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tajim

tajim

Aug 18, 2006
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カテゴリ: 簡単な言語学
最近、論文のデータ収集にネット検索を利用することが多い。

それは「日本語が乱れている」とか「間違ったアクセントが氾濫している」とか、言語の「正否」を問う内容の文が異常に多いこと。「若者が間違った発音をしていて聞き苦しい」とか「古き良き日本語を失っていくことはなげかわしい」なんていう、「意見」がほとんどで、平板化を言語現象として捕らえようと言う考え方は皆無に近い。「日本語はこうあるべき」という考え方は、常に変化し続ける言語に対して無理を押し付けることだし、そういう自分がしゃべっている日本語もそのさらに昔の形から変化してきたものだということを考えないんだろうか。

プログラマ、メモリなんていうコンピュータ用語や、ドラム、ザイルなんていうちょっとそのエリアに強い人が使い始めたいわゆる「専門化アクセント」は、今はかなり一般にまで普及している。哲学科の学生が「ハイデッガー」を平板に言っていたという笑い話もある。
私が扱っているのは言語現象としてのDeaccentuation(アクセントを失うこと)なので、いわゆる「平板化アクセント」とはちょっと違うが、それでも言語変化のひとつとしてアクセントが平板化する現象は面白いと思う。そもそも複数のアクセントパターンを持っていた昔の日本語は、少しずつ「アクセントのある型」と「アクセントのない型」の二つに絞られていっているようだ。話題になるのは外来語の平板化ばかりだが、実際は漢語や大和言葉の多くも平板化が進んでいる。「電車」「飼い猫」「映画」なんていう言葉は今では平板のほうが主流とされている。「耳障り」でないので気づかないだけだ。その日本語全体に及ぶ平板化現象が、とうとう外来語に及び始めたというだけのことかもしれない。

箸と橋と端の三つのアクセントの対比は有名だが、こういう三種類の対比を見せる日本語はそう多くはない。日本語、特に標準語のアクセント構造はどんどんシンプルになっているといえる。(京阪アクセントではもう少し多くの型が残されている。)それが「なげかわしい」ことだと思うのはただのセンチメンタリズムだ。逆に外来語の影響で「ディ」とか「ウィ」なんていう音が増えて、日本語の音韻構造は複雑化している。ディズニーランドをデズニーランドと呼ぶことは逆に恥ずかしいと思われているのはなぜだろう。

さらに付け足すと、どこそこの名誉教授だとか偉そうな肩書きを持つ人が、平気な顔で外来語のアクセントと英語の元々のアクセントと対比させて「間違ってる」などと言ったりしているのは、本当に信じられない。外来語は音韻もアクセントも元の言語ではなく、日本語なら日本語の音韻規則に従うものだ。外来語として日本語に入ってきた言葉は、もう「日本語」だといえる。知識人を自称する人の無知には本当に見苦しいものだと思う。

ところで、こういう言語変化に対する抵抗は、日本語だけではなく英語にも見られる。もともと「希望を持って」というような意味だったhopefullyを「できれば」という意味で使うことに批判的なのが代表例。オーストラリア英語に代表される語尾のあがるイントネーションに対する批判も多い。誰でも自分がしゃべる言葉が絶対で、違うものは認めたくないだけなのかもしれない。でもそんなことをものともせずに変わっていくのが言語だし、世代が変わればそれがまた当たり前になっていくのだろうけど。





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Last updated  Aug 19, 2006 12:43:39 AM
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