山口小夜の不思議遊戯

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2005年10月09日
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 豊はすでに何事にもあてにされない子であったし、彼もまた自らそういう存在に適う性質を持っていたのであまり手放しに誉められた経験がないのであるが、ただひとつ御詞(みことば)の発音だけは、確かに歯医者の言うとおり、一度聞いたものは生涯忘れないという、霊音(れいおん)が聞こえると讃えられていた。

 霊音の響きとは、豊ひとりが声を出しているのに、高音で別の声が聞こえてくるというものであった。

 常に短く言葉を話す豊であるが、一言二言ではそれは聞こえない。
 彼が長く御詞などを唱えたときに、‘ぁー’と、えもいわれぬ不思議な響きのする高音の小さな声が、どこともない場所から響いてくるのだ。

 その声を聞いた病者はたちまちに力が戻り、余命の尽きた者ならば、朝刊を読み、大便をして、たえなる平安のうちに死ねた。
 彼の声変わりを期待して、ひとたび男性としてのその声を聞いてみたいという目的だけで寿命を延ばしている年寄りもいた。

 だが、彼が誰よりも長けるとの誉れ高い御詞の発音をらくらく身に付けられたのも、病者に治癒を促すほどの力ある声の響きを持ち得たのも、思えばこの口中の竜骨の響きの助けであったのかもしれない。

 いかな執着心のうすい豊であろうと、次代が守宿多君(すくのおおいぎみ)であることはよく聞き知っていた。



 呪(まじない)の一族の中でも、守宿がもっとも正確に神々の声を聞く。
 けれどもそれは、あくまでも卦(占い)によって得るものである。それを自分の身に照らしてみるならば、守宿多君とは、卦を使わずとも神々から直接に人の生き死にの刻(とき)を知らされ、天災の頃合いを告げられ、さらには癒しの力を与えられて人々を援け導く者ということか──。
 その役割が自分に与えられていたことは、豊にとってはまるで謎だった。

 豊は現世の守宿である父を思った。
 守宿として郷里にしばりつけられ、毎日の呪(まじな)い事をこなしていくだけでも充分に忙しく、さらには子を産むことだけに気をかける生──。
 少なくとも、豊の透き通った緑色の目からは、彼らの生き様はそう見えていた。

 また、彼の曾祖母も祖母も父も、守宿の徴を持った者は、生後すぐから相生の民に崇敬され、敬称をもって呼称されていた。
 これを自分の名に引きつけてみると──。

 たたらさま。

 ──うわ。
 ようやらん、と豊は頭をひとふりして、その身の竜骨のことを決して誰にも明かすまいと心に決めた。


 これもその大きな謎の一部であるのだろう。

 だが、豊のこの身勝手な選択は、彼が文字通り口を割らないかぎり、相生の民が次世の守宿を戴くことはもはや絶対にないことを意味していた。

 教室へと戻る間、けれども豊は無意識のうちに喉元に手をやっていた。

 それはあたかも、エデンの園に生える知恵と禁忌の果実を喉にひっかけてしまった、人類の始祖のうろたえのごとく──。


                          ─番外編のおわり─




 霊音(れいおん)とは、ある周波数の音のn倍の周波数を持つ音をいいますが、主として可聴域の音に使用される言葉です。倍音が多い音ほど「豊かな」音になると言われています。

 私たちがこの音を人工的に作り出したい場合、自分と同じトーンの声を持つ人を(同性の兄弟姉妹など。双子ならば尚よろしい)向かいに座らせて、同じ音(いわゆるラの音が最も適します)を同時に「あー」と息が続く限り出し続けます。ふたりは真向かいに対峙して座り、ほとんど顔を寄せ合わんばかりに正面からくっつけて、互いの口の中に流し込むようなつもりで声を出すのです。

 このとき、部屋の天上の隅くらいから、「あー」という高音の声が小さく響きおろしてくるはずです。声を出しているふたりにも聞こえますが、そば近くにいる人にも聞こえます。

 私はこの方法を、学生時代のサークルにいた音大生から聞き、一つ上の先輩に私と同じトーンの声の人がいたので──私たちは完全無欠の低いアルト声なのですが、何度となく聞き間違われるほどに似ていたのです──その先輩を引っ張ってきて、合宿の部屋で試してみることにしました。

 「あー」
 いっせーのーで!で始めた私たちの声の上から、本当に、
 「ぁー」

 と聞こえてきたとき、周囲に集まっていたみんなは聞いてはならぬものを耳にしたかのように、悲鳴を上げはじめました。
 それはどこか幼く、はかなく弱々しく、まるで座敷わらしが歌っているかのような気味の悪い声だったのです。

 私自身もぞっとするような戦慄をおぼえた記憶があります。
 なぜなら、このとき私は思い出したのです。彼がひとりでこの音を出していたことを。

 つまり、豊があの霊音を奏ではじめるとき、彼の前には彼と寸分違わぬ声を持つ、目には見えない誰かが座っていた?

 それを思うと、私は今でも総毛立つような思いにかられます。
 ただし、豊の身体から出る霊音は、私たちが実験的に出したものとは似ても似つかない、奇妙に美しく、どこか甘く、聞いている者が戦慄するどころか、ぼぉっとしてしまうような、不思議な陶酔感を覚えるような声でした。

 さて、番外編としてお話ししてきた豊の物語は、これでひとまずおわりです。
 豊にも日常生活はあります。彼は普通の小学六年生であり、来年は市内の中学に通うことが決まっているのです。
 守宿としての生き方を選ばなかった彼と、彼を愛するがあまりにそれを許した神々とが、今後どのようなかたちで相生の命運に関わるのでしょうか。

 四年生編もご期待ください。

 明日は●まくあい●です。
 明日はまさに鳥取への私の想い・・・ということで、本日の日記の部分はお休みいたします。





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最終更新日  2005年12月10日 10時21分56秒 コメント(4) | コメントを書く


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