4年前の日記を懐かしくみた。
祖父の言葉を思い出すなぁ…
■↓は、2003年9月25日の私の日記より
命の尊さを学校で教える前に。 [ カテゴリ未分類 ]
昨日マッカーサー元帥のビデオを見た。
アメリカの軍人で元帥。アーカンソー州生まれで、父は、エミリオ=アギナルドを大統領とするフィリピン第一共和国を潰す目的で派遣された米国フィリピン派遣軍司令官や、米国フィリピン軍政長官・陸軍参謀次長等を歴任したアーサー=マッカーサー。1903年、米国陸軍士官学校を卒業し、職業軍人の道を歩んだが、1937年に退役。その後、1941年、軍に復帰し、大東亜戦争(太平洋戦争)に際しては、連合国軍西南太平洋方面司令官として対日反攻作戦を指揮した。1945年、終戦に伴い、GHQ(日本進駐連合国軍総司令部)最高司令官に就任、日本に進駐して、憲法改正・米国流民主化政策を通して、日本の「国体」改造を推進。1950年、朝鮮戦争の勃発に伴い、国連軍最高司令官に就任し、米韓連合軍を指揮。しかし、共産軍(北朝鮮・ソ連・支那)の兵站基地として機能していた満州に対する爆撃作戦を主張した事で、第三次世界大戦(米ソ全面戦争)を恐れたトルーマン大統領と戦争方針で対立し、1951年、解任され帰国した。ちなみに、日米開戦劈頭、自らが「支配者」として君臨していたフィリピンが日本軍によって攻略され、同地を脱出する際に発した言葉"I shall return!!"(私は必ず戻って来る)は、余りにも有名。
とこれもネットで発見した。
マッカーサー曰く、『日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼ら(日本政府・軍部)は恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです。』マッカーサー元帥の言葉だぞ。連合軍の元帥の言葉だ。
なのに・・・今の日本ではこの大事な事を教えない。なぜ教えないのか?
ヤクザな塾長村松は時々教える。亡くなった祖父の想いが僕には伝わっているからだ。
アメリカが石油の輸出をとめたからだ。ハルノート。アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう。これは東京裁判でのパール判事の言葉である、勝ち負けを度外視しても開戦を選択せざるを得ない理由こそがまさに『ハルノート』である。あの戦争はアメリカが日本に戦争を仕掛けた、いや戦争に突入させるべく仕向けたと・・・生徒は不思議な顔をして僕をみる。学校では教えないからだ・・・
なぜ日本が第二次世界大戦に突入したのか?突入せねばならなかった背景は?アメリカは正しいのか?ソ連は、中国は?といった事を教えろ!!と言いたい。
亡くなった祖父が良く口にした。
『戦争に負けたくらいで英語が世界共通語だと?勝っていれば日本語が世界共通語だ。減反してアメリカから米を買うなどバカだ。
俺は戦時中、増産でたんぼのあぜ道まで米を植えたんだ。』
たかだか50年ちょっと前に日本は世界を相手に必死で戦った。賛否両論はあるが国の命運をかけて必死でやったと教えろ!!こんな日本でいいのか?一人ぐらいまともな社会の教師はいないのか????
命の尊さを学校で教える前に、命を賭けて日本を守ろうとしたした事実ぐらい教えたらどうか????????
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