く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く將〔しょう〕、五に曰く法。 4. These are: (1) The Moral Law; (2) Heaven; (3) Earth; (4) The Commander; (5) Method and discipline. 五事は孫子兵法の根源といたす處なるがゆえに、ここに一二三四五と次第をあらわして、五事をのべたり。此〔かくの〕如く次第をいたして用うべき也、文法一二三と次第してしるすこと、必ず此〔かくの〕如くついでてよきことに之〔これを〕用う、第一に天と云うべきを、道を以て第一といたせること、古今は兵法孫子よを以て本〔もと〕とし軍旅の用法皆道義にかなうゆえんなり、道にあらざれば天地を以てすと云うことも、事の實を義を以て得〔う〕可からず不義を誅〔ちゅう〕し有道を以て無道を伐〔う〕つを上兵と云う、この故に、第一に道と云えり、而〔しか〕して天地はこれに次、將法は又これにつぐ、天は時〔とき〕也、地はところ也、將は人〔ひと〕也、そのつかさとりて事を行い、下知をいたすものを將と云う、法とは兵の作法也、法はノリとよ(讀)めり、物に定〔さだま〕りて作法のあることを、法と云いノリと云うも、定〔さだめ〕てのっとるべきかた(型)のあること也、兵を用〔もちうる〕の道に法あり、法をしらずしては、無理に其〔その〕事をなすことならざる也、たとえば道理に心得たりと云えども、其〔その〕作法にくらければ、わざに通ぜぬことあって、其〔その〕道明らかざるごとし、このゆえに法と云うものあることをいえり、凡〔およそ〕天下の大小事成否のっかる處、ことごとく此〔この〕五事を出〔いで〕ず也、孫子の兵法の至極に通ずるを以て、其の説く所ひろく事物におしたわる也、此の五事を詳〔つまびらか〕に心得るときは、兵法の至理〔しり〕能通〔のうつう〕する也。講義に云う、李衞公〔り えいこう〕亦〔また〕孫子之意を明〔あきらか〕にせし者也、五事を合わせて(而も)三等を分〔わか〕つ、一に曰く道、二に曰く天地、三に曰く將法、其〔その〕言甚だ簡にして其の意甚だ明、按に李靖これを三段にわか(分)てり、此〔かくの〕如くわけても苦しからぬこと也、伹〔ただし〕道將法は一にして、天と地を合〔あわせ〕て、三段たりと心〔こころ〕得〔う〕可き也。舊説〔きゅうせつ〕皆〔みな〕曰わく、天地相得て(而も)之に由〔よ〕りて兵を擧〔あ〕ぐ、兵を擧げれば則〔すなわち〕將有り法有り云云、愚〔ぐ〕謂〔い〕う五事は、未だ兵を擧げざる、始計之要法也、何ぞ兵を擧ぐるの後に論ぜん、將は主に代〔かわ〕りて(而も)事を行うの將也、法は衆寡〔しゅうか〕を治〔おさ〕むるの法也。道有りて(而も)法無ければ、則〔すなわち〕知有りて(而も)行無く、體〔たい〕有りて(而も)用無し、謂う所〔ところ〕道も亦〔また〕道ならず、故に首〔はじ〕めに道を以てし終りに法を以てす、是〔こ〕れ孫子之要する所〔ところ〕也、故に第四篇に曰わく、善く兵を用〔もち〕うる者は道を修めて(而も)法を保つ 云云 、讀者〔とくしゃ/どくしゃ〕玩味〔がんみ〕す可し。 (つづく)
2021年01月27日
China - Xian - Terracotta Army - Horse ChariotPhoto by Manfred Sommer 講義に云く、死生は民に係〔かかわ〕る故に、地を以て言う、存亡は國に係る故に、道を以て言う、直解に云う、死生は戰陳を以て言う、故に地と曰〔い〕う、存亡は得失を以て言う、故に道と曰う張預曰う、民之死生を此に兆〔きざ〕せば、即ち国之存亡彼に見ゆ然〔しか〕れども死生に地と曰い存亡に道とは、死生は勝負之地に在りて(而も)存亡は得失之道に繋〔つなが〕るを以て也、鄭友賢孫子遺説に云わく、或〔あるひと〕問う死生の地何を以て存亡の道に先なると云く、武の意兵事の大は、將〔しょう〕其の人を得るに在り、將〔しょう〕能〔のう〕ならば即ち兵勝ちて(而も)生(い)く、兵外に生くれば、即ち國〔くに〕内に存す、將〔しょう〕不能〔ふのう〕ならば即ち兵敗れて(而も)死す、兵外に死すれば即ち國〔くに〕内に亡ぶ。