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February 16, 2008
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カテゴリ: 家族・友人
実は、去年暮れに結婚した。

ここ数ヶ月いろんなことがあった。最低10年はいようと思った会社の急な本社の東京移転発表。外資系&地方に勤めるとこの恐怖が絶えずあるんだけど、まさか、世の中がサブプライム問題だの不況だのといったときに、巨額の投資をしてまで本社を移転させるなんて思ってなかった。数百人という本社勤務の人間をいとも簡単に動かすなんて・・・。

私の身近には「前に務めていた会社が東京移転のため転職した組」や「自分の故郷が関西だから東京での仕事を辞めて関西で転職した組」がたくさんいてる。またみんな頭を悩ます。「東京に行くべきか・・・・また転職活動か・・・」

勤めた会社が本社を東京に動かすのって何社目やろう・・・・。大阪頼むわ。外資系あとどれだけ残ってるねん。外資系だけじゃない、大阪本社から東京に本社を移動させた会社はここ10年で何社になるんやろう。

結婚を決意したとたんの会社の移転発表。ものすごい衝撃というかショックというか・・・。自分が何を優先したいのか、すべきなのかさっぱりわからなくなった瞬間だった。

結婚しようと思った理由の一つ-「そろそろ家族(子供)が欲しい。」。最終的に会社を辞めなくてはいけなくなって(東京には行けないから。)、自分が一番納得できる形が「子供ができること」だった。それ以外だったら、結局会社を断念せざるを得ない理由を他人のせい(結婚したから、とか、親をみないといけないとか。)にいつかしてしまいそうな自分がいたから。それぐらい今の仕事を諦めるのにキャリアの面でも、待遇の面でもいろいろと勇気がいった。かといって、今からまた転職活動して、産休取得の権利発生までの期間また働いて・・・を考えるとどうしても時間がかかる。その分、また歳をとってしまう。

子供が欲しい理由もう一つ。とっても大切に想う人が、とても悲しい病気になった。それは現医学では治る病気ではなくてきっと先に時間が限られている。その人に少しでも良い思い出と記憶の1ページに刻んでもらいたいと思った。もちろんそれ以上に、自分の子供が欲しいという思いもあったけど。お正月には、子供が授かる神社に行ったり、父の墓にも先祖の墓にも、拝むもの全てに、「子供が出来ますように。」と願った。

そして・・・・妊娠した。

実際は、「妊娠したかも。」といって検査をしたわけではなかった。体調が悪くて、なんだか良からぬ兆候があって、自分の症状をネットで調べたら、「子宮の病気」に近いような気がした。だから近くのレディースクリニックで調べてもらったら、「妊娠&子宮筋腫」と言われた。



それから3日したら結構出血になった。・・・?と思ってもう一度クリニックに行くも、「まだ妊娠初期すぎてわからない。ひょっとしたら流産の兆候かもしれないですけど、こればかりはどうしようもないんです。初期の流産は受精卵の異常なんでそのまま流れるんです。」と言われる始末。

納得できるわけもなく、それでも仕事は忙しいし、出血はしてるし。。。それから2日間。腹痛と出血とで精神的にもイライラするし、どうしようと思いながら過ごしてたけど、とうとう体がフワフワしてるような気がしてきた。なんだかお腹も結構痛い。このまま出血し続けて私の体どうなるんやろう・・。

「多分、明日休むような気がしますので・・・。」と意味不明なことを会社の周りの人に言って、休む段取りだけ済ませた。やっぱりその日の夜は調子が悪くて横になってるしかなかった。こうなったら大きい病院に行ったほうがいいんちがう?という周りの声を聞いて、夜間緊急でやってるかどうか近所の総合病院に電話してみた。「すでに初診を終えてる方なら診れるんですが・・・。」ということで、朝まで待つことにした。

翌日の朝、タクシーで旦那さんと一緒に病院へ。歩くのもなんだか辛いぐらいの腹痛。病院で初診の手続きをして産婦人科へのエスカレーターをのぼっているとき、あまりの腹痛に涙が出た。

「痛すぎて泣く」ってこれか。涙がポロポロ。しかも、痛いのと不安なのと意味がわからなかった。だって、お腹の中には小さな命があるんだもん。

産婦人科の受付へ着いたときには多分相当の悲壮感だったんだと思う。とりあえず奥のベッドに寝かされた。なんとなく気分が落ち着いてきたころに、採血の受付へ行くように言われた。

採血を待ってる人は30人ぐらいいたと思う。待合の椅子に座りながら、なんだか吐き気がしてきた。ものすごい冷汗。おでこはびちゃってぐらいの汗。それが全身の汗に変わった。旦那さんが私の様子のおかしさに気がついて産婦人科の看護師さんを呼びに行った。明らかに、下からすごく出血してる感覚があった。その時、耳が聞えなくなってきたと同時に、心臓の音が遠のいていった(ような気がした。)脈がおかしいのか、心臓がおかしいのかわからないけど、そこから視界がどんどんと暗くなっていった。

苦しい・・・・私、心臓とまるんや。

本当にそう思った。そしたら、旦那さんの顔が浮かんだ。自分でも後で思い返したら不思議だったんだけど、亡父ではなく、旦那さんの顔だった。「そうや、ありがとうだけ言おう。」なんとかそれだけは思って、そこから意識がなくなった。

