南仏・プロヴァンスの食卓から 21/11/04~   by ローヌのほとり

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Dec 21, 2004
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凱旋門はリヨンとアルルを結んでいる。紀元前10年に着工。前25年に完成。ほぼ完全な形で残っている。初めて見た時は、夜中、車の中からだった。あたりは真っ暗。この凱旋門がライトアップされて白く浮き出していた。その威風に圧倒された。

古代劇場の方も同じころにアウグストゥスという帝政ローマ初代皇帝が建造。在位前27年から後14年。このひとは、ジュリアス・シーザーの姉の孫にあたる。

古代劇場は保存状態がいいので、今でも使われている。舞台で話す声が一番上の客席ではっきり聞こえる。ローマ人の技術というのはすごいなあと感嘆。

不思議な話をしたい。初めて、古代劇場の外側に立った時、わたしはあまりの懐かしさに泣いてしまったのだ。この古代劇場を知っていると思った。遠い昔、もしかして、わたしは、古代劇場の建設に携わったのかもしれない、などと考えてしまった。

オランジュの名前は、ケルト人の村「アラウシオ」に由来するという。オランジュとアラウシオじゃあ、全然違うじゃない!と思ってしまうが・・どういう経由で「アラウシオ」→ 「オランジュ」という音になったのだろうか。

前35年、オランジュは、ローマの植民市になる。4世紀、司教座がおかれる。411年、529年に宗教会議が開かれる。12世紀半ば、独立公国となる。16世紀、ドイツのナッサウ伯の家系をひくレ・ボー家所有となる。以後、オランジュ公(オラニエ公)という称号が生まれる。宗教戦争では新教徒側に付き、町は破壊される。

とっても残念なのは、サン・テュートローブの丘に建てられた壮大な城と城壁が破壊されて見られないこと。1622年、オラニエ公(オランジュ公)ナッサウ伯マウリッツというひとが築いた。1673年、フランス王、ルイ14世がオランジュ公国を奪い、破壊する。

その背景には、イギリス・オランダ戦争がある。当時のオランダ総督は、オラニエ公ウィレム(後のイングランド王ウィリアム3世)。ルイ14世はオランダ侵略を企てていた。



オランジュには、その他にもおもしろいものがある。空軍基地と外人部隊支部。特に外人部隊がおもしろい? フランス語では、レジオン・エトランジェールLégion Étrangère という。外人部隊そのものの創設は1831年。オランジュに支部ができたのは・・いつなんだろう。

外人部隊は、法律でフランス国籍者は入隊できない。18歳から40歳までの健康な男女なら、フランス語が話せなくても入れる。入隊後、フランス語の特訓があるようだ。身分を証明する書類は不要で、出身や経歴の調査もうけない。入隊後の職種は、看護師、ミュージシャン、フォトグラファー、コック、エンジニア、ITスペシャリスト、会計士など、色々もある。戦闘用兵士だけではないのだ。入隊できないひととして、フランス友好国軍の脱走者、戦争犯罪人ないしは殺人犯。入隊時にわからなくても、判明したときは除籍される。志願入隊して5年間の任務がおわればフランスの市民権が取得でき、必要な教育水準に達していれば将校になる資格がみとめられる。

日本人も何人かいるよう。オランジュの駅にはTGVが何本か停まるけど、時々、鍛えぬかれた身体の日本人らしきお兄さんを駅で見かける。外人部隊のひとかなぁ・・なんてジロジロ見たりするのだ。失礼なわたし(笑)。

外人部隊は精鋭部隊として有名。でも不思議よね。母国ではないフランスという国の兵士として戦闘に狩り出されて戦うんだから。訳ありのひとが多いのかしらん。政治犯として亡命したいひととか・・母国にいられない何らかの理由があるひと。フランス人以外なら、国籍も過去も問われないという奇抜なフランス人の考えにしびれたひと、外人部隊の歴史と実績にあこがれたひとなどが志願するのだろうか。日本の自衛隊は、戦場に行くということは最近までなかったから、日本人で志願する人は、きっと、実戦で戦いたいひとなのだろうか。

外人部隊を考え出したひともすごいと思う。またこれが認められたフランスという国。本部は120年間アルジェリアにあったそうだから、人手不足で外人を雇うようになったのだろうか。おもしろい存在!

村に、外人部隊にいたというスペイン人のおっさんがいる。初めて会ったのは、村のバー。入って行くと、いかにもスペイン人という容貌のりっぱな真っ黒な口髭、黒髪、少し浅黒い小太りのおっさんが、ライフルを持って座っていた。狩猟から帰って来たところで、一杯やっていたのだ。眼光、鋭し。何者ぞ、と思った。Mの解説によると、おっさんは若いころ、スペインでどういう理由か知らないが、ひとを殺め(あやめ)、フランスに逃げて来て、外人部隊に入ったということだ。フランコ政権下だったから、政治的な理由かもしれない。在職中は殺人犯だったということが判明しなかったのだろう。

今はEUになって、EU国のひとはEU圏内どこに住もうが許可も届け出も要らない時代になっているが、おっさんの時代は、フランス国籍を取得することは大きな意味を持っていたはずだ。

ケルト人の村の時代から綿々と続いているオランジュという町。懐かしさで泣いてしまったローマの古代劇場まである町は、わたしにとって特別なのだ。





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Last updated  Dec 23, 2004 03:38:49 AM コメント(4) | コメントを書く


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