是〔こ〕れ外の生死は内の存亡に繋るを以て也、是故に兵長平(※長平の戦い)に敗れて(而して)趙〔ちょう〕亡び、遼水を喪〔うしな〕いて隋〔ずい〕亡ぶ、太公曰く、智略大謀無く、彊勇〔きょうゆう〕輕戦〔けいせん〕せば軍を敗り衆を散し、社稷を危くす、王者愼みて將為ら使むる勿〔なか〕れ其〔その〕先後之次也、故に曰く、兵を知る之將は生民之司命、國家安危之主也、今案するに死生之地を存亡之道の先にいえることは、兵事は戰也、戰は民人士卒の生死よりおこりて、ついには國家存亡のもとたり、これ自然に先後あるゆえんなり。凡〔およそ〕文道は祀りを大事とし武義は兵事を大事とす、武文と相對すること、地の天に對し陰の陽に對するがごとし、文にくらぶれば武はたけくいさみて、物をそこなう處〔ところ〕あり、このゆえに老子云う、兵者は兇器也、荘子云う、末徳也、范蠡〔はんれい〕云う、勇は逆徳也、爭者は、事之末也、孔明云う、兵は兇器、將は兇任也といえり、しかれども一日も武を忘るれば、即忽其〔その〕患有り春夏に秋冬の相つくがごとし、天地の理〔ことわり〕、皆〔みな〕此〔かくの〕如し、武義の品兵事を用を以て大事とす、兵を用〔もちうる〕ことは已むを得ずのことわりより出〔いで〕たり、三略〔さんりゃく〕に云う、聖人之兵を用うるは之〔これ〕を樂しむに非ず、將〔まさ〕に以て暴を誅〔ちゅう〕し亂〔らん〕を討ぜんとす也、夫〔そ〕れ兵者は不祥〔ふしょう〕之器、天道之を惡〔にく〕む、已むを得ずして是を用う、天道也といえり、然れば兵を大事也と論すること尤〔もっとも〕そのゆえあり、後世の學者古来聖賢の道を詳〔つまび〕らかにせずして、兵法を疎〔おそろ〕かにすること、甚〔はなはだ〕あやしまれたり。 故經之以五事、校之以計、而索其情。 故に之を經〔おさ〕むるに五事を以てし、 之を校するに計を以てして、其の情を索〔もと〕む。 3. The art of war, then, is governed by five constant factors, to be taken into account in one's deliberations, when seeking to determine the conditions obtaining in the field. 是より始計を論する也、故とは上をうけて下を云うの言也、經とは經緯の經の字心あり、又經權の字の心あり、ゆえに常也と註す、兩義ともに用〔もちい〕てよし、いう心は、五事を以て兵法のたてといたし、これを常法といたすの心也、校は較と同〔おなじく〕、彼此を相たくらべしかんがうるの心也、云う心は五事は兵法の根原也、これをつねにおさめ、而して彼此を相たくらべて有餘不足を考え、勝負の實をしる也。索其情の三字、故經之以五事校之以計の九字へかかりたる者也、此〔かくの〕如くして其〔その〕實をしると云うの心也、情はまこと也、此〔この〕五事七計にてつまびらかにたたし考うれば、まことの勝敗あらわるる也、然〔しか〕らずして當座の事にて勝敗あるは、實と云うべからざる也、索は曲求也、捜也、手にて物をさぐり求むる也、大方目に見ずして手にものをさぐると云うに此字を用う、摸索の心也、しかればいまだ戰をば成さずと云えども此〔かくの〕如く詳〔つまびらか〕に考うるときは戰を作〔な〕さず其〔その〕事を見ずして、(而して)其〔その〕まことをさぐり知ると云うの心也、廟堂之上に修めて千里之外に折衝〔せっしょう〕す、又〔また〕勝〔かち〕を制するは兩楹〔りょうえい〕に在りと云う、これ也。瓊山丘氏云わく、索は探也。此〔この〕一篇五事をば直に五事と云いて、七計をば計とばかりいえり、後世七段あるによって、後人是を七計と云えり、孫子が心は五事の定〔さだま〕りて一二三四五と相次第して五つの品也、計は必ずこれにかぎらす、此如く我と彼とをはかるべしと云うの心にて、計とばかりかけり。凡〔およそ〕五事は五を全〔まっとう〕するにあり、七計は只計較の二字肝要也、此の七つ元より五事より出たり、外にあるにあらず、しかれば五事の上にこれを彼我かんがえはかりて其〔その〕情を索〔もと〕むる也。之を校〔くらべ〕て以て計〔はか〕るとよみても同意也。