もちろん、その後は、看護師さんを呼びに行って戻ってきた旦那が私が意識を失っているのを見つけ、看護師さんと一緒に車椅子に乗せ、すぐにベッドに移動して、脈だの点滴だのと、応急処置だった。途中からうつらうつらと記憶が戻っている。血圧が70です!と看護師さん言ってた。

あの・・・私、もうだめなんかと思いました。あとで、看護師さんにこの話をしたら、「今までよっぽど健康だったんですね。」と笑われた。



「あれだけの出血があって、まだ妊娠の数値が下がっていない。。。。子宮外妊娠の可能性が高いです。」

・・・・子宮外妊娠・・・・。

全く予想外の言葉だった。この出血は卵管からでている可能性が高いということ。でも、私の血液データがまだ1回分しかなく、もう一度日をおいて採血してみないとわからないから、3日後に再診になった。ただし、もし腹痛がまたきたらすぐに受診するようにとのこと。

その日はとりあえず家へ戻った。そして夜まで熟睡。悪夢はまたその日の夜に訪れた。またもや激しい腹痛と冷汗。これは必ずまた意識を失う。そう思った途端、例えようのない激痛がお腹を襲った。「のたうちまわる」というのはこういうことね。

「ごめん・・救急車呼んで。」消えそうな声で旦那さんに頼んだ。こういう時、男の人っておろおろするらしい。いろんな社会経験をふんで私よりも数段大人だと思っていた旦那さんがちょっと狼狽してる姿をはじめてみた。「タクシー呼ぶわ!」と、私を背中に背負って家を飛び出した。



入院か・・・・。1年ぶりやな。膝の半月板の手術のときとは気分が全く違う。なんともいえない不安と悲しみとしんどさと・・・。

翌日、血液検査の結果を診た先生がやってきた。

「うーん。やっぱり妊娠の数値はあがってるわ。でも子宮にはないから子宮外妊娠やなあ。。。まだ初期やし、卵管を残す方法をとって『抗がん剤治療』にしようか。」

この時点ですでに私は思考回路なんてどこにいってるのかさっぱりなのだ。とにかく、「この痛みをとってください。」しか思えなかった。だって、子宮外妊娠も抗がん剤も私には受け容れるキャパなしだったし。「はい、じゃあそれで。」そう応えるしかなかった。

午前中の間に抗がん剤が打たれた。意外と簡単で、おしりに注射1本するだけだった。これが効けば、卵管に着床したものが流れていって血液の妊娠の数値が下がれば完治とのこと。結局これが裏目に出ることになる。抗がん剤をうってから、確かに痛みは少しましになった。もちろん、痛み止めは飲んだし、座薬もたまに入れたし、点滴もしたけど、あの激痛からはかなり開放された。でも、毎日の採血の数値は一向に良くなるどころか、
・白血球の数値が激減:あと一歩で無菌室へ入れられるところまで数値が下がった。
・貧血がひどくなる一方
・高熱
・じんましん(薬疹?)
結局抗がん剤をうってからの1週間、お手洗いへの移動以外は安静。移動は全て車椅子。お風呂どころかシャワーすら禁止。濡れタオルで拭くのみ。毎日の採血と1週間ずっと入れ続けている点滴でぐったり。それよりも、日々の採血の結果で気分は凹んでいくし、自分の体がどこにむかってるのかさっぱりわからなかった。だって少しも良くならないんだもん。

・・・・・抗がん剤をうってから1週間後、妊娠の数値が下がるどころか倍まで膨れ上がって、とうとう、『緊急手術』になった。

お腹はおへそを含めて3箇所を切った。きったというよりも穴をあけた。腹腔鏡での手術。膝の時の内視鏡と同じ感じやな。。。と思いながらも今回は全身麻酔ということでちょっと良かった。あの半身麻酔の怖さは味わいたくない。

結局、『左の卵管摘出』という結果になった。

幸いにも、細菌とかでの癒着ではなく、卵管が狭かったのかつまっていたのか左の卵管のみの摘出で済んだ。先生曰く、右の卵管も両方の卵巣も子宮も綺麗だったらしい。細菌とかでやられていた場合は、肝臓とかも白くなってしまったりするらしく、写真ももらったけど、お酒を飲まないからか私の肝臓は惚れ惚れするぐらいの美味しそうなフォアグラだった。

ただし、結果的には、抗がん剤で散らせるような大きさではなく、卵管と共にそこについていた5センチほどの胎嚢と5センチほどの血のかたまりが摘出された。(後でホルマリン漬けしたものを見せてもらった。なんとも言えない気持ちになった。)お腹も1箇所だけそれらを取り出すために大きく切られてしまった。そりゃ、、、、あんなのがお腹にあったら痛いわ。。。結構お腹の中に血もたまっていたらしい。膝のときにも言われたけど、私はやっぱり痛みに鈍感なのかもしれない。

術後は気分的に楽になった。振り返れば悲しむこと、後悔する事たくさんあって、思うことも多々あるけど(それは後日編に書く。)、それよりも、目の前の壁を一つだけ片付けたことで楽になったんだと思う。少なくとも、抗がん剤の後の1週間よりも、手術後の1週間のほうが気分がはるかに前向きになれた。

ちなみに・・・・・子宮外妊娠と言われたときに、「着床したものを子宮に戻してください。」とお願いした。「もともと、異常妊娠になるので、たとえ戻せたとしても無事産まれてくることはありません。」と言われた。

命を授かるって本当に難しいと痛感させられた一瞬だった。


続く。。。





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Last updated  February 17, 2008 01:55:29 AM
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