私が18歳の時、父とお別れ・・・今日は父の命日です
昨日は「おくりびと」がアカデミー賞を受賞して、
日本映画の2冠が話題になっていますが・・・
おりしも今日は、私の父の命日です。
昨日母に「お参りにいけないけど、かわりに拝んでおいてね」と
電話しました。
いつも写真で登場する「アルプスの見える村」が私の故郷です。

父は働き者で背が高く(175センチくらいあった)
なかなかのいい男(と私は思っている)で、
入院しているときに、学校の保健の先生とばったり会い、
あとで 「お父さんって藤田まこと似の素敵な方ね」 と
言われたこともありましたっけ(●^o^●)
(そのせいか、テレビで藤田まことを見ると、懐かしい気がして…)
私は父が大好きで、お父さんっ子だったと思います。
母は夫婦の立場で、「怒りっぽい・ケチ」と
いろいろ言っていましたが、
娘の私には本当に優しくて、「働き者」で、「賢く、知恵があり」
「もくもくと仕事をする」 頼りがいのある父でした。
小さい頃、父が会社員になる前、よく畑で一緒に仕事をし、
草取りに行くと”草のかたずけ”ばかりさせる母と比べて
”並んで草をかき、同じ仕事をして比べあう”父との仕事は
楽しいものでした。
その後に働いた「黒部ダム」の工事で大きなけがをした父は
その時の輸血が原因らしいことは後でわかったことです。
30代後半で肝炎を発症し、(お酒は飲めない父でした)
父は私が中学生のころから
肝臓を患い、入退院を繰り返していました。
退院するたび、働き者の父はまた働きすぎ、
また入院するという繰り返しだったような気がします。
休みの日にバスに乗って父のいる病院に行くのも私の担当で、
父が大好きだった私は、
朝早いバスに乗っていくため眠くて、高校生になっても
よく父のベッドの中で隣で
寝ているのを、「まあ~~~、この娘は・・・」
と、
看護婦さんにびっくりされたものです。
「千の風になって」 が流れた時に、私は
「そうなんだよ、私が生きている間は父は死んでいないんだよ」ってよく思いました。
「大好きなおばあちゃん」も私や娘や息子が覚えている限りは
おばあちゃんも生きている・・・
と感じていました。
だから父には 「会えなくなっただけ」 と、思って生きてきました。
いつも守っていてくれると感じたのは、20歳の時
かぜで薬を飲み、具合が悪いのに、松本から実家に帰る途中、
居眠りで車がひっくり返り(当然車は廃車)
天井がペタンコになる事故を起こしてもなお、
膝のかずり傷だけで何ともなかった時、
「父は私のそばにいて助けてくれた」と思いました。
今日は命日・・・・
父と過ごした18歳から同じ時間が過ぎて・・・
そして、何年・・・・
私は父よりもおばさんになってしまったかも・・・
父を思い出して、娘や息子(孫)のことも空から見ていると思い、
そして反抗ばかりしていた母への感謝といたわりを
心から思いながら・・・
父の命日を過ごします。
改めて思うことは、その後苦労した母への思いと、
生きてるうちにしてあげたかったこと、
その分まで母にと思うばかりです。
センチな話を聞いてくださりありがとう(*^_^*)
そして、1年で一番忙しいモードに入った私は
しばらくブログも書けなくなるかも知れません。
皆さんのブログはお邪魔しますが
カキコなかなかできないかも(--〆)
<m(__)m>
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