袁了凡〔えん りょうぼん〕曰〔のたま〕わく、先〔まず〕之を輕するに、五事を以てすと言い、後〔のち〕利に因〔よ〕りて權を制すと言う經權の二字は、一篇の眼骨、論する所の五事は、大都〔だいと〕軒轅〔けんえん〕に本〔もと〕つ來〔きた〕る。或〔あるひと〕云う、經之以五事を一句として、我が兵を治〔おさむ〕るの本〔もと〕とし、校之以計而索其情を一句として、敵をはかるの事とす、云う心は五事相ととのうる後に校計して敵の情をさぐる也、このゆえに七計前に重ねて校之以計而索其情と出〔いだ〕せる也、然れば上の一句は決して我にかかり、下の一句は決して彼にかかる也、此〔この〕説によるときは情は彼が情にかかるべき也、此〔この〕説亦相通ず。 (つづく)
2021年01月20日
Sun Tzu, The Art of War. Special Collection, University of California Riverside.Photo by vlasta2 孫子曰、兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。 孫子曰く、兵は國の大事、死生の地、存亡の道、察せざる可からざる也。 1-2. Sun Zi said: The art of war is of vital importance to the State. It is a matter of life and death, a road either to safety or to ruin. Hence it is a subject of inquiry which can on no account be neglected. 兵者とは、兵武〔ひょうぶ〕元〔もと〕同名也、武はと云う心なり、兵は戎器〔じゅうき〕也、五兵と云いて刀矛弓矢戟の類の事なりといえども、其〔それ〕を取りあつうものを直ちに兵と名づけ、武もたけくいさめる事を云う、たけくいさむものを乃〔すなわち〕(※以後 "乃ち" と記す)武人武士と云う、ここにては軍旅の事をさして兵と云う也。往年〔おうねん〕予〔よ〕若干の此、孫子を注して思えらく、兵は士の法也其の説に云わく、孫子謂う所兵者は士也、天下四民有り、士農工商也、六韜〔りくとう〕に曰く大農大工大商は三寳〔さんぽう〕也云云、士者は耕〔こう〕せず、工〔こう〕せず、商〔しょう〕せずして三民の上に居〔お〕るは何ぞ也、三民〔さんみん〕本〔もと〕無知故に、士〔し〕之が長〔ちょう〕と為りて(而も)教化〔きょうか〕撫育〔ぶいく〕して、(而して)邪を抑え正を揚〔あ〕ぐ、各〃〔おのおの〕三民をして其の家業を務め令〔し〕む故に、士を以て首と為す、士〔し〕徳を修めざれば、民を教えず、三民家を失いて(而も)憂患〔ゆうかん〕常に甚だし、故に曰く、兵者は国之大事也、陳學伊〔ちん がくい〕(※明朝の進士)曰く、士は四民の首也 云々、今案ずるに兵と士とは、同稱にして武人を兵士と云う、乃ち四民の一つ也、四民とは天下の民人を分かちて、士農工商と定む、士は三民の首たりといえども、元より士も民の内也、首と云うは、はじめの心にして、つかさと云うにあらず、四民を司るは主將也、ここに主將と言わずして唯〔ただ〕兵と云う寸〔とき〕は、何ぞ士をさしおいて云うべきや、士は士卒兵士の通稱なり、主將をさして士と云う事あらず、奇兵國士高士上士天下士士品第一など云える、皆〔みな〕男兒通稱の言也、しかれば士をさして此の一段を談することにあらず、又主將をさして兵と云うことあらず、しかれば只軍旅をなし、兵を用うるはと云える義也、又〔また〕兵法と見る説ありといえども、すでに兵法と云うとき、死と云い亡と云うべからず、ここは軍旅用兵は此〔かくの〕如く大事なるゆえに、兵法と云うものありといわんための發端也。本朝には武人武士を侍と云う、又物部と云う、侍はそうろう(候)の心也、諸家に伺い候うのものも皆侍と云う、中に侍所と云うあり、武士その所に宿直して非常をいましむる也、物部〔モノノフ〕は物部〔もののべ〕の氏〔うぢ〕也、饒速日命〔にひはやひのみこと〕よりおこりて物部を武士の稱號とする也、職原抄〔しょくげんしょう〕に道臣命〔みちのおみのみこと〕を物部氏の祖としるせるは、あやまりなり。