山口小夜の不思議遊戯

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2005年10月29日
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 もともと言葉というものは、自分たちだけで通じる言葉を作ると、より仲を深めることのできるツールともなり得る。いわばグループの中でのみ通用する‘仲間語’というわけである。

 日本語の共通語は、明治維新のころ東京の方言をベースにして、山口、鹿児島、京都など様々な方言を寄せ集めてできたものだ。だが共通語が公式の言葉であるのに対して、お国言葉を持つ人々が使い分ける共通語と方言では、語られる内容に建前と本音ほどの違いがある。

 また、メールなどない当時でも、子供であればお互いの通信にふだんから話す言葉で書くため、地方では方言をわざわざひらがな表記しなくてはならない手間がある。
 お国言葉を教科書的な日本語表記に書き改める際に、いつもどうもしっくりこないと感じていた子供たちは、言葉の雰囲気がそのまま文字にできるこの相生文字に飛びついた。

 集落の子供たちに限られた通信も、暗号をかねてこの文字を使った。
 少々排他的であることは否めないが、これは同胞意識を高めるためにおおいに役立つ結果となった。

 相生の子供たちは、言葉を私物化せんとする欲求を、その時代にぞんぶんに充たした。
 文部省から与えられた言葉を使っての日常生活。彼らは逆にそれを支配し始めたのだ。


 ただし、これは小夜という立場の者だからこそ、その土地に根づく禁忌の概念にとらわれることなく、見い出し広めることのできた文字であったといってもいいかもしれない。

 豊にしてみても、相生文字と呼ばれる神聖文字の広まりはとやかく言えた筋合いではなかった。
 自分が不二屋敷のお蔵で見た巻物は本来は見てはならぬものであったのだし、曾祖母の言い伝えによると、神聖文字を見て記憶している者はもはや鬼籍に入って久しいのだ。ならば、神聖文字を神聖文字と認識する者も、相生には今はいないことになる。

 豊が本来の由来を話して咎めないかぎりは、神聖文字が子供たちの間に広まるのを止める者はないはずであった。そして、彼はその文字が広がるにまかせた。
 豊は常なる静観姿勢のうちに、こうとらえていた。
 それが神々の為せる自然の流れならば、人がその流れを止めることはできない──。

 綾一郎から大将命令として再三再四にわたって申し渡されていたが、豊が小夜に声をかけることはなかった。もちろん、神聖文字に関しての話題をあえて自分からほかの者にふることもなかった。

 実際、豊は小夜からの返歌を表向きは受け取ったことにはなっていないのであり、小夜もそれを知りながら、同じ文言を重ねて寄越すことはなかった。
 自分が豊に宛てた文が、なんらかの偶然が重なることによって本人に渡らなかったのであるなら、それは精霊がこのやりとりの中断に介在したということ──小夜は二度とふたたび豊に文を宛てないことを心に決め、神々が思い描く自然の流れを自らの手で強行に動かすことを慎んだ。

 ただ一度だけ、相生文字が広まり初めた頃に、こんなことがあった。

 まだ新しい文字に慣れない仲間たちのために、小夜がそのそれぞれの名をすらすらと相生文字に直して配布しようとしていたおりのことだった。


 誰かが通りすがりざまに自分の席に片手をついてきたのに気づいて、小夜は驚いて顔を上げた。

 豊だった。

 豊はそのまま小夜の席にかがみこんできて、開いてあった帳面の端から端につーっと左手の薬指をすべらしていくという、謎めいた行動をした。
 それをじっと魅入っていた小夜は、後頭部をぽんと叩かれたのを感じて、反射的に首をすくめた。

 ──小夜。


 そしてにこっとすると、そのまま教室のうしろに歩いてゆき、ふだんと変わらぬ様子で自分の席に腰をおろした。
 あとには、電撃にうたれでもしたかのように身体を痺れさせ、莫迦みたいに呆然と前を見据えている小夜が残された。

 小夜と豊の連歌(注:恋歌では断じてない)は、それきりだった。

 なぜあの書きつけが読めたのか、豊が小夜に問うこともなかった。
 ただし、もしその問いかけがあったにせよ、小夜自身、それに明確に答えることはできなかっただろう。見えたから、読めたのだ。いずれにせよ、この一言に尽きるのである。

 しかし、これらのことすべてが今後起こってくる物事の布石となっていることに、小夜が気づく由もなかった。
 彼女が豊の沈黙を尊重しようと決心しているか否かに関わらず、相生の民のなかに長くうずもれていた豊という存在、希釈されないこの土地本来の血を身体に流す豊と、相生村という小規模ではあるが現実に在る社会──このふたつの存在を、互いに意味のあるものとして結びつけるための架け橋として自らを任じる準備は、小夜の中に自覚のないままに、だが何とも知れぬ者の働きによって、しっかりと作られていたのである。

相生文字。

 いつしか小夜が見い出した文字は、彼女と豊とだけが分かち合う内緒の歌遊びの範疇を超えて、その後もずっと使用されていく子供たちの特有文字に発展し、固有名詞でそう呼ばれるような一人歩きを始めていた。