大事とは、國家にかかることを大事と云えり、左傳〔さでん〕に、國の大事は祀〔シ〕と戎〔ジュウ〕とに在りという心は、天地日月星辰鬼神の祭祀、すべて天子諸侯の大儀也、天子の祭祀をば天下の諸侯これをたすく、諸侯の祭祀は一國の人民これを敬いつかゆ、軍旅のことは人民の死生社稷の興亡、ここにかかることなるゆえに、此の二を以て大事と云うなり、大事と云うときは國家人民の事にかからざればいわざる言〔こと/ことば〕也、兵者國之大事と云う字を、一句として見る可し、死生之地存亡之道不可不察とは、大事なるゆえはこれなりと云う心也。死生之地存亡之道とは、兵の用法〔ようほう〕當〔あた〕らざれば、人民これに死し、ついて其の國亡ぶ、用法その理〔ことわり〕にあたるときは、人民命を全うして國〔くに〕興〔おこ〕る、これを兵の大事なるゆえ也、死生には地と云い、存亡には道という地とはところと云うの儀なり、死生する處と云う心と見る可し、道は存亡のよる處と云う心也、地の字道の字ふかく心をつくるにあらず諸説多しといえども甚だ鑿〔さく〕して之を用いざる也、道の字義〔じぎ〕詳〔つまびらか〕に詭道下に見ゆ、察はふかく考うる心也、孫子の内〔うち〕處々に察の字あり、心をつけて其の内外始終をよく考うを察と云う也、顴察の察の字也。 (つづく)
2021年01月13日
孫武/Sun Tzu/孙武Photo by kanegen 山鹿素行『孫子諺義』巻第一 始計 (一)始計此の篇を始計と云うは発端にする處のごとく軍旅の事は死生存亡のかかる大事なるがゆえに、起こらざる以前に詳〔つまびらか〕にはかり考えよと云える義を以て、始めにはかるを云う篇を十三篇の巻頭にしるせる也、始は、はじめとよめり、はじめと云う時は終る心をふくむ、始めにおいて終るを考うる心あり、計は謀と云う字と同意也、しかれども計會計算の字義ありて、彼此をよく考えてはかるの心あり、しかれば此の計字は唯はかりごとばかり見る可からず、敵味方の様を詳〔つまびらか〕に合せかんがうるの心なり、此の篇にも之を校〔くらぶ〕るに計を以てすと云いたり、校も計も彼我〔ひが〕をあわせての有餘〔ゆうよ〕不足をかんがえ足らざる所をあらため調ぶるの心なり、故に計は謀の字義とは少し心得かわるといえる也、此の篇を始謀と言わずして始計と云うこと尤も孫子が兵法の心得也。 古来の兵を用ゆるものは教閲〔きょうえつ〕治兵〔ちへい〕と號〔ごう〕して四時〔しじ〕の猟漁に必ず兵をならわす事あり、武を講〔こう〕すと云う是〔これ〕也、其の心かわれり、教閲はかねて兵法のならわしに置いての事也此の篇は兵を用うるの大概大要をつづめて此の篇とす、ゆえに始計は兵法の再閲銃習など云う心に相かなえり。 孫子曰、兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。 孫子曰く、兵は國の大事、死生の地、存亡の道、察せざる可からざる也。 1-2. Sun Zi said: The art of war is of vital importance to the State. It is a matter of life and death, a road either to safety or to ruin. Hence it is a subject of inquiry which can on no account be neglected. 此の十九字孫子十三篇の小序〔しょうじょ〕也、主将の法、この十九字を常に心にかけて武義を愼むときは、乃〔すなわち〕兵法〔へいほう/ひょうほう〕自〔おのずから〕そなわるべし、よく心得る可きの語也。小序と云うは、古来の書物に其の發端に其の書の要領を引きあげて、すこししるし置く也、毛詩に小序と云うあるもこの心也、序と云うものは摠〔すべ〕てのくくりをかき出すものなり、序は緖也と注して、糸のいとくちの心なりと云えり。(つづく)
2021年01月06日
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