 ───

 豊が指をすべらせた箇所に、やがて浮き出た文字があることを、鳥取時代の小夜が気づくことはついになかった。

 しかし、小夜が席から離れたおりに、精霊たちがそれを見ることを欲して一陣の風を送り、彼女の持つ帳面のとある一頁が意志をもって開かれるのを、訝しげに見た者があるかもしれない。

 そこには、小さく小さく、しかし流麗な文字でこう書かれていた。


 ξФШЩζ    λησδΠιη∠Ψι∝ζ    Θф」Плзб  ησδιηΨι
このくにの 山に咲くとき悲しめよ 風は東へ 散るは紅花 (べにばな)


 ──紅く咲いたからといって(わたしがあなたを知っているからといって)、
    嬉しいことがあるでしょうか。
    あなたはいつか東へと散ってしまうのでしょう・・・


                           この章のおわり

 本日の日記---------------------------------------------------------

 【小夜子の幼稚園時代】
 私は五~六歳の二年間(ばりばりの早生まれだったために二年保育)を、横浜の実家からほど近い、‘自由学園’系列の幼稚園で過ごしました。

 この自由学園の教育方針は今でこそ知られていますが、四半世紀も前の当時としては実にユニークなシステムの幼稚園で、私はこの園を選んで入れてくれた母にとても感謝しています。ちなみに、私の母は性格でいえば完全主義者なのですが、よくもこのような自分とは正反対の教育を施す幼稚園に入れたものだという感嘆の意を込めて感謝しているのです。

 まず、今の多くの幼稚園で見られるような、「ごあいさつがよくできる子」などのモットーはまったく掲げられていません。
 私の母などは、幼稚園に通う前から私に「おはようございます」ときちんと頭を下げて言えるようにしつけていましたが、ある日、園長先生であるお爺ちゃん先生に呼び出されて、こう言われて固まってしまったそうです。
 「子供が‘おはよう’と言いたくなるまで、待っていてあげてください」

 通園カバンも、園児が自分で作ります。
 自分でデザイン画を起こし、先生が材料を揃えて完成まで根気よく手伝ってくれます。

 クラスもあってないようなもの。しかも縦割りです。
 このクラスの名前がケッサクで、「のんき組」「ゆうき組」「やるき組」「げんき組」「にこにこ組」「どろんこ組」というように付けられています。
 私は二年間で、「のんき組」と「どろんこ組」でした。ここからも幼稚園時代の私について、推して測ることができると思います(笑)。

 毎日屋台のようにして「毛糸で三つ編屋さん」「ダンボールのおうち屋さん」「とびばこ屋さん(とびばこの中に入って様子をうかがっている子も可)」などのイベントがあり、それぞれの興味にしたがって取り組みます。 自分でしたい遊びを見つけてきた子は、それを一日中やっていてかまいません。私のクラスメートの中には、ミニカーの高速道路を木工で作るために、二年間、作業場から出てこなかった男の子もいました。

 かくいう私もひとつの作品を数ヶ月にわたって仕上げたりして、(しかも徒弟制度まで考案していた)、ここの幼稚園でなければ相当に‘変わった子’であったことは否めません。
 なにをそんなに夢中になって作っていたかといえば、紙に穴をあけるパンチってありますよね。穴をあけたあとに残るあの小さな丸いものだけを集めて糊で貼ってゆき、モザイク画のようなものを毎日熱心に作っていたのです。
 最終的には、模造紙三枚分にわたる、お城とお姫様とニョロニョロの大作が出来上がりました。

 今の私には、なにはなくとも、集中力だけは備わっています。
 ブログを毎日更新することを一度決めたら、わき目もふらず、そこにすべての情熱を注ぎ込むようにと、私の脳にはインプットされています。
 終局を見るまで、集中力が途切れることはありません。

 これはとりもなおさず、橘幼稚園で得ることのできた、何ものにも代えがたい財産だと思っております。

 さて、半月にわたって書き綴った「相生文字の章」がようやく完結をみることができました。
 これも皆さまからの応援のおかげさまと心に深く刻んでおります。
 毎日、めくるめく量のフィードバック。
 豊饒な連鎖に私も否応なく巻き込まれ──これほどの励ましがなければ、ここまでたどり着くことができなかったと思います。責任ということも、教えていただきました。
 今後ともどうかお力を貸してくださるよう、よろしくお願い申し上げます。

 明日は第四章のはじまり●動く骨壷●です。
 なんだかミステリアスな題名ですね。豊の真骨頂というか、いわゆる‘らしい’お話です。豊と小夜も、以前よりずっと仲良しになります。
 この章が終わるまで、もう少しだけ全速力で駆け抜けようと思います。

 それからちょっとコーヒーブレイク。番外編で息抜きさせていただきたく、お願い申し上げます。番外編では小噺のような楽しいお話が続きます。

 では皆さま、また明日に。
 タイムスリップして、相生村らしい神霊奇譚を目撃しにきなんせ。





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最終更新日  2005年10月29日 06時38分08秒 コメント(2) | コメントを書く


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